« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月に作成された投稿

2020年8月31日

「カガ/チガ」じゃなかった、「蚊/血」に見る二律背反

昨日、クルマを運転しながらラジオを聞いていたら、「娘が『蚊』を『カガ』というものと間違えて覚えていた」という聴取者からの便りが紹介され、ほのぼのと笑ってしまった。

200831

投書者の娘さんは小学校 6年生の時、学校で「『カガ』に刺されちゃった」と口走り、先生に「それは『カガ』じゃなく『蚊』よ」と教えてもらったのだそうだ。それまで親としては「蚊が!」と言うばかりだったので、娘さんは、あのプ〜ンと飛んでくる虫の名を「カガ」と思い込んでいたようなのである。

それを聞いて、我が家でも長女が幼い頃に怪我をして「『チガ』が出ちゃった。『チガ』が、『チガ』が!」と焦っていたのを思い出してしまった。それまで我が家では「血が!」と言うばかりだったので、長女は幼心に、傷口から滲むのは「チガ」というものと勘違いしていたようなのだ。

げに恐るべきは「一音節の名詞」である。

と、それで済めば単なる笑い話だが、「蚊」と「血」からの連想ゲーム的に、昨年の東洋経済 ONLINE で読んだ「蚊を叩き潰して血を見た人が知らないドラマ 彼女は子どものために命懸けで侵入してきた」という記事を思い出してしまった。蚊には蚊の、涙ぐましいまでのドラマがあるようなのである。

アカイエカの中でも人間の血を吸うのはメスに限られる。卵の栄養分として人間の血のタンパク質を得る必要があるからだ。そのために危険を顧みることなく屋外から家の中に忍び込み、人の皮膚に穴を開けて血を吸い、さらにその血で重くなった体にむち打って屋外に戻り、産卵しなければならない。

これは小さなメス蚊にしてみれば、途方もないリスクを伴う涙ぐましいまでのミッションだ。彼女の身になってみれば、キンチョーなんかセットして澄ましているのは鬼のような所業である。そう思うとなんだか、蚊が愛おしくさえなってしまいそうだ。

とはいえ今月 28日の記事でも書いたように、人間にとって最も危険な生物はほかならぬ「蚊」であるというのだから、どちらか一方だけの都合でものを考えるというのは、これまたリスキーなのだね。

世の中は二律背反の論理に溢れていて、なかなか厄介である。

 

| | コメント (6)

2020年8月30日

地球の猛暑と人間の寿命

下の画像は、weathernews によるつくば周辺地域の週間天気予報である。本日 30日までは熱帯夜だったし猛暑日にもなるようだが、明日からは幾分和らぎ、9月 1日の最高気温は 29℃ で真夏日にならないものとみられる。夜は久しぶりでぐっすり眠れそうだ。

200830

もっとも、9月 3日より先はまた真夏日となり、4日の最高気温は 33℃ なんていうことのようだが、連日の猛暑日と比べればまだしのげる。少なくとも「生きた心地」ぐらいは味わうことができるだろう。

今月 14日の ”「行く夏を惜しむ」なんて心情は、遙か昔のお話” という記事の中で、"1964年 8月の東京は最高気温 35℃ 以上の「猛暑日」というのが 1日だけだったが、昨年は 10日もあったのだ" と書いている。そして今年は 29日までの時点で 10日に達している。

さらに今日も 35℃ になるという予報だから、昨年の記録を上回ることになりそうだ。その他の日でもごくフツーに 34℃ 台が多いので、とにもかくにも「とんでもなく暑い 8月」という実感である。

ところで私は先月で 68歳になってしまった。ちょっと前までは自分が 70歳になるなんて想像すらできなかったが、ここまできてしまうと、あと 2〜3年で死ぬような気は全然しないし、少なくともあと 10年は軽く生きてしまいそうだ。それに気付いて、落語のご隠居じみたことを口走ってしまったのである。

「てぇことは、ナニかい、昔とは様変わりした無茶苦茶暑い夏を、あと 10回くぐり抜けなければならないのかい?」

ムダに長生きするなんて考え物だが、よく調べてみると今どきは 78歳ぐらいでは取り立てて長生きというわけじゃないらしい。日本人男性の平均寿命は 81歳を超えていて、さらに 65歳男性の平均余命は 19.70年(参照)なんていうのだから、85歳ぐらいまでは生きてしまいそうなのだ。

「おいおい、てぇことは猛暑をくぐりぬけるのはあと 10回どころか、16回ぐらいになりそうなのかい? 勘弁しとくれ!」

さらにここ 10年ぐらいの気候の変化を思えば、10年から 16年後ぐらいの夏なんて、文字通り「死にそうな」あるいは「フツーに死ぬほどの」酷暑になっているだろう。そのおかげで「ムダな長生き」をせずに済むというなら、妙にありがたいことになるかもしれないが。

最近、身の回りで「赤ちゃん誕生」の話がチラホラある。コロナ騒ぎのために旦那も入院中の妻を直接見舞うことができないので、独りで健気に頑張って出産している女性が多いらしい。あっぱれなことである。

それより何より最近になって生まれた子は、今後これ以上の暑さを耐えて何十年も生きていかなければならないわけだ。なかなか難儀なことである。こうなると他の天体への移住も考えなければならないなんて話が、俄然現実味を帯びてしまったりする。

ああ、人類も大変だなあ!

【8月 31日 追記】

8月 30日の東京の最高気温は 34.9℃ で、辛うじて猛暑日にはならなかったようだ。今日は 33℃ 程度の予報だから、8月の猛暑日は 2年連続 10日というこになりそうだ。

前の東京オリンピックがあった 1964年の 10倍の数字を、2年連続で記録するわけだ。気候はほぼ半世紀でとんでもない変化を遂げている。

| | コメント (5)

2020年8月29日

「ボクちゃん、お腹痛いから早退する」ってことね

昨日の記事の末尾で、安倍首相辞任に関して "私としては「それ、遅すぎ!」と思うばかりなので、さしあたっては放っておくことにする" と書いたが、やはりそうもいかないので、ちょこっとだけ補足的に書いておこうと思う。

200829

昨日の時点で「それ、遅すぎ!」と思ったのは、私としては今年 5月 21日付の "安倍首相、老けた" という記事で次のように書き、それでほとんどケリがついちゃったと思っているからだ。

これまでの安倍首相はかなり順調に政権運営できていたが、それは今思えば、難しい問題が差し迫っていなかったからというだけのことなのではなかろうか。今回のように困難な問題に出くわしてしまうと、その無能さが際だってしまう。そもそも、それほど頭のいい人じゃないみたいだし。

この人、もうそろそろ年貢を納めて首相の座から降りてしまう方がいいんじゃないかと、マジに思う今日この頃である。

この人、手に余る問題に出くわすと、昨日 Twitter にも書いたけど「ボクちゃん、お腹痛いから早退する」になっちゃうみたいなのだね。あとはゆっくり静養していただきたいということで、この件についてはおしまい。

 

| | コメント (13)

2020年8月28日

当ブログのアクセス数についての私的考察

当ブログの 2017年  9月 5日付に "600万アクセス達成で「書くことの意味」を考える" というタイトルの の記事がある。アクセスが 600万を超えたことを結構喜んじゃってるのだが、この時は 500万から 600万になるまで、つまり 100万アクセスを稼ぐために 2年 2ヶ月かかったとしている。

200828

さらに今年 2月 9日には、"当ブログのアクセス・カウンターの(雰囲気のものとしての)数字 " という、ちょっともって回った風のタイトルの記事を書いている。この時点で当ブログのアクセス数は 1,387万なにがしとなっていたのだが、私はこの数字にちょっとした疑問を呈している。こんな具合だ。

もしかしたら、この間には、昨年 11月 16日付 "ココログの「HTTP化」による不具合" という記事で書いたように、いろいろな不具合が発生して、数字が混乱したという可能性も否定しきれない。

そしてアクセス・カウンターは今朝の段階でさらに廻っていて 1,406万を少々超え、数字上ではほぼ 3年で 800万増えたことになる。うぅむ、そのまま受け取ってしまえば、確かに嬉しい数字には違いないのだがね...。

ウチは 10数年続けているブログなのに、直近の 3年だけで 800万アップして通算数字が倍以上になってしまったというのは、いくら何でも増えすぎと考えるのが自然じゃなかろうか。

冷静に見れば、2月 9日からの半年ちょっとで 20万弱増えているというのは、まあ、実感的にも信頼していい数字だろう。ということは、年間換算すれば 40万弱で、3年だったらその 3倍の 110万ぐらいのもののはずである。800万というのは、ちょっと差がありすぎだよね。

ただこの数字は自動的に表示されたものなので、修正しようにもはっきりした根拠がなく、いじりようがない。というわけで、今年 2月の記事でも、(ブログのアクセス数なんてものは)"読者の皆様も「雰囲気のもの」と割り切ってくださるよう、お願いする次第である” と書いて、ご容赦願っている。

