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2020年7月に作成された投稿

2020年7月31日

ウナギを食うことについて

Gyoppy というサイトに ”ウナギを食べ過ぎると絶滅するらしいけど、結局食べていいの? 専門家に聞く4つの質問” という 7月 20日付の記事がある。今年は 8月 2日の日曜日が土用丑の日なので、それにちなんだものなのだろう。

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この記事の「4つの質問」と、それに対する回答は、ざっと次の通りだ。(より詳しくは、元記事に飛んで読んでいただきたい)

【質問 1】実際のところ、ウナギは食べていいの?

回答: 個人の倫理観にしたがって決定するものです。しかし、その決定を行う際に基礎となる知識が必要だと思います。

【質問 2】食べられているウナギの半分以上は違法なウナギ」ってホント?

回答:本当です。その年によりますが、国内で養殖されているニホンウナギのうち、半分から7割程度のウナギが、不適切に漁獲・流通したシラスウナギから育てられています。
養殖のためのシラスウナギ捕獲には、都道府県知事の特別採捕許可を受ける必要があります。しかし現状では、無許可で行う密漁、許可を受けた漁業者の過少報告(無報告漁獲)などの違法行為により、半数程度が不適切に流通しています。さらに、国外で漁獲されたシラスウナギが輸入される際も、原産国から密輸されている可能性が高いと考えられています。

【質問 3】今後、消費者がウナギに関してできることは?

回答: 個人の力は大きくはありませんが、たくさんの声が集まれば、産業界や政治に対して影響を与えることができます。現状では、消費を削減するべきです。
もうひとつ、消費者にできることがあるとするなら、基礎的な知識を学ぶことがあります。

【質問 4】ウナギをいつまでも食べることができる状態とは?

回答:人間が悪影響を与えているからウナギが減っているのなら、その悪影響をなるべく減らしてあげることが、まずは必要です。
これからの時代に合わせた新しい共存の形をつくることが大切です。

早く言えば、ウナギの消費を減らすことが求められるというわけだ。

ちなみに私も、この時期にうなぎに関する記事を何本か書いている。こんな具合だ。

「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて (2013/08/03)
土用丑の日に休業する鰻屋さんの志 (2017/07/24)
うなぎを「大事にいただきましょう」という環境省の tweet (2019/07/23)

2013年 8月 13日付の記事で明らかにしているように、私はこの頃から「ウナギとマグロは食わない」と決めている。というわけで個人的な見解としては「結局食べていいの?」なんて聞くまでもなく、「俺は食わないよ」と言うほかない。

 

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2020年7月30日

「支庁」というものは、北海道に限らない

北海道には「支庁」というのがあるのだが、私はこれについてよく理解していなかった。企業などでは支庁とリンクして「〇〇株式会社網走事務所」とか「空知支局」とか「留萌出張所」とかいうのがあり、よそ者にはなかなかピンとこない。

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ところが北海道の人たちにとってはとてもお馴染みであるらしい。「道北、道央、道東、道南」という 大分類と 14支庁の分類というのは、生活の中でかなり定着しているようだ。

あちこちのサイトで「2009年以後に 14支庁が 9支庁に再編されることが決定された」とあるが、それは廃止の対象となった檜山、日高、留萌、根室の各支庁の反対により実現していないらしい。つまりそれほどまでに、北海道の人たちにとっては生活に密着したものであるらしいのだ。

さらに Wikipedia で調べてみると、意外なことまでわかった。支庁というのは、「都道府県知事の権限に属する事務を分掌させるため、必要な地に条例により設けられる都道府県の総合出先機関を言う(地方自治法155条)」とされているのである(参照)。

「都道府県の総合出先機関」というのだから、支庁があるのは北海道に限らない。日本のあちこちに「支庁」というのが存在しているのだ。

我が故郷の山形県にも「村山総合支庁、最上総合支庁、置賜総合支庁、庄内総合支庁」という 4つの支庁があるじゃないか。そういえば山形県というのは、昔からこの 4つの地域がしっかりと独自性をもっていて、これを無視しては語れないほどなのだ。

それどころか、東京都にも「大島支庁、三宅支庁、八丈支庁、小笠原支庁」というのがある。さらに、「支庁」ではなく「〇〇地域振興局」とか「〇〇県民センター」なんていう名称になっている府県もあり、まったく一筋縄ではいかない。

よく調べてみると、その地域の歴史的な歩みがうかがわれ、なかなかおもしろいものであるようなのだ。

 

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2020年7月29日

誕生日過ぎても梅雨が明けない

昨日までの 2〜3日は絶えきれない蒸し暑さだったが、今日は打って変わった天気である。最高気温 25度の「夏日」なのだが、窓を開け放しているとむしろ「肌寒さ」さえ感じてしまう。体の「慣れ」とは恐ろしいものである。

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気象庁の「過去の天気図」というのをみると、この 7月の 25日から 28日までの 4日間は、梅雨前線が関東より北にしっかりとかかり、とくに 25、26日の 2日間は、北陸から東北日本海側にかけて強力な降水帯を形成していた(参照)。それで私の故郷の山形県では、最上川が氾濫してしまったわけだ。

そして関東はその前線の南側に入ったため、南からの熱気と前線からの湿気のダブルパンチになって、日が暮れても汗が流れ落ちるほどの蒸し暑さだったわけだ。ところが今日は前線が南下してしまったため、北の高気圧からの冷たい風が入ってきている。前線の北と南とでは、これほど世界が変わるのか。

それにしても、この夏は梅雨前線がしつこい。関東では私の誕生日(7月 26日)頃には梅雨が明けていることが多い印象があるので、気象庁のページで調べたところ、1951年以後の 69年間で関東甲信越の梅雨明けが 7月 27日以後になったのは 9回しかなく、今年は 10回目となりそうだ。

「なりそうだ」というのは、1993年には梅雨明けが特定できず、うやむやにされたままなので、今年もそうならない保証はないからである。ちなみに関東の梅雨入りは 「6月 11日ごろ」と発表されたので、既に 49日となり、明日で 50日目となる。

そろそろスカッと晴れてもらいたいものだ。うんざりするようなジメジメ感さえ遠のけば、暑さはなんとか我慢するから。

 

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2020年7月28日

人は誕生日の前日に年を取るわけなのだが

ほぼ 15年半も前に ”「早生まれの込み入った事情” という記事を書いて、その中で「早生まれ」というのは、3月 31日までではなく、4月 1日生まれまでであるということについて書いた。これはこれで十分に正解なのだが、関連でさらに込み入った事情が判明したのである。

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この記事の中で私は、民法によれば「人は誕生日の前日に歳をとってしまう」のだというようなことを書いた。それはそれで間違いではないのだが、さらにちょっと面倒な解釈が必要とわかったのだ。これは、この記事に最近になって付けられた らむね さんのコメントのおかげである。

この規定は民法第 143条にあるのだが、その文面は、人の年齢を含む「期間」の満了について「其起算日ニ応当スル日ノ前日ヲ以テ満了」となっている。つまり、4月 1日生まれの人は誕生日の前日である 3月 31日の時点でそれまでの年齢を満了し、1つ年を取るのである。

この条文には時刻については何も触れられていないので、私は「前日になった途端に年を取るのだろう」と解釈していたのだが、実は違っていたようなのだ。というのは、民法 第 141条に「期間は、その末日の終了をもって満了する」とあるのである。

「その末日の終了をもって」というのだから、その日の 24時(つまり真夜中の 12時)を以て終了するのだ。ここが厄介なところなのだが、翌日の 0時(午前 12時)ではなく、前日の 24時ということなのだ。

