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2021年3月に作成された投稿

2021年3月31日

わかりやすいメールを書くには

東洋経済 ONLINE が、「デキない人はメール文面に配慮がない 相手にわかりにくい言葉と誤字・脱字はご法度」という動画を YouTube にアップロードしている。相手にイライラ、モヤモヤされないためのメール作成ノウハウという内容だ。

もらったメールを読んで、「こいつ、一体何が言いたいんだよ!」と言いたくなることがある。主語と述語がめちゃくちゃで、何とか意味をくみ取ろうとすると、正反対の内容の 2通りに読めてしまうなんていうメールもそんなに珍しいものではない。

そんな場合は 2通りの解釈を併記して、「あなたの真意は、どちらですか?」なんて確認の返信をしなければならなかったりする。それでもほとんどの場合、相手は自分の文章がどうして 2通りに解釈されてしまうのかが理解できず、「ややこしいことを言ってくるヤツだな」と思うばかりのようだ。

東洋経済の動画によれば、こうした事態を避けるための重要ポイントは 「わかりやすい言葉選び」「文章は必ず推敲する」という、たった 2つである。言ってしまえば簡単な話だが、それをきちんとこなすのは案外むずかしい。

「わかりやすい言葉選び」というのは、「中学校までに習った言葉を使い、中学校までに習った知識があることを前提に」文章を書くことだという。例えば、こんなのは論外だ。

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流行りのカタカナ言葉を思い切りちりばめたメールをもらうことがあるが、こうした文章を書く人というのは大抵、自分の言いたいことを自分でもまともにわかっていないので、テキトーに放っておいても全然構わない。自分の言いたいことを明確に理解していれば、もう少しまともな文章が書けるものだ。

それから「推敲」のポイントとしては、

  1. 誤字(変換ミス)脱字(書き落とした文字)をなくす
  2. 文字(文)を付け加えたり、削ったりして読みやすくする
  3. 情報に間違いがないかを確認する
  4. よりわかりやすい表現に差し替える

という 4点が上げられている。とくに最初の「誤字(変換ミス)」というのは、どんなに慣れても犯しがちなミスだから、よほど気をつけなければならない。

口頭でのやり取りにしか慣れていなくて、文章がまともに書けないという人は案外いるものだが、今どきはメールでのコミュニケーションが不可欠となっているので、少しは「書き言葉」に慣れてもらわなければならない。

ちなみに「推敲」に関しては、どんなに気をつけても気をつけすぎということはない。例えば、この YouTube 動画にしても、話の中身と関係のない「銚子丸がどうのこうの」なんてテロップが出てきたりして、「何じゃ、こりゃ?」と思わせてしまう。

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YouTube のページのコメント欄に「0:04:56頃に内容と関係のないテロップの誤植が入っていました。大変失礼いたしました」と書き込まれている(参照)から、東洋経済としてもこのミスには気付いているようだが、本当に本当に、推敲というのは不可欠な作業であるとわかる。

 

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2021年3月30日

ワープロソフトを統一しても、根本的問題は消えない

FNN プライムオンラインが "法案ミスで「一太郎」禁止令? 農水省「ワード原則化」通知" と伝えている。同一組織内でワープロソフトが統一されることには合理性があるが、相次ぐ法案ミスの原因をソフトの互換性の問題としているのは、「ちょっと違うんじゃないの?」と思ってしまうがなあ。

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個人的な感覚としては、多くの組織がワープロソフトを ”Word" に統一してくれるとありがたいと思っている。6年前に ”(Mac に限らず)一太郎ファイルを読み込む苦労“ という記事を書いているように、一太郎で書かれた文書を送りつけられると、それを読み込むだけで苦労してしまうのだ。

それだけに農水省がワープロソフトを事実上 Word に統一したというのは、「そうすることで、確実に面倒が減る」と思ってしまう。ただ、その統一化の理由が「法案の条文ミスを防ぐため」みたいに言っているのは、自分たちの不注意を反省せずに原因をソフトに押しつけているとしか思われない。

ちょっと考えてみればわかる。法案の条文ミスというのは、互換性の不備によって生じているわけではない。一太郎文書を Word に変換した際に、文書形式が乱れて調整に手間取ることはあっても、テキストがあらぬ内容に変わってしまうなんてことはあり得ないのだ。

ワープロソフトを統一したところで、法案を書く役人の資質が向上しない限りは、法案の条文ミスは消えない。こんなことでは「気の毒なのはジャストシステム」ということになってしまう。

 

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2021年3月29日

桜を愛でながらのポタリングを楽しんだ

今日は昨日と打って変わって素晴らしい天気になったので、花見がてらに自転車で 30km ほど走った。始めはヒートテックの下着の上にサイクリングウェアを着ようかと思ったが、それでは汗をかきそうなのでサイクリングウェアだけで走り、結論としてはそれでちょうどよかった。

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月が変わったら、半袖の夏用のウェアで十分になるだろう。考えてみれば、今シーズンは一度も雪かきをしなかったし、しみじみと温暖化を感じてしまう。

花見に関しては、今日が最高の日取りだったと思う。満開の桜と青空、そして散る花びらが道に積もってできる「桜の絨毯」の密度がどんどん濃くなるのを見ながらペダルを漕いだので、思いのほかに長いポタリングになっってしまった。

さすがに少し疲れたので、今日のところはこれでおしまい。

 

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2021年3月28日

常磐線の衝突炎上事故の、わけのわからなさ

茨城県土浦市内の JR 常磐線で電車と乗用車が衝突し、炎上してしまうという事故が起きたのは、2日前の 26日未明だった。事故を起こした乗用車は直前まで警察の追跡を受け逃走中だったが、運転していた人物は線路内に車を置いたまま行方不明と報じられ、その後のことはさっぱりわからない。

この日、私の妻は所用で朝に東京都内に出かけた。常磐線は土浦以北が動いていなかったが、東京〜取手間は順調に動いていたため、行きは問題なかったが、昼過ぎに土浦以北の運転が再開された途端に立ち往生が続出し、帰りの電車は先が詰まって遅れに遅れた。大変な迷惑を蒙ったわけである。

それはまあ、それでしょうがないと言えば言えるのだが、その後のニュースのあり方に、どうも不自然なものを感じてしまうのだ。逃走したという運転手の行方に関する情報はなしのつぶてで、「2日経ってもまだ見つかっていない」というような報道すらされていない。

事故車のナンバープレートは焼けずに残っているのだから、所有者の特定は容易なはずなのだが、それについての情報もまったく明らかにされていない。これはもう、よほどイレギュラーな事情が裏にあるとしか思われないではないか。

未確認情報だが、事故車は盗難車で、付いていたナンバープレートは偽物だったという説もある。また運転していたのは外国人だったのではないかという憶測も流されている。

もしそうだったとすると、どういうわけか知らないが、「軽はずみに触れてはいけないデリケートな話」ということになってしまうようなのである。しばらくはまともな報道なんてされないんじゃなかろうか。

 

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2021年3月27日

コンテナの手配がつかず、コーヒー豆不足という悪夢

Gigazine のニュースによると、世界規模でコーヒー豆が不足しているのだそうだ(参照)。3月 14日の記事で書いたように、自宅では豆から挽いて淹れて飲むほどのコーヒー好きの私にとっては、ちょっと気になるニュースである。210327

なにしろ Bloomberg の元記事のタイトルが "The World is Facing a Coffee Deficit in Supply Chain 'Nighitmare'" (世界はサプライ・チェーンの「悪夢」でコーヒー不足に直面している)というのだから、半端じゃない。夢ならどうか、醒めてもらいたいものだ。

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この供給不足は決して生産量の減少によるものではない。それどころか、ブラジルの 2020年~21年度のコーヒー豆生産量は過去最高になる見通しで、昨年 6月にはコーヒー豆の国際価格下落が報じられたほどだ。じゃあ、何がいけないのかというと、ご多分に漏れずコロナ禍のせいである。

コロナ禍の拡大によって作業員やドライバーが不足し、世界中の港で陸揚げされたコンテナに手が付けられずに放置されたままになっているというのである。つまりコンテナが不足しているので、コーヒー豆の輸送が思うに任せないというのだ。

フード・マイレッジを気にするエコ派の私としては、食べ物はなるべく地産地消を心がけている。それで輸入に頼るほかないバナナだのグレープフルーツだのは近頃まったく口にしていないのだが、心苦しいことにコーヒーだけは止められない。それで例外的にお目こぼしをしてもらっているわけだ。

ところが状況は厳しい。ブラジルの 2021年~22年は悪天候の影響で一転して減少傾向にあるため、世界的にコーヒー不足が起きるだろうとの予測がある。ところがその一方で、空コンテナの到着を待つ豆の在庫が大量にあるというのだから、しっちゃかめっちゃかだ。

いずれにしても、私のささやかな楽しみのコーヒーは、そのうち豆が値上がりしてしまいそうな様子なのである。もしかしたら 1日 4杯を 3杯に減らすなんてこともあり得るかもしれない。やれやれ。

 

