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2020年3月に作成された投稿

2020年3月31日

日本中ガラガラ

下の写真は、昨日まで行っていた北海道網走からのオホーツク海の眺めである。水平線がやや白く見えるのは、離岸して遠ざかった流氷だ。空は爽快なまでに晴れているが、どこか淋しい景色である。なにしろ、人がいないのだ。

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とにかく、コロナ騒ぎで日本中ガラガラだ。28日に発って北海道に向かい、2泊 3日して帰ってきたのだが、本当に空いていた。「楽天トラベル」で網走のホテルを予約した今月初め頃はどこも混んでいて、私の泊まったホテルも「最後の 1室」ということだった。週末にかかっていたから当然だろう。

ところが実際にホテルに着いてみると、「キャンセルが相次いだ」そうで客がいない。「大浴場」もほとんど貸し切り状態だった。往復の飛行機もガラガラ状態で、座席は 3割も埋まっていない。羽田空港も女満別空港も、搭乗手続きがあっさり済んでしまう。

関西方面に出張してきた知り合いに聞くと、京都も奈良もガラガラだったそうだ。「おかげで、静かな京都を楽しめましたよ」なんて言っていた。

来月末からの連休にしても多分こんな具合だろうし、夏を過ぎても続くだろう。世の中はこれまでとちょっと違ってしまっているんだと覚悟しなければならない。

 

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2020年3月30日

網走のホテルって、細部がビミョーに派手好み?

北見の土地に来たのは 3度目だが、網走に宿泊したのは初めて。しかも二泊である。そして「ここって、案外派手好みの土地柄なのかなあ」なんて思ってしまった。というのは、特段デラックスでも何でもない安いビジネスホテルなのに、細部が妙に派手なのだ。

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写真の左上は天井の照明で、左下は蒔絵風の柄がご大層な茶筒と湯飲み。「ここって、場末の温泉旅館?」なんて思ってしまいそうだ。そしてダメ押しがバスルームのトイレットペー-パーだ。何とまあ、ピンクの花柄なのである。ビジネスホテルでこんなのは初めて見た。

漁港のすぐ近くの立地だから、漁師の気風で派手好みなのかなあとも思ったが、この花柄トイレットペーパーは、いくらなんでもそれとはテイストが違いすぎだ。どういう感性の産物なのだろう。

とはいえ、そのほかの点ではこれと言ってイヤなところもなく、快適に過ごさせて頂いたから文句はない。どうもありがとう。

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最後のサービス・ショットは、知床の山々とオホーツクの海に残る流氷だ。

 

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2020年3月29日

「ウイルスに打ち勝つ」というレトリックへの違和感

ふゆひーさんが昨日付で「これほど中身のないメッセージってなかなか書けないよね」と tweet しておられる(参照)。どんなメッセージかと言えば、宮田亮平・文化庁長官の「文化芸術に関わるすべての皆様へ」というものだ。

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まさに具体論抜きの精神論で、「俺も頑張るから君たちも頑張れ」と言っているに過ぎない。これに対するお手本的な批判は、「美術手帳」のサイトの「長官メッセージに批判。文化庁は具体的な補償内容への言及を」という記事につまびらかに書かれている。

とはいえ、やれ具体的な支援策はどうなってるんだとか、保証についての具体的金額を示すべきだとかのもっともらしい話を、私がここで繰り返しても仕方がないから、そんなことは一切書かない。そもそも支援は芸術家のみならず、より広範な国民が受けるべきなのだし。

私がここで問題にしたいのは、メッセージの下から 五行目、「この困難を乗り越え、ウイルスに打ち勝つために・・・ 云々」という件だ。この「ウイルスに打ち勝つ」というレトリックは、今や最もナンセンスなステロタイプと化している。

これに類した言い方は、「ウイルスを撲滅する」「殲滅する」「ウイルスとの戦い」等々、数え上げればきりがないほど威勢のいい掛け声が、マスコミ、ネット上で飛び交っている。私は先月末頃から、こうした言い方にかなりの違和感を覚えていた(参照)。

今回の事態は、「ウイルスに打ち勝つ」などという幼稚で単純な論理で解決できるようなものではなく、根本的な文明論や哲学にまで立ち返らなければならない。それは今月 18日付の「やっぱり、ウイルスをムッとさせちゃヤバいみたいなのだ」という私の記事でちらりと触れた。

「ウイルスと闘って撲滅しよう」という発言によって代表されるような、「自然界のモロモロを、人間の都合で作り替えてしまおう」という発想は、実は人間が近代以降ずっと採用し続けてきた基調的文明論である。そしてそれ故に、しばしば自然界からの強烈な逆襲に遭うという「業」を背負ってしまった。

本来ウイルスというのは何百万年にもわたって人間と共存してきたのであり、「闘って撲滅する」相手では決してない。そして普段は共存関係にあるウイルスが突然凶暴化した姿に変貌するのは、人間との関係性においてであることが次第に明らかになってきた。

そしてそのことに最も直観的に勘付いていなければならないのは、芸術家のはずだと私は思っている。その芸術家であるはずの(金属工芸家として活躍している)宮田長官が、この期に及んでまだ「ウイルスに打ち勝つ」などと安易なステロタイプを公式に発信している。

というわけで、彼の「芸術」もせいぜいその程度のものと思われてしまいそうなのである。

 

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2020年3月28日

北海道は上天気

昨日の記事で書いたように、今日から北海道の網走に来ている。ただ、昨日までは昼前に羽田を発って午後 2時前には女満別空港に着くつもりだったが、ちょっと予定が変わって 16時 45分発の便に振り替えたため、18時頃に着いた時には日が暮れていて、景色はほとんど何も見えなかった。残念。

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上の写真は離陸して巡航速度に入ってしばらくしてからの窓の景色である。福島県上空かな。座席が主翼の少し前、間近にエンジンが見えるという絶好のポジションだったので、結構それらしい写真になった。

下界をびっしりと覆う雲の上は青空が広がり、西に傾いた日が燦々と照っている。「コロナウイルスなんてどこの世界のお話?」と言いたくなる爽快さだ。もっとも CAのおねえさんたちはいつもと違い、全員マスクに白手袋という物々しい姿だったが。

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下北半島を越えて海上に出ると徐々に雲が晴れ、青い海が見え始める。そして陸地に戻ると、そこは道東だ。本州までとは違い、雲が少ない。女満別空港に降りる直前になると、下界には街の灯が輝き始め、西の夕焼けとの対比が美しい。我ながらありがたいまでの晴れ男ぶりである。

明日は関東でも雪になるかも知れないなんて予報だが、道東の明日、明後日の予報はしっかりと「晴れ」。昨日までは「晴れ時々曇り」だったのに、私が来ると大抵こういうことになる。明日はしっかりと早起きして北海道の空気を楽しもう。

【3月 29日 朝 追記】

ちなみに、和歌ログの 28日付に、上空から見た阿寒湖の写真を載せておいたので、よろしければご覧頂きたい(参照)。

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2020年3月27日

明日から 3日間、北国の人となる。

天気情報サイトの tenki.jp が、「日曜は関東など大雪か 来週も寒の戻り」と伝えている。先週までの「いかにも寒の戻り」という寒さをやり過ごし、やっと本格的な春が来たと思っていたら、そんな甘いもんじゃなかった。

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なにしろ「気温が予想よりも下がり、降水量が予想より多くなった場合では、桜が咲いている関東の平地でも、警報級の大雪となる可能性があります」なんて言っている。やれやれである。

しかし、そこはそれ、名にし負う晴れ男の私のことである。明日から 3日間、関東からは遠いところに出張する。しかも半端な遠さではなく、北海道の網走に行く。問題の 3日間、日本で雨の心配のないのは北海道だけのようだ。

網走の天気予報は、私が到着する明日 28日の午後からずっと晴れ基調で、29日、30日も「晴れ時々曇り」となっている。雪にならないだけでも十分にありがたいのに、晴れるというのだから文句ない。

まあ、晴れるとはいえ北海道のことだから気温は関東の真冬なみで、30日の最低気温は -2度という予報だ。しかしどうせ関東にいても「寒の戻り」なのだから、晴れてさえくれれば喜んで受け入れられる。