というわけで、4月 1日生まれの人は、その前日の 3月 31日 23時 59分 59秒 99999・・・ までは年を取らず、24時になったとたんに年を取るというのである。よく考えればナンセンスな話で、「前日の 24時って、当日の 0時とどう違うの?」と聞きたくなってしまうが、それは言わない約束のようなのだ。

このあたり、指摘してくれた らむね さん自身も「つじつまが合っているような、煙に巻かれたような、モヤっとする話」とコメントしておいでだが、まあ、しょうがない。ということで 15年半以上も経ってから、こうしてビミョーな訂正記事を書いている次第なので、よろしく。

それにしても、例えば午前 9時ちょうどに生まれた人なら、誕生日の前日の午前 9時に年を取ることにしてもいいのにね (などと、まだ往生際の悪いことを言うわけだが、生まれた時刻の記録なんて、戸籍にないしね)。

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2020年7月27日

ポリティカル・コレクトネス(政治的適正)という問題

スラドが 7月 26日付で "VMware がコネクターの「オス/メス」表記を非推奨にするとの報道" という記事を載せている。元記事は The Register の "VMware to stop describing hardware as ‘male’ and ‘female’ in new terminology guide" (7月 23日付)というものだ。(VMware: 参照

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コネクターの(いわゆる)「オス/メス」を英語でも ”male/female" と言い慣わしているとは、この年になって初めて知った。洋の東西を問わず、発想は共通しているようなのである。

そして今後は "plug/jack" (プラグ/ジャック)の表記を推奨するというのだが、「ジャック」が「受け口」の方だったなんてことも、この年になって初めて知った。何しろ 68歳になったばかりだし。

ポリティカル・コレクトネス(政治的適正)に基づいた表現というのは、1980年代に米国で始まったものだが、40年近く経った今でもコネクター関連で ”male/female" なんていう言葉を使っていたとは、かなり意外なことである。妙なところに盲点ってあるものだ。

この記事では、次のような語句の置き換えも推奨されるとしている。

  英語   意味
she/he → they 彼女/彼 → (ちょっと意訳して)人々
kill/abort → stop 殺す/中絶する → 止める
segregate → separate 隔離する → 隔てる
blacklist → denylist ブラックリスト → 否定リスト
black hat → unethical 悪意あるハッカー → 非倫理的

なるほど、性的、身体的、人種的にアブない、あるいはビミョーな表現は避けようということのようだ。ただ、これに関しては次のように触れられていて、さらにビミョーのようなのである。

ソースはThe Registerが目撃した「Offensive Terminology Effort」というVMwareの内部文書とのことで、真偽も確認できない。導入時期や方法については記載がなかったとのことだが、VMwareが数日前に公開したサポートドキュメントの中にも「blacklist/whitelist」が使われているものがあり、VMware内部で話が進んでいる感じでもなさそうだ。

本当だ。リンク先をみると何とまあ、見出しの部分に "whitelist and blacklist" としっかり表記してあるじゃないか。ことほどさように、この問題に関しては、まだまだこれからのようなのだ。それにしても改めてみると、IT 用語って、ヤバい表現が案外多いのだね。

 

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2020年7月26日

当たり前だが、年に一度の誕生日

今日は 7月 26日。当たり前だが、年に一度の誕生日である。ついに 68歳になってしまったが、多分 10歳ぐらいはサバ読んでも信じてもらえるとは思う。まあ、「それがどうした?」というレベルの話だが。

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この 7月 26日という日について「ダイレクト雑学トリビア」というサイトで調べてみたところ、なんと「幽霊の日」ということになっているのだそうだ。あの「お岩さん」の出てくる『東海道四谷怪談』(鶴屋南北・作)が、江戸・中村座で初演されたのが、文政 8年 7月 26日だったことにちなむらしい。

もっともこの「文政 8年 7月 26日」というのは旧暦でのお話で、新暦に直すと 1825年 9月 8日になる。昔の歌舞伎は旧暦 5月の公演が終わると 11月の顔見世まで夏休みだが、7月には「納涼歌舞伎」として怪談なんかをやっていたようだ。それでもさすがに真夏は避けていたのだね。

日光の日」というのは、弘仁 11年 7月 26日に、弘法大師が栃木・日光の山に「日光山」と命名したことによるとある。ただし「二荒山」を音読みしただけという説が有力で、これも新暦で言えば 820年 9月 11日のことだったらしい。

その他、飲食関連では「うな次郎の日」というのがある。これは水産練り物の一正蒲鉾株式会社が【うな(7)じ(2)ろ(6)う】の語呂合わせで言い出したらしいが、ちょっと苦しいよね。その他では「夏風呂の日」とか「ナプロアースの日」なんてのもあるようだが、いずれも今イチぱっとしない。

ここまで来たら、「ミック・ジャガーの誕生日が 7月 26日」ということで締めるほかないだろう。これが今日という日の最大のキラー・コンテンツだ。

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ミックは私より 9歳年上なので、今年で 77歳というわけだ。彼を見ていると、私もあと 10年ぐらいはピンピンしていられる気がしてくる。そこから先は、このブログのネタが尽きたらあっさり死ぬのもいいだろうが、逆に言えばネタが続く限りは生きていなければならず、それもまた大変だ。

 

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2020年7月25日

長雨で周囲がジャングルと化しかけている

朝から大雨で、雷まで鳴っている。tenki.jp の「関東・甲信地方の雨雲レーダー」(下図)というのを見ると、午後 2時の時点で、伊豆から湘南と丹沢の二手に分かれ、それが都心で合体して埼玉、茨城まで伸びる降雨帯が見て取れる。

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私の住むつくば周辺は幅の広い雨雲の真下で、1時間あたりの降水量 100ミリを表す赤色の領域が迫っている。九州熊本辺りの水害に比べれば、全然生やさしいものだろうが、さすがに「勘弁してよ」と言いたくなる。

そんなわけで、今年の梅雨は世の中の乾くいとまがない。地面は常にビショビショ、あるいはジメジメで、雑草が伸び放題。蠅や蚊の発生も例年に比べて異常なほど多い。ちょっと庭の雑草刈りをするだけで、長袖、長ズボンの上から蚊に刺されまくりだ。

我が家の裏の川土手も、あっという間に雑草が伸びてしまい、さながらジャングル状態のところもある。いつもの夏は土手を散歩する人が適当に地面を踏み固めてくれるので、小径みたいなものが維持されるのだが、今年は近寄りがたい状況だ。

近所の児童公園も「単なる草叢」でしかなくなって、子どもの姿なんて見えない。まあ、元々年寄りばかり増えて子どもの数は減っているのだが。

2020年の夏はコロナ騒動ともあいまって、後から振り替えれば「大きな変わり目の象徴みたいな年」として思い出されることになるような気がしている。

 

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2020年7月24日

レジ袋代わりの新聞紙ゴミ袋にもハードルが

元々レジ袋はもらわないようにしていたのだが、コンビニでのちょっとした買い物ではついもらったりしていた。しかしさすがに最近はマイバッグ持参が徹底して、身の回りからレジ袋がすっかり姿を消してしまったのである。

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そんなわけで世の中では、「ゴミ袋に困ってしまう」という声が聞かれ始めた。私としてもクルマで出かけた時など、コンビニのレジ袋は車内での一時的なゴミ袋として重宝していたので、少々勝手が違ってしまっている。

そんなことを感じていたので、本日付の秋田魁新報の ”「脱レジ袋」の困りごと解決 ゴミ袋の代わりは新聞紙で OK” という記事には、つい興味を覚えてしまった。地方紙って、時々こうした身近な問題を上手に取り上げてくれる。

