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2020年11月に作成された投稿

2020年11月23日

そんなに「肉みたいなもの」を食べたいかなあ

NewSphere が "植物由来の「肉ではない肉」がメインストリームへ" というニュースを伝えている。マクドナルドなどのファーストフードも採用に踏み切り始めているというのだ(参照)。

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私はかなり前から肉食を避けるようになていて、2017年 4月 6日の”「脱肉食」を巡る冒険” という記事には次のように書いている。

別に「好き嫌い」で肉を避けているわけじゃないので、それしか食うものがなければ仕方なく食いもするが、最近はどんな高級肉でもおいしいとは感じられない体になった。

そしてこの頃からどんどん肉食が減って、一昨年頃からは肉を完全に食べなくなった。その明確な理由は、昨年 5月 26日の記事に書いてある(参照)。倫理的な理由で肉は食わないと決めた限りは、それを食うのが苦痛と感じるようになったのだ

最近は完全なベジタリアン(菜食主義)というわけではないものの、魚介系は食べるという「ペスカテリアン」として暮らしている(参照)。さらに魚でも資源枯渇が問題になっているマグロとウナギは食わないことにしているし、卵と牛乳も意識して減らしているので、かなりマジメなペスカテリアンである。

医者をしている昔の同級生に「肉も食わないと体に良くないよ」なんて言われたことがあるが、それは「医学的迷信」だと思っている。肉を止めてかなりの年月になるが、こんなに健康でピンピンしているのだから事実が証明している。

冒頭に紹介した記事の話に戻るが、米国で植物由来の「肉でない肉」の需要が伸びているのは、新型コロナウイルスによる感染症拡大の影響らしい。「初期の食肉工場での感染拡大で肉が品薄になったこと、家にいることが増えて料理の機会も増え、食材に対する関心が高まったこと」が要因だという。

ということは、米国人の多くは「本当は肉を食いたいんだけど、肉が品薄なので植物由来の『肉もどき』を食ってみた」というのが、正直なところなのだろう。マクドナルドで「本物の肉を使わないハンバーガー」を扱うのも、その理由がポジティブなものとはいえ、結局は「代用品」というスタンスだ。

ただ、とかく「代用品」に付きもののネガティブ感覚が薄れているのは、「代用品とはいうものの、最近はちゃんとおいしくなってるし」ということが大きいだろう。つまり「ちゃんと本物の肉みたいな食感がある」ってことだ。

ところが私としては、どんなに「よくできた肉の代用品」だとしても、そんなもの食う気がしなくなっている。肉そのものを食いたくないのだから、「肉に似せたもの」だって食いたいと思わないのが自然だろう。

というわけで、「そんなに『肉みたいなもの』を食べたいかなあ」と思ってしまうのである。

 

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2020年11月22日

近頃、交通事故現場に遭遇することが多い。

近頃、交通事故がやたらと多いような印象だ。身近なところでも目撃するし、ニュースを聞いても高速道での事故が多い。

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昨日は 50km 先までクルマで行く用があったのだが、出かける際に我が家のある住宅地から県道に出る交差点が、事故処理の真っ最中で通行止めになっており、目的地に着くのがギリギリになってしまった。ワゴン車の単独事故で、舗道の敷石を乗り越えて斜めになったまま動けなくなっていた。

さらにその日の帰り道でも、日の暮れかかった県道で乗用車同士の追突事故が起きていて、またまた交通規制のために帰宅が遅くなってしまった。クルマのリア部分がグシャリと潰れていた。ここ 1週間で、かれこれ 4度ほど交通事故現場に遭遇している、

今日はちょっと買い物に出てカーラジオを聞いていると、東名高速と常磐道でも交通事故があり、一時通行止めになっていたという。ただでさえ三連休で道路が混雑しているのに、高速道まで通行止めでは大変だっただろう。

私が茨城県に移転してきた 40年前は、「茨城は運転が荒くて事故が多い」という評判だった。何しろ「茨城県の道路では制限速度の 2倍まで出していい」なんて無茶苦茶なことが言われていたほどである。

ところが最近ではさすがに高齢化が進んだせいか、県内の道路の流れもずいぶんのんびりしたものになって、制限速度が 50km/h の道を 40km/h 以下でトロトロ走る老人が珍しくなくなっている。こんなのは昔だったら考えられないことだ。

で、スピードを出さなければ事故が起きにくいかというと、決してそんなことはない。ドラバーの判断力が鈍くなっているので、かえって危ないというケースもある。実際に前を走るクルマが突然考えられないような動きをすることがあるので、かなり注意しなければならない。

もうすぐ年末だが、師走というのは昔から 1年で最も事故の多い月と言われている。「危険予知」能力を発揮して、安全運転を心がけようと思っている。

 

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2020年11月21日

「長寿国ニッポン」を実感

ついに今年も 11月下旬となり、「年賀欠礼葉書」(というのかな?)がポツポツ届き始めた。そしてその内容がまた、親がかなりの高齢でなくなったというものが多い。下の写真はそのベスト 2(と言っていいのかな?)で、母親が 101歳と 94歳で亡くなったという知らせである。

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この他にも享年 92歳とか 89歳とか、とにかく長生きが多い。昔は 70代後半で亡くなったという知らせが圧倒的に多かったが、近頃は様変わりである。まさに「長寿国ニッポン!」だ。

というわけで最近妻と話してわかったのだが、我々夫婦は長生き願望というのがまるでない。二人とも「あんまり長く生きなきゃならないんじゃ、たまらない」と思っているのである。

私はいつも「80歳まで生きる了見は毛頭ない。あと 10年も生きれば十分」と言っている。今 68歳だから、つまり「78歳ぐらいであの世に行くのが理想的」ということだ。そしてこれもまた共通の願望だが、「配偶者より自分の方が早く死にたい」と思っている。

妻としては「あなたが先に死んじゃったら、力仕事をお願いする人がいなくなっちゃう」なんていう、はなはだ身勝手なことを言う。とんでもない。70歳を過ぎてまで力仕事で頼られたら、こちらの身が持たない。

ただ、私の家系はどうも妻の方が早死にするという「業」のようなものがあるようなのである。これはまったく困ったことである。

私の両親は父の方が 8か月早く生まれただけの「ほぼ同い年」なのだが、母が 4年早く死んだ。母は晩年病気で動けなくなったので、父はかなり献身的に看病した。そして祖父母は直接の血のつながりはない(母は養女で、父は婿養子なので)が、祖母が 9年も早く死んだ。

というわけで、私は常々「この『業』は自分の代で断ち切るつもりだからね」と言っているのだが、こればかりは実際、どうなるかわからない。このまま健康で若作りのまま 20年も 30年も人生のケリが付かないようだと、このブログも延々と続くことになる。

