« 2021年3月 | トップページ | 2021年5月 »

2021年4月に作成された投稿

2021年4月30日

梅雨と台風シーズンを前に意識しておくべき情報

東洋経済 ONLINE に "4月に猛烈台風が生まれた今年、警戒すべきこと" という気になる記事がある。"発信始まる「線状降水帯に関する情報」に注目" というサブタイトル付きだ。4月 14日に発生して猛烈な勢力にまで発達した台風 2号の話から始まっている。

210430

コロナ禍のニュースの影に隠れてあまり目立たなかったが、台風 2号は 4月に発生した台風としては 895hPa という統計史上最も低い気圧を観測したのだそうだ。900hPa を下回る気圧を観測したのは、2016年以来 5年ぶりというのだからすごい。

台風がここまで発達したのは、日本近海の海水温が高くなっているからだという。確かに 3月は桜の満開も早すぎたし、「もう初夏なんじゃないの?」と言いたくなるほど暖かい日が続いた。4月になって多少揺り戻しがあったとはいえ、やはり温暖化を切実に感じる。

この記事によれば、日本近海の昨年までの約 100年間の海面水温の上昇率は世界の約 2倍となっているのだそうだ。それはただ事ではない。台風が猛烈に発達してしまうだけではなく、梅雨の大雨も問題になっている。昨年 7月の九州での豪雨被害は記憶に新しい。

我が家の周辺は最近は治水が進んで洪水被害が出なくなったが、10年ぐらい前までは、年に 2〜3回は道路が浸水してクルマが通行できなくなるほどの被害が出ていたし、20年以上前のことだが床下浸水にまでなったこともある。それだけに豪雨被害というのは他人事とは思えない。

気象庁では今年の梅雨時期から「線状降水帯に関する情報」というのを発表する予定になっているらしい。最近、大雨による洪水被害が出る度に「線状降水帯」という言葉が聞かれるようになったので、これは覚えておいていい情報だろう。

2104302

既に「洪水キキクル」という情報発表はスタートしているらしいから、これもしっかり意識しておこうと思う。

去年は台風が多く発生した割には日本への上陸がほとんどなかったが、今年になってその分まで上陸しまくられたら敵わない。海水温上昇を抑えるために環境対策をしなければならないのは当然だが、とりあえず今年の梅雨や台風シーズンを前に、しっかりと心構えだけでもしておこう。

 

| | コメント (0)

2021年4月29日

「大型連休」という言い方が定番になったようで

例年なら「ゴールデンウィーク」と称される期間が始まったが、ラジオを聞いていると「今日から始まった大型連休」といういう言い方が繰り返されている。

210429

「今年は『ゴールデンウイーク』という言葉が聞かれないね」と呟くと、妻が「この時節に、そんなノー天気な言い方できないでしょ。ちっともゴールデンじゃないもの」と言う。なるほど、コロナ禍のせいで連休も色褪せてしまったわけだ。

ちなみに「ゴールデンウイーク」という言い方は映画業界の宣伝文句だったので NHK では使われないという、まことしやかな話がある。元々は戦後の混乱が収まりかけて映画が娯楽の王様だった頃に、大映のエラい人の言い始めた造語だというのである(参照)。

ただそれはどうもビミョーな話みたいで、映画業界から出た言葉というのは確かだが、だから使えないというのは決定的な理由ではない。NHK が特定業界の言い出したプロモーショナルな言葉を使えないというなら、「スマートフォン」や「アニメ」だって使えないだろう。

NHK も当初は「ゴールデンウイーク」という言葉を使わないではなかったようだが、1970年代頃から世の中が世知辛くなり、使いにくい言葉になったというのである。NHK 放送文化研究所のページに、次のようにある(参照)。

1970年代の「石油ショック」以降、「のんきに何日も休んではいられないのに、なにがゴールデンウイークだ」といった電話が放送局に何本もかかってくるなど抵抗感を示す人が目立ってきました。また、「外来語・カタカナ語はできるだけ避けたい」「長すぎて表記の際に困る」など、放送の制作現場の声もありました。

世の中には、どうでもよさそうなことで放送局にクレーム電話を入れるたがる人が、少なからずいるからね。さらに、連休が 1週間以上に及ぶことが多くなったので、「ウィーク」という言い方がそぐわなくなったなんていうことも、使わなくなった理由として挙げられている。

大きな問題はスルーして些細なことは妙に気にするという NHK の体質は、こんなところにも現れている。

ちなみに、上の写真で示した下野新聞の記事では、栃木県の矢板市長が「大型連休は市内で!」というプラカードみたいなものを掲げているが、見出しは「GW 外出自粛要請」という表現になっている。「ゴールデン」という表現をビミョーに避けつつ 2文字分節約しているわけだ。

クレーム電話を避けるためだか何だか知らないが、いろいろな手があるものである。

なお、市長の後ろに見えているのが気になったので調べてみると、無限大マークみたいなのが「四方八方絶景三昧 八方ヶ原」というところの観光宣伝ポスターで、マンガみたいなのは「ともなりくん」という矢板市のマスコットキャラクターであるらしい。

矢板市は市内に絶景スポットがあるようで、これなら市外に出なくてもいいよね。

 

| | コメント (0)

2021年4月28日

「生花」の読みで悩む人が、そんなに多いのかなあ?

ここ数年、私のブログでいつもアクセス上位にランクされるのが、"「生花」と書いて「せいか」と読むか「なまばな」と読むか" という記事だ。ここ 2〜3日はサイドバーに表示される「人気記事ランキング」で 1位の座をずっとキープしている。

210428 

とはいえ書いた当人が言うのもなんだが、「こんな記事、どうしてそんなに頻繁にアクセスされるのかあ?」と、いつも疑問に思ってしまうのである。だってこんなのかなり軽い話で、大した問題じゃないからね。

私としてはこれまで、「生花 なまばな」というキーワードでググって来てくれる人が多いのだと思っていた。「なまばな」という言い方をたまたま聞いた人が、「そりゃ何だ? 食べ物じゃあるまいし! そんな言い方ってフツーにあるのか調べてみるか」なんて思った結果と想像していたのである。

ところがその想像は、どうやら「ハズレ」のようなのだ。というのは、試しに「生花 読み方」という 2つのキーワードでググってみたところ、私の記事は 5番目にランクされているが、「生花 なまばな」というキーワードだと、私の記事はずっと下位になり、辿る気も失せてしまうほどだからである。

ということは、アクセスの多くは ”「生花」という言葉の読み方” そのものを調べてみようとした結果なのだろう。

実際のところ、最近よく使われるのは、芸事の「生け花」が大勢で、稀に葬式の場面で「生花(せいか)」が使われるぐらいのものだと思う。私としては「なまばな」なんていう言い方は、ここ 10年以上聞いたことがない。

もしかしたら最近は、多くの人が「生け花」という言葉に馴染んで、「生花」という言い方に違和感を覚えるのではないかと思い当たった。それでついググってみたくなったというのは、十分に「あり」で、案外これが正解なのかもしれない。