ただ、ウェブ上で記事全文と拡大写真を表示して実際の作り方を確認するには、有料の会員登録をしなければならない。こちらとしてはそこまでする気はないので、「新聞紙 ゴミ袋」のキーワードでググってみると、作り方を説明した動画がいくらでも見つかるのだった。下にその一例を紹介する。

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"【新聞紙のゴミ箱】収納よし!大容量で使いやすい!" という動画だ。これ、案外簡単に作れそうなので自分でも試してみようとしたのだが、ここで思わぬ問題にぶち当たった。

私は情報をもっぱらネットとラジオで入手するようになって、新聞購読は止めて久しいので、家の中に新聞紙というものがないのである。いくら何でも 1部くらいはあるだろうと古紙の束を探ったのだが、全然ないじゃないか。

というわけで、レジ袋代わりの新聞紙ゴミ袋というのも、昨今ではちょっとしたハードルがあるとわかってしまったのだった。

 

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2020年7月23日

「オンライン飲み会」というもの

来週、「オンライン飲み会」というものに参加することになっている。関東在住の旧友を Zoom で結び、自前で用意した酒とつまみで盛り上がろうという趣向だ。

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本来なら年に 1度、東京駅近辺のリアル飲み屋で例会があるのだが、今年はパンデミックがそれを邪魔している。当初は「自粛するほかないわな」と言っていたのだが、どういうわけか「若者もすなる『オンライン飲み会』てふものを、オッサンもしてみむとて」との声が上がり、それで行こうということになった。

試しにググってみると、Diamond Online に「オンライン飲み会の実態を取材!やはりリアル飲み会には敵わない理由」という記事がある。初めから「やはりリアル飲み会には敵わない理由」なんて、ぶっちゃけ見出しになっているのがちょっと無粋だが、一応読んでみた。

まず挙げられているのが、オンライン飲み会が「安上がりで済む」というメリットだ。自分で飲み食いしたいものをコンビニかスーパーで買ってくるだけだから、コスパのいいのは当然である。そして「自宅だからリラックスできて、帰る必要もない」ということも挙げられる。

ただ、「帰る必要がない」というのは、逆に言えば「やめ時が難しい」ということでもあるようで、終電を理由に抜けることもできない。仕方がないので「寝落ちを装う」というしのぎ方もあるようだ。

なんだかんだ言いながらも、ちゃんとしたルールをしっかりと決めておくということが必要だろう。「幹事力」というのが求められるらしいのである。

そして挙げられているのが、オンライン飲み会では個別に突っ込んで話ができないというデメリットである。なるほど、画面に全員の顔が出ているのだから、リアル飲み会のようには行かないわけだ。

いずれにしても、多少の慣れは必要のようである。

それから最後に触れておくが、上に掲げたリンク先の写真は、どういうわけか窓の外が明るい。もしかしたら前夜から飲み始めて、ついに夜が明けてしまったというココロなのだろうか。

 

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2020年7月22日

安倍首相、「ゆるふわ系」という道も閉ざされ

安倍政権がヨレヨレである。安倍晋三という人は、とくに大きな問題のない時は「美しい日本」なんて右寄りの雰囲気を発散してさえいれば間がもつのだが、ちょっと難しいことが起きてしまうと、処理能力の欠如(敢えて別の言い方をすれば「頭の悪さ」ね)がバレバレになってしまう。

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こんな状況だから、「現代ビジネス」先月 20日付に "なぜ若者は、それでも「安倍晋三」を支持するのか" という記事に驚いてしまった。今年 5月の朝日新聞の調査によると、安倍政権に関しては「支持 29%・不支持 52%」だったのだが、29歳以下に限ると「支持 39%・不支持 38%」だったという。

つまり 29歳以下の層では、支持率が不支持率をわずか 1%ながら上回っていたのである。コロナ問題がこじれて以降だというのに、60〜69歳の年齢層の「支持 21%・不支持 67%」という数字とは、まったく様相が異なっている。

ちなみに若年層では「(安倍首相を)批判する奴は陰キャ」と言われるらしい。「陰キャ」って何だよ? とググって見ると、「陰気なキャラ」の省略系だそうで、反対語は「陽キャ」。ちょっと前の「ネクラ/ネアカ」と共通する言葉らしい。

へえ! てことは、若年層においては安倍政権不支持を鮮明にすると「陰キャ=ネクラ」扱いされてしまいかねないのか。

そもそも、若年層では安倍首相がどんな具合に支持されているのかといえば、それは政策そのものが支持されているというのではないようなのだ。若年層にユーザーの多い動画 SNS である TikTok で「安倍晋三」をキーワードに検索すると、次のようなことになるという。

そこには「ゆるふわ系おじさん」としてちやほやされ、親しみをもって「イジられる」内閣総理大臣の姿があるはずだ。

「安倍さんに会ってハイタッチしてくれた!」と喜ぶ動画、自作の「アベノマスクのキャラ弁」を紹介する動画、会見する安倍総理の顔をアプリを使って「かわいく」加工した動画――これらが多いもので20万件以上の「いいね!」を獲得している。

というわけで、こんなことになるらしいのだ。

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ただ、これは先月 20日時点のお話で、最近は安倍首相自身の表情がかなりの「陰キャ」系になってしまったので、話は変わってしまっているだろう。思いがけない唯一の「売り」がこんなことで閉ざされては、もう先はないね。

 

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2020年7月21日

京都は思い通りにならない街

加古川の帰路、少し時間に余裕があったので、京都に途中下車した。JR 加古川駅から京都まで行く「新快速」(JR 東日本でいう「特別快速」に相当するかな?)というのがあったので、それに乗ってみたのだ。

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ほぼ 1時間半かけて 9時前に京都に着くと、私の晴れ男ぶりが強すぎたのか青空が広がって気温がぐんぐん上がり、律儀にマスクなんかしていたら暑くて死にそうになる。そんなわけで、街を歩くときはマスクを外す。

思えば、京都の街には何度来たか知れない。初めて来たのは高校 3年だった 17歳の夏で(もう、半世紀以上経ったのか!)、それからほぼ毎年のように来ている。1年に複数回ということも多いから、多分 100回近く来ているだろう。上の写真は来る度に参拝する東本願寺だ。

京都の次に度々訪れた街は、名古屋である。一時ウール関連の仕事をしていた時に、ほぼ隔月で名古屋で開かれる会議に参加していた。名古屋から岐阜にかけては日本のウールの中心地だが、総合的な見所としては、そりゃ、京都には太刀打ちできない。

初めて京都を訪問した 17歳の夏のことは、5年前に「新幹線特集の番組を見て思ったこと」という記事でちらっと触れたが、ドヤ街に泊まり、チリとドイツから来たというおねえちゃん 2人と意気投合して、あちこち一緒に廻ったのだった。山形県のど田舎の高校生にしてはちょっと得がたい経験である。

外国人と 2日間にわたってべったり付き合ったなんて生まれて初めてのことで、あんなに英語でしゃべりまくったのも初めてだった。「俺の英語って、ちゃんと使い物になるじゃん!」と自信を持ったのはこの時である。ちなみに相手が 1人だったら、そのままどうなっていたかわからないよね。

それにしても京都は暑い。来る度に「もう、夏の京都なんて来るものか!」と呟きながら帰路につくが、どういうわけか今でも、夏に訪れることが圧倒的に多い。夏の次は底冷えのする冬が多くて、「季節のいい春か秋にゆっくり 2〜3日滞在してみたい」と毎回思っても、それはなかなか叶わない。

京都は平安の昔から、人の思い通りにならない街である。

 

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2020年7月20日

加古川という街は美人が多い

ほぼ 4ヶ月ぶりの出張で、今夜は兵庫県加古川駅近くのホテルで一泊する。加古川の地は、昨日までは昼頃は晴れても夕方前から雨になるとの予報だったが、どうやら降らずに済みそうだ。明日に寄り道する予定の京都も、夕方過ぎまで降らずに済むとの予報に変わっている。我ながら、晴れ男ぶりがありがたい。