それにしても、ちょっとトボけ通していれば通算アクセス数 1,500万に迫るブログとして澄ましていられるのに、ついこんな内情を書いてしまった。ああ、なんて馬鹿正直な私。

ちなみに 2017年頃 100万アクセス増やすのに 2年 2ヶ月かかっていたということは、年間ベースでは 46万ぐらいということになる。それが最近は年間 40万弱ということは、ありゃ、ちょっと落っこっちゃってるじゃないか。

こりゃ、年間 50万アクセスを目指すぐらいの気持ちでもう少し頑張らねば。

本日は「安倍首相辞任の意向固める」というビッグニュースがあるが、私としては「それ、遅すぎ!」と思うばかりなので、さしあたっては放っておくことにする。

| | コメント (0)

2020年8月27日

Windows 95 が、親指シフト断念のきっかけだった

Windows 95 の英語版は 1995年 8月 24日に発売されたので、今年で 25周年なのだそうだ(参照)。日本語版の発売は同じ年の 11月 23日で、私もすぐに Windows 95 版のノート PC を購入したと記憶している。

200827

1995年って、その頃私は何をしていたのだろうとつらつら思い返してみると、アパレル関連の団体に勤務していたのだった。その 14年前の1981年に就いたのが日本の繊維業界の状況を海外向けに伝えるという仕事だったので、英文タイプライターは早くから使っていて、キーボード操作には慣れていた。

その後、日本語でも原稿を書くようになったので富士通のワープロ専用機、OASYS を使い始めた。これは「親指シフト」という独特の入力システムで、小気味よいほどの快速入力(ローマ字入力の 1.7倍と言われる)が可能だったのである。

90年代になるとさすがに PC の時代になり(OS は MS-DOS)、英文作成には WordPerfect を使い始めたが、日本語は親指シフトの快適さを捨てきれず、ワープロ専用機の OASYS から離れられなかった。だから当時、私のデスク上にはノート PC とワープロ専用機の 2台が置かれていたのである。

そしてようやく Windows 3.1 の時代になり、私も 1993年の秋頃に PC を富士通の新型デスクトップに買い換え、同時に長年使い続けたワープロ専用機の OASYS を処分した。この時に買った PC は親指シフト・キーボードのオプション・タイプだったので、ようやくデスク上が 1台で済むようになったわけだ。

当時の私は MS-Word 上で日本語文書を作成するのに親指シフトを使うという、かなり変わったユーザーだった。アルファベットの配列は通常の JIS キーボードと変りなく、英文入力には何の問題もなかったので、個人的にはこれがベストの選択だったと今でも思っている。

ちなみに Windows 3.1 は Windows という名前は付いているものの、MS-DOS の上に WYSWIG のシェルをかぶせただけのものだった。そして Windows 95 になって初めて MS-DOS の呪縛から離れ、純正の WISWIG の OS になったのである。

ただ、この時ノート PC に買い換えたので残念なことに親指シフト・キーボードのオプションを選択できず、それ以来しかたなくずっと JIS 配列に甘んじている。そして富士通としてもこのほどついに、親指シフトの展開を断念してしまったようなのだ(参照)。時代は変わるとはいえ、忸怩たる思いである。

というわけで個人的には、Windows 95 というのは「機能的にずっと使いやすくはなったけれど、親指シフトを諦めるきっかけにもなった」という、なかなか複雑な思いの伴う OS なのである。

私は現在 Mac ユーザーだが、Apple は Mac OS で初めから WISWIG を実現していたのだから、大したものである。ただ、初めて PC を買う時点で Windows マシンを選んでしまったのは、Mac では親指シフトが使えないというのが決定的な理由だったと思う。

世の中わからないものだ。どうせ親指シフトが使えなくなるなら、いっそ初めから Mac にしとくんだった。

 

| | コメント (0)

2020年8月26日

「アベノマスク」という愚策をやってしまう体質

東洋経済 ONLINE 本日付に ”アベノマスクで露呈「無策でもやる」日本の悪癖/「何かせねば精神」が日本人を窮地に追いやる” という興味深い記事がある。ただ、「無策でもやる」というレトリックにはちょっと首を傾げるけどね。

200826

「無策」というのは「何もしないこと」なので、この見出し自体が矛盾である。ここは「愚策でもやる」と言い換えてもらいたいところだ。

とはいえ、それに続くフレーズの "「何かせねば精神」が日本人を窮地に追いやる" になると、「なるほど、言えてるね」という気がする。要するに実効性は別としても、何かしさえすればメンツは立つと考えがちなのが、「日本人の悪癖」だというわけだ。

この記事では、「オンラインで実施せよ」というトップからの指令が出てしまうと、実際にはオンラインでない方が趣旨に合う場合でも、とにかくオンラインでやらないと済まなくなるという例が示されている。要するに聞こえのいい言葉が自己目的化してしまうのだ。

この記事では「アベノマスク」に関して何が問題だったのかが、次のように説明されている。

マスク需要の増大は業界にとって格好のビジネスチャンスなので、早い者勝ちで作って売るほど利益が得られる。このため、短期間のうちに既存業者の増産と新規参入によって供給が拡大し、消費者がマスクの入手に困ることはほとんどなくなった。

一方、アベノマスクで国と契約した受注業者は利益が予めほぼ決められているので、急いで大量に生産したり、より良いマスクを作って好評を得ようとする動機が高まらない。結果的に、国の委託で生産・供給されたアベノマスクは「遅きに失した」「今更もらっても仕方ない」などの不評を買うばかりとなった。

つまり、マスク需給の逼迫解決に向けて「何かせねば」とばかりに国が行った「アベノマスク配布」は、完全に税金の無駄遣い終わった。むしろ何もせずに、市場の動きに任せておく方がずっとよかったわけである。

この記事はダメ押し的に、次のように結ばれている。

アベノマスクの受注業者は、もし契約がなければ、利益を求めてよりスピーディに、よりたくさん生産したことでしょう。契約があったため、受注企業は決められた数をのんびり生産しました。アベノマスクは、マスクの供給量を早期に増やすためには逆効果だったのです。

 

| | コメント (5)

2020年8月25日

人間にとって最も危険な生物は?

NewSphere に 「人間にとって危険な生物ランキング」という記事がある。この手のものは 10年以上前(あるいは 20年以上前かも)にも読んだ記憶があるが、年間犠牲者 75万人という「最も危険な生物」はその時と変わらず、今回もまだ「ワースト 1」の座に君臨し続けている。

200825

出し惜しみせずにさっさと正解を明かしてしまうと、それは「蚊」で、年間犠牲者は 75万人にのぼるという。マラリア、デング熱、黄熱病、脳炎(ウエストナイルウイルス)など、危険な病原菌を運ぶためだ。そして 2位が「人間」というのも、またすごい。

以下に 「人間にとって危険な生物 ワースト 15」を列挙しておこう。

順位 生物 年間犠牲者数(人)
1位 750,000
2位 人間 460,000
3位 ヘビ 100,000
4位 35,000
5位 淡水カタツムリ 20,000
6位 サシガメ(刺亀虫) 12,000
7位 ツェツェバエ 10,000
8位 回虫 4,500
9位 ワニ(クロコダイル) 1,000
10位 サナダムシ 700
11位 カバ 500
12位 500
13位 ライオン more than 22
14位 オオカミ 10
15位 サメ 6

中には淡水カタツムリ、サシガメ、ツェツェバエなど、馴染みのない動物もランクアップされているが、詳しくは元記事に飛んでもらえばしっかり説明してある。これらは蚊と同様に、病原菌や寄生虫を媒介することで人間を死に至らしめるという点が共通している。

病原菌の媒介といえば、オオカミの 3,500倍も人を殺している犬にしても同様だ。死に至らせる原因のほとんどは狂犬病の伝染で、ライオンやワニのように噛み殺しているというわけではないらしい。一方、カバが年間 500人もの人間を殺すというのは、大抵「噛み殺し」というから、意外にコワい。

それにしても、年間 46万人もの人間がほかならぬ人間によって殺されるというのは、考え物だ。1日当たりでは 126人ということになり、大規模な戦争が起きてしまったら、たちまち蚊を抜いて 1位に躍り出てしまうだろう。潜在的には「人間にとって最も危険な生物は人間」ということにもなりそうだ。

ちなみに新型コロナウイルスによる死者数は、昨年 12月から現在までに、世界で 85万人を超えているらしい(参照)。ただウィルスが「生物」であるかどうかについては、まだ結論が出ていない。

| | コメント (2)

2020年8月24日

コロナ騒動で考えること

日本における COVID-19 の感染は既にピークに達したと考えられていると NHK が伝えているらしい(参照)。とはいえ「再び増加するおそれがある」というのだから、とくに意味のある情報とも思えず、「それがどうした」というほかないのだが。