往復の飛行機は、時節柄、新千歳空港での乗り換えは避けて、羽田から女満別までの直行便を選んだ。ところが最初に予約していた便はコロナ騒ぎで運休になり、1本早い便に変更となってしまったため、ちょっと早めに出かけなければならない。まあ、それも我慢しよう。その分、いろいろ見物できるし。

というわけで、明日から 3日間は北国の人となるのでよろしく。

 

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2020年3月26日

喫煙と、新型コロナウィルスの感染リスク

東洋経済 ONLINE が、喫煙者の新型コロナウィルス感染リスクが高いと伝えている(参照)。屋内の喫煙スペースがクラスター発生の原因となる可能性が高く、さらに喫煙者は非喫煙者に比べて重症化の確率が高いという。

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日本の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は、「最も感染拡大のリスクを高める環境」として、① 換気の悪い密閉空間、② 人が密集している、③ 近距離での会話や発声が行われる - という 3つの条件を挙げている。この 3条件が同時に満たされると、感染リスクは最高度に高まる。

屋内の喫煙スペースは、まさにこの 3条件を同時に満たしている。さらに煙草を吸うために手を口にもってくるという動作も、感染リスクを高める。このため喫煙者の感染リスクは非喫煙者に比べて非常に高い。

感染リスクが高いばかりでなく、重症化リスクも高い。中国本土の患者 1099人の分析報告によると、非喫煙者の重症率が 14%なのに対して、喫煙経験者は 24%だった。つまり喫煙者は非喫煙者の 1.7倍重症化しやすいということになる。喫煙習慣が肺の機能を低下させるためとみられる。

また喫煙は肺の免疫機能も弱めるとみられている。つまり喫煙習慣はいいことがないというわけだ。

昨日の記事では、飲酒はやはり体によくないということについて書いたが、喫煙も同様によくない。私は図らずも 44年前に煙草を止め、最近は酒の量も極端に減っている。ということは、私の新型コロナウィルス感染リスクは、かなり低いようなのである。

 

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2020年3月25日

酒はやっぱり体にはよくないらしい

「知識連鎖」というサイトに「酒は百薬の長は嘘・・・ そもそも由来は国による独占正当化の宣伝文句」という記事がある。酒は元々体にいいものではなく、「百薬の長」というのは中国の前漢の時代に、国が塩、酒、鉄の製造を独占してしまったことの正当化のために言い出したことらしい。

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それが今でも尾を引いていて、「酒は飲み過ぎると毒だが、少量なら体にいい」という話になって、広く信じられている。しかし実際にはそんなことはなく、酒は少量でも体に毒というのが本当らしい。

それに関しては私も一昨年 8月に「やっぱり酒は体によくないらしい」という記事で、「1日に缶ビール 1本分以上のアルコールを摂ると、寿命は縮む傾向がある」とする英国での研究結果を紹介している。

「知識連鎖」でも、酒の適量ということに関する記事はあり、2017年 6月の「量のお酒は健康に良く長生きするは誤解 最適な飲酒量はいくら?」という記事では、「もっとも健康によい『適量の飲酒』は10日ほどで、ビールなら中ビン半分、日本酒なら0.5合程度だそうです」と書かれている。

これは「10日ほどで」ということだから、1日あたりの量に直すと、日本酒だと 9cc という「雀の涙」ほどにしかならない。要するに「酒は飲まない方がいい」ということになるようだ。

私自身は先月 5日の ”「エコ飲みー」って、結局何なんだ?” という記事で、「いつの頃からか、酒なんて飲まなくても全然平気なカラダになってしまった」と書いている。タバコも止めてから 44年になるから、私のライフスタイルはかなり健康的ということになってしまう。

私の父は酒は全然ダメで、その代わり 82歳で死ぬ 1年ぐらい前まで煙草を吸っていた。死因は肺がんだったが、死ぬ直前までピンピンしていたから、煙草さえ吸わなかったらもっと長生きしていただろう。

となると、私はいつ死ねるか知れたものではない。やれやれ。

 

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2020年3月24日

マスク不足とトイレットペーパー不足の考察

新型コロナ騒ぎで、マスクだのトイレットペーパーだのが品薄になっている。どちらも一時は店頭から完全に姿を消していたが、トイレットペーパーはようやく出回り始めている。

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今でも入手しにくいのはマスクの方だ。仕事関係の会議の通知メールには、「必ずマスク着用、昼食、飲み物持参のこと」なんて但し書きが付けられているが、マスク入手はなかなか大変だ。最近は知り合いの洋裁の得意なオバサンが手作りのマスクを作ってくれたりする。

私は特定商品の「品薄」ということに関しては昔からかなり「眉唾」で眺める習性がついている。というのは大昔も大昔、1973年のオイルショック時に灯油配達のアルバイトをしていて、まさに業界の裏事情を身を以て知る経験をしているからだ。

それに関しては 2003年の「米不足」が騒がれた時期に、経験談として書かせてもらっている。 ”米不足の裏側” という記事だ。

1973年(大学 3年の頃)頃、燃料店でアルバイトをしていた私は、店主の指示で灯油隠しに加担させられていた。顧客には「仕入れが不足して・・・」なんて言いながら、実際には裏の倉庫に山と積んで隠していたのである。あれはイヤな仕事だったなあ。

流通のほとんど全ての段階でシーズン前半に「出し惜しみ」をし、裏にたっぷり隠していたのだから、最終消費者の段階までに十分に届くはずもなく、「深刻な灯油不足」なんて言われていたのである。しかしその出し惜しみも、シーズン後半までには続かなかった。

年が明けて 1月下旬頃になると「隠し在庫」がどっと出てきて、「幻の灯油不足」は一挙に解決したのだった。その数年後の「第 2次オイルショック」でも 2003年の米不足でも、事情は大体似たようなものだった。流通の各段階でチマチマ隠すからいけないのである。

今回の場合、トイレットペーパーに限っては、私は何も心配しなかった。あせった消費者が一時的に買いまくったせいで店頭在庫は出払っていたが、時が経てば回復すると見ていて、確かにその通りになった。逆に過剰反応の反動が出て、しばらくは需要が落ちるかもしれない。

ところが、マスクだけはちょっと問題だ。最近のマスクは 8割以上が中国からの輸入に頼っているらしく、今回の事情で確かに品薄には違いないようなのである。しかしそれもおっつけ解消するというから、あまりあせらない方がいい。「作れば必ず売れる」のだから、供給は確実に増える。

会議に出席するために早朝からマスクを買いに並ぶなんて消耗なことは、来月になればしなくて済むようになるだろう。

 

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2020年3月23日

オリンピックの夢から、さっさと醒めよう

JOC 理事でソウルオリンピック女子柔道銅メダリストの山口香さんが東京オリンピックについて、「アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべき」と発言したと伝えられている(参照)。私なんか、当然のお話だと思ってしまう。

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それに対して山下泰裕 JOC 会長は「JOC の中の人がそういう発言をするのは極めて残念」と述べたという(参照)。はっきり言って、何が残念なんだかさっぱりわからない。

山下さん、昭和天皇ご存命中に園遊会で「骨が折れますか?」と訊ねられ、「はい、2年前に骨折したんですけど・・・」なんて珍回答をしたほどで、かなり「天然なんとか」が入っている。余計なことは言わずにニコニコしていればいい役どころの人なんだろう。

予定通りのオリンピック開催では山口理事のおっしゃるように、選手のコンディション調整がメチャクチャになる。そんな中で無理をしたら余計な怪我の発生だって増えるだろうし、それどころか各国から選手がまともに派遣されない可能性だって高い。

さらに言えば、世界中で国境封鎖なんて言い出している現在から半年も経たないうちでは、外国からの観客だって来ないだろう。というか、むしろ来てもらわない方がいい。

私なんか、個人的には東京オリンピックにはほとんど無関心で、「中止」でもいいとさえ思っているのだが、さすがにそれはないだろう。しかし「延期」は当然の選択肢で、予定通りに開催するという方がよほど無茶な話だというのは、ごく普通に考えるだけでわかる。