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加古川という地名を聞くと、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の登場人物、加古川本蔵を思い出す。松の廊下で塩冶判官(モデルは浅野内匠頭)が高師直(モデルは吉良上野介)に斬りかかるのを、「殿中でござる」と羽交い締めにして止めた人物だ。

この行為が、周囲から「武士の情けを知らぬ」と難じられたが、討ち入りの前に高師直邸の絵図面を差し出して計画を助け、絶命する。「余計なことをしたが、最後にはしっかり本心を伝えて果てる」という、歌舞伎で言うところの「モドリ」という役柄の典型だ。

まあ、実際に来てみれば、加古川の街並みには忠臣蔵の気配なんてまったくなくて、ごく普通の地方都市だ。ただ、行き交う女性にやたら美人が多い。なかなかの街である。

【7月 21日 追記】

今日は本日付にも書いたように、京都にちょっと寄り道して帰ってきたのだが、そこでも行き交う人に美人が多いような印象を受けてしまった。

よくよく観察してみると、道行く人のほとんど全員がマスクを着用しているので、妙齢のご婦人が目の周りをバチッと化粧をしていさえすれば、大概美人に見えてしまうのだった。最近はあまり徒歩で街中を歩く機会がなかったので、この新しい状況にこちらの目が慣れていなかったようなのである。

というわけで、ぶち壊しみたいな付け足しで大変恐縮だが、加古川のご婦人はとくに美しく見えたということで、よろしく。

 

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2020年7月19日

見附市役所の「安心して感染したい」という記事

新潟県見附市の Facebook が話題だ。下の画像は、7月 15日付の「安心して感染したい」という記事に添えられたものである。この「物騒なタイトル」の意味するところは、「もし新型コロナウィルスに感染しても、安心して治療に専念できる見附であって欲しい」ということだそうだ。

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この記事を書いたのは、見附市公式レポーターの村上透さんという人だが、記事の最後を次のように結んでいる。

明日、自分が感染していないと自信を持って言える人は一人もいないからこそ互いを想い合う空気をまずは自分から創って行きたいと思います。

こうした思いがマジョリティを占めるのであれば、新型コロナウィルスに関する世の中の空気は、これほどまでにとげとげしいものじゃなくなっているだろう。

まさに「ひと」である。

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2020年7月18日

日本人はテレワークが苦手のようなのだ

下の図は、ニュースサイト「スラド」の「在宅勤務時の生産性が低いと感じる人の割合、調査した10カ国では日本が最も高いという結果」というニュースに関連して、PC Watch に乗った「在宅勤務での生産性は、オフィスで勤務するより下がるとした解答者の比率」である。(図のクリックでリンク先に飛ぶ)

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アンケートは日本、米国、ブラジル、メキシコ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、中国、インドの10カ国で、企業/団体の従業員/職員20,262人を対象に行われたが、日本は「在宅勤務時の生産性は、オフィスでの執務時に比べて低い」という回答が、10カ国平均の13%を大きく上回る 40%となった。

逆に見れば、過半数となる残りの 60%は「在宅勤務時の生産性は、オフィスでの執務時に比べて低い」とは答えなかったというのが多少の安心要素になるとはいえ、10カ国平均の 3倍以上で断トツというのがすごい。少なからぬ日本人は、一人でテレワークするのがかなり苦手のようなのである。

日本人のこうしたネガティブな回答の理由としては、67%が企業のテクノロジー投資の少なさを挙げた。「在宅勤務に必要な機材を会社が全額負担したという回答は 31%、1人あたりの IT機器購入金額は 132ドル(世界平均273ドル)と、いずれも10カ国中最低だった」とされている。

何しろ日本の企業は、出社して仕事をするのが基本のキホンと考えているから、自宅で仕事をするための機材購入費を会社が負担するなんてことは、かなり敷居の高いことであるらしい。そんなことだと家ではまともな IT 機器を使えないので、生産性が下がるのも当然だ。

ただ、スラド記事には「それは本当の理由ではないと思う」というコメントが付いているのが興味深い。"一番の問題は「自分の視野に居る人間としかよろしく出来ない人間が多い」だと思うよ" というのである。私もこの見方には賛成だ。

もっと端的に言えば、「同じオフィスでごちゃごちゃっとした中に埋没しないと、仕事をしているような気分になれない」ということなのだろう。少なからぬ日本人は、独自の段取りを考えてガガーっと仕事をこなし、さっさと「一丁上がり」にしてしまうことに馴染めないようなのだ。

こんなことだから、会社としてもテレワーク用の機材なんてまともに買ってくれないのだろう。

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2020年7月17日

漢字の「四」がこうした字になってしまったわけ

Quora という Q&A サイトに、「なぜ漢字の四はこんな形なのですか?」という質問が寄せられており、その回答が「へえ! 知らなかった!!」というレベルだったので、ちょっと感動してしまった。下の図は、その回答に添えられたものである。

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寄せられた回答は、端的に言えば「当て字の方が正式な字になってしまったから」というものだ。つまり「四」という字は、元々は「当て字」だったというのである。

具体的な話はリンク先に飛んでいただければ詳しく書いてあるが、大昔の元々の漢字では、四というのは「二」を縦に 2つ重ねて書いた形、つまり「横棒が 4本」だったという。上の図の右側が、元々の 「一、二、三、四」だったというのだ。

ところが、見た通り「横棒が 4本」では、他の漢数字と続けて書いた時にわかりにくい。そこで、「シ」と読む同音異義の「四」を当て字として用いるようになり、いつの間にかその方が正式になってしまったというのである。

ちなみに「四」というのは、元々は「口の中に歯や舌が見える様子」を表した象形文字で、「息」を意味する漢字だったという。念のため重ねてググってみたが、"漢字の「一」「二」「三」の次がいきなり「四」になるのはなぜなのか?" というページにも同様の説明があるので、一応信じていいだろう。

いやはや、知らんことってあるものである。

こうなると "「五」という字は、「三」に縦の棒 2本を足してできたのか" なんて考えたくなってしまうが、それは「素人の浅ましさ」というもので、実際には下図のような成り立ちらしい(参照)。「五行説」から来ていて、結構深いのだ。

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なるほど。「三」の字に単純に縦棒 2本を加えたら「日」の字になって、「火・水・木・金・土」の五行説からビミョーに離れてしまう。

以上、本日は「漢数字講座」のお粗末。

 

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2020年7月16日

強行軍の旅から帰った

山梨県と静岡県へのクルマでの出張から帰ってきた。帰りは東名高速の御殿場・大井松田間の事故による通行止め(参照)で、所要時間の目算が大幅に狂い、運転席に座りっぱなしのせいで腰が痛くなってしまったよ。

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東名高速で事故があり通行止めになっているというのは、朝のニュースで知っていた。だが、その事故処理は昼過ぎ頃には終わるだろうと軽く考えていたため、何のことなく浜松から東名高速に乗ったのだが、その時点でまだ通行止めという表示が続いていたのである。

浜松から御殿場までは 1時間半ぐらいかかるから、いくら何でもそれまでには正常化するだろうと期待しながら運転していた。しかし実際には、御殿場インターから先の通行止めは続いているではないか。ようやく高速から降りてもノロノロ運転で、こちらとしてもじれてしまった。

それで敢えて経路を変え、昨日の旅先だった山梨県に北上し、中央高速に入って帰ってきたというわけである。帰路は 4時間ぐらいと想定していたのだが、この通行止めのせいで 6時間かかってしまった。でもまあ、中央高速から圏央道経由で、都心の渋滞は避けられたと思うのでよしとしておこう。