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2021年3月26日

再生エネルギー普及と電気料金のパラドックス

Yahoo! Japan ニュースが「電気料金 1000円超値上げ 再生エネルギー普及へ」というニュースを伝えている(参照)。再生可能エネルギーの普及のために家庭の電気料金に上乗せされる負担額が、2021年度は1,000円以上値上がりして、初めて年間1万円を超えるのだそうだ。

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太陽光や風力などの再生可能エネルギーから作られた電力は、大手電力会社が買い取り、その費用の多くが電気料金に上乗せされて国民が負担する仕組みになっている。政府は再生エネルギー導入を拡大する方針で、それに伴って国民負担もさらに増える可能性があるという。

これは複雑な気分にさせられるニュースである。どうやら我が国では、再生エネルギー普及と電気料金とは、パラドキシカルで不幸な関係にあるらしい。

それを象徴するように、このニュースには「太陽光を持っている金持ちの電気代を貧乏人が払うシステムはおかしい」「太陽光発電に共感していない人まで強制的に負担させる構造はおかしくないか?」といったコメントがいくつか寄せられている。その気持ちはわからないでもない。

ただ、「太陽光を持っている金持ち」という言い方にはちょっとカチンとくるものがある。私だって貧乏人だけど、わざわざローンを組んで太陽光発電パネルを設置したのだよ。これは損得勘定じゃなく、ひたすら環境のためを思ってのことだ。

我が家では太陽光発電で生み出された余剰電力を東京電力に売っている。ただ発電設備が小規模なので、年間を通してみると自宅で消費する電力より売っている電力の方がほんの少しだけ多いという程度のものだ。つまり年間通算でみれば、我が家の電力は辛うじて地下資源に依存していないと言えないこともない。

ただ、曇りや雨の日は東京電力から買う電力の方が多いので、計算上は晴れた日に自宅で発電して売った電力を、雨の日には少し上乗せした値段で買い戻しているということになる。それが気に入らないなら蓄電バッテリーでも備えるしかないが、そこまで投資するほどの余裕はないのだよね。

というわけで、今後は「再生可能エネルギーの方が、エコで安上がり」となるようにインフラと発電システムを整えていくことが望まれるのだろうね。この件に関しては、フリージャーナリストの志葉玲さんの昨日付のコメントがとても参考になる。(参照

 

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2021年3月25日

マイナンバーカードの必要性が、また先延ばしになった

マイナンバーカードの保険証としての本格運用が、トラブル続出で先送りされることになったと伝えられている(参照)。私はマイナンバーカードなんて持っていないので、「ふぅん、そうなのね」という程度のニュースではあるのだが。

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昨年あたりから、妻が「マンナンバーカードって、取得しなきゃいけないみたいよ。保険証と一緒になっちゃうらしいから」と言い出した。ちなみに妻はいつの間にそんな手続きをしていたのか知らないが、既に取得済みだという。

一方、まったく無頓着な私の分の申請書類一式は、引き出しにしまってあるようだ。「その気になったら、いつでも申請できるからね」と言うので、「はいはい、その気になったらね」と答えておいた。

そもそも私はこの種の施策に関して、ほとんど信頼していない。前は「住基カード」なんていうものを取得させられたが、一度も使うことなく引き出しの奥のどこかに眠ったままになっている。5年前に " 「住基カード」 ってものがあったのだが" という記事で書いたとおりだ。

マイナンバーカードにしても、そんなようなことになるんじゃないかと思っていたのだが、お国としては、健康保険証との一体化で実用性をもたせたいという意向のようだ。そんなことなら、健康保険証にマイナンバーを埋め込む方がずっと手っ取り早いだろうに。

そして、この「マイナンバーカードと健康保険証の一体化」という話も、先行運用していた一部の医療機関でトラブルが続出したため、先送りになったというわけである。国というのは、現実に必要なことに関しては放っておきながら、なくても困らないものはあくせく実現させたいみたいなのだ。

いずれにしても今回の「本格運用先送り」というニュースで、このカードをもつ必要性がまた先延ばしになったわけだ。そもそも、これを持たないと不便でしょうがないという世の中というのは、一体どんな世の中なのか、あまり想像できないのだが。

 

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2021年3月24日

「小林秀雄/国民の智慧」と「麻生太郎/政治家の劣化」

東洋経済 ONLINE に、評論家の中野剛志氏による "コロナ禍で自主的にマスクを着けた国民の智慧 新しい事態の難しさに「黙って処した」小林秀雄" という記事がある。"この新型コロナウイルスがはらむ最大の問題は、ウイルスが、文字通り「新型」であることにある" という指摘が示唆に富んでいる。

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当ブログは 3月 19日に「自民党諸氏のマスクに関する勘違い」という記事を書いた。麻生太郎副総理が報道陣に「マスクはいつまでやることになってるの?」と逆質問したという件について触れたものである。

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一応、19日の記事の冒頭を引用しておく。

麻生太郎氏が報道陣に逆質問 「マスクはいつまでやることになってるの?」" という記事に驚いてしまった。「真面目に聞いてるんだよ、俺が。あんたら新聞記者だから、それくらい知ってんだろ」と言ったのだそうである。こんなことをマジに聞くとは、よほど頭が悪いとしか思われない。

この日は飛騨路の旅から戻ったばかりで仕事がたまっていたため、あまり突っ込むことができず、「そのうち、じっくり書かなきゃいけないだろう」と思っていた。しかしここまで来たら、小林秀雄まで持ち出してしっかりと考察してくれた中野氏の記事を紹介する方がいいようだ。

中野氏の指摘のポイントはまず、今回のコロナ禍の最大の問題が、その新しさから来る「不確実性」にあるということだ。この不確実性故に「従来の思想が通用しない」という点は、1937年の日中戦争勃発に端を発した太平洋戦争時代の状況と共通していると彼は言う。

小林秀雄は終戦にあたり、国民の発揮した「智慧」に関して「思想家は一人も未だこの智慧について正確には語つてゐない。(中略)この事変に日本国民は黙つて処したのである。これが今度の事変の最大特徴だ」(「満州の印象」) と書いたという。

世の中には、あるいは「日本には」と言うことも可能なのかもしれないが、「黙って処す」という「智慧」があるようなのだ。これを「智慧」と表現していいのかどうか、諸説あるだろうというほど、まことにもって「不思議な智慧」というほかないが。

今回のコロナ禍において、国民が自主的にマスクを着けていることに関しても、中野氏は同様に「国民の智慧」だと指摘する。お上の強制的な命令に従っているわけではなく、ことさらに明文化された規定があるわけでもないのに、「黙って処す」という「不思議な智慧」が発揮されているわけだ。

報道陣に馬鹿な質問をする麻生氏(一応、総理大臣経験者)はこのあたりを、あたかも「誰かが決めるべきこと」のように錯覚し、それならば期限だって定められるべきだと、小学生でもしないような了見違いをしている。もう一度繰り返すが、「よほど頭が悪いとしか思われない」のである。

最近つくづく思うのだが、この国では「本当に優秀な人材」というのは、もはや「政治家になろう」なんて思わなくなったんじゃなかろうか。世の中をまともに認識できない頭の悪い連中が、議員になりたがって選挙に立候補し、みっともないほどの選挙運動を展開して、そのなれの果てが総理大臣だ。

最近、菅首相の「言葉感覚」のなさに驚く (3月 12日付)、菅首相の「言葉感覚」のなさに、改めて驚く(3月 12日付)と、2度にわたって首相の能力に大きな疑問を呈したが、要するにそういうことなのだろう。前の総理大臣も「云々」を「でんでん」なんて読んで大恥かいてたし(参照)。

要するに彼らは、政治家という職業の「カッコ悪さ」に、まだ気付けないという「頭の悪い人たち」なのだろうと思えば、いろいろなことが妙に納得される。国会にはその「目を覆うような代表的存在」がしっかりと存在し、あまつさえ大臣にまでなっているのだから、まったくもって恐ろしい(参照 1参照 2)。

本日の記事の "「小林秀雄/国民の智慧」と「麻生太郎/政治家の劣化」" という身も蓋もないタイトルは、こんなところから発してしまったわけだ。

 

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2021年3月23日

『夜明けの歌』と、クロス・ジェンダー・パフォーマンス

今朝のNHK ラジオ第一放送「あの日のソングブック」というコーナーで、『上を向いて歩こう』を始めとする坂本九の歌が連続して流れた。そして 3番目ぐらいで『夜明けの歌』が流れた時、かなり前に書いた「クロス・ジェンダー・パフォーマンス」というのを不意に思い出した。

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まず、その坂本九バージョン (Youtube 動画が見つからなかったので、上の画像をクリックしてリンク先を参照していただきたい)。「夜明けの歌よ の心の・・・」という歌い出しだ。

次に岸洋子バージョン。歌い出しが「夜明けの歌よ の心の・・・」になっている。歌い手のジェンダーによって歌詞の人称の部分の変わることに注目だ。

私がこの問題にこだわり始めたのは、2008年 12月 13日の記事以来である。五木ひろしが『テネシーワルツ』を "I introduced her to my loved one" と歌っているのを聞いて、ゾクッとしてしまったのがきっかけだ。詳しくは、元記事を読んでいただきたい。

