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2021年2月に作成された投稿

2021年2月28日

「バーニーズ」流ファッション・ビジネスの衰退

東洋経済 ONLINE が "バーニーズ「日本1号店」撤退が示す深刻課題" という記事を伝えている。「バーニーズ」と言っても今や知らない人が多いと思うが、メンズ比率の高いハイ・ファッションの大型店で、元々はマンハッタン 17st. の "Barneys New York" のライセンスでスタートしていた。

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この Barneys New York は、今は懐かし黒ずくめジャパン・ファッションが世界で注目された 1980年代に、いち早く COMME des GARÇONS や Yohji Yamamoto などの東京のデザイナー・ブランドをニューヨークに紹介し、販売していた

この頃、当時の社長の Gene Pressman (創業者の Barney Pressman の孫)が来日した際の記者会見に、私も(若き記者として)出席したのを覚えている。で、印象と言えば「このジーン・プレスマンって、キザで嫌なやっちゃなぁ」というものでしかなかった。

この時の質疑応答で、私の質問(日本での会見なので当然日本語)を通訳が妙に勝手な解釈で伝えようとしたので、「いや、聞きたいのはそういうことじゃなくて・・・」と直接英語で聞き直したのだが、彼は結局、自分の言いたいことをペラペラまくしたてるだけだった。要するに台本があったのだろう。

この記者会見の約半年後に実際にニューヨークに出張し、 Barneys New York の本店も訪れた。品揃えは悪くないが、底の浅さは社長の第一印象と変わらない。で、その印象に違わず 1996年に最初の倒産。その後大手アパレルに身売りして復活したが、一昨年に再び行き詰まっている。

初代が苦労して創業したビジネスを二代目が発展させ、三代目が食い潰すというパターンの典型である。

この倒産の 7年前、1989年にライセンス・ビジネスとして「バーニーズ・ジャパン」を始めたのが伊勢丹だったが、スカ引いちゃったよね。その後、本家本元がガタガタになったので資本関係も何もなく、名前だけ生き長らえながらセブン&アイの子会社として営業を続けていたわけだ。

というわけで、頼るべきは 30年前に一時的に輝いていた頃のイメージしかないみたいなもので、こうした感じのファッション・ビジネスって「前世紀の遺物」になってしまうほかないよね。

【追記】

ちなみに、米国版の Wikipedia には、Barneys New York 創業者の Barney Pressman、二代目の Fred Pressman のページならあるが、三代目の Gene Pressman のページは見当たらない。目立つのはセレブだった頃のちょっと浮ついた写真ばかりだ。

 

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2021年2月27日

「異分子を認めない」という体制

HUFFPOST の "「憲法は同性婚の法制化を禁止していない」衆議院法制局が示す → それでも国は「想定していません…」" という記事に注目した。そして思わず、同じく HUFFPOST の “地毛なのに黒染め「校則」強要、大阪府に賠償命令。元女子生徒「不登校になった」” という記事を連想した。

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片方は政府、片方は学校の問題だが、共通するのは「異分子を認めない」あるいは「異分子は埒外に去れ」という考え方である。

LGBT も 黒くない地毛も、単に「趣味か体質の些細な違い」に過ぎないのだから、ちょっと我慢して「世の中のフツー」に合わせろ、さもなくば、それを武器にして一生はみ出し者として生きろという乱暴な話だ。

同性婚の法制化に関する憲法解釈というのは、頭が化石の自民党の爺さん連中にとっては考えるのも鬱陶しいぐらいの問題だろうが、今となっては避けては通れない。上述の記事は、この件に関する質問への衆議院法制局の回答は、かなり回りくどい言い方だが次のようなものだったと伝えている。

 「憲法24条1項と同性婚の関係については、論理的にいくつかの解釈が成り立ち得ると考えますが、結論から申しますと、少なくとも日本国憲法は同性婚を法制化することを禁止はしていない、すなわち認めているとの『許容説』は、十分に成り立ち得ると考えております」

禁止されておらず、要望は明らかにあるのだから、国として検討を開始しない理由はないはずなのだが、政府は「憲法は同性婚を想定していない」と繰り返すのみである。「想定していない」ことの「主語」は「憲法」ではなく、人、つまり「自民党の爺さん連中」に他ならないのだが。

同性婚問題に関しての政府の答弁は、さすがに曖昧にぼかすことを意識しているが、「茶髪」に関する一部ブラック校のやり方はストレートにひどい。「黒染めが不十分だ」として、授業への出席や修学旅行への参加を認めないこともあったというのだから、これはまさに人権問題だ。

ことは髪の毛の色だけでない。私が中学生の頃には生活指導の教師が全校生徒を集めた朝礼で、「なぜ長髪を禁止するかと言えば、クラスに長髪の生徒(どうやら私のことらしい)がいると、教育が成り立たないからだ!」と言い放った。

私はその場で「その程度のことで成り立たなくなるようなチャチな教育なら、してもらわなくて結構!」と反論したが、それに対してはついにノーコメントだった。当時、職員会議では「あいつとまともに議論で渡り合うと面倒なことになるから」と、無視することになっていたらしい。

自民党のオッサン連中の多くは「日本は単一民族だからいい」とか「黙っていても通じ合える」とかいう幻想を本気で信じ込んでいるようなのだね。それでふと気付いた時には、相互理解がとてつもなく困難な社会になってしまっているではないか。

 

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2021年2月26日

「数学嫌いの若者」に関する考察

東洋経済 ONLINE に "「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する" という記事を見つけて、「我が意を得たり」とばかりに読んでしまった。ちなみに私は「極端な文系」ということになっていて、数学は苦手である。

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この記事を書かれた 芳沢光雄 先生は、数学嫌いになる問題の一端に小学校時代の「かけ算九九」の授業があるとして、次のように指摘されている。

3×4=12の「サンシジュウニ」ならば、3+3+3+3=12 を示した後に暗記させるものである。ところが、困った指導が一部で行われて、3×4=12 のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである。

私の小学校 2年生の頃の指導は、まさにそれだったように思う。授業では「九九の意味と必要性」なんて一度もまともに説明されず、ふと気付くと、ただひたすら「九九を早く暗唱できるようになった子がエラい」みたいな雰囲気になっていた。

そんなわけで学校の休み時間でも登下校の途中でも、みんな異様に大きな声で競争のように「九九」を唱えて(というか、叫んで)いるのだった。申し訳ないけど、私は気恥ずかしくてその環の中には到底加われなかった。

「かけ算九九」って要するに「単純記憶」の勝負で「考える必要」がまったくないというより、下手に考えるとそれが邪魔になってしまうぐらいのものだから、誰でも抵抗なく入れたのだろう。しかし、ただ単に憶えるなら「寿限無」の方がずっと楽しいけどね。

私としては「九九」の喧噪の中でひたすらポカンとしながら、「『9×9=81』なんて、9を 9回足せばわかるじゃん」と思っていた。実際に九九のペーパーテストでも、九九を完全に暗唱できないくせに このやり方であっさり満点だった。(さすがに、その後しばらくして自然に覚えられたが)

で、芳沢先生の指摘によれば、これこそ正しいアプローチだったわけだ。そのお墨付きをもらっただけでも、この記事を読んだ甲斐があるというものである。「九九」って数学に必要な論理思考とは別の筋肉しか使わないみたいなのだね。

というわけで、私は「理数が苦手」とはいいながら「論理思考が苦手」というわけでは決してなく、むしろ得意と言っていいほどだ。このことは 2011年 7月の "「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ" という記事に書いている)

定理や公式の意味はことごとくきちんと理解できるし、相対性理論とか素粒子論などの文献を読むのもほとんど苦にならない。

これらの分野に関しては、その辺の「数学や科学は、誰が考えても答えが一つだからいいんだ」なんてノー天気なことを言っているフツーの理数系よりは、きちんと理解しているという自信がある。

ただ、この記事に書いているように、私の場合は「数字数式認識障害」とでも言いたくなるような欠陥があるみたいなのだ(「識字障害(Dyslexia)」に類したものだろうか)。それで、同じ生きていくなら数字の世界ではなく文系の世界で論理を貫いて行こうという気になって、今日に至っている。

というわけで、私は決して「数学嫌い」じゃないのに「数字に弱い」だけで、世間から「極端な文系」扱いされ続けているわけなのだよね。まあ、ここまできたら別にそれでもいいけど。

【2月 27日 追記】

本文で触れた「九九のペーパーテスト」では、完全に暗唱できない私が満点なのに、しっかり暗唱できている子が「70点」とか「80点」とかしか取れていないのが、不思議でしょうがなかった。

あれって多分、「さんしちにじゅういち」と「3×7=21」が、頭の中でリンクしていなかったんだろうね。何しろ「使う筋肉が違う」ので。

 

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2021年2月25日

Opera からたった 1日で Vivaldi に乗り換えた

昨日 「Mac 用ブラウザーとして Opera はなかなかいい」という記事で、Firefox から Opera に乗り換えたと書いたばかりだというのに、今度はたった 1日で Vivaldi に乗り換えた。当面は Safari と Vivaldi の併用で行こうと思っている。

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上の画像をクリックすると、Vivaldi 社の「私たちの信念とは」というページに飛ぶのだが、これがなかなかいい。「ブラウザとは、仕様にユーザーを合わさせるものではなく、ユーザーに合わせられるものであるべきなのだ」という「信念」がとても気に入った。

