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2020年1月に作成された投稿

2020/01/31

"Tit for tat" を巡る冒険

ふとこんなことを考えた。今回の「新型コロナウィルス」による「新型肺炎」の流行は、不遜にも我が物顔で地球の自然を破壊し続けてきた人類への、自然の側からの「しっぺ返し」の一つなのではあるまいか。人類は地球上での自らの所業のひどさを顧みなければならないのではないかと。

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で、「しっぺ返し」って英語でどう言うのだろうと考えたが、"revenge" という言葉しか思い浮かばない。しかし "revenge" は直訳すれば「復讐」ということになり、ちょっと重すぎる言葉である。「しっぺ返し」というニュアンスに釣り合うような、うまい言い方はないのかと、iPhone の辞書を引いてみた。

すると出てきたのは、"tit for tat" という言葉で、「彼にしっぺ返しをする」は、"give him tit for tat" となるのだそうだ。ふうむ、なかなか気の利いた言い回しである。

ほかに "give even with him" とか ”retaliate agaist him" などの言い方もあるようだが、ちょっと理に落ちる。"Tit for tat" のぴしゃりとした語感を上回るものではない。

で、たまたま一緒にいた若い連中に「"Tit for tat" って言い方知ってるかい?」と聞いてみたら、彼らはなんと、「知ってる」と言うのである。「慎重勇者~この勇者が俺 TUEEE くせに慎重すぎる~ 」というアニメのテーマソングで、"TUEEE" は「強え〜」ってことなんだそうだ。

ちなみに、アニメ主題歌の "Tit for Tat" は、下の画像のクリックで動画サイトに飛ぶと聞くことができる。まあ、悪い曲じゃない。

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ただ、私としては "tit for tat" でググってみて一番笑ったのは、別のページだった。こんなのである。

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この画像の下の英文は字が小さくて読みづらいが、こんなことが書いてある。

If a dude keeps starirng at your boobs and you're tired of it, just stare right at his package. Make him feel insecure. Even, like, kinda squint your eyes a little bit.

(もしイヤらしいやつが君の胸を見つめ続けてうっとうしかったら、そいつのモッコリを見つめ返してやるといい。そいつを居心地悪い気分にさせて、ちょっと目を細めてやるんだね)

なるほど、見事な「しっぺ返し」だ。この書き込みには「いいね」的コメントがいくつか寄せられているばかりでなく、何とか賞まで獲得している。

参考までに一応仕方なく書いておくけど、"tit" は俗語で「乳首、おっぱい」という意味があり、"package" もスラングではそういう意味なのでよろしく。昨日の記事がこのブログにしてはちょっと堅すぎたかもしれないので、今日はあえて軽いお話で、それなりの "tit for tat" としておく。

 

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2020/01/30

新型コロナウィルス問題で、少しは書いてみる。

夕刊フジが 【習政権「新型肺炎」感染者10万人超 “隠蔽” か!?】と伝えている。「18ヶ月以内に世界で 6500万人死亡も」いうおまけ見出し付きだ。「何でもありの毎日更新ブログ」としては、この問題について少しは書かないわけにいかないだろう。

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「世界で 6500万人死亡も」というのは、夕刊紙特有のセンセーショナル見出しで、東京スポーツのプロレス記事の「地響き立てて轟沈!」みたいなものかもしれない。とはいえ、中国政府の発表はそれとは対照的に「慎ましすぎるんじゃないの?」と言いたくなるのも道理である。

Huff Post によると、1月 29日に武漢市から政府のチャーター機で帰国した日本人 206人のうち、2人が肺炎と診断されたという(参照)。これが新型コロナウィルスによる肺炎であるとは断定されていないが、もしそうだとすると、206人の 0.97%、つまりほぼ 1%が感染していたということになる。

日本人の多くはおそらく、現地の中国人社会とはある程度の距離をおいた生活をしているだろうが、それでいてこの数字である。何しろ、武漢市からの観光客を乗せた日本のバス運転手とツアーガイドがしっかり感染していたというのだから、その感染力はかなり強い。

仮に「約 1%」という数字を人口 1,108万人という武漢市に当てはめると、10万人ぐらいの感染者がいてもおかしくないということになる。もしかしたら夕刊フジの記事の見出しは、こんなところから手っ取り早くもってこられたのかもしれない。

この数字があるいは「大袈裟すぎ」だとしても、1月 29日現在で中国政府の発表している「新型肺炎感染者数は 5,974人」というのは、印象論に毛の生えた程度の感覚ではあるが、やはりかなりの操作を加えた内輪すぎる数字とみられても仕方がないだろう。

2002〜2003年に問題になった SARS というのもコロナウィルスの一種が引き起こしたものだが、これには 8,096人が感染したと報告されている。今回の新型コロナウィルスによるものは、2年で 8,000人台の SARS より確実に大きな問題となるだろう。

不確実な情報に踊らされるのはご免だが、ここまでくると楽観視するわけにもいかない。この問題で中国社会が停滞したら、輸入される中国製品の量も減ってしまうだろうから、日本市場での需給バランスが崩れて経済問題にまで発展してしまう。

中国当局がこの問題で姑息な隠蔽に走るようだと、世界的な信用を失ってしまうよね。まあ、これまでにしてもあまり信用していたわけじゃないけど。

続きを読む "新型コロナウィルス問題で、少しは書いてみる。"

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2020/01/29

「万歳三唱の作法」について、またしても考えてみる

ビミョーに古い記事で恐縮だが、「デイリー」という新聞のサイトに、"安倍首相の万歳「正しい」の?…即位礼で注目「手のひらを内側に」ウソなのに広まるワケ 研究者に聞く" という記事がある。昨年 10月の「即位礼正殿の儀」における安倍首相の万歳姿に関するものだ。

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この記事には、安倍首相の「正しい万歳?」の写真が添えられている。上の画像の左側がそれだ。確かに両手のひらがしっかりと内側に向けられていて、これが巷間「正しい万歳のしかた」と伝えられている。

一方、右側の 2017年 3月の自民党大会での記事に添えられた写真を見ると、手のひらがそれほどはっきりとは内側に向いておらず、なんとも「テキトーな角度」になっている。安倍首相、この時は「正しい万歳」の作法を知らなかったか、あるいは知っていても気が緩んでいたかのどちらかだ。

もっとも「デイリー」の記事にあるとおり、「万歳をする際には手のひらを内側に向ける」という説の根拠とされている「万歳三唱令」なる文書は、平成の始めに遊びで作られた「偽書」ということが明らかになっていて、実際には「正しい万歳」なんて正式に決められているわけではない。

このことに関しては、私も 2017年 2月 6日に「万歳三唱の作法」 を巡る冒険」というタイトルでアップしている。これは小池都知事の万歳をする写真の載った記事について触れたもので、次のように書いている。

この写真を見て、「小池さんって、そつのない人だなあ」と思った。というのは、万歳の手の平が内側を向いているからである。些細なことだが、これが 「正しい万歳の仕方」と言われている作法で、一方、手の平を正面に向けるのは「ごめんなさい、降参です」と言っているようなものだから正しくないと、ことさらにこだわりのある人は主張する。

念のために触れておくが、この記事でも私は「万歳三唱令」なるものが偽書であることが明らかになっていると、しっかり書いている。ところが世の中の「ことさらにこだわりのある人」のたちにとっては、偽書であるなんてのはどうでもいいことらしいので、注意する方がいい。

ちなみに「万歳三唱令」が偽書であることは明らかになっているものの、その内容が完全にデタラメと決めつけるのも、やや憚られるところがある。

というのは、若い頃(平成に変わる直前頃まで)に習っていた合気道の師匠が「万歳の時は、手のひらを内側に向けるものだよ。前に向けたら『降参』だからね」といかにもさりげなく言うのを、一度だけ聞いたことがあるからだ。どうやら武道の世界ではそのような口伝があって、常識になっているようなのだ。

ただ断っておくが、「万歳三唱令」にあるような「右足ヲ半歩踏ミ出シ・・・」なんて話は一言も聞いたことがない。それで私としても、万歳の時は(右足の動きの方は無視しつつ)、一応手のひらを内に向けている。

これは武道をやったものとしての「矜持」ということもあるが、それよりも、ことさらにこだわる人にからまれないための予防線という意識の方が強い。だから他人に強制しようとまでは決して思わない。

何しろ、故・木村太郎衆院議員ジャーナリストの木村太郎氏とは別人なのでよろしく)が、当時の鳩山由紀夫首相の万歳について質問主意書を出したというくらいだからね。以下に Wikipedia から引用しておく(参照

1990年代に出回った偽書「万歳三唱令」を本物の法令と勘違いし、2010年2月3日、当時の内閣総理大臣であった鳩山由紀夫の万歳について「正式な万歳とは違うように見受けられた。日本国の首相として、万歳の作法をしっかりと身につけておくべきだ。首相は作法を知っているか」という趣旨の質問主意書を提出し、国会質疑も行った。

下らない面倒を避けるためには、世の中、いろいろ気をつけておくに越したことはない。

 

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2020/01/28

英語を正しく発音することが恥ずかしいと思う日本人

"Quora" という結構レベルの高い Q&A サイトがあって、本拠が米国だけに、英語関係の Q&A で「なるほど、そうだったのか!」と膝を叩いてしまうような項目が少なくない。

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ただ私はとりあえず、「Quora ダイジェスト」でメール配信されるものをチラ見する程度にとどめている。「アスペルガー 1歩手前」を自覚する身としては、下手に付き合って深入りしすぎると仕事にならなくなるリスクを感じるほどの、「濃すぎる Q&A」が多いってことだ。