で、今回の『夜明けの歌』の話に戻るが、日本語の歌でも坂本九と岸洋子の場合は歌詞を微修正して、きちんと「クロス・ジェンダー・パフォーマンス」(参照)を避けていることが確認されたというわけだ。めでたしめでたし。

ただ、そこはそれ、さすが日本である。美川憲一の場合は、しっかりと「私の心の・・・」と歌っている。

これは考えるまでもなくもっともなことで、美川憲一が「僕の心の・・・」なんて歌ったら、むしろその方がゾクッとする。そしてさらに細かいことを言えば、この人は「わたしの心の・・・」でさえなく「アタシの心の・・・」と歌っている。これはもう、立派なものというほかない。

まさに「めでたしめでたし」ということで、

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2021年3月22日

職務質問されやすいスーツ・スタイル

昨日の記事では「アクティブスーツ」なるものについて、「相変わらずスーツ着用が求められる仕事ではこれまで通りのスーツを着ていればいいし、そうでない分野ではテキトーにスーツ以外の軽装に移行していけばいいというだけの話」などと、やや斜に構えたことを書いてしまった。

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ただ「テキトーに」とはいいながら、そこはそれ、ちょっと間違えると「かなり奇異な感じ」になってしまうこともあるのだと、Quora のサイトで知らされた。警察の職務質問のマニュアルに「スーツの着こなしが変な人には声をかける」という項目があるというのである(参照)。

上の画像が、その「スーツの着こなしが変な人」の典型例とされている。昨日の記事を書いた時にはこんなのまでは想定していなかったが、確かにこんな感じのヤツ、街で見かけることがあるよね。

いやはや、スーツの世界というのは妙な方向にまで幅広いものである。深入りしたくない世界だ。

こういうのって、すべてが「特殊詐欺事件の受け子」というわけじゃないのだろうが、「余計な職質なんてされないように、こんな感じの着こなしは避けようね」という否定的教訓にはなるだろう。ただ下手すると、本当の「特殊詐欺事件の受け子」にまで教訓とされてしまうというリスクもあるが。

 

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2021年3月21日

「アクティブスーツ」という商品にみる業界の都合

東洋経済 ONLINE に「流行りのアクティブスーツがダサい人の超盲点」という記事がある。「ビジネスマンのためのスタイリスト」という肩書の森井良行という人が書いたもののようだ。

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私も昔はファッション・アパレル関連のジャーナリストをしていた時期があるのだが、「アクティブスーツ」というカテゴリーのスーツがあるというのは初めて知った。

何しろ「スーツ」というものは年に 2〜3度の冠婚葬祭関連でしか着なくなったし、最近はコロナ禍で冠婚葬祭という機会すらなくなっている。ここ 1年以上スーツと称される服に袖を通したことがないので、スーツ嫌いにとってはありがたいぐらいのものだ。

今日の記事を書くにあたって、「アクティブスーツ」というものについて少しはきちんとした情報を得ておこうと、いろいろググってみたのだが、まるで要領を得ない。青山オンラインストアのサイトで見る限りは、伸縮性や撥水効果を強調しているだけで、要するにフツーのスーツである(参照)。

かと思うと、アクティブ・スポーツウェアの視点からすると、楽天市場の紹介するデサントの商品みたいに、いわゆる「トレーニングウェア」みたいなものになってしまう(参照)。フツーはこっちのカテゴリーを指す言葉だろうね。

もっともらしいことを言ってはいるが、確立したカテゴリーではないみたいなのだ。ということは、ファッションという分野の常で、そのうちうやむやになって別の商品や言い方に取って代わられる可能性が大なので、あまり真に受ける必要もなさそうだ。

実際の着用場面では、銀行やお役所など、相変わらずスーツ着用が求められる仕事ではこれまで通りのスーツを着ていればいいし、そうでない分野ではテキトーにスーツ以外の軽装に移行していけばいいというだけの話である。堅苦しいスーツが着たくないなら、着なくて済む仕事をすればいいというだけだ

私が勤め人をしていた 20年前でも、ノーネクタイでライトウェイトなジャケットを着ていれば、とくに文句を言われることもなかった。今のビジネス・シーンなら、もっと軽快な着こなしが可能だろう。

森井氏の記事では、アクティブスーツに合わせる靴だのベルトの幅だのがもっともらしく語られているが、そうしたことで細かいことを言うのは、どうしても「スーツ」とその関連商品を売りたい業界の都合でしかない。フツーはテキトーにジャケットとスラックスを合わせれていれば OK である。

アクティブスーツというのは元々がカジュアル志向のスーツなんだろうから、深く考える方がダサいってことだ。ただ、カジュアルな服装をするとなると、とたんに何を着ればいいかわからなくなるという人もまだ少しは残っているようなので、森井氏の記事みたいなものの需要があるのだろう。

 

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2021年3月20日

またしても「震度 4」

日が暮れてしばらく経ち、PC に向かって作業をしていると、部屋がグラグラと揺れ始めた。その数秒後に iPhone の地震情報アプリ "PREP" が立ち上がり、「震度 3 の地震が 26秒後に」なんて寝ぼけたことを言う。

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「もう揺れてるよ!」と呟きつつ、間もなくさらに強い揺れが来るに違いないと身構えたところで間髪を入れず、先月 14日と同じぐらいの揺れがゆっさゆっさとやってきた。「震度 3」なんてもんじゃない。1時間後に tenki.jp のサイトで確認すると、この辺りは「震度 4」だったようだ(参照)。

PREP さん、「震度 1の地震が 65秒後に」なんて役に立たない情報ばかりマメに寄こすので、先日、震度 3以下の情報はカットする設定にしたのだが、今度は情報が控えめ過ぎになったようだ。改善を期待しよう。

妻の実家が仙台なので被害状況が気になったが、地震直後は電話の回線が混雑してつながらないとわかっているので、敢えて向こうからの情報を待つと、妻の従姉妹から「大丈夫だけど、津波を警戒してる」とのメッセージが入った。前回のほぼ 1か月後だけに「地震はもう、いや!」という感覚のようだ。

ここまで大きな地震が続くと、さらに大きな地震の前触れなのではないかという気がして、あまりいい気分ではいられない。とはいえここまでくると「地震慣れ」してしまって、「震度 4」程度ではまったくうろたえることなく落ちついていられる自分に気付き、さらに複雑な気分になってしまう。

 

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2021年3月19日

自民党諸氏のマスクに関する勘違い

"麻生太郎氏が報道陣に逆質問 「マスクはいつまでやることになってるの?」" という記事に驚いてしまった。「真面目に聞いてるんだよ、俺が。あんたら新聞記者だから、それくらい知ってんだろ」と言ったのだそうである。こんなことをマジに聞くとは、よほど頭が悪いとしか思われない。

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副総理がこんな小学生みたいなことを口走る一方で、二階俊博幹事長は自民党のマーク入りのマスクをして登場しているという。この人がこんなマスクをすると、頬に刺青しているみたいに見えてしまうのがすごい。

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麻生副総理は聞く相手を間違えたみたいで、記者より幹事長に聞くべきだった。どんな答えが出てくるか、考えるだけでおもしろい。

それにしても自民党のお偉方、マスクに関してはいろいろ勘違いされているようだ。今日はいろいろ飛び回って疲れてしまったので、こんなところで失礼。

 

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2021年3月18日

菅首相の「言葉感覚」のなさに、改めて驚く

飛騨への旅から帰ってきた。夕飯を食って風呂に入り、一息ついたところである。クルマで移動中は山の中が多かったせいでカーラジオを満足に聴けなかったので、とりあえずニュースを聞こうとテレビを点けると、緊急事態宣言解除が 21日から解除されるという話でもちきりである。

「政府対策本部での菅首相発言」というのがまんま流されているが、相変わらず何を言っているのかわからないところがある。1週間前に ”菅首相の「言葉感覚」のなさに驚く” という記事を書いたばかりだが、改めてさらに驚いてしまった。

まず、上に埋め込んだ動画の冒頭の発言、「1月の緊急事態宣言のハイシュツ以降・・・」というのだが、「なんでここで『排出』が出てくるんだ?」と驚く。よく考えれば「発出(参照)」と言いたかったんだろうと気付くものの、この人、ちょっと小難しい言葉だとかなりの頻度で舌がもつれるようだ。

さらに完全に驚いてしまったのは、最後の結びの言葉である。動画では 1分 32秒あたりからの部分だが、以下、文字に起こしておく。

これまで 1年間対策に取り組んできた経験も生かし、国民の命と暮らしを守るため、本日の決定に基づき、政府一体となって、全力で取り組んでいただくようお願いをいたします。

これには正真正銘ポカンとしてしまったよ。いつものように「曖昧な言い方」には違いないのだが、それにしてもひどすぎる。以下、(一応可能な)2通りの解釈を示す。これ以外の解釈は、少なくとも私にはできない。

  1. 政府のトップである首相自身が「全力で取り組んでいただくよう」政府にお願いしている。

    (私は最初、このように言っているとしか解釈できず、思わず「お前が政府だろうがよ!」と、テレビに向かって呟いてしまったよ)

  2. 政府が一体となって、国民にお願いしている。

いずれにしても、まともな文脈ではない。この人、こんな素っ頓狂な言い回しをしても、マジで気持ち悪くなってしまったりしないようなのである。

この人のこうしたわけのわからないスピーチは大抵、私の 3月 10日の 記事で触れた "「自分」と「相手」との区別がつかない" という思考傾向によるものである。1週間前の記事で指摘した「(震災の教訓を)風化されてはなりません」も同様のパターンだ。

この記事で私は ”「自と他」「主体と客体」をきちんと区別するというのは、論理思考の基本のキホンだから、これがわからないと一步も先に進めない” と書いているのだが、それにしても菅首相、政治家として本当に本当に大丈夫なんだろうか?

