ラジオ体操では、どうしていつも左が先?: その 2
昨日は「左上右下」(左が上位で、右が下位)という伝統文化における「左右」という問題のややこしさにチラリと触れて、「この問題に関する宿命でもある」なんて書いた(参照)。それで今日は、このややこしい問題について書くことにする。
例えば「左が上って言うけど、舞台の『上手』って、右側じゃん」なんていう誤解がある。これについては実は、一昨年の 10月 3日に、"「左上右下」と 舞台の「上手/下手」" として既に書いてしまったことでもあるが、視点を変えて再び触れよう。
こうした誤解は結局、「上下は重力に規定されるからある意味普遍的だが、左右は相対的」ということから発する。「左右」は「視線の方向」によって裏返るから、話がややこしくなるのである。
舞台の「上手」は観客の視点からは「右側」だが、舞台上の役者からすれば「左側」で、実はこれが本来の発想なのだ。一昨年の記事でも「日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである」と、種明かしをしている。役者は「神の代理」として舞台に立っているのだ。
障子戸やふすまの場合も、人間の側からは右側の戸が手前に見える。ところが昨日触れた日経のサイトの「右と左どっちが上位? 国内外で違うマナーの常識」という記事では、「ふすまや障子から見て左側を前にするのが鉄則」なのだという。
つまり舞台と同じ発想で、人間より障子戸やふすまの方が優先なのだ。ある意味シュールな話で、障子戸やふすまにまで神が宿っているかのようである。
そして「着物は『左前』で着ない」という話に至ると、さらにややこしい。上述の記事の解説もこんな具合に、わかってる人にしかわからないような煩雑さだ。
自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法で、左襟が右襟よりも前になる(正面から見ると、右側の襟が前になる)。
つまり自分の視点からだと「左前」が正しいのだが、着物に限ってはどういうわけか向かい合う相手の視点を採用しているので、「右前」が正しいなんていう変則的でわかりにくい表現になる。こうしたややこしさは、基本的には「(相対的な)視点による問題」に尽きると言えるだろう。
ちなみに障子戸、ふすまの場合は、人間から見て左側を先にセットするのだから、便宜的に「左先」と言う方が解りやすいと思う。この記事の発端となったラジオ体操の順番とも整合するし。
この記事では結局これが言いたかったみたいなものだが、着物の着方に関しては「右先」になってしまうのが痛恨だ。これも突き詰めれば「視点の問題」ではあるのだけどね。
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コメント
子供の頃、着物を間違えて着ると
大人達が
「あらあら、左前に着てしまったのねぇ~」
などと言いながら左を前に直してくれるのが
変だな????と内心思っておりました。
この意味分かっていただけますかしらん?
投稿: tokiko | 2020年8月19日 13:51
tokiko さん:
これ、本当にわかりにくい話ですよね!
何とかしてもらいたいものですが、もしかしたら直してくれる人の側から見た表現なのかもしれませんね。
それほどまでに、子どもの頃はみんな直してもらってるのかも (^o^)
投稿: tak | 2020年8月19日 14:37
面白い話題です。
川の両岸の「左岸・右岸」なんかも、「川の気持ちになって」ってことでしょうかね(笑)
教えている子供にこんなことを言うと混乱します。
「鏡って左右反対に映るよね」
「はい」
「じゃあなんで上下は反対にならないんだろうか」
「え・・・?」
「自分が横向きに寝転がってもその時の上下は反対にはならないよね」
「・・・はい」
「立ち上がると左右反対になるのはなんで?」
「・・・?????」
悪い大人です(笑)。もちろんちゃんとネタ晴らしはしてあげます。
投稿: らむね | 2020年8月19日 15:13
らむね さん:
「右岸・左岸」問題といい、鏡に映る上下左右といい、これって、結構哲学的な問題かも知れませんね。
らむね さんの教え子のなかから、一流の哲学者が出るのを期待したくなりました (^o^)
投稿: tak | 2020年8月19日 20:06