昨日の「Quora ダイジェスト」で配信されたものの中に、「英語を正しく発音することが恥ずかしいと思う日本人が多いように感じますがなぜですか?」という Q&A があった。これ、私のちょっとしたトラウマにも関わる問題なので、思わず読み込んでしまった。

Quora での高評価を得た回答に、Miki Doyle さんという方からのものがあり、次のように述べられている。

日本では、英語言語を喋れることが「ステータス」になっているからではないでしょうか。

英語 = カッコいい、英語を英語っぽく喋る人 = なんだか特別な人。この土壌が本来は特別な言語でもなんでもなく便利なだけの言語をその規則通りに話すことを邪魔してしまっているようだと感じます。

(中略)

そうやって「英語」に憧れる故からの逆反発が生じるような「英語絶対主義」社会が出来上がってると思えてしかたありません。

昨年の 12月 6日から 9日まで「カタカナ英語を巡る冒険」というテーマで 4日連載の記事を書いた。その 3日目(12月 8日掲載)が「カタカナ英語を巡る冒険 その 3: 中学校の英語教育」という記事で、私は次のように書いている。

中学校時代に英語で苦労したのは、試験で 100点を取ることではなく(100点以外取ったことがない)、授業のリーディングの際に「(心ならずも)なるべくカタカナ発音で読む」ということだった。ともすれば自然に英語らしい発音になってしまうのだが、それだと教師の不興を買って妙な言いがかりを付けられるのだからたまらない。

というわけで、私は「英語を正しく発音することが恥ずかしい」というわけではなかったが、ひたすら自己防衛のために、授業では敢えて「カタカナ発音」で読むように気をつけていたのである。

私が英語を学ぶきっかけとなったのは、上記の記事でも触れたが、小学校 6年の時に手に入れた「新潟地震見舞いの英会話学習用ソノシート」(なんでこんなのが地震見舞いなのか謎だが)だった。そのため、私の英語学習はソノシートに録音されたネイティブの発音をそのまま口写し的に真似ることから始まった。

要するに英語の発音に関しては、初めからカタカナの助けを借りるという発想がなかったのである。だって、ソノシートから聞こえてくるネイティブの英語は、決してカタカナにはならない「異次元の音」だったのだもの。

こうしたことから、私は中学校入学前に「英語をカタカナで捉えることのできないカラダ」になっていた。だから授業で「英語をカタカナで読む」ことを無理矢理に意識した途端、「心身分裂」的な状態に追い込まれていたようなのである。あれはストレスだったなあ。

Quora の質問にある「英語を正しく発音することが恥ずかしい」という心情は、これとそれほど遠くないように思える。日本においては「まともな英語をしゃべる」ということが、周囲との関係性において「心身分裂状態」を引き起こすきっかけになってしまうのだ。

日本のオッサンたちは、自然な英語を話す日本人に「異様なものを見るようなまなざし」を向けてくる。ところが昨日の記事でも書いたように、業界のグループ・ツァーなどで海外に出ると、メシを食いに行くにも、ちょっとした買い物をするにも、途端に態度を翻して金魚のフンみたいについてきたがる。

そんなこんなで、この方面でのストレスというのは半端じゃないのである。

 

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2020/01/27

「因果は巡る」中国人の高級品爆買い

新型コロナウィルスによる肺炎の増加のあおりで、中国からの団体客が激減しており、ホテル業界や百貨店業界にとって大きな打撃になりそうだと、朝日新聞が伝えている。今や日本経済は中国人のインバウンド消費にかなり依存しているようなのだ。(参照

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すごいなあと思ってしまうのは、この記事に添えられたグラフの表す数字である。訪日客消費額 4兆8113億円のうち、36.8%にあたる 1兆7718億円を中国人が占めている。高級ブランドの売り上げとなるとさらに顕著で、次のように報道されている。

大丸心斎橋店では売り上げの3~4割を訪日外国人が占め、うち 9割以上は中国人による高級ブランドや化粧品などの購入だ。

まるでバブル期の日本人を思わせる猛烈な物欲である。

1980年代後半、日本人も「強い円」を背景に大挙して欧米に出かけ、高級ブランドを「爆買い」していた。実は当時、私も繊維業界の現役バリバリだったので、毎年のように欧米の各種展示会視察に出かけていたものだ。ブランド品の買い漁りだけは決してしなかったけどね。

出張は経費削減のため団体視察ツァーに混じることが多かったが、「ブランドもんは、どこに行ったら買えるねん?」という話ばかりに終始する業界内オッサンたちの世話を焼くのが、ものすごいストレスだったことを思い出す。オッサンたちは英語がからきしダメだから、一人ではメシも食えないのだ。

ちょっと買い物に付き合ってやれば、Nina Ricci のスカーフを鷲づかみにして「これって、ブランドもんか?」なんて聞いてくる。「あんた、それわからないで、よく繊維業界でメシ食ってられるな!」と言いたくなるのをグッと堪える。あの頃はまだ 30代半ばで、ツァーの中では「若手」だったしね。

バブル期のオッサン、オバサン(だけでなく、若い連中まで含めた日本人)は、外国に出るととにかく醜かった。一緒に道を歩くことさえイヤだったが、連中は、英語を話せる私を頼ってついて来たがる。「ガイド料払えよ!」と言いたくなるほどだった。

あの頃、日本の OL の 2人に 1人はヴィトンのバッグをぶら下げてたというから、あまり見たくない光景である。それが今、中国に移りつつあるわけだ。そして買い漁る市場は欧米よりも日本が主力である。

「因果は巡る」というのは、このことである。

 

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2020/01/26

書いた当人も説明できない「人気記事」現象

このブログの右側にあるサイドバーには、私の甚だアヤシいプロフィル写真とかカレンダーとか、アクセス数などが表示されているが、そのずぅっと下の方には「人気記事ランキング」というのがある。下の画像は、昨日(1月 25日)のランキングだ。

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このランキング上位には、当然ながら最近の記事が多いのだが、大昔(数年前とか 10年前とか)に書いた記事もなぜかウチの「スタンダード・ナンバー」みたいに定着していたりする。上の画像の例で言えば、4位の「あんじょう」の語源を知って、ちょっと驚いた とか 6位の ”Thank you for your patience" という言葉が、日本語にも欲しい  とかがそれに当たる。

5位の 「関東厄除け三大師」と「関東の三大師」は別物なんだそうだよ というのは、初詣関連の「季節ネタ」の名残りみたいなものだろう。というわけで、大抵の「人気記事」は多くのアクセスを呼んだ理由の説明がつく。

ところが一昨日から突然、"講談社の「現代ビジネス」というサイト" という記事が 1位に躍り出てきた。これは自分でも「うーん、そんな記事を書いた覚えがないでもないなあ」という程度の思い入れしかない記事で、それほど大きなインパクトのあるものでもない。どうしてまた、こんなのが注目されたのかもわからない。

「どこかで、変な意味で話題にでもなったのかなあ」と思い、Twitter で「#現代ビジネス」みたいな検索して調べてみたのだが、とくに目立った tweet があるわけじゃない。世間でとくに注目されるような衝撃的な記事が「現代ビジネス」のサイトに載ってというわけでもなさそうだ。

さらに当ブログの「アクセス解析」ページで、どんなところからのリンクで飛んでくるアクセスが多いのかも調べてみたが、なんだか要領を得ない。というわけで、結局のところ、一体どういうことなのかさっぱりわからない。もし心当たりのある方がいらしたら、コメント欄で教えて頂きたいぐらいのものなのである。

ちなみに、今日の 17時 30分現在のランキングでは、「現代ビジネス」についての記事は第 3位に後退している。このままずるずると順位が下がって、そのままという可能性が高い。それにしても世の中には当事者でさえもさっぱり説明できない現象というのがあるのだね。

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2020/01/25

明日の関東、平地は雪にはならないようだ

先週辺りまでは、この週末は北関東で雪になりそうという予報だったが、やはり暖冬傾向は争えず、積雪はなさそうだということになった。先週 19日には「来週辺り付け替えておく方が無難かな」と書いていて、3日前にその通りに実行したが、どうやらとりあえずはその備えが無駄におわりそうだ。

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私は 2004年から「和歌ログ」なんてブログも写真入りでやっているので、試しに冬場のバックナンバーを当たってみたところ、この 15年の間にノーマルタイヤでは危なそうな雪に、20回ほど遭遇している。ただし毎年というわけではなく、2007年、2009年、2015年、2016年の 4年は大した雪が降っていない。

その代わり、2011年には 3回もちょっとした積雪になっている。この年は春になったと思ったら、いきなりあの「3・11 東日本大震災」だから、かなり大変な年だった。

下の写真は、2014年 2月 8日の和歌ログである(参照)。この日は午後からかなりの雪に見舞われている。最近では 2018年の1月末に結構な雪に見舞われているが、昨年はスタッドレス・タイヤは 1度も使わずに済んだ。

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先週 19日の記事でも書いたが、このつくばの地に移転してきた 40年前は、毎シーズン結構な雪に見舞われていた。ここ 10数年は本当に雪が少なくなったわけだ。今シーズンは雪不足で滑ることのできないスキー場もあるというし。

個人的には、もうスタッドレス・タイヤにしちゃったわけなので、いつ雪が降っても構わないのだが、交通マヒになってしまうような大雪は勘弁してもらいたい。30年以上前は 1月下旬から 2月中旬にかけて、そんなような事態になることが度々あったが、最近はそんな心配はなくなっているなあ。

