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2020年9月に作成された投稿

2020年9月30日

クマの人里出没が増加している

昨日付の読売新聞に "山形・米沢市長の散歩コースにクマ 「危なかった」 9件の目撃情報、小学校庭には足跡・ふんも" という、クマの足跡を指さす市長の写真入り記事がある。「さすが山形県!」(米沢盆地も庄内平野も山形県:念のため)と思われるかもしれないが、これは山形県に限った話ではない。

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福島県喜多方市で「食工房」を運営する友人、青木幹雄さんも、近くにクマの出没が増えているというので監視カメラを設置したところ、その夜のうちに「超デカメタボ熊」の後ろ姿が捉えられていた(参照)。結構人家近くを徘徊しているらしい。

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私は若い頃にかなり各地の山登りをしたが、幸か不幸かクマに遭遇したことは一度もない。ただ最近は、日本各地でクマの目撃情報が多いようだ。基本的にそれなりの山塊さえあればクマはいるもので、条件によっては人里に降りてくる。

兵庫県内でのクマの出没増加を伝える、昨日付の朝日新聞(参照)によれば、その原因は「ドングリの大凶作」なのだそうだ。

県森林動物研究センターは9月上旬、県内254地点にあるブナ、コナラ、ミズナラのドングリ3種の生育状況を調べ、6段階のうち下から2番目の「凶作」と判断した。特にブナは「大凶作」とした。

最近、各地の地元紙も「クマが人里に降りて来ている」と伝えているが、一様に「ドングリの不作」を原因とみている。福井新聞も「昨年に引き続きブナやミズナラの実が不良となっており、餌を求めて集落に出没しやすい状況になってる」として、次のように伝えている(参照)。

ブナとコナラは、914件の大量出没を確認した昨年度よりも実の付き具合が悪かった。ドングリ類は隔年で豊凶を繰り返すとされてきたが、近年は傾向が崩れてきている。

今年 4~8月の出没件数は 379件で、2004年度の統計開始以降で最多となった。「人に近い場所に定着した『里クマ』が増えた」(県自然環境課)ことが影響しており、大量出没が近年起きやすい原因にもなっているという。7月に越前市、8月には小浜市で人身被害が発生した。

近年の気候変動などの影響か、山と人里が接する境目ではこれまでのバランスが崩れてしまっているのかもしれない。よくよく注意しなければならないだろう。

 

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2020年9月29日

「カスハラ」という言葉も初めて知った

一昨日は "「カゴパク」なんていう言葉を初めて知った" なんて記事を書き、昨日は "DX だの AI だの IoT だの Agile だの" と、初めて知る新語の話題が続いたが、今日はまた 「カスハラ」なんて言葉に面食らってしまった。「粕原さん」という名前のことじゃないのは確かである。

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この言葉に出会ったのは、 "「わがまま老人を出禁にした」 ホテルマンの覚悟 従業員泣かす 「高齢クレーマー」 残念すぎる最後" という東洋経済の記事。前もって横道に逸れておくが、「出禁」は「しゅっきん」ではなく「できん」と読むらしい。「出入り禁止」の省略形だからだろうが、何だか据わりが悪いよね。

そして本題の種明かしも出し惜しみせずにしちゃうが、「カスハラ」とは「カスタマー・ハラスメント」の略語なんだそうだ。東洋経済の記事は要するに、「クレーマー対策」に関するお話である。「クレーマー」はしっかりと和製英語だけどね。

問題の記事そのものも実は引用に基づくもののようで、冒頭はこんな感じだ。

面倒なリクエストばかり繰り返す、あまりの横暴ぶりに従業員がやめてしまう、使った部屋はいつもびしょびしょに濡れている――そんな「わがまま老人客」と対峙したホテルマンが最後に下した決断とは? 老人問題に詳しいライターの林美保子氏による新書『ルポ 不機嫌な老人たち』より一部抜粋・再構成してお届けする。

ホテルでのクレーマーは圧倒的に高齢者が多いらしく、問題の記事に登場するのも、どこかの会社で現役営業部長を務めているらしい 70歳の男性だ。自宅が遠いので、毎週月〜金の 5日間、都内のホテルに 1泊 1万円で泊まっていたというのだから、なかなかいいご身分である。

ところがこの客、「粘着カーペットクリーナーを部屋に置け」「絆創膏を置け」「乳液を置け」「湿布薬を置け」「シャンプーはこれじゃないとだめだ」等々、贅沢な要求を繰り返す。そして湿布薬がリクエストした物と違っただけで、「わからないのか、おまえは! おまえはもういい!」とキレまくる。

クレームは次第に重箱の隅をつつくようなことになり、さらにしつこく口汚く従業員を罵るので、耐えきれず辞職する女子社員まで出てきた。これでは放っておけない。

結局は、東京都旅館業法施行条例第5条の、「宿泊者が他の宿泊者に著しく迷惑を及ぼす言動をしたとき」などの特例の定めと、「暴力的要求行為や合理的な範囲を超える負担を求められたとき」という区の条例に基づき、「出入り禁止」にしたわけだ。

その客の目の前で条例を読み上げ、「今後は、一切お断りします」と宣言すると、彼は「てめえ、このやろう!」と大声を上げたものの、結局あっさりと荷物をまとめて立ち去ったという。こうした客というのは、都合が悪くなるとさっさと自分からいなくなるようなのだ。

そして結局のところは、どこか他のホテルで同じようなことを繰り返すのだろう。ということは、出入り禁止措置に関する業界内での情報共有が重要になる。

私は若い頃からいろいろな業種でイヤというほどアルバイトをした経験があるので、自分が客の場合でも結構「サービス提供者側」の立場で考えてしまう傾向がある。仕事上、あちこちに出張して同じホテルに何度も泊まることが多いが、余計な要求はせず、部屋はきれいに使い、ゴミもできるだけ残さない。

多分「面倒のない客」として高ランク評価されていると思う。

 

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2020年9月28日

DX だの AI だの IoT だの Agile だの

「東洋経済」の "創業90年、老舗が 「DX」 に勝負をかける理由 経営は順風満帆、しかし社内にはある課題が" という記事の見出しに目が止まった。「DX」なんて「デラックス」の(日本だけで通じる)略語とばかり思っていたが今回は違うようで、やれやれ、また新しい言葉を覚えなければならない。

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MONSTER-LAB というサイトの説明によると、最近流行りというか、注目の「DX」というのは、"Digital transformation" の略語なんだそうだ(参照)。英語圏では "trans" を ”X” と略すのが普通というのだよね。

意味から言って "trans" は「横切る」とか「横断的」とかいうことで、"cross" という言葉と共通する。だったら ”cross-country" が ”X-country” なんだから、"transformation" も ”X-formation” でいいじゃんということのようなのだ。まあ、それでいいなら日本人としては別に文句ないけどね。

で、問題の MONSTER-LAB のページの末尾には関連項目として、次の言葉を解説したページへのリンクが掲げられている。

AI(人工知能)とは何か?
IoTとは何か?

5Gとは?
「アジャイル開発」とは?

”AI” は ”artificial intelligence" (人工知能)として生活にも浸透しつつあり、実際にいろいろな場面でお世話になってもいるから、まあ、いいだろう。実感としてなんとなくわかったような気になっている。

問題は "IoT" である。下手すると "^o^" とか "_| ̄|○" の類いの顔文字系と勘違いされそうだが、正解は "Internet of Things" (モノのインターネット)という言葉なんだという。今イチ漠然としていて、わかりにくいよね。

「ありとあらゆるモノの意味や状態をインターネットでアクセスして把握したりコントロールしたりすること」というような意味合いで使われているように思うのだが、まあ、いいや。その初歩のことなら普段からやってるような気もするし。

"5G" なんて、「まあ、通信速度が 4G より一段と早くなるんだろうね」ということで納得しておこう。そもそも 4G だってあんまりよくわかって使っているわけじゃないのだから、とりあえずそんなところで充分だろう。

「アジャイル」だけはカタカナで表現されることが多いが、英語では "agile" である。”Argyle” (アーガイル)だとセーターや靴下のチェック柄だが、"agile" は「すばしこい」とか「身の軽い」とかいう意味の形容詞である。一般的には「サルみたい」というイメージがあるらしい。

システム開発において、重厚長大なものを敢えて目指さず、機能単位の小さなサイクルで『計画→設計→実装→テスト』を繰り返していく手法を言うというのだが、まあ、要らん機能まで必死にくっつけるよりも、それが正解なのだろうね。

というわけで、文系としてはこうした言葉についてはあまり突っ込んで理解しようとせず、上っ面を撫でてわかったような気になっているだけで充分という気がしている。

 

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2020年9月27日

「カゴパク」なんていう言葉を初めて知った

近所のスーパーで買い物する時に、通常のカゴはブルーの本体に黄色の把手なのだが、同じ形のピンクのカゴがあるのを見て不思議に思っていた。このピンクのカゴをそのままクルマに積み込んで帰る客が結構いるのである。

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今日付の弁護士ドットコムニュース "レジ袋有料化で「カゴパク」激増、ひと月で1年分の被害 「それでも警察沙汰にできない」スーパーの事情" というニュースを見て、「なるほど、そうだったのか」と納得した。あのピンクのカゴは「精算済」の品物を入れるもののようなのだ。

このニュースは "スーパーやコンビニのレジ袋有料化が 7月から始まったことで、カゴを持ったまま退店する「カゴパク」が増えているという" という書き出しで始まる。

都内のスーパー「アキダイ」では「カゴパク」を防ぐために、カゴを色分けして精算済みのカゴを青色にし、さらに把手を外した。これによってそのまま持ち帰るのが困難になり、「カゴパク」は激減したという。

そしてウチの近所のスーパーは逆に、「精算済」のカゴをピンクにしているようなのだ。ただ、このピンクのカゴに商品を入れたまま持ち帰る客が結構いるというのは、店公認の「マイバッグ代わり」なのかもしれない。上述の「アキダイ」とはちょっと違ったシステムのようなのだ。

というのは、私が買い物をしてもピンクの「精算済」のカゴに移してくれるわけではないので、あのピンクのカゴはそのお客専用の「お持ち帰り用」と考えるほかない。これだと自分で「マイバッグ」に移し替える手間が省けるので、さっさと帰れるというメリットがあるのだろう。