ちなみに「読み方」に関する検索結果で私より上位の記事はいずれも、「どう読むのが正しいか」という視点から入って、結局のところ、いろいろな読み方があるという結論に落ちつかせている。これって、私から見るとちょっと意外な考え方だ。

というのは、私の記事のトーンは「どの読み方もありだけど、時代とともに『せいか』が有力になっちゃったよね」ということだからである。言葉の捉え方では、最初の視点からしていろいろあるようなのだね。

 

| | コメント (0)

2021年4月27日

スマホでココログの PC 画面を表示させるには

いつの頃からか当ブログ(に限らず、ココログのブログすべて)をスマホで閲覧する場合、いわゆる「モバイル画面」の表示がデフォルトになってしまった。以前は、下の方に「PC 表示に切り替える」みたいなメニューが表示される仕様だったが、それすら消えてしまって久しい。

2104272

上の画像の左は、スマホで当ブログのトップページを表示させたところで、真ん中はその最新記事をタップして表示させたところである。そして右は PC 表示させたもの。

モバイル画面では、せっかくのタイトル・バナー(最上部の画像)もサイドバーも表示されず、貧相な印象になるし、記事に付けられたコメントも妙に下の方の見にくい配置になる。私としては基本的に PC 画面を想定してブログをデザインしているのだから、できれば PC 表示で見ていただきたいものだ。

ところが最近のココログは、PC 表示に切り替えようとしても、どう操作したらいいのかわかりづらい仕様になってしまった。それはもう、「底意地の悪さ」さえ感じるほどである。

そこで本日は、スマホでも PC 版の表示を見るにはどうすればいいか、解説してみたい。

  • iPhone でブラウザに Safari を使用している場合

    アドレスバーの左端 "ぁあ" あるいは "aA" と表示されている部分をタップすると、下のようなメニューが表示される。この中の「デスクトップ用Webサイトを表示」をタップすれば、PC 表示画面が現れる。

    2104276b
    この手順というのは、直感的操作ではなかなか発見できないから、かなり不親切な仕様だよね。
  • iPhone で Google を使用、あるいは Android スマホの場合

    私は Andoroid スマホを使ったことがないので保証の限りではないが、iPhone の Google の場合は、アドレスバーの右端の、アップロード用上向き矢印をタップする。多分 Android でも同様だと思う。(違ってたらごめん)

    20210424-235957
    すると以下のようなメニューが出てくるので、「PC版サイトをリクエスト」をタップする。これで OK。

    20210424-235824珍しく、iPhone の Safari の操作よりも、Android 系 の方が直感的に辿り着きやすい操作になっている。iPhone でも、いつも Google を使っている人ならそれほど戸惑わずにこの操作をしていたかもしれない。

PC 表示だと文字が小さくなって読みづらいという人もいるが、スマホを横にすれば拡大表示されるので、かなり読みやすい。少なくとも貧相なモバイル表示より味わいが出てくる。

いずれにしても、ココログさん、かなり不親切な仕様にしてしまったものである。願わくは、PC 画面をデフォルトにして、何らかのちょっとした操作をすることで「モバイル画面」に切り替えることができるぐらいにしてもらいたいものだ。

 

| | コメント (0)

2021年4月26日

ワイヤレス・イヤフォンというもの

妻が小さなケースから何かを取り出している。コンタクトレンズかと思っていたら、そうではなく小さな黒いいかたまり 2個で、それをおもむろに両耳に差し込むので驚いた。

2104261

「それ、イヤフォンだったの? 何かと思ったよ」
「ワイヤレス・イヤフォンよ。コード付きのは耳から外れやすかったんだけど、これは私の耳にぴったりなの。値段もリーズナブルだったし、オススメよ」

うぅむ、確かによさそうだが、私のようなうっかり者がそんな小さなものを持ち歩いたら、3日でどこかに落っことしてなくしてしまいそうで心配だ。

2104262

ちなみに私が今使っているのは、上のようなしっかりとコードの付いたものだ。左の白い方(コード部分がかなり変色してしまってるが)が持ち歩き用で、右の黒いのはデスクトップの iMac 用だ。

黒い方はコードが巻き取り式なので、下のように iMac の裏のイヤフォン・ジャックに差し込んだままぶら下げておける。使う時にはひょいと引っ張るとコードが延び、使い終わったらすっと巻き取られるので、どこまに紛れ込んでしまうこともなく、とても便利だ。これをワイヤレスに変える気には全然ならない。

2104263

問題は持ち歩き用だが、確かに長いコードが絡まりやすいので、ワイヤレスなら便利かもしれない。さらに出先で iPhone を使って ZOOM のネット会議なんかに参加する時に、バッテリー上がりを防ぐために充電しながら、同時にイヤフォンが使えるというのはメリットだろう。

しかし前述の如く、小さすぎてどこかになくしてしまうのが心配だ。それでちょっとネット上で探してみると、完全ワイヤレス型以外のタイプがあるとわかった。

2104264

左が「左右一体型」、右が「ネックバンド型」というらしい。これなら、片方だけなくしてしまうということもないだろう(なくすとしたら、両方一度になくすしかない)が、選ぶなら、せっかくなのでコンパクトに収納できる左右一体型の方が有力だ。

とはいうものの、決して必要に迫られているわけでもないので、よほど気が向いたら店頭で実物を見ながら検討してみることにしようと思う。

 

| | コメント (0)

2021年4月25日

人の少ないところに出かけたい

今日から東京、大阪などの 4都府県に緊急事態宣言が出されたが、昨日の NHK ニュースでは「遊園地には多くの人」と報じられていた(参照)。浅草花屋敷では今日からの休園を前に、駆け込みで訪れた人が多かったようだ(参照)。

2104250

昨日の当ブログの記事で、屋外でのマスク着用は人混みの中でなければ必要ないようだと書いた(参照)が、遊園地は基本的に屋外とはいえ人も多いし、乗り物などの手すりにつかまったりもするから別だろう。敢えてこの時期に子ども連れで行くなんて、ずいぶん命知らずなことだ。

「不要不急の外出は控える」ことが求められているが、かといって、あまり家の中に閉じこもりきりだとフラストレーションがたまる。どこかに出かけたくなる気持ちはわからないじゃないが、その出かける先が百貨店や遊園地の人混みというのは考え物だ。

フリーランスの私にとっては大型連休なんてあまり関係ないので、来月の第 2週以後に人出が一段落したら、どこか人の少ない自然豊かなところに出かけたいと思っている。

人混みは元々好きじゃないのだが、今回のコロナ騒ぎ以降、ますます敬遠したい気持ちが強くなった。今月 11日は本当に久しぶりに福岡に出張したが、敢えてあちこち寄り道をせずに、さっと行ってさっと帰ってきた。出張先がもっと田舎だったらゆっくりしてきたところだが。

そんなわけで、来月は「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のサイクリングとか、いろいろ計画している。このサイクリングロードは、筑波山のヒルクライム・コースなどもあって、かなりしんどいほどに楽しめそうだ。

2104252

 

| | コメント (2)

2021年4月24日

屋外でのマスク着用は必要なのか?