やはり急速に温暖化してるんだろう。

 

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2020/01/24

「新しい」「新た」「改める」と、「あたら若い命」

「新(あたら)しい」と「新(あら)た」というのは同じ「新」という漢字を使って読み方がビミョーに違う。で、意味に違いがあるのかという疑問が生じるのは当然だろう。

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結論から言えば、意味はほぼ同じである。ただ、ニュアンス的に「新た」の方がちょっと精神的で格調高いニュアンスがある。いにしえの形の方がより格調高く聞こえるのはもっともなことだろう。語源由来時点というサイトの「新しい」というページには、次のようにある。

新しいの本来の語形は「あらたし」で、「あらたむ(改む)」「あらためる(改める)」などと同源である。

「新しい」は平安初期の頃に本来の「あらたし」から「あたらし」に変化した。こうした変化を「音位転換」という。

この例は決してレアなわけじゃなく、「山茶花」は「さんざか」か音位転換によって「さざんか」に変化した。「山茶花」を素直に読めば「さんざか」なのだから、「なるほど」と理解される。さらに「舌鼓」も「したつづみ」から「したづつみ」に変化した。

こうしたことについては理解していたが、「改める」も同じ語源だとは初めて知った。「新た」から「改める」(古語では「新たむ」)が生じたのだから、平安前期より古い時代のことだったのだろう。

上述のページにはさらに、次のようにもある。

上代の「あたらし」は、別語として「惜しい」「もったいない」の意味で用いられている。
「惜しい」意味の「あたらし」と「新しい」を意味する「あらたし」が混同され、「た」と「ら」が入れ替わったものか定かではないが、「あらたし」が音変化した以降、「惜しい」意味の「あたらし」は使用が減り、現在では、わずか「あたら若い命を散らす」の表現にのみ用いられる。

この「惜しい」「もったいない」という意味の「あたらし」に関しては、我が故郷、庄内では今でもしっかりと生き残っている。例えばおいしいご馳走をぼたりとこぼしてしまった時など、「あったらもの、あったらもの」なんて言いながら拾って食べちゃったりする。

いずれにしても、「新しい」「新た」と「改める」は語源が同じでも、「あたら若い命」とか「あったらもの」とかの 「あたら」は同じ語源ではなさそうだというわけだ。なるほどね。それは庄内生まれの私としては体感的に理解できる。

庄内弁では「新しい」は「あだらす」と訛るが、「もったいない」という意味の「あたら」は、「あったら」と訛るのだから、元々が別の言葉だったのだろう。

 

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2020/01/23

Mac OS の「スタック」という余計なお世話

今月 14日に "ファイルをどこに保存するか" という記事で、デスクトップにファイルを保存する習慣がついてしまって、デスクトップがアイコンで埋まってしまっている人が少なくないというようなことを書いた。

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さらにそれ以前にも、"アイコンでびっしりと埋め尽くされたデスクトップ"、"アイコンで埋め尽くされたデスクトップ依存症候群" といった記事を書いていて、盗み撮り(?)した写真には、まさにアイコンで埋め尽くされたデスクトップが映っている。こんなになっては、必要なファイルを見つけるにも手間がかかるだろう。

ちなみに私のデスクトップはそれとは対照的に、アイコンが少ない。置いてあるのは、その日のブログ記事に使う写真ぐらいのもので、それも「仮置き」しているだけだから、ブログを更新して用が済めばさっさと削除してしまう。

そんなやり方をしているのだが、最近の Mac OS は、デスクトップにファイルを保存する際に自動的に「スタック」というフォルダのようなものが生成されて整理されるようになった。どんなものかは、"macOS - デスクトップを整理(スタックをオン/オフ)" というページを見れば容易に理解できるだろう。

例えば複数の Word ファイルをデスクトップに保存すると、自動的に「書類」というスタックが生成されて、その中に収まる。同様に、Exels ファイルをを複数作ってデスクトップに保存すれば「スプレッドシート」というスタックに、画像ファイルは「イメージ」というスタックの中に収まる。

上の画像は試しにスタック機能を使ってみたもので、この画像を保存してからはさっさと削除して元通りの綺麗なデスクトップに戻した。私はやはりデスクトップにいろいろ置くということはしたくないのである。

そもそもブログに使う画像を「仮置き」しただけなのに、下手に「イメージ」というスタックなんか自動生成されて、その中に保存されると、慣れないうちは「ありゃ、あの画像、どこに消えちゃったかな?」なんてアセったりしていた。というわけで、個人的にはこの機能は「余計なお世話」と思っている。

ちなみにこの「スタック」という機能は、一昨年の OS アップデートで実現したもののようだが、私の Mac 上では、昨年末頃から急に現れるようになった。何かの拍子にこれを「オン」にしてしまっていたのかもしれない。

「こんな機能は『オフ』にしちゃえないのかなあ」と思っていたのだが、実は簡単にできた。上述のページに示されているように、デスクトップ上で右クリックし、出てきたメニューの「スタックを使用」という項目のチェックを外しさえすればいい。これで余計なお世話から解放されて、スッキリした。

 

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2020/01/22

大塚家具とヤマダ電機は、似たもの同士?

昨年末のニュースなので今やちょっと旧聞になってしまったが、大塚家具がヤマダ電機の傘下に入ることになったようだ。大塚家具に関してはこれまで 2度書いている("大塚家具の騒動を外野から眺めて" :2015/3/3、"大塚家具は、末期的状態らしいので " :2018/8/5)ので、その流れでもう一度書こうと思う。

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世間では「大塚家具は高級イメージがあるのだから、大衆路線への転換は間違いだった」「従来路線を継続した父親の『匠大塚』の業績は順調なのだから、娘の方針が失敗なのは明らか」という声が大きくなっている。しかしマーケットというのはそんな単純なものじゃない。

私は上述の 2015年 3月 3日の記事で、次のように書いている。

大塚家具という会社は、高度成長期の日本に最適化して伸びてしまったから、今になって体質改善に苦労しているという典型的な例なんだろう。従来手法を維持するにしても、新しいマーケティングを採用するにしても、多分どちらの道も多くは望めないだろうと思う。いっそ高級ゾーンと普及ゾーンの 2つのマーケットに対応するために、分社してしまえばいいのに。

で、推移としては図らずもその通りになった。もっとも明確な経営コンセプトに沿った判断ではなく、「喧嘩別れ」でそういう結果になったというだけのことなのだが。

さらに 2018年 8月 5日の記事ではこんな風に書いた。

というわけで、大塚家具のようなビジネスモデルは、既に歴史的使命を終わりかけているのだろう。倒産しないで存続するためには、外聞を気にせずに、規模を思いっきり縮小しなければならない。

朝日新聞の記者の視点では、「不死鳥のような復活か、さもなくば倒産か」という二者択一の運命しかないような書き方になっているが、「不死鳥のような復活」なんて求めたら絶対に潰れる。ここは、「近頃はなかなか話題にならないけど、どっこい、高収益モデルとして生き延びてます」みたいな企業になるしかないではないか。

で、結果として図らずも「どっこい、高収益モデルとして生き延びてます」となっているのは、親父の「匠大塚」の方である。喧嘩別れのおかげで企業規模が思いっきり縮小してしまったのだから、従来イメージを崩さない路線で成功するのは当たり前の話で、要するに「いいとこ取り」しちゃったわけだ。

残された本体の大塚家具としては、企業規模としてはそんなに小さくなっていないのに「いいとこ」だけ親父に持って行かれちゃったのだから、低迷するのは当然だ。むしろ、潰れてないだけ「まだマシ」ということだってできる。

いやはや、前に軽い気持ちで書いちゃった通りの結果になってるので、我ながら気持ち悪いほどだ。いっそ嫌いな仕事の筆頭、「マーケティング・コンサルタント」とか「ビジネス・コンサルタント」とかにでもなっちゃおうかしらん。

私としては 2015年 3月 3日の記事で書いたように、「いずれにせよまったく思い入れのない企業だから、どうなっても知ったことじゃない」というだけの話だ。ヤマダ電機に対しても、似たようなスタンスなので(参照:ヤマダ電機のマーケティング)、今回は「似たもの同士でくっつくのね」と思っている。

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2020/01/21

横須賀は非日常的な街

昨日は仕事で神奈川県の横須賀まで行った。つくばの里から横須賀までというのは、新幹線や特急を利用するというほどでも距離ではないが、実感的には中途半端に遠くて、結構しんどかった。

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上の写真は JR 東日本の横須賀駅前から港に向かって右側の景色を撮ったもの。これがかなり不思議な映像になってしまっている。

JR 横須賀線の久里浜行き電車は横須賀駅を過ぎるとすぐにトンネルに入る(写真では真ん中の下が、そのトンネルの入り口)が、駅前広場から眺めると、そのトンネルの上の斜面から大きなマンションがニョキッと生えたように建っている。

あの辺りというのはかなりアップダウンの激しいところで、海岸からずうっと山みたいになっており、その上にも住宅が建ち並んでいる。その象徴みたいな景色が、上の写真だ。

「いやはや、あのマンションの根っこはどうなってるんだろう?」と言いたくなる。横須賀というのは港には自衛艦が停泊しているし、かなり非日常的な雰囲気の街である。

 

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2020/01/20

JR 東日本「ジパング倶楽部」のジェンダー差別

今日、神奈川県の横須賀に出張して、久しぶりで新幹線以外の電車に 2時間以上も乗ったので、駅中の広告で JR 東日本には「ジパング倶楽部」というサービスがあることを初めて知った。

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そのとき気になったのが、「男性 満 65歳以上、女性 満 60歳以上なら どなたでもご入会でき、ワンランク上のサービスを受けることができます」という謳い文句だった。へぇ、今どき資格年齢の点で男女に差を付けてるんだ。

男の方が長生きしてその差が相殺されるとでもいうなら話は別だが、男性 81.09歳、女性 87.26歳という平均年齢(2017年のデータ)を考慮すれば、男性においては合計して平均 11年分以上もの相対的不利益が生じてしまう制度ということができる。これって、どうして問題にされないのだ?