Vivaldi を知るきっかけとなったのは、昨日の記事に付けられた 柘榴 さん のコメントだ。次のようにある。

Operaは大手企業に買収されてからどうもあんまりいい噂を聞かないので、個人的にはOperaの作者が新しく作ったVivaldiのほうをおすすめしたいところです。

へえ! と思って調べてみたところ、Opera というブラウザーは元々は Opera Software AS というノルウェーの企業によって開発されたのだが、この会社は 2016年に中国企業のコンソーシアム(奇虎 360 が中心の投資会社)に買収されているとわかった(参照)。

ふぅむ、「奇虎 360」という会社に関しては、悪いけど、個人的にはいいニュースにはあまり登場しないという印象をもっている。ネットでは「中国がブラウザーを通じて日本の情報を盗む可能性がある」なんてことまで言われているようだ。いくら何でもそりゃないだろうけどね。

まあ、私個人に関してはたとえ中国に盗まれたところで問題を起こすような情報なんてないから、どうでもいいようなものだが、そうと知ったからにはやっぱりちょっと気持ち悪いので、早々に 柘榴 さんオススメの Vivaldi をインストールしたというわけだ。

使ってみた印象だが、確かに軽快そのものである。Opera も「速いな」と体感したが、Vivaldi はさらに速い。そして使い勝手も Opera よりしっくりくる。話は別だが、Vivaldi の『四季』は好きだし(とくに「」)。

というわけで、情報を提供してくれた柘榴 さんに感謝しつつ、当分使い続けてみようと思っている次第である。ちなみに Opera はさっさと削除した。

【同日 追記】

なんと、Twitter で @vivaldi_jp さんから、「いいね」がついてしまった。好感度アップしたから、フォローしちゃったよ。

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2021年2月24日

Mac 用ブラウザーとして Opera はなかなかいい

昨年の 1月 8日、「私のブラウザー遍歴」という記事を書いている。2014年に Mac を使い始めた時は Chrome メインで、翌年からは Safari と Chrome の併用に切り替えたが、昨年は Chrome を Firefox に代えたという内容だ。

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そしてつい最近、さらに Firefox を Opera (上図 右上のアイコン)に代えた。

昨年に Chrome を止めたのは、このブラウザーのメモリ消費が大きいため、重く感じられるからである。Firefox は Chorome ほどメモリを使わないので、動きが改善されたように思われた。

ところが Firefox にしても、それほど軽快なブラウザーというわけじゃない。とくに多くのタブを開いて長時間使い続けていると、クラッシュしてしまうこともある。それで「Mac で使えるもっと軽いブラウザーはないか」と探し、Opera に行き当たったわけだ。(なお、Opera は Windows 版もある)

試しにインストールしてみたところ、軽くてなかなかいい。体感速度が Firefox よりずっと速いし、機能的にも過不足がない。というわけで今後は Safari と Opera の 2本立てで行くことにした。

Opera は操作感がちょっと独特で、例えばほかのアプリではツールバーの左端に横並びで表示される 赤黄緑のボタン(「閉じるボタン/しまうボタン/ズームボタン」というらしい)が、左側のサイドバーに縦に表示される。慣れればどうってことはないが、初めはちょっと違和感かもしれない。

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ただ、メニューバーの「表示」から「サイドバーを隠す」を選択すると、下図のようにサイドバーが消え、3つのボタンはタブバーに横に並ぶ。サイドバーに表示されるメニューは使用頻度が高くないので、私としてはこのスタイルで行くことにした。シンプルな方がメモリの負担も軽いだろうし。

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気に入ったのは、右端のタブに「スピードダイヤル」というページが表示されることだ。ここにはお馴染みのウェブページのサムネイルを置くことができて、よく行くページはブックマークするより便利だ。そのため、普段はブックマーク・バーも非表示にして、ますますシンプルにしておける。

Opera はちょっとマイナーなブラウザーで、デスクトップ向けとしての昨年 12月時点でのシェアは世界市場では 2.6%で 5位だが、日本市場では 7位となっている(下図はクリックすると別画面で拡大される。詳しくはこちら)。

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この図を一見しただけで、Chrome が圧倒的なシェアをもっているのがわかる。よくまあ、あんな重いブラウザーを使い続けていられるなあ。

また IE(Internet Explorer)の国内市場シェアが 8.0%で、世界市場の 2.5%の 3倍以上というのがおもしろい。さらに Windows 10 から IE の後継ブラウザとなった Edge も、国内シェアが 14.3%で、世界シェア(7.4%)のほぼ 2倍だ。

日本人の 5人に 1人以上は、Windows PC を購入した時から入っているデフォルト・ブラウザーをそのまま素直に使い続けているわけだ。

日本人は Microsoft のあてがい扶持にあまり抵抗を感じないみたいなのだね。これって、国民性なのかなあ。

【2月 25日 追記】

この記事を書いた翌日にこんなことを書くのはいかがなものかと言われそうだが、柘榴 さんの書いてくれたコメントを信頼して、Vivaldi というブラウザーをインストールし、使い始めた。これ、なかなかいい。Opera より確実に軽快で、しかも使い勝手もしっくりくる。

オススメしておきたい。

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2021年2月23日

今日のスギ花粉飛散量は、今シーズン最高

今日のスギ花粉飛散量は、今シーズン最高だと思う。朝、ゴミ出しに行って戻ったら、いきなりくしゃみが止まらなくなってしまった。

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昨日まで暖かい陽気が続いてスギの木がたっぷりと花粉を付けた途端にいきなり北風に変わったので、関東北部の山間部からまともに花粉が飛んできているみたいである。ところが気象協会の tenki.jp のサイトで関東甲信地方情報を見ると、茨城県はまだマシみたいなのだ。

埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡は、マップの色が一段階以上違う。とくに東京都西部の多摩地区から山梨県境の奥多摩地区と、神奈川県全域なんて、赤っぽい色に染められている。神奈川県は都会的なイメージがあるが、実は半分近くが丹沢と箱根の山塊だから、この時期大変だろう。

さすがにたまらず、一昨日の記事に書いた「アレグラ FX」を服用した。私の場合はこのスギ花粉のシーズンが過ぎても、ヒノキとカモガヤの花粉にも反応してしまうので、連休過ぎ頃までしんどい思いが続く。

何とかならんものかと思うが、半世紀以上に渡って何ともならないのだから、もうずっと耐えているしかないのだろう。年取って死ぬ時は、花粉シーズンのやってくる前の冬のうちに安らかに死にたいものだ。

 

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2021年2月22日

トニー谷の芸というもの

どういうわけか、唐突に「トニー谷」を思い出してしまった。今の若い人は知らないだろうが、昭和 20年代から結構売れっ子だったボードビリアンである。その後に一時的な低迷期もあったようだが、1960年代の「アベック歌合戦」という番組の司会でテレビの世界に復活した。

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上の写真を見ると『おそ松くん』の「イヤミ」を連想する人が多いかもしれないが、作者の赤塚不二夫大先生が自ら語っているように、そのモデルが他ならぬこのトニー谷である。ただ、漫画での名前が「イヤミ」になっていることからもうかがわれるように、当人のキャラもモロに嫌みだった。

この「嫌み芸」のイメージは昭和 30年代初頭に最高潮に達していたようで、たまに見るモノクロの娯楽映画に登場するトニー谷は、とにかく「低俗」を絵に描いたような役柄だった。もっとも当時、私はまだ 10歳にもなっていなかったのであまり明確な記憶としては残っていないのだが。

この「嫌み」な芸風は日本の津々浦々まで知られていたらしく、私が子どもの頃にちょっとシニカルな口の利き方をすると、祖父母に「トニー谷じゃあるまいし!」なんて叱られたものである。とにかく、「嫌われ者」でありながら、わけのわからない人気のあった芸人だったわけだ。

私が明確に憶えているのは 1962年にテレビの世界に登場した「アベック歌合戦」の司会者としてのトニー谷だが、我が家にテレビが導入されたのは 1964年の東京オリンピックがきっかけだったので、実際にはそれほど長い間注目していたわけではない。今思えば、絵に描いたような低俗番組だったし。

トニー谷がサンバもどきのリズムで拍子木を打ち鳴らしながら、ノー天気に「♫ あんたのお名前何てェの?」と問いかけると、素人の出場カップルが「♫ 〇⚫△◇と申します」と答え、いろいろ話になった後に、とても人前で歌うようなレベルじゃない下手な歌をデュエットで歌うというものだった。

その歌を審査員が採点するのだが、はっきり言って点数付けるに値するような代物じゃなく、あんな番組がどうしてウケたのかさっぱりわからない。強いて言えばトニー谷の、あの賑やかでノー天気なリズム感にテキトーに悪趣味を散りばめた芸のスタイルが、時代の「ツボ」だったのかもしれない。

当時の私としては何と言っても、ザ・ピーナッツとクレイジー・キャッツの「シャボン玉ホリデー」が最高と思っていて、その系譜を引くのがタモリと信じている。ただ、そのタモリの「ハナモゲラ語」は、よく考えればトニー谷のデタラメ英語「トニングリッシュ」の系譜でもあるのだろう。

そう言えば、インチキ外国語では、系譜はちょっと違うものの 藤村有弘 というのもいた。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの初代の声の人である。私はインチキ・イタリア語の「ドルチャメンテ・ゴチャメンテ・・・トルナラトッテミーヨ」というのが好きだったなあ。

よく考えてみると、タモリはジャズのテイストとお笑いをミックスしたクレイジー・キャッツ(参照)と、シニカル芸のトニー谷の両方の系譜をうまくブレンドして、独自に昇華してしまったのかもしれない。その意味では、トニー谷は芸能史的に無視できない存在ではある。