200824

21日の政府分科会では、「今回の感染拡大で 7月 27日から 29日にかけて発症者数がピークとなり、その後、緩やかに下降傾向になっている」とみられることが発表された。強いて言えばそうなんだろうが、だからと言って安心できるわけじゃないというのは当然の感覚である。

そしてワクチンが実用化された場合には、「重症化するリスクの高い高齢者や持病のある人、そして、医療従事者などから優先的に接種する」という方針だそうだ。私は先日の誕生日で 68歳になったのだが、何しろ上にはどかっと「団塊の世代」がいるから、ストレートに高齢者扱いはしてもらえないだろう。

幸か不幸かやたら丈夫な体にできちゃってるみたいだから、個人的には後回しになっても全然構わないが、政府関係者はじいさんが多いから、若年層への対策が手薄になるんじゃないかと心配になる。まあ、若い連中は感染しても重症化しにくいらしいけどね。

報道ではとくに経済界の関係者が「コロナ禍で最も懸念されるのは、経済問題」なんて言っている。彼らにとってはそれが「メシの種」で、命よりカネが大事なんだろうが、従来のコンセプトのままで「経済成長を維持したい」なんて言うのを聞くと、「わかっとらんな」と思ってしまう。

今回のコロナ騒動をきっかけとして、新しい世の中の枠組みを構築する方向に向かおうという考えにならないのでは、人類はもう終わりに向かっていると思うほかないと思うがなあ。これは今月 8日に "新型コロナウィルスが突きつけている根本的な問題" という記事でも触れたことだけど。

 

| | コメント (0)

2020年8月23日

夜に食べるのはダイエットによくないらしい

Gigazine が "ダイエットには「食べるタイミング」が重要との指摘、いつカロリーをとるのがベストなのか?" という記事を載せている。結論から言うと、朝に食べる分には OK だが、夜にカロリーを摂ると太るのだそうだ。

200823

ダイエットに大きな影響をもたらす要素の一つに「概日リズム」(読みは「がいじつ-」、英語では circadian rhythm)というものがあるらしい。これは「体内時計」とも言われているやつだが、「睡眠や覚醒だけでなく消化や代謝、食欲の調節といった体の機能にも関係」しているというのである。

この研究を行ったスコットランド、アバディーン大学のアレックス・ジョンストーン氏とレオニー・ラディック=コリンズ氏は、次のように語っている。

概日リズムの乱れや夜間の食事がもたらすホルモンの変化は、エネルギーレベルを低下させつつ食欲を増進させるため、摂取カロリーの増加とエネルギー消費の減少を招き、体重の増加を引き起こすおそれがあります。

要するに夜に腹一杯食うことが習慣化されると、多く摂取されてしまったカロリーが消費されにくいのだそうだ。なるほど、それじゃ太るよね。

逆にカロリー摂取を朝型にすると減量につながるというのだから、注目である。「1日の合計摂取カロリーが同じ 1400kcal でも、夜に 700kcal 摂取したグループより、朝に 700kcal 摂取したグループの方が、明らかに多く体重や胴囲が減少した」という報告があるという。

要するに早起きしてちゃんと朝食を食べ、晩飯は軽めにしてさっさと寝るというのが、健康的でダイエットにもいいようなのである。ただやっぱり、「ご馳走は夜にしっかり食う方が満足感があるよね」というのが悩みどころだ。

厄介な問題である。

| | コメント (0)

2020年8月22日

あんまり暑いと、蚊も夏バテする

ウエザーニュースの 8月 20日付に「○○℃ を超えると蚊も夏バテする!?」というクイズみたいなタイトルの記事がある。「○○℃」の正解は「35℃」だそうだ。無茶苦茶な暑さに耐えきれないのは、人も蚊も同じということのようなのだ。

2008222

そう言われてみれば確かに夏の真昼、猛暑のピーク時には、半袖にショートパンツなんて格好で川土手を散歩しても、蚊に刺されることはあまりない。ところが夕方になって気温が下がると、とたんに蚊が活発になって刺されまくることになる。

アース製薬・虫ケア用品ブランドマネージャーの北口明宏さんによると、「気温が 25〜30℃になると蚊は活発に活動します」ということだそうだ。確かに梅雨明けが近付いて、気温が 25℃を当たり前に超える頃になると蚊がどっと増える印象で、生活実感とも一致する。

北口さんによれば「30℃を超え暑くなると徐々に動きが鈍くなり、35℃以上の猛暑日は、植木の葉裏などの日陰に身を潜めています」ということになる。なるほど猛暑の真昼でも、草むらを歩いたり植木の剪定をしたりすると蚊に刺されるのは、人間が蚊の領分に入っていくためだったのか。

ちなみにウエザーニュースがこの記事を 8月 20日付でアップしたのは、この日が「蚊の日」だったからだそうだ。その由来はよくある日本語の語呂合わせではなく(そもそも語呂合わせなんかでは「蚊」になりようがない)、国際的にも ”World Mosuquito Day" とされているらしい。

1897年のこの日に、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスが、ハマダラカ類の蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見し、それによって 5年後に第 2回ノーベル生理学・医学賞を受賞したということによるという。へえ、そんなことは全然知らなかったよ。

 

| | コメント (0)

2020年8月21日

手の甲の汗 3

毎年夏になると、私が 15年以上も前に書いた「手の甲の汗」という記事にかなりのアクセスが集まる。手の甲にぐっしょりと汗をかくなんて私ぐらいのものかと思っていたが、実はそれほど極端に珍しいことじゃなく、日本中の「手の甲の汗っかき」が同類を求め、ググってやってくるようなのである。

200821

ところが、このテーマで書いたのは 1度きりじゃなく、実は昨年 8月 7日にも「手の甲の汗 2」というタイトルで、しかも写真入りで記事を書いている。しかしどういうわけか、こっちの方へのアクセスは悲しくなるほどさっぱりなのだ。

試しに「手の甲の汗」というキーワードでググって見ると、私の 15年前の記事が 3位にランクインしている。そしてその他のほとんどのページは一般的な「手汗」、つまり「掌の汗」について触れたもので、純粋に「手の甲の汗」について触れたのは、トップ 10 の中では私の記事ぐらいのものだ。

掌の汗が多いことに関しては「手掌多汗症」というれっきとした名称が付いている(参照)ようなのだが、手の甲の方はよほどマイナーな話らしく、ほとんど無視されている。まあ、それだけ害のない話ということで歓迎すべきことなんだろうが、無視されるというのはやはりちょっと悲しいものがある。

そしてさらに不思議なのは、昨年書いた「手の甲の汗 2」の方は、ベスト 30ににすら入っていない。あまりと言えばあんまりなので、最近になって 15年前の記事に、"よろしければ、2019年 8月 7日付の「手の甲の汗 2」もご覧ください" なんていう追記を入れたほどだ。

そしてこうなったらさらに、"よろしければ、2020年 8月 21日付の「手の甲の汗 3」もご覧ください" なんて追記をプラスすることになるだろう。

こうすることで、世間での「手の甲の汗」に関する認知度をアップさせていきたいものである。ただ、アップしたからといってどうにかなるものでもないだろうが。

| | コメント (2)

2020年8月20日

COVID-19 感染拡大問題で、大袈裟にひがんでみる

COVID-19 関連で、大阪府や沖縄、福岡県などで重症者が増えていることに関し、これまで「夜の街の若者」感染を強調しすぎたために、中高年に気の緩みが生じているという(参照)。高年齢層の患者は重症化しやすく、ということは死亡しやすいんだそうだ。

200820

確かにこのところ、新規感染者の多くは夜の街で働く若者であるとのニュースが多かった。これって、「人間の業」みたいなものを感じさせるものでもあったが、一方で高年齢者への感染も広がっていたようなのだ。東京新聞は次のように伝えている。

大阪の行政取材を続けるフリージャーナリスト吉富有治氏は「吉村知事は『夜の繁華街』で若者の感染が広がっていると強調したが、メッセージの出し方が間違っていた」と話し、中高年の気の緩みにつながった可能性を指摘した。

これってつまり、「感染の広がりやすい環境にいるのは若者が多いが、一度感染してしまったら、高年齢者の方が重症化しやすい」ってことを踏まえた話なのだろう。そう言う私だって先月 26日の誕生日を過ぎて、もう 68歳なんだから他人事じゃないぞ。

で、このことの何が問題化といえば、「新型コロナの重症患者で集中治療室(ICU)が埋まると、他の疾患を持つ救急患者に対応できなくなる恐れがある」(川崎市の聖マリアンナ医科大病院の国島広之・感染症センター長)ということらしい。だが、これも何だか「おいおい」と言いたくなる話である。