 

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2021年3月17日

中津川の落とし前、ほぼ半世紀ぶりに付ける

飛騨高山での 2日目は、午前 9時頃から「高山陣屋」を見学。その後すぐに高山を後にして中津川市に向かった。目指すは 1971年まで「中津川フォークジャンボリー」の開かれていた、あの中津川市坂下の椛の湖畔である。

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実は、今回の旅は、一度も訪れたことのなかった飛騨の国の地を踏むということのほかに、もう一つ大きな目的があった。それは中津川の地を訪れて、1971年夏に酷い形で突然幕を閉じてしまった中津川フォークジャンボリーの、「個人的落とし前」を付けるということだったのである。

中津川フォークジャンボリーについては、長くなるので詳しい説明は避ける。知りたければ、Wikipedia のこのページを参照されたい。

このイベントは多分、1970年に開催された第 2回目が最高だったんだろうと思う(Youtube でみることができる)。当時私は山形県の庄内で高校 3年生だった。そして翌年、大学生になった最初の夏休み、意気揚々とギターを担いで中津川に向かったのである。

会場に着いて、サブステージ 3日目への出演手続きを済ませ(当時私はアマチュア・シンガー・ソングライターの端くれだったのだ)、プロのメインステージに熱狂していたのだが、2日目の夜、フォークゲリラによってステージが乗っ取られ、ステージ上では愚にも付かない政治的議論が始まってしまった。

私は自分の出番が消えてしまったので、完全に拍子抜けしてしまい、3日目の朝にさっさと中津川を去った。そしてそのままギターを担いでしばらく京都と大阪を放浪して、ヨレヨレになって故郷に帰ったのだった。

あれからというもの、中津川を訪れる機会なんてまったくなく、私としては 1971年の落とし前の付いていない中途半端な気分をずっと心の底に沈ませていたのである。そして今日、ほぼ半世紀ぶりに花の湖畔を訪れてみると、そこはオートキャンプ場になっていたが、キャンパーの姿はまったくなかった。

ガランとした中でクルマを停め、歩いて行くと、当時のステージが半世紀経った今でも残っているのに驚いた。昨日のようなぐずついた天気だと心が沈んでしまうところだったが、幸か不幸か晴れていたので、思いっきり歩き回った。

そして帰り際に iPhone で岡林信康の『友よ』を流し、一緒に小さな声で歌っているうちに、確実に「うむ、これで気が晴れた。心が軽くなった」という気がした。敢えてわざわざ来た甲斐があったというものである。

というわけで、半世紀ぶりの落とし前が付き、新しい気持ちで生まれ変わることができたというわけだ。明日はつくばの地に帰る。

 

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2021年3月16日

人生初の飛騨の国の旅

今朝、甲府を早発ちして、中央高速で松本に向かい、そこから上高地をかすめて、昼前に飛騨高山に降りて来た。途中、南アルプス、八ヶ岳、諏訪湖などの景色を存分に楽しむ。

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天気予報では昼から雨になるとのことなので、今日はクルマで廻れるところを優先すると決め、すぐに白川郷に向かう。1時前に着くと、さすがに山の中で、傘の必要な降りだ。とはいえ目的は合掌造りの家を訪れることだから、徒歩移動中の雨さえしのげば問題ない。昼飯のそばを食って合掌造り民家園に向かう。

実は私は小学生の頃に図鑑か何かで見た合掌造りの家というのに妙に憧れをもってしまっていて、生きているうちに一度は訪れたいと思っていた。その願いが今日叶ったわけで、結論、大満足だった。私はかなりのフォークロア好きだから、この手のものにはハマってしまう。

合掌造りの家は、入り口に馬小屋があり、その隣に「ベンチャ」という一画がある。これって「便所」で、昔は板を渡した大きな穴の上で用を足し、そのまま家の外から汲み取って肥料にしていたようだ。こういうの見ると、妙に嬉しくなっちゃうのだよね。

二階は蚕を育てるスペースで、その上は屋根裏部屋。どの家も一階奥の仏壇がものすごく立派なことに驚かされる。往時の暮らしが思い浮かべられる。人が少なくてじっくり見学し放題だったのも嬉しくて、いつまでもいたくなるほどだった。

白川郷を後にして、高山市内のホテルに向かう途中、オークビレッジに立ち寄る。この頃には、雨はほとんど止んでいた。今日はスタッフが何かの打ち合わせ会議をしていたようで忙しそうだったので、あまりゆっくりはできなかったが、いろいろな木の製品に見とれる。

高山市内でホテルにチェックインすると雨は完全に止んでいて、傘なしで街に出た。古い家並みを残した一画はとても見応えがあり、フォークロア好きの心を躍らせる。ただ、夕飯を食おうとおいしい手打ちそば屋を探したのだが、軒並み閉店してしまっている。夕方を過ぎて時間が遅すぎたのだろうか。

開いているのは飛騨牛を食わせる店と高山ラーメン(飛騨ラーメン?)の店ばかり。肉を食わない私はどちらにも用がない。

「こりゃ、コンビニでおにぎり買って戻るしかないかな?」と諦めかけたところで、手打ちそばの店の開いているのを 1軒だけ見つけ、寒くなっていたので暖かいきのこそばを食ったら、これがかなり旨かった。「飛騨そば 小舟」という店である。

この店、ちょっとお高いが、昼に白川郷で食ったそばが大したことなかったので、いい口直しになった。次に高山に来ることがあったら、またここで食おう。

ちなみに、上の写真の 3枚は白川郷の合掌造りの家、右下の 1枚は高山市内の古い家並みである。(クリックすると、拡大表示される)

人生初の飛騨の国での夜が更けていく。明日は晴れるというので、またいろいろ寄り道したい。

 

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2021年3月15日

飛騨に向かっている

今年 1月 19日付の "そうだ 飛騨、行こう!" と 21日付の "飛騨行きと「セレンディピティ (偶然幸福発見能力)」" で書いた人生初めての「飛騨行き」を実行に移している。今日クルマでつくばの里を出発し、7年前に礼賛記事(参照)を書いた甲府の「ホテル昭和」に入ったところである。

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首都圏の浮世ではコロナ禍による戒厳令、じゃなかった、緊急事態宣言が解除されていないので、今回の旅はクルマでの移動に徹し、道中も相当に「浮世離れ」したものにするつもりだ。何しろ、つくばから甲府までは高速道路を使わずに、呑気に一般道で 7時間かけてやってきた。

途中、相模湖で休憩したときは、うららかな春の風が心地よかった(和歌ログ参照)。心地よすぎて桜の開花の早すぎるのが心配である。

明日は飛騨の高山に入る。明日の高山の天気は下り坂で午後は雨になるという予報だが、自分の晴れ男振りを信じつつ、なるべく早く到着してあちこち廻ることにしよう。

というわけで明日は早発ちになりそうなので、今日のところはこれにて。

 

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2021年3月14日

コーヒーを好きなだけ飲むための言い訳が増えた

私はコーヒーが好きで、1日に 4杯は飲む。自宅では豆から挽いて淹れたものを飲むので「こだわり派」と思われかねないが、実際のところは「フツーのコーヒー好き」のレベルを辛うじて越えていないと思う。ただ、砂糖もミルクも入れずにブラックで飲むことだけは譲れないが。

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「コーヒーの飲み過ぎは体に良くないよ」なんて忠告してくれる人がいる。こちらの健康を慮ってのことだろうが、正直なところ、鬱陶しい。

3年前の 8月に書いた "「コーヒーは体に悪くない」というお墨付き" という記事を持ち出して反論する手もあるが、それもまた面倒なので、「はいはい、どうも」と聞き流すだけにしている。というわけで、家でデスクワークするのもコーヒーをちびちび飲みながらということが多い。

上述の 3年前の記事は、"「コーヒーをたくさん飲む人は長生きする傾向がある」という研究結果" という Gigazine の記事を下敷きにしている。私としては決してことさら長生きしたいわけじゃないが、好きなコーヒーを好きなだけ飲むためのエクスキューズとしては、なかなか使いでがある。

