地に墜ちた「三密」
世間では「不要不急の外出は避けて、家にいよう」ということになっているが、あまりにも気詰まりなので、恐縮ながら妻とクルマで茨城県の太平洋岸、「日川浜」にでかけた。まさに「不要不急の外出」そのものである。
とはいえ「密閉、密集、密接」からはほど遠い所業なので、「まあ、いいだろう」と考えたわけである。上の写真は日川浜の様子だが、人っ子一人いない。風力発電の風車が静かに回っているだけで、ガラガラである。
クルマでの移動なのでウイルス感染のリスクは小さいし、弁当と飲み物持参なので飲食店にも入らない。天気は最高だったし、このところ鬱々としていた気分も転換できた。たまにはこんな一日があってもいい。
ところで、近頃は上に掲げた「密閉、密集、密接」というのを「三密」と称して、新型コロナウイルス感染リスクの高い状態いうことになっている。しかしこれまで、個人的には「三密」というのを別の言葉として捉えていた。
密教では、「仏の身(行動)・口(く)(言葉)・意(心)の三つの行為」を、人間の理解を超えているという意味で「三密」と言う。さらに人間の「業(ごう)」は「身・口・意の三業」と言う。
「三業」というと逃れがたい宿命的重荷というイメージで語られるのだが、密教では究極的には「人間の三業は、仏の三密そのもの」ということになっている。「曰く言いがたい」ところの話だが、実はスゴいことなのである。
仏の三密を「無相の三業」といい、人間の「身・口・意」の業は「有相の三業」なんて言ったりする。「有相」は目に見えるから理解しやすいが、目に見えない「無相」は捉えにくいというわけだ。
「無相」の世界から「有相」の世界への展開の過程でいろいろな紛れが生じて、それが「煩悩」になっちゃうんだろうね。これがこの世界の「厄介なモロモロ」の根源である。
というわけで、当節の「密閉、密集、密接の三密」は、「地に落ちた三密」である。この「三密」からは、しばらく離れて暮らすことにしよう。
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