「高齢者がコロナで死ぬ分には仕方がないが、集中治療室が埋まるのは大迷惑だ」と言わんばかりに聞こえるのだよね。というわけで用心するに越したことはないので、そのきっかけ作りのために今回はちょっと大袈裟にひがんでみた。

 

| | コメント (2)

2020年8月19日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 2

昨日は「左上右下」(左が上位で、右が下位)という伝統文化における「左右」という問題のややこしさにチラリと触れて、「この問題に関する宿命でもある」なんて書いた(参照)。それで今日は、このややこしい問題について書くことにする。

200819

例えば「左が上って言うけど、舞台の『上手』って、右側じゃん」なんていう誤解がある。これについては実は、一昨年の 10月 3日に、"「左上右下」と 舞台の「上手/下手」" として既に書いてしまったことでもあるが、視点を変えて再び触れよう。

こうした誤解は結局、「上下は重力に規定されるからある意味普遍的だが、左右は相対的」ということから発する。「左右」は「視線の方向」によって裏返るから、話がややこしくなるのである。

舞台の「上手」は観客の視点からは「右側」だが、舞台上の役者からすれば「左側」で、実はこれが本来の発想なのだ。一昨年の記事でも「日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである」と、種明かしをしている。役者は「神の代理」として舞台に立っているのだ。

障子戸やふすまの場合も、人間の側からは右側の戸が手前に見える。ところが昨日触れた日経のサイトの「右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」という記事では、「ふすまや障子から見て左側を前にするのが鉄則」なのだという。

つまり舞台と同じ発想で、人間より障子戸やふすまの方が優先なのだ。ある意味シュールな話で、障子戸やふすまにまで神が宿っているかのようである。

そして「着物は『左前』で着ない」という話に至ると、さらにややこしい。上述の記事の解説もこんな具合に、わかってる人にしかわからないような煩雑さだ。

自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法で、左襟が右襟よりも前になる(正面から見ると、右側の襟が前になる)。

つまり自分の視点からだと「左前」が正しいのだが、着物に限ってはどういうわけか向かい合う相手の視点を採用しているので、「右前」が正しいなんていう変則的でわかりにくい表現になる。こうしたややこしさは、基本的には「(相対的な)視点による問題」に尽きると言えるだろう。

ちなみに障子戸、ふすまの場合は、人間から見て左側を先にセットするのだから、便宜的に「左先」と言う方が解りやすいと思う。この記事の発端となったラジオ体操の順番とも整合するし。

この記事では結局これが言いたかったみたいなものだが、着物の着方に関しては「右先」になってしまうのが痛恨だ。これも突き詰めれば「視点の問題」ではあるのだけどね。

 

| | コメント (4)

2020年8月18日

ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 1

65歳を過ぎた頃からどういうわけか、NHK ラジオに合わせて「ラジオ体操」というのをするようになった。若い頃は「こんなもん、軽すぎてちっとも運動にならんわ」なんて思っていたが、近頃では朝一番の運動としてちょうど手頃と感じるのだから、年は争えないものである。

200818

ところでラジオ体操では、前後の動きでは当然ながら前が先だが、左右に関してはいつも左が先と決まっている。子どもの頃は「どうして左が先?」と不思議だったが、これ、日本では飛鳥時代からの伝統であるらしい。日経の「くらし&ハウス 暮らしの知惠」というサイトに詳しく解説してある。

右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」というページで、初出は「日経プラスワン」2013年 2月 2日付だそうだ。インターネットの世界広しと言えども、私の見るところ、この問題についてはこのページが最も適切にしかも解りやすく説明してある。

「左の方がエラい」というのは「左上右下(さじょううげ)」と言われる原則で、体の動きにしてもこれに沿って左が先と決まっている。この思想は大昔に唐の国から遣唐使が持ち帰ったもので、その根拠はこんなようなことであるらしい。

皇帝は不動の北極星を背に南に向かって座るのが善しとされ、皇帝から見ると、日は左の東から昇って右の西に沈む。日の昇る東は沈む西よりも尊く、ゆえに左が右よりも上位とされた。

いわゆる「天子南面」に発するもので、なるほど、理窟である。というわけで律令制のもとでは、「左大臣」の方が「右大臣」より偉かった。今でも「格上の人が左に座る」というのがビジネス・マナーとされているし、ラジオ体操の体の動きでも「左が先」となっているのだから、なかなか馬鹿にならない(参照)。

とはいえ、本家本元の中国では「王朝や時代の変遷によって『左上位』と『右上位』がしばしば入れ替わった」というのだから、「何だよ、それ!」と言いたくなってしまう。一度伝えられたことを律儀に守り通している日本は、かなり(あるいは無駄に?)生真面目な国なのかもしれない。

もっとも西洋では、英語でも「右」を「正しい」という意味ももつ "right" という言葉で表すほどで、「右が上位」と決まっており、それがそのまま国際儀礼になってしまっている。それで日本の皇室もそのプロトコルに沿い、今は天皇陛下が右に立たれるという。(ひな人形も「関東式」はそう飾る)

「左右」というのは突き詰めていくと結構ややこしい話になるが、それはこの問題に関する宿命でもある。これについては長くなるので、稿を改める。

 

| | コメント (2)

2020年8月17日

浜松で 41.1℃の「日本タイ記録」

所用のためクルマで外出し、夕方に戻るとラジオ・ニュースで「41.1℃ の日本タイ記録」なんて言っている。どこの話かと思ったら、何と浜松だというではないか。無茶苦茶な暑さというのは内陸で記録されるものと思っていたが、海に近い浜松でこんなことになるなんて、びっくりである。(参照

200817

いや、そういえば私の生まれた山形県酒田市だって日本海に面した港町だが、42年前の 1978年 8月 3日に 40.1℃ の最高気温を記録したことがある。海に近いところでも条件さえ重なれば 40℃超えしてしまうということのようで、Wikipedia の「酒田市」の項目には、次のように書かれている(参照)。

日本の公式な気象観測所で 40℃以上の気温が観測されたのは太平洋戦争後では初めてで、当時歴代 3位に相当する記録であった。

この時のことを私は 26年後にこのブログで "猛暑と「知らぬが仏」" というタイトルで、次のように書いている。

その日、私は南アルプスの 3000メートル近い稜線直下で、台風をやり過ごすために一日停滞していた。グラスファイバー・フレームが強風でギュンギュンしなるテントの中で、ラジオのニュースが「山形県酒田市で、40.1度を記録」というのを聞いて、おったまげたのを覚えている。

私に山中の停滞を強いたその台風が、フェーン現象の原因となり、故郷の空気に大変な熱をもたらしたのである。

冷房があまり普及していなかった頃とて、この日の酒田の人たちは「今日はなんだかおかしい」などとつぶやきながらも、普段どおりに働いていたが、夕方のニュースで最高気温が 40度以上になったと聞かされた途端に、「だぁ~!と叫んでひっくり返ってしまったという。まさに「知らぬが仏」だった。

今回の浜松の場合は、前日も 40℃超え(40.2℃)を記録していただけに結構覚悟していたはずだから、「知らぬが仏」ということはなかっただろう。エアコンの普及した現代のことで、本当によかったと思う。

それにしても 前世紀においては 気温 40℃以上なんていうのは稀な記録だったが、今世紀に入ってからはあまり珍しくもなくなった。2018年以後は、3年連続で複数回の 40℃超えを記録しているのだから、最近の地球温暖化は大変なものだということがわかる。

 

| | コメント (2)

2020年8月16日

マスク着用と同調圧力について

Newsweek 日本版、早坂隆氏の「たかがジョーク、されどジョーク」に、"日本人の「集団主義」「同調圧力」には良い面も悪い面もある" というコラムが載せられている。

2008161

この記事はまず、いつものようにジョークから始まる。今回はこんなようなものだ。

コロナ禍において、各国の政府が国民にマスクの着用を求めることになった。

アメリカ政府はこう発表した。「マスクをする人は英雄です」。

ドイツ政府はこう発表した。「マスクをするのがルールです」。

イタリア政府はこう発表した。「マスクをすると異性にモテます」。

日本政府はこう発表した。「みんなマスクしていますよ」。

というわけで、この記事は次のように結論づけている。

「日本人の「集団主義」には良い面も悪い面もある。「周りがやっているから合わせなくてはいけない」ではストレスもたまるが、「みんなで和を大切にしながら協力し、この国難を乗り越えよう」ならば絶大な力となるに違いない。

とはいえ私自身がマスクを付けるのは、買い物で店に入る時とか、仕事上の会議に出席する時だけだ。店先に「御入店の際はマスクをご着用の上、店頭のアルコールで手指の消毒にご協力ください」なんて貼り紙があるし、会議の案内状にも「マスクを忘れずに」なんて書いてあるのだから仕方がない。

