唱歌『たきび』と、マンガ
やたら忙しくてまともなネタの仕込みができなかったので、今日はある意味「小ネタ」であることをお断りしておく。先日、ラジオで久しぶりに聞いた『たきび』という歌についてである。
この歌は、巽聖歌 作詞、渡辺茂 作曲の唱歌で、日本人にはかなり古くから親しまれており、Wikipedia で調べてみると、こんな具合になっている。
1941年(昭和16年)に、NHKのラジオ番組「幼児の時間」の番組案内のテキストである『ラジオ小国民』で詞が発表され、同年の12月に「幼児の時間」の放送内で楽曲が発表された。(中略)2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。
戦前から歌われているというだけではなく、「日本の歌百選」にも選出されているというのだから、半端な曲ではない。大したものである。
ただ、私はこの歌を聞いていると赤塚不二夫大先生のマンガ『もーれつア太郎』を思い出して、心ここにあらず状態になってしまうのだ。もちろん「あたろうか、あたろうよ」という歌詞のせいなのだが、由緒ある歌に対して、はなはだ申し訳ないことである。
このマンガは『おそ松くん』『天才バカボン』と並ぶ赤塚 3大ヒット作の一つで、登場人物は主人公のア太郎のほか、デコッ八、やたらピストルをぶちかましたがる目玉のおまわりさん、ニャロメ、ココロのボスなど。『おそ松くん』のイヤミ、デカパンなどと並び称されるレベルの個性豊かな面々だ。
連載されたのは『週刊少年サンデー』(小学館)の 1967年 48号から 1970年 27号まで。その前まで連載されていた『おそ松くん』を引き継ぐ形で、私の中学 3年から 高校 2年までの 3年間を彩ってくれたことになる。
高校 3年生の頃には既に終了していたはずなのだが、その印象があまりにも強烈で単行本も発行されていたためか、大学に入ってからまでほぼ現在進行形のような形で話題になっていた。
というわけで「たきび」の歌で『モーレツア太郎』が思い浮かぶようになったのは中学 3年以後のことのはずなのだが、私の印象としてはもっとずっと前の子供の頃からのような気がしている。
日本人が「大学生になってもまんがを読む」と揶揄されるようになったのは、私の年代がいつまで経っても『おそ松くん」や「モーレツア太郎』から離れられなかったせいなのかもしれない。それほど赤塚不二夫大先生の影響力は大きかった。
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