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2021年2月11日

「アンチ・エコ」のメンタリティが見えてきた

世の中でエコ意識が徐々に高まるのと平行して、「アンチ・エコ」とも言える言説も結構もてはやされてきた。『偽善エコロジー ー 「環境生活が地球を破壊する』なんていう本もあるし。

210211

私の 3日前の "「ヴィーガンが地球を救う」と、言い切ってよさそうだ" という記事にも、案の定、反論コメントが付いた。「takさんがヴィーガンをするのは別にいいんですが、私はみんながヴィーガンになれば皆んなが不幸になると思います」というのである。

彼が何をもって「不幸」とするのかよくわからないが、コメントの末尾のあたりには「ヴィーガンの考えることは正しくても、そこには合成の誤謬が発生することに成る」ともあるので、私は次のようにレスした。

まあ、「みんながヴィーガンになる」なんてことは少なくとも急には無理でしょうから、仮定の条件設定を極端にすることで妙に悲観的になる必要はないと思いますよ。

明日から世界中の人が急にヴィーガンになるというなら、いきなり社会のバランスが喪失して大変なことになるでしょうが、それはできの悪い SF の世界です。

実際問題としては、ゆっくり時間をかけて考えましょう。「合成の誤謬」の発生を抑えるためにもね。ヴィーガン人口が増えれば、その時はその時でその状況に適応するための新しい社会システムが構築されるでしょうし。

(参考までに:「合成の誤謬」<Wikipedia)

というわけで、エコ派とアンチ・エコ派のすれ違いの構図が、私にもようやく単純に図式化された形で見え始めた。

要するにアンチ・エコ派は、「急にエコ派の言うような世の中になったら、社会システムがガタガタに崩れてしまうのがわからんのか!」と言ってるわけだ。基本スタンスは、エコ派が「現状では危ない」と思っているのに対し、アンチ・エコ派は「現状の方がマシ」という認識なんんだろう。

つまり「現実的な環境悪化への警鐘」に対して、「エコ・プロセスへの不信」で反論するという構図だ。こうなると完全に逆説的な言い方になって我ながら気持ち悪かったりするが、「心配しなくていいですよ。極端な変化なんて急には生じませんから」と言ってあげたくなる。

エコ派の主張がいきなり主流になってそれまでの慣習や社会システムが一挙に様変わりしてしまい、人々の生活が破壊されるなんてことはあり得ないから、余計な心配は要らない。それでなくても世の中の改革プロセスというのは、行きつ戻りつしていろいろな適応策を模索しながら進むものだから。

ただこの分野の変化がやたらトロいのは、アンチ・エコ派のみなさんの強烈な抵抗のおかげというよりは、一般社会に環境悪化への危機感が足りないためという要因の方が大きいと思う。その意味でも、エコ派の不断の働きかけは必要だろう。アンチ・エコ派にはずいぶん耳障りだろうけど。

それからもう一つ。アンチ・エコ派は「エコ警察」と言われるような、余計なお節介好きで、些細なことにばかり口うるさいオジサン、オバサンの存在にかなりの嫌悪感を抱いているようだ。そして実を言えば私としても、こうした人たちにはうんざりである。

ただ「〇〇警察」はエコに限らずいろいろな分野で発生しがちで、「エコ警察狩り警察」みたいなのも発生しかねないから、お互い気をつけようね。

 

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自然・環境」カテゴリの記事

コメント

コロナ禍になってから、今までどんな過激なエコ派が主張してきたことよりも激しい変革が訪れる仕組みができてしまった気がします。
「飛行機は大量のCO2を出すから乗らないようにしよう」などと言えば大避難の嵐だったのに、それ以上のことが起きている。
原発は環境面で問題がある、といくら言っても止められなかったのに、震災後は稼働ゼロになってしまった。しかもそれで生活が江戸時代に戻ったわけでもない。

結局、最低限のエコ変革を所定の期限までに実現できないと、あさっての方向から強制変革が訪れる、というメカニズムがどこかにあるような気がします。

投稿: きんころ | 2021年2月11日 18:11

きんころ さん:

>最低限のエコ変革を所定の期限までに実現できないと、あさっての方向から強制変革が訪れる、というメカニズムがどこかにあるような気がします。

やっぱり、「自ら選択した変革」に進む方がハッピーということになるんですかね。

「だったら、そうしましょうよ」ってことになかなかならないのが、この世の中なのかもしれないし。

投稿: tak | 2021年2月11日 18:41

なんか私のことを書いているようなので別に反論ではなく。ただ、私の思う事を書きます。世界を飢餓から救うのは畜産を止めることではなく、トレードだと思います。本当は付けたくないが、トレードの頭にフェアをつけても良い。フェアを付けたくないのは当たり前であるべきだと思うからです。日本は東南アジアから海老や鶏肉を輸入しています。それは東南アジアの経済発展に少しは貢献しています。アフリカからコーヒー豆やタコなどの魚介類を輸入しています。タコ漁は日本の寿司屋が指導して大きくなったそうです。ヴィーガンであることは人のポリシーとしたら別に、どうでも良いことです。
 CO2 は出さないに越したことないと思いますが地球の温暖化を止めることは出来ないと思います。それに地球が寒冷化したら、化石燃料を焚いて寒冷化を止めることが出来ると思いますか?世界は有史以来何度も小氷河期に襲われています。
 いやあできることをするのは当然だという考え方もあると思いますが、今地球温暖化利権に群がっている科学者や政治家に利用されているだけじゃないか。立ち止まって考えることも必要だと思います。地震予知学者に日本は随分資金を注ぎ込みました。
 今、コロナでもゼロコロナを唱える人が大勢います。コロナがなくなることはない。人類が克服したウイルスは天然痘だけであるのは常識なのに政治家までがゼロコロナを言う。極端な主張には、他の全ての現象が見えなくなっている人がいます。