というわけで、私のマスク着用なんていうのは、「和を大切に」なんてことじゃなく、嫌々ながらの「アリバイ作り」みたいなものだから、用が済んで外に出たらすぐに外してしまう。この暑さの中でマスクなんてずっと付けていたら、熱中症になってしまいそうだ。

ところが近所の奥さんなんか、かなりスゴい。外出の度に帽子を被り、長袖シャツにカーディガンを羽織り、大きなマスクとサングラスを着用して、さらに日傘をさしている。何だか異星人みたいに思えてしまうほどだ。

どうやら私は同調圧力はとても鬱陶しく感じてしまうタイプの、ごく少数派の日本人のようなのだ。いいとか悪いとかじゃなしで。

 

| | コメント (8)

2020年8月15日

久しぶりの『般若心経』

今月 10日の「玄米に味噌汁・漬物だけの、至高のグルメ」という記事に、「一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ」というフレーズからの連想だろうが、らむね さんが「この自粛期間で円周率100桁、寿限無、徳川歴代将軍、雨ニモマケズ、をコンプリートしました!」とコメントしてくれた。

200815

大したものである。私も「寿限無」(「寿限無寿限無五劫の擦り切れ・・・」で始まる長い名前)なら小学生の時にモノにしていて、『雨ニモマケズ』は今からでも頑張れば何とかなると思うが、ほかは全然ダメだ。円周率なんて小数点以下 18桁より先はどうして覚えられるのか見当も付かない。

で、あまりにも情けないのでほかに何かないかと考えてみると、『般若心経』があるじゃないかと思い当たった。僅か 300字足らずの短いお経だから、暗唱している人は世の中にいくらでもいて、とくに自慢にもならないが。

私の父は折に触れて『般若心経』を唱える曹洞宗の寺の息子として生まれ、浄土真宗を宗旨とする私の実家の婿養子となった。そして亡くなる前に「死ぬのはちっとも構わないが、ただここは浄土真宗の家だから、あの世へ行って『般若心経』が聞けないのはちょっと淋しい気がする」とこぼしたことがあった。

ちなみに『般若心経』はどの宗旨にも共通するお経と思っている人が多いが、実は浄土真宗ではあまり唱えない。「絶対他力」を旨とする真宗としては、「あれは『自力本願』のお経」という位置付けなのだと、どこかでチラッと聞いたことがある。

その時、私は「大丈夫、大丈夫。俺が時々こっそり『般若心経』誦げるから、安心してあの世に行っていいよ」なんて言ったのである。まったく妙な請け合い方をしたもので、親孝行なんだか不孝なんだか知れたものじゃない。

そんなわけでお盆ということもあり、父の遺影の前で久しぶりに『般若心経』を誦げた。

ところが最初の「摩訶ァ 般若波羅密多心経ォ〜〜〜」と唱えた時点で、「しまった。これ、ずいぶん久しぶりだから、途中で詰まったりカンじゃったりしたら、親父に申し訳ないな」と思ってしまった。「経本を開いとけばよかった!」

しかし、つい空で始めてしまったからには仕方がない。そのまま「観自在菩薩 行深般若波羅密多時〜」と続けていくと、まあ、何とか自然に出てくるものである。やはり一度体で覚えたことというのは強い。最後に近い「羯諦羯諦」(ぎゃーていぎゃーてい)まで辿り着くとホッとした。

そして「般若ァ心経ォ〜」で、めでたくフィニッシュ。生前はちっとも孝行らしい孝行はできなかったから、今さらながらせめてもの償いである。

 

| | コメント (4)

2020年8月14日

「行く夏を惜しむ」なんて心情は、遙か昔のお話

お盆になった。昔は盆を過ぎれば次第に涼しい風が渡り始め、「行く夏を惜しむ」なんて心情が湧いてきたものだが、近頃はそんな気には到底なれない。「秋よ、早く来てくれ」と願ってもウェザーニュースによれば、今年は 9月になっても残暑が長引くらしいのである(参照)。

200814

私は山形県庄内地方の酒田市に生まれ、高校卒業(1971年 3月)までそこで育った。東京オリンピックが開かれた 1964年、私は小学校 6年生だったが、夏休み宿題帳の天気欄に気温 30℃ 以上の数値を記入することは稀だったと記憶している。

気象庁のデータをみると、この年の酒田の 7月は最高気温 30℃ 以上の真夏日を 1日も記録しておらず(参照)、8月になっても 11日しかなかった。その 11日の内訳も、33℃台 1日、32℃ 台と 31℃ 台が 2日ずつ、残り 6日はギリギリ 30℃ 超えしたという程度だった(参照)。

それでも子どもの頃は「暑い暑い」と言っていたのだから、まったく可愛らしいものである。最高気温 30℃ 台程度では、今なら「今日はしのぎやすいね」なんて言うところだ。

しかし昨年の酒田市のデータをみると、7月は真夏日が 13日(参照)、8月は 20日(参照)となっていて、34〜35℃ というのも珍しくない。そんなの、私の育った街じゃないよ。

これが東京ともなると、さすがに 1964年でも、7月の真夏日が 15日(参照)、8月では 26日(参照)となっている。そして昨年 7月の真夏日は 9日(参照)、8月は 26日(参照)という記録だ。

この数字だけを見ると軽く考えてしまいそうだが、気温の絶対値が違う。1964年 8月の東京は最高気温 35℃ 以上の「猛暑日」というのが 1日だけだったが、昨年は 10日もあったのだ。

ちなみに昨年は、酒田市でも猛暑日が 3日あって、最高気温は 37.9℃ にも達している。こりゃもう、ほとんど別の国だ。

ところで今年は、「ラニーニャ現象」発生の可能性があるらしい。ラニーニャになると、猛暑、厳冬になる確率が高いというから、過ごしやすい秋の季節は短くて、すぐに寒い冬になるのを覚悟しなければならないようだ。

本当に近頃は、「天気が極端」というほかない。

| | コメント (2)

2020年8月13日

「至高のグルメ」は、コロナ問題への模範解答かも

今月 8日に「新型コロナウィルスが突きつけている根本的な問題」という記事を書いた。そして 2日後の 10日に書いた「玄米に味噌汁・漬物だけの、至高のグルメ」の種明かしをすると、「その『根本的な問題』への模範解答になるかも」というちょっとした思惑があったりしたのである。

200813

8日の記事は、感染リスクを避けるために「不要不急の外出を避ける」という当然の要請と、「Go to キャンペーン」に象徴される「経済のシュリンクを避ける」という至上命令とのギャップについて述べたものだ。これは政府の愚策という以上に「人類的矛盾」というべきもので、要するに「業」である。

つまり新型コロナウイルスが突きつけているのは、「経済成長しなくても人間が生きていける社会構造を実現するために、人間の欲望というものとどう折り合いをつけるか」という、根源的な問題と言える。これがわからないと、「人類的矛盾」は永遠に解決されない。

そして「週休 5日・年収 90万円台」で、「玄米に味噌汁・漬物だけ」というメニューを毎日三食自炊していたという、超シンプルなライフスタイルは、その問題解決への一筋の光とも思えたのだった。決して「図らずも粗食に耐えていた」というわけではなく、ある意味「至高のグルメ」だったのだから。

これまでは、「美味いものを食い、お洒落な服を着て、世界各地に旅行し・・・」というライフスタイルこそが、幸せを実現するものだと思われていた。しかしふと気付けば、何もそんなことに散財しなくても、人間は十分幸せに生きていけるのである。

 

| | コメント (2)

2020年8月12日

電車隣席の「昭和的半袖シャツ」袖口ツンツン問題

13年も前に書いた「オジサンの半袖シャツ、袖口が広すぎ 」という記事が、今になってもかなりのアクセスを集めている(とくに夏)。電車で隣に座ったオジサンの半袖シャツの広過ぎる袖口の角がこちらの二の腕をやたらツンツンくすぐって、迷惑でしょうがないという話だ。

20081213

上の写真を見ればわかるが、オジサンの半袖シャツは、袖口が外側に不必要に突き出すという昭和的なシルエットになっていることが多い。その上、妙にアイロンが効いていたりするため、こちらも半袖で隣に座っていると、剥き出しの二の腕を不愉快に突いたりくすぐったりされて、迷惑千万なのだ。

この記事には同感を表明するコメントが結構ついていて、「今、電車の中でその状態」という気の毒なものも 3件ある。つい一昨日のコメントは、「今まさにその痒い状態で、自分が着ていた半袖カーディガンを脱いで、当たるほうの腕に全部かかるように肩がけして防いでいます」という涙ぐましいものだった。

「俺もおっさんだが、隣のおっさんの袖が気になるおっさんである」というのは、今年 6月のコメントである。1本のブログ記事に 13年近くにもわたってコンスタントにコメントが付くというのは、実際にかなりの広がりをもつ大問題なのだということを如実に示している。