それにしても、この 2日間はあれだけ豪雨の続いた梅雨の中休みで、少しも降られなかった。まことにもって自分の晴れ男ぶりがありがたい。来週草々、今度は兵庫県に行くのだが、この調子で晴れてもらいたい。そして新幹線がちゃんと動いてくれることも期待しておこう。

 

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2020年7月15日

3ヶ月半ぶりの旅に出ている

3ヶ月半ぶりの旅に出ている。先月 2日には「旅に出ないとカラダがもたない」なんていう記事を書いて、「旅に出たい症候群」に悶々としていたのだが、ようやく今日、クルマで山梨県に出張し、そのまま南下して静岡県に入った。今日は浜松のホテルに泊まっている。

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上の写真は浜松インター近くのホテルの窓から見た夜景。こんな写真はさっぱり特徴がなくてどこの風景だかわからないが、個人的には「やっと旅の空の下で眠れる」と、欲求不満解消の心地がしているところだ。

山梨県の本日の天気は、予報では午後から小雨が続くことになっていたのだが、見事に雨にはならなかった。明日の浜松は、朝から夕方までは晴れマークが付いていて、晴れ男の面目躍如だ。本当に私の出張先は、99%以上の確率で降らないのである。

今日は早朝につくばの地を発ってずっと運転し続け、強行軍の仕事だったのでさすがに疲れた。明日もまた強行軍が続くので、今夜は早めに寝ることにする。

おやすみなさい。

 

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2020年7月14日

お盆の帰省は控える方がいいかも

FNN プライムオンラインに "「絶対に帰るな」帰省を相談した父の返答が話題…岩手県担当者語る “感染者ゼロ” ゆえのプレッシャー" という記事がある。Corvid-19 感染者ゼロの(7月 14日現在)岩手県らしい話だ。

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岩手県に限らず、首都圏や京阪神以外の在住者は、帰省客がどっと増えるお盆を恐れているだろう。当ブログでも 一昨日の ”「Go To トラベル事業」というもの” の記事に柘榴さんが、「正直なところ、期間中は関東を封鎖してもらいたいくらい」とコメントしてくれているほどだ。

私自身、一昨日の記事にはキャンペーンの補助金に関して「お盆の里帰りでみみっちく申請するという手があるし」なんて書いているが、里帰りされる側にしてみれば「帰ってこなくていい」というのが本音かもしれない。よくよく考えれば、キャンペーンの無意味さがますますわかってくる。

Corvid-19 の感染者が多いのは圧倒的に東京都を中心とした首都圏だから、そこからの帰省旅行が増えれば、ウイルスを地方に大々的に拡散させる動きとなってしまう。とくに地方は高齢者が多いから、不安は大きいだろう。

個人的な話としては、私の両親は既に他界してしまっているから、田舎に帰ってもしょうがない。仕事で出張する以外は、つくばの地に留まっていようと思う。

 

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2020年7月13日

「シャンプーバー」というものがあるらしい

本日の TBS ラジオの昼の番組「ジェーンスー生活は踊る」の冒頭で、「本日の特集はシャンプーバー」と言う。シャンプーをいろいろ取りそろえた売り場を紹介するのかなんて思ったが、実はまったく違っていて、「固形シャンプー」のことなのだそうだ(参照)。

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この「シャンプーバー」というものがなぜ注目されているのかというと、「環境にやさしいから」ということらしい。液体のシャンプーはプラスチック・ボトルに入っているが、ELLE Shop によると、次のようなことになっている。

「Planetoscope」の調べによるとフランスでは、毎秒5個、そして 1日 47万 6千ものシャンプーボトルが消費されているとのこと。一方、シャンプーバーは、紙での舗装が一般的。処方はもちろん、パッケージも地球に優しいことで支持を集めている。

へえ、そんなこととはちっとも知らなかった。だが、ウチでは詰め替え用袋入りのシャンプーを買っているみたいだから、ボトルの無駄遣いはしていないと思う。ここで「思う」なんてはっきりしない言い方をするのは、私自身はほぼ 30年にわたってシャンプーなんて使わずに、固形石けんで洗髪しているからだ。

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ご覧のように、一昨年の 4月 16日付で「固形石けんで髪を洗うのだ」という記事を書いている。頭の先からつま先まで、無添加の石けんで済ませていて、リンスなんかも使っていない。

というわけで、「シャンプーバー」というのはいかにもお洒落っぽい商品だが、「固形石けんとどう違うの?」なんて思ってしまうわけなのである。まあ、「それなりにそれっぽい成分」が入っているということなのだろうけどね。

ちなみに「バー」というからには「棒」のような形なのかと思ってしまうが、写真を見ると四角っぽい。まあ、「チョコレート・バー」と言えばあの平べったいチョコレート 1枚のことだし、「石けん 1個」のことは "a bar of soap" なんて言い方をするので、これでいいのだろうと思うしかない。

 

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2020年7月12日

「Go To トラベル事業」というもの

旅に出ないとカラダがもたない”(6月 2日付)とか、”2020年も半年が過ぎ、ようやく「旅」に戻れる”(7月 1日付)とか書いた私が言うのもなんだが、観光庁がよりによってこの時期に「Go to トラベル事業」なんていうプロモーションを行うのは、疑問符つきまくりだ。

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事業の内容は、上の画像をクリックして縦スクロールすれば確認することができる。申請書を提出すれば、旅行に要した費用の幾ばくかを補助してもらえるというシステムのようだ。

ネット上では「コロナ騒ぎが収まっていないこの時期に、人の移動を促進してどうする」とか「そんな金があったら、今回の豪雨被害復興支援に使え」とかの批判が数多く見られ、私としても「その通りだよね」と思ってしまう。お上のやることといえば、たいていこんなものだが。

まあ、そこはコロナ問題の広がる前から内々に予定されていた利権事業のスケジュールみたいなものがあったんだろう。「夏休みが終わったら実施のタイミングがないから、見切り発車だ」ってなことになったのだとは容易に想像がつく。

ここまで来てしまったら勝手にやらせておくほかない。コロナ騒動で実入りが減った層にとっては、お盆の里帰りでみみっちく申請するという手があるし、無駄遣いということに関しては既に「アベノマスク」が大いに目立ってしまったから、「大問題」というほどにはならないだろう。

ただ、そもそもの話で言えば、キャンペーンの名称自体がダサすぎる。"Go to school" なら「学校に行け」だが、「Go to トラベル」だと「トラベル(というところ)に行け」って意味合いになる。

何だか訳がわからないが、とりあえず行ってらっしゃい。

 

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2020年7月11日

通勤電車は相変わらず満員らしいのだ

「ステイホーム」の期間が長引くうちに「満員電車には乗れない体になってしまった」と書いたのは、つい 2ヶ月足らず前の 5月 16日である。 私の体はずっとそのままだが、東洋経済には早くも「「出勤を再開する人」を増やす日本株式会社の闇」という記事が載ってしまっている。

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定年過ぎの再雇用で、週 3日定時出勤の日常に戻った年下の知人は、「朝の通勤はしっかり『満員電車』ですよ。まあ、以前より少しはマシかなという気もしないではないですが」なんて言っている。それを聞いて私は「ああ!」と嘆息した。いや、ここはちょっとヘビーに「嗚呼!」と表記すべきかもしれない。

今回の「コロナ騒動」が、少しは日本型ビジネス社会の弊害の是正に貢献することもあるかと期待したのだが、この間の経過は、日本人の「従順さ」というものを思い知らせるようなことになっている。

