21世紀的末法思想と、パラダイムシフト
コロナウイルス騒ぎの影響で、「外出せずに、とにかく家にいろ」という声が高まって、Twitter でも "#stayhome" というハッシュタグが注目されている。
とにかくニュージーランド警察の「歴史上初めて、家でテレビ見ながらゴロゴロしてることが、人類を救うことになる。気張らないでいようね」というアピールが retweet されまくっている(参照)ほどだ。世の中のスタンダードがゴロリと変わっていることに注目したいよね。
私としてもいろいろな仕事やミーティングが次々にキャンセルになってしまって、裏の土手を散歩するしか外に出る用事がない。何もせずに家に籠もっているというのは、風来坊にとってちょっと気詰まりだ。
そんなわけで、近頃「末法思想」なんてことに思いを馳せている。とにかく「世も末じゃ」ってな話である。
末法思想というのは仏教からきたもので、教科書通りに言えば「正法(しょうぼう)、像法(ぞうぼう)、末法(まっぽう)」と続く三時(さんじ)の最終段階のこと。釈迦の入滅後、時が経ちすぎて仏法の効力が失われ、世の中が乱れに乱れる時期とされている。
日本史で言えば平安末期の状況がまさにそれで、上の画像に示されたように、世の中に争いがはびこり、富士山や浅間山の大噴火の影響で飢饉となり、天然痘が大流行するなど、世の不安が最高潮に達していた。この時期の思想のバックグランドになったのが、「末法思想」とされている。
そして 21世紀の今、世界の指導者は平和より対立を好み、つい 9年前に東日本大震災で原発事故があり、気候変動で死にそうな暑さと海面上昇が取り沙汰され、挙げ句の果てに今回のコロナウイルス騒ぎ。何となく嫌ぁな感じで、平安末期の状況に重ね合わせられる気がしてしまうわけだ。
で、先の「末法」に至るまでの有力思想だったのが、最澄の天台宗、空海の真言宗に代表される「平安仏教」で、貴族たちの帰依を集めていたが、世の不安が最高潮に高まるにつれて、それまでのような力を発揮できなくなった。つまり「パラダイム・シフト」ってやつが始まったわけだ。
この頃、「お釈迦様が効能切れでも、阿弥陀様がいるさ」とばかり、浄土信仰が高まりを見せた。やたらと難しい仏教哲理を学ぶより、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えて阿弥陀如来の慈悲に信頼すればいいというのだから、ただ途方に暮れているよりは精神衛生にずっといい。
こうして法然の浄土宗から親鸞の浄土真宗に至る系譜が生まれ、殆ど同時期に栄西の臨済宗、道元の曹洞宗という禅宗、日蓮の日蓮宗という鎌倉新仏教につながった。大変な変化の時期だったわけだ。
というわけでこの 21世紀の世の中でも、世界の価値観に大きな「パラダイム・シフト」が生じることになるんだろうなと思っている。コロナウイルスで死にさえしなければ、その転換期のしょっぱなだけでも目撃することができそうだ。
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