「昭和的半袖シャツ」の袖口が不自然に外側に突きだしているのは、製造過程のパターン(型紙)の問題で、単純な円筒形に近い袖を身頃に平面的に縫い付けているからこんなことになる。ちゃんとした立体的パターンにすれば、下の画像のようにすっきりと収まりが付く。

2008122

一目見れば、身頃への縫い付け部分と袖口が直角に近い角度になっていることに気付かれるだろう。「昭和的半袖シャツ」の場合はこの角度が決定的に足りない。さらに腕を降ろした時に窮屈にならないよう、やたらと袖口を広くするので、ますますツンツン問題が大きくなる。

というわけで、そろそろ「昭和的半袖シャツ撲滅」の声を上げて、袖口のツンツン問題をこの世からなくしてしまわなければならない。ただ、これをシャツ・メーカーに要望しても、安物シャツの場合は相変わらずの作り方しかしないのであまり効果は期待できない。

そこで消費者の方が「昭和的半袖シャツ」は電車で隣に大迷惑ということを知って、買わないようにするのが一番だ。あるいは「ダサくてカッコ悪い」とか「オッサンぽい」とかいう評価を定着させて、売れなくなるようにするのも一つの手だ。

まともなパターンの半袖シャツが高くて買えないなら、伸縮性のあるニット地のポロシャツに鞍替えしてもらいたい。これならユニクロで 3,000円以下で買える。ポロシャツで通勤するのに抵抗があるというなら、一年中長袖で通して、夏は腕まくりしていろというほかない。

| | コメント (0)

2020年8月11日

緊急車両はちゃんと優先的に通してあげようよ

Twitter で 指揮統制SC さんの「なぜ止まらない?」という動画付き tweet が話題だ。本日昼の時点で 10万以上の「いいね」が付き、コメントは 1,700件以上、リツィートは 46,000回以上となっている。

200811

群馬県館林市の交差点で、救急車がサイレンを鳴らし、赤い警告灯を点滅させ、外部スピーカーで「右へ曲がります。ご注意ください」と繰り返し警告しているのに、交差する道路の直進車両はまったく止まる気配を見せない。「緊急車両優先」というルールが完全に無視されている。

これに対しては「仕方がない」と直進車両を弁護するコメントも少数ながら寄せられている。 「直交状態では意外なほどサイレンが聞こえにくい」、「救急車のサイレンの音はトーンが高すぎて車の中で反響します!どこから来ているのか分からないときが多いのです!」などといったものだ。

しかしこうした弁護コメントも、RESCUE GUNMA 119 さんという方の画像付きコメントで粉砕されてしまっている。現場交差点はとても見通しがよく、交差点にさしかかった救急車に気付かないはずがないことを示すものだ。リンク先に飛べば、3枚の写真が個別に本来のサイズで見られる。

2008112

なるほど、こんなに見通しのいい交差点でいくら青信号とはいえ、右側から来ている救急車を無視してそのまま直進してしまうというのは、いくらなんでもひどい。道路交通法 第40条では、交差点付近では一時停止して緊急車両に道を譲らなければならないと規定されている。

道路交通法 第 40条 第 1項
交差点又はその附近において、緊急自動車が接近してきたときは、路面電車は交差点を避けて、車両(緊急自動車を除く。以下この条において同じ。)は交差点を避け、かつ、道路の左側(一方通行となつている道路においてその左側に寄ることが緊急自動車の通行を妨げることとなる場合にあつては、道路の右側。次項において同じ。)に寄つて一時停止しなければならない。

道路交通法 第 40条第 2項
前項以外の場所において、緊急自動車が接近してきたときは、車両は、道路の左側に寄つて、これに進路を譲らなければならない。

まあ道交法云々以前に、人助けという観点からも緊急車両はちゃんと通してあげるべきだろうね。オススメは、サイレンが聞こえてきたらすぐに減速して周囲を確認し、その上で必要な措置を取るということだ。

「どこから来ているのか分からないときが多い」なんて寝ぼけたことを言ってる場合じゃないのだよ。何しろサイレンが鳴ってるってことは、人の命がかかってるんだから。

 

| | コメント (6)

2020年8月10日

玄米に味噌汁・漬物だけの、至高のグルメ

大原扁理 さん(隠居生活者、著述家)という方が ”東京「月収7万円」生活 食事はカップ麺ばかりと思いきや、実はビタミン豊富で健康体になりました" という文章を書いておいでだ。

200810

彼女は 25歳から6年間、東京都下(多摩地区)で、週休 5日・年収 90万円台という「隠居生活」を経験した。その間、「ものすごくヒマになった」ため、体や心とのコミュニケーションをとる時間が増えのだそうだ。

その結果、「何かを食べた後、精神状態や便通、体の重さなどにどんな変化があるか、よく気がつくようになった」のだという。そして「玄米菜食だとラクで、経済的にも無理がなく、しかも心身の調子がいい」という結論に達したというわけだ。

上の画像は大原さん自身によるイラストなのだが、基本的に発芽玄米のご飯と摘んできた野ビルの味噌汁、それにちょっとした漬物だけという定番メニューに落ちついたというのである。私も基本的に玄米菜食(時々プラス魚)なので、これはよくわかる。肉なんか食うよりずっと安上がりな健康食だ。

彼女が低所得でも無農薬の玄米菜食を続けることができたのは、「毎日同じメニューを 3食自炊していたから」だとしている。「毎日同じものを食べる繰り返しじゃつまらない」なんて思うかもしれないが、「美食」という幻想から解放されると、質素な食物のシンプルなおいしさがよくわかるようになるものだ。

コロナ騒動で経済が縮小し、食費を減らさざるを得ないようになったら、案外「本当においしい食事」というものに気付けるかも知れない。「至高のグルメ」と言っていいだろう。

 

| | コメント (6)

2020年8月 9日

“Music Don't Lockdown” を正しい英文に直せ

6日前、NHK の朝の番組「マイあさ」で高山羽根子・作の『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』という小説を知った(参照)が、今朝の「マイあさ」では「MDL “Music Don't Lockdown"」というオンライン・イベントを知った。6日前は大きな共感があったが、悪いけど今朝は違和感だったのだよね。

200809

番組には発起人の いとうせいこう が出演していて、このイベントについてかなり得意げにアピールしていたのだが、悪いけど私は、いとうせいこう と みうらじゅん の 2人にはあまりいい印象を持っていない。今回も “Music Don't Lockdown” と聞いて、「何じゃ、そりゃ?」と思ってしまった。

この違和感は、イベントの趣旨についてではない。あくまでも、言葉の観点からのものである。まず誰でも気付くのは、「主語が "Music" という「三単現」の名詞なのだから、次は "Don't" じゃなく ”Doesn't" になるよね」ということだ。こんなのは中学英語の「基本の基本」である。

2番目の違和感は、"Lockdown" というのは「厳重監禁」とか「封鎖」といった意味の「名詞」だってことだ。まあ、名詞を動詞として使っちゃう(日本語でも「神ってる」とか)こともあるのだが、この場合は「うーん」となってしまう。

というのは、”lockdown" を動詞として使う用例には、私は未だかつて遭遇したことがないのだ。この名詞は動詞化しにくいんじゃないかと思っている。元々 ”Lock" という動詞からわざわざ派生させた名詞だしね。

”Music Doesn't Lockdown" と修正した上で、「無理矢理に動詞として使ってるんですよ」と言われるかもしれない。これだと「音楽は封鎖しない」って意味になるだろうが、しかし今度は「音楽は何を封鎖しないの?」と聞きたくなってしまうではないか。

「いやいや、"lockdown" は他動詞でなく、自動詞として使ってるんです」ということなのかもしれない。しかしそれだと「音楽は閉じこもらない」との意味になり、「今さら改めて言われるまでもなく、音楽って本来そういうもんでしょ」と言いたくなる。どうしても言葉としての不自然な感覚は残ってしまうのだ。

「いや、こういうご時世だから『音楽よ、閉じこもるな』というメッセージなんでしょ」と弁護する向きもあるかもしれない。しかしそれならそれで、"Music, Don't Lockdown” と、カンマで区切ってもらいたいところだ。あるいは、"Music, Don't Get Lockdown” の方がまだいいかも。

というわけで、「"Music Don't Lockdown" の趣旨を極力親切に汲み取った上で、「正しい英文」に直せ" という試験問題を出したくなってしまった。正解は 1つじゃなく、いろいろな言い方があるだろうね。

ちなみに、NHK 「マイあさ」のサイトには「MDL“ミュージック・ロック・ダウン”」(下線 筆者)と表示されている(参照)。要するに NHK、よくわかってないようなのである。

2008092

 

| | コメント (4)