 

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2020年11月20日

他人の PC でパスワードを設定してあげる時は

下の写真は、私が 3年ちょっと前に書いた記事の画像である。”「私の iPad のパスワード、教えて下さい」 と言い出す人” というタイトルだ。

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知り合いの年配の女性の iPad の、起動時のログイン・パスワードを含む初期設定をしてあげて、「このパスワード、忘れないようにしっかりメモして保存しといてくださいよ」と何度も念を押したのに、案の定、しっかりとなくしてしまっているというお話である。こうしたケースは本当に多い。

そしてこのほぼ 1年後に書いた ”「らくらくスマホ」 は絶対にオススメしない” という記事のコメント欄に書いた話だが、知り合いの女性は Facebook の自分のアカウントのパスワードを忘れてログインできなくなる度に新しいアカウントを作るので、かれこれ 5個もアカウントをもっている。

「友達申請しようとして Facebook 内を検索したら、あなたが 5人もいて、どれに申請したらいいのか分からない」と言うと、「あ〜ら、どうせ使ってるのは 1つだから、いいのよ」なんていう。「あなたはよくても、周囲には迷惑千万なんです!」と言っても、どうにも話が通じない。

で、最近また、これと同じような話に遭遇した。別の知り合いの女性から、「スマホを新しいのに買い換えて、Facebook のアカウントも新しくしたので、改めて友達申請させていただきます」なんてメッセージが来たのである。彼女の最初のアカウント作成もやはり、私が手伝ってあげたんだった。

「スマホを新しくしても、Facebook のアカウントはそれまでのを使い続ければいいんですよ」と言うと、「パスワードがわからなくなったので、新しく作り直しました」と言う。ああ、やっぱりやってしまったか!

それまでの機種はパスワードを記憶して自動入力してくれていたらしいのだが、機種変更したら急にパスワードの手入力を要求されたので困り果てて、新しいアカウントを作ったのだそうだ。だからあれだけ何度も何度も、「パスワードはしっかりメモしといてね」と言ったのに。

「あなたが設定してくれたんだから、パスワードを覚えていてくれてもいいじゃない」なんて言う人もいるが、冗談じゃない。そんなものは礼儀としてさっさと忘れてしまうことにしている。

ただしそんな常識論が通じないのは結果が雄弁に物語っている。友人には「オバサンという人種は絶対にパスワードを忘れるから、設定してあげたパスワードはすべてこちらが Excel に保存してある。かれこれ 40〜50人分ぐらいのリストになっていて、いつ聞かれても答えられる」なんて剛の者もいる。

さらに最初に紹介した記事にはこんなコメントも付いている。

私の場合は、他の方のPC等をセットアップしてあげる際のパスワードは「a●min」or「r●●t」にしています (Senna さん)

他人様の機器を設定してあげるときは必ず自分の生年月日にしておくとよいかもしれません(笑) そのユーザーの生年月日ではないからセキュリティ的には問題ないし、31July2017とかならアルファベット数字混在だし。(山辺響 さん)

なるほど、そのくらいの対策は必要だと痛感するばかりである。上述の女性のパスワードを設定してあげた時には、残念なことにそうしたノウハウをもっていなかったのだ。

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2020年11月19日

日本人は普段の行動を言語化していない

Quora という Q&A サイトで「なぜ日本人は英語が下手なのでしょうか?」という質問に、Tominaga Shintaro さんという方がとても納得できる回答を寄せてくれている(参照)。要するに「日本人は普段の行動を言語化していない」からだというのである。

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Tominaga さんが英国、米国に滞在していたとき、車で顧客を訪ねる際に電話で道順を聞くと、相手は見事に詳しい説明をしてくれ、その通りに行けば容易に目的地に到達できた。ところが日本人に「家から職場までどうやって行くか」を日本語で話すように頼んでも、しどろもどろになるという。

つまり日本人は「英語が下手」という以前に、物事を言語で表現することが苦手だというのだ。日本語で表現することすら苦手なのだから、ましてや英語でしゃべってみろと言われても戸惑うのみである。

日本人の多くは道順を言葉で説明するぐらいなら、簡単な道案内図を描いて渡す方が楽と考える。しかし英米人の多くは、そんな面倒なものを描くるより、手っ取り早く口で説明させてくれということになるようなのだ。

Tominaga さんは「日本人は道順を絵画的に捉え、英米人は、それを言語化する文化的な癖がある」と指摘している。なるほど、納得である。

というわけでそもそも日本人は「母国語を使って道順を説明する」ことすら苦痛なのだから、英語を使うのはもっと苦痛ということになる。だから英語が上手になりたいなら、まず日本語が上手にならなければならない。

そのためにはとりあえず、言葉で道案内ができるように訓練するのが効果的だろう。もっと言えば、相手が言葉で説明してくれた内容をその言葉通りに受け取れるように訓練することも必要だと思う。多くの日本人は、言葉をきちんと論理的に受け取ることさえ苦手のようだから。

物事を日本語で筋道立ててで説明できるようになり、相手の言葉をきちんと解釈できるようになれば、後は英語の言い回しに慣れさえすればいい。

 

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2020年11月18日

"Tacodora" には驚いた

下の写真は、今日クルマを運転している時に前を走っていたトラックの後部である。赤信号で停車している時に撮影したのだが、 ”Tacodora” という青いステッカーにご注目いただきたい。

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ずっと後ろを走っていた時は "Tacodora" って、このトラックのドライバーが大変なゲーム好きで、中でも一番好きなゲームのタイトルか何かなんだろうぐらいに思っていた。だって、いかにもそんな感じのネーミングじゃないか。

ところが赤信号で停まった時にじっくりと眺めてみて、「デジタコ+ドラレコ搭載車」ってことなのだとわかった。これにはびっくりだ。

「デジタコ」というのは、デジタルタコグラフのことで、「自動車運転時の速度・走行時間・走行距離などの情報をメモリーカード等に記録するデジタル式の運行記録計」なのだそうだ(参照)。そして「ドラレコ」というのは調べるまでもなく、ドライブレコーダーのことなんだろうね。

いやはやそれにしても、「デジタコ」と「ドラレコ」を装着したトラックだからといって、「タコドラ」とはあまりに意表を突いている。しかも 表記が "Tacodora" とくると、後半の "dora" が "drive" の省略形と理解されるまでの距離が、やたらと長く感じられた。

やはりゲームの名称という方がずっとしっくりくるなあ。いずれにしても、あきば商会さん、よろしくお願いしたい。

 