コロナ禍が終息しないまま暑い夏に向かう中、「屋外でのマスク着用は必要なのか?」ということが気になる。自分自身のことを言えば、私は郊外というより、むしろ田舎と言った方がいい地域に住んでいるので、普段近所を歩く時にはマスクなんかしないが、人の多い所では着用している。

210424

この問題について CNN ニュースの本日付「屋外でのマスク、まだ必要? 専門家が答える」は、次のように報じている。

CNN で医療ニュースを担当するサンジェイ・グプタ医師は 22日、番組内でこの疑問に触れ、ワクチンを接種しているのであれば「ほとんどの場合において、屋外でマスクを着ける必要はない」と述べた。

問題は、これが米国内で「ワクチンを接種しているのであれば」という条件付きの回答ということだ。何しろ我が国では今のところ、多くの人がワクチン未接種なのだから。

記事では、屋外でマスク着用の必要がないのは「ウイルス感染の多くは屋外では起こらない」からとして、次のように書かれている。

感染症の学術誌に昨年 11月掲載された報告によると、ウイルスに感染する可能性は屋内の方が屋外よりも 18.7倍高くなる。また調査対象とした新型コロナの感染のうち、屋外で起きたものは 10%に満たなかったという。

米疾病対策センター(CDC)の現行の指針でも、「周囲に人がいない状況もしくは家で一緒に過ごしている人の近くであれば」マスクは屋外では必要ないかもしれないと明記している。ワクチン接種者に関する具体的な記述はない。

「必要ないかもしれないと明記している」という、やや曖昧なレトリックに少々不満が残るが、この部分、元ネタの "Do we still need to wear a mask outdoors?" にも次のようにあってほとんど直訳。ちょっとした逃げ道が用意されているみたいなのだ。

Current guidance from the US Centers for Disease Control and Prevention makes it clear masks might not be needed outside.

さらに読み進むと、要するに、ワクチン接種済みか、もし感染したら重症化しやすい部類に属しているか、地域の感染状況はどうか、周囲にどれくらい人がいるかなど、総合的な判断が必要にはなるが、ざっと言ってしまえば、「周囲に人がまばらな屋外ならば、マスクはしなくていい」と考えてよさそうだ。

というわけで私の場合は、冒頭に書いた現状の対応でほぼ問題ないだろう。郊外のサイクリング・ロードで自転車を走らせる時などにマスクなんかしていたら、熱中症のリスクの方が高くなりそうだしね。

冒頭に掲げたマスク着用でのランニング写真なんて、モデルの女性が気の毒になってしまう。

 

| | コメント (0)

2021年4月23日

ユニークだが、一般受けしない発想

一昨日付の "「女王」の読み「じょおう/じょうおう」のまとめ" という記事に、乙痴庵さんから耳寄りな情報がコメントとして寄せられた。CBC ラジオの「つボイノリオの聞けば聞くほど」という番組の中で、私のメインサイトの中のページが紹介されていたというのである。

2104232

この放送の録音は、Radiko タイムフリーの こちら のページで聞くことができる(聴取期限が明日の 11時 22分で、それ以後は聞けなくなってしまうのだが)。内容は、私のサイトの「なぜソーセージをそのまま食ってしまわなかったのだ !?」というページの紹介だ。

この番組的な成り行きとしては、「流れ星に願いを言うのは、宇宙ステーションでも叶うのか?」というような話から、私のページの「三つの願い」に飛んで来たらしい。あの有名なシャルル・ペローの童話の話だ。

この童話では、老夫婦が三つの願いを叶えてもらえるようになり、ばあさんの一つめの願いによって出現したソーセージが、怒った爺さんの「鼻にくっついてしまえ!」という暴言のために、本当にくっついてしまった、そして仕方なく、三つめの願いを使ってそれを取ったということになっている。

幼稚園時代の幼い私はこの話を聞いて、三つめの願いをそんな馬鹿なことに使ったのは本当にもったいないと、夜も眠れないほど口惜しい思いをした。「婆さんの鼻に付いたソーセージをそのまま食ってしまえば、三つめの願いをほかのことに使えたじゃないか!」と、地団駄踏んだのである。

ただこの記事では、この天啓のような発想を幼稚園の先生や友達に話したのだが、まったくウケなかったと書いている。私は幼い頃から、ちょっと変わった考え方をしてしまう子どもだったようなのだ。

そしてこれをきっかけに私は、誰も気付かなかったようなユニークな発想の転換というのは結局のところ一般受けしないものだと、幼心に悟ったのだった。そして年を追うごとに、「自分はメジャーな世界ではなく、狭いマイナーな世界で生きていくしかない」との思いを強くしてしまったのである。

ただ、こんな一般受けしない話を取り上げてくれたつボイノリオさんには、感謝である。

| | コメント (0)

2021年4月22日

「数珠ブレスレット」という、よくわからない世界

Twitter で「文春オンライン」の「なぜ中高年男性は "数珠ブレスレット" を巻くのか」という書き込みを見つけた。私も一応「中高年男性」の端くれだが、今日の今日まで「数珠ブレスレット」という言葉すら知らなかった。世の中には、よくよく知らない世界ってあるものである。

210422

この記事は「知人に連れられて、富裕層が集まる怪しげな ”交流会” に参加したときのこと」という言葉で始まる。「その場にいた中高年男性のほとんどが、天然石の “数珠ブレスレット” を腕に巻いていた」というのである。なるほど、そりゃ確かに「怪しげな ”交流会”」という気がする。

ちなみにこの記事に登場する "数珠ブレスレット" の愛用者は、「橋田遼平さん(仮名・45歳・AV監督)」、「映像編集の仕事をしている園田悟さん(仮名・51歳) 」といったところだ。ふむふむ、そっちの方向にも「怪しげ」ってわけね。

この橋田さんという人の ”数珠ブレスレット” デビューのきっかけは、「とにかく女性にモテたかった」ということらしい。占い師の言う方位に引っ越し、庭にオススメのゼラニウムの木を植えた挙げ句、「さらなるモテを期待して勧められた 3万円の数珠を買いました」という。

仕事がきっかけだったという園田さんの方は、「うまくいってもいかなくても全部 “石” のせい」と思うことにし、「何があっても全部石に責任を取ってもらってます(笑)」と言う。

かなり都合のいい話だが、「最高額でも 2万円」としつつ「最終的には 10本以上になりましたね」というのだから、 ”数珠ブレスレット” 業界にはそれなりの貢献をしているわけだ。

軽い気持ちで「”数珠ブレスレット” 業界」なんて書いてしまったが、本当にそんな業界があるのかと思い、ちょっと画像検索してみたところ、実際に結構な広がりをもつようなのである(参照)。すごいなあ。

2104222

ちなみに「関連キーワード」というのに「数珠ブレスレット 芸能人」というのがあるので、試しにクリックしてみたら、海老蔵まで宣伝のダシに使われている(参照)。いやはや、まことにもって「怪しげ」だ。

というわけでこの世界、あまり縁を持ちたくないと思った次第である。

 

| | コメント (4)

2021年4月21日

「女王」の読み「じょおう/じょうおう」のまとめ

今日の昼過ぎにクルマで移動中、TBS ラジオ「赤江珠緒のたまむすび」という番組で「『女王』の読みは『じょおう』か『じょうおう』か」という話になっているのをチラリと聞いて、「ああ、またウチのページにアクセスが殺到するな」と思った。