この度の「新型コロナウイルスによる感染症増加」と「レジ袋有料化」では、世の中では買い物に限っても、細かいところでいろいろな変化が生じた。クルマで出かけてちょっとコンビニで買い物するにも、マスクとマイバッグは欠かせない。

私は「エコ派」として、マイバッグ持参は前々から実践していた。ただ、店の手前の「マスクをご着用ください」という貼り紙を見て、初めてマスクを忘れていることに気付き、慌ててクルマに取りに戻ることが結構あるのだよね。気をつけないと「マスク警察」みたいなオバチャンに、凄い目で睨まれてしまう。

【同日 追記】

近所のスーパーはイオン系なのだが、やはりあれは「マイバスケット」というものだとわかった。詳しくは こちら。ウチでも使用を検討してみよう。

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2020年9月26日

「現金なやつ」と、キャッシュレス後進国

Japaaan Magazine のサイトに "よく「現金なヤツ」というけど…その語源を調べてみたら、文字通りの通貨だった" という記事がある。「現金なヤツ」の「現金」というのは、とりもなおさず、お金の「現金」ということだったというお話だ。

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江戸の昔は「掛け売り」が盛んで、月末にまとめて払うというのが一般的だった。ところがこれだと、払いを踏み倒されるリスクもあり、店側としては「いつもニコニコ現金払い」してもらうに越したことはない。

で、現金払いしてくれるなら客の言う多少の無理は聞かないこともないということだった。そんなわけで、この記事では次のように説明されている。

例えば客が無理な条件を提示した時、ツケ払いなら「あきまへん」など一刀両断にされるところ、「現金一括で支払うからさ」とカネを出したら「勉強させてもらいますわ」と手のひらクルリ。

そんな変わり身の早さを「現金なヤツ」と呆れるやら、商売上手を感心するやら……というのが語源だそうです。

で、この記事の 2ページ目に使われているのが、奥村正信の浮世絵『駿河町越後屋図』(上図: クリックで拡大表示される)で、よくみると左側の鴨居に「現金かけねなし」の貼り紙がある。

この駿河町越後屋という呉服屋は、実は現在の百貨店、三越の前身で、Wikipedia の「三越」のページに、次のように紹介されている。

江戸時代の1673年(延宝元年)に江戸本町一丁目14(後の駿河町、現・東京都中央区日本橋室町の一部)において、「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。1928年には「株式会社三越」となった。

今は、下手すると時代から取り残されかねない百貨店だが、江戸時代は世界の最先端を行くビジネスモデルとしてスタートしていたわけだ。

そしてその最先端のビジネスモデルを描いた浮世絵に、さらにまたアバンギャルドな絵画手法が使われている。左側の間はオーソドックスな遠近法で描かれているのに、右側の間は一見すると、奥に行くほど広がっているように感じられることにお気付きだろうか。

このように、近代西洋画的な遠近法にとらわれないというのが浮世絵の特色だが、さればといって、遠近法の発想とテクニックがなかったわけでもない。それは左側の間がおおむねちゃんとした(天井の描写がちょっと辻褄合わないが)遠近法で描かれていることからもうかがわれる。

そして右側の間は壁で隠されている部分が多いので、遠近法なんて適用してもしょうがないと言わんばかりだ。「その辺のことはわかってるけど、あえて理窟にはとらわれないもんね」ということのようなのである。

要するに、当時の日本人の発想というのはかなり自由奔放、自在の境地に遊ぶというところがあり、そんなところからも「現金正札販売」を打ち出すビジネスモデルにつながったのではないかと思ってしまうわけだ。

ただ、この「現金正札販売」重視のポリシーが、時代の変わってしまった今では「日本はキャッシュレス後進国」ということになって現れているのかもしれない(参照:時代遅れの「現金主義国家」日本)。世の中の移り変わりというのは、なかなか難しいものである。

 

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2020年9月25日

「はちみつ入り芋けんぴ」という菓子

近所のスーパーで Top Value(イオン系のプライベートブランド)の「はちみつ入り芋けんぴ」というものを買ってみたところ、一口食べたら止められなくなり、あっという間に一袋食べてしまった。食べ過ぎがコワいので、そうしょっちゅうは買わないことに決めたほどである。

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ところで「けんぴ」関連で、昨年の 11月 12日に書いたことを思い出した。"「生八つ橋」「辛子明太子」「塩けんぴ」「笹かまぼこ」" という記事である。言わずと知れた京都、博多、高知、仙台の名物で、出張したら必ず買って帰るほどの好物だ。

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この記事で「庶民派土産の代表格」として紹介しているのが、高知水車亭の「塩けんぴ」で、次のように書いている。

高知に行ったら、迷うことなくまず自分がホテルで食うために 1袋買い、帰り際に土産としてさらに買う。食べ始めると止められなくなるから、注意しなければならないほどだ。

この「塩けんぴ」というのは基本的に材料が芋で、「芋けんぴ」の範疇に属する。いわゆる「けんぴ」とは別物で、見た目からして気取りがない。

Wikipedia では「ケンピ」「芋ケンピ」と、カタカナ表記で別項目となっている。「ケンピ」の項目には「製法は小麦粉に砂糖・水を加えて硬めにこねた生地を棒状にして適宜に切り、オーブンで焼く」とあって、材料からして違い、「なお、芋ケンピとは異なる」とのダメ押し的文言まである。

けんぴは、西暦 930年に紀貫之が土佐に流された時に、土地の人から献上されたとまで伝えられている。元祖西川屋の「ケンピ」は下の写真のように、ちょっとした上品さがあり、確かに、芋けんぴとはかなり趣が異なるが、私としては「芋けんぴ」の方が贔屓である。

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で、冒頭で紹介した Top Value の「はちみつ入り芋けんぴ」は、庶民的な「芋けんぴ」にはちみつを加えて差別化したもののようで、なるほど、止められなくなるわけである。

 

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2020年9月24日

Microsoft って、前々世紀のことは関知しないらしい

きっかけは本日の TBS ラジオ(番組名は忘れた)の、「自分と同じ誕生日の著名人を 3人挙げられますか?」という問いかけだった。私は前々から「ミック・ジャガーと誕生日が同じ」というのを、半ば自慢気味の話のタネとしていたが、「3人挙げろ」と言われて、「はて?」とつっかえてしまったのである。

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で、インターネットで調べてみたところ、世の中には有名人の生年月日や没年月日などを調べまくっている人というのがいるもので、「ストローワラの情報交差点」というサイト内に「生年月日データベース」というのがあり、9月 23日の時点で 76,046人の誕生日データが収集されている。

スゴいものだと思いつつ、私の誕生日の 7月 26日の日付を開いてみると、いるわいるわ、191人がリストアップされている(参照)。ただこれだけいると「有名人」とはいえ、知らない名前がやたら多い。で、その中から「3人」挙げるための候補を、一応倍の 6人リストアップして、Excel の表にしてみた。

191人の中から選んだ 6人だけに、そうそうたる顔ぶれである。とくにバ−ナード・ショーとユングが同じ誕生日というのは、私としてはミック・ジャガーの誕生日を知った時と同じぐらいに嬉しくなってしまった。で、「3人挙げろ」と言われたら、結局のところこの 3人になってしまうだろう。

このデータベースには「没年月日」という項目もあるので、せっかくなので Excel で死亡時の年齢も表示させてみることにした。年齢を自動表示するには、”DATEDIF” という関数を使う。上の図で言えば、バーナード・ショーの享年は "=DATEDIF(D4,E4,"Y")" という関数で自動計算される(はずだった)。

「(はずだった)」としたのは、"#VALUE!" というエラー表示が出てしまい、年齢表示ができなかったからである。上から 3人目まではエラー表示が続いてしまっているのだ。

ところが 4人目のスタンリー・キューブリックの享年はちゃんと自動計算されて「70」と表示される。ミック・ジャガーはまだ生きているからエラー表示が当然として、萩原健一もしっかり「68」と表示される。じゃあ、なんでまた同じ関数で、上の 3人の享年はエラー表示になってしまうんだ?

あんまり不思議なのでしつこく調べまくった結果、そもそも Microsoft のソフトウェアでは、「日付データ」の最初の値に関して「西暦 1900年 1月 1日」をもって「最初の日付」、つまり「シリアルデータ 1」としているということがわかった。

さらに Mac 版の Excels では 1904年を最初の年として設定されているという。どうやら「うるう年」計算の便宜上、こんなことになったようなのである。というわけで、バーナード・ショー、ユング、小山内薫の 3人は 1900年以前の生まれであるが故に、"DATEDIF" 関数にかからないというわけだ。

いやはや、それにしてもこんな事情があるとはちっとも知らなかった。マイクロソフトという会社は「前々世紀のことまでは関知しないもんね」という立場のようなのである。これって、ちょっとヒドいよね。

しかたがないので手作業で計算した結果、3人の享年は、バーナード・ショー 94歳、ユング 85歳、小山内薫 47歳とわかった。前の 2人がかなりの長生きなのに対し、小山内薫は昔のこととはいえ、結構な若死にである。

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2020年9月23日

「PC の時代」はゆっくり終わりつつあるようだ

一昨日の「このブログへのアクセスは、ほぼ 6割がスマホ」という記事で、PC の重要性というか、必要性が、徐々に低下しつつあるようだという意味のことを書いた。5年前はこのブログはほぼ 5割が PC で閲覧されていたが、今や 4割を切り、スマホが多数派になっているのだから。

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この記事では、3年半以上前に書いた "Windows PC の時代の終わり" という記事を紹介している。本当に、PC の時代はゆっくりと時間をかけて終わりに向かっているようなのだ。代わりにスマホの重要性が増している。

上のグラフは、世帯主年齢階層別・パソコンの普及率を示したものだ。昨年 5月に発表された「年齢階層別にパソコンの世帯普及率の実情をさぐる(2019年版)」という記事の中にある。

ざっとみると、PC の普及率は全体的には 2012年頃からほぼ横ばいで推移している。つまり「ほぼ 3世帯のうち 2世帯は PC を保有している」ということだ。

ところが年齢別に見ると、ちょっと違う様相となっている。世帯主が 30〜59歳の世帯では、2013年の 86.5%を最高として徐々に低下傾向にあり、2019年には 80.3%まで下がっている。そして 29歳以下の世帯では、2015年の 86.6%を最高として、2017年には 71.4%に下がり、乱高下を見せている。