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2020年11月17日

Mac は Big Sur アップデートでトラブル続出らしい

Gigazine が「macOS Big Sur アップデート中に Mac が文鎮化するトラブルが多発」と伝えている。エラいことで、まったく他人事ではない。

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この記事の書き出しは、こんな感じで始まる。

Mac 向けの最新 OS「macOS Big Sur」がリリースされたタイミングで OS 全体が低速化するという問題が報告されましたが、新たに、「macOS Big Sur へのアップデートを試みたものの Mac がブラックスクリーンになり文鎮化した」という報告が多発していることがわかりました。

私も昨日、所有する 2台の Mac (iMac と Macbook Air)の OS を Big Sur にアップデートしたのだが、どちらもやたらと手間がかかった。やっとの思いでアップデートが終了した途端に、「文鎮化」とまではいかないまでも、とくに iMac の方で何をやらせても動作が遅くなってしまっている。

iMac はデスクトップ・タイプでディスプレイが大きいくせにメモリ(RAM)が 8GB しかないので、前に使っていた Macbook Pro と比較すると元々動作が遅かった。それが Big Sur にした途端にますます遅くなったので、「こりゃ、しんどいことになった」と思っていたのである。

この機種は RAM 増設がやたらと困難な作りになっているので、1年間の補償期間が過ぎたらどこかの専門ショップに持ち込んで、少なくとも 16GB ぐらいに増設する方がいいと思っていた。それがこの度の事態で、「とにかくなるべく早く増設しなければ!」という思いに変わってしまったよ。

幸いにも Macbook Air の方が結構軽く動いてくれているが、自宅で仕事に使うのは iMac の方なので、これは切実である。ただ、今日外出から戻って iMac をいろいろいじってみたところ、昨日よりはまともに動くようになっている。少しは馴染んでくれたんだろうか。

もしかしたらマイナーチェンジを何度かするうちに、多少改善されるかもしれないと、淡い望みも湧いてきているが、いずれにしても RAM の増設は急いだ方がいいだろう。

 

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2020年11月16日

図らずも発揮された「モンタージュ」効果

下の画像は「50つの最も面白おかしいスポーツ NG 集」(「50つの」という言い回しに引っかかるけど)というページにあったものである。(クリックで別画面に拡大表示されるが、その前に心の準備をしておく方がいい)

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「NG 集」とはいえ、このシンクロナイズド・スイミングの選手に非はない。問題はたまたますぐ上に表示されてしまった広告だ。よりによってこんなところに、「お仏壇を探すなら光雲堂」なんてのをもってこなくてもよかったじゃないか。

広告代を払ってこんな「怨霊退散!」みたいなことになってしまうのでは、ちょっと光雲堂さんが気の毒になってしまう。ここはもう一言、「光雲堂さんにも非はない」と言っておかねばなるまい。

この仏具屋さん、別のケースでも間の悪いところに登場させられている。「魔法のような驚くべき幸運、50選」というページでは、こんな具合だ。(やはりクリックで拡大表示される)

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せっかく「驚くべき幸運」で死なずに済んだのだから、敢えて仏壇・仏具を持ち出さなくてもと思うのが、人情というものだろう。「御先祖様があの世から護ってくれた」というなら話は別だが。

気の毒といえば「66つの常識を超えた珍しい写真」(これまた「66つ」が気になるが)というページにあるこれは、中森明菜がかなり気の毒である。「変な形の骸骨」というタイトルの下に「中森明菜 今の姿を確認する前に、ティッシュをご準備ください」では、悪意すら感じさせる。

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これら画像などの組み合わせによる効果を、その筋では「モンタージュ」という。犯人に似た顔写真を合成するのと同じ言葉だが、これはちゃんとした芸術の世界でも使われる。

アカデミックな映像論では「フォトジェニック」と「モンタージュ」が、定番理論となっているほどだ。ちなみに「フォトジェニック」は、いわゆる「インスタ映え」よりちょっとだけ高次元の話なのでよろしく。

モンタージュ理論を確立したのは、あの『戦艦ポチョムキン』のセルゲイ・エイゼンシュテイン。彼は漢字において「偏(へん)と旁(つくり)」の組み合わせで新しい意味が生まれることをヒントにしたとも伝えられる。

ただこのモンタージュ効果というのはご覧の通り、意識的に狙ったわけじゃないが、図らずも変な形で発揮されちゃうみたいなこともあるから、よくよく気をつけなければならない。

フツーの会話でも、当人は話題を変えたつもりなのに、聞く方が一つながりの話と受け取ってムッとするなんてことがあるしね。

 

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2020年11月15日

順番とはいえ、藤十郎まで死んでしまって

坂田藤十郎が死んだというニュースは、ちょっとしたショックだった。藤十郎が中村扇雀だった時代からずっと注目していたので。

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私が歌舞伎ファンだなんて意外に思う人がいるかもしれないが、実はその昔、卒論に九代目団十郎論を書いたぐらいで、決して付け焼き刃じゃない。ワセダの第一文学部ってところは、何しろ坪内逍遙以来の伝統のおかげで「演劇学」なんていう妙な専攻があったのだ。

さらにそれで収まらずに大学院まで行き、七代目団十郎を論じて役にも立たない修士号まで取得している。そんなわけでとくに学生時代は歌舞伎座に毎月、昼の部、夜の部の 2回通っていた(3階席だったけどね)。

学生時代なんていうと、半世紀近くも前のことになるが、その頃は死んだ藤十郎の父親、二代目鴈治郎も達者で活躍していて、今の若い歌舞伎ファンが聞いたらよだれを流して羨ましがるような舞台も数多く観た。ただ、親子でお初徳兵衛を演じる『曽根崎心中』だけは観る機会がなかったのが残念だ。

私は卒論と修士論文で江戸の荒事の本家、団十郎を論じた割には、実際に観るのは上方系の和事が好きで、松島屋系の芝居も好きだったなあ。荒事は観てすっきりするが、和事はしっとりとするのである。

ちなみに坂田藤十郎というのは、初代が元禄の頃に上方で和事を創始した名優で、同じ頃に江戸で荒事を創始した初代団十郎と並び称される。安永年間に三代目が死んで以来、名跡が途絶えていたが、三代目鴈治郎となっていた藤十郎が、2005年に復活させた。

で、私としては長年「成駒屋」の屋号で親しんでいた扇雀、鴈治郎が、藤十郎を襲名した途端に「山城屋」になったというので、「はあ?」なんて軽くうろたえてしまった覚えがある。上方の人間って、その辺りのことには案外こだわらないみたいなのだね。

というわけで、死ぬのは順番とはいえ藤十郎まであの世に逝ってしまったことで、またしても大きな節目になったような気がしている。最近は世の中の移り変わり方がさりげなく激しい。

 

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2020年11月14日

"Under the Spreading Chestnut Tree" の手振り

3日連続の『大きな栗の木の下で』ネタである。初日に呈した謎が、2日目にしてだんだん解けてきたというのが面白く、しつこいと言われるかもしれないが、簡単にはやめられなくなってしまった。

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今日はキャンプファイアー・ソングとして広まったらしいという点に注目し、身振り、手振りに焦点を当ててみる。

 "Boy Scout Song, Girl Guide Song, with Lyrics" というページに動画があるらしいので、喜び勇んでアクセスしてみたが、「この動画を再生できません」というメッセージが空しく表示されるばかり。他の似たようなページもことごとく動画は再生できなかった。残念!