まあ、それを率直に言い出すと、バックヤードでは放映権やらなんやらのからみで、生臭い話になるのだろうが、もう頬被りしている段階ではない。ニコニコしているのが仕事の人はずっとニコニコしながら、成り行きに従ってくれればいい。

そんなこんなで、自分のブログを「東京オリンピック」というワードで検索してみると、"2020年は「壮大な終わり」の確認の年になりそうだ" なんていう暗示的なタイトルの記事が見つかった。

とはいえすべて終わり尽くさないように、前もって多くを諦める必要がある。オリンピックの夢からは醒めた方がいい。

 

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2020年3月22日

新型コロナって、そんなに遠い話でもなくなってきた

例の新型コロナウイルス問題で、私の仕事も少し影響を蒙るようになってきている。知り合いのカメラマンたちは「仕事が減っちゃってギャラが入らないから、臨時に新聞配達のバイトか何か探さなきゃ」なんて言っているが、これがどうか冗談で済むように願いたい。

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何しろイベントやミーティングが軒並み中止になってしまって、妙にヒマである。そしてヒマだからと言って、書類整理だの大掃除だのに取りかかってしまうと、これがまた大仕事になって、ヒマなんだか忙しいんだかわからなくなる。

WHO が「タバコは止めた方がいい」と推奨しているらしい。中国の例では、感染者、重症化、死亡者の数値はいずれも男性の方が高いのだそうだ。これは喫煙者が圧倒的に男性に多いことと無縁ではないらしい。それで、「タバコは止めた方がいい」ということのようなのだ。

しかし米国辺りでは喫煙者はかなり減少しているはずなのに、爆発的に感染者が増えているのを見ると、タバコさえ止めれば安心とも言い切れないだろう。私はタバコを止めて 40年以上になるが、気を付けるに越したことはない。

握手とかハグとかの濃厚接触文化と、タバコ文化がよくないんじゃなかろうかという気もする。もしかしたら日本人の非喫煙者は、比較的リスクが小さいのかもしれないと、気休めの材料にしている。

ちなみに茨城県で最初に発生した感染者は日立製作所の水戸事業所の社員ということなので、遠い話と思っていたが、どうやらそういうわけでもない。私の知り合いがこの事業所に勤務していて、自宅待機を命ぜられているというのである。

「たまには気晴らしに出ておいで」なんて誘っても、「外出も控えろと言われてるから、おとなしくしてるしかない」なんて、無愛想な返事だ。1ヶ月もどこにも出られないのでは、気が滅入るだろう。気の毒に。

私は月末に北海道に出張することになっているが、この北海道というのが人口の割に感染者数が多い。で、友人たちが「tak が北海道から帰ったら、2週間ぐらいは遠ざかっていよう」なんて冗談とも本気ともつかないことを言い出した。

「あの新型コロナ騒ぎの時期は大変だったね」と振り返ることのできる時期が、早くきてもらいたいものだ。

 

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2020年3月21日

コストコのトイレットペーパーは、スゴいらしい

コロナウィルスによる感染症騒ぎでトイレットペーパーが品薄になったのは日本だけではなく、米国も同様らしい。それでコストコでしっかり買い溜めに走った消費者も少なくないようなのである。200321

ところが何も考えずに大量に買い溜めしてしまった人は、苛酷な事実に直面しているという。なにしろコストコの商品だから、1袋でせいぜい 6〜8ロールという日本の商品とはわけが違い、大変な量なのだ。秒刊 SUNDAY が伝えている。(参照

中身は、30ロールあります。これは 1回お尻を拭くのに1シートとして換算して1ロールあたり 425シート、つまり1ロールで425拭きできるわけです。

(中略)

1人1日5回拭くとして、4人家族で 20シート使います。これを 12,750で割ると、637日必要になります。

というわけで、あせって 2〜3パック買っちゃった人は、4〜5年分の在庫を抱えてしまったわけだ。シャワートイレの普及した日本でやっちゃったら、10年分近くの在庫になってしまうんだろう。

日本ではようやく店頭にトイレットペーパーが出回り始めて、そろそろ在庫が底をつきかけていた我が家でも、一昨日に補充ができた。何しろ子どもたちが独立して夫婦 2人の生活なので、あと半年は大丈夫だろう。

一方でマスクは相変わらず品薄のようで、今月末に北海道に出張する身としては、飛行機内で一応カッコだけでも着用するために、なんとか入手しておかなければならないなあ。

 

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2020年3月20日

近頃、顔が老けてしまった三人

最近、米国大統領のドナルド・トランプと日本の首相の安倍晋三が「老けた」と話題だ。そろそろこのお二人も終わりかけているのかもしれない。

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そしてもう一人、「老けた」と話題なのがキムタクのようなのである。先日、東京駅のホームのでっかい広告写真に出ているのを見て、「なるほど、こりゃ、かなりの劣化だよね」と思ってしまった。

三人とも、顔の皮膚がたるんでシワが目立ってしまっている。まあ、あんまり人の顔をして「老けた」とか「劣化した」とか言うのもナンだから、今日はこのくらいにしておくが、いずれにしても時代は変わってしまいつつあるようなのだね。

 

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2020年3月19日

「春眠暁を覚えず」という人類意識

このブログでは右サイドバーのだいぶ下の方に「人気記事ランキング」という項目を置いている。で、今日ふと気付いたら、その 1位がほぼ 10年前に書いた "「春眠暁を覚えず」の意味合い" という記事になっていた。

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調べてみると、この記事は今月に入って 400アクセス近くを集めており、とくにここ 2日間のアクセスがメチャクチャ多い。そういえば昨日あたりから急に暖かくなり、今日は関東でも春一番が吹き荒れたので、ようやく春に身が入ってきたという実感がある。

その気持ちよさについ寝坊してしまいがちだ。これはもう、「人類意識」というレベルにまで達している実感がある。そしてその元である「春眠暁を覚えず」という言葉でググって、私のページにくる人が増えているのかもしれない。

そう思って、試しに Google に行って「春眠暁を覚えず」のキーワードで検索してみたところ、なんと悲しいことに私の記事はベスト 50にも入っていない。「春眠暁を覚えず/意味合い」の 2語でググっても同様だ。ということは、このルートで私の記事に来てくれる人なんて滅多にいないのだろう。

じゃあ、一体なんでまたこんな 10年前の記事にアクセスが増えてるんだ? もしかしたら結構強力なリンク元があるのかもしれないと、ブログ付属のアクセス解析にあたってみても、この程度のおもちゃみたいな機能では全然つかみきれない。世の中にはわからない現象というものがあるものだ。

ともあれ、この記事は「春になると日の出が早くなるので、同じ時刻に起きても夜明けはとっくに過ぎている」という意味合いだという理系視点を批判したものである。それは考証学の視点からも明らかだ。

というのは、昔は太陽の位置を基準に時を知っていたので、「同じ時刻」で夜明け前だったり夜明け後だったりするということはなかったのである。ただ単に、「春はぐっすり眠れてしまうので、つい寝過ごしてしまうよね」という感覚だったのだろう。

ちなみに、春になると寝坊しがちというだけではなく、日中でもついうとうとしてしまうことがある。睡魔というのは油断がならない。

ちなみに、この記事で批判させていただいた「ズブズブに理系でいこう!」というブログはなかなか面白かったのだが、今は消えてしまっているようだ。淋しいことである。

 

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2020年3月18日

やっぱり、ウイルスをムッとさせちゃヤバいみたいなのだ

3月 15日の記事で、私が生まれて育った山形県と、今住んでいる茨城県では新型コロナウィルスの感染者が出ていないというようなことを書いたら、何とまあ、昨日になって茨城県で初の感染が確認されたという(参照)。日立製作所水戸事業所の社員がイタリア出張で感染しちゃったらしい。

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そのせいで日立の水戸事業所では、職員 1,000人を 25日まで自宅待機とするんだそうだ(参照)。エラいことである。

そんなこんなで、ついでに先月 28日の "「バカヤロー!」発言と、絶妙な言い訳 " という自分の記事を思い出してしまった。この記事では、TBS の朝の番組で、「今、一番『バカヤロー』と言いたいのは、新型コロナウイルスに対してです」という、聴取者からのいかにもベタな投稿を紹介した。