そして昨日は ”コーヒーを飲むと「心不全のリスクが下がる」という研究結果” という記事を見つけて、エクスキューズがまた 1つ増えた。Gigazine というニュースサイトは、コーヒー好きの味方である。

昨年久しぶりに受けた健康診断で「不整脈があるので、精密検査を」なんて言われ、「御免蒙ります」と断ったばかりなので、言い訳の使い途には困らない。そもそも病院嫌いの私が精密検査なんて受けたら、そのストレスでかえって体調を崩すと、過去の経験でわかってるし。

今回のニュースでさらにありがたいのは、心不全リスクを下げるには「コーヒーを飲む量が多い方がいい」とされている点だ。以下に引用する。

今回の研究によると、1日 1杯では効果がありませんが、1日 2杯で心不全リスクが 31%減少し、1日 3杯以上でリスクが 60%減少するとのこと。なお、3杯と 4杯以上の差については、1日 4杯以上飲む被験者がごくわずかしかいなかったため、結論は出せなかったとされています。

そんなことだったら「1日 4杯以上飲む被験者」として協力させてもらってもよかったのに・・・ と一瞬思ったが、記事によると「心血管疾患の諸症状と危険因子を詳細に分析」して 5年にもわたる経過観察をしたそうなので、病院嫌いとしてはやっぱり遠慮しておきたい。

 

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2021年3月13日

新宿西口で「地下鉄入口に車突っ込む」というニュース

⒏日も前のニュースだが、3月 5日付の FNN プライムオンライン "地下鉄入り口に車突っ込む 階段を下り 新宿「都庁前」騒然" という見出しに驚いて、改めて読んでみた。75歳の男性が、駐車場入り口と間違えて地下鉄入口に車を突っ込んでしまったのだという。

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初めは「いくら 75歳でも、不注意が過ぎるだろうよ!」と呆れたものの、ビデオを見てちょっと思い直した。というのは、そのクルマは結構幅広い歩道を横切って地下鉄入口に突っ込んでしまっているのだが、その手前にある正真正銘の「駐車場入り口」も、同じ舗道を横切って入るのである。

さらにその地下鉄入口というのは、フツーよりずっと間口が広くて「地下鉄入口離れ」している上に、クルマの運転席からは階段になっているとは気付きにくい角度になっている。突っ込んだ車は「習志野ナンバー」だし、「こりゃ、勘違いしてもしょうがないかもしれん」と思ってしまった。

というわけで、私自身が 75歳になってからでも新宿西口の都庁前で確実に間違えずに済むかと聞かれたら、「ごめんなさい、下手したら間違えちゃうかも」と答えないと、不正直者ということになってしまいそうだ。そもそもあの辺りは、あまり行きたいと思う場所じゃないし。

私の学生時代の新宿西口は、だだっ広い中のところどころに京王プラザホテルなどの高層ビルがポツンポツンと建っているだけで、どちらかと言えばのんびりした気楽な光景だった。ところが東京都庁ができた頃からというもの、やたらと忙しい街になってしまったような気がする。

いずれにしても東京全体に言えることだが、もはや劇場や美術館に行くとか、旅に出るための交通経路にでも当たるとかでもない限り、わざわざ行きたいとは思わない。前は「都会には情報がある」と思われていたが、今は情報の多くはどこにいても取れるから、マメにでかける必要がなくなった。

というか、都会にはもはや魅力的な情報なんてなくなってしまったんじゃないかとさえ思う。

 

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2021年3月12日

菅首相の「言葉感覚」のなさに驚く

昨日は昼過ぎに自宅のラジオで「東日本大震災 10周年式典」での菅首相式辞と、天皇陛下のお言葉を聞いた。

菅首相の式辞は上の動画でもわかるように、カミまくり、言い違いしまくりで、「この人って、本当に『言葉感覚』のない人なんだなあ」と改めて思ってしまった。日本はこんなにも言葉感覚のない人が行政府の長を務めていられるという、世にも稀な国である。

とにかくこの人の式辞、ラジオで聞いているだけでは何を言っているのかわからないところがいくつかあった。とくに最初から 4分ぐらいのところは、「被災者の生活再建のステージに応じた切れ目のない誠意を行ってまいります」に聞こえて、「はあ? 何の読み間違い?」と思ってしまった。

「誠意」の部分はより正確に表記すれば「しぇーい」と聞こえるのだが、これ、JIJI.COM の「菅首相式辞全文」で確認してみると、「切れ目のない支援を行ってまいります」と言ったつもりのようなのである。いやはや、日本語を聞くのに通訳が要るのでは疲れるなあ。

さらに日本語として明らかに間違いなのは、4分 47秒あたりの「震災による大きな犠牲の下に得られた貴重な教訓を決して風化されてはなりません」の部分である。どうしてここで受け身の文体にならなければならないんだ?

これも確認すると、原稿は当然にも「風化させてはなりません」である。この総理大臣、こんな読み違いをして自分で気持ち悪くなる様子もなく、しゃあしゃあと終わってしまえるのが不思議である。

別に悪意をもって「あら探し」したわけじゃないが、単にフツーに聞いているだけでこちらの方で気持ち悪くなってしまうところが、他にもいくつかあった。

菅首相、よっぽど言葉感覚が鈍感な上に、原稿作成を官僚に任せきりにしたとしか思われない。自分で読んでいる内容に関してしっかりと理解・把握・共感したわけじゃないので、必然的に「訥々とした口先だけ」という印象になってしまう。

あの年になってしまった人に「もっと上手に読め」と言ってもしょうがないが、せめてもう少しだけでいいから、気持ちを込めて読んでもバチは当たらないんじゃないかと思ってしまったよ。いや、あるいはそれも期待しすぎかもしれず、もっとぶっちゃけて言えば、「ちゃんと練習しておいで」ということだ。

というわけで、彼は多分、世界の首脳の中でも断トツでスピーチの下手くそな人だと思う。国会答弁で言っている意味が通じないのも道理である。

あんなにスピーチの下手な人でも首相が務まるというのは、開かれた論議は単なるセレモニーで、実際は裏工作で進むという、我が国の政治風土によるとしか思われない。

 

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2021年3月11日

東日本大震災から 10年

あの東日本大震災から 10年経った。たった今、仕事先から帰ってきたばかりだが、カーラジオで聞く番組は軒並み地震関連の特集である。というわけで、私も便乗して地震の話をしてみたい。

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下の画像は 10年前の和歌ログだが、詳細をみると 21時 17分付となっている。この日は地震発生直後からずっと停電していたが、日が暮れてだいぶ経ってから回復したおかげで、毎日更新が続いている。

我ながら驚いたことに、この頃は三十一文字の和歌に英語の短詩まで添えていたもののようだ。今でもやってやれないことはないと思うが、かなりの負担だろう。

添えられた写真は、私の仕事部屋のデスクの状態である。棚からいろいろなものが落ちて散乱しまくっている。片付けるのにずいぶん手間取った覚えがある。先月 13日の地震でも書棚から本が数冊落ちたが、こんなにひどくはなかった。

そして本ブログの 2011年 3月 11日付は、午前のうちに更新済みだったようだ。そのため地震の報告は、翌 12日付の 「とりあえず無事です」という記事になっている。

地震発生からしばらくは原発事故の影響もあって、電力供給不足が続いた。我が家もあれから 2年は夏になってもエアコンを使わずに乗り切った覚えがある。

地震とは恐ろしいもので、親戚筋にも津波による死者が出たが、貴重な経験ともなった。そしてあれ以来「反原発」の世論が高まったが、政府はそれに耳を貸そうともしない。

私としてはあの経験を普段の生活意識の中に生かしていかなければならないとずっと思いつつ、今日のこの記事を書かせてもらっている。とにかく原発は止めなければいけないということを、再確認しておきたい。

それにしても、地震時の記憶は10年経ってもまるで昨日のことのように鮮明なのに、それ以後の地震関連のあれやこれやは遠い昔のことのように思われてしまったりする。人間の記憶とはおもしろいものである。

 

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2021年3月10日

「論理思考もできないわけじゃない感覚人間」として

3日前の "「情報弱者」と言われる人に共通する勘違い傾向" という記事で、"「自と他」「主体と客体」をきちんと区別するというのは、論理思考の基本のキホン" なんて、エラソーなことを書いてしまったので、下手すると tak-shonai はさぞかし論理派人間なのだと思われてしまうかもしれない。

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しかし実を言うと、私は決して「論理派」というわけじゃない。この "Today's Crack" では、やや論理的なアプローチを重視したいと思いつつ書いてはいるが、たまに理窟もへったくれもない乱暴なことも平気で吐き出してしまったりもする。

そしてもう一つの毎日更新ブログ 「和歌ログ」では、もろに感覚派だ。3日前のブログで「情弱」に共通する傾向として書いた「全体をぼんやりとした一まとまりのもの」みたいに捉えるアプローチを、まさに自分でしている。まあ、これは意識的にやっていることではあるのだけどね。

「左脳人間」とか「右脳人間」とかいう言い方がされることがあるが、私は多分、どちらにも偏っていないのだと思う。バランスが取れているといえば聞こえがいいが、二重人格っぽかったりもしてしまう。

