中津川の落とし前、ほぼ半世紀ぶりに付ける
飛騨高山での 2日目は、午前 9時頃から「高山陣屋」を見学。その後すぐに高山を後にして中津川市に向かった。目指すは 1971年まで「中津川フォークジャンボリー」の開かれていた、あの中津川市坂下の椛の湖畔である。
実は、今回の旅は、一度も訪れたことのなかった飛騨の国の地を踏むということのほかに、もう一つ大きな目的があった。それは中津川の地を訪れて、1971年夏に酷い形で突然幕を閉じてしまった中津川フォークジャンボリーの、「個人的落とし前」を付けるということだったのである。
中津川フォークジャンボリーについては、長くなるので詳しい説明は避ける。知りたければ、Wikipedia のこのページを参照されたい。
このイベントは多分、1970年に開催された第 2回目が最高だったんだろうと思う(Youtube でみることができる)。当時私は山形県の庄内で高校 3年生だった。そして翌年、大学生になった最初の夏休み、意気揚々とギターを担いで中津川に向かったのである。
会場に着いて、サブステージ 3日目への出演手続きを済ませ(当時私はアマチュア・シンガー・ソングライターの端くれだったのだ)、プロのメインステージに熱狂していたのだが、2日目の夜、フォークゲリラによってステージが乗っ取られ、ステージ上では愚にも付かない政治的議論が始まってしまった。
私は自分の出番が消えてしまったので、完全に拍子抜けしてしまい、3日目の朝にさっさと中津川を去った。そしてそのままギターを担いでしばらく京都と大阪を放浪して、ヨレヨレになって故郷に帰ったのだった。
あれからというもの、中津川を訪れる機会なんてまったくなく、私としては 1971年の落とし前の付いていない中途半端な気分をずっと心の底に沈ませていたのである。そして今日、ほぼ半世紀ぶりに花の湖畔を訪れてみると、そこはオートキャンプ場になっていたが、キャンパーの姿はまったくなかった。
ガランとした中でクルマを停め、歩いて行くと、当時のステージが半世紀経った今でも残っているのに驚いた。昨日のようなぐずついた天気だと心が沈んでしまうところだったが、幸か不幸か晴れていたので、思いっきり歩き回った。
そして帰り際に iPhone で岡林信康の『友よ』を流し、一緒に小さな声で歌っているうちに、確実に「うむ、これで気が晴れた。心が軽くなった」という気がした。敢えてわざわざ来た甲斐があったというものである。
というわけで、半世紀ぶりの落とし前が付き、新しい気持ちで生まれ変わることができたというわけだ。明日はつくばの地に帰る。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- パリの人たちって、ウンコ強いよね(2024.08.05)
- 「がっこ」が美味しそうでたまらない(2024.07.23)
- 京都の「オーバーツーリズム問題」を考えてみる(2024.06.09)
- 新潟に移動して、庄内のポスターを見る(2024.06.06)
- 東京とマニラの違法建築、スケールが違いすぎる!(2024.06.05)
コメント
中津川フォークジャンボリー、懐かしいですね。
学生時代に顔を出していたデザイン会社の先輩デザイナー達と、
第3回の土日に行きました。
中津川には、木工職人他、知人がいます。
あの広場ではゴールデンウィークに
木工市(手作り市だったかも…)をやってましたが、
今はもうやってないかな。
投稿: さくら | 2021年3月18日 17:17
さくら さん:
なんと、さくらさんもあの場にいらしたんですね。
中津川というところはなかなか趣のあるところだと思いました。機会があればゆっくり再訪したいです。
投稿: tak | 2021年3月20日 09:24