そして私はこれについて、次のように書いている。

ウイルスに向かって「バカヤロー」なんて言ってもしょうがない。ウイルスはウイルスでただ自然に存在しているだけなのに、それを人間が無理矢理自分の社会に引っ張り込み、大騒ぎしているにすぎない。

言わば人間の「業」があぶり出されているようなものだから、そこから何かの教訓を得る方がいい。ウイルスを一方的に口汚く罵るのでは、人間の品性の方が落っこちてしまう。ウイルスだって「バカヤロー」なんて言われたらムッときて、言ったヤツに取り付いてしまうだろう。(そりゃないか)

とまあ、一応「そりゃないか」なんて取り繕っているが、内心ではあってもよさそうな気がして、「待てよ、前にもそんなようなことを書いたことがあるかも」と、自分のブログ内を検索してみた。すると、10年以上も前の "「ウィルスにストレスを与えない」という発想" という記事が見つかったのである。

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この記事は 2009年の「新型インフルエンザ」(豚インフルエンザと呼ばれたヤツ:参照)大流行時に書いたものだが、元々のネタは東京大学名誉教授の月尾嘉男先生がラジオでおっしゃったことだ。これが、なかなか含蓄に富んでいる。

今回の記事では単に「元々は人間と共存共栄していたウイルスが突然凶暴になるのは、人間が開発を急ぎすぎてウィルスの生育環境を破壊し、多大なるストレスを与えたからではないか」という説があるという説明にとどめておく。それ以上のことは上の画像をクリックして 2009年の記事に飛んで読んで頂きたい。

うぅむ、やっぱりこれまでの人間の「業」を引きずったまま、ウイルスを口汚く罵るような基本的姿勢で無茶な開発を進めると、ウイルスもムッときてリベンジに走るほど凶暴になるようなのである。根本的には、それがヤバいのかもしれない。

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2020年3月17日

"Today's Crack" 18周年

この "Today's Crack" という web 上のコラムを開始して、今日で 18年目である。多くの国で 18歳以上を「成人」として選挙権も与えているぐらいだから、このブログもようやく「大人扱い」してもらってよくなったかもしれない。

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で、記念すべき最初の記事ってどんなんだということなのだが、「なんだこりゃ?」というほどの素っ気ないものだ。こんな具合である。(オリジナルの本宅内へのリンクは こちらのページの一番下、移植済みのココログでの最初の記事へのリンクは こちら

サイトのトップページと中身をマイナーチェンジした。
多少シンプルで見やすくなったかもしれない。
ところで、世間は相変わらず鈴木宗男で騒いでいる。
彼はとっくに「死に体」なんだから、これ以上騒いでも「刀の穢れ」のような気がするんだがなあ。

というわけで、記念すべき最初のテキストとしてはまったくもってフツーすぎるどうってことのない文章だ(参照)。この頃、世の中は鈴木宗男氏の事件に関連するニュースで埋められていたようだ。彼がまだ国会議員をしているのが、ファンタジーみたいに感じられる。

記念すべき最初の記事がこんな具合ということは、これを書いた時には、それから 18年も続けることになるとはあまり考えていなかったのだと思う。なにしろこの時はまだ辛うじて 40代だったしね(それから 4ヶ月ちょっとで 50歳になってしまうのだが)。

それが なんだかんだといいながら 18年も続くのだから、世の中、コワいものである。初期の頃にお互いに行き来していたブログも多くは閉じるか開店休業状態になってしまっていて、こんなにも続けているのは少ない。こうなったらいっそ、「ブログ界の生きた化石」的存在を目指そうかな。

 

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2020年3月16日

「極端な天気」の本音を推し量れば

一昨日付で「寒の戻りがやたら極端」という記事を書いて、その中で「近頃天気が極端」というような話題で過去に何本もの記事を書いていると触れた。その引き合いに出した最初の記事が、2005年 9月 6日付の「人の心と天気が、極端になっている」というものだ。

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ところがなんとその半年以上前に、「極端な天気」の謎解きみたいなことを書いているのをふと思い出してしまった。上の写真の「自然も人間もハードランディング」という記事である。自分で書いたことをすっかり忘れて、お恥ずかしくもそれから15年、「天気が極端」と嘆きっぱなしだったわけだ。

この記事の書き出しを再録してみよう。こんなことである。

昨年の夏から秋の台風ラッシュに、地震の頻発。「最近、自然界がおかしいんじゃないの?」と言う人が多いが、これはむしろ、「おかしい状態から普通の状態に戻る動き」かもしれないという。
気象予報士の森田さんによると、「自然はいつもハードランディング」 なのだそうだ。

つまり「極端にみえる天気」の前段階として「おかしな状態」が蓄積されており、そこから一気に「普通の状態」に戻ろうとするから「極端な天気」としてのハードランディングにつながってしまうのかもしれないという。日頃蓄積された太平洋プレートの歪みが、いきなりの大地震で発散されるようなものらしい。

そういえばこの冬は大変な暖冬で、スキー場などは雪不足に悩まされた。それが続いて 3月中旬になった途端に、いきなり逆帳尻合わせのような「寒の戻り」である。なるほど、最近は行ったり来たりの「ハードランディング」の繰り返しだ。

さらに今日は朝から穏やかな晴天だったのだが、昼頃から急に一変して強風になり、空もかき曇ってきた。「こりゃ、一雨来るかも」と思っていると、いきなり「バラバラ」という音とともにアラレが降ってきてしまったのえある。これには驚いた。

3日前に衣替えをして冬服をしまったばかりで、一昨日のハードランディング的なまでの寒の戻りがあり、仕舞ったばかりの冬服をもう一度出した。そして昨日は冬量タイヤを普通タイヤに取り替えたばかりなのに、いきなりのアラレである。このところ、自然によく裏切られてしまう。

幸いにも雪はまったく積もらなかったが、天気は常識的な考えに引っかからなくなった。そしてそれは、「おかしな状態から普通に戻ろうとしつつ、それすら叶わない自然」の訴えなのかもしれない。

 

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2020年3月15日

欧州がパンデミックの中心になったという認識

「新型コロナウイルスの世界的な大流行の中心がヨーロッパになったという認識」を WHO が示したという(参照)。ヨーロッパにおける感染者数の拡大が、中国を上回る傾向を示しているという。

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こうなると、今回のパンデミックはそんなに簡単には収まらないとみていいのだろう。ちょっと前までは「いくら何でも東京オリンピックまでには終息するだろう」と思っていたが、それも怪しくなってきた。下手すると中止になってしまう可能性もあるだろう。

ヨーロッパ人は日常的に握手したりハグしたりする習慣があるから、「濃厚接触」という点ではアジアよりもずっとリスクがある。とくにイタリア人なんていうのは男同士でフツーにハグしたりするから、感染リスクはとても高く、今や感染者数が中国を上回ってしまった。

身近な話でいうと、スーパーの店頭ではマスクやトイレットペーパーだけでなく、納豆まで品薄になっているという。「茨城県で感染者が出ていないのは、日常的に感染予防効果のある納豆を食べているから」なんて話がまことしやかに伝えられているらしく、溺れてもいないのに藁をもつかむ状況である。

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感染者が出ていないということに関しては、今のところ私の故郷の山形県も同様なので、季節要因なんて無視して「サクランボが感染予防になる」なんてデマが飛び交うかもしれない。それどころか、青森のリンゴ、富山の薬、讃岐うどんまで品薄になりかねない。

今回の騒ぎで私の知り合いのカメラマンも、「イベント開催が軒並み中止になったせいで、自分の仕事もずいぶんキャンセルになっている」とこぼしていた。暇でしょうがないそうである。「こんなことが続いたら、何かアルバイトしなきゃ」なんて、真顔で言っていた。

ちなみに細かい話だが、テレビニュースなどで「パンデミック」という言葉のアクセントを語頭の「パ」において発音されがち(参照)なのが、やたら気になってしまっている。「デ」に置くのが正解(参照)なのでよろしく。どうやら TBS 系はきちんと発音しているようだ。