いずれにしても、よくわからない存在なのだが。

そう言えば、小学校の頃に算数の授業でソロバンをさせられた時、私はトニー谷流で「ビギンのリズム」をかき鳴らす練習ばかりして怒られていたなあ。そのせいで、ソロバンを使った計算は今でもできない(参照)。

【2月 26日 追記】

Wikipedia 「トニー谷」で「舞台裏」の項に、そろばん芸について次のような記述のあるのに気付いた(参照

そろばんを使った芸も本来は坊屋三郎のアイデアで、坊屋は芸を盗まれたことに激怒していたという。

しかし私としては、坊屋三郎ではウォッシュボード(アメリカの洗濯板)を使った芸は印象に残っているものの(参照)、そろばん芸を見た記憶はないんだがなあ。そろばん芸は同じようなリズム効果を発揮するものの、ウォッシュボード芸よりずっと下世話な印象ではある。

あるいは私が坊屋三郎のそろばん芸を知らないだけなんだろうか。

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2021年2月21日

私の花粉症対策(非宣伝ということでよろしく)

「江草乗の言いたい放題」の江草乗さんが 2月 18日付で「鼻炎薬 A(宣伝ではなく)」という記事を書いておられる。市販薬だが、医者に処方される薬よりずっと効くのだそうだ。

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今年もまた杉花粉の飛ぶ季節になっていて、私もまた鼻水とくしゃみに悩まされている。杉花粉の季節が過ぎても、その後しばらくはヒノキの花粉に悩まされる。こればかりは肉食を絶つずっと前の小学生の頃からだから、悲しいことに完全なアレルギー体質なのだろう。

医者に処方される薬が効かないということに関しては、私も江草乗さんと同様である。昨年と一昨年、近所の医者で錠剤と、鼻孔に直接プシューッとやるパウダー・スプレーの 2種類を処方してもらったのだが、ほとんど効かない。

錠剤は「飲まないよりはほんの少しマシ程度のような気がしないでもないかもしれない」というビミョーさなのだが、パウダー・スプレーの方は、はっきり言ってまったく効かない。手元に置いておくだけ馬鹿馬鹿しいので、2年ともさっさと捨ててしまった。それで今年は医者になんか行く気がしない。

というわけで江草乗さんに倣って「非宣伝」という形で書かせていただくが、今のところ私が気に入っているのは、上の写真にある久光製薬の「アレグラ FX」という錠剤と、第一三共ヘルスケアの「AG ノーズ アレルカットM」というスプレー薬(こちらはパウダーではなく液体)だ。

「非宣伝」というのは当然の話で、私には効いても他の人に効くという保証はないからである。なにしろ、私にはほとんど無意味だった上述の医者の処方薬が、妻には劇的に効いたというのだから、本当に訳のわからない世界だ。

飲み薬の場合、江草乗さんは定められた「用量・用法」を守らず、「1日 3回」というのを 「1日 1回」にしておられるようだが、私も「1日 2回」というのを、「1日 1回」だったり「2日に 1回」だったりといういい加減さで服用している。回数はあまり関係ないみたいなのだ。

パッケージには「眠くならない成分」という謳い文句が印刷されているが、やはりクルマの運転をする前などは飲む気になれない。それでも結構効いてくれているから、悪くはない。

そして最も手放せないのはスプレー薬の方だ。私の場合、起きて活動している間は鼻水には困ってしまうものの、鼻詰まりで息苦しくなるなんてことはほとんどない。ところが夜にベッドで横になると詰まりやすくなり、つい口呼吸になりがちだ。

このスプレー薬はその鼻詰まりを速効で解消してくれるので、本当にありがたい。おかげで安眠できるというものある。

花粉症の季節、この 2つは私の必需品になってしまっている。

 

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2021年2月20日

ヴィーガンでも、たんぱく質不足にはならないようだ

鈴木形成外科院長で第 1回ベジタリアンアワード企業賞を受賞したCHOICEのオーナー&プロデューサーである鈴木春恵さんという方が一昨年 5月に書かれた「ヴィーガンとたんぱく質」という記事を、今頃知った。ヴィーガンでもたんぱく質不足にはならないことが説かれている。

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まず「らくなちゅらる通信」というタイトルが気に入った。「楽で自然なのが一番」と思っていることもあって、納得の記事である。私自身は魚介類は食べていて完全にヴィーガンというわけではないが、たんぱく質不足の心配なんて一度もしたことがないし。

そしてヴィーガンでバリバリのスポーツマンはいくらでもいるから、「肉を食べないとたんぱく質不足になる」というのは、多くの人が信じている根拠のない思い込みに過ぎないと、元々確信はしていた。ただ、そのあたりの専門家による情報というものに今イチ接していなかったのである。

以下に上記のページから引用させていただく。

必須アミノ酸(人体で合成できないアミノ酸)が一つでも足りないと人体に必要なたんぱく質は作れませんが、植物でも何種類か組み合わせれば必須アミノ酸は不足なく摂取できるのです。

さらに、植物性たんぱく質は消化吸収が良く、体内で利用されやすいのに対し、一般に「動物性たんぱく質」と称されている、牛や豚の筋肉や乳製品などのたんぱく質は消化されにくく、腸内で腐敗し、さまざまな病気のもとになります。

(中略)今では動物性食品の摂取割合が多いほど、がん、高血圧、心臓病、脳梗塞、糖尿病、骨粗鬆症、アルツハイマー病、アレルギー、自己免疫疾患、黄斑変性などの病気の発症が多くなることが、数多くの研究で明らかにされています。

というわけで、今後も安心して肉は遠ざけて暮らしていこうと思っている。数年前に高校時代の同級会に出席したとき、医者になっている友人が食事で肉を避けている私を見て、「肉を食わないと長生きできないよ」と忠告してくれたことがあるが、それも「諸説ある」ってなことに過ぎないわけだ。

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上の写真は 2019年 5月 25日付の「長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので」と言う記事に使ったものだ。要するにこんな具合に「諸説あり」で、個別の寿命の話は「ケースに依存する」というほかなかろう。

だったら、どっちの説を信じるかは好きにさせてもらう方が、いい気分で生きられるというものだ。死に際になって、「しまった、肉を食っとくんだった!」なんて思うことはないから。

 

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2021年2月19日

満月の前は睡眠時間が短くなるらしい

NewSphere の「満月の前は睡眠時間50分短く 満ち欠けにあわせ変動 米研究」という記事に目が止まった。人の睡眠は、満月が近付くにつれて短くなり、月が再び欠け始めると、長くなるという周期を繰り返しているのだそうだ。

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本日 2月 19日の晩は上弦の月で、それがだんだん満ちていき、27日に満月になる。ということは、今は睡眠が短くなるプロセスにあるわけで、26日の土曜日で最短になり、その後はまた長くなっていく。この働きによる睡眠時間の差は 50分にもなるらしい。

98名の被験者から収集されたデータを分析したところ、満月が近づくにつれて睡眠時間は短くなり、入眠のタイミングも遅れてゆく傾向が確認された。満月の前にピークを迎え、人々は平均して30分遅く眠りにつき、睡眠時間は50分短くなる。その後は再び睡眠時間が増え、月齢周期である29.5日とほぼ一致するサイクルで変化を繰り返す。

(中略)

精神医療と睡眠の専門家であるアレックス・ディミトリ博士の見解を伝えている。博士によると、睡眠調整ホルモンであるメラトニンの働きは、何らかの光を見ることで抑制される。そのため、月光が多く降り注ぐ満月が近づくと眠気が抑制されることは十分に考えられるという。

夜は月明かりしかなかった大昔からの体の「クセ」みたいなものが、現代人においても引き継がれているらしいというのはなかなか興味深い。考えてみれば、それほど太古の昔というわけではない江戸時代頃までは照明といえば行燈ぐらいしかなく、それもなるべく長く灯さないようにしていたという。

つまり人間というのは 19世紀までは、日が暮れたら素直に眠りについていたのだ。ライフスタイルは昔とは比べものにならないほど変わり、夜になっても皓々とした明かりのもとで暮らせるようになった今でも、人間の体の中の深いところはそれほど変わっていないようなのだね。

ということは、満月の前に「近頃、ベッドに入ってもすぐに眠れない」なんて言って、不眠症なんじゃないかと思い煩う必要はないということだ。元々目が冴えてしまうものなのだと思っていればいい。

「狂気」を表す「ルナティック(lunatic)」という言葉が「月」を意味するラテン語の "luna" から来ているというのも、これと関係があるような気がしてきた。 昔は眠れない夜には闇の中で悶々としているほかなかったので、「狂気の一歩手前」みたいな気がしていたのかもしれない。

 

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2021年2月18日

二階幹事長の「何もわかってない感」も、またすごい

自民党の二階幹事長が役員連絡会で、党所属の女性国会議員を5人程度ずつ、党の幹部会議にオブザーバーとして出席してもらうことを提案したと伝えられた。「どういう議論がなされておるかを十分ご了解いただくことが大事。それをご覧に入れよう」ということだそうだ(参照)。

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これに対し、Jizi_t さんが "「何言うてんの? この爺さん」以外の理解ができない" と tweet しておられる(参照)。まさに私も同感だ。

この爺さん、例の森喜朗発言でオリ・パラのボランティア辞退が相次いだ時にも「関係者の皆さんは瞬間的に協力できないとおっしゃったんだと思うが、落ち着いて静かになったら、考えも変わるだろう」などとほざいている。

今どきこんな発言をしたらどう受け止められるかということを、全然わかっていない。「森喜朗は『何もわかってない感』がすさまじい」(参照)と言われたが、それは森一人だけでの話ではない。

二階幹事長が想定している会議というのは、「党としての方針を機関決定する総務会や、党幹部らが情報共有を図る役員連絡会など」であるらしい。

こうした会議に女性が正式メンバーとして加わるのが当然であれば、わざわざ「発言権のないオブザーバー」として参加させて、会議の内容を「ご覧に入れよう」なんて言う必要はまったくない。つまりこれは「発言権のないオブザーバーとしての立場以外での女性の参加はない」と言っているに等しい

もっとはっきり言えば「女性には発言権を与えない」ということに他ならず、「女性が多くなると会議が長くなる」以上の女性差別発言と言うほかない。これが森発言以上に問題視されないのはおかしい。

自民党幹部というのは、こうしたメンタリティの爺さん連中で占められている。今回の森喜朗の後任候補を決める「秘密会議」では橋本聖子・五輪相に一本化されたというのだが、これにしても「後任は女性にしときさえすれば聞こえがいい」ということでしかないのだろう。

 

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2021年2月17日

赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない

昨日の「ロンドンの霧と、赤いスイートピー」という記事は、後からいろいろ書き足して混乱させてしまい、申し訳ない。ただいずれにしても、「赤いスイートピーは、聖子ちゃん以前から世の中にちゃんとあった」と認めざるを得ないようなのだ。

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その根拠は、昨日の記事にも掲載したが、1986年 7月に発行された "Sweet Peas - Their History, Development & Culture" という本の表紙である。ご覧のように、しっかりと赤いスイートピーが載っている。

この本自体は聖子ちゃんの歌の出た 4年後の復刻発行だが、そのオリジナル版は1926年に発行されていて、赤いスイートピーが「1800年ころには既に存在していた」との記述があるらしい。文字の記述だけではアヤシいところがあるが、こうして画像で出されたら、認めないわけに行かない。

つまり、広く流布している「赤いスイートピーが開発されたのは 2000年以後」というのは、俗説ということだ。ちなみに株式会社大田花き花の生活研究所という会社の「花研コーヒーブレイク」というブログの 2006年 1月 21日付の記事にも、次のようにある(参照)。

赤いスイートピーは歌がヒットしてから開発されたという説がありますが、これは誤りです。実際には赤いスイートピーがリリースされる180年以上も前に既に存在していました。赤にもいろいろあるので、真っ赤とは限りませんが、赤系の品種です。行政にお勤めでスイートピー研究の権威の方のお話なので、間違いないと思います。

ただ、赤いスイートピーは三重県伊勢市の花農家、中川猛さんの品種改良によってこれほどまでのヒット商品になった(参照)わけなので、中川さんの尊い努力は否定されるものではない。これは重要ポイントだ。

ちなみに驚いたことに「花研コーヒーブレイク」の記事によると、今のところ存在しないのは黄色のスイートピーで、街で見かける黄色の花は、あれは染めてるんだそうだ。いやはや、油断も隙もない。

「じゃあ、1986年の本の表紙も、赤く染めたスイートピーなんじゃないか」なんて無粋なことまでは、私としては言わないでおく。

以上、そういうことなのでなにぶん

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2021年2月16日

ロンドンの霧と、赤いスイートピー

13日の「バレンタイン、スイートピー、スイーピーの三題噺」という記事で、聖子ちゃんが『赤いスイートピー』を歌った 1982年当時は、赤いスイートピーは存在しなかったという話に触れた。品種改良によって赤い色の品種が登場したのは、この曲の発表から 18年後だった。

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オスカー・ワイルドは「ターナー以前、ロンドンに霧はなかった」と言った。ターナー(Turner)は、あの霧深い風景画で有名な画家だ。

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ターナー 『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』

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オスカー・ワイルドのこの言葉は、芸術至上主義の名言とされている。ロンドンの霧はそれまでにもずっと「あった」とはいえ、芸術によってそのすばらしさが表現されるまでは、人々の意識の中には「存在しなかった」というのだ。

そしていよいよ、赤いスイートピーもそのようなものだと書こうとしていたところ、どんでん返しが起きた。念のために Wikipedia の「赤いスイートピー」の項 を調べてみると、さりげなく次のようにあるじゃないか!(太赤文字は tak による)

本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、「赤いスイートピー」は存在しないと思われていた(実際には、1800年ころには既に存在していた)。

「実際には、1800年ころには存在していた」だと !? 「そんなこと、聞いていないぞ!」と怒鳴りたくなってしまったじゃないか。

ただいずれにしても、赤いスイートピーがたとえ本当に「1800年ころには既に存在していた」としても、20世紀以後は市場から消えて久しくなっていたと考えるのが自然だろう。だからこそ、聖子ちゃんのレコードジャケットにも赤いスイートピーの現物は登場していない。登場させようがなかったのだ。

それが三重県の花農家の努力によって開発され、一挙にこれほどまでポピュラーになったのだから、「聖子ちゃん以前、世界に赤いスイートピーはなかった」と言ってもあながち責められることはないだろう。

つまり、松本隆の詩が現実に先行したのだ。敢えて用心深く控えめに言っても、20世紀以後の現実に先行したのである。

ロンドンの霧の場合は「明らかにあったけど、人々の認識の中には存在しなかった」というわけだが、赤いスイートピーときたら、「なかったわけじゃないという説はあるものの、それは誰も見たことすらなかった」というレベルのものだった。

すごいじゃないか! ただいずれにしても、誰も見たことがなかったとはいえ、心の中でそのイメージがありありと思い浮かべられたからこそ、こうした形で実現したのだろう。

これは「想念の勝利」というものである。オスカー・ワイルドもびっくりのストーリーだ。

【補足】

Wikipedia では「実際には、1800年ころには存在していた」との記述の参照項目として "The unwin book of sweet peas" というのが挙げられているので、それでググってみると、"Sweet Peas - Their History, Development & Culture" という本が見つかった。

日本語にすれば、「スイートピー、その歴史、成育、文化」というようなタイトルで、著者の名前が Chas W. J. Unwin だ。それで "The unwin book of sweet peas" ということになったのだろう。

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この本に赤いスイートピーに関しての記述があるというのだが、いくらもの好きな私でも、それを確かめるためだけに、敢えて 3,000円以上出して購入する気になれない。

ちなみにこれは 2006年 6月発行の復刻版で、オリジナル版が世に出たのは今から 95年前の 1926年だそうだ。1世紀近く前のことで、日本でいえば元号が大正から昭和に変わった年である。

それよりさらに 120年以上も前の 1800年といえば、江戸時代半ばをちょっと過ぎた頃だ。その頃の話として赤いスイートピーが存在していたとの記述があるとしても、「おお、そうだったか!」と大喜びで、まともに真正面から信じるのはちょっとアブナい気がするがなあ。

もしあったのだとしても、今のような鮮やかな赤だったのかどうかはわからないし。

【さらに追記】

謎が謎を呼ぶ展開になった。"Sweet Peas - Their History, Development & Culture" でさらにググったところ、ハードカバー版が見つかった。こんなのである。

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上に紹介したペーパーバック版は 2006年 6月発行で出版社は Hesperides Pr となっているが、このハードカバー版は 1986年 7月の発行で出版社は Hyperion Books とある。1926年発行のオリジナル版から、それぞれ別のバージョンとして復刻されているようだ。

そして何より困ったことに、この本の表紙写真はご覧のように、「赤いスイートピー」そのものなのである。日本で赤いスイートピーが開発されたのは聖子ちゃんの歌が出てから 18年後の 2000年とされているが、その14年前に発行された本の表紙に現物が載っちゃってるのだ。

これでは、本日の記事のコンセプト自体がナンセンスに帰してしまいそうだ。かなりヤバい。

で、この本の内容を読めるサイトはないかと探したところ、PICKAFOLE というサイトに PDF があるらしいとわかり、行ってみたところ、こんなことだった。

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ネット上で読めるには読めるらしいが、「メンバーズ・オンリー」の有料サイトだったのである。残念だが、まあ、当然だろうね。

これはもう、今日 1日の記事で終わりそうにない。

【2月17日 朝 追記】

もう年貢を納めることにした。本日の記事は「赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない」 である。

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2021年2月15日

ユニクロのサステナビリティ戦略

HUFFPOST が、ユニクロの柳井社長の 2月 2日の記者会見の模様を伝えている(参照)。サステナビリティに関連して「地球環境に対してかなり負荷を与えているので、それをできるだけ少なくしていく」と、かなり踏み込んだ発言をしたと話題だ。

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私は結構長い間、繊維、アパレル関連の情報を扱う仕事に就いていたので、かなり興味を持ってこのニュースを読んだ。「踏み込んだ発言」というので、どの程度踏み込んでいるのかと思ったが、まあ、そこそこ程度の踏み込み方ではある。

この日の記者会見で発表された「サステナビリティレポート 2021」も、誰でも読めるようにインターネット上に公開してある。これはいいことだ。

ファッション企業のものだけに、一見すると多少はムード先行のイメージはあるものの、読み込んでみればそこそこの努力を認めざるを得ない。業界で他に先駆けてこうしたものを世に出す姿勢は評価されていいだろう。

これまでのファッション業界はシーズン在庫が売れ残ると、次シーズンに回すことなく二束三文で処分したり廃棄したりするため、環境負荷の高い産業と思われてきた。ところがユニクロは、多シーズンにわたって売り場に出せる商品を展開するという。これまでのファッションの常識をくつがえす姿勢だ。

