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2020年12月23日

暇というのは、体と頭にあまりよくない

12月に入ってから、さすがに年内に済ませておかなければならない仕事や年賀状などで結構忙しい日々になってはいるものの、今年はざっとみても「暇」という一文字で表される日が結構あった。ご多分に漏れず「コロナのせい」である。

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暇すぎたわけでは決してないが、仕事に追いまくられるということはさらになかった。これまで忙しい時は「一日中ボケーッとしていたい」なんて思うこともあったが、実際にそんな日が 2〜3日続いたりすると、「これはあんまりいいことではないな」と実感してしまった。

同じような仕事でも、その場に出向いて実際に関係者と膝をつき合わせて話をするのと、Zoom なんかで話を済ませるのとでは、所要時間が全然違ってしまう。博多とかまで出かけたら、朝に出かけて帰宅するのは翌々日の夕方なんてことになる。それが Zoom だと 2時間足らずで済んでしまうのだ。

当初は「なんて便利で楽なんだ!」と歓迎したが、毎回ネットで済ませるというのは考え物で、直接現場に出向いて時空を共有するのと比べると、やはり結果は薄味になる。薄味になるぐらいならまだましだが、肝心のことに気付かず、見落としていたりすることもある。

実感として Zoom での話し合いが終わり、「それじゃあ、後はよろしく」なんて言って回線を切る段になると、何となく「何か足りないんじゃないか」なんて漠然とした不安を感じることがある。この不安というのは、案外本質的なところから出ているみたいなのだ。

そんなわけでネットを使い短時間で効率的に済ませるだけでは不十分で、たまには手間をかけて「一見余計な煩雑さ」も取り込むのが、結果的には決して「余計なこと」ではないとわかる。効率的に済ませすぎると、後になって手直しが必要になることが多いから、注意が必要だ。

それに加え、時間が余ってのんびりすることに慣れてしまうと、人生を送る上での「意欲」に問題が生じる。簡単に言えば、新しいことに取り組むのが億劫になってしまうのだ。仕事に追いまくられていさえすれば、いつの間にかさっさとこなしてしまうのだが、暇だとどうしても腰が重くなる。

必要な仕事に取りかかるまでに、どうもグズグズしてしまいがちなのだね。定年退職した友人たちに聞くと、「年を取れば誰でもそんなもんさ」と言われるが、年齢に「暇」が重なると「ジジくささ」が増幅されてしまう気がする。ある程度忙しい方が、若々しい気分でいられるのは確実だ。

というわけで、柄にもなく「暇というのは、体と頭にあまりよくない」と思っている今日この頃である。

 

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