つまり 59歳以下の「現役世代」では、2013〜15年をピークとして PC 保有は 微妙に下り坂とみていい。ところが、60歳以上では 2018年までは緩やかな上昇傾向が続き、2019年になって明らかな低下を示している。30〜59歳までの世代と比べて 6年遅れの動きだ。

「60歳以上」の層には、下からどんどん上がってきた PC 所有者が加わっていることを考えても、それまで PC を使っていたが、定年以後はお古になった PC をあえて買い換えない人も少なくないということだ。つまり仕事を辞めたら、PC の必要性は顕著に下がるのである。

ちなみに上述の "Windows PC の時代の終わり" という記事で紹介した、私の周囲の「65歳を過ぎて初めて PC に挑戦」しようとした人たちのほとんどは挫折してしまっている。ついに Word でまともな文章を作ることすらできないままだ。

この記事に書いたように、私が「悪いことは言わないから、止めときなさい」とやんわりと止めたのに、彼らは「今どきやっぱりパソコンぐらいは、ものにしたい」なんて言い張っていた。しかし彼らには PC の「切実な必要性」なんてないのだから、こうなるのはほとんど目に見えていたのだけどね。

上述の記事では、私はその頃、彼らにこんなようなアドバイスをしていた。

「あなたの持ってるその大昔のガラケーを、iPhone に機種交換すればいいんです。どうせすぐには使いこなせないだろうけど、少なくともケータイとして使えて、メールぐらいはできるようになるだけましでしょ」

で、結果として彼らは 2年遅れぐらいで PC を諦め、ようやくガラケーをスマホに換えて、メールのやりとりぐらいはできるようになったというわけだ。めでたし、めでたし。PC への 10数万円の投資は無駄に終わったけどね。

要するに PC は主に仕事で使うもので、フツーの生活はスマホで充分ということだ。で、日本人の平均年齢がどんどん上がりつつある今、現実がそのようになってしまっているわけだ。

9月 19日付の「米国で深刻なノート PC 不足なんだそうだよ」という記事は、コロナ禍でテレワークが増えていることの反映と、念のため付け加えておく。

 

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2020年9月22日

「環境貢献はフツーにやっちゃってる」時代にしたい

NewSphere に「リサイクル率80%を達成する徳島県上勝町 ゼロウェイストセンターで宿泊体験」という記事があり、それを読んで私もちょっと行ってみたくなった。何かの用で四国に行くことがあったら、ついでに寄ってみよう。

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この記事は Natsuko Natsuyama という "モデル・ライター" が書いたもののようだが、そもそも「上勝町」は何と読むのかという情報が抜けているので、Wikipedia にあたって初めて「かみかつちょう」と知った(参照)。私だったらとりあえず冒頭で「徳島県上勝町(かみかつちょう)」と表記するがなあ。

上勝町というのは山の中の人口 1,500人ちょうど(2020年 9月 1日現在)という小さな町だが、"2003年に、2020年までに焼却や埋め立てをせずにごみをゼロにする「ゼロ・ウェイスト」宣言をした日本初の町" なのだという。町にはごみ収集車がなく、住民はゼロウェイストセンターに自分でごみを持ち込む。

そして持ち込む際にはリサイクルしやすいように 13品目 45種類の分別基準に従うので、そのごみは年間 250~300万円のお金に変わるという。なるほど、ごみと言えどもきちんと処理すれば、ムダな物ってあまりないのだね。

この町では助成金により、ほとんどの家が電動生ごみ処理機かコンポストをもっているという。これはとてもいいことで、他の自治体でも見習えばいいと思う。この程度のことでグチョグチョの生ゴミを「可燃ごみ」として出すことがなくなるので、焼却場での処理が格段に効率化され、CO2 削減にも役立つ。

上勝町のゼロウェイストセンターは 2018年にゴミステーションが改装され、そこにホテル、リユースショップ、セミナールーム、ラボなどが加わって、環境型複合施設となった。新設されたホテルの名称は "HOTEL WHY" だそうだ。

この名称は、「なぜそれを買うのか?  作るのか?  売るのか?  捨てるのか?」という問いかけをし、考え直す機会をつくりたいとの願いから付けられた。そんなわけで、建物を上からみると、下の写真のようにクエスチョンマークの形になっている。

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このホテルに泊まっただけで、「なぜ? どうして?」と、環境貢献についていろいろと考えることができるというわけだ。ただ私としては、「ここまでして、なぜ太陽光発電装置がないの?」と問いかけたいところだが。

ちなみに我が家では、屋根には太陽光発電装置を載せ、生ゴミはコンポストで堆肥化し、紙類や瓶、空き缶などすべてリサイクル用として出している。このくらいのことは、とくに気張らなくてもフツーにできるし、やればやっただけ環境貢献ができる。

「環境貢献はフツーにやっちゃってるよね」という時代にしたいものだ。

 

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2020年9月21日

このブログへのアクセスは、ほぼ 6割がスマホ

ふと思い立ち、この "Today's Crack" というブログのアクセス解析ページに行って、先月(2020年 8月)の「デバイス別のアクセス数」を調べてみた。するとこんな円グラフが出てきたのである。

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具体的な数字を言うと、このブログにアクセスするデバイスの内訳比率は、PC が 39.7%、iOS が 35.9%、Android が 23.8%、ケータイが 0%、その他が 0.5% ということだった。PC が 4割を切り、iOS と Aandroid を合わせたスマホ(iPad などのタブレットを含む)が 59.8% となっている。

それ以外のデバイスは、ほとんど無視していい数字だ。もっとも月によっては「ケータイ」でのアクセスが 2件とか 3件とかあったりするので、「一体どうやって見てるんだろう?」と不思議になる。もしかして「ガラスマ」と称されるデバイスが、「ケータイ」としてカウントされているのかしらん、

いずれにしてもスマホとタブレットを足してほぼ 6割となっているのが驚きだ。自分の iPhone で表示させてみて、「なるほど、3人に 2人近くは、こんなちっこい画面で読んでくれてるわけね」と納得したりしている。まあ、指先でピンチアウトして拡大すればいいだけのことだが。

そういえば 2017年の正月、つまり 3年半以上前に "Windows PC の時代の終わり" なんて記事を書いていて、さらにその 2年半前の 2014年 7月には「「PC の時代」は来年終わる" と書いている。つまり PC の時代は 2015年で終わりなんて言っているのだ。

それじゃあというわけで、2015年 8月の、当ブログへのアクセスのデバイス別内訳も調べてみた。すると PC が 45.3%、iOS が 29.0%、Android が 21.3%、ケータイが 3.8%、その他が 0.6% と示された。PC が 50%を切っているのは、さすがに 「PC の時代の終わりの始まり」である。

ということは、それから 5年も経って 2020年の 8月ともなれば、こんな数字になってもちっとも驚くことじゃない。これからますます、スマホとタブレットの重要性が増し、PC は専門的業務の道具と化して行くということだろう。

 

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2020年9月20日

米国で深刻なノート PC 不足なんだそうだよ

下の写真は「深刻なノート PC 不足に見舞われる米国」という、米国 EXTREME TECH の記事だ(参照)。米国では 9月から学校の新学期が始まったわけだが、COVID-19 対策のためのオンライン需要が増えた結果、PC の供給不足が問題になっているという。

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学校のオンライン授業だけでなく、企業においてもテレワークが進んでいるため、PC 不足は深刻で、Dell, HP, Lenovo といった PC メーカーはおよそ 500万台のノート PC が不足しているとコメントしている。こりゃまた、結構な数だ。

日本でだって大学のオンライン授業や企業のテレワークは増えているが、何しろ米国は COVID-19 の感染者数が多い。それだけに PC 需要の増加も半端じゃないようだ。

いや、そうだとしても、新しい PC を求める 500万人以上の米国人というのは、それまで PC 持ってなかったのかという疑問が持ち上がる。あるいは手持ちの PC が骨董品過ぎてまともなオンライン作業に使えないので、買い換え需要が膨らんでいるんだろうか。

「米国はコンピュータ社会」なんて言われて久しいが、実は言うほどのこともないのかもしれない。こんな事態になって慌てて PC を買いに走る人間がそんなに多いというのだから。

さらに言えば、日本でだってオンライン授業やテレワークが増えているはずなのだが、供給不足が深刻とは報道されていない。ということは、COVID-19 の感染者が米国よりずっと少ないというだけでなく、PC を使った仕事や授業に対応している層自体が、日本では案外少数派なのかも知れないね。

 

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2020年9月19日

「初めに言(ことば)ありき」と、「不立文字」

「初めに言(ことば)ありき。言は神と共にあり。言は神なりき」というのは、『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」の冒頭である。この「言(ことば)」というのは、ギリシア語の原書では「ロゴス」という言葉で書かれているという。

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ということは、「初めに言ありき」の「言(ことば)」というのは、単に辞書的な意味での「言葉」、つまり「モノゴトは言葉によって認識されるよね」なんていう程度の軽いものではない。もっと根源的なものということになる。

「それはイエス・キリストそのものを意味する」と解説するウェブページも少なからずある。ということは、「神・神の子(イエス・キリスト)・聖霊」は三位一体だから、「初めに神のみが存在した」ということに他ならない。そして「すべてのものは神によってできた」と続く。

というわけで、宗教的に深い意味での「言葉」とは、「神の摂理」あるいは「神そのもの」ということだ。そして、根源的な意味での「言(ことば)」、つまり「神の摂理」「神そのもの」を、我々がフツーに使うレベルの言葉を使って表現しようとすると、どうしても「表現しきれない部分」が残されてしまう。

我々の言葉は「有限の意味」を表現するから、どうしても「神の摂理そのもの」は表現できない。「無限」を「有限」で表現しようとしても不可能ということだ。

仏教でいうところの「不立文字」というのも、これと共通するだろう。「拈華微笑」の公案は、「不立文字」「教外別伝」を現すと言われる。

釈迦牟尼仏が霊鷲山(りょうじゅせん)上で弟子たちを集め、無言でただ手に持った花を拈って見せた時、誰もその意味を理解できなかった。しかし独り、迦葉(かしょう)尊者のみが釈迦の真意を理解し、にっこりと微笑を浮かべたという。

すると釈迦は、「吾に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相無相の微妙(みみょう)の法門あり、摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふぞく)す」と言われたという。つまりこの瞬間に、釈迦は自身の跡を継ぐ仏教第二祖として摩訶迦葉を指名したのだった。