Web 上で「右脳派・左脳派診断」というサイトを見つけたので、面白半分にトライしてみた。こうしたことは、この程度の簡単なテストで決めつけらるものではないとわかってはいるが、つい物好き心が勝ってしまうというのは、やぱり私の中の右脳人間的要素のなせる技である。

で、もったいぶらずにさっさと結果を言ってしまうと、上の図にあるように、私はやや「右脳寄り」ということで、左脳 46%、右脳 54% で生きているのだそうだ。これ、自分でイメージしていたのとかなり近い数字なので、ちょっと驚いた。

よく「左利きは右脳人間」みたいな言い方をされるが、私は幼い頃は左利きだったらしい。それを祖母がじっくりと右利きに矯正してしまったようなのだ。その辺りのことは 10年近く前に「左利きの痕跡」という記事に書いている。

というわけで、私としては「論理思考もできないわけじゃない感覚人間」というアイデンティティを大切にして生きていこうと思うので、今後とも

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2021年3月 9日

白米/玄米/脚気の三題噺

東洋経済 ONLINE に作家の新晴正氏が "「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体" という記事を書いておられる。その「ヤバい病気」というのはお察しの通り「脚気」で、大正期には 1年で 3万人もの人が脚気のために死んだという。

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今日の大問題となっている COVID-19 の国内での死者数は、3月 9日時点で累積 8,253人とされているから、大正期の脚気はそんなもんじゃなかったことがわかる。ただ、脚気はビタミン B1 欠乏症なので食生活改善などで解決されたが、新しい伝染病の COVID-19 は対策が面倒なわけだ。

脚気は日本人が主食である米を白米の形で食べるようになってから急拡大した。玄米の糠に含まれているビタミン B1 を摂取しなくなったためといわれる。ビタミン B1 は米からでなくても副食から摂取すれば問題ないのだが、昔の日本人は白米をどっさり食って副食にはあまり金をかけなかった。

ところで我が家は、40年以上玄米食を続けている。玄米はポロポロして食べにくいと言われるが、炊き方を工夫すればそんなことはない。圧力鍋なんか使わなくても、電気釜でじっくり時間をかけて炊きあげる設定にすれば、本当においしく食べることができる。要は工夫と経験だ。

今となっては、普通の白米メシはあっさりし過ぎて物足りなく感じられるようにまでなっている。というわけで、このまま死ぬまで玄米メシを続けることになるだろう。

 

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2021年3月 8日

「情報弱者」と言われる人に共通する勘違い傾向

「情報弱者」と言われる人の中には、IT 関係にはまったく手を触れることもできないという「正真正銘の弱者」もいるが、「まったくできないというわけでもない」という程度のものすごく中途半端な人もいる。そして実際に手のかかるのは、このタイプの人である。

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「ハマるべき穴にはすべてハマる」という人がいる。業務上の月例報告書を 3年前から Word で作り始め、その時の「平成30年3月報告書」というファイルを毎月開いて新しい内容で上書きし、そのままのファイル・ネームでデスクトップに保存してしまうというのは、その典型だ。

彼からは毎月律儀に「平成30年3月報告書」というファイルの添付されたメールが届き、それを受け取った側が毎回、まともなファイルネームに変換して保存する。それで、提出先にはきちんと月齢報告書が保存されるが、作成元の彼の PC には、元の名前のたった 1つのファイルしか存在しない。

それで、他の部署から「昨年 4月の報告書を送ってください」なんて依頼があっても対応できず、提出先に泣き付くことになってしまう。悲しいことに、これは何度教えてもわかったようなわからないようなことで終わり、たまには「新規ファイル」で保存できることもあるが、ほとんどは上書きになる。

最近の傾向では、ZOOM ミーティングに参加するのにまったく要領を得ないという人が困る。このタイプの人は毎回電話でやり方を教えてもらい、15分遅れぐらいでようやくマイクをオンにしたまま入って来て、雑音をまき散らす。

これは上に掲げた「ZOOM ホーム画面」で、招待されたミーティングへの「参加」(右上アイコン)ではなく、「新規ミーティング」(左上アイコン)をクリックし、誰も入ってくれることのない新しいミーティングを自分一人で空しく立ち上げたまま、往生してしまうからだ。

彼としては「新しいミーティングに参加するのだから、当然こっちのアイコンをクリックするのだろう」と思ってしまうようなのだが、完全な思い違いである。同様の勘違いは、Facebook でのライブ動画配信を視聴するときにも起きる。

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「〇時△分から、ライブ動画を配信しますので見ておいてください」というノーティスを送っても、彼はその時間になって開始された動画をクリックするのはなく、ホーム画面の一番上左端の「ライブ動画」をクリックし、誰も見てくれない自分の顔を、空しくネット空間に配信し続けるのである。

こうした勘違いはすべて、「ホストが立ち上げたアクションに自分も参加する」ということが理解できず、自分の方で勝手に「新たなアクションを立ち上げてしまう」というパターンである。そして、自分の立ち上げたアクションが全体とはまったく無関係だということに気付くことすらできない。

「情弱」と言われる人にはこのように、「自分」と「相手」との区別がつかない人が多い。「自と他」「主体と客体」をきちんと区別するというのは、論理思考の基本のキホンだから、これがわからないと一步も先に進めない。

別個の存在の「自と他」の間を情報でいかに効果的に結ぶかというのが重要ポイントなのだが、これがわからないと、全体をぼんやりとした一まとまりのものとしてしか捉えられないのだ。この辺りを説明して納得させるのは、ものすごく手間がかかって疲れる作業になる。

 

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2021年3月 7日

近頃、悪質勧誘が増えている

近頃、「悪質勧誘」というのが増えているような気がする。私のところにも、この 3日間で直接訪問での勧誘が 2件、電話勧誘が 2件あった。

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3日前、玄関で「ピンポン」が鳴ったので出てみると、若い兄ちゃんが立っていた。「お客様、以前に火災保険を利用して台風被害による屋根の修理をされましたよね」なんてなことを言う。まあ、確かに保険金で屋根の修理をしたことはある。

「私、その時に担当させていただいた〇〇という者ですが、この度独立いたしまして、よりお得な保険のご紹介に参りました」なんて言って、首からぶら下げた透明ケースに入った ID カードを示す。「覚えておいででしょうか?」

そんなの覚えてるわけがないし、とにかくこの時点で「詐欺だ」とわかった。こいつ、見たところ 30歳そこそこの年格好である。そしてウチが火災保険で屋根の修理をしたのは、20年近く前の話だから、その頃こいつは、せいぜい小学生だっただろう。保険業務の担当ができるわけないじゃないか。

ウチが保険を使って屋根修理をしたのは事実で、それがあろうことか、詐欺集団に漏れてしまっているのも確実のようだ。油断も隙もありゃしない。ところが、それがいつの話だったのかまでは特定されていないようで、こいつはつい最近の話だと思っていたみたいなのである。

「で、今日は要するに何の用なの?」と聞くと、とたんに要領を得ないゴニョゴニョの話になる。台本の想定にない方向に話を振られると、うろたえてしまうようだ。

「そういう話は、もうちょっとしっかりストーリー立ててからおいで。サヨナラ」と言ってバタンとドアを閉めた。窓から見ていると、そいつは懲りずに隣の家のドアフォンをピンポンしている。手当たり次第にアヤシい話をするつもりのようだ。

一昨日は「スマホのプラン変更と新しい保険のオススメ」という電話がかかってきた。画面には見るからにアヤシい電話番号が表示されている。

「お客様の現在の設定よりずっとお得なプランのご紹介です」なんていうから、「俺、自分のプランよく知らないから、一度説明してみて」と言うと、とたんにゴニョゴニョになった。台本にない話になりそうだと、とたんにわけがわからなくなるようだ。

その時点で「サヨナラ」である。その直後にも似たような電話が来て呆れてしまった。

昨日は玄関先に、「私、研修の一環で、この辺りを廻らせていただいております」という女の子が来た。やはり首からぶら下げた ID カードみたいなものを示す。

近頃、そっちの方の世界では名刺を出す代わりにそうするのが流行りのよう(経費削減と痕跡を残さないため?)だが、そんなもの見せられても何の役にも立たない。訪問者が首から下げた ID カードを示した時点で、「ああ、悪質勧誘だな」と思えばいい。

「何の研修?」と聞いたが、彼女は委細構わず「この度は皆様に絵葉書のご紹介をさせていただいてます。素晴らしい絵葉書なんです」なんて、自分の言いたいことだけ言い出して、訳のわからない絵葉書を取り出す。台本の想定にない質問は無視することになっているようだ。

こんな風にエキセントリックな雰囲気を醸し出しながら、どうでもいい絵葉書みたいなものをビックリするような値段で売りつけるのって、インチキ新興宗教の典型パターンである。放っといたら 6枚で 4,800円とかなんとか言い出すに決まってるから、「ご苦労さん、サヨナラ」と言ってドアを閉めた。