2020年8月 8日

新型コロナウィルスが突きつけている根本的な問題

私の両親は既にあの世に行ってしまってるから、今さら里帰りしてもしょうがない。時々は墓守のために帰郷することもあるのだが、今年はコロナ騒動のため、田舎は「都会に出て行った人間に帰ってきてもらいたくない」という空気に満ち満ちているらしい。

200808

妹は「コロナ騒ぎが収まったら、来年の春あたり帰ってみようかと思う」なんて言っているが、この騒動が「来年の春」までに収まると思うのは楽観的すぎるかもしれない。WHO のテドロス事務局長も「影響は今後数十年に及ぶ」との見通しを表明しているし(参照)。

私は 2020年という年は、人類の歴史上で「コロナ以前/コロナ以後」(国際的には "Before COVID-19/After COVID-19" なんて言うのかな?)を分ける重要な意味をもつことになるかもしれないと思っている。今年を境に、世の中の仕組みは大きく変わるだろうということだ。

これまで人類は「余計なことをしてまで金を循環させて、経済的に発展してきた」と言えるだろう。それが極端な形で現れていたのが、バブル以前の世の中で、その頃の「モノの売り方」ということに、私は 6年前に言及している(参照)。つまり、「徹底的に余計なことをさせろ」ということだった。

バブル崩壊以後は、この「余計なこと」というのがしにくくなってしまったが、「コロナ騒動」以後は、それがますます顕著になった。感染リスクを避けるためには「家でおとなしくしている」ことが求められるのだもの、仕方がない。

気の合う仲間同士で寄り集まって酒を飲み、カラオケをして騒いだり、狭い観客席にぎっしり押し込められてスポーツ観戦やコンサートを楽しんだりするのは、もってのほかということになった。おいしいと言われるものを食べたり、珍しいものを見るために長蛇の列に並ぶのも憚られる。

つまり「非日常的な体験」のために大勢の人の中に飛び込むことが、なかなかできなくなってしまった。それどころか、そうしたことをするために移動することさえ憚られる世の中になってしまったのである。

「感染リスクを避けるために不要不急の外出は避けるように」というのは、当然の要請である。しかしもう一方で「Go to キャンペーン」なんてものを進めたがっているのは、こうした「余計なこと」もしてくれないと、経済が縮小して世の中が破綻するという危機感を隠しきれないためだ。

しかしこの 2つの要請は根本的に相反するのだから、うまく行くわけがない。そしてそう言ってお上の愚策を批判するのはたやすいが、批判する人間自身の心の内部でも、こうした矛盾する欲求が衝突してストレスの元になる。要するにこれは、「人類的矛盾」の象徴でもあるのだ。

この矛盾によるストレスは今後ますます大きくなるだろうから、それをどう解決するかが大きな問題だ。それはとりもなおさず、「経済成長しなくても人間が生きていける社会構造を実現するために、人間の欲求というものとどう折り合いをつけるか」という問題だからである。

コロナウィルス騒動というのはこうした根本的な問題、つまりこれまでまともに考えることを避け続けてきた哲学的課題を、否応なしに人間に突きつけている。これをきちんと意識化しないと人類は存在の意味を失うだろう。

つまり滅亡への長い道(あるいは「案外短い道」?)を辿る第一歩になるということだ。

 

| | コメント (4)

2020年8月 7日

仙台の七夕祭りも中止だそうで

今日は月遅れの七夕。例年は東北三大祭りの一つとして、仙台の街は大賑わいになるのだが、今年は例のコロナ騒動で中止となっているのだそうだ。仙台は私の妻の生まれた街だが、こういうことなら、まあ、仕方がない。

200807

とはいえ、「気は心」ということか、町の中心部には吹き流しだけが登場しているという。やっぱり何もないと寂しすぎるということなのだろうね。

この「七夕の季節感」ということについては既に何度も書いていて、今年も先月 6日に ”「明日は七夕」というのだが” という記事を書いている。ざっと言ってしまえば、本来の七夕は俳句でも秋の季語とされていることからも分かるように、新暦の 7月 7日なんていう梅雨も開けないうちからやるものではないのだ。

さらに言えば月遅れでも大抵は早すぎるぐらいのもので、本来の旧暦 7月 7日は、今年の場合は 8月 25日になるのだよね。この頃になれば日没も少しは早くなって、涼しい夕暮れときれいな天の川が見られるというわけだ。

というわけで、今年の七夕は、8月 25日の夜にひっそりと個人的に夜空を見上げて楽しみたいと思っている。

 

| | コメント (0)

2020年8月 6日

「うがい薬騒動」で薬局に殺到する「正しい人」たち

例の「うがい薬騒動」で、店頭での売り切れが続出していると聞いて、「人って、そこまで反応するか!」と心底驚いてしまった。東京 MX テレビの女性アナウンサーもうんざり顔でこのニュースを伝えている。(参照

200806

ニュースではうがい薬を買い求めにきたらしい人が 3人、既に売り切れた薬局の店頭でインタビューに応じているが、自分のそそっかしさや情報理解力の不足を特段恥じる様子もなく、「うがい薬を買うのも一苦労ですよね」みたいな感じで話している。これを見てさらに呆れた。

最初に登場したオバサンは「昨日も 5軒ぐらい廻った」と言ってるし、3人目のオジサンは「あとは大久保行って、アメ横行って、あとは 1ヶ月ぐらい待つ」なんてずいぶんマメなことを言っている。そんな「不要不急の外出」を繰り返すより、家でおとなしくしてる方が感染リスクは減るだろうに。

このタイプの人たちって、「自分は常に正しい」とまではいかないまでも、「常に正しい方の側にいる」ぐらいには思っているのだろう。「大阪府知事が『うがい薬が効く』と発表してるんだから、それを買いに走るのは人として当然でしょ」と疑いもなく信じているに違いない。

世の中に要らぬ混乱をもたらすのは、こうした「自分は常に正しい方の側にいる」と信じる人たちである。彼らがそう信じる根拠はせいぜい「だって、みんなもそうしたいと思ってるでしょ」というぐらいのことで、実はとても素直で世話好きで純朴な人たちなのだよね。

そして、岩手県などで感染者の家に卵や石を投げたり差別的な行動に出たりするのも、実はそうした素直で世話好きで純朴な人たちなのだ(参照)。ただ、「世話好き」ということに関しては「過剰に」という但し書きが必要かもしれないが。

というわけで、私は「正しい人」というのがとても苦手なのである。何しろ「そんなこと言ってるけど、あなただって本当は買いたいんでしょ。うがい薬」なんて、真顔で言われそうだしね。

 

| | コメント (10)

2020年8月 5日

東京立川の「猫返し神社」というもの

朝のラジオを聞いていたら、脱走してしまった猫が帰ってくるという御利益がある「猫返し神社」の話が出てきた。「そりゃ、一体なんじゃ?」とググってみたら、ジャズ・ミュージシャン、山下洋輔の著書まで一緒に検索されて、「へえ〜!」となってしまった。

200805

2016年 5月 28日付の AERA の記事によると、この神社は阿豆佐味天神社・立川水天宮という由緒あるものなのだそうだ。この中に、正式名称を「蚕影神社」(こかげじんじゃ)というお社があり、これが「猫返し神社」と呼ばれているという。その由来を宮司の宮崎洋さんがこう語っている。

実は 30年ほど前に、ジャズピアニストの山下洋輔さんが立川に引っ越して来られたんですが、その時に飼い猫のミオちゃんがいなくなってしまったんです。それで方々探すうちに、うちの神社にたどり着いて。引っ越しのご報告と、猫が帰ってきますようにということをお願いしたんだそうです。そうしたら間もなく、その猫のミオちゃんがよれよれになりながら戻ってきてくれたそうです

このエピソードは 1度だけに留まらず、代替わりした 2匹目、3匹目の猫の行方不明時にも、この神社にお参りして戻ってきたとのことで、山下氏がこの話を雑誌に書いたり単行本にしたりしたおかげで、今やすっかり「猫返し神社」として知られるようになったのだそうだ。

この神社を訪ねると、ピアノ・ソロの『越天楽』が流れているのだが、これは山下氏の演奏だという。一度お参りして聞いてみたいものである。

【同日 追記】

ちなみに雅楽の『越天楽』は、後にアレンジされて白拍子の『今様』になり、さらにアレンジされて『黒田節』に変わったと言われる。聞き比べると、確かに共通したメロディだよね。

 

| | コメント (0)

2020年8月 4日

スパム・メールの波が来ているようだ

先週辺りから、私の 2015年 2月 28日の "「同窓会のお知らせ」というスパムメール” という記事へのアクセスが妙に多い。ついググってヒットした私の記事を読みたくなるほど、近頃はこの種のスパム・メールが多いようなのである。