210421

夕方に帰宅してアクセス・ログを調べると案の定、当ブログの 2005年 11月 12日付 "「女王」は「じょおう」か「じょうおう」か" というページに、13:13 から 16:18 の 3時間 5分の間に 260件のアクセスがあって、しかも 13:13 から 13:30 の間は、1分間に 10件以上のアクセスだ。

2104212

まさに 「たまむすび」で「女王の読み」の話が始まってからのアクセス集中である。ラジオの影響力はテレビに比べて低下していると言われているが、この数字をみるとラジオの聴取者数というのはまんざら捨てたもんじゃないとわかる。

私はこの 15年以上前の記事で、「女王」の読みは現代の国語辞典的には「じょおう」が公式だが、「じょうおう」と読む人がかなり多いのは、古語の発音から来ていると思われると書いている。「女王」は古語的には「ぢよわう」なのである。

「わう」の発音が後に 「をう」(「ワ行」なので「うぉう」となる)と音便化し、「女王」の場合にはその発音が先祖返り的によみがえって、「じょうおう」となってしまいやすいというのが、私の推論だ。下の図は私のメインサイト「知のヴァーリトゥード」のページに示したものである。

2104213jowo

ただ、このブログで「女王の読み」問題に触れた記事は、ほかにもう 1本あり、最初の記事のほぼ 1年後、2006年 11月 18日に、"再び、「女王」の読み方" というタイトルで書いている。

そこでは、「女房/女御」とかいう言葉では、「にょうぼう/にょうご」になることとの関連として述べている。実は「女王」という言葉は、古代においては「によわう」の読みの方が一般的だったのだ。

この「女」を「にょう」 と延ばして読みやすい身体性と、「わう」-「をう」-「うぉう」 という音便との「合わせ技」で、「女王」が「じょうおう」と読まれる「根強さ」が発揮されているのかもしれない。

というわけで、今日は「女王の読み方」のまとめである。

 

| | コメント (2)

2021年4月20日

ワクチン、オリンピック、ガールズバーの三題噺

FNN プライムオンラインによると、河野太郎規制改革相が「菅首相とファイザー社ブーラ CEO(最高経営責任者)の電話会談を通じて、同社製ワクチンの追加供給で「『実質合意』した」と明らかにしたのだそうだ(参照)。

210420

それにより「9月末までに、16歳以上の接種対象者分のワクチンが確保できる」ということらしい。まあ、これはあくまでも「見通し」だから、実際には多少の遅れがあるかもしれず、10月とか 11月とかにずれ込むこともあるだろうということぐらいは覚悟しておかなければならないだろう。

いずれにしても、遅くとも年内には国民の大部分が接種できるだけのワクチン確保ができるということだが、その接種が一応完了するのは年明けぐらいになるんじゃなかろうか。何の手も打たれないよりはいいだろうが、遅いと言えば遅すぎる。

要するに今年一杯ぐらいは、ウィルス感染の大きなリスクを背負って生きていかなければならない。ということは、夏に「開催予定」とされている東京オリンピック・パラリンピックなんて、「何それ?」ってことだ。

個人的にはオリンピックは中止しなければならないと思っているのだが、今月 15日の記事でも触れたように、そこにはやたらややこしい政治的かつ経済的事情があるようで、取りあえずは開催強行ということになりそうな雰囲気なのだ。まったく鬱陶しい話である。

というわけで、個人的にはオリンピックが終わり、ワクチン接種が一巡するまでは、できるだけおとなしく暮らしていこうと思っている。そして年が明けてからもつくばの地で、あまり浮かれずに呑気に生きていきたいものである。

今回のコロナ禍は、ノー天気に街に繰り出して飲んだり食ったり踊ったりしなくても、人間はちゃんと生きていけるということを学ばせてくれたんじゃないかと思う。

で、この三題噺のオチは、先日久しぶりに出張した(今どきのことなので、さっと行って、さっと帰ってきただけだが)博多で見つけた「ガールズバー CORONA」という店の看板パネルだ。敢えて店名変更もせずに頑張っているのだね。

2104202

これ、朝の中州で撮ったもので、私がこの店で飲んだというわけじゃないので、そのあたりくれぐれも

Yoroshiku4

| | コメント (2)

2021年4月19日

「ズーム疲れ」という新種のストレスがあるらしい

NATIONAL GEOGRAPHIC の「ビデオ会議は女性の方が疲れやすい、1万人調査」という記事を読んで、世の中には「ズーム疲れ」という新語が生まれていると知った。ZOOM を使った会議では、従来の対面の会議にはないストレスがあり、女性の方がそれを感じやすいというのである。

210419

この問題の研究チームによれば、「ズーム疲れ」の要因は 4つあるという。次のようなことだ。

  1. 非言語的な手がかりがわかりにくい。(画面では肩から上しか見えないので、ボディ・ランゲージが伝わりにくい)
  2. ビデオ会議中はウェブカメラの枠内に常に収まっていなければならないと感じ、自由に動けないことにストレスを覚える。
  3. 多くのビデオ会議アプリは、初期設定で自分の顔が表示される状態(セルフビュー)になっている。だが、そのまま自分の顔を見続けていると、「鏡不安(mirror anxiety)」に陥ることがある。
  4. 他の人々が自分のことをじっと見つめているのではないかという思いにとらわれてしまう「ハイパーゲイズ」現象がおきる。

なるほど。ただしかし、日本人は西欧人ほどボディ・ランゲージを多用しないので、1番目の問題はあまり大きくないかもしれない。ただ、2番目の「自由に動けない」というのは、確かにストレスだ。メモを取るための俯き姿勢や、ちょっと気分を変えるための「もぞもぞ動き」も、なんとなく憚られてしまう。

「それって、大きいよね!」と言いたくなったのは、ZOOM の自分の顔が常に一番目立つ左上に表示されるという設定だ。これって結構なストレスで、つい「自意識過剰」に追い込まれそうな気がする。私の場合はありがたいことに、「ハイパーゲイズ」ということにはならずに済んでいるが。

3、4番の問題に関しては、確かに女性の方が強くストレスを感じてしまうのだろう。もしかしたら、化粧の具合まで気になってしまうかもしれない。私もつい最近、「しまった、今日の髪の毛、ヒドい寝グセじゃん!」と気付いて、会議中にずっと居心地悪く感じたことがある。

ちなみに私の場合、ZOOM を使うことの不満は、多人数の会議ではなく 1 対 1 の「対話形式」の時に最も強く感じられる。リアルの対面なら相手の周囲の状況なども含めて得られる非言語的情報量が多いが、オンラインだと、ポートレイトのようなフレーム内のことしか伝わってこない。

「こいつ、表面だけ取り繕ってるな」と感じても、なかなかそれ以上ツッコみづらく、膨らみのある会話にもっていくのが難しい。オンラインというのは、不慣れという要素も大きいのかもしれないが、なかなか「ボケ/ツッコミ」の妙が成立しづらいのだ。