ちなみに「ワンランク上のサービス」って何だ? と調べてみると、目玉は「全国の JR線のきっぷが年間 20回まで最大 30%割引」、「JR ホテル・グループの宿泊料金割引」などらしい。要するに実態は「ワンランク上(付加価値)」じゃなく、同じランクでのディスカウントじゃないか。

これを知るまでは、どうせ「グリーン券が安くなる」とか「高級ホテルでの宿泊優待」とかなんだろうと想像していたが、そんなんじゃないのだね。最初のイメージからはかなりの落差があって、「おやおや・・・」である。

ちなみに私なんか既に 65歳を過ぎているから、会員資格は十分である。ただ、しょっちゅう日本中を飛び歩いてはいるものの、圧倒的に出張が多く、旅費や宿泊費はすべて発注先に請求しちゃう。ということは、自分の懐具合にはメリットがなく、個人会費の 3,840円が持ち出しになるだけだ。

なぁんだ、「これでは考慮の価値なし、おしまい。チャンチャン!」 である。てなわけで、やっぱり「これって、ジェンダー差別じゃないの?」という疑問ばかり残ってしまうのだよね。

 

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2020/01/19

いつスタッドレスタイヤに履き替えるか

昨日は伊豆方面に出張したのだが、昼前に出かけようとしたところ、つくば周辺はちらほらと雪が降っていた。「もしかして積もったりしたら大変。スタッドレス・タイヤに換えるタイミングを逸してしまったかな?」と心配になったが、今日帰ってきたところ、路面はすっかり乾いていて安心した。

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そういえば、昨シーズンは一度も冬用タイヤに履き替えておらず、スタッドレスタイヤが物置の中で結構な場所を取り、2年も眠っている。ただ温暖化しているとはいえ、その前のシーズンは一度びっくりするほど積もったので、こればかりは油断がならない。

このつくばの里に引っ越してきたのは、ほぼ 40年前のことだ。当時はおんぼろの中古車(「カローラ・スプリンター」ってやつだ)を買って乗り回していたのだが、あの頃、真冬は必ず何度か雪が積もったので、タイヤ・チェーンが不可欠だった。「スノー・タイヤ」なんてのは贅沢品だったと思う。

それにタイヤ・チェーンは自分でタイヤに巻き付けられるので、付けたり外したりの「小回り」が効いた。今のスタッドレスってやつは専門業者に換装してもらわなければならないので、手間がかかる。

ただタイヤ・チェーンってヤツは雪が溶けてしまうと舗装道路の上でジャラジャラとやたら大きな音がして、振動も激しくなるので乗り心地は最悪になる。そんなわけで、いつの頃からか「スノー・タイヤ」などというのが一般化してたのだろう。

その「スノー・タイヤ」が今でいう「スタッドレス・タイヤ」と同じものであるのか、あるいは似て非なるものと言うほどに進化を遂げているのか、その辺りはよくわからない。いずれにしても今は、「スタッドレス・タイヤ」あるいは単に「スタッドレス」と言い習わすようになった。

「スタッド」というのは「鋲」のことで、昔は「スパイク・タイヤ」と言っていたものからその「スパイク」を取り去って、乗り心地をよくしたので、「スタッドレス」なんていうのだろう。本当に進化したものである。

問題は、その「スタッドレス・タイヤ」を付けるタイミングである。せっかく費用と時間をかけて換装しても、一度も雪が積もらなかったり路面が凍らなかったりすることが、今や珍しくない。かと言って甘く見て、いつまでも夏用タイヤのままでいると、ある日突然雪が積もったりすることもあるから厄介だ。

ああ、積もるなら積もるで、いっそしっかり降ってくれる方が気が楽というものだ。私は雪国生まれだが田舎には高校までしかいなかったから、日常的に雪道の運転をしていたわけではない。とはいえ雪というのがどんなものかをカラダで知っているので、雪道の運転はそんなに苦にはならない。

問題はスタッドレスに付け替えるタイミングだけである。いろいろな天気予報サイトにあたってみると、今シーズンは 1月末から 2月初めにかけて、積雪のおそれがあるという。ということは、来週辺り付け替えておく方が無難かな。

 

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2020/01/18

テレビがつまらなくなったのは

朝食をとり、一応テレビのスイッチは入れてみる。ニュースや天気予報をチェックした後で、時々「何か面白い番組はないか」とザッピングしてみるが、そんなものがあるわけもなく、すぐにスイッチを切ってラジオを聞く。

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さらに夜になってしまうと、テレビはどの局も愚にもつかないバラエティやうっとうしいドラマばかりとわかっているので、スイッチを入れる気にもならない。結局ラジオを聞きっぱなしになる。

出張先のホテルでも朝起きて一応テレビを点け、やはりニュースと天気予報を見て、すぐにスイッチを切る。どうしてテレビはこんなにつまらなくなったのだろうと思う。

茂木健一郎氏の「ぼくが地上波テレビを見なくなったワケ」(2019/3/15 付)というコラムが話題になっていると聞き、行って読んでみた。彼は日本の地上波テレビがつまらないのは、番組企画がジェンダーや年齢層にとらわれているからだという。うむ、言いたいことはわかるが、正直、インパクトに欠けるなあ。

彼の視点はどちらかというと制作者側に寄っていて、「最新のトレンドって、そういうことじゃないんだけどなあ」という発信の意味が強い。しかし日本の番組制作者は長らく「ジェンダーと年齢層」を切り口にした発想しかしてこなかったんだから、今さらそれを変えろと言っても戸惑うばかりだろう。

私が一番しっくりきてしまったのは、昨日の TBS ラジオで神田松之丞が言い放った「テレビなんて、IQ 30 の連中にもわかるようなことしかやらないから」という「核心を突いた暴言」だった。さすが松之丞。誤解を恐れずに言えば、これに尽きるね。

「"シャボン玉 ホリデイ" よ、もう一度!」は、叶わぬ夢と思っていたが、探してみるものである。YouTube で "50年前の音楽ショー「シャボン玉ホリデー」" というのを見つけた。1964年 8月に放映されたもので、私自身もしっかりと見覚えがある。

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半世紀以上も前に、こんなにもお洒落で質の高い音楽ショーが、毎週日曜夕方にフツーに放映されていたのだ。ビデオは 26分以上の長尺だが、見て損はない。開始 20分辺りには、植木等による伝説の至芸、「お呼びでない?」も出てくるしね。

このビデオを Youtube に登録された terashu1 さんのコメントを読めば、この番組がいかに上質なものだったかわかる。こんな番組を小学生のうちに毎週タダで見られた私は、いい時代に生まれついたわけだ。

毎週異なったスタンダード曲を、一発撮りで苦もなくハモって踊れるザ・ピーナッツは、今の世に現れたら「神」である。こんなのを日曜ごとに夢中で見てたんだから、「洋楽センス」が育まれるわけだよね。

「メンバーが交代で下手なソロ取って、リフはユニゾン」という最近の安易なアイドル・ソングを聞くにつけ、「後ろでフラフラ下手な踊りやってる暇があったら、少しはハモれよ!」と言いたくなるのも当然というものだ。複数で歌ってハモらないなんて、もったいなくてため息がもれる。

音楽ショーだけを取ってみても、今のテレビは安易すぎるというのがわかろうというものである。「ジェンダーと年齢層」というより、要するに「気合いの問題」だ。

 

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2020/01/17

久しぶりでクルマのオイル交換をした

昨日、本当に本当に久しぶりでクルマのオイル交換をした。何ヶ月ぶりだか、何年ぶりだかも覚えがないほどの、正真正銘の「久しぶり」である。

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昔はセルフのスタンドなんてなかったので、係員に「オイル交換、大丈夫ですか?」とよく聞かれ、大体頃合いというところで「じゃあ、お願い」なんて言っていたものだ。しかし最近はセルフで給油しちゃうので、オイル交換なんてすっかり忘れてしまう。

ところがこんなにオイル交換を忘れていると、さすがに「近頃、なんとなくクルマが重いな」という気がしてくる。加速するときなんか思いっきりアクセル踏まないとスピードに乗らなかったりして、エンジン音がやたらと大きくなる。

というわけで昨日、いつものセルフ・スタンドで給油した後に、奥のオフィスみたいなところに行って「オイル交換してもらえますか?」と聞いてみた。するとカウンターにいた無愛想なオッちゃんが「ああ、ちょっと待って」と言ってさらに奥のドアの向こうに声をかけると、若いお兄ちゃんが出てきた。

「オイル交換、承知しました。前に交換したのは大体いつ頃ですか?」
「そんなの、覚えてないほど、ずっと前なんだよね」
「わかりました。それでは、待合室でしばらくお待ちください」