「廉価品の大量生産、大量販売」というイメージの強かった企業が、温室効果ガス排出の実質ゼロを目指し、再生ポリエステルを大幅に使用しつつ、仕上げ加工のプロセスで水の使用量を最大 99%削減する目標を示すなど、具体的な目標を明らかにしている点はかなり思い切った施策といえる。

もちろん、今回示された方針が最良のものというわけではない。ということは多分、今後もさらにアップデートしつつ進むのだろう。

HUFFPOST は今年 1月 25日にも「ファッションは悪なのか? アパレル各社のサステナ戦略、3つのポイント」という記事で、この分野の問題提起につなげている。今後は多くの業界で環境配慮が当然という世の中になることを期待する。

 

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2021年2月14日

今回の地震は、"PREP" 情報よりずっと大きかったよ

今月 6日に "「震度 0 が およそ 5秒後」に来ると言われてもなあ・・・ " という記事を書いた。"REP" という地震情報アプリがうるさすぎるという話だったが、らむね さんの助言コメントのおかげで「震度 3」以上の情報しか受け取らないという設定に変えることができ、少しは落ちついていた。

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ところがその 1週間後の寝入りばな、久しぶりに手首の Apple Watch がブルブルと振動し始めた。画面を見ると「震度 3 の地震が 58秒後」と表示されていて、それが刻々と「53秒後」「45秒後」・・・ と更新される。かなり忙しい。

「まあ、震度 3ぐらいなら大したことないわ」と高をくくっていたところ、「6秒後」と表示されたあたりから早くもぐらぐらと揺れ始めた。フライングである。そしてその揺れはなかなか収まらずにどんどん強くなる。

「おいおい、こりゃ、震度 3なんてもんじゃないぞ!」と、アセリ始めたところで、本棚から本が 10冊ぐらいバサバサッと落ちた。妻もかなり怯えている。なにしろ 10年前のトラウマがあるし。いずれにしても今回の地震は、Prep にかなりサバ読まれてしまった。

ようやく収まってネットの地震情報を見ると、震源地は福島沖で、最大震度は 6強と出ている。そりゃ大地震じゃないか。茨城県内は概ね震度 4だが、土浦、つくば周辺だけは 5弱となっている。道理で揺れたわけだ。

落ちた本を書棚に戻し、家の中を点検したが、壊れているところはない。停電にもならずに済んでいるし、Radiko の情報では福島で廃炉処理中の原発も持ちこたえてくれたらしい。というわけであとはぐっすりと寝た。

朝になると仙台に住む妻の従姉妹からメールが来ていて、「今度こそ終わりかと思った」とある。10年前より強い揺れと感じたらしい。部屋の中は崩れた壁土でザラザラだそうだ。

上の図を見ても、福島から宮城にかけては赤丸から暗赤丸(震度 6弱〜 6強)が多いから、さぞかし恐ろしい思いをしただろう。

それにしても、福島沖で発生した地震が 1分そこそこで、つくばの地まで伝わって来るのだから、ものすごいスピードだね。クルマだと高速道路を使っても福島市まで 3時間ぐらいかかるから、地震の速さはクルマの 200倍(時速 2万キロ?)ぐらいなのか。

こう考えたら、脳内で福島辺りからウチまでの風景の変化がものすごい速さでコマ送りされて、クラクラしてしまった。

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2021年2月13日

バレンタイン、スイートピー、スイーピーの三題噺

先日 NHK ラジオの朝の番組を聴いていたところ、日本の花が世界に輸出されて好評という話題になっていて、そこに登場した花市場の専門家が「とくに 2月前半は赤いスイートピーがバレンタイン・ギフトとしてアメリカで大人気です」と伝えていた。

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すると女子アナが「アメリカでは、女性がチョコと一緒にお花を贈るんですか?」と、いかにも台本通りと察せられるボケを発し、専門家の「それは逆でして、アメリカではバレンタインデーに男性が女性に花を贈るんです」という模範解答につなげていた。実に平和なる NHK 文化である。

ちなみに聖子ちゃんが大ヒット曲『赤いスイートピー』を歌った 1982年当時はスイートピーという花に赤い色の品種は存在せず、「そんなもん、ねえよ!」と話題になったが、その 18年後に三重県の花農家が鮮やかな赤い色のスイートピーの品種改良に成功したのだそうだ(参照)。

まさに「嘘から出た実(まこと)」である。

「スイートピー」はマメ科の植物で、英語で言うと "sweet pea" (甘い豆)。小さなさやの中にできる種子(豆)には毒があって食べられず、甘いのは味ではなく、花の香りなのだそうだ。

次に「スイーピー」のお話し。言わずと知れたポパイに出てくる赤ん坊で、私はずっとポパイとオリーブの間のベビーと思い込んでいたのだが、実はポパイの養子である(参照)。

それを知ったのは、還暦に近付いた頃で、2010年の 1月にその名も "「赤いスイートピー」を巡る冒険" というタイトルで書いたことがある。つまり、今日の記事は半分は二番煎じで、長くブログをやってると、どうしてもこんなことが多くなってしまう。

念のため英語版の Wikipedia で "Swee’ Pea" の項目にもあたってみたところ、次のように確認された(参照)。

In the comics, Swee'Pea is a baby found on Popeye's doorstep (actually delivered to him in a box) in a July 24, 1933 strip.

《漫画では、スイーピーは 1933年 7月 24日付で、ポパイの玄関先(実際に箱に入れて置かれていた)で見つかった赤ん坊である》

"Swee' Pea" と表記され、上述の Wikipedia にも " His name refers to the flower known as the sweet pea." (彼の名前はスイートピーとして知られる花と関係がある)とあるように、意味的には「スイートピー」って名前なのだね。赤い花のなかった頃の。

そして、あのいつもハンバーガーを食べながらグダグダしているウィンピーは "Wind Pea" で、直訳すれば「風豆」になってしまうが、実は「そら豆」のことである。

・・・おっとしまった、このネタ、エイプリルフールまでとっとくんだったなあ。本当は彼の名前は "J. Wellington Wimpy" で、豆とは関係ない。"Wimp" (無気力人間)が元なんだろうね。

【2月17日 追記】

あとからいろいろ調べた結果、「1982年当時はスイートピーという花に赤い色の品種は存在しなかった」というのは、誤りと認めざるを得ないことになった。詳しくは「赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない」 を参照いただきたい。

 

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2021年2月12日

「添付ファイルを紙で送ってくれ」というおっさん

最近増えた「ネット会議」というのは参加者が IT 操作に手慣れたビジネス・パーソンだけなら何の問題もない。「家で気軽に会議に参加できるから、かえって楽」というぐらいのものだ。

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しかしたまにフツーのおっさん、おばさんも参加するような広域自治会や「草の根運動」的なものに顔を突っ込まされてしまうと、話は別だ。それでも「非常事態宣言」などで、とくに年配者ほど実際に集まってもらうわけに行かない場合は、ネット会議をするほかない。

初めのうちは「ネット会議は年配の女性にはハードルが高い」なんて思われていたが、実際に付き合ってみると、それも「人による」だけとわかる。80歳近いおばあさんが気軽に Zoom ミーティングに参加する例はいくらでもあるし。

どうにもならないのは、団塊の世代以上の年配男性だ。定年前から仕事で当たり前に IT を使いこなしていた人はいいのだが、会社勤めの現役時代に IT の波から巧妙に身をかわし続けていたおっさんという人種は、今となってはかなりの「お荷物」である。

彼らの時代、IT はある意味「準専門職」みたい思われていた時期あった。その頃は、中間管理職以上が PC のキーボードを自分で叩くなんて、外資系でもなければ希有なことだった。

必要な書類は部下に PC で作成させ、紙にプリントアウトされたものをうやうやしく持ってこさせてこそ、管理職たる威厳と勘違いしていたのである。彼らはずっと「PC は業務書類の清書マシン」ぐらいにしか理解していなかったので、「そんなこと、部下にやらせる」という意識が支配的だった。

そんなおっさん連中のガラケーを今頃になってようやくスマホに代えさせ、LINE アプリをインストールしてあげて、やっとこさっとこ、音声だけでもミーティングに参加させる。ところが彼らはマイクの「オン/オフ」がわからず「ミュート」に無頓着なので、いつも雑音発生源になる。

その上「資料はメールじゃなく、紙に印刷して送ってもらいたい」なんて言い出す。書類は部下がプリントアウトしてもってくるものと思っていた時代の傲慢さが、今も抜けないらしい。

「メールで送られた添付ファイルを指でチョいとつついてみれば、スマホでも自動的に開いて見ることができますよ」と言っても、あまり聞く耳を持っていないようだ。「紙の清書」でなければ受け付けないのである。

というわけで、私は最近になって認識を完全に改めた。森喜朗じゃあるまいし、「女性は IT が苦手」なんて言い草は見当外れもいいところで、差別的でさえある。本当にどうしようもないのは、定年前から長年にわたって IT を敬遠し続けてきたおっさん連中だ。

聞けば彼らのほとんどは、ケータイ・メールすらした経験がないようだ。離れて暮らす子どもや孫とのメールのやり取りみたいな「ちまちましたこと」は「妻の役割」と思っている。道理で女性の方がスマホに親しんでいて、写真の添付なんかも気軽にできることが多い。

それに女性は操作がわからなかったら気軽に質問してくるので、こちらもいろいろ答えてあげられるが、男は聞くのを恥と思っているらしく、沈黙しがちだ。それで会議は早く終わるのかもしれないが、頭の中のアップデートは期待できない。

 

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2021年2月11日

「アンチ・エコ」のメンタリティが見えてきた

世の中でエコ意識が徐々に高まるのと平行して、「アンチ・エコ」とも言える言説も結構もてはやされてきた。『偽善エコロジー ー 「環境生活が地球を破壊する』なんていう本もあるし。