というわけで、事務的な「会議」なら ZOOM で十分だが、パーソナリティに至るまでの理解が必要な「対話」となると、ストレスを感じてしまうことが多い。やっぱり「リアル対面」の情報量にはかなわないよね。

 

| | コメント (0)

2021年4月18日

「たんぽぽ」は「ダンディなライオン」じゃなかった

いきなり 60年以上も前の話で恐縮だが、その昔、私の入った幼稚園というのは年少、年長組ともに 2クラスずつあって、年少が「ぼたん組/ばら組」、年長が「たんぽぽ組/ひまわり組」に分けられていた。そして私は「ぼたん組 → たんぽぽ組」と進んだのである。

2104182

このクラスのネーミングが、当時の私にとっては「小さな不満」の種になっていた。隣は「ばら → ひまわり」と、一貫してかなりぱっとしたイメージなのに、「ぼたん → たんぽぽ」というのは、花の色が似てはいるものの地味すぎじゃないか。とくに「ひまわり - たんぽぽ」の落差は大きい。

そんなわけで、「俺って、この先、大人になってもずっと日の当たらない道を歩くことになるのかもしれない」なんて、子どもらしくもない余計なことを思ったりしていたのである。

ところが、その不満が消えたのが中学生の頃だった。ラジオの深夜放送か何かで、「たんぽぽ」は英語で「ダンディ・ライオン」と言うと聞き、辞書を調べると、確かに "dandelion" とあるではないか。

「おぉ、俺、獅子座の生まれだし、『ダンディなライオン』なら『ひまわり』の "sunflower" に見劣りしないじゃん!」

ストレートに "dandylion" というスペルではないし、あんな小さな花がどうして「ライオン」なのかよくわからないが、それまでの不満はこれであっさり解消した。何て単純な中学生!

ところが長ずるに及び、改めて調べてみると、「たんぽぽ」は決して「ダンディなライオン」という意味じゃないらしいということがわかってきた。大抵は goo 辞書のごとく次のように解説されているのである(参照)。

《古フランス語で、ライオンの歯の意》西洋蒲公英 (たんぽぽ) 。

「なぬ、 『ライオンの歯』だと?『ダンディなライオン』じゃないのか?」というわけでさらに調べると、Top-biz のサイトに次のように解説されている(参照)ような、実際の話がわかってきた。

ダンデライオンという言葉は、英語では「dandelion」と表記しますが、語源となったフランス語では、「dent de lion」と表記します。(中略)

フランス語では「dent」が歯を意味し「de」は「~の」という意味になり、「ライオンの歯」という意味になります。

「なんだ、英語の "dandy" とは無関係なのか!」と、脱力してしまったのである。「デンタル・ライオン」なんて、どっかの国の歯磨きじゃあるまいし。

ただ、脱力しただけで、昔のように単純に「小さな不満」を感じるに至っていないのは、年齢を重ねるにつれて少しは大人になった証なのかもしれない。

 

| | コメント (2)

2021年4月17日

今の子どものいう「会社員」は英語で?

Quora に「会社員て英語だとなんと言いますか?employees とか? worker? 日本の子供の夢の職業とのことです」という質問がある(参照)。これ、なかなか面倒くさい質問だ。

フツーに検索すると、確かに "employees" とか "office worker" とかいう言葉が出てくる(参照)。ただ、それだけで済ませるのもなんとなく物足りない。「会社員という職業」は、妙なニュアンスを含んだもののようなのだ。

そもそもこの質問が出てきたことには、裏のストーリーがある。第一生命の毎年恒例「将来なりたい職業」という調査で、昨年は男子の小中高生、女子の中高生のトップが「会社員」だったというニュースをもとにしていると思われる(参照)。

「ユーチューバー」「サッカー選手」「IT エンジニア・プログラマー」といった定番の人気職業を抑えて、「夢がない職業の代表」みたいに思われている「会社員」がトップだったというのは、ちょっとした驚きをもって迎えられた。

それで「英語に詳しい」と自ら言う Kumi Kaoru さんは、次のように答えている。

日本の雇用システムは世界でも非常に変わっているので「会社員がいい」のニュアンスは外国語に置き替え困難です。

The Japanese kids seem to be aware that freelancing is not such a desirable career in Japan.

すなわち「フリーランスは日本ではそんなにいい進路ではないと日本の子どもたちは気づき出している様子だ」くらいにアレンジしないといろいろ誤解されてしまいます。

これ、とても気の利いた回答だと思う。「会社員」を直訳しようと試みるのではなく、日本の状況を踏まえた上で、子供たちが現実的な希望を抱くようになったのだという文脈で言い換えているのだ。

私の感覚としては、日本の子供たちが「当たり障りのないサラリーマン」になりたがっているのだという気がしている。それで思い出したのが、ハナ肇とクレイジーキャッツの 1962年(私が 10歳の年)のヒット曲「ドント節」だ。こんな歌詞である。

サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ
二日酔いでも寝ぼけていても
タイムレコーダーガチャンと押せば
どうにか格好がつくものさ
チョックラチョイとパアにはなりゃしねえ

半世紀以上も前の歌が、今の世に妙な現実感をもって共感される可能性を思うと、複雑な感慨に浸るほかないよね。

いや、待てよ、今の「会社員」は、1960年代の「サラリーマン」ほど「気楽な稼業」じゃなくなってしまっているかもしれない。何しろ「人員整理」だの「希望退職」だのいう言葉がフツーに飛び交っているようだから。

 

| | コメント (0)

2021年4月16日

ビデオ会議では「良いマイク」を使えというのだが

Gigazine に「ビデオ会議で良いマイクを使うと賢そうな印象を相手に与える」という記事がある。ふぅむ、私の場合は Mac 付属のマイクで、それほど「お馬鹿」とは思われていないようだし、他の人のマイクも特別誂えではなさそうだが、とくに不足を感じたことはないんだがなあ。

210416

記事には「ビデオ会議での会話音質は相手への印象も大きく左右すると、マーケティング調査企業の Ariyh の設立者であるトーマス・マッキンレイ氏が解説しています」とあるので、その Thomas McKinlay という人の "High quality audio makes you sound smarter" という記事に飛んでみた。

まず気付いたのは、Gigazine の記事見出しでは 「良いマイク」だが、元記事では "high quality audio" (高品質のオーディオ)であり、マイクだけに限った話じゃないということだ。その上で調査結果の数字に注目すれば、「高音質の方が多少はいい結果を得られる」というのはどうやら間違いない。

ただ、最近は仕事で何度もビデオ会議に参加している私自身の印象としては、大切なのは「良いマイク/オーディオ」なんかより「作法」なんだと思う。実際問題としてハードウェアはごくフツーで十分だが、ソフトウェアとしての「作法」次第で、与える印象は決定的なまでに左右される。

ビデオ会議の作法で最も基本的なことは、自分が発言していない時にはマイクを「オフ」にすること。ずっと「オン」のままだと、余計なノイズやエコーを拾って他の参加者をイライラさせることになり、当然にも「賢い人」とは思ってもらえない。