というわけで、作業が始まった。待合室のソファに腰を下ろし、スマホでメールのチェックなんかしていると、なんだかやたらにヤニ臭い。

「むむ、ここは禁煙じゃないのかな」と思って辺りを見渡すが、灰皿らしきものは見当たらない。どうやら最近になって禁煙にして灰皿などを撤去したらしく、辺り一面にこびりついたヤニ臭さは消えていないもののようなのだ。今は、あのお兄ちゃんが出てきたドアの向こうが喫煙室になってるんだろう。

というわけで、20分ぐらい外の空気を吸ってブラブラしているうちにオイル交換作業が終わった。

「だいぶ久しぶりみたいで、オイル、かなり汚れてましたけど、これで大丈夫ですから」と言う。

「ありがとう」の次に「オタクのオフィスの中の空気も交換した方がいいかも」と言いたいのをぐっと堪えつつ、3,800円なにがしの代金を支払って帰ってきた。軽自動車だとこのくらいの金額で済むのだね。

帰り道は心なしか、エンジンの回転がスムーズになったような気がする。急な登り坂でもアクセルをそれほど踏まなくて済むようなのもありがたい。確かにオイルがだいぶ汚れて、パフォーマンスが落ちていたののだろう。

これからはクルマを長持ちさせるためにも、きちんとマメにオイル交換するよう心がけよう。ただ、いくらそう思ったとしても半年も経てば忘れちゃうのだが。

 

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2020/01/16

"Best regards" が「よろしくお願いします」とはね

先日、仕事上の後輩に「英語で『よろしくお願いします』は、どう言ったらいいんですか?」と聞かれた。辞書を引き引き英語のビジネス・メールを書いていて、最後の「よろしくお願いします」のくだりで、はたと迷ってしまったのだそうだ。

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「そんな言い方、英語にはないよ」と正攻法で答えたのだが、彼は「じゃあ、メールの最後をどう結んだらいいの?」としつこく食い下がる。仕方がないので、「そんなのフツーに "Best Regards" でいいじゃん」とお茶を濁しておいた。

ところがしばらくすると、彼は「あ、本当だ」と、素っ頓狂な声を上げた。「Google 辞書で "Best regards" を引いたら、『宜しくお願いします』とバッチリ出てきました!」と言い、「さすが tak さん、ありがとうございます!」と頭まで下げる。

今度はこちらが驚く番である。「え、そうなの? 本当にそんな風に出てきたの?」と、彼の PC 画面をのぞき込むと、確かに下のように表示されている。(画像をクリックするとリンク先に飛ぶ)

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私はこれまで、"Best regards" は単に英文レターの最後の決まり文句としか思っていなかった。"Dear 誰それ” が「拝啓」だとすれば、"Best regards" は「敬具」みたいなものという理解である。モロに「宜しくお願いします」と翻訳しちゃったのは、Google の「乱暴な英断」と言っていいだろう。

「よろしくお願いします」は多分に日本語独特の「雰囲気のモノ」でしかないから、具体的に「何をどうよろしくなのか」と聞かれても、まともな説明なんて誰もできない。そして根が日本語より具体的な言葉である英語には、そうした「曖昧な言い草」を「一言でバッチリ言い換えられる表現」なんてない。

「My スキ 英語」というサイトの "英語で「よろしくお願いします」|6つの場面で使い分ける!" というページは、その意味でとても実践的な解説である。場面ごとにいろいろなうまい言い方が提案されていて、"Best regards" というのは、その中の 1つということになっている。

というわけで、日本語の「よろしくお願いします」は便利すぎるほど便利な言葉である。英語ならいろいろな表現を使い分けなければならないところでも、この一言でたいてい済んでしまうのだから、日本語という「雰囲気言葉」の最大の強みというほかない。

あまりにも便利でビジネス・メールでもつい多用してしまうので、私は PC でもスマホでも「よろおね」と入力すれば「よろしくお願いします」に変換されるよう、単語登録している。おかげでこれまでに、時間を何千秒節約できたか知れない。

しかもさらなるバリエーションがあって、「よろしくお願いいたします」は「よろいた」、「宜しくお願い申し上げます」は「よろもう」で短縮登録してある。「よろもう」の場合のみ、ビミョーなニュアンスを尊重して「よろしく」ではなく「宜しく」と、よそ行きに変換されるのがミソだ。

いっそのこと「べすりが」で "Best regards" に変換されるように、登録単語を増やしてしまおうかと一瞬思ったほどだが、まともに考えれば、それはあまり意味があるとは思えないね。

 

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2020/01/15

板橋区高松の地 Revisited

本日、次女の引っ越しを手伝った。ほとんどの荷物は引っ越し専門業者のトラックで運んでもらったのだが、最近は灯油ストーブやペットのメダカの水槽などは規定によって運べないので、自前で運ぶように言われたというのである。世知辛い世の中になったものだ。

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彼女はまだ独り身で、このほど JR 東日本の中央線沿線の杉並区内でアパートを移転したのである。その辺りは私が学生時代に暮らしていた街とそう遠くないところで、何となく懐かしい気分になった。

ただ懐かしい気分になったと言っても、町名や駅名に馴染みがあるというだけのことで、今の景色には 40数年前に暮らしていた頃の面影はほとんどない。半世紀近く経って様変わりしている。

引っ越しが終わり、クルマで早稻田通りを東に辿って山手通りに入り、そのまま少々北上、板橋区の高松インターから首都高に乗って帰ってきた。高松インターは、上の地図の左上に赤い丸印で示しておいた。

そして、この高松インターのある辺りこそ、私が 18歳で上京して初めて独り暮らしを始めた街であると思い出したのである。住んでいたボロアパートはまさに山手通りからほんの 20m ほど北西に入った路地で、上の地図の赤丸で囲まれた三角地帯みたいなところにあった。(地図はクリックで拡大表示される)

最寄り駅は山手線の池袋駅で、真ん中辺りの緑の丸で囲んだ「トキワ通り」という路地を抜けて行き来していた。この路地には豆腐屋や八百屋などの個人商店が並んでいて、自炊には困らなかった。

このボロアパートには 2年近く住み、その後に西武新宿線下井草駅近くの、これまたボロなアパートに引っ越した。以後、板橋区の高松の地は、2〜3度通りかかったことがあるが、ここ20〜30年はとんとご無沙汰だったのである。

そして今日の午後、本当に久しぶりでクルマで通りかかったわけだが、この辺りの景色の変わり様は、中央線沿線どころではない。なにしろ通りの両側の建物の高さが、大体 3倍ぐらいになっているのである。ほぼ半世紀経って、「別の国」になってしまった感がある。

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ボブ・ディランの曲に "Highway 61 Revisited"(61号線再訪)というのがあるが、今日、板橋区高松の地をクルマで通り過ぎる私の脳内ではこの曲がギンギン鳴っていた。私が初めて東京暮らしを始めた 1971年の、6年も前に発表された曲だが、妙にあの頃の雰囲気にふさわしい。

 

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2020/01/14

ファイルをどこに保存するか

今日、またまたデスクトップをアイコンでびっしりと埋め尽くしている人に遭遇した。しかも割と親しい人物である。

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「そんなことだと、実際の机の上に書類を乱雑に重ねて置いてるのと変わらないよ。ちゃんと分類して保存しないと、あとで探すのが大変になっちゃうでしょ」と言うと、「だって、どこにどう保存したらいいかわからないんだもの」と言う。

というわけで、一昨年の 3月に書いた "アイコンでびっしりと埋め尽くされたデスクトップ" という記事を思い出してしまった。いくら何でも、上の写真ほどのもの凄いデスクトップにお目にかかることは、そうはないだろうと思うのだが。

ちなみに私の MacBook Pro のデスクトップは綺麗なものである。下の写真のようにデスクトップの右上隅に置いてあるのは、その日の blog で使う写真のみ。それも用が済めばさっさと削除する。あとは画面の下の方の "Dock" と称する格納庫に、しょっちゅう使うアプリケーションを登録してあるだけだ。

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冒頭で触れた私の知り合いは、作成したファイルは「マイドキュメント」フォルダに保存するという原則を、まったく意識していないようなのである。いやはや、そんなことは「イロハのイ」と思っていたのだが、そうじゃないのだね。

それはそうと、すべてごちゃっと「マイドキュメント」に移動させても、デスクトップがマイドキュメントに置き換わるだけだから、「ごちゃごちゃ状態」に変わりはない。だからマイドキュメントの中にさらにフォルダを作る必要がある。項目ごとに引き出しを作って整理保存するというイメージだ。

だが、それを言うと今度は「新しいフォルダの作り方がわからない」なんて言い出す。そんな時のために「困ったときの右クリック」という、チョー便利な格言があるのだが、PC を使い始めて 10年以上になるオッサンに教えてやらなければならなくなるとは思わなかった。

「どうしてデスクトップに保存しちゃいけないの?」と聞かれることがある。「デスクトップにフォルダを作って整理すればいいじゃん!」なんて言い出すやつもいるのだ。

しかしそれは単なる「見た目のすっきり感」だけの話じゃない。デスクトップにいろいろなファイルを保存しすぎると、まず、起動が確実に遅くなる。そりゃそうだ。起動する度にいちいち保存されたファイルを読み込むことになるのだから。

それから、まあ、こうしたビギナーと変わらない人にはあんまりないことかもしれないが、自分の PC を使ってプレゼンなんかする場合にカッコ悪い。何かの拍子にスクリーンにでっかくデスクトップが映ってしまったりすると、ファイルネームまでしっかり表示されちゃうから、個人情報まで漏れてしまう。

いずれにしてもデスクトップをちょっとのぞき込まれただけで、いろいろな情報がダダ漏れというのは、あまり気分がよろしくないだろう。孫の写真なんてのがあったりするとちょっと微笑ましかったりするのだが、「ジジ馬鹿」ぶりがバレちゃうし。

ちなみに昔は「マイドキュメントはなるべく使わずに。別に「保存用」とかいう名前のフォルダを作る方がいい」とか、「D ドライブがあるなら、そっちに保存すべし」なんていう人もいた。

これはセキュリティ対策とか、C ドライブが死んじゃった時のためとか、いろいろな理由があったのだが、近頃はそんなことはあまり気にしなくていい時代になったようだ。

それに最近の人は、C ドライブとか D ドライブとか言っても、全然ピンとこないようだしね。

 

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2020/01/13

まるで春じゃん!