こんなのが増えているのも、もしかしてコロナ禍の影響でまともな商売が行き詰まっているせいなのかしらん。まったく気詰まりな話である。

 

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2021年3月 6日

商品の分類がメチャクチャな書店

もう呆れてしまっているので、しっかりと店名を出してしまうが、茨城県の「イオンタウン守谷」というショッピング・センターの 2階にある "LIBRO" という書店である。この店の雑誌売り場の商品分類がメチャクチャなのだ。

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「パソコン・スマートフォン」という表示の下に、野球、ゴルフなどのスポーツ関係の雑誌が堂々と並び、その隣の「パソコン」という表示の下には、キャンプ、釣り、サイクリングといったアウトドア・スポーツの雑誌が並んでいる。

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さらにその隣の旅行ガイド関連のコーナーでは、「海外ガイドブック」という表示の下に「日本の名城」だの「絶景城めぐり」だの「皇居をあるく」だのがしっかりと並ぶ。そしてこの写真のほかにも、「こりゃ、一体何じゃ?」という表示が数カ所ある。

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実はこのメチャクチャさ加減については、去年の初め(あるいはもっと前だったかな?)頃から気付いていたが、当然「そのうち修正されるだろう」と思っていた。ところが 1年以上にもわたってそのままなのである。よくまあ、これで店員が自分で気持ち悪くならずに済んでいるものだと思ってしまう。

こうした書籍の分類に関しては、多くの書店で「ビミョーなズレ」みたいなことはよく見られるし、私としてもその程度のことでイチャモンをつけようという気にはならない。しかしここまでの素っ頓狂が、1年以上にわたって放置プレイとなると、いくら何でも呆れてしまう。

というわけで、ここまで来ると「善処を求める」なんていうのも馬鹿馬鹿しくなって、「もう、ブログのネタに困ることがあったら晒させてもらうもんね」と、スマホで撮影しておいたのだった。

以上。

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2021年3月 5日

ライオン対バッファロー

実は私は、幼い頃からアフリカ辺りの野生生物の映画を見るのが大好きだった。今でも時々、YouTube でそんなような動画を見て心躍らせたりしている。

このタイプの動画の見ものは、ライオンや豹などの肉食動物のハンティングである。私も昔はライオンがバッファローなどに襲いかかり、倒してしまうのを見て興奮していたが、最近はちょっと変わってきてしまった。自分が肉食を絶ったせいか、どうしても草食動物の方に肩入れしてしまうのである。

上動画などを見ても、平和に草を食んでいるバッファローの群れを襲うライオンについ反感をもってしまい、バッファローの反撃に遭って逆に逃げ惑ったりする場面で、「いいぞ、バッファロー!」などと拍手を送りたくなったりする。

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さらにこの瞬間(ビデオ開始から Ⅰ分 5秒後)のように、角を振りたてたバッファローがライオンを軽々と空中にはね上げたりしてしまうと、「やるじゃないか、バッファロー!」なんて大喜びしてしまうのである。実は 1 対 1 になればライオンよりも体の大きいバッファローの方が強かったりするのだ。

こちらの動画では、開始後 4分 50秒後ぐらいから、ライオンがバッファローに小気味よいほど無茶苦茶にやられてボロボロになってしまうところが見られる。バッファロー、なかなかやるのである。

ちょっとムカつくのは、1 対 1 だと敵わないくせに、ライオンってやつは群れを組んで(この群れを「プライド」と言う)大型草食動物を襲うことだ。1 対 1 ではキリンにも蹴散らされたりするくせに、群れの力で倒してしまうのである。

ライオンというのは「社会生活を営む唯一のネコ科動物」と言われ、徒党を組んで狩りをする。こうなると、基本的に独力で狩りをする一匹狼(いや、一匹豹?)のヒョウの方がずっと潔いなんて思ってしまったりする。「百獣の王」なんて言われているが、ライオン、実は案外ダサい。

それにしても肉食獣を見ると、「何とまあ、因果なことだ」と思うのだよね。「お前らもバッファローやシマウマやレイヨウみたいにのんびりと草を食って生きれば、そんなに苦労して他の動物を殺してまで食う必要なんてなくなるのに」

そこら中に生えている草を食うのと比べると、他の動物を襲って倒して食うというのはものすごく手間がかかって効率の悪い作業である。何しろ草は逃げないが、動物は逃げたり抵抗したりするからね。逃げない草を見過ごして、強いて逃げる動物を食うという選択は、不合理そのものに思える。

ところがライオンなどの肉食獣というのは、草を食って生き延びることができないらしいのだ。彼らの口の中には、肉を切り裂くための鋭い牙はあっても、草を磨り潰して消化しやすくするための臼歯がないので、肉を食うしかないというのである。

何という不自由な体の構造なのだ。まったくもって因果なことと言うほかない。

とはいえ肉食獣も、自然のサイクルの中では重要な一定の役割を果たしているのだろう。ただ、それは甚だご苦労で損な役どころというしかないようなのだ。気の毒に。

 

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2021年3月 4日

「チン」した餅は、喉に詰まりやすい気がするんだが

弥生 3月にもなってから正月三が日の話をするという寝ぼけ具合で恐縮だが、毎年、三が日には老人が餅をのどに詰まらせて死亡するというニュースが多い。今年も東京都内で高齢者 14人が病院に搬送され、このうち 3人が死亡したと伝えられている(参照)。

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毎年「高齢者は、若い頃みたいに餅をワシワシ食っちゃいけないよね」なんて他人事(注)のように妻と話していたが、ふと「ありゃ、俺たちだってもう立派な『高齢者』じゃん!」と、決して他人事じゃなくなっていることに気付いた。そう言えば確かに近頃、餅をワシワシ食うのが少々しんどくなってきた。

ただ、負け惜しみを言うようだが、このしんどさは年のせいばかりじゃないと思う。というのは、電子レンジでチンした餅を食うのはしんどいが、オーブンで焼いた餅は平気で食えるのだ。

正月前に買った餅は全部食い終わるのにいつも 2月の終わりか 3月初めまでかかり、その餅を焼くのは大抵私の役割である。そして最近は妻が「水を少しだけ入れた器に餅を入れてチンすると、おいしくできる(参照)って聞いたわよ」というので、疑うことなくそれに従っていた。

このやり方だと、確かに手軽だ。多くのウェブページでも、電子レンジだと短時間で手軽に「つきたてのお餅のようにもっちもち」になると紹介されている。ただ分量によっては、「もっちもち」というより「ねっとり」になってしまうことがあり、秒数の設定がなかなかビミョーだ。

「ねっとり」になってしまっても餅は餅だから、そんなものだと思って食えばおいしく食えるのだが、ただ一つだけ問題がある。それは粘度が高過ぎて、口の奥、食道の入り口あたりにネバり付いてしまい、かなり飲み込みにくくなるということだ。

そう言えば、「つきたての餅」というのはかなり「ねっとり」していて、両端をつまんで引っ張るとちぎれないほどビローンと延びる。その意味では、「もっちもち」と言うと聞こえがいいが、それは「ねっとり」の別の言い方に過ぎないんじゃないかという気までしてくる。

つまり電子レンジでチンした餅というのは「つきたてのもっちもち=ねっとり」に近くなって、少々飲み込みにくい気がするのだよね。汁物と一緒でないと、目を白黒させてしまうことが時々あったりする。

何しろ私は、以前このブログにも書いたように早食い(参照)なもので、「こりゃ、下手すると『うっ!』なんてうめいて、白目剥いて救急車呼んでもらうことになりかねないな」と、マジに恐れていた。同じ死ぬのでも窒息死はさぞかし苦しかろうから、できることなら別の死に方をしたいものだ。

そんなある日、その日に限ってたまたまオーブンで餅を焼いてみた。するとやや時間はかかるものの、薄っすらと焦げ目のついた香ばしいまでの焼き上がりになり、粘りも適度なので何の問題もなく食えるではないか。「これでこそ『餅』ってもんだよね!」と、今さらながら感動してしまったね。

餅はチンすると、手軽に一見おいしそうな「もっちもち=ねっとり」状態になる。それは確かなことだ。しかし私としては、とくに高齢者には「餅をチンして食う」のはオススメしない。餅はやっぱり直火で「焼く」に限る。何しろ香ばしいし、喉に詰まるリスクも減るからね。

とはいえ直火で焼いた餅でも、やっぱり若い頃のような「ワシワシ食い」はしないようにしている。電子レンジのない昔から、餅で死ぬ者は後を絶たないわけだし。

【注】

「他人事」の読みは「たにんごと」ではなく「ひとごと」でお願いしたいので、そのあたり...