さらに、ボーイスカウトの歌というのを手がかりにしつこく検索したところ、"Scouts 4th Sevenoak" というページが見つかり、そこには身振りの説明があるではないか。だが、それってこんな具合である。

Spreading – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Chest – strike chest
  (胸を叩く: これはまんまの当て振りだね)
Nut – tap head
  (頭をチョン)
Tree – arms outstretched over head.
  (両腕を頭の上で広げる)
Held – arms as though embracing.
  (腕を抱きしめるように)
Knee – strike knee.
  (膝を叩く: これもまんま当て振り)
Happy – Scowl and emit a growl.
  (しかめっ面をしてどなる)

歌詞が端折ってあるし、そもそも最後はどうして「しかめっ面をしてどなる」ことになるんだか、わけがわからない。あまり奇妙なので他を探したら、”Retired Scouter" というページも見つかった。このページの説明はよほどまともで、こんな具合だ。

Under (make hands over head like an umbrella)
  (両手を頭上で傘のような形にする)
the spreading (move hands out like tree branches)
  (両手を木の枝のような形にする)
chest (point to chest) nut (point to head) tree (move hands out like tree branches again).
  (手を胸から頭、頭上に上げ、再び最初の形に)
There we sat (hug yourself)
  (自分自身を抱きしめる)
just you (point to somebody else)
  (他の誰かを指す)
and me (point to yourself).
  (自分自身を指す)
Oh how happy (smile and point to smile)
  (笑顔を指さす)
we would be(hug yourself).
  (自分自身を抱きしめる)
(以下、最初と同じ動作)

こっちのバージョンは、我々の馴染んでいる振りによく似ている。多分日本式の元になったんだろう。

今回の『大きな栗の木の下で』ネタで判明したのは、日本語のサイトにはこの歌を大人が振り付きで歌う動画がくさるほどあるが、欧米のサイトでそんなものを探しても見当たらないということだ。これって、ある意味「文化の違い」なのだろう。

日本の場合は大人が「子ども文化」で盛り上がることにほとんど抵抗がないが、欧米の場合は「いい年して、何やってんだ?」みたいな感覚があるようなのだ。そういえば米国人の友人は、初めて日本に来た時、大人が電車の中で平気で漫画雑誌を読んでいるのを見て、最初は信じられなかったと言っていた。

というわけで、3日連続の『大きな栗の木の下で』の考察は、この辺で一段落としておきたい。検索に次ぐ検索で、かなり疲れたし。

 

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2020年11月13日

『大きな栗の木の下で』の謎が、かなり解けてきた

昨日のエントリー "童謡『大きな栗の木の下で』の謎" の続きである。謎が少しだけ解けてきたので、そのレポートだ。

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昨日の時点で、私が長い間思い込んでいた「欧米には栗なんてないから、原詩は "Under the Spreding Walnut Tree" なのではないか」という疑問は氷解し、実は欧米にも「ヨーロッパグリ」というクリは存在するので、"Under the Spreding Chestnut Tree" で何の不思議もないことがわかった。

ちなみにフランス語の "marron" というのは、この「ヨーロッパグリ」、あるいは「マロニエの実」のことであるらしい。ただしマロニエの実の方は毒があって、食用にはならないらしいのだが(参照)。

で、Wikipedia の「大きな栗の木の下で」の項にある「作詞者・作曲者ともに不詳。ヤロミール・ヴァインベルゲルの編曲(1939年)が知られている」という記述に関しては「一体、何のこっちゃ?」と思っていたのだが、しつこく検索した結果、クラシック曲としてレコーディングまでされていることが判明した。

上の画像をクリックすると、Royal Swedish Opera Orchestra の演奏の最初の部分が聞ける。かなりクラシック調にアレンジされてはいるが、聞いてみれば紛れもなく『大きな栗の木の下で』のメロディである。

画像にあるジャケットによれば、Ingrid Tobiasson というメゾ・ソプラノ歌手の歌もフィーチャーされているようなのだが、そこまではアップロードされていないのが残念だ。

通しで聞けないものかと検索したところ、時代物の SP 版から録音したらしいバージョンが見つかった(参照)。プチプチ・ノイズにめげずに最後まで聞いてみたが、歌のないフーガ形式である。

ちなみに Wikipedia の "Under the Spreading Chestnut Tree" の項には。ざっと次のようなことが書いてある。

Anne Gilchrist は、それは「イングランドの古い曲で、多分元々はダンス曲として伝えられ、近年になってモダンにアレンジされたもの」と結論づけている。

というわけで、結論的にはそういうこととしておこう。ちなみに Anne Gilchrist というのは英国の女流作家で、ホィットマンとの交流で知られているらしい(参照)。

明日はさらに、「ダンス曲」という点にこだわって、ボーイスカウトのキャンプファイアー・ソングとして広まった身振り、手振りに焦点を当ててみる。我ながらしつこいことである。

 

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2020年11月12日

童謡『大きな栗の木の下で』の謎

このところ「米国大統領選挙」なんていう大ネタで何本か書いたので、今日は久しぶりのトリビア・ネタである。トリビアもトリビア、童謡『大きな栗の木の下で』に関してのお話だ。

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高校の頃に、「うたごえ運動」なんてものに関わっていた先輩に「なんちゃら愛唱歌集」みたいなタイトルのハンドブックを押しつけられたことがある。声を揃えて楽しく歌えるような、いかにも健康的な歌が楽譜付きでどっさり収録されていたが、結局は捨ててしまって、今は手元にない。

その中の『大きな栗の木の下で』という曲には、英語の元歌と思われる原詩も収録されていて、それは "Under the Spreading Walnut Tree" ということになっていた。"Walnut" というのは「クルミ」で、「」の英語は "chestnut" である。

「へえ、元々は『栗の木』じゃなくて『クルミの木』だったのか!」と思ったのを、今でもよく覚えている。「大きなクルミの木の下で」では字余りになるので、訳詞者が勝手に『大きな栗の木の下で』に変えてしまったんだろうと納得していた。

ところがある日、ふとした気紛れで "Under the Spreading Walnut Tree" で動画検索してみたところ、どういうわけか上位に検索されるのはすべて "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だった。日本人制作の「英語で歌おう」みたいなものばかりである(参照)。

ちなみに上の画像クリックでリンクされる動画は、西洋人らしき男性が英語で歌ってはいるものの、全体的には思いっきりジャパニーズそのものの演出と雰囲気に溢れていて、気持ち悪くなるほどのギャップだ。

のみならず、それまで元歌とばかり思っていた "Under the Spreading Walnut Tree" に関しては、童画どころかそれらしいテキスト情報すら見つからない。これって一体どうしたことなのだ?