真冬だというのに「まるで春じゃん!」と言いたくなるほど、妙に生暖かい一日だった。日中は窓を開けて風を入れないと汗ばんでしまうほどで、夜の 10時半を過ぎても暖房を点けていない。

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ANN ニュースが 「真冬なのに・・・冬将軍休業中?」と伝えている。この冬は上空の寒気が弱く、その代わりに南海上に暖気があるために、境目に前線が発生しやすく、太平洋沿岸は周期的に雨になりやすいのだという。これもまた、「まるで春じゃん!」と言いたくなる現象だ。

やはり「地球温暖化」の一環なのだろう。ちょっと前までは「温暖化懐疑論」というのがかなり大いばりで横行していたが、ここまで来るともはや「温暖化なんて嘘!」とは言いにくいよね。

そのせいなのか、どうなのか、私は例年、1月末頃から 2月初めにかけて杉花粉症の症状が出始めるのだが、今年は 1月の第 2週頃から明らかにその兆候があり、「むむむ、今年は早いな!」という気がしている。時々盛大なくしゃみが止まらなくなるし、ティッシュペーパーの使用量がやたらに増え始めた。

「#花粉症」で Twitter 内を検索してみると、おやおや、同類の方々が既に悩み始めているようで、やはり私だけじゃないみたいなのだ。今年は先が思いやられる。

ただ、今週末から来週初めにかけて出張が相次ぐのだが、そのあたりはどうやら前線襲来の間隙をぬって雨をやり過ごせそうなのだ。自分の晴れ男ぶりを信じようと思う。

 

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2020/01/12

自らの身勝手なラグビー・ファンぶりを反省

昨日迂闊なことに、ラグビーの大学選手権の中継を見るのをすっかり忘れていた。本当に久しぶりに母校が決勝に進出し、しかも往年の宿敵、明治大学を下して優勝しているというのに、私といえばその頃、しんねりむっつり PC に向かって仕事なんてしていたのだ。

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思えば母校が文句なしのラグビー強豪校だった頃、正月の大学選手権決勝の日は、時にはラグビー好きの友人も交えてテレビに向かい、大声援を送っていたのである。それはほぼ毎年の恒例行事で、家族の間でもこの日ばかりは「お父さんの邪魔しちゃダメよ」ということになっていたほどなのだ。

しかし最近のワセダ・ラグビーは、長期の低迷状態にあった。大学選手権決勝に出られないどころか、3回戦ぐらいで敗退することすら珍しくなくなっていたのである。そんなわけで、正月の日曜日、テレビに向かって大声援を送るなんてことから遠ざかっていたのだった。

ところが昨日、なんとまあ、母校は 11年ぶりの優勝を遂げてしまった。そのニュースを夕方に知った私は、どう対応していいかわからなかったのである。あまりにも優勝から遠ざかっていたので、喜び方を忘れてしまっていたことを、Twitter にも上の写真のように率直に書いている。

というわけで、本当に反省している。私は常々、世の巨人ファンという種族について「単に勝馬に乗りたいだけじゃん!」なんて安易な批判をしてきたわけだが、それが我が身に返ってきてしまうじゃないか。

「母校が強い間だけさんざん調子に乗って、低迷するとテレビを見ることすら忘れてるなんて、薄情にもほどがある」と言われても仕方がない。まったく身勝手な話なのである。

というわけで私は反省の意を込めて、「今年の秋以降、きちんと大学ラグビーに注目します」と宣言させていただく。「ワセダが復活した途端に、それを言い出すか」と言われそうで心苦しいが、そこは「ラグビーへの忠義立て」の方を優先しているので、ご理解頂きたい。

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2020/01/11

ドクターペッパー、お前もか!

「ドクターペッパー」という飲み物がある。私は炭酸飲料は滅多に飲まないのだが、マイボトルを忘れた外出先で喉が渇いてしまい、近くの自動販売機にドクターペッパーがあると、ついそれを選んで買ってしまうという人である。

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「ドクターペッパー大好き!」とか「ないと淋しくてしょうがない」とかいうわけでは決してないので、せいぜい 1〜2年に 1度ぐらいのものだが、炭酸飲料を飲むときにはついドクターペッパーになってしまうのだ。コカコーラなんて 40年以上飲んだことがないのに、我ながら不思議である。

先日も某ショッピングセンターで家電関連の買い物中に無闇に喉が渇いてしまい、ふと見ると自動販売機にドクターペッパーがあるので、久しぶりに買って飲んだ。しかし一口飲んで「むむ ???」となってしまったのである。味が変わってしまっているのだ。どうみても、というか、どう飲んでも昔の味じゃない。

昔のドクターペッパーは滅茶苦茶クスリ臭いというか何というか、強烈なクセがあって、周囲の人間は皆「マズい!」と言っていた。「炭酸飲料を飲むんなら、ドクターペッパー」という私は、変人扱いされていたのである。

しかし先日飲んだドクターペッパーは、妙に無難な味わいになってしまっていた。また一つ「個性派商品」が市場から姿を消した。いや、姿は曲がりなりにも残っているから、「別物になってしまった」と言うべきか。

「井戸端アメリカン」というサイトの「ドクターペッパーの味は杏仁豆腐?成分や名前の由来を詳しくチェック」というページには、次のような情報がある。

ドクターペッパーは、コカ・コーラの誕生より一年早い、1885年に誕生した炭酸飲料水です。

テキサスのウェイコ(Waco)市にあるモリソン・オールド・コーナー・ドラッグという薬局に務めるチャールズ・アルダートンという薬剤師の実験によりできた商品です。

なるほど、確かに私の記憶の中にあるドクターペッパーは「薬剤師の実験によりできた商品」というにふさわしい味わいで、まさに「もの好き」に飲ませるためのものだった。ところが最近のドクターペッパーは「万人受け」する商品に姿を変えてしまっているではないか。

ところが私は憚りながら「もの好き」なのである。「万人受け」の「10,000人」からはいつも悲しくはみ出してしまう「10,001人目の男」として、あのドクターペッパーからまで切り捨てられてしまったのだ。

これで思い出すのが、昨年 11月に書いた "私はナビスコの「プレミアム・クラッカー」が食いたいのだよ!" という記事である。

「ナビスコ・プレミアム・クラッカー」は、日本市場では「ヤマザキ・ナビスコ」という会社が展開していたのだが、ヤマザキとナビスコの提携が終了してしまった。で、ヤマザキが代わりに展開開始したのが、"Levain Classscal" という似て非なる商品で、「フツーの日本人向け」としか言いようがない、おもしろくもなんともないものなのである。

私は何とか探し出して、ホンモノの「ナビスコ・プレミアム・クラッカー」を食べているのだが、これは実はイタリアで生産されているもののようなのだ。さすがイタリアの味である。

これと同様の構図が、ドクターペッパーにも当てはまってしまうんじゃあるまいか。展開元の日本のコカ・コーラが余計なことを考えて、日本人向けの「無難な」味にしてしまったとしか思われない。

「ドクターペッパー、お前もか!」である。

これじゃ意味ないじゃないか。ドクターペッパーは、あの妙にクスリ臭い味わいだからいいのである。こうなったら、米国から直輸入して試してみたくなったが、うぅむ、フード・マイレージが馬鹿にならないなあ。でも、どうせ年に 1度ぐらいのものだから、やってみる価値はあるかな。

 

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2020/01/10

「鼻出しマスク」の世界は思いのほか深いようなのだ

大阪から帰ったばかりである。今日の昼前、新大阪駅に向かう途中の駅の階段で、3〜4人のマスクをした若い連中と続けてすれ違ったのだが、全員マスクで鼻を覆っていない。「大阪って、こういうの流行ってるのかなあ」なんて思ってしまったのだった。

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ところがこれで意識してしまったせいか、東京駅で下車してからも鼻を出したマスク姿がやたら目に付くのである。「ありゃ、これは大阪だけの流行りじゃなかったのだね」と初めて認識してしまったので、電車に乗ってから「鼻出しマスク」でググってみた。

するとまあ、出てくるわ出てくるわ!「鼻出しマスク」に疑問を呈するもの(参照)、「無意味です!」と断じて「正しいマスクのつけ方」を教授する医師(参照)、「鼻出しマスク」の心理分析(参照)などなど、533万件もヒットしてしまったのである。今頃初めて気付いた私は、感度鈍すぎだったわけだ。

ヒットしたページの中で私が最も惹かれてしまったのは、「スケベでエロい Mask Girl」というサイトである。このサイト、なんと 2016年 9月に始まったらしく、管理人は「マスク依存症」を自認する香織さんという女性。上の写真の上段やや左と 2段目の左 2枚がご当人(なのかもしれない)。

このサイトの 2016年 10月 11日付で、「なんでマスクしてるのに鼻だしてるの?」という記事がある。これがなかなか説得力のある文章なのだよ。一読をお勧めする。