200804

「同窓会のお知らせ」というのは、古典的なスパム・パターンで、同窓会というものと無関係の人はほとんどいないだろうから、そんなタイトルのメールが届いたらつい開けてみる。すると、なにやらもっともらしいことが書いてあるので、純朴で人付き合いのいい人ほど反応したくなってしまう。

しかし考えてみれば、大抵の同窓会には例えば「青葉会」とか「清流会」とか、あるいは 「〇〇高校**年度卒業生の集い」とか、それぞれ固有名詞が付いている。この固有名詞が出てこないで単なる「同窓会」になってしまっている時点で、「これ、アヤシ過ぎ!」と気付かなければならない。

それから最近増えているのが、Facebook の付属メッセージ・アプリである Messenger を利用したスパムである。上の画像のような、YouTube を装ったような画像に、「このビデオはいつでしたか?」とかいうコメントが付いている。しかもその下にあるのは ”video" ならぬ "vimeo" なんて文字だ。

私の所にも、これが 2回届いている。あまりにもアヤシいので放ってあるが、届いてしばらくすると、当人から「済みません、ウィルス・メールを転送してしまいました。開かないでください」なんてメールが届く。当人は既に Facebook のアカウントが乗っ取られてしまったという。

間違ってこれを開いてしまったら、アカウントが乗っ取られないうちに ID とパスワードを変更すればいいらしいのだが、何しろこんなのを何の疑いもなく開いてしまうような人だから、そんな対処はあまり期待できない。そんなわけで、「このビデオはいつでしたか?」は結構な広がりをみせているようだ。

スパムの増減というのは波があるようで、流行り出すとどんどん増える。そして廃れている時期も結構あるのでその間に警戒心が薄れ、次の波が来たときに感染してしまいがちだ。常に「これ、アヤシすぎ!」と直観できる感性を研ぎ澄ましておかないと、周囲に迷惑を広げてしまうことになる。

 

| | コメント (0)

2020年8月 3日

"Come Gather 'Round People" (Wherever You Roam...)

昨日の朝の NHK ラジオで「マイあさ」という番組を聞いていると、ゲストに今年度の芥川賞を受賞した高山羽根子さんが登場していた。彼女の受賞作は『首里の馬』だが、昨年に芥川賞候補作となったのは、『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』という作品だという。

200803

私は恥ずかしながら昨年度の候補作については情報をもっていなかったのだが、『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』と聞けば、それはもう間髪を置かず、自然に "♫ wherever you roam..." と口をついて出てしまう。そう、ボブ・ディランの "The Times They Are A-Changin" (『時代は変わる』)だ。

というわけで、そこから先は完全にオートマティックな反応で、すぐに Amazon のサイトにアクセスして購入してしまった。芥川賞受賞作の『首里の馬』を読む前に、まずはともかく『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』を読まなければ、落とし前がつくまいと思ったのである。

で、今日は朝から所用であちこち出かけ、帰宅は午後 3時過ぎになった。途中、iPhone で Amazon の「注文履歴」を見ると「2020/08/03 に配達しました」と表示されている。最近は便利な世の中になったものだ。帰宅して郵便受けから Amazon の小さな包みを取り出し、早速読み始めた。

1時間足らずで一気に読み終わり、「これは当たりだったな」と思う。最初から最後まで、徹頭徹尾「フツーの現実感」というものがないのに、常にボブ・ディランの『時代は変わる』がバックグラウンドで聞こえるような「既視感」に、濃厚に彩られている。まるで自分の経験したことのように錯覚しそうだ。

これから読む人のために、敢えてこれ以上は書かないことにする。そして私としてはまた、ほぼ自動的に Amazon で『首里の馬』を購入してしまったよ。明日届くはずだ。

【2020年 8月 4日 追記】

ちなみに "Come gather 'round people" というのは、その昔に流行った『受験生ブルース』の出だし「おいで皆さん 聞いとくれ」になる。

 

| | コメント (0)

2020年8月 2日

梅雨が明けて、「カラダの鬱」から抜け出した

東海、関東、甲信越は昨日、梅雨明けが発表された。下手すると梅雨明けは来週前半になってしまうんじゃないかと思っていたが、まあ、なんとか「夏本番」になったわけだ

200802

この梅雨明けと同時に、私も「カラダの鬱状態」から抜け出せたような気がしている。ココロの方は、このブログをいつも通り更新し続けていることでもおわかりのように、心配ご無用なのだが、どうもカラダの状態がスッキリしなかったのだ。

いや、この春から始めたダイエットとエクササイズ(こちらを参照)は順調に継続しているので、体調不良というわけじゃない。朝は元気に 5時前には起き出せるし、有酸素運動も毎日ちゃんとこなしている。長梅雨で半ばジャングルと化している土手の雑草刈りも、近所中でいちばん元気にこなせる。

どこからどう見ても健康そのものなのだが、何が不満だったのかというと、ちょっと疲れやすかったということなのだ。いつも何となく眠くて、ふと気付くと寝落ちしてしまっている。午後 4時頃にふと椅子の背もたれに寄りかかると、ついそのまま寝てしまっていた。

そして 1時間ぐらい意識が遠のいて、5時過ぎにはっと目を覚ます。下の階の妻は、「なんだか静かだなあと思ってたら、寝落ちしちゃってたのね」なんてあっさりと言うが、どう見ても元気なのだから、「つい寝落ちしちゃった」以上のことには見えなかったようなのだ。

ところが、この「つい寝落ちしちゃった」が 1週間も連続するようになってしまうと、さすがにちょっと心配になる。「どこか悪いんじゃないの?」なんて言われるが、どこも悪い感じはしない。ただ、毎晩必ず夜中にトイレに起きてしまうのが気にはなっていた。前はそんなことなかったのに。

ところが昨日梅雨が明けた途端、体調がすっかり変わってしまった。相変わらず 5時前に起きても、一日中ちっとも眠くないのである。夜中もぐっすり安眠できる。「なんだ、心配して損した!」ってな感じなのだ。

どうやら梅雨の間は、体が東洋医学でいうところの「陰性」に傾きすぎていたようなのである。それで水分過多でホワーっとした感覚が続いていたのだ。ところが梅雨が明けた途端に元の体調に戻った。やはり周囲の環境って、体調にかなり影響するようなのである。先月末で 68歳にもなっちゃったしね。

というわけで今後は、少しはカラダと相談しながら突っ走ろうと思う次第なので、よろしく。

 

| | コメント (0)

2020年8月 1日

相撲の世界の浮世離れ

近頃雑事に追われてほとんど意識していなかったのだが、「大相撲七月場所」というのが行われていて、明日が千秋楽なんだそうだ。例年なら七月は「名古屋場所」ということになるのだが、今年は両国国技館での開催ということになっているらしい。

200801

大相撲名古屋場所」というサイトに行ってみると、ページトップに「大相撲名古屋場所は、大人数による東京から名古屋への移動・長期滞在を避けるため、東京(両国国技館)での無観客開催を目指すことになりました。事態が収束し、来年には多くの皆様に名古屋場所をご覧いただけることを願っています」とある。

200801b

「えっ? 無観客じゃないだろうよ」と思って調べてみると、実際には「大相撲 7月場所、観客入れ開催 上限 2500、升席は 1人」ということで行われているらしい。どうやら相撲の世界のウェブの扱いはまだこなれていないようだが、それでかえってしっくりきたりしてしまうのがおもしろい。

ただ、実際にはこのページの URL を見ると "chunichi.co.jp" とあり、相撲協会ではなく中日新聞の管轄するサイトのようで、どうやら新聞社でも相撲の世界にどっぷり浸ると、こんな感じらしい。それでますますしっくりきてしまう。

ところで、今朝の NHK ラジオを聞いていたところ、女性アナウンサーが大相撲の話題に触れて、「〇〇(この部分、何と言ってたか忘れた)は、『うわずえ』の問題もありますしね」なんて言っていた。一瞬、「うわずえって何だ?」と思ったが、すぐに「上背(うわぜい)」のつもりだろうと納得した。

「上背」なんて、今どきは相撲の世界でしか使われない符丁みたいなものなので言い慣れないのか、つい「うわずえ」に聞こえてしまう発音になってしまったようだ。これは今朝の女性アナウンサーに限らないらしく、「うわぜい うわずえ」でググると、結構な数のページがヒットする。

さらに聞いていると、「4人用の『末席』に 1人だけですしね」なんて言っていたが、これも「枡席」と言ったつもりなのだろう。まあ、これはビミョーな発音だから仕方がないか。

というわけで、相撲の世界というのはなかなか浮世離れしたままであるらしいと確認できた次第である。

最後に一言書かせていただくが、国技館の 4人用枡席というのは、図体の大きな私にはどうにもこうにも狭すぎて閉口してしまう。あれは身長 160センチぐらいの人のためのデザインとしか思われない。あそこに 1人で座ったら、さぞかし楽だろうと思う。

 

| | コメント (2)

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »