ロンドンの霧と、赤いスイートピー
13日の「バレンタイン、スイートピー、スイーピーの三題噺」という記事で、聖子ちゃんが『赤いスイートピー』を歌った 1982年当時は、赤いスイートピーは存在しなかったという話に触れた。品種改良によって赤い色の品種が登場したのは、この曲の発表から 18年後だった。
オスカー・ワイルドは「ターナー以前、ロンドンに霧はなかった」と言った。ターナー(Turner)は、あの霧深い風景画で有名な画家だ。
ターナー 『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』
オスカー・ワイルドのこの言葉は、芸術至上主義の名言とされている。ロンドンの霧はそれまでにもずっと「あった」とはいえ、芸術によってそのすばらしさが表現されるまでは、人々の意識の中には「存在しなかった」というのだ。
そしていよいよ、赤いスイートピーもそのようなものだと書こうとしていたところ、どんでん返しが起きた。念のために Wikipedia の「赤いスイートピー」の項 を調べてみると、さりげなく次のようにあるじゃないか!(太赤文字は tak による)
本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、「赤いスイートピー」は存在しないと思われていた(実際には、1800年ころには既に存在していた)。
「実際には、1800年ころには存在していた」だと !? 「そんなこと、聞いていないぞ!」と怒鳴りたくなってしまったじゃないか。
ただいずれにしても、赤いスイートピーがたとえ本当に「1800年ころには既に存在していた」としても、20世紀以後は市場から消えて久しくなっていたと考えるのが自然だろう。だからこそ、聖子ちゃんのレコードジャケットにも赤いスイートピーの現物は登場していない。登場させようがなかったのだ。
それが三重県の花農家の努力によって開発され、一挙にこれほどまでポピュラーになったのだから、「聖子ちゃん以前、世界に赤いスイートピーはなかった」と言ってもあながち責められることはないだろう。
つまり、松本隆の詩が現実に先行したのだ。敢えて用心深く控えめに言っても、20世紀以後の現実に先行したのである。
ロンドンの霧の場合は「明らかにあったけど、人々の認識の中には存在しなかった」というわけだが、赤いスイートピーときたら、「なかったわけじゃないという説はあるものの、それは誰も見たことすらなかった」というレベルのものだった。
すごいじゃないか! ただいずれにしても、誰も見たことがなかったとはいえ、心の中でそのイメージがありありと思い浮かべられたからこそ、こうした形で実現したのだろう。
これは「想念の勝利」というものである。オスカー・ワイルドもびっくりのストーリーだ。
【補足】
Wikipedia では「実際には、1800年ころには存在していた」との記述の参照項目として "The unwin book of sweet peas" というのが挙げられているので、それでググってみると、"Sweet Peas - Their History, Development & Culture" という本が見つかった。
日本語にすれば、「スイートピー、その歴史、成育、文化」というようなタイトルで、著者の名前が だ。それで "The unwin book of sweet peas" ということになったのだろう。
この本に赤いスイートピーに関しての記述があるというのだが、いくらもの好きな私でも、それを確かめるためだけに、敢えて 3,000円以上出して購入する気になれない。
ちなみにこれは 2006年 6月発行の復刻版で、オリジナル版が世に出たのは今から 95年前の 1926年だそうだ。1世紀近く前のことで、日本でいえば元号が大正から昭和に変わった年である。
それよりさらに 120年以上も前の 1800年といえば、江戸時代半ばをちょっと過ぎた頃だ。その頃の話として赤いスイートピーが存在していたとの記述があるとしても、「おお、そうだったか!」と大喜びで、まともに真正面から信じるのはちょっとアブナい気がするがなあ。
もしあったのだとしても、今のような鮮やかな赤だったのかどうかはわからないし。
【さらに追記】
謎が謎を呼ぶ展開になった。"Sweet Peas - Their History, Development & Culture" でさらにググったところ、ハードカバー版が見つかった。こんなのである。
上に紹介したペーパーバック版は 2006年 6月発行で出版社は Hesperides Pr となっているが、このハードカバー版は 1986年 7月の発行で出版社は Hyperion Books とある。1926年発行のオリジナル版から、それぞれ別のバージョンとして復刻されているようだ。
そして何より困ったことに、この本の表紙写真はご覧のように、「赤いスイートピー」そのものなのである。日本で赤いスイートピーが開発されたのは聖子ちゃんの歌が出てから 18年後の 2000年とされているが、その14年前に発行された本の表紙に現物が載っちゃってるのだ。
これでは、本日の記事のコンセプト自体がナンセンスに帰してしまいそうだ。かなりヤバい。
で、この本の内容を読めるサイトはないかと探したところ、PICKAFOLE というサイトに PDF があるらしいとわかり、行ってみたところ、こんなことだった。
ネット上で読めるには読めるらしいが、「メンバーズ・オンリー」の有料サイトだったのである。残念だが、まあ、当然だろうね。
これはもう、今日 1日の記事で終わりそうにない。
【2月17日 朝 追記】
もう年貢を納めることにした。本日の記事は「赤いスイートピーは前々からあったと認めざるを得ない」 である。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 『火垂るの墓』は二重の意味で「B面ヒット」(2024.09.20)
- 米国の「日本ブーム」を音楽視点から見ると(2024.09.15)
- ダリって、かなりしっくりきてしまったよ(2024.06.04)
- 『猫じゃ猫じゃ』を巡る冒険(2024.05.16)
- 日本における「ピースサイン」の零落(2024.03.21)
コメント