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私の 3日前の "「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ" という記事にも、案の定、反論コメントが付いた。「takさんがヴィーガンをするのは別にいいんですが、私はみんながヴィーガンになれば皆んなが不幸になると思います」というのである。

彼が何をもって「不幸」とするのかよくわからないが、コメントの末尾のあたりには「ヴィーガンの考えることは正しくても、そこには合成の誤謬が発生することに成る」ともあるので、私は次のようにレスした。

まあ、「みんながヴィーガンになる」なんてことは少なくとも急には無理でしょうから、仮定の条件設定を極端にすることで妙に悲観的になる必要はないと思いますよ。

明日から世界中の人が急にヴィーガンになるというなら、いきなり社会のバランスが喪失して大変なことになるでしょうが、それはできの悪い SF の世界です。

実際問題としては、ゆっくり時間をかけて考えましょう。「合成の誤謬」の発生を抑えるためにもね。ヴィーガン人口が増えれば、その時はその時でその状況に適応するための新しい社会システムが構築されるでしょうし。

(参考までに:「合成の誤謬」<Wikipedia)

というわけで、エコ派とアンチ・エコ派のすれ違いの構図が、私にもようやく単純に図式化された形で見え始めた。

要するにアンチ・エコ派は、「急にエコ派の言うような世の中になったら、社会システムがガタガタに崩れてしまうのがわからんのか!」と言ってるわけだ。基本スタンスは、エコ派が「現状では危ない」と思っているのに対し、アンチ・エコ派は「現状の方がマシ」という認識なんんだろう。

つまり「現実的な環境悪化への警鐘」に対して、「エコ・プロセスへの不信」で反論するという構図だ。こうなると完全に逆説的な言い方になって我ながら気持ち悪かったりするが、「心配しなくていいですよ。極端な変化なんて急には生じませんから」と言ってあげたくなる。

エコ派の主張がいきなり主流になってそれまでの慣習や社会システムが一挙に様変わりしてしまい、人々の生活が破壊されるなんてことはあり得ないから、余計な心配は要らない。それでなくても世の中の改革プロセスというのは、行きつ戻りつしていろいろな適応策を模索しながら進むものだから。

ただこの分野の変化がやたらトロいのは、アンチ・エコ派のみなさんの強烈な抵抗のおかげというよりは、一般社会に環境悪化への危機感が足りないためという要因の方が大きいと思う。その意味でも、エコ派の不断の働きかけは必要だろう。アンチ・エコ派にはずいぶん耳障りだろうけど。

それからもう一つ。アンチ・エコ派は「エコ警察」と言われるような、余計なお節介好きで、些細なことにばかり口うるさいオジサン、オバサンの存在にかなりの嫌悪感を抱いているようだ。そして実を言えば私としても、こうした人たちにはうんざりである。

ただ「〇〇警察」はエコに限らずいろいろな分野で発生しがちで、「エコ警察狩り警察」みたいなのも発生しかねないから、お互い気をつけようね。

 

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2021年2月10日

フランスでヴィーガン・レストランが初ミシュラン

NewSpere の「ヴィーガンが地球を救う?」(2月 1日付)という記事を、一昨日に ”「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ” というタイトルで紹介したが、NewSphere はその日のうちに「ヴィーガンレストランがフランスで初ミシュラン、その意味とは」" という新しい記事を載せていた。

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NewSpere は近頃ヴィーガンづいてる。そのレストランとは、「フランス南西部ボルドー近郊の小さな街アレスにある ONA」という店だそうだ。へえ、パリじゃないのだね。

私は元よりミシュランに載るような高級レストランなんて興味がないのだが、ヴィーガン・レストランとなると話はちょっと別で、「へぇ、やったじゃん!」と拍手を送りたくなった。パリの街は好きじゃないので、フランスの田舎町にあるというのも気に入ったし。

ONA という店名の由来は、"Origine Non Animale” で、英語だと "Non-Animal Origin"、「動物起源ではない」という意味だそうだ。ひねりも何もなく、「まんまじゃん!」というネーミングだが、それだけにヴィーガニズムへの思いが強いのかもしれない。

ちなみにフランスでのヴィーガニズムや動物生存権の運動は最近ちょっとした抵抗にあって、案外低水準で推移しているらしい。依然として「旨い肉を食わせてこそナンボ」という意識が主流のようなのだ。

そんな中だけに、ミシュランガイドの国際責任者、グウェンダル・ポウレネック(Gwendal Poullenec)氏のコメントが次のように紹介されている(記事の翻訳がちょっと悪文だけど)。

「一般的に、シンプルなヴィーガニズムと美食体験が連想されることは少ない。今回のミシュラン星獲得は、プラントベースの料理を探求することに消極的なシェフを解放するかもしれない」と語った。

この記事の元記事、ニューヨーク・タイムズの "Vegan Restaurant Gets Michelin Star in France, a First" に飛んでみると、冒頭にシェフ、MS. Claire Vallée の写真もあるし、なかなか充実した情報だ。

そもそも NewSphere の記事からだとリンクが生意気にも ONA のフランス語版に飛んでしまうので、私には魔法の呪文でしかなかったが、ニューヨーク・タイムズからのリンクでは、英語版ページが表示されるのでほっとしたよ。なかなかハイブロウな内容で、例えば次のような記述がある。

Pythagoras said: “The Earth gives abundant riches and peaceful food. It offers us meals that are not stained with blood or murder.”

ピタゴラスは言った: 大地は豊富な富と平和な食物を与えてくれる。我々に血と殺戮で汚されない食事を提供してくれるのだ。

「なぬ、ピタゴラスがそんなこと言ったのか?」と驚いたが、調べてみると彼は西欧菜食主義の父と言われているのだね(参照)。おまけにジャン・ジャック・ルソーも菜食志向だったらしい(参照)。いやはや、私としたことがちっとも知らなかった。高校の「倫理社会」の教科書にもそんなの載ってなかったし。

わざわざフランスまで行って実際に ONA の料理を食べてみる機会は、個人的には多分これからもないだろうが、ONA の挑戦は西洋料理の保守的な肉偏重意識に風穴を開ける契機になるかもしれないと期待する。

例えば私が出張先で夕飯を食おうとしても、レストランは肉系のメニューばかりで私にとって選択肢の少ないのが現状だ。しかしヴィーガン料理を提供してくれる店がミシュランの星を獲得したとなれば、私のような者の選択の幅が少しだけ広がるきっかけぐらいにはなるかもしれない。

いずれにしても時間はかかるだろうけど。

 

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2021年2月 9日

「本を速く読む」ということ

「東洋経済」2月 5日付に "本を読むのが「遅い人&速い人」の決定的な違い" という記事がある。"誰でも速読が可能になる「たった1つ」の仕草" という気になるサブタイトル付きだ。

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この記事で紹介されているのは、『LIMITLESS 超加速学習 人生を変える「学び方」の授業』(Limitless: Upgrade Your Brain, Learn Anything Faster, and Unlock Your Exceptional Life)という本の著者で脳トレーナーでもあるジム・クウィック(Jim Kwik)氏の「科学的に正しい速読のやり方」だ。

ここで触れられている「速く読むことを阻んでいる壁」というのは、次の 3点である。

壁その 1: 返り読み ー 無意識に前の文章に戻っては読み直すことで、「うろうろ読み」とも言う。

壁その 2: 子どもの頃と同じ読み方 ー 読む量が少なく難易度も低かった子どもの頃に教わった読み方から変わっていない。

壁その 3: 頭の中で音読してしまう ー 「サブボーカライゼーション」というらしいが、これをしてしまうと、読書速度を毎分わずか200語に制限するため、読む速度が「考える」速度ではなく「話す」速度に抑えられてしまう。

3番目の「頭の中で音読してしまう」と読むのが滅茶苦茶遅くなるというのは、とてもよくわかる。原文に従って一語一語忠実に翻訳することを「逐語訳」というが、速く読むときは、いわば「逐語読み」をしないのだ。

喩えて言うと、英文を読む時にいちいち頭の中で音読したり、日本語に翻訳しながら読んだりしていては日が暮れてしまうから、英語のままでキーワードのつながり具合に注目しながらざっくり理解して、どんどん読み飛ばすみたいなイメージである。

この記事の他にもいろいろなサイトで「速読術」が語られているが、ほぼ共通しているのは文章を「視覚的に "塊" として見る」ということだ。「丹念に読み込む」なんてことはせずに、目に映るページを「言葉のかたまり」として飲み込み、そのままどんどん先に進んでいく。

そんなわけで、急いでいる時には 1ページ分の内容を 4〜5秒でざっと捉えて読み進むなんてざらである。文芸作品のように、文体と内容を合わせてしっかりと味わう必要のあるものだと話は別になるが、とりあえず内容さえ把握すれば済むという場合は、このやり方で済ませている。

とにかく速く読む場合には「こんな読み飛ばし方だと、本当は内容を理解できてないんじゃないか」などと、自分を疑っちゃいけない。もし後になって「あれ?」なんて思うようなことがあったら、もう一度該当ページを開いて確認すればいいだけと割り切ることだ。まあ、そんなことは滅多にないけど。

どんなにゆっくり読んでも、わからない人はわからないのだから、「速く読める」という事実をありがたいと思う方が大切だ。これは実感である。

若い頃に比べて目が疲れやすくなったので、長時間にわたって細かい字を追い続けるのはちょっと辛くなったが、今でも結構分厚い本を 2〜3時間で読み終えることならできる。逆に「逐語読み」なんてしていたら、目が疲れて 1時間もたない。