釈迦が言葉を発せずに、ただ花を拈って見せただけというのは、仏教の究極的真理は普通の言葉によって表現できるものではなく、ただ象徴的に現すほかないからである。まさに「不立文字」というわけだ。

ローマン・カソリックにおいては、ペテロをイエス・キリストの正統な後継者としているが、それは「ヨハネによる福音書」21章 15〜17 の記述に基づいている。そこにはイエスがペテロに向かい「私を愛しているか」と 3度続けて同じ問いを発したと書かれている。

それに対してペテロは「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、3度同じように答えた。するとイエスは「私の羊を飼いなさい」と、やはり 3度言われたというのである。これもまた、象徴的な話だ。

つまり究極的真理というのは、いくら言葉を尽くしても遂には具体的に表せないもので、象徴的に表現するしかないということのようなのである。私が 18年以上もブログを書き続けて、ちっとも真理に迫れないのも当然というものなので、大目に見ていただきたいってことだ。

 

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2020年9月18日

「残念な自転車レーン」というハッシュタグ

Twitter に 「#残念な自転車レーン」というのがある。"北澤肯@alternabikes" さんという方が最近立ち上げられたもののようだが、既にずいぶん多くの賛同 tweet がある。不詳私も一応自転車乗りなので他人事(「たにんごと」じゃなく「ひとごと」と読んでね)ではなく、及ばずながらここに紹介しておく。

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このハッシュタグの趣旨を北澤肯さんの tweet から引用すると、次のようなことだ。

コロナの流行もあり世界的に自転車の利用が増え自転車レーンのニーズが高まっていますが、まだまだ日本では整備が遅れています。お近くに使いにくい自転車レーンがあったら #残念な自転車レーン を付けて写真をツイートして下さい!日本の自転車レーンを応援、改善に繋げる活動に使います。

私は普段はつくばの田舎で自転車に乗っているので、東京や大阪といった都会の大通りほどの危険を感じることはあまりないものの、それでも時々は危険なクルマに遭遇してヒヤリとすることがある。そうした意味でも「自転車レーン」の整備は大いに望まれる。

自転車レーンというのは、上の写真の道路の左端にみられる「矢羽根」印や、青で塗装された細いレーンのこと。東京オリンピック開催が決定した頃から徐々に増えているような気がするのだが、自転車レーンというぐらいだから、自転車専用の走行レーンである。ところが実際にはこのレーン上の路上駐車が多いのだ。

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上の写真を見ると、自転車レーンを行く自転車の前方が数台のクルマの路上駐車によって塞がれている。そのため、しかたなく自動車レーンにはみ出して走行する自転車が見える。

これだと、右側を走行するクルマの直前にいきなりはみ出してくることになるから危険だ。それでなくても路駐は自転車にとって迷惑千万な存在なのだが、これが自転車レーンでの路駐となると、さらにムカついてしまう。

「自転車レーンがあると左端に駐車できないなら、どこに駐車したらいいんだ?」なんて言うドライバーもいるが、「そもそも、路駐は違反なんだよ!」と言うほかない。個人的には、ほんの数十秒の停車(「駐車」じゃない)なら大目に見てもいいが、エンジン止めてクルマを離れたりするのは言語道断だ。

それから「自転車レーン」とは名ばかりで、そもそも物理的にヒドすぎるのもある。こんなのだ。「無理っす」というコメントそのままである。

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このレーンを自転車で走るのは、ほとんど「曲芸」だ。それにロードバイクはタイヤ幅が狭いから、下水溝のスリットに挟まって転倒し、怪我をするという事故が少なくない。こんな自転車レーンは、ほとんど「事故誘発レーン」であり、自治体の管理責任の問われるところだろう。

もちろん、自転車事故には自転車に乗っている側がお粗末すぎて起きるものもある。その意味では「#残念な自転車ライダー」というハッシュタグも必要なんじゃないかというほどだが、とにかくドライバー、自転車ライダー、歩行者、自治体(政府も)のそれぞれが意識を向上させなければならないと思う。

 

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2020年9月17日

改めて数えてみると、「マイ造語」ってのが結構ある

18年以上もブログを書き続けていると、私特有の言葉遣いみたいなものができてしまっていたりして、中でも「マイ造語」ってのも結構あることに気付いた。きっかけは 9月 12日付 ”「ぶっちゃけ本音主義」もここまで来たか” という記事だ。

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この「ぶっちゃけ本音主義」というのは、ドナルド・トランプのスタイルをいったもので、初出は 2016年 5月 14日付の "近頃台頭している 「ぶっちゃけ本音主義」" 。これは 4年前の米国大統領選の前に書いた記事である。

この時点では、私は一応ヒラリー・クリントンが勝つと予想しているものの、「トランプが好きな中西部の連中は、たいていヒラリーみたいな女が嫌いだから、どう転ぶか知れたもんじゃない」と書いている。それが本当になって、「ぶっちゃけ本音主義」の強さを目の当たりにしてしまった。

というわけで、この「ぶっちゃけ本音主義」は私の造語の中でも最大ヒットと言っていいかもしれないが、その他にも結構あるので挙げてみよう。

和歌ログ」(初出: 2003年 12月 2日

私のもう一つのブログ「和歌ログ」が始まったのは、もう 17年も前になるわけだ。「マイ造語」の中でも定番化してしまっている。

夜蝉」(初出: 2009年 8月 10日 の和歌ログ)

「和歌ログ」の中で使った言葉だが、「代々木ゼミ」の略称、「代ゼミ」の洒落でもある。改めて 2013年 8月 11日、Today's Crack に "「夜蝉」という言葉を造語して" という記事を書いている。今や ”Weblio" に「季語」として載っている(参照)のだから、大ヒットだろう。

イタセリ」(初出: 2013年 8月 11日

上述の "「夜蝉」 という言葉を造語して" という記事中で、"これは妻との間でしか通用しない。「至れり尽くせり」 の省略形である" と紹介している。

バッファリング・プレイヤー」(初出: 2009年 8月 11日

「夜蝉」を造語した翌日、Today's Crack の「生物多様性ということ」という記事で何気なく使った言葉。「暑くなりすぎる要因を吸収してくれるバッファリング・プレイヤーが、いなくなってしまったのだ」と、さりげなく書いている。

「衝突を防いでくれる上手な調整役」という意味でも使っている。ちなみに「バッファー・プレイヤー」という選挙関連の和製英語もあるらしい。

独立双頭峰」(初出: 2019年 2月 18日

富士山のように、他の山と稜線を連ねずにすっきり聳えているのを「独立峰」というが、私の生まれた庄内平野の北の鳥海山と、今住んでいるところの筑波山は、峰が二つに分かれているので、「独立双頭峰」と名付けた。初出記事に飛ぶと、画像が見られる。

レコーダー・イヤ」(初出: 2020年 9月 14日

私の一番新しい造語。見たものを瞬時に写真に撮ったかのように記憶する「カメラ・アイ」に対して、音を録音したかのように記憶する能力を「レコーダー・イヤ」と呼ぶことにした。私にはこの「レコーダー・イヤ」があるらしい。

さらに個人的にしか通用しない、英語の造語なんてのもある。"tandle" という言葉(初出: 2019年 6月 18日)だ。

10代の頃、アストラッド・ジルベルトの歌う『イパネマの娘(The Girl form Ipanema)』の最初、"Tall and tanned and young and lovely" という部分を  ”Tall and tandle..." と空耳しちゃっていた。(リンク先の YouTube に飛んで聞いていただきたい。本当にそう聞こえるから)

"Tandle" とは「スリムでイケてる」みたいな意味のスラングなのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、調べてみても実はそんな言葉はどこにもなくて、ひょんなことからできてしまった造語というわけだ。

これからもひょいとテキトーに言葉をつくってしまうかもしれない。

【同日 追記】

そうだ忘れてた、「異白」(異様な白さ)というのもあった。初出は 2016年 8月 20日の "「美白」と「異白」"。

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2020年9月16日

太陽光発電を始めていて、本当によかった

先週末から 4日間ほど、少しは涼しい風が吹いて、暑苦しさから解放されている。先月から今月の第 2週までは「さすがにエアコンなしでは耐えきれない。(中略)素直にエアコンを使いまくった」と 9月 8日の「少々夏バテ気味だ」という記事に書いているように、とんでもない暑さだった。

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8月の電気代が気になって、我が家の屋根に載っかっている太陽光発電装置のモニターをのぞいてみた。上の画像が 8月 1ヶ月間の推移だが、オレンジ色の部分が太陽光発電量が消費量を上回っていることを示し、水色の部分が消費量の方が多いことを示している。

8月上旬はまだ発電量が消費量を上回っていた(つまり「黒字」)が、中旬以後は 発電量以上に消費した日が多く、「赤字基調」だったことがわかる。24〜26日の 3日間の「黒字」は少しだけ暑さが和らいで、エアコンもあまり使わずに済んだことを物語る。数字は正直だ。

6月から 8月までの月別数値データは下の表の通りで、8月の電気消費量はエアコン使用が響いて 6月の 2倍近くになっている。ただ、7月は長梅雨でどうしようもなかったものの、8月は天気がよかっただけに屋根の上の発電パネルがフルに働いて、6月の 1.3倍、7月の 1.8倍ぐらい発電してくれた。

  6月 7月 8月
発電量 283.3 206.2 377.4
消費量 198.0 214.8 381.8
売電量 193.4 111.0 172.6
買電量 107.9 120.0 177.2

単位: kW

おかげで 8月に東京電力から購入した電気(買電量)は 177.2kw で、実際に消費した 381.8kw の半分以下で済んでいる。そして買電量にほんの少々足りない 172.6kw を東京電力に売ったことになっているが、売電の単価は買電より安いので、金額的には支払額の方ががずっと多い。

というわけで金銭的には少々割に合わないことになるが、私としては屋根に太陽光発電パネルを載っけておいてよかったと、しみじみ思っている。太陽光発電を開始したのは「太陽光発電、我が家でもようやく開始」という記事を書いた 2015年 4月のことで、ということは、今年で 5年経ったわけだ。

この自家発電がなかったら、消費する電気はまるまる東京電力から買わなければならない。ということは、少なからず原発に依存し、火力発電分では CO2 をまき散らすことになる。太陽光発電のおかげで、微力ながらこうした要素が押さえられているわけだ。