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2020年3月14日

寒の戻りがやたら極端

昨日、クローゼットの中の冬物と春物を入れ替えて衣替えをしたばかりなのに、こんな時に限って極端な寒の戻りになってしまう。昨夜から急に冷え込んで、今日はもろに真冬の寒さなので、洗ってしまったばかりの冬用衣類を慌てて引っ張り出した。

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ウェザーニュースのサイトを見ると、「週明けは強い寒気 西日本は平野部でも雪か」と伝えている。この寒さはすぐには収まらず、火曜日あたりまで続いてしまうらしい。2月の半ば頃は春を思わせる暖かさの日が続いたりしたが、あれから季節が行ったり来たりで寒暖の差が激しい。

「天気が極端」というのは、何度も書いた気がするが、自分のブログ内を「天気/極端」の 2語で検索してみると、なんと 154件もヒットした。このブログがスタートしたのは 18年前だから、単純平均すると 年に 8.56件、とくに最近は年に 10件ぐらいになりそうだ。主な記事を拾ってみるとこんな感じ。

人の心と天気が、極端になっている (2005/09/06)
近頃天気が極端なのは (2010/10/28)
天気が本当に極端 (2011/10/31)
何度も言うが、天気が極端 (2013/04/20)
「地球温暖化」というより「極端化」という印象 (2017/11/13)
「極端化」 する気象のニュース (2018/03/04)
「命に関わる暑さ」が当たり前になっている (2019/08/12)

この天気の極端化の原因は、人為的な要素が大きいと指摘されている。CO2 排出の増加によって温暖化が進んでいるためだ。しかしこれは上述の 2017/11/13 の記事のタイトルにもしているが、「温暖化」というより「極端化」という方がいいような気がしてしまう。

平均的に満遍なく温暖化しているというより、極端に暑くなったり寒くなったりして天気の振れ具合が大きくなり、単純数字としての平均気温が上がっているという印象である。「温暖化」とはいいながら、今日のように寒いときはやたら寒いのだ。

ちなみに今月の天気の振れ幅は私の場合、個人的にも大きくなる。月末に 2泊 3日の北海道出張が控えていて、しかもそれが道東の一番寒い地域である。3月末は関東では桜が満開になっているはずだが、道東では最低気温がマイナスで、最高気温も 1桁というのが普通のようだ。

極端に輪を掛けた極端さを乗り越えなければならないようだ。

 

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2020年3月13日

中州のプラスチックゴミ、泣く泣く回収を断念

今月 8日に「裏の川の中州のプラスチックごみ」という生地で、中州に捨てられたスーパーのレジ袋のようなゴミが気になって仕方がないと書いた。その前日まで続いた強風でも飛ばなかったのだから、誰かがゴミを詰めて捨てたのだろう。

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この記事は「晴れが続いて流れが浅くなったら、降りていって回収してしまおうと思っている」と結んでいるのだが、その後は所用で朝から晩まで出かけたり、雨が降って水量が増えたりしていて、回収できなかった。そして昨日と一昨日は上天気だったが、一泊で関西に出張していた。

そして今朝起きたところ、空は晴れ渡っているし、とくに急ぎの用もない。「よし、今日こそは川に降りていってゴミを回収するぞ!」と決心し、かなり深目の長靴を履いて出発した。この長靴はいろいろな汚れ仕事で使っているので、元々泥だらけだからいいだろう。

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問題のゴミのある中州は川の対岸からでないと渡れそうにないので、ぐるりと遠回りして橋を渡る。毎年本格的な春を過ぎると、橋桁の黒くなっているところまでは水量が増えるので、うかうかしてはいられない。

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橋を渡って対岸に行き、土手の小径を辿ってようやく問題の中州の付近に着く。土手の斜面をそろりそろりと降り、中州までの距離が最短のポイントを選んで、水の中に足を踏み入れる。うむ、それほど深くはない。これなら大丈夫だろう。

ところが、そう思って 2歩目を踏み出そうと体重をかけると、足がズブズブと沈み込む。2歩目は辛うじて長靴が水没しないところで踏みとどまった。そしてさらにもう一歩進もうとしたのだが、今度は泥から足が抜けない。うむ、これはかなりヤバい。

やっとの思いで長靴に手を添えてを引っこ抜き、岸に戻ることができた。下手したら川の中で転倒して動けなくなり、泥まみれになって助けを呼ばなければならないところだった。そうなったらヘドロの悪臭がこびりついて、3日ほどは誰にも近寄ってもらえなくなっただろう。

いつもは下の写真(昨年 9月 19日の和歌ログ)のように白鷺が平気で水の中に立っていたりするので、川底がこんなにズブズブ状態とは思っていなかった。いやはや、身近な川とはいえ自然を甘く見てはいけない。

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というわけで無事に生還はしたものの、そもそもの目的のゴミの回収はできなかった。まことにもって残念である。

 

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2020年3月12日

いけしゃあしゃあとダブルスタンダードで行けちゃう体質

昨日から関西方面に一泊二日の出張をしていて、まともにニュースに接する時間もなく、今夜帰宅してから Google ニュースで、"森法相の「震災で検察官が最初に逃げた」という発言が大問題” というのを見て、「一体、何のこっちゃ?」と思ってしまった。

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そして TBS のニュースのビデオを見て、ようやく「へえ、そういう話か!」と大筋がわかった。いくら昨日があの 3.11 だったとしても、ちょっと突拍子もない話だよね。この森法相という人、「9年来の持論」で野党を牽制したつもりが、逆に墓穴を掘ったってことのようなのである。

2014年 9月に "「結婚したらどうだ」発言を巡る冒険" というエントリーでも書いたように、一部の(あるいは多くの?)政治家というのは「言わなくてもいいこと」とか「言うべきじゃないこと」を、得々として言うのがお好きらしい。そして大抵はそのせいで自分の立場を危うくする。

面白いのはこの森法相という人、野党時代の 9年前から同じことを主張していて、また思い出したようにほとんど関係のない筋道の話で蒸し返していたようなのだ。結構この話にこだわっていたのだね。

そして今回は「それは事実か?」と問い詰められて「事実です」と答えたものの、その直後にちょっとビビったのか「個人的見解」なんて言い出している。弁護士の資格をもつほどの人が、国会の場で法相として「個人的見解」を述べちゃったということのようなのである。

しかし総理に怒られちゃったので、「検察を所管する法相として、検察の活動について個人的見解を述べたのは不適切だった」と謝った。つまり「個人的見解としての事実」という本音には固執するが、「国会での法相発言としては不適切だった」として、建前的には撤回したってことだ。

というわけで、一人の人間としてそこまでいけしゃあしゃあとダブルスタンダードで行けちゃう体質というのは、スゴいことだと思うわけである。

 

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2020年3月11日

新型コロナで大気汚染が減少

NewSphere が 「新型コロナで中国の空気に変化 二酸化炭素 汚染物質が激減」というニュースを伝えている。経済活動が急激に低下したことによるらしい。

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少し引用させていただこう。

フィンランドの研究機関、Center for Research on Energy and Clean Air(CREA)が2月末に発表した研究では、過去 3週間の間に中国の二酸化炭素排出量が 1億トンも減少したと報告されている。昨年同時期と比べ、25%以上の減少だという。二酸化炭素だけでなく、自動車や発電所から出る亜酸化窒素も 36%近く減少した。

これはどう見ればいいのだろうか。経済が減速したことで大気汚染が減ったというのだから、まんざら悪いことばかりでもないということなのか。

中国では毎年この季節、春節で企業が一斉に休みに入るため、大気汚染は減るらしい。しかし今回はいつもの汚染現象とはスケールがが違うという。

ただ、これは一時的なものということだ。

ウイルスの抑え込みが完了すれば、中国政府は埋め合わせのために生産強化を行うため、大気の改善はおそらく一時的なもので終わるだろうと専門家は見ている。

こればかりは大気がずっときれいになっていくというわけではない。見方によっては残念なことである。

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2020年3月10日

慣れないマスク着用で

昨日、仕事上のミーティングがあったのだが、「時節柄、必ずマスク着用でおいでくだい」なんていう通知を受けていた。そんなこと言われてもドラッグストアのマスク売り場なんてすっからかんで買えないし、やりにくい世の中になったものである。