投稿: basara10 | 2021年2月12日 09:43

 ちょっと付け足し、武田邦彦さんの本を紹介しているので、私も随分昔ゴミ問題について書いている本を読んだことがあります。もう殆ど覚えていませんが、ひとつその頃ペットボトルをリサイクルするのが流行していたのに物言いをつけていました。曰く「ペットボトルは生ゴミと一緒に燃やすのが一番エコだ」ペットボトルを集めるトラックに化石燃料を使い洗浄に電気を使い、チップ化するのにもチップを運ぶにも化石燃料を使う。生ゴミと一緒に燃やせば、焼却に使う重油が節約できる。詳しく精査したことがないので正解はわかりませんが、ペットボトルを別途に集めてリサイクルする業者が既に沢山補助金も貰って成立しているので、もし彼の主張が正しくても止められないでしょう。ただ、最近中国が廃棄されたペットボトルを買わないので、熱は落ちているかもしれません。

投稿: basara10 | 2021年2月12日 10:32

basara10 さん:

>世界を飢餓から救うのは畜産を止めることではなく、トレードだと思います。

その「トレード」が、ペットボトル処理とは比較にならないほどの規模で、CO2 を増やし続けているのですけどね。

基本的には、トレードは「地場生産、地場消費」を補う形で進めるべきでしょう。

「そんなの時代錯誤。地場でできないものは他から買うしかないじゃないか」ということになりそうですが、例えば、私はグレープフルーツを食わなくても生きていけますので、買いません。

それで東南アジアの人たちの経済活動の邪魔をしているとは考えません。

例の逆説的言い方になってしまいますが、私が買わなくても買う人はまだ一杯いるので、明日からグレープフルーツの輸入がストップすることはあり得ず、東南アジアの国の経済がいきなり壊滅的打撃を蒙ることもありません。

こうしたことは、世の中の仕組みの変化プロセスの中で調整していくほかありません。東南アジアにはグレープフルーツ輸出以外に豊かになる方策がないわけじゃないですから。

それから、確かに地球は温暖化と寒冷化を繰り返しているようですが、今現在は CO2 増加による温暖化が大問題です。その先の寒冷化の心配をするより、まずは現状の温暖化対策をしましょう。

「温暖化のサイクルが終わって、寒冷化が始まったらどうするんだ」というのは、極論にすぎません。

人類は「頭の切り替え」ということができます。温暖化対策をし続けたらそれしか能がなくなって、寒冷化対策は発想すらできなくなるってわけじゃありませんので、大丈夫です。

世の中に「温暖化対策利権」なるものがないとは言いませんが、この世ではその他の「温暖化推進につながる利権」の方がずっと多いのです。

少数の問題を無視しろと言うわけでは決してありませんが、まず大きな問題を解決したいところです。

コロナに関しては、まともなエコロジストで「ゼロコロナ」なんて夢物語を言ってる人を私は知りません。

それからペットボトル処理のプロセスで言えば、「化石燃料使用ありき」は決して絶対条件ではないので、改良すべきなのでしょうね。

現存の技術が絶対というわけじゃないのは当然ですので、「他と一緒に燃やせばいい」に逆戻りするのではなく、ペットボトル使用削減とともに考えていくべきでしょう。

絶対的結論なんてありませんので、いずれにせよ、「エコ対策はするだけ無駄、逆効果」ではなく、多様な発想で改良しつつ進むべきプロセスだと考えています。

投稿: tak | 2021年2月12日 17:05

ちょいと記事の本流とはズレておりますが、「電気自動車はゼロエミッションだからエコロジー」と言う構造と似通ってますかなぁ。

供給電源が全て太陽光発電などの再生可能エネルギーであれば、まだその主張を受け入れることは可能です。
そりゃ細けぇことを言い出せば、発電送電設備の設置や整備、電気自動車の生産にも「ゼロエミッション」を徹底できれば申し分ないのですが、現実には困難なことと拝察します。

どれだけ到達目標を共有できているのか、その目標のコンセプトが浸透しているのか、そもそもの起点(問題点)はなんなのかを理解していれば、「ナンチャラ警察」って言う中途半端な正義漢の増殖も、抑制できるんじゃないかなぁ…。

「エコ運転」でもそうですが、アタクシは「エゴ運転」です。
とにかく燃費が良い状態を維持したいので、ふんわりアクセルにて後続車に迷惑をかけているのかもしれませんねぇ。(知らんけど)

ただまぁアタクシは「肉食」には全く抵抗がない方なので、ヴィーガンレストランは「どんなものを食べさせてもらえるのか」と言う興味本意だけです。
決して自分の健康や地球規模の環境保全を気遣ってのことではありませんので、空席がございましたら、経験してみたいと思います。

「好きな食べ物は、そばと寿司です。」
そのうちペスカテリアンっくらいには、なれますかね。

投稿: 乙痴庵 | 2021年2月12日 18:59

乙痴庵 さん:

>「電気自動車はゼロエミッションだからエコロジー」と言う構造と似通ってますかなぁ。

似通ってますね (^o^)

>そりゃ細けぇことを言い出せば、発電送電設備の設置や整備、電気自動車の生産にも「ゼロエミッション」を徹底できれば申し分ないのですが、現実には困難なことと拝察します。

まさに。
だからこそ、厳密なことを言い合うと結局おかしなことになるから、可能なところから少しずつやっていきましょうってことになるんですね。

その「少しずつ」というところにケチを付け出したら、どんなところにもつきます (^o^)

投稿: tak | 2021年2月12日 21:07

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