Yoroshiku4

 

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2021年3月 3日

「刺身の食卓への出し方」と「結婚した意味」

Kana さんという方が、刺身を食卓に出すということに関して、とても真っ当な tweet をしておいでだ(参照)。

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上の画像の tweet をテキストでコピペさせていただくと、こういう内容だ。

今日テレビで、お刺身をパックのまま出したら旦那さんに「刺身はお皿に出してほしい。結婚した意味がない」と言われた人がおり、パックのまま派とお皿に出す派の声を紹介していたんだけど、問題はそこじゃなくてそんなにお皿に出したければ自分で出せってことだと思うなどした。

もし同じ番組を見ていたら、番組が「パックのまま派とお皿に出す派の声を紹介」という流れに移ったという時点で、私も「違う、 そういう問題じゃない!」と声をあげたくなったと思う。

ところが Twitter のスレッドを見ても「お皿に盛った方がおいしそうに見える」とか「最近はパックもおいしそうに盛り付けてある」とか「一手間かける愛情が大切」とかいう視点から、いろいろな反応が寄せられている。「そういう文脈じゃないんだけど」と言うしかない。

このケースの問題を明確にするためのポイントを太字で表示するとしたら、それは夫の「結婚した意味がない」という言葉だろう。要するに「どっちの方がおいしく見えるか」なんてノー天気な話にもっていくようなケースじゃないのである。

私は妻に対して、そんなことは絶対に言わない。誤解されたら不本意なので断っておくが、それは妻に気を使っているというより、そんな馬鹿なことを言ったら、むしろこちらの方が不愉快になってしまうからというだけのことだ。

夫が「刺身を皿に盛られた状態」で食べたいと考えるのは、十分「あり」だろう。ただ、妻がそれを面倒と感じ、「パックのままで十分じゃん」ということなら、夫が一方的に「皿に出してほしい」と要求するのは「わがまま」というもので、さっさと自分でやればいいだけの話である。

自分でやるという発想がなく、妻がやらないなら「結婚した意味がない」とまで言うのは、それは「わがまま」よりヒドい「了見違い」というものだ。繰り返すが、それは「どちらの方がおいしく食べられるか」という話ではないし、「一手間かける妻の愛情表現」とかいう次元の話でもない。

ちなみに「一手間かけた愛情表現」というものを妻が選択し、自らもそれでハッピーだというなら、それはそれで OK だ。しかし、夫の方で「妻なんだから、それぐらいして当然」ぐらいにしか受け取らないとしたら、その「OK」は半分以下の価値にとどまる。

番組の流れが「パックのまま派とお皿に出す派の声の紹介」の方に行ったと知った時点で、私はこの国のピンボケ具合に、ちょいとばかり絶望的なものを感じてしまったよ。そして Kana さん自身も次のように tweet しておいでだ。(参照)。

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要するに、そういうことだね。

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2021年3月 2日

「お辞儀ハンコ」とか「ZOOM の上座/下座」とか

私は「ハンコ文化」というものにまったく馴染めず、勤め人時代からデスクの引き出しに放り込んであった朱肉不要の「シャチハタ」で、ほとんどの用を足していた。押し方も「押してありゃいいんでしょ!」程度のもので、いつもかすれたり斜めになったりしていた。

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ところが世の中には、妙にハンコにこだわりたがる人がいる。自分のハンコにこだわるだけならいいのだが、そんな人にとっては私のようないい加減なやり方が許せないらしい。

「シャチハタじゃなく、ちゃんとしたハンコにしなさい」とか「きれいにまっすぐ押しなさい」なんて説教はしょっちゅうで、それどころか、「シャチハタ使ってるやつは出世できないって、知ってるか?」なんて都市伝説みたいなことまで言い出すのには参った。

そんなわけで、「ハンコはまっすぐきれいに」というのがスタンダードなのだと思っていたが、世の中には上図のような「お辞儀ハンコ」なんてものを求めるビジネス文化があるらしい。それを知ったのはちょうど 2年前ぐらいのことで、このブログにも書いている(参照)。

ただそう言えば、この類いの話はハンコだけではない。最近は ZOOM を使った会議でも余計なことを言い出すオッサンがいたりする。

ZOOM の場合、フツーはそのネット会議をセットしたホスト(主催者)の顔が一番左上になるが、これに対して「自分の顔を上座に置いて部長の顔をずっと下座にしてしまうとは、無神経にもほどがある」なんて怒り出したりするのである。

そんな余計なことを気にするよりも、まずはひっきりなしの雑音を入れないために、自分の発言しない時はマイクを確実にミュートにしてくれと言いたいところである。それに「上座」というのは「向かって右側」だから(参照)、そもそも文句を言われる筋合いじゃない。

実は 2020年 9月に、ZOOM にも参加者のビュー表示位置を固定できるという(余計なお世話的)機能が装備されてしまった(参照)。ただこの新機能の本来の意義は日本流の「上座/下座」文化の要請に対応したものではなく、司会者や主要発言者の位置をわかりやすくするためということだ。

ありがたいことに、この機能はまだ一般に知れ渡っているというわけではない。しかしそのうちおっさん連中の耳に入ったら、「きちんと上座/下座を配慮して並べ替えろ」なんてことをしつこく言い出すに決まっている。

そうした連中が定年でいなくなるのは間近だから、それまでは知らん顔で「これは仕様で、仕方ないんです」と、トボけていたいところだ。(私はフリーとして、定年過ぎてもウロウロ出入りしているんだけどね)

 

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2021年3月 1日

絶対音感があっても音痴の人がいる

先日、ラジオを聞きながら高速道路上を運転している時に、「絶対音感があるのに、あまつさえピアノは超絶うまいのに、歌うとモロに音痴」という人物の弾き語り実演を聞いて思わず運転席からずり落ちそうになり、マジにいのちの危険を感じてスピードを落としてしまった。

聞いていたのは TBS ラジオの「赤江珠緒のたまむすび」という番組で、そのコーナーのテーマは「絶対音感を持ってる人は、もれなく音楽の才能があるのか !? 」というもの。登場したゲストは元アイドルであるらしい山口めろんという女性だった。

彼女は日大芸術学部音楽科ピアノコース出身で、ヤマハ・ヤングピアノコンテスト金賞受賞という輝かしい経歴があるという。

このくらいになると「絶対音感がある」なんて当たり前で、取り立てて言うほど特別なことじゃない。彼女自身も「ピアノをずっとやっていると、『ド』の音が『ど〜』に、『レ』の音が『れ〜」に聞こえるなんて、あまりにも当たり前すぎて、子どもの頃はみんなそうなんだと思ってました」と言うほどだ。

ただ、彼女はスタジオに持ち込んだ簡易キーボードで「ド」の音を出しながら、それに合わせて(いるつもりで)「ど〜」と言うのだが、何だか「そこはかとない以上」の違和感がある。キーボードで出す「ド」が本日只今の「ド」なら、彼女の「ど〜」は、アサッテの世界あたりから聞こえてくるのだ。

そしていよいよ実際に弾き語りをさせてみると、スタジオ内の雰囲気が一瞬にして崩壊する。その様子は上述の番組ページの写真で確認できるし、実際の彼女の弾き語りの案配も、上の YouTube 動画で聞ける(視聴注意)。

あまりにも音痴過ぎて、初めはふざけてわざとやっているのかと思ったほどだが、実際は歌がまともに歌える人が音痴の真似をするのは結構難しい。どうやら彼女はピアノは超絶技巧だが、歌わせるとナチュラルで「ド音痴」のようなのだ。

ピアノも歌も両方まともにイケるという人が案外少ないことは、私としても経験的に知っている。ピアノの先生をしているような人でも、歌わせると「う〜ん、ちょっとね・・・」という人は、はっきり言ってかなり多いし。

ただ、ここまで落差の大きい人間がいるというのは、この歳になって初めて知った。彼女の場合、耳で聞いて苦もなく当たり前にわかる音程と、自分が出す音程の認知は、ほとんどリンクしないみたいなのである。器楽と声楽では使う筋肉がよっぽど違うのだね。

ちなみに私の場合、「やたら中途半端な絶対音感」を持っている。「レ」と「ソ」の音(音名で言えば D と G の音)なら、聞けば一発でわかるし、その他の音もそこから辿って認識できる。

例えば「ファ」の音を聞いたら、自分が体の中に持っている「レ」の音から「レ、ミ・・・」と辿って合わせて行き、0.5秒で「ファ」とわかる。さらにそこから自分の持っている「ソ」にするっと上がれれば、「うん、間違いない!」と確信できるというわけだ。

この程度で「絶対音感」と言うのはちゃんちゃらおかしいだろうが、まともに絶対音感をもっている人がどんな感じなのかは、なんとなくわかる。「体の中にあるんで、わかっちゃうんだよね」というほかないのだろう。

「レ」と「ソ」の音だけ一発でわかるのはどういうことなんだろうと、今さらのように考えてみて、中学生の頃から始めたギターのおかげなんじゃないかと思い当たった。

私の場合、ギターのチューニングは最初にピアノなどの絶対的な音程に合わせて第4弦の「レ」と第3弦 の「ソ」を決める。そして、それを基にして、両隣の 2弦ずつは相対音感で合わせて行く。この作業を長年繰り返しているうちに、「レ」と「ソ」だけはしっかりと体に入ってしまったようなのだ。

幼い頃からずっとまともにピアノをやってきた人なら、12音階すべてが自然に体に入っているのだろうね。ただ、それを自分の声で出せるかどうかというのは、また別のお話のようなのだが。

 

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