思いあまって Wikipedea にあたってみると、ざっくり言えば次のようなことだった(参照)。

  •  『大きな栗の木の下で』という歌は、イギリス民謡をもとにしており、作詞者・作曲者ともに不詳。
  •  日本語詞の 1番の訳詞者は不詳で、2番・3番の訳詞者は阪田寛夫とされるが、一部では訳詞者が寺島尚彦とされていることもある。

いずれにしても、明確な根拠は示されておらず、情報としてはかなり心許ない。アメリカのボーイスカウト・ソングとして広まったという説もあるが、これもしかとは確認できない。

そもそもの話として、原曲のタイトルが "Under the Spreading Chestnut Tree" (大きな栗の木の下で)だなんて、私は信じていない。「クリ」という植物は東アジア固有のもの(参照)だから、ヨーロッパやアメリカで童謡になるほど親しまれているとは、まったく考えられないのだ。

【追記】この点に関しては、下の【追記 その 2】を参照のこと。個人的には不明を恥じるばかり。

原曲が英国発祥だとしたら、やはり "walnaut tree" (クルミの木)なのだろうと思うほかないではないか。あるいはもしかしたら本当は日本語が先で、英語は後からこじつけられたんじゃないかという気さえするほどだ。

この歌に関する目の覚めるような情報をお持ちの方がいらしたら、どうかご教示いただきたい。

【追記】

ことのついでにさらなるトリビアだが、この英語の歌を紹介する動画では、栗の実がまるで柿の実のように、そのまま木の枝になっているのが 2本もあるのに(参照 1参照 2)、イガに包まれているのは、上で紹介した動画以外にはほとんど見つからない。

今どきの動画スタッフは、自然の状態の栗の実の姿を知らないようなのだ。児童教育用童画なんだろうに、逆に教育に悪いよね。

【追記 その 2】

ありがたいことに automo さんという方が、さっそく「目の覚めるような情報」をコメントしてくださった。

なんと「クリ」は確かに東アジア固有のものだが、欧米にはよく似た種類で「ヨーロッパグリ」というのがあるというのである (参照 1参照 2

なるほど、そういうことなら原曲の詩が "Under the Spreading Chestnut Tree" でも不思議はない。

とはいえ、この歌の Children song に関する記述が、日本以外のインターネットの世界に見当たらないということに関する疑問は、まだ晴れない。

 

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2020年11月11日

赤い州、青い州、揺れる州

下に示したのは、今回の米国大統領選で一躍ポピュラーになった地図で、red states,  blue states,  swing states を色分けしたものだ。「赤い州」は共和党、「青い州」は民主党の地盤である。

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民主党が勝ったり共和党が勝ったりする「激戦州」は、赤と青を混ぜた紫で表される。そしてその色合いも、赤みが強かったり青みが強かったりで、微妙さが反映されているのがおもしろい。

ざっと見たところでは、米国の広い地域 ー「南部」と「西部」(いわゆる「ウェスト・コースト」を除く)ー は、共和党支持者の多い州だとわかる。ただ、これらの地域は人口密度が低いので、選挙人の数となると見た目ほど多くはならない。

選挙人の数は大都市の集中する「東部」と「ウェスト・コースト」が多くなってしまい、五大湖沿岸などの中西部は「激戦州」となる。なんとなくわかりやすい。

私は何度か米国に旅行したが、すべてビジネスがらみの出張で、目的地はニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルスの 4都市。州で言えば、ニューヨーク州、イリノイ州、カリフォルニア州の 3州で、いずれも 1990年代以降は民主党候補が勝利している「青い州」だ。

おっと、そういえば、あまりはっきりした印象はないが、どういうわけか 2004年に一泊二日でラスベガスにも寄ったんだった(参照 1参照 2)。ラスベガスのあるネバダ州に関しては、レーガンとブッシュの時以外は民主党勝利という、ほんの少し青みがかった紫の州ということのようだ。

シカゴのあるイリノイ州は、激戦州の多い「中西部」では珍しく、明確に民主党の強い州ということになっている。もっとも中西部の他の州も、テキサスなどの典型的な「赤い州」とは一線を画す。

そして出張先で接触したのも、ほとんどが「私は言うまでもなく民主党支持者です」という雰囲気の人たちばかりだった。だからいかにも西部劇から出てきたカウボーイみたいな米国人は、映画の中でしか知らない。

「おう、俺はリパブリカンだぜ!」オーラを発する人は、テキサス辺りに行けばそこら中にいるのだろうが、私としては接したことがないので、実際に目の前に現れても、正直なところどう付き合っていいかわからない。というわけで米国大統領は民主党から出る方が、個人的には気分が落ちつく。

ただ、この歳になって言うのも今さらのような気もするが、テキサス辺りのギンギンのカウボーイ的な米国人との付き合いも、少しはもっておいた方がよかったかなという気もする。そうでないと、トランプみたいな人物をしっかりと理解しにくいのだよね。

 

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2020年11月10日

米大統領選、SNS 、言論統制という三題噺

Gigazine が "Facebook がコミュニティルールに違反する投稿が多いグループを「保護観察処分」にしている!" と伝えている。そうしたグループは圧倒的にトランプ支持者に多いため、彼らは「SNS はバイデン寄りの言論統制をしている」と感じているようだ。

201110

郵便投票が始まっていた 10月には、"「民主党は投票不正をやめろ」と訴えるトランプ大統領支持者らの Facebook グループが削除される" と報じられた。Twitter も、トランプお得意の一方的な tweet に「注意喚起ラベル」を付けたり削除したりしている(参照)。

それ以前にも Facebook と Twitter は、ジョー・バイデンの不肖の息子、ハンター・バイデンのウクライナ・スキャンダルに関する個別投稿や、それを拡散するアカウントを削除していた(参照)。これでは「バイデンの言論統制」と思われるのも無理もない。

さらにこの関連では、中国の体制派と反体制派の水面下の対立なんていう話まで持ち出されている(参照)。ここまで来ると、もう「何でもあり」だ。

ざっくりした話にすると、バイデンの息子のスキャンダルを意図的に流したのは、中国の習近平政権に強硬な姿勢を示すトランプに期待する江沢民グループだというのである。「敵の敵は味方」というありがちなストーリーだが、それだけにアヤシさもひとしおだ。