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「もしかして在庫があるかも・・・」と家中探したら、大昔に花粉症対策用に買ったのが 1箱見つかった。買ったはいいが実際にはうっとうしさが先に立ち、使わずにしまい込んでいたもののようだ。多分 5〜6年以上前のものだが、まあいいだろう。久しぶりに電車に乗れば、乗客のほぼ 9割がマスク着用だし。

会場となった都内の某オフィスは在宅勤務が進んでいて人が少なく、非日常的と言えば言えそうな雰囲気。誰ともなく「手を伸ばせば届く距離で対面すると、感染しやすいって話ですよ」なんて言い出して、参加者 4人がいつもより心持ち広めの感覚で座る。「気は心」というものだ。

ここから先がほぼお笑いで、誰もマスクなんかし慣れないから、何をしてもギクシャクだ。

「コーヒー欲しいなあ」と言っても、「オフィスでは時節柄、飲み物をお出ししてません」なんて言われる。「とはいえ、セルフサービスでやるからさ」なんて言って、それぞれがちまちまとインスタントコーヒーを淹れる。

ところが、全員がマスクしたままコーヒーカップを口に運んで、「ありゃ」なんて言ってしまう。マスクを下にずらしてグビリと一口啜り、そしてついそのままになって、しばらくしてふと思い出したように鼻と口を覆い直す。

さらにスケジュールを確認しようとスマホを取り出せば、マスクで顔を覆っているため Face ID (顔認証)が機能しない。その度に「ああもう、イラるなあ!」なんて口走る。

「世の『マスク女子』という種族は、スマホ操作するのにいちいちパスワード入力してるんだね」と言うと、もう一人がしみじみと「顔認証の快適さを知らずに一生を終えるんだとしたら、不憫だなあ」と言う。Face ID なんて、ここ 2〜3年の話なのに、生まれた時から使っているような気になっている。

というわけで、コーヒーを啜ったりスマホ操作をしたりする度にヒョイとマスクをずらすことになり、「これじゃ、あんまり意味ないじゃん!」なんて言い出す。かと言ってすっかりマスクを外してしまったら、我々のことだから確実に置き忘れて、帰りの電車内で浮いてしまう。

とまあ、たかがマスクを着用するというだけで、我々にとっては十分に非日常的な経験を楽しむ機会になったのだった。

私は明日から関西方面に出張となるのだが、今どきは新幹線に乗るのにマスクをしていないと白い目で見られてしまうという話だから、仕方なくマスク着用で行かざるを得ない。その前にちょっと予行演習みたいな経験ができて、ある意味幸いだったかもしれない。

 

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2020年3月 9日

ATOK まで「新型コロナウィルスによる感染症」をしっかり学んでしまった

まったくもう、例のウイルス騒ぎで、私の仕事にも影響が出始めている。予定されていたイベントや会合がどんどん中止になっているのだ。これに伴ってメールなどでも「新型コロナウィルスによる感染症拡大で・・・云々」という文言を書く必要性が出てきて、面倒でしょうがない。

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先週頃までは「こんな言葉を頻繁に使うなんてご免だね」と思っていたのだが、そうも言っていられなくなった。関係先とイベント中止やスケジュール変更などの情報をやり取りするのに、どうしても使わざるを得なくなってしまっているのだ。おぉ、やだやだ。

で、当初は単語登録するのも気分的にイヤな感じなので、わざわざ「新型コロナウィルスによる感染症拡大の影響で・・・」なんていちいちタイプしていた。しかしこれは面倒で指がもつれそうなので、「仕方がない、諦めて単語登録しちゃおうか」なんて、ようやく思い始めたのである。

単語登録にあたって、一応どんな「読み」(短縮形)にしようかと考え、国際的には "COVID-19" という呼称になったという(参照)ので、日本語入力モードとしては「cおv」という短縮形にしてしまおうと決めた。これならほかの言葉とも紛らわしくないから、いいかもしれない。

何よりまず、3ストロークで済むから、「しんころ」なんていう読み(8ストローク必要)で登録するよりずっと楽だ。うん、これで行こう!

そして実際の登録作業にあたり、まず元の言葉である「新型コロナウィルスによる感染症」という言葉を入力・確定しようとした。すると、何と、私の日本語入力システムの ATOK は、「しん」と入力しただけであっという間に「新型コロナウィルスによる感染症」という変換候補を表示してくれるではないか。

あまり頻繁にこの言葉を入力したので、ATOK がしっかり学習してしまったようなのだ。というわけで、当面は「しん」という入力だけで済ませることにし、単語登録は見送ることにした。便利と言えば便利だが、コトがコトだけになんだか複雑な気分である。

ちなみに日本語の世界では、"COVID-19" という呼称はまったく根付かないようなのだね。主要マスコミはどこでも使っていない。日本語の文脈では「コゥヴィド・ナインティーン」なんてムチャクチャ言いにくいし、下手するとわけがわからなくなるから、これはまあ、しょうがないか。

願わくは、「しん」と入力しただけであっという間に「新型コロナウィルスによる感染症」が表示されずに済む状況に、早くなってもらいたいものである。

 

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2020年3月 8日

裏の川の中州のプラスチックごみ

階段の踊り場の窓から、我が家の裏手を流れる川が見える。そしてその中州に、今月初め頃からスーパーかコンビニのレジ袋のようなものがあるのが、気になって仕方がない。

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上の写真の真ん中よりやや下にある白いのがそうだ。この袋のあるのは川の真ん中の中州になっているところで、本格的な春になって雨が増えるまで水には浸からない。その束の間に、わずかに緑の草が生えたりもする。

そんなところに白いレジ袋が転がっているのだから、そりゃ気になってしまう。初めのうちは風が吹いたら飛んでいってしまうと思っていたのだが、昨日まで 3日間続いた強風でも飛ばされずに残っているのだから、こりゃもう、空き袋じゃなくて、何かゴミを詰め込んで川に捨てたヤツがいるとしか思われない。

これが中州じゃなく単なる川原だったら、雨が降って水量が増える前に降りて行き、袋を拾って始末してしまいたいところだが、いかんせん、そこに行くには長靴でも水没してしまうほどの流れを横切らなければならない。それで仕方なく、1週間ほど踊り場から眺めるばかりなのである。

しばらく放置されたゴミ入りレジ袋は、春になって降水量が増えると下流に流され、やがては海に入るだろう。その頃には袋もあちこちにこすられて穴が開き、中のゴミは水質汚染の元になる。そして分解されずに残るプラスチックは、やがてクジラや深海魚、海鳥などの胃の中に入る。

それを思うと心が痛むのである。このところちょっと小雨が続いて水量が増えてしまっているが、晴れが続いて流れが浅くなったら、降りていって回収してしまおうと思っている。

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2020年3月 7日

別の美学(alternative sense of esthetics)

例の新型コロナウィルスの影響で、どこもかしこも人出が少ない。先日、用があって有楽町に行って来た妻の話によると、都心もガランとしていて、いつもとは全然様相が違っていたらしい。

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「有楽町の駅前ビルの前に靴磨きのおじさんたちがいて、いつもは行列ができてるのに、今日はたった 1人だけが磨いてもらっていて、残りのおじさんたちは手持ち無沙汰にしてたのよ」と言う。

「へえ、いつもは靴磨きで行列ができてるの?」
「とくにお昼休みの時間帯なんて、結構並んで順番待ちよ」
「靴ぐらい、自分で磨きゃいいのに」
「やっぱり、プロにやってもらうと違うのよ」

という会話があって、私はこの年になって自分の知らない世界がフツーにあることを知ったのである。列に並んで金を払ってまで靴をピカピカにしてもらいたい人がいるとは、実感的にはほとんど理解できない。

私としては自分の靴をまともに磨くなんて、半年に一度あるかないかだろう。磨くにしてもなんだかこっぱずかしいから、敢えてことさらピカピカにはしない。上の写真は仕事に出かけるにも履いている靴だが、見るからに「ドタ靴」で、つま先なんて色が剥げ落ちてるしあちこちに小さなシミがある。