香織さんはこの記事の冒頭で "そもそも「鼻を出してマスクしてようが鼻を隠していようが、こっちの勝手でしょ?」って言いたくなる" とおっしゃっている。これは確かに正論だ。それに彼女は「マスクをすることの本来の意味」もきちんと理解しているようなので、文句の付けようがない。

彼女によると「鼻出しマスク」の理由の第一は、「暑いからです(>_<;)」ということらしい。夏にマスクをして鼻まで覆ってしまったら、暑くてたまらないというのだ。以下、少し引用する。

「じゃあ、マスクしなきゃいいじゃん!」

ってなるんですが、そうはいかないんです。

いつも言っていますが、私は『マスク依存症』です。

心の安心感やコンプレックスを解消するためにマスクの着用が必要なマスク女子です。

うぅむ、これはかなり深い。マスクをすることで「心の安心感」が得られるというなら、他に迷惑を及ぼすわけでもあるまいし、それについて傍からつべこべ言われる筋合いのものじゃない。もう少しだけ引用しよう。

マスクを必要としない普通の人にとっては、本来の効果を成さない鼻だしマスクに疑心暗鬼や懸念の意見が出まくりですが、なんらかの理由でマスクを必要とするマスク依存症や伊達マスク使用者の人達にとっては大切なアイテムなんです。

ちなみに私自身は風邪を引いてもマスクなんかしないタイプだけど、なるほど、これは理解した。しましたとも! 人は誰でもいろいろなモノを抱えて生きているのである。それについて、野暮なことは言いっこなしだ。

「鼻出しマスク」の世界は、思いのほか深いようなのである。

 

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2020/01/09

私の晴れ男伝説がさらに確固たるものに

昨日は昼過ぎから 4月頃の気温になるという予報だったが、ついぞそんなに暖かくはならず、寒いままだった。そして今朝になってもそのままの寒さが続いていた。

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今日はその寒さの中を出発して大阪に出張して来ているのだが、何と、すっかり暖かくなっているのである。ユニクロのヒートテック下着の上にコーデュロイのシャツを着て出てきてしまったので、汗ばんでしまうほどになって驚いてしまっている。

天気図を見ると、今日の 15時の時点で定期発は東海上に去ってしまっている。昨日から今朝まで関東に冷気をもたらした寒冷前線もそのまま平行移動してしまった。予報の段階では、この前線がもっと北に位置するはずだったらしいが、実際には関東より南までしか上がらず、寒いままだったらしい。

今日訪問した仕事先では、「さすがに晴れ男、冬らしからぬいい陽気になっちゃったね」という話になり、私の晴れ男伝説がさらに確固たるものになってしまった。本当に私が出張すると、天気がよくなるのである。

明日はつくばの里に帰るが、いい天気は持続するようで、ありがたい限りである。

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2020/01/08

私のブラウザー遍歴

このほど再び Firefox を使い始めた。インターネットを本格的に使い始めた 1990年代には、ブラウザーは Netscape Navigator (通称「ネスケ」)というのを使っていた。当時は Windows ユーザーだったが、Internet Explorer (IE)はやたらちゃっちかったので、ずっとネスケを愛用していたのである。

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ところがネスケが重くなりすぎてしまったため、2004年 12月 17日に "Firefox を使い始めた" という記事を書いている。これ以後 Netscape はまったく存在感を失って、今は消滅してしまったらしい。そしてさらに 7年以上経った 2012年の 5月に、Google Chrome に乗り換えた(参照)。

その後 2014年 1月に Mac を使い始めてもしばらくは Chrome メインにしてきたが、Mac との相性が今イチだったこともあり、2015年 1月 22日に "しばらく Safari と Chrome を使い分けてみよう" という記事を書いている。それからはからずっと、二本立てでやってきた。

ところが、ココログのシステムがバージョンアップを重ねるうちに、Mac と Chrome の組み合わせで当ブログを運営するのがだんだんとキツくなってきてしまった。相性がとことん悪くなったようで、ココログのアクセス解析などの機能が使えなくなってしまったのである。

というわけで、これからは Firefox と Safari を使い分けていこうと思っている。Firefox を使うのは久しぶりだが、以前の使い勝手から比べると格段に進化している印象だ。これなら Google Chrome よりずっと快適に使える。

思えば私も、いろいろとブラウザー遍歴を重ねてきたものである。

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2020/01/07

67歳の「高齢者」と、「正真正銘の年寄り」の差異

毎日新聞の "交通事故死者、3年連続最少更新3215人 過半数が高齢者 千葉が愛知抜きワースト" という記事 のタイトル、「過半数が高齢者」という文言を見ても、「自分も高齢者」とはピンとこなかった。こと交通問題に関しては「高齢者って 70歳以上でしょ」なんて気がしていたのである。

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だって、あの高齢者マーク(通称「もみじマーク」)だって、70歳以上のドライバーがつけるように推奨されているしね。ところが「念のため」に記事本文にあたってみると、次のようにある。

65歳以上の高齢者の死者数も4年連続減少して前年比184人減の1782人だったが、全体の過半数を占めており、高齢者の対策が課題となっている。

私は今、67歳である。てことは、世間では既に立派な「高齢者」として扱われる年齢だったのだ。そういえば、2年前に「俺も、高齢者に入るんだった!」と確認していた(参照)のに、こういうことは(年のせいか)すぐに忘れる。

上に掲載した「交通事故死者数(年齢階層別)」というグラフを見ると、なるほど、「60〜64歳」と「65〜69歳」との間には明らかなギャップがあって、大きな「区切り」とするのも自然のように思われる。「数字が雄弁に語っている」のだ。

しかし私は往生際がとことん悪い。「74歳以下はまだマシで、本当にヤバいのは 75歳から上じゃないか!」と気付いたのである。75歳以上の絶対人口は減っているはずなのに、交通事故死者数はひときわの増加を見せているのだ。

てことは、本当にヤバいのは 75歳以上の年寄りである。確かに田舎道でクルマを運転していると、このくらいの年(に見える)のじいさん、ばあさんが本当に危なっかしい。彼らと通り過ぎる時には何が起きるかわからないから、クルマでもママチャリぐらいのスピードに落としている。

昨日も岐阜県飛騨市で、自転車を押しながら歩いて道路を横断していた 84歳の女性がワゴン車にはねられて死亡するという事故があった。また、石川県で横断歩道のない道路を横断中にはねられて死亡したのも高齢女性である。クルマを運転する側が「ママチャリぐらいのスピード」に落とさないと、こんなことになる。

こうしたニュースを聞くと自分の年のことなんか忘れてしまって、周囲の「正真正銘の年寄り」の息の根を止めないように、本当に注意して運転しようと思う。何しろつくばの里は他の地方都市と同様、「正真正銘の年寄り」がやたら多いのだ。

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2020/01/06

年賀状のジェネレーション・ギャップというものから考える

リアルな葉書ベースの年賀状というものは、いくら何でも曲がり角に差しかかって久しいと認識している。個人的には年賀状を毎年作るというのはある種の自己表現として楽しみでもある(こんな感じ)のだが、それをいちいち葉書に印刷して投函するというのは、かなり負担と感じるようになった。

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今年受け取った年賀状の中にも、「そろそろ〇〇歳にもなったので、年賀状は今年をもって最後にしたい」と、いわゆる「年賀状仕舞い」を宣言するものがチラホラ増えている。大体 80歳を超えた人に多いようだ。

「ああ、私も早く 80歳過ぎたい!」なんて思ったのだが、昨年 12月 24日の記事で「今 67歳だから、あと 10年で 77歳。それだけ生きれば、もう十分というものだろう」なんて書いてしまったから、80歳にこだわることもない。自己表現の楽しみとしての年賀状は、ブログや SNS に掲載してしまえばいい。

とはいいながら、私より若い世代向けにはそれで十分だと思っているが、70歳以上の連中はインターネットなんてものにとんと縁のないのが多いから、それで済ませるというのもやりにくい。彼らは「団塊の世代」と言って、日本で一番人口の多い年代だし、平均寿命も延びてきていることもあって、なかなか厄介だ。

地元のいろいろな会合でも、運営者側が「今後は合理化のために、連絡や書類送付はメールという形に統一したい」と提案しても、「自分はインターネットなんてやらないから、従来通り紙ベースで送ってもらいたい」なんてゴネるのは、大抵 70歳以上の年寄りである。それで連絡手段がダブル・スタンダードになってしまう。

今どき、連絡書類をいちいち人数分紙にコピーして折りたたみ、封筒に入れて切手を貼り、投函するなんて作業を事務担当者に強いるのは、理不尽というものである。それに気付かず、相変わらず「インターネットは特殊技能」なんて思っているのは、「そろそろ隠居した方がいい」ということなのだが。

東洋経済に ”「年賀状やめた人」 ほど世間体が気になっている” という記事がある。これを読むと、「インターネットができないからそろそろ隠居」とならないのは、「インターネットができなくても、世間の有力メンバーであり続けたい」と願うのと共通の根っこをもっているとわかる。

個人的には「メールや SNS をやりたくなかったら、そうした者同士で『隠居サークル』的な共同体を作って、それなりに楽しくやればいいい」なんて思ってしまう。そうした上で、葉書ベースの「リアル年賀状」の届く枚数が極端に減ったとしても、気を悪くしないでもらいたいのである。

