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2020年1月28日

英語を正しく発音することが恥ずかしいと思う日本人

"Quora" という結構レベルの高い Q&A サイトがあって、本拠が米国だけに、英語関係の Q&A で「なるほど、そうだったのか!」と膝を叩いてしまうような項目が少なくない。

200128

ただ私はとりあえず、「Quora ダイジェスト」でメール配信されるものをチラ見する程度にとどめている。「アスペルガー 1歩手前」を自覚する身としては、下手に付き合って深入りしすぎると仕事にならなくなるリスクを感じるほどの、「濃すぎる Q&A」が多いってことだ。

昨日の「Quora ダイジェスト」で配信されたものの中に、「英語を正しく発音することが恥ずかしいと思う日本人が多いように感じますがなぜですか?」という Q&A があった。これ、私のちょっとしたトラウマにも関わる問題なので、思わず読み込んでしまった。

Quora での高評価を得た回答に、Miki Doyle さんという方からのものがあり、次のように述べられている。

日本では、英語言語を喋れることが「ステータス」になっているからではないでしょうか。

英語 = カッコいい、英語を英語っぽく喋る人 = なんだか特別な人。この土壌が本来は特別な言語でもなんでもなく便利なだけの言語をその規則通りに話すことを邪魔してしまっているようだと感じます。

(中略)

そうやって「英語」に憧れる故からの逆反発が生じるような「英語絶対主義」社会が出来上がってると思えてしかたありません。

昨年の 12月 6日から 9日まで「カタカナ英語を巡る冒険」というテーマで 4日連載の記事を書いた。その 3日目(12月 8日掲載)が「カタカナ英語を巡る冒険 その 3: 中学校の英語教育」という記事で、私は次のように書いている。

中学校時代に英語で苦労したのは、試験で 100点を取ることではなく(100点以外取ったことがない)、授業のリーディングの際に「(心ならずも)なるべくカタカナ発音で読む」ということだった。ともすれば自然に英語らしい発音になってしまうのだが、それだと教師の不興を買って妙な言いがかりを付けられるのだからたまらない。

というわけで、私は「英語を正しく発音することが恥ずかしい」というわけではなかったが、ひたすら自己防衛のために、授業では敢えて「カタカナ発音」で読むように気をつけていたのである。

私が英語を学ぶきっかけとなったのは、上記の記事でも触れたが、小学校 6年の時に手に入れた「新潟地震見舞いの英会話学習用ソノシート」(なんでこんなのが地震見舞いなのか謎だが)だった。そのため、私の英語学習はソノシートに録音されたネイティブの発音をそのまま口写し的に真似ることから始まった。

要するに英語の発音に関しては、初めからカタカナの助けを借りるという発想がなかったのである。だって、ソノシートから聞こえてくるネイティブの英語は、決してカタカナにはならない「異次元の音」だったのだもの。

こうしたことから、私は中学校入学前に「英語をカタカナで捉えることのできないカラダ」になっていた。だから授業で「英語をカタカナで読む」ことを無理矢理に意識した途端、「心身分裂」的な状態に追い込まれていたようなのである。あれはストレスだったなあ。

Quora の質問にある「英語を正しく発音することが恥ずかしい」という心情は、これとそれほど遠くないように思える。日本においては「まともな英語をしゃべる」ということが、周囲との関係性において「心身分裂状態」を引き起こすきっかけになってしまうのだ。

日本のオッサンたちは、自然な英語を話す日本人に「異様なものを見るようなまなざし」を向けてくる。ところが昨日の記事でも書いたように、業界のグループ・ツァーなどで海外に出ると、メシを食いに行くにも、ちょっとした買い物をするにも、途端に態度を翻して金魚のフンみたいについてきたがる。

そんなこんなで、この方面でのストレスというのは半端じゃないのである。

 

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