 

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2021年2月 8日

「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ

NewSphere に「ヴィーガンが地球を救う?」というタイトルの記事がある。読み進んでみるとタイトルの最後の「?」は要らないほどのもので、「ヴィーガンが地球を救う」と言い切ってよさそうな内容なのだ。

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ヴィーガンとは言うまでもなく、一切の動物性食品を食べない人たちのことである。私は肉は絶っているが、魚介類は食べるし、卵と乳製品もほんのたまに付き合ったりするので、分類上はペスカテリアンということになっている。

ただ、ここまで来ると卵と乳製品は既にあまり食べる気がしなくなって実際にはほとんど口にしていないし、魚介類を止めるのもそんなに高いハードルとも思えない。ということは私もそのうちヴィーガンになっていたりするかもしれない。

環境保全の観点で言うと、動物性食品のほとんど(「イナゴの佃煮」とかを別として)はかなりの環境負荷があり、記事には「家畜産業は人間が消費するカロリーの18%しか作り出さないが、それらは全農地の83%を使用している」「米国で育てられた穀物の 70%は家畜に与えられている」とある。

つまり、人間は家畜を育てるためにかなり多くの穀物飼料を与えているということだ。言い方を変えれば、飢餓に苦しむ人が少なからず存在する世界で、豊かな国では人が食えるものを家畜に食わせ、その家畜を屠殺して人が食っているということである。

こうした情報を得てしまうと、飢餓の増大と CO2 増加による環境悪化が懸念されるこの地球上で肉をワシワシ食うことには「罪の意識」を感じざるを得ない。これが私が肉を絶った最大の理由である。

一昨年の 5月に書いた「長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので」という記事では、こうした情報に関する誤解、曲解についても触れているので、参照されたい。さらに同じ年の 9月に書いた「私が肉食を止めた理由を代弁してくれる動画を見つけた」という記事も自薦しておく。

というわけで、「ヴィーガンが地球を救う」と言い切ることに大きな間違いはないと思うのである。肉食を絶つこととエコロジー志向というのは、心のベクトルが共通しているようなのだ。「食に関してはヴィーガンだけど、他の部分では平気で CO2 排出しまくり」という人を私は知らないし。

NewSphere の記事の最後には次のように書かれている。

完全にヴィーガンになることは難しくても、「フレキシタリアン」(ヴィーガンやベジタリアンのように菜食主義ではないが、意識的に肉の消費を減らす生活)をするだけでも環境に与える影響は減らすことができる。(中略)これからは、当たり前にチキンに手を伸ばすのではなく、少し考えてから食材やメニューを選んだりしてみるのもよいかもしれない。

私もそのようにオススメしておく。

 

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2021年2月 7日

「悪くもないのに謝ってやってるんだ」と思ってる人

オリ・パラ大会組織委員会の森喜朗会長の例の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という失言問題に関しては、わざわざ触れるのも馬鹿馬鹿しいぐらいだが、一応ちょっとだけ書いておく。本当に馬鹿馬鹿しいけど。

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この失言に関してはさっそく自ら撤回したわけだが、そのココロは、「撤回した方が早い」というだけのことのようだ。2月 4日夜のテレビ出演で(下の【注】参照)自らそう言っている(参照)というのだから、ちょっとビックリだよね。メンタリティの問題としては、こっちの方がずっと大きな「失言」だろう。

森喜朗という人は昔から、失言の多さでは定評がある。調子に乗って言わなくてもいいことをペラペラしゃべるクセがあって、都合の悪い話をなんとかごまかして切り抜けようと、苦し紛れに口走ったことのちょっとした言葉尻をつかまれるというのとはわけが違う。

その場を盛り上げようというサービス精神みたいなものでしゃべっちゃうので、当人としては内心「どうだ、うまいこと言えてるだろ」ぐらいに考えているからタチが悪い。今回の「失言」にしても、確実に「仲間うちの気持ちを代弁してやったんだ」ぐらいに思ってる。

というわけでこの問題では、森喜朗 1人を責めるだけではあまり意味がない。彼の背後で頬被りをしている「お仲間」も責められなければならないのは当然だ。

そんなわけで彼は一応 2月 4日に形だけは「深く反省」したと記者会見したわけだが、「悪くもないのに謝らなきゃいけないんだから、たまらんよね」というのが本心に違いない。だから発言を形だけ撤回したのみで、自説が間違っていたと認めたわけでは決してない。

だからこそ性懲りもなくその夜のうちに「撤回したほうが早い」などと強がりを言っていたわけだ。「女性が多いと会議の時間が長くなる」と口走った当人だけに、「男らしく、さっさとけりをつけてやったんだ」と言わんばかりである。

ということなので、このジイさんに対して正攻法で攻め込んでもお話にならない。「自分で掘った穴に一生ハマり続けてなさい」と放り出しておくしかないのである。何とかは死ぬまでなおらないというから。

さらに言えば、本来ならその同じ穴に一緒にハマらなければならないお仲間がくさるほどいるはずなので、そこまできちんと報道してもらいたいぐらいのものである。

【注】

冒頭の画像からリンクされる HUFFPOST の記事では、「森会長は 2月 5日に発言を撤回・謝罪したが・・・」と書かれているが、これは 2月 4日の誤りである。

【2月 11日 追記】

本日、森氏は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任する意向を固めたと報道された。

2月 4日の会見では結構ヘラヘラしていたので、「この人、国際的にどんなにシリアスに問題視されてるか、理解してないな」と感じていた。これまではどんな失言をしても、国内問題としてなあなあで済んでいたが、今度ばかりは話の次元が違うということに、ちっとも気付いていなかったわけだ。

ところがそれから約 1週間経ち、さすがに「これじゃ、もたない」とようやく身にしみたようだ。感度が鈍すぎである。

 

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2021年2月 6日

「震度 0 が およそ 5秒後」に来ると言われてもなあ・・・

私の iPhone には "PREP" (旧名「ゆれくるコール」)というアプリが入っていて、どこかで地震が発生すると、それが自分の現在地に震度いくつで何秒後に伝わってくるかという情報をいち早く知らせてくれる。それで「準備せよ」という意味で "PREP" という名前なのだろう。

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ただ、このアプリで知らされるのは、「震度 0 がおよそ 3秒後」に来るとか「およそ 5秒後」とかいうのがほとんどで、そんなのが 1日に何度もある。数秒の間に 2〜3本の「震度 0」情報がどっと届くことも多く、その度に Apple Watch のバイブレーション機能が作動してブルブルっと震えてくれる。

また「30秒前に西表島付近で最大震度 1の地震が発生」なんていう情報が入っても、やっぱりブルブルっと震えて知らせてくれるのである。その度に西表島の人たちには大変申し訳ないが、「こんなの、いちいち知らせてくれなくていいから・・・」なんて呟いてしまうのだよね。

こんなことならアプリを削除すればいいのだろうが、あの 10年前の東日本大震災と、1964年の新潟地震で結構恐ろしい思いをしているもので、なかなか割り切れない。おっと、それについては昨年末も触れたんだった(参照)。

とくに新潟地震の時に私は小学校 6年生だったのだが、地震発生の時は何かの罰で、一人で廊下に立たされていたのだよ。その時に大きな揺れが来て、おんぼろの木造校舎の天井裏に堆積していた何十年分もの由緒ある(?)ゴミがバサバサと降って来たのだから、かなり非日常的な体験だった。

廊下から教室の机の下に逃げ込み、「思えば短い一生だった」と本気で思ったのを覚えている。そんな思いがあるだけに、大地震なんて数十年に 1度のことかもしれないが、「震度 6強がおよそ 5秒後」とかいう情報だったら、欲しいと思ってしまうのだ。

「たった 5秒で何ができる?」と言われそうだが、何らかの心の準備というか、あるいは「覚悟」というか、そんなことができれば、「精神衛生にはいい」かもしれない。ただ「震度 0 がおよそ 3秒後」なんていう情報によるストレスとの引き換えに過ぎないのかもしれないが。

【追記】

らむね さんのコメントのおかげで、「震度 3 以上」を通知するように設定することができた。らむね さんに感謝である。いやはや、そんな設定条件があるとは、今まで見逃していた。

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2021年2月 5日

肉の入ってないラーメンを食べさせてくれる店

実は私はラーメンが大好きで、前は週イチ以上の頻度で食べていたのだが、最近は年に数回しか食べていない。それは3年以上前に肉食を止めたからだ。フツーのラーメンはチャーシューが付きものなので、「ヴィーガン・ラーメン」を提供してくれる店以外では食べられないのである。

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JR の東京駅、上野駅にある「T's たんたん」(本店は自由が丘らしい)ではスープにも肉や骨を使っていないピュアなヴィーガン・ラーメンを提供してくれるので、出張帰りなどには立ち寄って食べることにしている。そうでもしないと、「ラーメンの禁断症状」が出そうなのでね。

ちなみにここのラーメンは本当においしいので、肉食を絶っているわけではない人にもオススメしておきたい。

「肉の入ってないラーメンを食べられる店がもっとあればいいのに」とは、いつも思っていた。そしてふと思いついてググってみたところ、Vegewel というサイトに「【保存版】全部野菜だけど美味しい! ヘルシーなビーガンラーメン 33選【東京・横浜・千葉】」というページを見つけたのである。

このページを見ると「あるところにはあるものだ」と思うが、残念なことに私がよく行くエリアでは上述の「T's たんたん」ぐらいのものだ。世の中、なかなか思い通りにはならない。

