「カガ/チガ」じゃなかった、「蚊/血」に見る二律背反
昨日、クルマを運転しながらラジオを聞いていたら、「娘が『蚊』を『カガ』というものと間違えて覚えていた」という聴取者からの便りが紹介され、ほのぼのと笑ってしまった。
投書者の娘さんは小学校 6年生の時、学校で「『カガ』に刺されちゃった」と口走り、先生に「それは『カガ』じゃなく『蚊』よ」と教えてもらったのだそうだ。それまで親としては「蚊が!」と言うばかりだったので、娘さんは、あのプ〜ンと飛んでくる虫の名を「カガ」と思い込んでいたようなのである。
それを聞いて、我が家でも長女が幼い頃に怪我をして「『チガ』が出ちゃった。『チガ』が、『チガ』が!」と焦っていたのを思い出してしまった。それまで我が家では「血が!」と言うばかりだったので、長女は幼心に、傷口から滲むのは「チガ」というものと勘違いしていたようなのだ。
げに恐るべきは「一音節の名詞」である。
と、それで済めば単なる笑い話だが、「蚊」と「血」からの連想ゲーム的に、昨年の東洋経済 ONLINE で読んだ「蚊を叩き潰して血を見た人が知らないドラマ 彼女は子どものために命懸けで侵入してきた」という記事を思い出してしまった。蚊には蚊の、涙ぐましいまでのドラマがあるようなのである。
アカイエカの中でも人間の血を吸うのはメスに限られる。卵の栄養分として人間の血のタンパク質を得る必要があるからだ。そのために危険を顧みることなく屋外から家の中に忍び込み、人の皮膚に穴を開けて血を吸い、さらにその血で重くなった体にむち打って屋外に戻り、産卵しなければならない。
これは小さなメス蚊にしてみれば、途方もないリスクを伴う涙ぐましいまでのミッションだ。彼女の身になってみれば、キンチョーなんかセットして澄ましているのは鬼のような所業である。そう思うとなんだか、蚊が愛おしくさえなってしまいそうだ。
とはいえ今月 28日の記事でも書いたように、人間にとって最も危険な生物はほかならぬ「蚊」であるというのだから、どちらか一方だけの都合でものを考えるというのは、これまたリスキーなのだね。
世の中は二律背反の論理に溢れていて、なかなか厄介である。
最近のコメント