「バーニーズ」流ファッション・ビジネスの衰退
東洋経済 ONLINE が "バーニーズ「日本1号店」撤退が示す深刻課題" という記事を伝えている。「バーニーズ」と言っても今や知らない人が多いと思うが、メンズ比率の高いハイ・ファッションの大型店で、元々はマンハッタン 17st. の "Barneys New York" のライセンスでスタートしていた。
この Barneys New York は、今は懐かし黒ずくめジャパン・ファッションが世界で注目された 1980年代に、いち早く COMME des GARÇONS や Yohji Yamamoto などの東京のデザイナー・ブランドをニューヨークに紹介し、販売していた。
この頃、当時の社長の Gene Pressman (創業者の Barney Pressman の孫)が来日した際の記者会見に、私も(若き記者として)出席したのを覚えている。で、印象と言えば「このジーン・プレスマンって、キザで嫌なやっちゃなぁ」というものでしかなかった。
この時の質疑応答で、私の質問(日本での会見なので当然日本語)を通訳が妙に勝手な解釈で伝えようとしたので、「いや、聞きたいのはそういうことじゃなくて・・・」と直接英語で聞き直したのだが、彼は結局、自分の言いたいことをペラペラまくしたてるだけだった。要するに台本があったのだろう。
この記者会見の約半年後に実際にニューヨークに出張し、Barneys New York の本店も訪れた。品揃えは悪くないが、底の浅さは社長の第一印象と変わらない。で、その印象に違わず 1996年に最初の倒産。その後大手アパレルに身売りして復活したが、一昨年に再び行き詰まっている。
初代が苦労して創業したビジネスを二代目が発展させ、三代目が食い潰すというパターンの典型である。
この倒産の 7年前、1989年にライセンス・ビジネスとして「バーニーズ・ジャパン」を始めたのが伊勢丹だったが、スカ引いちゃったよね。その後、本家本元がガタガタになったので資本関係も何もなく、名前だけ生き長らえながらセブン&アイの子会社として営業を続けていたわけだ。
というわけで、頼るべきは 30年前に一時的に輝いていた頃のイメージしかないみたいなもので、こうした感じのファッション・ビジネスって「前世紀の遺物」になってしまうほかないよね。
【追記】
ちなみに、米国版の Wikipedia には、Barneys New York 創業者の Barney Pressman、二代目の Fred Pressman のページならあるが、三代目の Gene Pressman のページは見当たらない。目立つのはセレブだった頃のちょっと浮ついた写真ばかりだ。
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