思うにピカピカの革靴が似合うのは、りゅうとしたスーツにネクタイを締めて、髪はきっちりとドライヤーでセットされた、どっかの IT 企業の社長みたいな人である。スーツとネクタイが嫌いで、ヘアスタイルなんて朝起きた時からの成り行き任せという私のような男には、絶対に似合わない。

というわけで私としては、靴磨きのおじさんの前に座るなんて、なんとなくコワいというか気が引けるのである。多分死ぬまでドタ靴で過ごすことになるだろう。これはむしろ、靴に関する「別の美学」(alternative sense of esthetics)なんだろうと思う。

 

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2020年3月 6日

梅の花と人の命

我が家の庭の梅が、満開一歩手前だ。昨日と一昨日が結構な強風だったので、満開前に散ってしまうのではないかと心配したが、梅でも桜でも、満開の盛りが過ぎるまでというのは結構しぶとい。そんなに簡単には散らないもののようなのである。

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その代わり、我が家ほどの遅咲きではない隣家の庭の梅は、さすがに強風に耐えきれず、かなり散り始めている。ただ全面的に散ったわけでもなく、遅く咲いた花は必死に枝にしがみついている。使命を果たすまでは散ってなるものかという根性を感じさせる。

我が家の梅が余裕で散らずに済んでいるのは、「遅咲きの強み」だろう。世の中、何が幸いするかわからない。いずれにしても「盛りを過ぎる前の生命」というのは、本当に強いものだと思う。

ところで、周囲の同年代(昭和 27年生まれ)の友人たちの多くは、いつの間にか白髪頭を通り過ぎてしまいつつある。「ウチはお父さんがいるから、初日の出を拝みに行かなくて済むね」なんて言われたというのまでいるほどだ。

それと比べると私は白髪が 1本もないし、ビミョーに薄くなりつつあるとはいえ、まだまだ額の生え際もしっかりしている。初対面の人に「お若いですねえ、50代かと思ってました」なんて言われ、どうせ社交辞令だろうとばかり思っていたが、まんざらそうでもないらしいと、最近になって気付いた。

頭の薄くなった同年代の友人たちと並んだ写真を見ると、実際に私だけが妙に若く見えてしまう。申し訳ないが、こればかりは仕方がない。ただ、体力ばかりは見かけ通りにはいかず、最近は 1km 走るのに 5分もかかってしまうなんて現実に直面して、愕然としている。

「ああ、若い頃に戻りたい」なんて思うこともあるが、こうしたプロセスを辿るのが生命というものだろう。体力が落ちた代わりに、人生のいろいろな面で「コク」みたいなものが出てくるのだから、それはそれでなかなかいいものだ。そのうち、おいしい梅干しみたいなものができたらいい。

まあ、よほどのことがない限り、少なくともあと 10年は生きるだろうから、このブログの連続更新もしっかり続けていこうと、今さらながら思っている。

続きを読む "梅の花と人の命"

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2020年3月 5日

マックの「ドナルド」、実は「ロナルド」なんだそうだよ!

半年も見過ごしていた「東洋経済 ONLINE」というサイトの昨年秋の記事を、たまたま今日の昼に読んでまさに衝撃を受けている。あのマックの「ドナルド」が、実は「ロナルド」だったという話だ。そんなこととは、露ほども知らなかったよ。

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"マックの「ドナルド」実は名前が違うという衝撃 意外と統一性がない外国人の名前の呼び方" という記事の筆者は、デビット・ベネットという人。レノボ・ジャパンの社長であるらしい。

そもそも、この「デビット」というファーストネームからして、本当は "David" だから、フツーは「デビッド」とカタカナ表記されるのだが、彼は「デビット」の表記を採用している。確かに "David" をカタカナ発音すると「デビッド」よりは「デビット」の方が近いものね。

英語と日本語は発音体系がかけ離れているので、例えば新幹線車掌のもろにカタカナ英語の社内アナウンスは、かなり異様に聞こえてしまう。私は「カタカナ英語を巡る冒険 その 1 : 新幹線の英語アナウンス」という記事の中で、次のように書いている。

日本人客なら少なくとも 「急に日本語じゃなくなったから、ここから先は英語(のつもり)なんだろう」ぐらいには思ってくれるが、日本語を知らない外国人客には、単にミステリアスな東洋の言葉の連続にしか聞こえないはずだ。

この裏返しとして、日本語独特の発音は英語しか話せない人にとってはもの凄く難しいものになる。デビット・ベネットさんも次のように書いている。

都築恒夫(Tsuzuki Tsuneo)さん、末次逸雄(Suetsugu Itsuo)さんという名前の方などは、おそらく英語圏でまともに自分の名前を呼んでもらった経験はあまりないのではないかと思います。

まさにその通りだろう。とくに「逸雄さん」なんて、正しく発音してもらおうなんて思わない方がいい。「アツゥオゥ」なんて聞こえて、よもや自分の名前だとは気付かないだろう。

しかし、「ロナルド」を「ドナルド」にしてしまうというのは、これとは次元が違いすぎる。この件に関して Wikipedia の「ドナルド・マクドナルド」の項目をみると、次のように書かれている。

このマスコットの本名(正式名称)はロナルド・マクドナルドであるが、日本ではドナルド・マクドナルドとなっている。これは、マクドナルドが初めて日本に進出した際、藤田田が日本人にとって「ロナルド」という単語は発音しにくく「ドナルド」の方が発音しやすいという意見を採用したためである。

なお、日本マクドナルドは「『ドナルド』と『ロナルド』、どちらも正しい名称である」と公言している。そのため、日本国内でも容器のデザインに関する版権表記の部分などにはロナルド (Ronald McDonald) の表記が見られる。

いやはや、「『どちらも正しい名称である」なんて、かなり乱暴な話である。初めてそれを知る者にとっては、愕然だよね。

【注】 「藤田田」は、日本マクドナルドの創業者。「ふじだ でん」って、変わった名前だよね。

 

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2020年3月 4日

ロゴ・デザインという作業

友人に「ロゴマーク」のデザイナーがいる。「ロゴマーク」というのは、企業やブランドを美しくかつ個性的な文字でデザインし、印象的なものとして固定化したものだ。これって、企業やブランドのイメージをかなり左右してしまうから、かなり神経を使う作業となる。

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昔はフリーハンドでデザインするのが当たり前だったらしいが、今は日がな一日 PC に向かってデザインしている。キーボードで単純にテキストを打ち込む作業とは違い、かなり微妙な匙加減が要求されるから、彼はいつも肩がコリコリだ。

かく言う私も、自分のブログのロゴは自分でデザインしたのである。ほぼ 18年前の話だ。ロゴをトップの画像に貼り付けても、元のロゴ・データを保存しておくべきだったのだが、うっかりどこにどう保存したのか忘れてしまい、使い回しができなくなってしまった。これだからトーシロは困る。

それで、2月 29日付の "Today's Crack の記事、6,500本を達成" という記事の画像を作る際に、改めてロゴ・データを再現してみた。これが結構難しかったのに、またしてもその元データをうっかり消去してしまったのである。まったくドジな私。

それで、今後のために改めてデザインを再現してみようと思ったのだが、これがまた、案外面倒くさい。やはり素人には荷が重い作業に違いないのである。

プロならば Adobe PhotoShop などでイチから作るのだろうが、こちらは素人なので、簡易的に Word の 「ワードアート」という機能を使って作成した。これだとやはりデザイン的に限界がある。

まず、"Cooper" というフォントを使って、イタリック体の文字を入力してみる。上の画像の 1番上の文字だ。ところがこうして機械的に入力しただけでは、最初の "T" の文字が小さすぎるように見えてしまう。

そこで、この ”T" のフォントサイズのみを大きくする。それが上から 2番目の文字だ。しかしフォントサイズだけを大きくすると、”T” と "o" の文字だけ、感覚が開きすぎてのっぺりしてしまう。

この「のっぺり感」を修正するために、”T” と "o" の文字間隔を狭くする。その結果が上から 3番目だ。そして最後に立体感を付けるために、文字に影を加える。こうしてできたのが一番下のデザインである。