マッキンレイさん、元記事の洒落たタイトルからの印象通り、"sounds smart"(賢そう)な人なんだろう。とはいえ率直に言えば、マイク/オーディオへの投資だけで文字通りに "sounds smart" になるとは限らない。要するに話が「それらしい」というだけである。

そもそも自分が「良いマイク/オーディオ」に多少の金をかけても、相手のスピーカーがちゃっちかったら、違いなんてそれほどわかるものじゃない。要は双方向の話だからね。

それにビデオ会議の作法の身についていない人が下手に「良いマイク」を使ったりしたら、余計な音をさらにしっかりと拾うことになりかねない。挙げ句の果てにハウリングなんか起こしたりしたら、明らかに逆効果になってしまうので、ご注意。

 

| | コメント (4)

2021年4月15日

オリンピック開催を巡る二階幹事長の雰囲気発言

自民党の二階幹事長が東京オリンピックに関して「これ以上無理だということだったら、すぱっとやめないといけない」と言明したというニュース(参照)を知り、「おお、このおっさんと初めて意見が一致した!」と思ったのだが、どういうわけか、その日のうちに発言がコロリと変わってしまったようだ。

210415_20210415200801

「すぱっとやめないといけない」と言った舌の根も乾かないうちに、「何が何でも開催するのかと問われれば、それは違うという意味で発言した」と、無理矢理気味に釈明する文書を発表した(参照)のだそうだ。何だか知らないが、ちょっと「ヤバい!」と思ったのだろう。

ところがその同じ釈明文書に、「自民党として安全、安心な大会の開催に向け、しっかり支えていくことに変わりはない」とも明記してあるという。「何が何でも開催するというわけではない」のだが、「開催に向け、しっかり支えていく」というのだから、何を言いたいのかさっぱりわからない。

そもそもこの人、今年 1月には「開催しないという考えが(あるなら)聞いてみたい」と、注釈付きでないとわからない言い方もしていたらしい。この人、昔から雰囲気だけでものを言うところがあって、その真意が何なのかは自分でもわかっていないんじゃないかという気がしてしまうのである。

いずれにしても、ここに来て「オリンピック開催は、無理なんじゃないの?」という雰囲気が、与党内にも漂い始めているんじゃあるまいか。この「雰囲気」が「明確な意見」になる前に、二階さんみたいなオッサンがいろいろ言ったり引っ込めたりして周囲の反応を探るということが多い。

いわゆる「観測気球を上げる」ってやつで、自民党が昔から取ってきたスタイルだ。ただ、そんなような手垢の付いたスタイルでやっていこうとしても、オリンピックに限ってはもはや時間がなさ過ぎるので、しょうがないから結局「開催強行」で押し切るほかさそうといった事情も読み取れる。

こっちはもう、知ったことじゃないが。

【4月 17日 追記】

AERA の "二階幹事長「五輪中止」発言 霞が関、永田町で皮肉にも賛同が広がる 「やっちゃった」(二階派幹部)" という記事が笑える。

 

| | コメント (0)

2021年4月14日

LGBT 非当事者による「LGBT の自分事化」って?

HUFFPOST に "LGBTQ 非当事者、「知っているけど自分事化できない」が最多 電通がマジョリティ層を分析" という 4月 13日付の記事がある。電通の LGBTQ など性的マイノリティに関する調査「LGBTQ+調査2020」に関するものだが、このタイトルに妙に引っかかってしまった。

210414

私としては LGBTQ そのものにはほとんど引っかかりを感じないが、「自分事化」という言い回しに妙に引っかかってしまったのである。「他人事と思うことの反対なんだろうなあ」と無理に納得してみたものの、「じゃあ、非当事者が他人事じゃなく思うってどういうことだ?」と、さらに引っかかる。

念のため電通のサイトに行ってみると、元記事は "ストレート層を初めてグループ化し、LGBTQ+ に対する意識/知識を分析。調査対象で最も多いのは LGBTQ+ を知ってはいるものの自分事化できていない「知識ある他人事層」" というものだった。どうでもいいけど、タイトルが長すぎる。

この記事をよく読み込んでみると、「LGBTQ+ を知ってはいるけど自分事化できない」というのは、「単に知識として知っているだけで、積極的に支援するわけじゃない」ということのようだ。要するに、本文に出てくる「アクティブサポーター」というわけじゃない存在のことなんだろう。

最近の広告業界では「積極的な共感や関わり」のことを「自分事化」なんて言うのだね。てことは、「無関心」は「他人事化」なんだろう。さらに言えば、「無関心を装う」のは「疑似他人事化」ってわけか。

私の感覚としては、「非当事者」なんだから「自分事化」できないのはごく当たり前の話で、別に無理矢理「我が身に関わること」なんて思う必要はないだろうと考えてしまう。LGBTQ+ については、ただ「それも十分ありだよね」とさらりと認めさえすればいいだけじゃないか。

単純にそう認めるだけで、「同性婚には反対!」なんてことさら声高に言い張らなくてもよくなる。私としてはただ、「あんたが同性と一緒になれって言ってるわけじゃないんだからね」と言ってあげたいのだよ。文字通りに「自分事化」しろってわけじゃないんだから。

【追記】

いずれにしても「他人事」は「たにんごと」じゃなくて「ひとごと」と読みたいものではある(参照)。

 

| | コメント (0)

2021年4月13日

「会議は 30分」というトヨタ的テーゼの導くものは

東洋経済 ONLINE に "トヨタの会議が「30分で終わる」超合理的な理由" という記事がある。"少しの差を積み上げ最終的に大きな時間を作る" というサブ見出し付きだ。それにしても「超合理的」とはスゴい。

210413

この記事の筆者である山本太平氏は「トヨタ本社のエンジニアとして、長らく生産現場にいた」方のようで、"社内で「会議は 30分!」と、口を酸っぱくして言われていた" と力説している。会議の時間が短いと他の仕事に回すことのできる時間が増えて、非常に効率的であるというのだ。

これはまことにもって「もっともな話」である。反対する理由は極めて見つけにくい。

ちなみに私は以前、合計 10年以上業界団体事務局というところに関係していて、その団体の理事が集まる「理事会」を主催していた。その他にもプロジェクトごとに企業から派遣される委員の集まる「〇〇委員会」という会議も頻繁にあったと記憶している。

業界団体の会議というのは、最低でも 1時間半ぐらいの時間を設定していた。そのくらいの時間を取らないと、定められた会議室までわざわざ各社から集まってもらうための「もっともらしさ」が出ないのである。この時間の長さは、「必要悪」というものかもしれない。

そうなると、この長い時間を埋めるために、どうしても「無駄な時間」を会議に盛り込む必要が生じる。本当に必要な話だけなら 30分足らずで終わってしまうので、適当な名目で「世間話」を交わす時間を確保するわけだ。

本当に有能な理事や委員なら、この「一見どうでもいい世間話」の中から自分の仕事に役立たせる「エキス」を吸い上げることができる。しかし他のほとんどの出席者にとっては、単に「楽しい雑談」に過ぎず、そのまま会議後の「飲み会」に突入するためのプレリュードみたいなことになってしまうのだ。