そうなったとしても、「現役世代」と「隠居サークル」の橋渡しをするサービスというのは必ず出現して必要な機能を果たしてくれることになるから、「姥捨て山(爺捨て山?)」を待望するってわけじゃない。そのあたりはきちんと理解していただきたいのである。

 

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2020/01/05

「常在戦場」という言葉

ラジオを聞いていると、「書き初めにはどんな言葉を書かれましたか」という問いに「『ジョウザイセンジョー』と書きました」と答える人がいた。一瞬、「浄財のマネーロンダリング?」なんて素っ頓狂なことを考えてしまったが、「そういえば『常在戦場』って言葉もあったな」と思い直した。

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個人的には「常に戦場に在る」なんてのは真っ平ご免だが、改めてググって見ると、出てくるわ出てくるわ。山本五十六の揮毫から長岡藩の家訓、歴史小説や読む気がまったくしないビジネス書のタイトルに至るまで、日本のオッサンたちは「常在戦場」が大好きなようなのである。

まあ、この言葉が大好きなオッサンたちにしても、決して「戦場に在りたい」とか「戦争大好き」なんてストレートに考えるわけではないらしい。いくら「アスペルガー一歩手前」の私でも、そこまで曲解しようとは思わないのである。これは「心構え」を説く場合の比喩的表現なんだろう。

「デジタル大辞泉」には、次のように解説されている。(参照

じょうざい‐せんじょう〔ジヤウザイセンヂヤウ〕【常在戦場】
  いつでも戦場にいる心構えで事をなせという心得を示す語。

さらに "bizwords.jp 意外と知らないビジネス用語の意味と使い方" というサイトには、次のようにある。(参照

「『常在戦場』の気持ちで、日々活動をすることは極めて重要だ」「『常在戦場』の心構えで、一層の緊張感を持たなければならない」……。
このように政治家や経営者が好んで使う「常在戦場」という言葉。

(中略)

「常在戦場」という言葉は、政治家、特にいつ解散があるかわからない衆議院議員が心構えとして好んで使う言葉です。

なるほど、この言葉には何となく生臭いイメージが付きまとうと思っていたが、政治家が選挙対策として好んで使いがたるためだったのか。彼らにとっての選挙というのは、一種の「戦争」だったのだね。付き合いたくない世界である。

何だかんだ言っても戦争というのは、結局は「富や資源の奪い合い」から起きるのである。有限のモノの中で、自分の支配下にあるものの比率を高めたいなんて思うから、奪い合いになり、戦争しなければならなくなる。つまり戦いの中に貴重な資源を無駄に注ぎ込んで逼迫するという自己矛盾が戦争である。

私は「常在平和」で行きたいと思う。ただ、「平和」という言葉は常に手垢にまみれる運命にあって、そうしたマンネリズムが「常在戦場」なんて悪趣味を呼ぶ契機にもなるから、よほど注意しなければならない。お気楽に「平和、平和」と唱えていれば済むってわけでもないようなのである。

それでも「常在戦場」なんてことは言いたくないなあ。

 

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2020/01/04

「つくば霞ヶ浦りんりんロード」がナショナルルートに

霞ヶ浦を周回する自転車道「つくば霞ヶ浦りんりんロード」(約 180km)が昨年 11月、国土交通省によって「ナショナルサイクルルート」の第一弾の 1つに選定された(参照)。選ばれたのは 3ルートで、ほかの 2つは 「しまなみ海道サイクリングロード」(広島、愛媛両県、約 70キロ)、「ビワイチ」(滋賀県、約 190キロ)。

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この「りんりんロード」はなにしろ全長が約 180km もあるので、まだコース全部を走りきったことはない。4年前の今日、自転車で土浦駅まで行き、りんりんロードを 30km ほど辿って霞ヶ浦湖岸を走り、そこから裏筑波に行って帰ってきた(参照)。この時は何しろヒルクライムまでしてしまったので、かなり疲れた記憶がある。

季節がよくなったら、裏筑波に行くのはカットして霞ヶ浦湖岸を廻ってみたいと思っている。道は平坦だが 180km もあるので、クルマに自転車を積んで朝早く出発し、暗くなってから帰ってこなければならないだろう。時間的に余裕のある時でないと、全コースを辿るのは大変だ。

さらにしまなみ海道とビワイチも、いつか行ってみたい。70歳を過ぎてからでは辛いだろうから、具体的に考えてみようと思う。

 

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2020/01/03

Today's Crack の過去ログ、ココログへの移植完了

大晦日の記事でも触れたように、"Today's Crack" は初めからココログというブログ・システムを使っていたわけではなく、当初は自分のサイトでやっていた。ココログに引っ越したのは 2004年の 7月 8日からである。

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とはいえ、それ以前のログも暇を見ながらちょこちょことココログに移植してきていて、このほどようやく、すべての記事の移植を完了した。大晦日の記事では「できれば新年の松の内にもすべての記事の移植を終えてしまいたい」と書いておいたが、思いのほか早く済んでしまった。

バックナンバーのページにはサイドバーの「バックナンバー」(「最近のコメント」の下にある)をクリックすると移動することができる。上の画像のような体裁(センターの右側に、最下段の文の画像を貼り付けてある)で、当ブログ開始以来のすべての記事を月ごとに表示させられる。

今のところは 1番上の「2020年 1月」から下の 「2002年 3月」まで、214行にもわたる上下に長いページとなっている。つまり、214ヶ月 (17年と 10ヶ月)にわたって更新してきたってわけで、我ながらまったくもって酔狂なことである。

とりあえず、これで全てのブログ記事を一元的に管理できるので、面倒がなくなってうれしい。

ちなみにココログというサービスが開始されたのは、2003年 12月 2日であるらしい (参照)。初めのうちは「それ以前のログでも移植できるのかなあ?」なんて不安だったが、何のことなくどこまでも遡って保存することができ、ホッとしている。

というわけで、私の ”Today's Crack” はココログのスタートより 1年以上前からのログが保存されているという、ある意味不思議な数少ないブログの 1つということになる。

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2020/01/02

"「百八の煩悩」の内訳" を初めて知ったのだが・・・

幼い頃、「除夜の鐘」が 108回打ち鳴らされるのは "「人間の百八の煩悩」を一つ一つ祓うため" と教わったものだ。その頃は「へえ、人間にはそんなにたくさんの煩悩があるのか」と思ったが、長ずるに当たっては「いやいや、煩悩の数はそんなもんじゃないだろう!」なんて言いたくなったりもしている。

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Japaaan というサイトに "除夜の鐘は何で百八つ?除夜の鐘で祓われる煩悩の「内訳」を紹介!" という記事がある。昨年大晦日付の記事なので、今さら触れるのはネタとして手遅れ感が強いが、単純計算では「わずか 2日前」の記事なので、図々しく書いてしまおう。

記事はまず、人間を構成する六つの要素「六根(ろっこん)」から入っている。眼(げん、視覚)・耳(に、聴覚)・鼻(び、嗅覚)・舌(ぜつ、味覚)・身(しん、肉体)・意(い、精神)である。般若心経でも「無眼耳鼻舌身意(むーげんにーびーぜっしんにー)」という一節があるから、お馴染みといえばお馴染みだろう。

で、この六根がそれぞれ 「好(こう、快感)・悪(あく、不快感)・平(へい、無感)」の 3パターンに分かれる。これで 18パターンになるが、それがさらに「浄(じょう、清い=仏様の御心に適う)と染(せん、汚い=仏様の御心に適わない)」に分けられ、これで 36パターンになる。

最後にその 36パターンそれぞれに、「前世・今世・来世」の 3パターンを乗じて、「百八の煩悩」ということになるのだそうだ。うぅむ、仏教って、時々妙に理屈っぽい。

つまり「百八の煩悩」といっても、個別の煩悩の数ではなく「108のカテゴリーに分けられる煩悩」である。煩悩を個別に挙げていったら、やはり 108どころではなくなるってことだ。

仏教は理屈っぽいだけではない。フツーに考えれば 「浄」という要素は「仏様の御心に適う」というのだから、「煩悩」じゃないだろうと言いたくなるが、それでも煩悩なのだという。「解脱」というのは、仏の御心に叶いたいと願うことからさえも離れて自由になることという、直観的理解も求められるのだ。

私は元より「数」に関して考えるのは苦手で、「百八」なんてことを考えていたら頭が痛くなっちゃう。それに煩悩についてなんか突き詰めて考えたら、かえって頭の中が煩悩だらけになってしまいそうだ。というわけで堅苦しい理窟からは離れて、今年も気楽な理窟で生きていこう。

 

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2020/01/01

衝突の末に融合あるを祈り

明けましておめでとうございます。恒例により、新年の年賀状画像をお届けします。今年もよろしくお願いいたします。(下の画像はクリックすると新規ウィンドウで拡大表示されます)

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(以下、いつもの調子で)

子年ということで、「ネズミ」の名の付いた星座はないものかと探したところ、星座ではなく「マウス銀河」というのが見つかった。Wikipedia には次のようにある。

マウス銀河(Mice Galaxies)は、かみのけ座の方角にある2つの渦巻銀河である。地球から約2億9000万光年離れており、現在、衝突と融合の過程にある。その名前は、銀河潮汐力によって形成された長い尾に由来する。かみのけ座銀河団に属し、将来的には融合すると考えられている。

長い尻尾のような光の尾を引いた 2つの渦巻銀河が衝突の過程にあり、将来的にはそれを経て融合するというのである。なかなかいい話ではないか。衝突は融合の第一歩のようなのだ。

地球上のすべての衝突も、融合の第一歩となればいいのだが。

 

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