ページの冒頭に紹介されている「濃い口醤油のビーガンらあめん」(1,000円税込)」というのは、「九州じゃんがら」というチェーン店で食えるらしい。秋葉原にもあるというので、ちょっとそそられた。

ところがよく読むと、この店は本来はとんこつラーメンで人気というので、ちょっとした危惧を感じてしまう。約 2年半前に「博多の繁華街に漂う生臭さの正体」という記事で書いているように、とんこつ臭というのは肉を絶った者には案外気になってしまうのだ。

Veggie house(ベジハウス)の「担々麺」(ランチ700円税込、ディナー900円税込)というのは、見たところなかなかそそられるが、店舗が錦糸町というのがネックだ。錦糸町にはここ 30年ぐらい用がないし、わざわざ行くにしても、結構手間だなあ。

そうそう、今回紹介したページは「東京、横浜、千葉」しかカバーしていないので触れられていないが、つくば市に「麺屋 KENJU」という店もあるんだった。たまには行ってみよう。

 

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2021年2月 4日

「三重県議会の汚点」報道を巡る冒険

朝日新聞が昨日付で "性的少数者の招致は「議会の汚点」 県議の投稿巡り提訴" と伝えている。三重の稲森稔尚という県議が、県議会の差別解消を目指す特別委員会で、性的少数者を代表する参考人として意見を述べた男性に関して「三重県議会の汚点となる参考人招致」と tweet したという。

210204よくわからない話なので、どんな tweet なのか検索してみると、こんなもんだった。朝日新聞の記事では「県議会の特別委員会に参考人として出席した男性」の名前までは触れられていないが、元ツイに実名が出ている。

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それは「芙桜会」という性的少数者団体の代表理事、近藤聡さんという方である(参照)。

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で、今回の問題となっているのは、昨年 10月 14日に三重県議会で開催された「差別解消を目指す条例検討調査特別委員会」という会議だ。この委員会の模様は YouTube にも上げられているので、つぶさに(というか、下記の如く "つぶさすぎるほど")見ることができる(参照)。

このビデオはトータル 4時間 8分 5秒と表示されていて、一瞬「げっ、長え!」とたじろいでしまうが、3回にわたる「休憩」のブルー画面が無駄に延々と続く時間が長く、実質は半分以下の 2時間足らずである。どうして休憩時間の部分をカットしなかったのか、はっきり言って気が知れない。

上の稲森議員の tweet の元ツイに登場する場面は、この元のビデオの最初から 1時間 20分経ったあたりからの 2分 20秒間なのだが、伊賀市がいわゆる「パートナーシップ制度」を導入していることをよほど誇りたいらしく、かなり恣意的に切り取られているのが見え見えだ。

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この委員会での近藤さんの発言をビデオの通しで聞けば、当然にも賛否はいろいろあるだろうが、なかなか筋の通ったものである。プレゼン資料はネット上に公開されているので(参照)、これを見ながらビデオ音声を聞くと勉強にもなる。「汚点」という言葉がどこから出てきたのか、さっぱりわからない。

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上で触れた「パートナーシップ制度」というものも、冷静にみれば問題の根本的解決に決定的な貢献をしているわけではないことが、客観的によく説明されている。

ざっくりと言えば、近藤さんの発言は「政治的視点」を超えた当事者としての実感から発するものであり、それと比較するとビデオ中の稲森議員の発言には自身の政治的立場への固執が感じられる。この問題に関する彼の釈明 tweet には、その固執ゆえの誤解、曲解、言いがかりが目立つし(参照)。

近藤さんはプレゼンの後半で、「LGBT 運動家やその支持・協力者からの当事者への攻撃」がみられることを大きな問題と指摘している。そして今回のケースで、図らずもそれが浮き彫りにされた。稲森議員の「汚点」tweet は、まさにその典型例である。

「なるほど、真摯なプレゼンをした結果、こんな風に『汚点』と罵られたりすることまであるのね」というのが、よくわかった。世の中には「多様性の肯定」のできない人がいるのである。

念のために触れておくが、単純図式的に言えば近藤さんは LGBT 運動の中でも政治的にはちょっと右派で、稲森議員は左派の立場なのかもしれないなというのはうかがえる。それで稲森議員が過剰反応したという可能性も考えられるが、この問題で右派だの左派だのいうのは不毛だと思ってしまうのだよ。

【最後に狂歌を一首】

見解を異とする者をことさらに汚点と云ひて責むる議員よ

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2021年2月 3日

デスクワーク(PC作業)用の眼鏡を新たに誂えた

このほど、デスクワーク(PC作業)用の眼鏡を新たに誂えた。下の写真の右側である。左はこのところずっと使ってきたクラシック・デザインの遠近両用眼鏡で、これからも末永く普段使いするつもりだ。

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これまでは、遠近両用の眼鏡が 1本あれば十分に事足りると思っていた。ところがさすがに最近では、これでは目が疲れてしまうのである。デスク上の PC 画面に焦点を合わせ続けるのが結構しんどいのだ。

遠近両用眼鏡というのは言うまでもなく、レンズの上の方を通して見ると遠方に焦点が合い、下の方を通せば近くに焦点が合う。そしてデスク上の PC 画面は近くにあるので、視線を下げてレンズの下の方を通して見なければならない。

ノート型 PC だと画面は低いところにあるのでまだ楽なのだが、最近はデスクトップ PC を使っているので、顔を比較的上に向ける姿勢をキープしつつ、視線のみを下げなければならない。ところが、これが長時間にわたると首筋が凝ってしまうのだよ。

それでこのほど、PC 画面までの距離(大体 70cm ほど)に合わせた固定焦点レンズの眼鏡を新たに誂えたというわけだ。せっかくだからブルーライト・カット機能付きである。

結論を言うと、これはヒットだった。PC 画面を見るのに首の角度を一定に保つ必要がない。仰向こうが俯こうが、視線を上げようが下げようが、ありがたいことに PC 画面にしっかりと焦点が合うのである。

遠近両用のメガネをかけて PC 作業に目がショボショボしてしまっている方は、固定焦点レンズの眼鏡を試すことをオススメしたい。ただし購入の際には、自分の目とデスク上の PC 画面との距離をしっかり測って行くのをお忘れなく。

 

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2021年2月 2日

花粉症には難儀な季節

東洋経済のサイトに「くしゃみクライシスがやってくる! ウィズコロナ時代の花粉症への備え方」という記事がある。日付としては昨年末の発信のようだが、気付くのが遅れたため、今頃になって「難儀な話だなあ」とため息ついている。

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記事ではいろいろな問題が指摘されているが、その中に「新型コロナウイルスに感染した無症状者の、花粉症によるくしゃみがコロナ感染を広げてしまう『くしゃみクライシス』も深刻な問題になりそうだ」というのがある。私は多分感染してはいないと思うが、これではうかつにくしゃみができないなあ。

最近では、電車の中でくしゃみをするだけで周囲の人から厳しい目で見られることが一種の社会現象になっている。花粉症やぜんそくの症状があることを周囲に知らせる缶バッジなどをしている人を見かけることもある。

いやはや、その「缶バッジ」とやらはどうしたら入手できるんだろう。あるいは自分で作るのか? でも、最近は電車に乗ることなんて滅多にないから、大丈夫かな。

さらに、実際に感染してしまうリスクも高まると指摘されている。「目がかゆいので触ったり、マスクをずらして鼻をかんだりすることが多くなります。そのため、新たに感染するリスクが高くなると想定されます」というのだから、厄介な話である。

また、花粉症に悩む者としてはなるべく外気は取り入れたくないところだが、コロナウィルス対策には換気が大切とされているので、この辺りも問題だ。こればかりは、換気に付き合うしかなかろう。

この記事に添えられた「アレルギー性鼻炎症状」という表によれば、私の症状は「中等症」の中ではやや軽めであるらしい。

コロナ禍さえなければいつもの春先のように、時々さりげなくも盛大にくしゃみをしていればいいのだが、今年はそうもいかないようだ。早めに医者に行って薬を処方してもらう方がいいかもしれない。

やれやれ、難儀にぞありける。

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2021年2月 1日

「1時間弱」を「1時間と、ちょっと」と思ってる人

NHK 放送文化研究所というサイトに ”「1時間弱」は、1時間よりも長い? 短い?” というページがあることに驚いた。言うまでもなく正解は「1時間より短い」だが、「1時間と、ちょっと」と勘違いしている人が、とくに若年層には多いらしい(10代で 34%、20代で 25%)。

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フツーに「1時間強/1時間弱」をセットにして覚えれば、それぞれ「1時間余り/1時間足らず」という意味として自然に入ってしまうのだろうが、誤解する人というのはそうじゃないのだろう。多分、頭の中にセットで入ってないのだ。

ただもしかしたら、「1時間強」は「1時間よりずっと長い時間」で「1時間弱」は「1時間よりちょっとだけ長い時間」なんて思い込んでいる可能性もないではない。そんな風に覚えてしまってる人に「1時間強かかる」と言われたら、そのココロは「2時間弱」だろうから、かなりヤバい。

ちなみに「教えて Goo」という Q&A サイトには、こんなような質問がある(参照)。

1時間弱とゆう表現の仕方がよくありますが、その意味は、1時間プラス数分とゆう意味なんですか?
それとも1時間マイナス数分とゆう意味なんですか?

「こおゆう日本語」を読むと、ガクッと脱力してしまうなあ。さらに日テレ 24 というサイトのページには「1日おき」が「隔日」ではなく「毎日」だと思い込んでいる人もいると書かれている(参照)し、ここまで来ると、世の中がはかなく思えてしまうよね。

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