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2020/01/05

「常在戦場」という言葉

ラジオを聞いていると、「書き初めにはどんな言葉を書かれましたか」という問いに「『ジョウザイセンジョー』と書きました」と答える人がいた。一瞬、「浄財のマネーロンダリング?」なんて素っ頓狂なことを考えてしまったが、「そういえば『常在戦場』って言葉もあったな」と思い直した。

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個人的には「常に戦場に在る」なんてのは真っ平ご免だが、改めてググって見ると、出てくるわ出てくるわ。山本五十六の揮毫から長岡藩の家訓、歴史小説や読む気がまったくしないビジネス書のタイトルに至るまで、日本のオッサンたちは「常在戦場」が大好きなようなのである。

まあ、この言葉が大好きなオッサンたちにしても、決して「戦場に在りたい」とか「戦争大好き」なんてストレートに考えるわけではないらしい。いくら「アスペルガー一歩手前」の私でも、そこまで曲解しようとは思わないのである。これは「心構え」を説く場合の比喩的表現なんだろう。

「デジタル大辞泉」には、次のように解説されている。(参照

じょうざい‐せんじょう〔ジヤウザイセンヂヤウ〕【常在戦場】
  いつでも戦場にいる心構えで事をなせという心得を示す語。

さらに "bizwords.jp 意外と知らないビジネス用語の意味と使い方" というサイトには、次のようにある。(参照

「『常在戦場』の気持ちで、日々活動をすることは極めて重要だ」「『常在戦場』の心構えで、一層の緊張感を持たなければならない」……。
このように政治家や経営者が好んで使う「常在戦場」という言葉。

(中略)

「常在戦場」という言葉は、政治家、特にいつ解散があるかわからない衆議院議員が心構えとして好んで使う言葉です。

なるほど、この言葉には何となく生臭いイメージが付きまとうと思っていたが、政治家が選挙対策として好んで使いがたるためだったのか。彼らにとっての選挙というのは、一種の「戦争」だったのだね。付き合いたくない世界である。

何だかんだ言っても戦争というのは、結局は「富や資源の奪い合い」から起きるのである。有限のモノの中で、自分の支配下にあるものの比率を高めたいなんて思うから、奪い合いになり、戦争しなければならなくなる。つまり戦いの中に貴重な資源を無駄に注ぎ込んで逼迫するという自己矛盾が戦争である。

私は「常在平和」で行きたいと思う。ただ、「平和」という言葉は常に手垢にまみれる運命にあって、そうしたマンネリズムが「常在戦場」なんて悪趣味を呼ぶ契機にもなるから、よほど注意しなければならない。お気楽に「平和、平和」と唱えていれば済むってわけでもないようなのである。

それでも「常在戦場」なんてことは言いたくないなあ。

 

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