冒頭に紹介した東洋経済の記事は、弁護士で名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授でもある植田統氏の署名記事。彼はこの現象を、「メンバーシップ型雇用が生み出す弊害」と断じている。「メンバーシップ型」と「ジョブ型」の雇用形態の違いは、彼によると次のようになる。

ジョブ型雇用は、明確に定義された職に対し、そのスキルを持った人間を雇用する。いわば「その人間のスキルに対して金を払う」という欧米型の合理的な制度である。これに対し、メンバーシップ型雇用には、スキルに対して報酬を支払うという発想はなく、組織に対するロイヤルティに対して報酬を支払う。

日本の企業では高いスキルを持った個性的な社員よりも、人脈内での調整能力だけは優れているみたいな社員の方が得てして出世が早い。社外の人間に「おたくの〇〇さんは、デキるね」なんて評価される社員より、社内で「あの人に従っていれば何となく安心」程度に思われている人間が、結局社長になる。

これは、「突出」より「協調」が求められるのだから当然だ。そんなわけで、できれば常に会社で顔を揃えて、いろいろ空気を読みながら仕事をしなければならない。

こうした「日本株式会社」的な土壌が変わらない限り、テレワークなんて一般的にはならないし、満員電車もいつまでも残るのだろう。ただ、そんななかでもつい最近、富士通が「原則テレワーク」のコンセプトでオフィス規模を半減するという方針を打ち出した(参照)。この動きに注目してみたい。

 

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2020年7月10日

自然破壊進行で、動物から人間への感染症増加

新型コロナウイルス感染症(corvid-19)のような動物と人間との間で感染する病気は、「動物由来感染症(ズーノーシス/zoonoses)」と呼ばれる。そして HUFFPOST は、このズーノーシスが自然破壊の進行に伴って増加するという国連の警告を伝えている(参照)。

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実を言えば、昨日の当ブログの「肉を食うのは環境によくない」という記事も、本日のこの問題との関連で論じるために、10ヶ月も前の昨年 9月の HAFFPOST の記事(参照)をほじくり出して書いたものだった。つまり肉食と環境破壊、そしてズーノーシスは、一つながりで語られていい問題ということだ。

ちょっとペダンティックに迫ると、ズーノーシスはラテン語では xenosis(ゼノーシス)となり、日本獣医学会のサイトに「xeno はラテン語で異種、nosis は病気の意味」とある(参照)。なるほど、英語で考えると「動物園の鼻?」となってしまうが、"noses" の元はラテン語の "nosis" だったのか。

HUFFPOST によれば、「これまでに確認されている感染症の 60%、最近新しく認知された感染症の 75%がズーノーシス」だという。つまり、時代が下るにしたがってズーノーシス感染に加速度がついているわけだ。これは人間による自然破壊拡大の「因果応報」的結果といえるだろう。

ズーノーシスは古くはペスト、結核、赤痢、狂犬病、インフルエンザなどがあり、比較的新しいものでは、エイズや corvid-19 のほか SARS、MERS などが挙げられる。いやはや、結核やインフルエンザもズーノーシスとは、知らなかった。決して非日常的なものではないのだね。

このまま自然破壊が進めば、今回の corvid-19 以上に感染力が強くて危険な感染症が、いつ人間社会に入ってこないとも限らない。その意味でも、環境保護は決して閑人や金持ちの道楽ではなく、緊急の課題なのだと認識しなければならない。

 

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2020年7月 9日

肉を食うのは環境によくない

豚や牛などの肉を食うのを控えるようになって 6〜7年、そして完全に止めてから 3年ほどになる。動物性の食べ物を一切食べないのは「ヴィーガン」だが、私の場合は魚や虫(イナゴとかね)は食うので「ペスカテリアン」である。

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HUFFPOST は昨年 9月に「肉を食べることは環境に悪影響? デンマーク、スウェーデン、ドイツが食肉税を検討するワケ」という記事で、次のように伝えている。

多くの先進国では肉離れの動きが広がっています。国連が委託した最近の報告書では、食肉消費量を減らすよう勧める政策のほか、気候変動緩和対策の一環として菜食中心の食事が推奨されています。

肉食が盛んなのは先進国というのは、既に時代遅れの考えとなりつつある。このニュースでは「ドイツ、デンマーク、スウェーデンなどの国では食肉税が検討され、肉を食べる人は非難の矢面に立たされています」という。

食肉用の家畜を育てるには膨大な土地、飼料、水が必要とされる。さらに国連食糧農業機関(FAO)によると、畜産業は人為的に排出される温室効果ガスの約 15%に相当する年 7.1ギガトン(CO2換算)を排出している。つまり、肉食は環境破壊に加担することになるのだ。

このため、検討されている食肉税のようなものは、たばこ税などとともに「罪の税」と呼ばれ、公衆衛生と健康を促進するものと考えられている。しかし一方では、「低所得者層に不公平な負担がかかる」として反対する主張もある。

これ、注目である。先進国における「食肉税」の「低所得者層に不公平な負担がかかる」という認識は、極端に言えば「肉は貧乏人の食い物」になりつつあるということだ。もはや日本の金持ち連中も、高級牛肉をありがたがって血の滴るようなステーキなんて食ってる場合じゃない。

肉食と畜産業が温暖化ガスを増加させる要因となっているのは確かなことだが、「強力な既得権者と権力中枢の存在が、食生活の変化に関わる政治経済を極めて困難にしている」とも言われている。つまり「お肉大好き」な保守層が、畜産業を保護したがっているわけだ。

私は「健康のためなら命も惜しくない」というパラドックスをよく引き合いに出すのだが、「肉を食うためなら命も惜しくない」では、洒落にもならない。

「食と環境」の問題を自覚的に考えるならば、肉食を減らすことが望ましいというのは当然の結論だ。個人的にはペスカテリアン仲間が増えることを強く望んでいる。

 

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2020年7月 8日

正座と胡座(あぐら)

「知識連鎖」に「正座の由来は格下の座り方 歴史的にはあぐらが古く千利休もあぐらだった」(7月 7日付)という記事がある。下の画像を見ればわかるように、千利休は確かにあぐらで座っている。

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Wikipadia の「正座」の項にはm次のようにある (参照)。

正座とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であった。
平安装束に見られる十二単や神職の袍は、下半身の装束が大きく作られており、正座には不向きで、あぐらを組むことを前提に作られている。

江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。

なるほど。正座というのは、将軍に相対する時の姿勢が広まったもので、さらに畳の普及と切り離せないようだ。上の図のように、エラい人が半畳分ぐらいの座に胡座をかいているのに、いくら下座の者と言っても、堅い木の床の上に正座しろというのは気の毒過ぎるだろう。

ただ、椅子に腰かける姿勢に慣れてしまった今となっては、畳の上の正座も足がしびれてキツいが、胡座も案外しんどい。長く座っていると腰が痛くなってしまうのである。

胡座というのは、どうしても背中が丸まってしまう。背筋を伸ばして胡座をかこうとすると、正座よりも辛くなってしまう。そんなことも、江戸時代以後は正座の方が文字通り「正しい座り方」となってしまった由縁だろう。

さらに今となっては、長時間の仕事をしようとしたら椅子でないともたない。座卓で仕事をするなんて御免こうむりたいが、明治の頃はあの夏目漱石も胡座で座卓に向かい、『我が輩は猫である』を執筆していたもののようだ(参照)。

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それにしても、明治の文豪の机の上(のみならず床の上も)って、とんでもない乱雑さである。あるいはこれ、一種の演出なのかなあ。

【7月 9日 追記】

小説家の書斎の乱雑さは明治の文豪に限らないようだ。その中でもトップは昭和の坂口安吾かもしれない。これは終戦直後の 1946年の写真だが、こちら を読めば演出でもなんでもないことがわかる。ちなみに、しっかりと胡座である。