こうした憶測に基づく話を垂れ流すことの否定的教訓は、とくに Facebook は過去の経験で身にしみている(参照)し、トランプの「あることないこと tweet しまくるキャラ」は、Twitter にとっても困りものだ。それで 2大 SNS は、自衛のためにも「言論統制」に踏み切ったのだろう。

というわけで今回の大統領選は、あまり次元の高いものではなかったようなのだ。後になっていろいろなことが、むし返されたりほじくり出されるたりするだろうから、何があっても驚かないように心の準備をしておこうと思う。

 

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2020年11月 9日

「自然との触れ合い」も、強制されては意味がない

自然との触れ合いは人間の感じるストレスを軽減すると言われるが、それもことさらに強要されると効果がなくなってしまうらしい。Gigazine に "「外に出て自然と触れ合いなさい」と言われると自然環境に接するメリットが減るという研究結果" という記事がある。

201109

この記事は、こんな書き出しで始まる。

子どもの頃からインドア派だったという人の中には、両親や学校の先生に「外に出て遊びなさい」と言われた経験がある人も多いはず。外に出て自然と触れ合うことは心身を健やかにしてくれますが、「口を酸っぱくして言われるとその効果が減ってしまう危険性がある」との研究結果が発表されました。

なるほど、さもあらんという気がする。

「自然の中で過ごすこと」には高血圧などの慢性疾患の軽減や幸福度の向上など、病院で処方される薬にも匹敵する効果があるので、「緑の処方箋」と呼ばれることもあるという。ところがいくらこうした効果が確認されているとはいえ、実際の場面ではそう単純なものではないらしい。

そもそもうつ病や不安神経症に悩んでいる人は、「外に出て自然と触れ合おう」なんてことは自発的には思わないだろう。そうしたことはむしろ負担に感じられるからこそ、うつ病や不安神経症ということなのだろう。

ただでさえ負担に感じられる行為を強制されたら、ストレスがさらに強まって逆効果になるに違いない。それだけに、「医療従事者や家族が、うつ病や不安神経症に悩んでいる人に自然の中で過ごすよう勧める際は、慎重になる必要がある」とされている。

この問題に関する今回の研究論文では、「緑との触れ合いは誰かに強制されるものではなく、ひとりひとりのペースと自由な意思で行われるものでなければなりません」というのが結論のようだ。いくら「自然はいい薬」と言っても、強制されては逆効果になるのだろう。

私としても自然との触れ合いは大好きだが、本当にぐったりと疲れている時に「自転車に乗って野山に出ろ」なんて強制されたら、「今は勘弁してくれよ」と言いたくなるに違いない。ちょっと元気が盛り返し加減の時なら、大喜びでペダルをこぐところだが。

 

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2020年11月 8日

"You're fired" (お前は首だ)の因果は巡る

HUFFPOST に、"トランプ氏の決め台詞を使って「お前は首だ」。ニューヨークではお祭り騒ぎ【アメリカ大統領選】" という朝日新聞の記事が紹介されている。"「すばらしい気分だ。国家的な悪夢がようやく終わった。この4年間、世界の恥だった」と喜ぶ声も" というサブタイトル付きだ。

201108

COVID-19 のリスクを無視してでもお祭り騒ぎしたくなる気持ちもわかる。私がニューヨーカーだったとしても同様に、「この4年間、世界の恥だった」と言うだろう。

ちなみに「お前はクビだ」というのは、トランプがテレビのリアリティ番組 ”The Apprentice” (「見習い」という意味)の司会を務めた際の、最後の「決め台詞」だったらしい。YouTube に 'Every "You're fired!" ever (The Apprentice)' (これまでの全ての「お前は首だ」)というのがある。

なるほど、彼はこんな低俗番組で全米の家庭にどっぷりと入り込んでいたわけだね。そして今、自分自身が "You're fired" の宣告を受けてしまったわけだ。

まさに「因果は巡る」である。

 

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2020年11月 7日

ああ、3泊 4日ぐらいの出張に出たい

富山への 1泊 2日の出張から戻ってきた。今週前半ぐらいまでは、6日の富山は晴れのち雨という予報になっていたが、晴れ男の常として晴れのち曇りで済んだ。写真は富山の大通りの奥に見える立山連峰(北アルプスの北端)の姿。昨日付の和歌ログでは、もっとグッとくる山の景色が見られる。

201107

やはり雪を戴く山の眺めはいい。私は高校 3年まで山形県の庄内平野で鳥海山の勇姿を見ながら育ったから、青い山と白い雪の取り合わせには、心の奥底でひれ伏してしまうところがある。

ところで今年に入ってから 3月まではかなりあちこちに出張していて、振り返ってみるとこんな感じだった。

1月  9〜12日  大阪 (参照 1参照 2

2月 13〜14日   赤穂(参照
      18〜19日   大阪(参照

3月 11〜12日   鈴鹿 (参照
  29〜30日   網走 (参照 1参照 2

なんとまあ、コンスタントに 月に 1〜2回の 1泊出張が入っていたのである。

ちなみに上記の網走出張関連でリンクされる 3月 30日の記事は「日本中ガラガラ」というタイトルで、観光地でもCOVID-19 の影響が色濃かったと伝えている。そしてそれ以後は、下記に至るまで、3ヶ月半にわたって出張が途絶えたのだった。

7月 15〜16日  山梨、浜松(参照
  20〜21日  加古川 (参照

さらに言えば 7月 15〜16日はクルマで出かけたのだが、帰りの東名高速が事故で通行止めになり、どえらい遠回りを強いられるというおまけ付きだった(参照)。そして 21日にちょっと寄り道した京都は、暑くて暑くてまともに動く気にもなれなかった(参照)。どちらも気分的にはあまりよくなかったわけだ。

その後の 8〜10月の 3ヶ月間も、関東圏内のチマチマっとした日帰り出張ばかりで、欲求不満は募るばかり。そしてようやく今回の富山出張にこぎ着けたわけだ。

ところが富山というのは、我が家を出発して上野から北陸新幹線を利用すれば 4時間半の旅程。ビミョーに中途半端なのである。もっと遠ければ 2泊 3日の計画にするが、そこまで遠くはない。かと言って、翌日の夜に帰宅するには道草を食う余裕があるわけでもない。

つまり「行って仕事をして、あとはまっすぐ帰ってくるだけ」ということにならざるを得ず、なまじ遠くに出かけているだけに、かえってフラストレーションを感じてしまう。人生、何事も中途半端はよくないのだ。

というわけで富山から帰ってからは、「ああ、2か所まとめて、2泊 3日の旅がしたい」とか、「四国か九州に 3泊 4日ぐらいで行きたい」とか、ブツブツ呟き続けている。この願いが叶うのは、いつ頃になるだろう。