こうした体験から、「会議は 30分もあれば十分」ということには私も充分に賛成だ。とはいいながら 1時間や 1時間半の「一見無駄な時間の多い会議」をしても、有能な人はその「無駄」の中にさえ、あるいは「無駄」の中にだからこそ、貴重な何ものかを見出すことができるものである。

ただ、問題は「有能な人なんて、出席者の 1割程度でしかない」という現実だ。つまり、9割の人にとっては 30分以上の会議は「時間の無駄」でしかない。たった 1割の人のために、9割の人に「不合理」を強いるなんてことは徹底して避けるというのが、トヨタのスタイルなのだろう。

ということは、トヨタのクルマというのはほぼ 9割の人を満足させる「超合理性」を発揮することはできても、「たった 1割の人にだけアピールするようなユニークな面白さ」には欠けることが多いというのも道理である。社風そのものなのだね。なるほど、なるほど。

「面白さ」とは「無駄」の中にあることが多いものだから。

 

| | コメント (2)

2021年4月12日

「ウザいおっさん」になってしまうのが憚られて

ちょっと悩んでしまっている。というのは、関係先の女性スタッフから来たメールに「今後は代替えとして使うことにしましたのでよろしく」なんて表現があったからだ。公式の業務メールだけに、「代替え」という字面にどうしても「うっ!」となってしまったのだよね。

20210412-224342

「この場合は『代替』と表記して、『だいたい』と読んでもらう方が、軽々しくみられずに済みますよ」なんてアドバイスをするのは、それほどの手間じゃない。それにその女性スタッフとは日頃からあまりよそよそしくない程度のお付き合いはさせてもらっているので、その方が親切といえば親切だろう。

ただ、つい最近「東洋経済 ONLINE」で "ウザい「教え魔」が日本人に多すぎる訳" なんていう記事を読んでしまったので、そんなように思われるのもナンだしなあと思ってしまったわけである。この記事の冒頭の写真が上のように、いかにも「ウザいおっさん」そのものということも邪魔をする。

私は 2年ちょっと前の "「慣用読み」という便利すぎる言い訳" なんて記事で「代替」というのは「読み違えベスト 10」の 9位にランクされていると書いている。ちなみにトップは 「乳離れ」(正しくは「ちばなれ」)だそうだ。

この記事の中で私は、Amazon ショッピングの「PC 電源代替えボタン」という商品を紹介している。これ、さすがに「ヤバい」ということになったのか、すぐに「PCケース 電源ボタン リセットボタン 移動可能 ボタン スイッチ」なんていう長ったらしい名称に変更されていた。

2104122

それが現在ではさらに「PCケース用 電源ボタン」になっていて、「PC 電源代替えボタン」よりずっとわかりにくい表現になっているというのも皮肉な話である。いずれにしてもそんなような(半分は個人的な)裏の事情があるので、軽い気持ちでアドバイスするのを躊躇しちゃってるわけだ。

それにしても「代替」が「だいがえ」と読まれがちなことに関しては既に慣れてしまったが、文字として「代替え」なんて書かれることにはまだ抵抗がある。最近は日本語入力システムが妙に気を利かせすぎで、「だいがえ」という入力であっさり「代替え」に変換してしまうのは、問題ありすぎだよね。

というわけで「ウザいおっさん」と思われるのを憚るあまり、勝手に「悩めるおっさん」になってしまっているのである。

 

| | コメント (2)

2021年4月11日

野菜を食べるカレー camp

出張で博多に来ている。本州から出るのは、昨年 3月の北海道出張以来、1年以上ぶりだ。

210411

博多は大好きな街なのだが、ただ一つ不満があった。それは、「食」に関する話である。豚骨スープベースが多い博多ラーメンの店が多いので、肉を食わない私にとっては食うものがかなり限られるのだ(参照)。

そもそも大阪からこっちは肉料理の店が多くて閉口してしまうのである。それに西日本は私の好きなそばを食わしてくれる店が少ないし、博多のうどんはこしがないのが特色なので、まずいというわけじゃないが、好みからはちょっとはずれる。日が暮れてから食うメシを探すのが大変なのだ。

ところが、偶然にいい店を見つけた。野菜カレーの専門店 "camp" という店である。とにかく肉を使わないカレーの店なのだ。駅ビル KITTE の地下にある。今日食べたのは、「1日分の野菜のカレー」(だったかな?)というもので、とにかくもう、野菜がたっぷり入っていておいしい。

この店、私は博多に来て初めて知った。今日はいい発見をしたのでネットで検索してみたところ、新橋、代々木、渋谷にもあるようだ(参照)が、残念ながら地元のつくば周辺では見つからなかった。

今朝は早起きして出てきて疲れたので、このくらいで失礼。

 

| | コメント (0)

2021年4月10日

「PCR 検査」の "PCR" ってどういう意味?

知人が近頃、熱が出て咳が止まらなくなり、こんなご時世でもあるので慌てて PCR 検査を受けたところ、コロナに関しては陰性という結果でほっとしたらしい。電話で声を聞いても当人とわからないほどのかすれようで、気の毒な限りだった。しっかり静養してもらいたい。

2104101

そして電話を切ったところで、いつものように言葉のどうでもいいところに引っかかる悪いクセが出て、「はて、『PCR 検査』の "PCR" って、一体何だ? どういう意味だ?」 というのが気になってしょうがなくなってしまった。

それで 「PCR 検査 英語」というキーワードでググってみたところ、英会話スクール AEON の "「PCR検査」って英語でなんて言う? スクールブログ 姪浜校" というページが検索されたので早速開いて見ると、こんなことになっていた。

2104102

いやはや、これにはコケた。こんなにも思いっきりコケたのは本当に久しぶりというほどにコケた。「QR コード」を調べて「英語では "QR code" です」なんて言われても何の解決にもならないのと同じである。(今さら言うまでもないが、 ”QR” は ”Quick Response“ の略)

気を取り直して、"PCR 何の略" というキーワードでググったところ、福山市医師会のページがヒットして、"Polymeranase Chain Reaction" の略語とめでたく判明した(参照)。日本語で言っても私にはどうせちんぷんかんぷんだが、「ポリメラーゼ連鎖反応」だそうだ。

2104103

そしてその下に長々と続く説明を読んでも、「ふぅん、わかったような、わからないような、まあ、とにかくこの検査で感染症に感染してるかどうか、判明する訳ね」という程度のものだが、とりあえず「英語で "PCR test" です」よりはずっと奥まで踏み込めた気がする。

それにしても世の中の多くの人って、「『PCR 検査』は、英語で "PCR test" です」で、すっきりと納得してしまうのかなあ。何と平和なことだ。

 

| | コメント (2)

「国民文化祭 2008」てのが茨城で開催されたらしい

茨城県南の守谷市に、つくばエクスプレスと常総線の乗り入れる「守谷駅」というのがあって、その正面入り口に続く石段の下に、カラー・タイルを石膏で固めたような不細工なモニュメントが飾ってある。私はこれまで、市内の小学生が無邪気に共同制作したものだろうぐらいに思っていた。

210415

何だか作りがかなりテキトーなようで、右上の拡大写真でわかるように、雨風で溶けた石膏がドロドロ流れ落ちてしまっている。そのためタイルには隙間が生じて、そのうち剥がれ落ちるんじゃないかと思えるほどだ。