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2020年7月 7日

「一極集中」から脱却するチャンス

愛読ブログ「駅前糸脈」で、「一極集中を打破する好機」が語られている。東京への一極集中からの脱却を、「新型コロナを機会に口先の言葉だけでなく、推し進める必要がある。新しい生活様式以上に新しい生活の場を提供することが政府の仕事だろう」というのは、とても納得できる主張だ。

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この種の議論で最近驚いたのは、数日前のラジオ番組(何の番組だか忘れたが、いずれにしても TBS ラジオ)で「テレワークを推し進めると、どこに住んでもいいのだから、結果的に東京への一極集中を推進することになる」なんて力説する解説者がいたことだ。

「はあ?」と言いたくなる話である。

思うにこの人、よっぽど「東京大好き人間」なのだろう。例えば、地方の支社の仕事をすることになっても、これまで通り東京に住みながら地方の仕事をこなすことができるのだから、いいじゃないかというような考えなのではなかろうか。

つまり「どこに住んでもいいというなら、もちろん東京に住みたいよね」という考えこそが一般的なものと信じているのだろう。彼は「毎日都心に通勤しなくて済むなら、空気が汚れて地価の高い東京なんかより田舎に住む方がいいよね」という考えは理解できないに違いない。

そしてよく考えると、この「できれば東京に住みたいよね」という前時代的、あるいは因習的な考え方こそが、「一極集中」の根本的な原因なのだろうと思い当たった。ここで敢えて「前時代的/因習的」という強めの言葉を使ったのは、このくらいの「思い切り」が必要と思ったためである。

「駅前糸脈」でも、「都落ちを死語にしよう」と書かれているし。

昨日 ”富士通がテレワークを「常態」に” というニュースを聞いて、「それでこそ!」と膝を打った。今回の「コロナ騒動」がこうした「強い思い切り」を促進させる契機になるなら、悪いことばかりともいえない。

 

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2020年7月 6日

「明日は七夕」というのだが

明日は 7月 7日で「七夕」ということになっていて、THE GATE というサイトの「日本の七夕文化について詳しく学ぼう」という記事に、「日本三大七夕まつり」というのが紹介されている。

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この記事のおかげで、最も有名な「仙台七夕まつり」以外の 2つは「湘南ひらつか七夕まつり」と、「安城七夕まつり」(愛知県)なのだと初めて知った。おもしろいのは、この「日本三大七夕まつり」の紹介が、次のような始まり方をしていることである。

七夕の時期になると、日本各地で開催される七夕まつり。地域によっては旧暦の7月7日、現在の8月に開催する場所もあります。

「七夕」という日本でもメジャーな行事の開催時期が、地域によって一定していない。今となっては新暦の 7月 7日が一般的になったが、「月遅れ」の 8月 7日というのも多く、旧暦の 7月 7日(新暦 8月上旬〜下旬が多い)というのも案外根強い。

紹介されている「日本三大七夕まつり」では、仙台のものが代表的な「月遅れ七夕」で 、安城が 8月の第一金・土・日の 3日間、そして平塚では「毎年 7月上旬」と含みを持たせてある。見方によってはかなりいい加減なものだ。

仙台の場合はさすがに最も有名というだけあって 6日から 8日と明確に定められているが、残る 2つは、要するに「観光の都合優先」というのがみえみえだ。元々のいわれとか伝統とかいうのは、いくら夏休み期間中とはいえ、地元経済の前には霞んでしまうようなのである。

これについては前にも書いている(参照)が、王道は「旧暦の 7月 7日」で、今年の場合は 8月 25日がそれに当たる。「そんなに遅いの?」と言われるかも知れないが、俳句でも「七夕」は「秋の季語」なのだから、実は立秋以後になるのが本来であり、意外でも何でもない。

フツーに考えれば、「そろそろ夜が長くなってきたね」と実感される頃こそが七夕に相応しい時期で、梅雨も明けないうちの新暦 7月 7日では「彦星、織姫が可哀想すぎ」というほかない。個人的には、この設定は無茶苦茶だと思う。

 

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2020年7月 5日

熊本豪雨のニュースで思う

今回の豪雨で、熊本が大変なことになっている。私は熊本には何度も訪れていて、知り合いも結構多いので心配で仕方がないのだが、下手に電話しても混乱を生じさせるばかりなので控えている。まあ、知り合いのほとんどは熊本市内なので、なんとかなっているだろうとは思うが。

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上の写真をクリックすると西日本新聞の「熊本豪雨、17人心肺停止 球磨川は8カ所氾濫」という記事に飛び、上から 2番目の画像をクリックすると、動画がスタートする。とにかく濁流が橋の上を流れるという惨憺たるありさまである。

今回の豪雨も予報では「数十年に一度の豪雨」なんて表現されていたが、近頃は同じ「数十年に一度」という触れ込みの大雨が毎年あるような気がしている。3年前の今頃、 ”「数十年に 1度の大雨」 が、1年に何度もある時代“ なんていう記事を書いているのを思い出した。

さらにその 4年前の 8月には、"「20年に 1度の大雨」から「経験したことのない大雨」に" なんてタイトルの記事まで書いていて、今回の豪雨も気象庁は 4日午前の記者会見で「これまでに経験したことのない大雨になる」と表現していた(参照)。ちなみにこの表現も、近頃は毎年聞く気がする。

つまり日本の気象は、既にこれまでの常識にかからなくなっているということで、経験知が頼りにならないことを意味する。「これまでだって大丈夫だったんだから」とか、「いくら大水でも我が家まで水は来ないと、ジイさんの代から言われてる」といった言い草が、もはや通用しないのだ。

今回の豪雨でも、逃げ遅れた人が屋根の上に避難している動画が嫌と言うほどニュースで流れた(参照)。「どうしてこんなことになるまで避難しないでいたのだろう」と思われるだろうが、私は 2年前の今頃、"そもそも、水害が差し迫っても「人は逃げないもの」らしい" という記事を書いている。

実は私自身、1986年 8月の豪雨(参照)で、近所の高台の中学校に一家で避難した経験がある。この時は、幼い娘 2人に、3人目を妊娠中の妻と犬 1匹を連れての避難だった。我が家の被害は床下浸水止まりだったが、今でも「あの夜は安心して寝られただけ、避難してよかった」と思っている。

この経験からも、「大雨で避難勧告が出たら、迷わず逃げる方がいい」とオススメする。死なないまでも、水に浸かったせいで低体温症なんかで病院に担ぎ込まれたりするよりずっといい。

 

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2020年7月 4日

「コロナ」の影響で、上海のコピー商品市場が窮地

TBS テレビが 7月 1日に報じた "上海最大 違法コピー商品市場が窮地" というニュースのビデオをたまたま見つけた。コピー商品販売の店が 400店ほど並んでいた地下街で、今、300店以上が閉店してしまっているというのである。

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これは新型コロナウィルスによる感染症拡大により、外国人の入国が 3ヶ月にわたり制限されているためだ。ということは、これらのコピー商品の顧客の 7割以上は外国人で残りが中国人ということなのだろう。外国人の中には、当然ながら日本人も含まれるはずだ。

ビデオでは、「定価が 1万円以上する時計」が 200元(約 3,000円)、45万円するはずのバッグが「約 1万円」で売られていると報道されている。今どきこんなビジネスが続いていたのかと、ちょっと驚いてしまった。

1980年代のバブル全盛期は、街を行く「若いオネエチャン」が、ルイ・ヴィトンのモノグラムの入ったバッグをぶら下げていた。その中にはコピー商品も少なからず混じっていたのだろうが、そんなことはお構いなしだった。