エアコン使用の言い訳材料があるというのは、まことにありがたい。

 

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2020年9月15日

PayPal では「クマムシ」を意味する英単語が禁句

「スラド」の 9月 14日付に、「PayPal ではクマムシを示す英単語がブロック対象になっている」という、わけのわからないタイトルのニュースがある。

200915

米国では最近、"tardigrade"(クマムシ)をモチーフにしたオーナメントに妙な人気があるようで、今回の PayPal の措置がクリスマス商戦などに影響が出るのではないかという懸念にまで発展しているという。

クマムシと言っても大抵は「何それ?」ということになってしまうだろうが、近頃では「どこにでもいる最強の生物」として注目が高まっているらしい。Leave a nest のサイト(参照)から引用してみよう。

ムシと名がつくことから昆虫と誤解されがちですが、昆虫ではなく正確には「緩歩(かんぽ)動物」と呼ばれる生き物です。体長は大きいものでも 1mm 程度しかなく、4対の足でクマのように「緩やかに歩む」ところから、クマムシ、そして緩歩動物と呼ばれるようになりました。

(中略)

その能力から「最強の生物」と呼ばれたりもするくらいです。例えば、クマムシは 150℃ という高温や、‐200℃ という低温につけられても生き延びます。また、ヒトの致死量の 1000倍以上の X線を照射されても、6000気圧もの高圧をかけられても生き延びてしまうのです。

本来は こちら の東大制作の動画で見られるように地味な外観の小さな生物なのだが、米国では上の画像のようにキラキラしたエナメルのオーナメントになって人気が出ているらしい。米国人というのは、時々妙なものを好むよね。

ところが米国の PayPal(決済サイト)では、「クマムシ」を意味する ”tardigrade” という単語がブロック対象になっていて、商品名や商品説明にこの単語の含まれる品物を取引しようとすると、決済が完了できないのだそうだ。

このことは、決済システムの不具合に気付いたシアトルのギフトショップ Archie McPhee が PayPal に問い合わせたことで判明したという。そんなわけで、商品名を "Tardigrade Enamel Pin" から "Water Bear Enamel Pin" に変えたショップもあるというのだから、面倒な話だ。

どうして "tardigrade" という単語がブロック対象になるのかは正式には発表されていないようだ。しかしどうやら、語頭にある "tard" と 語尾の "grade" の組み合わせで "retard" という単語が連想されてしまう可能性について、システムが過剰反応してしまうことによると考えられる。

iPhone にインストールしてある "The Wisdom English Japanese Dictionary" によると、"retard" は、動詞としては「...を遅らせる、後に延ばす、...を妨げる」という意味の一般的な単語だが、名詞としては「(けなして)知惠遅れの人」という意味の差別用語として使われることがある。

というわけで、”Tardigrade” は「グレード(段階)として遅れている」- "retard" という差別的イメージをもたれかねないとして弾かれてしまっているようだ。

米国のシステムというのはこうした「ポリティカル・コレクトネス」に関する要素に、かなり神経質になっているようなのだね(参照)。冒頭の画像に表示されたタイトルでは、"Cuba" という言葉まで禁句のようだし。

 

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2020年9月14日

「カメラ・アイ」と「レコーダー・イヤ」

世の中には「カメラ・アイ」という能力をもつ人間がいるらしい。まるでカメラのように、見たものを瞬時に画像として記憶にとどめることができるので、例えば本のページを見た瞬間にそのまま記憶し、読み取ってしまえる。

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上の写真は "'Memory cop' officer recognises 850 criminals in four years" という、4年前の英国のニュースだ。カメラ・アイ能力のおかげで、4年間に 850人もの犯罪者を逮捕できた警官の話である(日本語訳のページはこちら)。2日に 1人以上のペースで逮捕というのだから、すごい。

「りたりこ発達ナビ」というサイトの荒木まち子さんという方のページには、娘さんのカメラ・アイ能力が漫画として紹介してある(参照)。母親が書いている原稿の PC 画面を一瞬チラッと見るだけで、"直すとしたらセリフ部分の「」が抜けてる箇所ぐらいだよ" なんて言ってくれるのだそうだ。

例えば私が上の写真のニュース・タイトルを敢えてコピペでなく、見た通りをそのまま手入力しようとしたところ、なかなか覚えきれず、ページ間を 2度行ったり来たりしてもできなかった。もし私にカメラ・アイ能力があったら、このくらいは一発だろうに。

ところが試しに "'Memory cop' officer recognises..." という文を音読してみたところ一発で記憶でき、スラスラ入力できてしまった。私は「カメラ・アイ」は持っていないが、「レコーダー・イヤ(録音機耳)」みたいなものがあるらしい。ちなみに「レコーダー・イヤ」は、今思いついたばかりの造語である。

そういえば私は、歴史の年号はそのままではまるで覚えられないが、語呂合わせを口で唱えればすぐに覚えられる。「いいくに(1192)作る鎌倉幕府」みたいなやつだ。家族の誕生日もすべて語呂合わせで再生されるので、離れて暮らしている娘たちに "Happy Birthday" コメントをいち早く LINE してやれる。

そして聞いた音楽は、原曲のキーで再現できる。聞いた曲が CD を聞くようにそのままの音程で脳内再生されるのだから、高くも低くもならない。さらに東北は庄内生まれのくせに、関西人と自然な関西弁アクセントで会話できるので、「関西生まれかと思ってた」なんて言われたりする。

芝居の台詞なんて、聞いているうちにいつの間にか役者の口調ごと覚えてしまう。『助六』の「ツラネ」(長台詞)は、団十郎と同じトーンで言える(決して「声色」というわけではない)から、役者をやれば「台詞覚えがいい」と褒められるだろう。

ただこうした感覚がありすぎると、直接聞く人の話や、ラジオやテレビのイントネーションやアクセント、言い回しなどに、ビミョーな間違いでもあるとそれが気になってしょうがない。

「今の言い方だと、反語として逆の意味に受け取る方がむしろ自然だよね」なんて言うと、「そんな細かいこと、どうでもいいじゃん。誰も逆になんて受け取らないよ!」なんて、鬱陶しがられてしまうことがある。

いや、話し言葉というのは「文字通り」と「言い回し通り」の食い違ってしまうことが結構あるのだよ。私は前にも書いたことがあるように「アスペルガー一歩手前」だから、そんなヤバい言い回しを聞いてしまうと、勝手に後々まで悶々としてしまったりすることがある。

これなんか、カメラ・アイの人が「フラッシュバック」現象に悩まされるというのと、共通するところがあるかもしれない。

 

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2020年9月13日

『安倍晋三 沈黙の仮面』を買うのは止めた

下の画像は、Amazon にある『安倍晋三 沈黙の仮面』という本の紹介ページの一部である。「その血脈と生い立ちの秘密」というサブタイトル付きだ。

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この本は著者の野上忠興氏が安倍首相の生い立ちを徹底取材して書き上げたもので、とくに乳母兼教育係を務めた久保ウメさんという女性の証言が特筆とされる。

安倍首相批判を展開している私としては、彼に関してしっかり知るために、一応はこの本を読んでおくべきなのではないかという気がして、先日ちょっと調べてみた。発売元の小学館のサイト(参照)には、この本の内容を紹介したページがあるので、ちょっと引用してみよう。

甘えん坊で頑固、自分の思い通りにならないと癇癪を起こした晋三少年は、ウメを手こずらせた。いたずらなら、まだいい。問題は学校の宿題をやらないことだったという。

「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。(中略)

私がかわりに左手で書いて、疲れるとママに代わった」(ウメ)

とまあ、こんなような少年だったらしい。宿題なんて私もあまり真面目にはやらなかったが、乳母に代わってやってもらうなんて、かえって不愉快なんじゃないかなあ。まあ、私には乳母なんていなかったけどね。

成蹊大学に進学すると、「アルファロメオで通学し、友人と雀荘に通い詰め、学習院大のアーチェリー部との合コンに青春を燃やした」というのだから、よく言えば「いいご身分」、率直に言わせてもらえば「どら息子」である。

その頃、ワセダに通いつつアルバイト三昧していた私の耳にも、「慶応、成城、成蹊の学生なんてクルマで通学してるやつが多くて、『妖怪・岸信介』の孫なんて、派手な外車でブイブイ言わしてるらしい」なんて噂が届いていたよ。これって、本当だったんだね。

成蹊大学卒業後は南カリフォルニア大学(USC)に留学するが、結果は次のようなものだ。

1年足らずで挫折し、政治学科の単位はゼロ。ホームシックから連日、日本の自宅にコレクトコールをかけ、1か月の電話代が10万円を超えることが続いたため、父・晋太郎氏が「それなら帰国させろ」と激怒したこともあった。

せっかく米国西海岸まで行って、一体何をしてたんだろう? 私が若い頃にカリフォルニアに留学なんてさせてもらったら、やることがありすぎて、自宅に長々とコレクトコールするヒマなんて到底なかったと思うがなあ。

祖父の岸信介に猫かわいがりされ、できすぎの乳母に世話されたために、お世話係か、ツルんでくれる「お友達」が近くにいないと、どうにもならない人間になってしまったんだろう。この紹介文を読んだだけで、これまで思っていた以上に「お粗末なオッサン」との印象が強まる。

成蹊大学時代の教授である加藤節氏が「安倍さんは 65歳という年齢の割には、とてもチャイルディシュ(子どもっぽい)だという印象です」(参照)と語るのもむべなるかなである。

そして私としては、1,540円(中古でも 921円)も払ってこんなに次元の低いオッサンの話を読むのは馬鹿馬鹿しくなってしまった。同じ金を払うなら、もっとまともな話の本を読みたいものではないか。

というわけで、Amazon に『安倍晋三、沈黙の仮面』を注文するのは止めとくことにした。著者の野上忠興さん、ごめんね。以上、おしまい。

 

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2020年9月12日

「ぶっちゃけ本音主義」もここまで来たか

NewSphere の 9月 9日付に "トランプ氏、支持者に「2度投票」勧める 郵便投票後に投票所でも" という記事があるのを見て、始めは「いくらなんでも、まさかね」と思っていた。

200912

トランプ自身がジョークとして言ったのか、あるいは記者が「こんなことを言わんばかりだったよ」とジョーク的な批判記事として書いたのかのどちらかだと思ったのだ。しかし実際に記事を読んでみると、実際もろにトランプ自身が「2度投票」を呼びかけたんじゃないか。