 

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2020年11月 6日

米国大統領選について、一応軽く書いておく

とっぷりと日が暮れてから富山への出張から戻った。北陸新幹線の中ではさすがに疲れが出てうつらうつらしていたので、インターネットにはアクセスしておらず、帰宅してから「ところで、米国大統領選挙はどうなったのかな」とアクセスしてみると、昨夜にホテルで見た数字とほとんど変わっていない(参照)。

201106

相変わらずバイデンの優勢は動かず、トランプは勝手なことをほざきっぱなしだ。まともに注目なんてしていたら、疲れるどころか世の中が馬鹿馬鹿しくなってしまう。

昨日付で Twitter にこんな tweet をしている(参照)のだが、ここで言いたいことも同じだ。

米大統領選には、関心を払ってない。トランプを見てると、同じ地球に生きてることすら恥ずかしくなるので。

本当にまあ、米国民のほぼ半分はマジでこんな男に票を投じているのだね。とくに中西部と南部の動向を見てると、何があっても驚かないぐらいの覚悟を決めておかないとまともに生きられない世の中になってしまったと、つくづく思う。

 

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2020年11月 5日

木枯らし 1号が吹いたそうだが

今日は久しぶりの「リアルの出張」で、富山市で一泊である。「リアルの出張」なんて妙な言葉を使ったのは、最近は COVID-19 の影響で直接のコンタクトを避けるために、ネットの対話で済ませるケースが多くなっていたからだ。

201105

そんなわけでいろいろ立て込んだので、「昨日木枯らし 1号が吹いた」という 1日遅れのニュース(参照)をネタにする。、ちなみに「東京地方の木枯らし 1号」というのは 10月半ばから 11月末までの間に冬型気圧配置となり、風速 8メートル以上の冷たい風が吹いた時にのみ使われる用語なのだそうだ。

そして昨年と一昨年はこの条件に当てはまる風が吹かなかったため、木枯らし 1号は 2年続けて「発生せず」と記録されている(参照)。2年続けて発生しなかったのは、少なくとも 1951年以後ではこれが初めてのようだ。

ところで私が故郷の山形県酒田市から上京したのは、18歳の春を迎えた 1971年だった。最初の年の春は「さすが関東、山形県と比べたらずいぶん暖かい」と思ったものである。

その前年、山形県酒田市の月間平均気温はこんな具合だった。

1970年 1月 0.2℃、4月  8.5℃、8月 24.6℃、11月 8.1℃

翌年に東京で迎えた月間平均気温は以下の通り。酒田より 2~5℃ も高く、とくに冬が別世界である。12月になってもあまり暖かいので、マジで冬とは気付かなかったほどだ。

1971年 1月 5.1℃、4月 13.5℃、8月 26.7℃、11月 11.9℃

そして 1975年頃から東京の三多摩地区に住むようになると、さすがに少しは冬の寒さが感じられるようになった。気象庁のサイトではこの頃の多摩地区の詳しいデータは表示されないが、都心より 2〜3℃ 低いという実感で、冬の夜は身を切るような木枯らしに震えた。分厚い羽毛布団を買ったのはこの頃である。

そしてつくばの地に引っ越した 38年前の当地の月間平均気温データはこんな感じ。

1982年 1月 3.0℃、4月 11.8℃、8月 24.7℃、11月 11.3℃

冬は筑波降ろしが冷たく、「さすがに茨城県は北関東だわ!」と思ったのを覚えている。そしてそれから 10年単位でこんな具合に変わる。

1990年 1月 1.4℃、4月 12.7℃、8月 26.7℃、11月 12.1℃

2000年 1月 4.8℃、4月 12.6℃、8月 26.3℃、11月 10.6℃
(真冬がそれほど寒くはなくなった)

2010年 1月 3.6℃、4月 10.7℃、8月 28.2℃、11月 10.5℃
(夏は酷暑の様相になっている)

そして去年のつくばは、以下の通り。

2019年 1月 3.0℃、4月 12.3℃、8月 27.4℃、11月 11.2℃

38年前の1982年と比較すると、夏の気温がずいぶん上がった。過ごしやすいのは春と秋だけである。

約半世紀前に高い金を出して買った分厚い羽毛布団は、30年ぐらい前までは年間 3か月は使っていたが、今は本当に寒さを感じる 1ヶ月足らずである。これはもう、様変わりと言っていいだろう。地球温暖化はまさに実感である。

 

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2020年11月 4日

FAX と聞いて「まいと〜く FAX」というのを思い出した

昨日、"「霞ヶ関の働き方改革」を巡る冒険" という記事で、官僚の 86%が「議員とのやり取りは FAX」と言っていると書いた。この数字に関しては決して驚きはしなかったものの、改めて呆れてしまった。

201104

ちなみに、FAX なんてとっくに前世紀の遺物になってしまったと思っていたのだが、「まいと〜く FAX」というソフトウェアがまだ生きながらえていると知った。PC の世界でも、まだ FAX というシステムの需要がある証左である。

実はこのソフトは私もしばらく愛用していた。前世紀末から今世紀初め頃まで業界団体の事務局というところに勤務していたので、このシステムは必要不可欠だったのである。

団体の会員企業向けの情報を「同報 FAX 送信」(同じ内容を複数に送付すること)する場合、リアルの FAX 機で手動送信したら、100社に送るのに 100回プッシュボタン操作をしなければならない。ところが、このソフトを使えば予め登録された複数の送信先に、クリック一発で順ぐりに送れるのだ。

前世紀末頃はまだ中小企業レベルではメール使用が浸透しておらず、FAX が主流だったので、このソフトは本当に重宝した。PC で作成した文書を取り込み、あとは予めグループ分けされた送信先を選んでクリックすれば、PC が自動でジーコンジーコンと送ってくれるのである。

ただ、1箇所に送付するのに大体 1分ぐらいはかかるから、100社に送ったら 100分の 1時間 40分、300社に送ったら 300分、つまり 5時間もかかる。だからたいていは仕事が終わって帰り際に送信を開始させ、翌朝には送り終えているという手はずにしていたものだ。

ところが、このやり方にも問題はある。2004年 3月 16日付の「改めてデジタルデバイド」という記事にも書いているが、この方式だと 100社に FAX すれば 100回分の電話代がかかるのだ。そして、送付先の人材が FAX 受信の操作に慣れていないと、受け取ってさえもらえない場合がある。

というわけで、思い出すさえ嫌になる FAX という前世紀の遺物を、霞ヶ関の官僚が依然として使い続けているというのは、なかなか気の毒なことと思ってしまったわけである。これも皆、受け取る側(つまり国会議員)の頭の中身が前世紀のままのせいだ。