しかしそれは 30年も前の話で、今となっては完全にアウト・オブ・トレンドなのだと思っていた。"有名ブランドロゴが入ってると逆にダサい" とか "世間の反応「ルイヴィトン、ダサくね?」" とかいう記事もあるほどで、既に「カッコ悪いことの典型」になってしまったという理解だったのである。

私自身、8〜9年も前にこんなような記事を書いているし。

ヴィトンのバッグがクローゼットの奥にしまわれる日 (2011/03/18)
ヴィトンの価値が変容した今 (2012/08/25)

しかし現実には、上海駅の地下街にそれほど多くのコピー商品の店があるというのだから、有名ブランドをありがたがる風潮は、今まだ消え去っていないようなのだ。世の中、本当にわからないものである。

個人的にはブランド全盛だったバブルの頃から、たとえ本物であっても「ヴィトンとかエルメスとか、ただでくれてやると言われても、邪魔くさいからいらねえ!」ぐらいに思っていた。そんなわけだから、金を出してまでその偽物を買おうなんていうメンタリティがまったく理解できない。

こればかりは、「人間の業の深さ」というほかないような気がしている。ただ、この TBS ニュースは「新型コロナの思わぬ余波で、コピー商品が溢れる中国というイメージが払拭されるかもしれません」と結ばれていて、「業にもいろいろあるものだ」と思ってしまったことである。

 

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2020年7月 3日

死に体を乗り越えろ、香港!

昨年 11月 25日に「死ぬなよ、香港!」という記事を書いている。前世紀中の 1980〜90年代のことだが、私は香港に何度か行っているので、結構身近に感じているのだ。

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私が香港を訪れた目的はお気楽な観光や買い物などではなく、すべて「オン・ビジネス」の出張だったので、現地の人たち(主にアパレル/ファッション業界人)と親しく交流している。彼らの多くは既に還暦を超えているだろうが、今回施行された「国家安全法」には大きな脅威を感じているはずだ。

ちなみに昨年 11月の記事の冒頭は、こんな具合だ。

私は今月に入ってからというもの、香港の自由は既にほとんど「死に体」という気がしていて、自由を求める人たちは今のうちに香港を脱出した方がいいんじゃないかとまで思っていた。しかし香港区議選で民主派が圧勝したことで、「香港はまだ死んでない」と思い直した。まだ一縷の望みはある。

しかし、この「一縷の望み」も途切れかけているように思える。中国問題に詳しいジャーナリストの福島香織さんも「香港を殺す国家安全法、明らかになった非道な全文」という記事を書いている。

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この「国家安全法」の非道さは、「外国人が外国で、香港住民に中国や香港政府への憎悪を募らせる言動をした場合もこの法律が適用されうる」なんていうとんでもない内容からも如実にうかがわれる。つまり極端に言えば、こんなことを書いている私だって罪に問われかねないのだよ。

この関連で英国は、香港に住む「英海外市民」290万人の受け入れを表明している(参照)。香港における「英海外市民」(BOTC - British Overseas Territories citizen)とは、「香港返還よりも前に登録された香港の住民権を持つ者」(Wikipedia より)ということのようだ。

ということは、1997年 7月 1日以前に生まれて登録されていた香港市民は、英国に渡れば受け入れてもらえるが、23歳以下の若年層はその資格がないから、香港に留まらなければならない。いずれにしても、しんどい運命が待ち受けているだろうが。

さらに言えば英国に逃れて生活しても、この悪法を適用されて身柄引き渡しを要求される可能性だってある。英国政府はそんな要求に応じないだろうが、それならそれで、密かに「処分」されてしまう懼れもあるだろう。

我々のすべきことはといえば、時々思い出したようにでもいいから、声を大にして香港の自由を訴え続けることだ。それが国際世論につながり、中国への一定のプレッシャーになるだろうと期待するしかない。死に体を乗り越えろ、香港!

【追記】

私の香港関連の主な過去記事には、上述のものの他にこんなようなのがある。

香港の自由を守る運動に心の底から共感 (2014/11/25)
香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ  (2019/08/15)
香港の自由を求める闘いにエールを送る (2019/09/01)

 

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2020年7月 2日

「ていたらく」を漢字で書くと「体たらく/為体」

6月 30日の記事への らむね さんの「ていたらくを入力したら為体になった!こう書くのか!!」というコメントで、私もそのことを初めて知った。一般的には「体たらく」だろうが、「為体」という表記にはさすがにはびっくりである。

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コトバンク」で「ていたらく」を引いても上の画像のように、「体たらく・為体」という表記が出てくる(参照)が、このページでたまたま同時に表示された laku-bi.site という会社の広告は、上のような恐ろしい画像である。さらに何度か「再読込」をクリックすると、こんな画像まで出てくる。

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ある意味、「為体」という言葉のページに表示されるに相応しい画像である。ここまで来たら、階段を上るにも息が切れるだろう。

手持ちの漢和辞書で「為体」を引くと、やはり読みは「ていたらく」で、「爲體、すがた。あまり好ましくないありさま、状態」とある。「ていたらく」以外の読みはないようなので、和製熟語なのかもしれない。ちなみに「爲體」と書くと思いっきり仰々しく、上の画像にますますぴったりである

私は 5月 18日の記事で書いたように、このところダイエットとエクササイズに取り組んでいて、冬の間の不摂生で 3ヶ月前には確実に 80kg 以上あったと思われる体重が、今は 74〜75kg を行ったり来たりしている。脂肪が減った分、筋肉も戻ってきているので、数字的にはなかなか減らない。

数字は減らないものの体力は確実に復活していて、結構なスピードで自転車をこいでも息が切れなくなった。もう二度と体重は増やしたくないと思う。

とにもかくにも、上の画像のような「爲體」にならないよう、コンスタントな節制を続けようと思っている。

 

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2020年7月 1日

2020年も半年が過ぎ、ようやく「旅」に戻れる

ほぼ 1ヶ月前になる 6月 2日の記事の中で、"4月と 5月の2ヶ月は「ステイホーム」というわけで、どこにも出かけられないうちにあっという間に過ぎ去ってしまった" (参照)と書いたが、さらに 6月もぼんやり状態のうちに過ぎ、もう 7月である。ということは、2020年も半年過ぎてしまったわけだ。

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厳密に言えば閏年の今年でも 2月は 29日なので、7月 1日の今日を過ごして初めて「366日の半分」が過ぎたということになるのだが、とりあえず「半年が過ぎた」と言っても誰にも怒られないだろう。後から思い出してみても、「2020年の前半は、ただひたすらボンヤリ過ごした」ということになると思う。

なにしろミーティングや会議をするにも「オンライン」ばかりである。3月末の網走への出張以来、自宅から出るのは近所のスーパーに買い物に行くぐらいで、「離れた土地の空気を吸う」という機会が極端に減った。

とにかく最初に持ち出した 6月 2日の記事のタイトルが "旅に出ないとカラダがもたない" というほどで、月に 2〜3度はドサ回りの出張をする生活を何十年も続けてきた私のカラダは、既にそういう作りなってしまっている。それでこの 3ヶ月間は、「旅の禁断症状」に悶えていたというわけだ。

最近は口さえ開けば「旅に出たいよ〜」と呟くばかりで、妻もうんざりしながら「はいはい、わかりました。早くどこかに行けるといいわねぇ」なんて言っていた。それが、ようやく「出張解禁」になり、今月の第 3週から旅に出られるようになった。

長距離移動で新幹線などに乗るときなどは、座席指定を取るにも周囲と間隔が空くように気を付けるなど、いろいろ神経を使わなければならないだろう。それでも、ようやく「旅の空」を眺める暮らしに戻れるのは嬉しい。

ありがたい限りである。これで精神衛生が保たれる。

 

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