記事からちょっと引用しよう。

トランプ氏は郵便投票が不正選挙につながると連日ツイッターでアピールしたり、郵便公社への資金投入に反対したりして今回の大統領選をかく乱するような言動を見せてきたが、共和党大会後すぐに再開した選挙集会で、支持者に向かって「2度投票する」という不正を勧める事態に発展した。

NBC ニュースの元記事に飛んでみると、タイトルは "Trump encourages North Carolina residents to vote twice to test mail-in system" (トランプはノースカロライナの住民に、郵便投票システムをテストするために 2度投票することを奨めた)というものだ。

「テストする」という言い方のココロは、NewSphere の記事の言い方ではこんなことになる。

「(有権者に)郵便投票を送らせて、そして(投票所でも)投票させてみよう。もしこの(郵便投票の)システムがそんなによいと言うなら(2度目の)投票はできないだろう。もし(郵便投票が)カウントされていないなら投票できるはずだ」と発言した。

つまり、「あわよくば 2度投票できちゃうかもしれないから、その節は 1人で 2票、俺に入れてくれ」ということである。現職大統領の発言としてはもってのほかだが、劣勢を伝えられるトランプとしては「思いつく限りのことを何でもやってみろ」ということのようなのだ。

「ぶっちゃけ本音主義」もここまで来たかという感じである。(「ぶっちゃけ本音主義」は私の造語で、それについては 4年前の記事を参照されたい)

こうした感覚については我が国の安倍首相のやり方にも共通点があって、「法的観点からするとかなり疑問だが、権力を笠に着てやっちまえ」ってな勢いで、ずいぶんいろいろなことをやってきた。

ちょっと挙げてみるだけで、「桜を見る会」の前夜祭で支持者たちに税金で飲食を提供しちゃってるほかにも、森友学園問題での破格の値段での国有地売却、自分をかばう検事長を辞めさせないための定年延長決定など、この人、「お友達」には露骨なまでの厚遇をしているのである。

一方、一旦「敵」と見なすと圧力をかけたり、ポスト面で極端なまで冷遇したり、やりたい放題だ。これもまた、呆れるまでの「ぶっちゃけ本音主義」だよね。

トランプと安倍首相って、「似たもの同士」なんだろうと思うほかない。

最後にちょっと付け足しておくが、バイデンの支持者まで「その手があったか!」とばかり「2度投票」して通ったりしたら、トランプはますます大差で負けちゃうことになるよね。あるいは、そんなお行儀の悪いことをすろのは、自分の支持者しかいないと信じているのかもしれないが。

まあ、今の時点でこんなことを言ってくれたから、米国の選挙管理当局も万が一にもそんなことにならないよう、きちんとシステム・チェックするだろうけどね。

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2020年9月11日

「お洒落なだけの web サイト」は付き合いきれない

東洋経済 ONLINE に垣内勇威(かきうち ゆうい)さんという方による「Web サイト刷新の 75% が失敗に終わる残念な訳」という記事がある。「経営者や責任者の気分はユーザーに無視される」というサブタイトル付きだ。

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私はこの記事を読んで、「そうそう、そうなんだよ!」と膝を打った。いや、実感としてはむしろ逆に「ユーザーにとっての『使いやすさ』は、経営者や責任者の『気分』で無視される」という方がいいんじゃないかとさえ思う。

本当に(どこのサイトとは敢えて言わないが)、企業や団体の Web サイトが突然リニューアルされてしまうと、それまで重宝していたページへのリンクが妙に廻り道になってしまったり、あるいはそのページ自体が削除されてしまったりで、「なんだよ、こりゃ!」と言いたくなってしまうことが多い。

見た目は確かに「お洒落」にはなっている。しかしただそれだけの話で、使いやすくなったとも中身が充実したとも言えず、大抵の場合はむしろ使いにくく薄っぺらになってしまっている。

なんでそうなってしまうかというのは、垣内氏が明確に指摘しているように、"Web サイトリニューアルにおいて、最も重視されるのは表層的な「デザイン」の刷新" でしかないからだ。具体的には、次のように指摘されている。

リニューアルの大半は、経営者や事業責任者の「気分」でスタートする。彼らにとって Web サイトリニューアルは「儀式」の1つだ。「新しく社長に就任する」「新しい経営戦略を打ち出す」「DX(デジタルトランスフォーメーション)に注力している感を出す」など、「新しい感」を出したくなったときにまずテコ入れされるのが Web サイトである。

私自身、10年以上前に Web サイト制作の仕事に関わっていた(顧客のほとんどは中小の企業、団体だったが)時にも、それは如実に感じていた。経営者や理事たちの要望なんて単なる「雰囲気のモノ」でしかなく、「お洒落な見た目」しか求められない。

彼らの多くは「きれいな写真やビデオをふんだんに使って、動きのあるページにしてくれ」なんて言うのである。だがそれを言うなら、もっとちゃんと製作費を出してくれってなものだ。

予算が限られているならシンプルでも実質的な内容にして、受注や問い合わせの増加が見込めるサイトにすべきなのだが、決してそうはならない。彼らにとっての Web サイトとは、営業マンに訪問先で「これ、ウチのホームページです。どうです、お洒落でしょ?」と言わせるための道具でしかないからだ。

実際には、単にお洒落なだけで目的のページに行くのに手間のかかるサイトなんて、2度目のアクセスが望めない。ましてや、それまで使いやすかったサイトのデザインが急に変わってわけがわからなくなったりしたら、「もう、この会社とのお付き合いは終わり!」なんて言いたくもなる。

というわけで、多くの経営者の web サイトに関する考え方が、この 10年以上にわたってあまり変わっていないことに驚いてしまった。

 

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2020年9月10日

デザイナーとしての葛飾北斎

Japaaan Magazine に "これぞデザイナー北斎! 葛飾北斎が作ったオリジナル文様が紹介された古文書「新形小紋帳」を全ページ紹介" という特集がある。北斎のデザイナーとしての素晴らしい力量がわかるものだ。

200910

葛飾北斎といえば文化文政時代の浮世絵師で、『富嶽三十六景』が代表作だが、そのほかに『北斎漫画』などの絵手本集やスケッチ集なども知られている。かなり器用な絵師だったようだ。

今回紹介されているのは『新形小紋帳』というもので、着物柄の文様集のようなものである。「単なるデザイン集ではなく、描かれた文様をどのように描くのか解説していたりもして、北斎先生の技術がつまった手習い書とも言えるでしょう」と解説されている。

この小紋帳に収められているデザインは技術的に秀でているというばかりでなく、独創性という点でも面白い。例えば「輪違い」というのは複数の輪を組み合わせるジャンルだが、北斎の場合は単なる「輪の組み合わせ」というに留まらず、輪から発想した豊富なデザインが収められている。

2009101

上図の左下「ワち可゛ひ うさ記゛」(わちがい うさぎ)なんていうのは、「輪違い」の発想を洒落た方向に膨らませたものである。幾何学デザインからはみ出していないというのがキモだ。

そして細かいことだが、模様の多くがほんの僅か左に傾いていて、私なんか画像ソフトで右に 1〜2度回転させて修正したくなっちゃうようなのが面白い。フィジカルな「癖」みたいなものを感じさせて、北斎がまだどこかで生きているような気がしてしまうのは、「アナログの味」である。

そう言われてみれば、彼の最も有名な作品『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』も、構図が斬新というだけでない。細部に至るまで、幾何学的な緻密さプラスほんのちょっとした歪み(富士山頂なんて左端が高いし)で構成されているのがわかる。

とくに波頭が砕けているところなんて、実際にはこんなふうに細かく枝分かれしているはずがない。これって、得意の「輪違い」技法から来てるのかもしれない。ふぅむ、北斎って、そういうベースの画家だったんだ。

2009102

江戸のデザインというのは、なかなか捨てたもんじゃないのである。

【9月 11日 追記】

昨夜にアップしてから新たにどんどん書き足したくなり、今朝 8時の時点で、ついに倍以上の分量になってしまった。悪しからず。

 

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2020年9月 9日

「正しい自分」を押し通したい人

昨日の "マスク拒否し「非科学的だ」と乗務員威嚇の男性客、関空行きピーチが新潟に着陸し降ろす" というニュースには、「はぁ?」と呆れてしまった。(マスク着用を)「要請するなら書面を出せ」などと言い張って乗務員を威嚇、大声をあげたのだという。

200909

航空機内でマスクを着用することの COVID-19 感染防止に関する有効性については諸説あって、「航空機内ではマスクを着用した方が良いのか?」という記事で、感染症専門医の忽那賢志氏が詳しく語っている。ここでは一応、それはそれとしておこう。

新潟空港で降ろされた男は、マスクの有効性に否定的な考えをもっていたようだ。そしてその考えを「正しい」と信じ切り、その「正しい自分」をシンプルに押し通したかったのだろう。ただ、このケースでそれよって生じる軋轢や弊害については、思いが及ばなかったようだ。

「正しい自分」を押し通したい思いが強すぎたため、機長により「機内の秩序を乱す行為に当たる」と判断され、緊急着陸した新潟空港で降ろされてしまった。そしてピーチ便の本来の目的地の関西空港への到着は、2時間 15分遅れとなったわけだ。

2009092

上の画像は同じ便に乗っていたと思われる人の tweet だが、もう、「運が悪かったね」と言うほかない。世の中にはこんなこともあるのだね。

新潟空港で降ろされた男は、ほんの数時間、ちょっとした息苦しさと「こんなこと、無意味なんだがなあ」と思うストレスをやり過ごすよりも、飛行機を臨時着陸させ、なおかつ降ろされてしまうという事態を選択する結果となった。そこまでしても、「正しい自分」を押し通したかったわけである。

というわけで、私は「自分は正しい」と信じ過ぎる人は苦手である(参照)。

ついでに堀江貴文という人は、マスク着用拒否男性を臨時着陸して降ろした航空会社を批判して、 "「ムカつく」" なんて言ってるらしい。これも含めて、こうしたことというのは、ある意味「子供っぽさ」の現れと感じてしまうのだ。言ってしまえば「駄々っ子」である。

そう思った途端に、Yahoo!Japan ニュースで【安倍首相の成蹊大学時代の “恩師” が苦言 「首相としてもう少し知的になってほしかった」】というニュースに遭遇した。成蹊大学名誉教授の加藤節(たかし)氏が、安倍首相について次のように語っている。

