板橋区高松の地 Revisited
本日、次女の引っ越しを手伝った。ほとんどの荷物は引っ越し専門業者のトラックで運んでもらったのだが、最近は灯油ストーブやペットのメダカの水槽などは規定によって運べないので、自前で運ぶように言われたというのである。世知辛い世の中になったものだ。
彼女はまだ独り身で、このほど JR 東日本の中央線沿線の杉並区内でアパートを移転したのである。その辺りは私が学生時代に暮らしていた街とそう遠くないところで、何となく懐かしい気分になった。
ただ懐かしい気分になったと言っても、町名や駅名に馴染みがあるというだけのことで、今の景色には 40数年前に暮らしていた頃の面影はほとんどない。半世紀近く経って様変わりしている。
引っ越しが終わり、クルマで早稻田通りを東に辿って山手通りに入り、そのまま少々北上、板橋区の高松インターから首都高に乗って帰ってきた。高松インターは、上の地図の左上に赤い丸印で示しておいた。
そして、この高松インターのある辺りこそ、私が 18歳で上京して初めて独り暮らしを始めた街であると思い出したのである。住んでいたボロアパートはまさに山手通りからほんの 20m ほど北西に入った路地で、上の地図の赤丸で囲まれた三角地帯みたいなところにあった。(地図はクリックで拡大表示される)
最寄り駅は山手線の池袋駅で、真ん中辺りの緑の丸で囲んだ「トキワ通り」という路地を抜けて行き来していた。この路地には豆腐屋や八百屋などの個人商店が並んでいて、自炊には困らなかった。
このボロアパートには 2年近く住み、その後に西武新宿線下井草駅近くの、これまたボロなアパートに引っ越した。以後、板橋区の高松の地は、2〜3度通りかかったことがあるが、ここ20〜30年はとんとご無沙汰だったのである。
そして今日の午後、本当に久しぶりでクルマで通りかかったわけだが、この辺りの景色の変わり様は、中央線沿線どころではない。なにしろ通りの両側の建物の高さが、大体 3倍ぐらいになっているのである。ほぼ半世紀経って、「別の国」になってしまった感がある。
ボブ・ディランの曲に "Highway 61 Revisited"(61号線再訪)というのがあるが、今日、板橋区高松の地をクルマで通り過ぎる私の脳内ではこの曲がギンギン鳴っていた。私が初めて東京暮らしを始めた 1971年の、6年も前に発表された曲だが、妙にあの頃の雰囲気にふさわしい。
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コメント
いいお話でつね!「メダカの水槽」のくだり、娘さんの人柄がしのばれてほっこりしますた!( ̄ー ̄)
投稿: 太陽系調査員くん | 2020年1月15日 23:32
太陽系調査員くん さん:
なんと、卵から孵化させたらしいです。そんな趣味があったとは知らなかった ^^;)
投稿: tak | 2020年1月16日 11:31
好奇心旺盛な小学生とかがそうした小さい魚類などを孵化させて飼育するのに熱中したりしますが、 おとなになってもそういう心を持ち続けているのはすばらしいと思いまつ!!…で、なんの話でしたっけ(おいおい)
投稿: 太陽系調査員くん | 2020年1月16日 12:28
太陽系調査員くん さん:
上京して初めて住んだ辺りを再訪したら、別の国になっていたというお話だったんですが、メダカの話の方がインパクトありましたかね (^o^)
投稿: tak | 2020年1月16日 17:14