 

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2020年11月 3日

「霞ヶ関の働き方改革」を巡る冒険

HUFFPOST が "いまだに議員対応の 8割が FAX。霞が関の働き方改革を求める署名活動、霞ヶ関深夜閉庁要求運動とは" という記事を報じている。"民間から「霞が関の働き方改革」への署名活動が立ち上がった" というサブタイトル付きだ。

201103

こんな記事である。

2020年 6月~7月に実施された「コロナ禍における政府・省庁の働き方に関する実態調査」(株式会社ワーク・ライフバランス調べ)によると、議員対応がある官僚のうち 83%が電話やオンラインに移行せず対面での打合せを求められたためテレワークできず、4割が 100時間を超える残業、300時間を超えている官僚もいました。また、86%が「議員とのやり取りは FAX だった」と回答しています。

月に 300時間以上の残業だと 1日 10時間以上で、通勤時間を引いたら寝る間もない。あんまりな話なので「これは年間の話?」とも思ったが、それだと 1日当たり 1時間ちょっとにしかならないから、「月に 300時間以上」で正解なのだろう。

そういえば、霞ヶ関の官庁街は深夜に通りかかってもビルの窓が皓々と明るい。一流大学を優秀な成績で卒業しても、官僚にだけはなるもんじゃない。まともに生きたかったら他にすることがありすぎるほどなのに、あたら人生を無駄にしてしまう。

さらに 86%が「議員とのやり取りは FAX だった」という回答に関しても「いつの時代の話?」と言いたくなる。もっともこれに関しては、多少なりとも国会議員の連中と付き合ったことがある者は、「あのジイさんたちのことだもの」と納得してしまうだろう。

今どきはその辺のオバサン同志でも、気軽に LINE で画像や添付ファイルをやり取りしている。それを思えば、国会とはタイムマシンである。彼らの頭の中は「昭和」のままなのだろう。

ニュースなどで国会のやり取りを見て話のレベルにがっかりするのもしょうがない。彼らの頭の中がせめてWindows XP が発売された 2001年(今世紀の最初の年)ぐらいに追いついてくれれば、まだ話にもなるのだが。

さらに「国会期間のための官僚の残業代だけで 102億円」、「深夜にタクシーで帰宅する費用が 22億円」と聞くと、さすがに冷静ではいられない。「おいおい、それってみんな税金だろうよ」と言いたくなってしまうではないか。

とまあそんなわけで国会議員のジイさんたちは、基本的な情報を得るにもいちいち前時代の通信手段を通じて霞ヶ関官僚に頼り、そのために官僚は疲れ果て、本当に優秀な人材は官庁から遠ざかり、国政の改革は遅々として進まない。

ついでだから触れてしまうが、官庁のデジタルシステムは、PC やサーバの性能がとんでもなくひどく、こんな状態らしい。

「(PCの)メモリは 8GB で Outlook を開きながら、Excel で作業して Word 文書も作るとなると厳しい。また共有フォルダなので、誰かが共有の Excel ファイルを開いていると作業できないので、閉じてくださいというメールが飛び交う」

少しはマシなシステムにしてあげなよと言いたくなってしまうよね。

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2020年11月 2日

左から読んでも右から読んでも "201102"

このブログは最近ずっと、最初のパラグラフの下に画像を配置しているのだが、画像のネーミングは「西暦下 2桁+月+日.jpg」という原則に従っている。というわけで昨日付の画像は "201101.jpg" 、今日付は "201102.jpg" だ。

201102

察しのいい方は既に気付かれたと思うが、本日の画像のファイルネームは、数字部分を左から読んでも右から読んでも "201102"。次にこうなるのは来年の 11月 12日で、その次は再来年の 11月 22日だ。

3年連続で面白いことになるので「どうして去年まではこれに気付かなかったんだろう」と思ったが、昨年は 2019年だったから、下 2桁をひっくり返した「91日」なんて日付はあり得ないことだった。なるほどね。

直近では 2012年 11月 21日なら可能だったが、その頃は毎日写真を使うなんて考えも及ばず、「iPhone 5 の使い心地レポート その 3 」なんていう記事だった。隔世の感がある。

ちなみに再来年の 11月 22日を逃すと 32日まである月なんてないから、あとは 2030年 11月 3日まで待たなければならない。10年と 1日先となると、運良く死ななかったとしても 78歳になってしまっている。しかしそれ以後はまた、2031年 11月 13日、2032年 11月 23日と 3年連続だ。

私としてはあと 10年の 78歳ぐらいまで生きたら、あとはいつ死んでもいいと思ってきたが、そう考えると、80歳になる 2032年までなら頑張って、毎日更新を続けてもいいかなという気もしてくる。その頃になったらすることもなくなってヒマだろうから、ボケ防止のためにブログを書くという手もあるしね。

 

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2020年11月 1日

若者相手の寸借詐欺は、今も多いようだ

毎日新聞が "「お金をなくして家に帰れない」街中で寸借詐欺相次ぐ 7月以降数十件 福岡" と報じている。「博多署と中央署によると10~20代の若者が狙われやすく、7月以降、両署には計数十件の被害相談が寄せられた」というが、実際にはもっとずっと多くの被害があるのだろう。

201101

こうした寸借詐欺というのは今に始まったことではなく、昔からある古典的な手口である。私も大昔、まだ十代だった頃に新宿の街で見知らぬ若い男に「財布を落として家に帰る電車代がなくなったから、お金を出してもらえまいか」と頼まれたことがある。

あの頃はまだ純真だったからまさか詐欺とは思わず、咄嗟に「電車で帰宅するための 2〜300円程度ならくれてやってもいい」ぐらいに思ったのだが、そいつは「5,000円欲しい」なんて言う。これにはいくら何でもムッとした。

何しろ 1970年代初頭のことで、国鉄(当時は "JR" になってなかった)の初乗り料金が 30〜40円の時代だから、5,000円あったらちょっとした旅行ができてしまう。さすがに「まず警察に相談しな」と言って、金を出すのは断った。

後になって調べてみると、「財布を落としたから帰りの電車代出して」という手口で騙される被害は少なくないらしい。とくに若い世代に被害が多いというのは、昔も今も変わらないようだ。

今回のニュースで被害者として報じられた 18歳の少女は、「熊本から来た」という男に「ホテル代や食事、交通費として 5万 1000円を貸してほしい」と頼まれ、わざわざ ATM で言われた額を引き出して渡してしまったという。いくら純朴でもホドというものがあるだろうに。

それどころか、つい最近に 5,000円をだまし取られた 18歳の男子学生が再び同じ男に声をかけられて、警察に通報したという例もあるという。こうなるとほとんどお笑いだ。

 

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