安倍さんは 65歳という年齢の割には、とてもチャイルディシュ(子どもっぽい)だという印象です。国会での品のないヤジをみると、人間的には未熟に感じます。気持ちを抑えられないのでしょう。すぐに「悪夢のような民主党政権」と言うのも、先ほど述べたように他者批判を自己批判に向けられない人の典型です。これも子どもの所作です。

加藤氏が「九条科学者の会」呼びかけ人のリベラル派ということを差し引いても、「言い得て妙」という指摘である。そんなだから、先月、こっちまで ”「ボクちゃん、お腹痛いから早退する」ってことね” なんて、品のない記事を書きたくなってしまったわけじゃないか。

ここから先は完全に端折っちゃうが、我々、いろいろな意味で、もっと大人にならなきゃいかんなと思う次第である。まあ、自分も含めてね。

 

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2020年9月 8日

少々夏バテ気味だ

先月末あたりの天気予報では、9月に入れば暑さが少しは和らぐなんて言っていたが、とんでもない。まだまだ残暑が厳しくて、さすがにバテ気味である。

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上の図は weathernews のサイトに出ていた「9月の気温傾向」だが、沖縄を除く日本全国で「平年より高め」となっている。しかも関東の天気傾向は「曇りや雨の日が多くムシムシ暑い」ということになっていて、要するに一番イヤな暑さが続くってことだ。ああ、沖縄に避暑に行きたい。

思えば 9年前の 2011年、あの「東日本大震災」のあった年、私は自宅のエアコンの電源をコンセントから抜いたままだった。原発事故で電力不足が喧伝されたため、「それなら、エアコンなしで行ったるわ!」と、気合いで乗りきったのである。ちなみに、翌 2012年もエアコンなしで過ごした(参照)。

ところが、今年はさすがにエアコンなしでは耐えきれない。コロナ禍による「テレワーク」が当たり前になり、自宅で PC に向かいっぱなしで仕事をする時間が増えたこともあって、素直にエアコンを使いまくった。そうでもしないと熱中症でダウンしそうだったしね。

「それにしても、8年前、9年前は、よくエアコンなしで耐えられたなあ」と、我ながら不思議に思い、気象庁のページでデータにあたってみた。とりあえず茨城県つくばの地域の 2011年 8月と、2020年(つまり今年) 8月のデータを比較してみたのである。

面倒くさいことはさておいて、気温のみに焦点を当てると、2011年 8月は 30℃ 以上になった真夏日が 18日あり、その中で 35℃ 以上の猛暑日は 5日間だった。それほど涼しい夏というわけでもなかったのに、まあ、意地でもエアコンのスイッチを入れなかったわけである。

ところが今年の 8月は様相が全然違う。気温 30℃ 以上の真夏日が 26日もあった。つまり「ほとんど毎日真夏日」に近かったのである。そのうえ 35℃ 以上の猛暑日が 8日あり、さらに 33℃ 台 と 34℃ 台が、それれぞれ 5日ずつあった。

つまり、「滅茶苦茶暑い猛暑日」と「単なる真夏日以上の、本当にクソ暑い真夏日」を合わせて、月の半分以上の 18日あったってわけだ。そして 9月に入っても半分以上が真夏日で、しかもムシムシする高湿度。そりゃ、夏バテもするわ。

というわけで、まだ 9月上旬だというのに早くも 10月の声を聞くのが待ち遠しい。新蕎麦の食える頃になれば、少しは一息つけるだろうと、今から楽しみにしている。

 

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2020年9月 7日

安倍首相支持という「集団的陶酔」

JNN の世論調査で、内閣支持率が急前月比で 27.0ポイントも上昇して、62.4% に達したという(参照)。内閣支持率というのは現・安倍内閣の支持率のことと、念のため断っておかなければならないと思うほどのびっくり数字である。

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辞任が発表されたとたんに、Twitter で「#安部総理お疲れ様です」なんていう雰囲気が俄然盛り上がったというのも気にかかる。その発端と言われているのは、つるの剛士というタレント(実は、私は彼の顔も、「剛士」ってどう読むのかも知らないのだが)の tweet なんだそうだ(参照)。

さらに朝日新聞の調査によると、安倍政権の実績評価に関して、"「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて、71%が「評価する」と答えた" という(参照)のだから、ますます驚きだ。日本という国は、一体どうしちゃったんだろう?

いや、日本ばかりじゃない。夕刊フジによればあの中国まで、SNS では安倍首相へのポジティブな労いの言葉が相次いだという(参照)。この現象って、一体どう解釈したらいいんだ?

この謎を読み解くには、「忖度」(あまりに気恥ずかしい言葉なので、私はいつも「ソンタク」とカタカナ表記にしているのだが)というのが重要なキーワードとなりそうだ。東洋経済の "安倍首相 「忖度しないコロナ」 には無力だった" という記事に注目してみたい。

一般に人間というのは、心のサイクルが「ソンタク」に沿って回転し始めると、つい甘い方向に流れる傾向があるが、安倍首相という人への心情に限っては、この傾向が異常に強いみたいなのだ。それでちょっとでもシンパシーみたいなものを感じてしまうと、あとはどんどん礼賛に突っ走る。

ところが新型コロナウイルスというのはヤバいことに、人間と違って「ソンタク」というものを全然してくれない。それでこれによる感染症問題が大きくなると、安倍首相は「無力」でしかなかったというわけだ。彼はソンタクのない世界ではどう振る舞ったらいいか、わかっていない人のようなのだ。

さらに中国での反応を報じた夕刊フジによれば、中国にとっては好ましくない政治家のはずの安倍首相の庶民的人気が高いのは、「中国人のストロングマン好き」が主に影響しているという。

「悪い奴」は単に憎たらしいだけだが、「悪くて強い奴」は逆に人気が出てしまうのである。

個人的には安倍首相が「ストロングマン」とは全然思わないのだが、そんなように錯覚してしまう土壌はあるのだろうね。で、同様の心情から、日本国内でも妙に庶民受けしてしまったのだろう。

つまり「ひとたび『ストロングマン』と錯覚してしまうと、無用なソンタクまでしてしまいたくなる心情」というのがクセモノなのだ。さらに「ソンタク好きな人」というのは、自分でしたソンタクに自分で酔ってしまったりするから、ますます始末に負えなくなる。

というわけでこれって要するに、昨年まで安倍首相にソンタクしていたものの、最近になってようやく客観的に見ることのできかけていた人たちが、辞任発表を機に急にまたソンタクに酔い始めたことによる「集団的陶酔」現象なんだろうと解釈しておくことにした。

数字的に見ても、そんな感じで辻褄が合うしね。

 

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2020年9月 6日

「納豆」を「ナロゥ」なんて言うから食えないんだよ

NewSphere の 9月 3日付に "「日本のスーパーフード」納豆に海外が注目 米番組の試食では……" という記事がある。副タイトルの 「米番組の試食では......」の最後に付いた 「......」が、かなり意味シンだ。

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この記事は、「イギリスの医学誌に掲載された論文で、納豆を多く食べる人ほど長生きするという研究結果が発表され・・・」と紹介している。そして記事の 2ページ目の動画は、テキサス州サンアントニオのテレビ局 KENS5 の納豆レポート だ。

動画の前半では、マーシャルアート(格闘技)のインストラクターが納豆のおかげで高血圧症を克服したという体験のインタビューが流れる。そして最後が、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図だ。

これの元記事のタイトルは、"Studies suggest Japanese superfood Natto could extend your life, if you can stomach it" (研究によれば日本のスーパーフード、納豆は寿命を延ばすという。もしそれを胃袋まで飲み下せば)なんていうものだ。納豆も、ここまで特別扱いされるのだね。

動画のナレーターは、この ”sticky, slimy and smelly(ネバネバでベトベトで臭い)fermented soybeans(発酵大豆)" を、"It's called 'natto'" (それは「納豆」といいます)と紹介している。ただ米語発音の常として、日本人の耳には "natto" が「ナロゥ」と聞こえてしまうのだ。

これは日本人の耳がおかしいとか、英語に慣れてないからとかいうわけじゃなく、彼らが実際にそう発音してるんだから仕方がない。私は冒頭のナレーションを聞いた瞬間、「『ナロゥ』って何だ? 『納豆』の話じゃなかったのか?」なんて思ってしまったよ。

私自身、フツーに "better" を「ベラ」、"bottom" を「バルム」みたいに発音する人なのに、「納豆」に限っては「ナロゥ」と発音されて戸惑ってしまったのだ。それほど「ナットー」というのは、音としても日本人の脳の底まで深く染みこんでいるわけなのだね。

しかし、大したもんである。納豆で高血圧症を乗り越えた格闘技インストラクターの男性は、きちんと「ナットー」と聞こえる正しい発音で「納豆」の良さを説明し、おいしそうに食べてみせる。納豆の本場、茨城県に生息する私としては「それでこそ!」と思ってしまったね。

彼は多分、納豆を食することに関して耳情報から入ったのだろう。"Natto" をちゃんと 「ナットー」と発音する日本人に、口伝えにその効能を伝えられたに違いない。

続いて、4人のキャスターとレポーターが納豆の試食に挑戦する図となる。ちなみに彼らの発音は、揃って見事に「ナロゥ」である。文字としての "natto" から入ると、米国人はどうしてもこうなる。

そしてこれがもう、4人ともまともには食えない。目の前にある納豆をかき混ぜてみるだけで複雑極まりない表情となり、恐る恐る口に入れては妙に切羽詰まったような顔になる。

女性キャスターは "acquired taste" (後天的に後にならなきゃわからない嗜好品の味)なんて表現している。しかしこれはおかしい。私は記憶に残っていないほどの幼い頃から、フツーに納豆を食べていたはずだから、「後にならなきゃわからない」なんてことはない。

実際にはむしろ、納豆を見て気持ち悪いと感じる反応こそが、後天的なものだろうと思う。物心ついて以後に「糸を引くようになったら、そりゃ『腐ってる』ってことよ」と学んだことが、決定的に邪魔しているのだ。これが「後天的」な要素でなくて何なのだ。要するに、余計なことを考えずに食えばいいのだ。

ここまで来ると私としては、「お前ら、畏れ多くも『納豆』のことを『ナロゥ』なんて言うから良さがわからくて、食えないんだよ!」と言うほかないと確信してしまったよ。

ということで、今日はこんなところでお粗末様。

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2020年9月 5日

Zoom のビューの並び順が「上座・下座文化」に対応?

