「新しい」「新た」「改める」と、「あたら若い命」
「新(あたら)しい」と「新(あら)た」というのは同じ「新」という漢字を使って読み方がビミョーに違う。で、意味に違いがあるのかという疑問が生じるのは当然だろう。
結論から言えば、意味はほぼ同じである。ただ、ニュアンス的に「新た」の方がちょっと精神的で格調高いニュアンスがある。語源由来時点というサイトの「新しい」というページには、次のようにある。
新しいの本来の語形は「あらたし」で、「あらたむ(改む)」「あらためる(改める)」などと同源である。
「新しい」は平安初期の頃に本来の「あらたし」から「あたらし」に変化した。こうした変化を「音位転換」という。いにしえの形の「新た」の方がより格調高く聞こえるのはもっともなことだろう。
この例は決してレアなわけじゃなく、「山茶花」は「さんざか」か音位転換によって「さざんか」に変化した。「山茶花」を素直に読めば「さんざか」なのだから、「なるほど」と理解される。さらに「舌鼓」も「したつづみ」から「したづつみ」に変化した。
こうしたことについては理解していたが、「改める」も同じ語源だとは初めて知った。「新た」から「改める」(古語では「新たむ」)が生じたのだから、平安前期より古い時代のことだったのだろう。
上述のページにはさらに、次のようにもある。
上代の「あたらし」は、別語として「惜しい」「もったいない」の意味で用いられている。
「惜しい」意味の「あたらし」と「新しい」を意味する「あらたし」が混同され、「た」と「ら」が入れ替わったものか定かではないが、「あらたし」が音変化した以降、「惜しい」意味の「あたらし」は使用が減り、現在では、わずか「あたら若い命を散らす」の表現にのみ用いられる。
この「惜しい」「もったいない」という意味の「あたらし」に関しては、我が故郷、庄内では今でもしっかりと生き残っている。例えばおいしいご馳走をぼたりとこぼしてしまった時など、「あったらもの、あったらもの」なんて言いながら拾って食べちゃったりする。
いずれにしても、「新しい」「新た」と「改める」は語源が同じでも、「あたら若い命」とか「あったらもの」とかの 「あたら」は同じ語源ではなさそうだというわけだ。なるほどね。それは庄内生まれの私としては体感的に理解できる。
庄内弁では「新しい」は「あだらす」と訛るが、「もったいない」という意味の「あたら」は、「あったら」と訛るのだから、元々が別の言葉だったのだろう。
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