これでも、細かいことを言えば各文字の間隔に不満が残る。とくに "y" と "s" の間のアポストロフィが結構不細工だ。修正したいのはやまやまだが、素人としてはこのあたりで力尽きてしまい、それ以上に手を加えたいとは思えなくなる。

こうしてみると、プロのロゴ・デザイナーというのは大したもので、美しくバランスが取れ、しかも個性的で印象に残る文字を作り上げる。やはり、「餅は餅屋」である。

 

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2020年3月 3日

ファイルの「拡張子」を理解できない人

時々、仕事上のメールに「一太郎」で作成されたファイルが添付されてくることがある。こちらは Mac ユーザーで、一太郎ファイルなんて開くことすらできないので、それだけでかなりイライラしてしまう。「こんなの送りつけられたって、読めねえんだよ!」ってなもんだ。

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思い出してみれば、ほぼ 4年前にも"(Mac に限らず) 一太郎ファイルを読み込む苦労" という記事を書いている。終わりのないストレスである。

今どき、無神経に一太郎ファイルを送って寄こすような人というのは、「PDF か RTF に変換して送り直してください」なんて頼まれても意味がわからないようなのだ。それで下手すると、プリントアウトした文書を写真に撮って、画像ファイルを送ってきたりする。こっちはのけぞるぜ。

最近気付いたのは、そうした連中というのはたいてい、PC を「拡張子を表示しない」という初期設定のまま使っているということだ。

彼らにしてみれば、 例えば「懇親会のお知らせ」なんていう名称のファイルを一太郎で作っても、それは「懇親会のお知らせ.jtd」ではなく、あくまでも「懇親会のお知らせ」でしかない。それをそのまま、今や圧倒的マジョリティとなった Word ユーザーに送りつけてくる。

送りつけられたこちらとしては、4年前の記事を書いた頃は、律儀に面倒な手順を辿って「懇親会のお知らせ.docx」に変換し、ようやく読み込んでいた。ところが最近はそんな面倒なことはやってられないから、「ファイルが開けないので、形式を変換して送り直してください」と返信するだけにしている。

しかし彼らは「懇親会のお知らせ.jtd」と「懇親会のお知らせ.docx」の違いが見えていないから、「同じファイルなのに、なんであんたは、俺の作ったファイルに限って『開けない』なんて意地の悪いことを言うんだ!」と憤るのである。いや、それって決して「同じファイル」なんかじゃないからね。

こんな風にチョー消耗なことになるのは、そもそもマイクロソフトが Windows を「拡張子を表示しない」という余計なお世話的な初期設定にしてしまったせいだ。本当に疲れる。

しかしこんなような人の作成したファイルなんて、実は開いて読めなくてもほとんど支障がない。放っておいても別にどうってことないのである。だから、最近は気にしないことにしている。

 

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2020年3月 2日

「隔世の感」ということ

3日前の記事で触れた「バカヤロー解散」があったのは私が生まれて 7ヶ月目のことで、当然のことながらナマの記憶は全くない。

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父の生前の話では、当時の吉田茂首相のこの発言は決して怒鳴ったりしたわけではなく、ただ小さく呟いただけだったのを、たまたまマイクが拾ってしまい、野党が耳ざとく聞きつけて大問題になったのだという。冒頭のリンク先の Wikipedia の記述でもそんなようなことになっているから、これは確かなことなのだろう。

ということは、吉田首相も当時のマイクの性能向上に感覚が追いついていなかったのだね、きっと。今どきのマイクと比べたらオモチャみたいなものだったろうが、この当時の国会議員のオッサンたちには「無駄に性能よすぎ」というほどだったかもしれない。

ところがマイクの性能はそれまでより格段によくなっていたのだろうが、画像となるとそうはいかない。上に貼った「バカヤロー解散」時の「万歳三唱」の画像を見ても、なにしろフツーにモノクロだし、どうしても「昭和ってのは、既に大昔なんだなあ」と思ってしまう。

いや、昭和に限った話ではない。テレビの BS で再放送されるつい 10年ぐらい前のビデオ映像を見ても、やはりかなりドンくさい。こればかりは画素数が段違いなのだから、どうしようもない。

ビデオ映像といえば、昭和のテレビ録画なんてまともにはほとんど残っていない。例えば伝説の人形劇、NHK の「ひょっこりひょうたん島」なんて、なんと NHK の資料室にさえ残っていないのだそうだ。当時の録画媒体(ビデオテープなど)は貴重だったので、のべつ録画して取っておくわけにもいかなかったようだ。

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YouTube でなんとか見られるのは、上の写真からリンクされる 1本ぐらいのものだ。今のテレビ番組なんて、どんなくだらないものでも何度も再放送できるほど録画されているというのに。

それだけではない。一世を風靡したあの「シャボン玉ホリデイ」だって、今年 1月 18日の記事で紹介した、下の 1本ぐらいしか見ることができないのだ(クリックで YouTube に飛ぶ)。何しろほとんどが生番組だったのだから、まさに 1度きりで後には残らない夢のようなものだったのである。

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ちなみに「バカヤロー解散」の時の恒例「万歳三唱」の録画はニュース映像で見たことがあるが、問題の「バカヤロー」発言そのものは、録音でも動画でも、聞いたことも見たこともない。こうした「ハプニング」を記録するために記録媒体を回し続けるなんて、当時はあり得ないことだったのだろう。

翻って今どきは、安倍首相がお気楽なニヤニヤ笑いで「意味のない質問だよ」と放言する、ノー天気な場面ですらちゃんとエビデンス動画として残っていて、誰でも YouTube でしっかり確認できる。しかも画質の良さは、大昔感漂う上の 3つとは異次元的な違いだ。

2003025これほどまでに技術の発達した世の中に生きていると、伝説の「バカヤロー」を見ることも聞くこともできないという事実に現実感が伴わない。「隔世の感」とはよくぞ言ったもので、感覚的には既に 100年以上経っているような気がするほどだ。

正直言って、技術的進歩はもういいわ。

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2020年3月 1日

「肩たたきボール付き孫の手」を巡る冒険

私のデスクのそばに竹製の孫の手の反対側にゴルフボールの付いたのが置いてある。肩が凝ったときにこのボールでトントン叩くと、ちょっとだけ楽になるような気がするのだ。あくまでも「気がする」程度の話だが。

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これ、いつ頃からデスクのそばにあるのか、思い出そうとしてもとんと見当がつかない。少なくとも 5年以上前(あるいは 10年ぐらい前?)からあるような気がするのだが、まさか自分で買ったはずはないし、何かの縁でどこからかもらったものだろう。

改めて子細に調べてみると、ゴルフボールの付いた背面に「(株) 本多工務店」と印字されているのに気付いた。実を言うと、こんな文字があるなんて昨夜初めて気付いたことだし、この社名に関してもまったく覚えがない。

電話番号が印字されているものの、市内番号から下の「四三-八三二五」はわかるのだが、その上の市外番号はかすれていて読み取れない。そんなわけで、一体どこにある会社なのかすらわからない。

今さらながら気になってしまったので、しつこくググりまくると、ようやく ”jpnumber” という電話番号検索サイトで、静岡県袋井市にある「株式会社本多工務店」というのが見つかった、電話番号が紛れもなく「0538-43-0825」である(参照)。ここまで辿り着くのにみっちり 15分ほどかかった。

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さらにネット上の地図から、本社前の道路から見た画像まで表示できた(参照)。念のため、看板の拡大画像を下に貼っておこう。

2003016

「リフォーム−新築何でもお気軽にご相談下さい 住まいの夢かなえます!」と大書された看板の下の方をよく見ると、おお、何と!「住まいの孫の手  (株) 本多工務店」とあるではないか!

ここまで来れば、もう疑問の余地がない。私が ずっと世話になってきた「肩たたきボール付き孫の手」の実家が、感動的に特定された瞬間だった。この会社がこんなものを作ったのって、決して伊達や酔狂ではなく、「企業ポリシー」だったのだね。

それにしても一体どんな経路で、この孫の手がウチに廻ってきたんだろう。

静岡県袋井市周辺で住宅の新築やリフォームをお考えの方は、こちらにご相談なさってはいかがだろうか。痒いところに手が届くサービスが期待できるかもしれない。

 

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