スラドに「Zoomがビューの並び順を任意に変えることのできる機能を搭載。日本の上座・下座文化に対応か」という記事があるのを見て驚いてしまった。「上座・下座文化」って、そこまで根強いものだったのか。

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Zoom を使ったミーティングは最近かなり盛んに行われるようになった。そして個人的には組織内の地位や役職に関わりなく、自分とホストの画像が一番上になる以外は、ほぼアクセスした順にギャラリーが並ぶというのを、余計なストレスのないコンセプトとして、むしろ好ましく思っていた。

中には、「〇〇部長のお顔がずっと下の方になっているのは、ヤバいんじゃないの?」なんて言うヤツもいないわけじゃないが、そんなのは「仕様ですから」の一言で済ませていた。しかし今後はホストが手動でギャラリーの並び位置を変えられるというのだから、ある意味面倒なことになってしまった。

これからは Zoom 会議をする度に、「〇〇部長をちゃんと上座に移せ」とか「〇〇部長と△△部長では、どちらを上座にすればいいんだ?」とか、馬鹿馬鹿しい軋轢が生じてしまうだろう。その度にホストはビューの表示順で神経をすり減らすことになる。

そんな余計なことをするよりも、「仕様ですから」で割り切る方がずっと面倒がないと思うがなあ。

 

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2020年9月 4日

栃木の難読地名

今日は栃木県に出張。本当に久しぶりで国道 294号から国道 4号に入って、宇都宮まで行った。

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昔(我が家の子供たちが小さかった頃だから、30年以上前)は、夏や冬に山形県庄内と妻の郷里である仙台に里帰りするのに、この道をよく通っていた。我が家を夜の 7時過ぎに出発すると、仙台に着くのは真夜中過ぎになってしまうから、かなりの体力勝負だった。

つくばの地から素直に常磐道に乗ってしまうと、当時の終点だったいわき中央インターで降りざるを得ず、そこから東北道の郡山インターまで、国道 49号線という田舎道を延々と西に辿る。この行程は真っ暗な夜道になってしまうだけに、かなりのストレスだった。

しばらくして、国道 294号線で宇都宮の先まで行き、矢板インターから東北道に乗る方がストレスがないとわかったので、常磐道が仙台に延長されるまでは、ずっとこの道を辿っていたのである。それ以来だから、本当に久しぶりだ。

ところで、国道 294号線を辿って栃木方面に向かうと、難読地名が結構ある。上の写真は赤信号で停まった際に撮ったのだが、「益子」は「益子焼」で有名で、「鹿沼」はほとんど問題なく読めるとしても、「上三川」と「真岡」をまともに読める人は少ないだろう。

種明かしをすれば、「上三川」は「かみのかわ」、「真岡」は「もうか」と読む。「もうか」の方は「まおか」の音便だからまだいいが、「上三川」は「はあ?」となる。「かみみかわ」というならならまだわかるが、「かみのかわ」では、どうして「上 - 三川」という表記になるのかさっぱり納得できない。

「今日は一般道を通って宇都宮まで行くんだよ」と言うと、妻が即座に「ああ、あの『もうか』とか『かみのかわ』とか、難しい地名の連続する辺りを越えて行くのね」と応じた。彼女としても、これらの難読地名はよほど印象的で、今でも覚えているもののようだ。

 

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2020年9月 3日

夏の憂愁

9月になって初日は、ほんの少しだけ暑さがしのげたが、今日はまた猛暑に逆戻りである。湿度が高いのでバテバテだ。

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NATIONAL GEOGRAPHIC に "夏の不調、夏バテではなく「夏季うつ」かも" という記事がある。「理解されづらい夏の抑うつ、背景に社会の同調圧力や認知度の低さも」というサブタイトル付きだ。

この記事の冒頭には、43歳の米国女性の「季節性感情障害(Seasonal Affective Disorder、SAD、季節性気分障害とも)」の例が紹介されている。"SAD" という略称が、何だかぴったりしすぎである。

SAD には「夏型」と「冬型」があるが、冬型は「季節性の日照不足によって引き起こされ、自然光に似た波長の光を 1日 30分以上浴びる光療法で症状をかなり抑えられる」という。ある意味、単純だ。

ところが夏型はちょっと難しいようで、次のように説明されている。

一方、夏季うつの患者は動揺しやすく、不眠、食欲不振、体重の減少がみられる。冬季うつより自殺の可能性が高いのも特徴だ。夏季うつを引き起こすのは、高温、多湿、さらには花粉の多さなど、複数の環境要因だ。

「夏バテ」だとばかり思い込んでいたが、実は 夏型の SAD だったということもあるようなのである。冬型と比べると数も少ないし、ほとんど知られてもいないため、適切な処置が難しいというのだ。

さらに「できるだけ屋内にいたいのに、夏は太陽の下で楽しむべきだという社会的な同調圧力があまりにも強く、そうさせてもらえない患者もいる」というのだから、厄介だ。「冬は元気がなくて当然だが、夏は明るく楽しむ季節だろ!」という通念が邪魔しているわけだ。

夏型 SAD というと、私は Janis Joplin の "Summertime" という歌が思い浮かぶ。この曲はミュージカル『ポギーとベス』(Porgy and Bess)で歌われる子守歌だが、ジャニスが歌うともろに「夏の憂愁」になってしまう。

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2020年9月 2日

「血ぃ見るで!」・・・  一音節名詞のこなし方

本日は、一昨日の "「カガ/チガ」じゃなかった、「蚊/血」に見る二律背反" という記事の、いわば続編のようなものである。「またしても、妙なところにこだわってるな」と苦笑いされるかもしれないが、まあ、ちょっと我慢してお付き合いいただきたい。

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親が「蚊が!」とか「血が!」とか言いがちなので、子どもが「カガ」とか「チガ」とかいうのだと思い込むのは、結構よくあることのようなのだ。それで小学校 6年生の子が「『カガ』に刺されちゃった」と口走ったり、ウチの長女が怪我をして「『チガ』が出ちゃった」とアセったりする。

それで私としても、"げに恐るべきは「一音節の名詞」である" と書いている。

ところが関西弁では、「一音節の名詞」を文字通り短い一音節で発音することは少ないようなのである。母音をちょっと延ばし気味にして、寸詰まりの一音節で終わるのをビミョーに避けている。

というわけで「蚊」とか「血」は、「蚊ぁ」「血ぃ」になったりする。「いわゆる標準語」では「血をみるぞ!」というところが、「血ぃ見るで!」になり、このシステムの方がずっと迫力あるのだ。

そのおかげで、「手を出す」と言うところを「手ぇ出す」と発音して、「を」という助詞の省略を可能にしている。「いわゆる標準語」では助詞を省くと「手出す」になって寸詰まり感が出てしまうが、「手ぇ出す」だとかなり自然だ。やはり関西弁の方が日本語の本家本元と思わざるを得ない。

ちなみに私の故郷の庄内弁でも、「蚊ぁ」「血ぃ」「手ぇ」・・・ になる。「蚊に刺された」は、庄内弁だと「かぁがらかっだ」。わけわからないだろうが、原語的には「蚊から食われた」ってこと。

ついでに説明しておくと、「食う」は「食わない、食います、食う、食うとき、食えば、食え、食おう」の五段活用だが、庄内弁では、「かね、(くいます)、く、くどぎ、けば、け、こ」と、チョー・シンプル。なお、「くいます」なんて言い方は滅多にされず、敢えて丁寧に言うなら、「くなでがんす」かな。

尾籠な例だが、「へぇふる」と言ったら「屁をひる」という意味で、ちょっと高尚になると「木を見て森を見ず」は「木ぃ見で森見ね」だ。関西だと「木ぃ見て森見ぃひん」みたいになるのかな。

自然な日本語では、「てにをは」が結構自然に省かれる。ところが「一音節の名詞」をかっちりと短く発音する際には、ことさらに使う必要が生じてしまうわけだ。ちょっとワンクッション置かないと、どうしても寸詰まりになってしまうのでね。


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2020年9月 1日

もう 9月か!

先月末はラジオに登場した気象予報士も「9月の声を聞いたら明らかに天気の曲がり角で涼しくなる」なんて言っていて、今日のつくば周辺の最高気温は 27〜28℃ 程度のものだったようだ。連日の猛暑日が当たり前だった 8月下旬とは、確かに様相が異なる。

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ただ、上の画像(weathernews の情報)にもあるように、午後 3時を過ぎても 26.3℃ (十分に「夏日」の条件を満たす)あり、湿度も高いので「ムシッと暑い」という表現がぴったりである。そして明日はまた 32℃ になるというのだから、「天気の曲がり角」もかなり緩いカーブ程度ということのようだ。

そんなことよりも今さらながらびっくりしてしまうのが、「もう 9月か!」ということだ。2020年もあと 4ヶ月しか残っていないわけで、今年の 3分の 2 は、なんだかよくわからんうちにいつの間にか過ぎ去ってしまった印象である。「ドサクサ紛れ」とは、まさにこのことだ。

私は仕事柄、月に 2〜3度は出張するという暮らしを続けてきたので、例年なら 8月末の時点で 20回以上は全国各地に出かけているはずなのだ。ところが今年はコロナ禍の影響で出張が激減してしまい、こんな感じである。

1月: 大阪伊豆横須賀
2月: 赤穂大阪
3月: 鈴鹿網走
  (4〜6月は、どこにも出られず)
7月: 山梨浜松加古川

5〜6月は、四国 2か所と倉敷への出張が早くから決まっていたのだがすっ飛んでしまい、8月も例年なら関西方面に 5〜6日の出張があるはずなのに今年はなし。というわけで、いつもの年の半分ぐらいしか旅に出ていない。

しかも、ただでさえ少ない旅先でも、ついでにいろいろ見物するなんてことは憚られて、用が済めばそそくさと帰るばかりだ。3月の網走で「流氷見物」ができたことを除けば、行った先の印象がほとんど残っていない。とくに大阪なんて百回以上行ってて、珍しくもなんともないし。

今月は 2回の出張が決まっているが、いずれも近場でしかない。というわけで、旅好きとしては欲求不満が昂じてしまっている。ああ、四国か九州に行きたい!

 

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