« Mac OS の「スタック」という余計なお世話 | トップページ | 明日の関東、平地は雪にはならないようだ »

2020年1月24日

「新しい」「新た」「改める」と、「あたら若い命」

「新(あたら)しい」と「新(あら)た」というのは同じ「新」という漢字を使って読み方がビミョーに違う。で、意味に違いがあるのかという疑問が生じるのは当然だろう。

200124

結論から言えば、意味はほぼ同じである。ただ、ニュアンス的に「新た」の方がちょっと精神的で格調高いニュアンスがある。いにしえの形の方がより格調高く聞こえるのはもっともなことだろう。語源由来時点というサイトの「新しい」というページには、次のようにある。

新しいの本来の語形は「あらたし」で、「あらたむ(改む)」「あらためる(改める)」などと同源である。

「新しい」は平安初期の頃に本来の「あらたし」から「あたらし」に変化した。こうした変化を「音位転換」という。

この例は決してレアなわけじゃなく、「山茶花」は「さんざか」か音位転換によって「さざんか」に変化した。「山茶花」を素直に読めば「さんざか」なのだから、「なるほど」と理解される。さらに「舌鼓」も「したつづみ」から「したづつみ」に変化した。

こうしたことについては理解していたが、「改める」も同じ語源だとは初めて知った。「新た」から「改める」(古語では「新たむ」)が生じたのだから、平安前期より古い時代のことだったのだろう。

上述のページにはさらに、次のようにもある。

上代の「あたらし」は、別語として「惜しい」「もったいない」の意味で用いられている。
「惜しい」意味の「あたらし」と「新しい」を意味する「あらたし」が混同され、「た」と「ら」が入れ替わったものか定かではないが、「あらたし」が音変化した以降、「惜しい」意味の「あたらし」は使用が減り、現在では、わずか「あたら若い命を散らす」の表現にのみ用いられる。

この「惜しい」「もったいない」という意味の「あたらし」に関しては、我が故郷、庄内では今でもしっかりと生き残っている。例えばおいしいご馳走をぼたりとこぼしてしまった時など、「あったらもの、あったらもの」なんて言いながら拾って食べちゃったりする。

いずれにしても、「新しい」「新た」と「改める」は語源が同じでも、「あたら若い命」とか「あったらもの」とかの 「あたら」は同じ語源ではなさそうだというわけだ。なるほどね。それは庄内生まれの私としては体感的に理解できる。

庄内弁では「新しい」は「あだらす」と訛るが、「もったいない」という意味の「あたら」は、「あったら」と訛るのだから、元々が別の言葉だったのだろう。

 

|

« Mac OS の「スタック」という余計なお世話 | トップページ | 明日の関東、平地は雪にはならないようだ »

言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« Mac OS の「スタック」という余計なお世話 | トップページ | 明日の関東、平地は雪にはならないようだ »