ところがこの像の台座は、流れ落ちた石膏で鳩の糞まみれと見間違うようなみっともない状態になっているとはいえ、上に載ったモニュメントとは不釣り合いなほど立派な大理石みたいなのである。不思議に思ってその台座に刻まれた文字(右下写真)を読むと、こんなことだったのである。

2008 国民文化祭記念

  設  置  者 守谷市長  会田真一
  デザイン監修 守谷市文化協会会長
    塚原   三千勝
  制    作 (一文字不明)翔 市民有志

守谷市長の氏名は一つながりで彫ってあるのに、デザイン監修者の方は 1文字分(以上)の空白を取ってあるのが不統一で気になるものの、少なくとも小学生の共同制作ではないようなのだ。正直言って驚いてしまったよ。

それにしても「国民文化祭」なんてちっとも知らなかったので調べてみると、Wikipedia には "文化庁主催の行事で、国文祭と略され、「文化の国体」といわれている" なんてことになっている(参照)。そして確かに、2008年には 11月 1日から 9日までの 9日間、茨城県で開催されたようなのだ。

茨城県のウェブページでは「観客数は目標を上回る118万人を数え、大きな盛り上がりを見せました」なんて自画自賛されている(参照)が、これ、いわゆる「主催者発表数字」の典型なんじゃなかろうか。関係者に押しつけられた入場券を受け付けに置いてすぐに帰った人も相当多いだろうし。

なにしろ前世紀末から当の茨城県民をしている私としては、文化に関心がないわけでは決してないのに、そんな行事が開かれていたなんて全然記憶にないのだよ。念のため 2003年 12月から毎日更新している当ブログの 2008年 11月の記事を見ても、「国民文化祭」なんて文字はまったく見当たらない。

今年は和歌山県で 10月 30日から 11月 11日まで、3週間以上にわたって開催されるらしいのだが、まともな関心を集めているようには到底思われない。どうやらこの行事、関係者が身内だけで盛り上がる「ちょっともったいぶった発表会」の集合体みたいなもののようなのだ。

文化庁としてはこれによって「文化振興」を図っていると言いたいのだろうけど、効果のほどは何とも言いようがない。

そして 13年前の国民文化祭のなれの果てが、この鳩の糞まみれと見紛うような、守谷駅前のモニュメントである。どうにも複雑な気分になってしまうよね。

ちなみに「デザイン監修」として名前の挙がっている 塚原三千勝さん は、守谷市在住の陶芸家で、私の大学の先輩のようなのである(参照)。デザインの「監修」をしただけで、実際の制作にはあまり関わらなかったのかなあ。

 

| | コメント (0)

2021年4月 9日

唱歌『かたつむり』の「やりだせ」問題をむしかえす

昨日の "「つのだせ やりだせ あたまだせ」の疑問が解けた" という記事で、文部省唱歌『かたつむり』の「やりだせ」の「やり」は、生物学的には 「恋矢(れんし)」というものとわかったと書いた。これでかなりすっきりした気がしたのだが、もう少しつついたところで、さらにややこしくなってしまった。

210409

まず発端は、昨日の記事に付けられた乙痴庵さんのコメントへのレスを書く際に、「恋矢」はどうみても日本語オリジナルっぽくはないなと思ったことである。早速 Wikipedia で調べてみると、このようなことだった(参照)。

恋矢(れんし、英語: love dart、別名gypsobelum)は、雌雄同体のカタツムリやナメクジが生殖器の内部で生成する、石灰質またはキチン質の槍状構造物である。

どうやら「恋矢」は、英語の "love dart" (恋のダーツ)からの直訳のようなのだ。道理でお洒落すぎる命名だと思った。

ところがこの時、私の頭の中に「この歌の作詞者には、生物学における "恋矢/love dart" に関する知見があったのだろうか?」という疑問がふと湧いてしまったのである。まったく、細かいことにこだわり出すと話が面倒になる一方で、ろくなことがない。

そこで、池田小百合さんという方の「なっとく童謡・唱歌」という素晴らしい労作サイトのページに当たってみると、文部省唱歌の『かたつむり』は明治 44年 5月 8日発行の『尋常小學唱歌』第一学年用に収められたのが初出のようだ(参照)。明治 44年といえば西暦 1911年だから、110年も前の歌なのである。

そしてこのページには、次のような記述がある。

歌では「触角」を「角」や「槍」に見立てて「♪ 角だせ槍だせ めだま出せ」と歌っています。

つまりここでは「恋矢」は完全にスルーされて、「触角」を「角」や「槍」に見立てたということになっているのだ。この「見立て」というのは、古来から日本文化における重要な要素とされており、決して荒唐無稽な話ではない。

私見ではあるが、当時の日本には「恋矢」という翻訳語が存在しなかっただけでなく、カタツムリが頭の横から槍のような器官を突き出すことがあるということすら、広くは認識されていなかったのではなかろうか。

というのは、それがもし広く認識されていたとしたら、今日「恋矢」と呼ばれる器官には、翻訳語ができる前から伝わる日本古来の呼称があったはずだが、それがない。ということは、昔の日本人は「恋矢」と呼ばれる器官を知らなかったか、少なくとも意識していなかったのだと思うしかない。

念のために細かいことを言えば、仮に明治末期の日本で「恋矢」が「知る人ぞ知る知見」となっていて、作詞者がそれに沿って作詞したのだとしたら、歌詞は「槍だせ」とはならなかっただろう。「矢をだせ」になっていたはずだ。

結局のところ、文部省唱歌『かたつむり』の歌詞に出てくる「やり」というのは、元々は「触覚」を「槍」に見立てたものだったのだろう。どうやらそう考えるのが自然のようだ。

とはいえ令和の世の中に生きる者としては、明治的直感主義の「触覚説」と、現代的合理主義の「恋矢説」の、両論併記とするのもおもしろいと思う。オリジナルの意図にとらわれずに「恋矢」と解釈するのは、なかなか新鮮でいい感じだし。

私は昨日の記事で、西浩孝さんのページについて「強引な決めつけを避け、"一説には『恋矢(れんし)』だと言われています" と控えめな記述にとどめておられる」ことを賞賛したが、彼は私が当初思った以上に、学者としての正しい姿勢を保っておられるのだと、ここに至って再認識した。

改めて賞賛させていただく。何事も軽はずみな決めつけはよくないのだね。

 

| | コメント (0)

2021年4月 8日

「つのだせ やりだせ あたまだせ」の疑問が解けた

今日の記事は一見軽いようだが、ちょっとしたウンチクも含むことになる。文部省唱歌の『かたつむり』の歌詞についての長年の疑問が解けたという話だ。

この歌は、多分誰でも知っているだろう「♫ でんでんむしむし かたつむり おまえのあたまは どこにある」という、あの歌だ。ところが私はこの歌の後半、「♫ つのだせ やりだせ あたまだせ」という歌詞に、子どもの頃からそこはかとない疑問を感じていた。

「かたつむりの 『やり』って何だ?」ということだ。

「つの」はわかるし、「めだま」も、その先の小さな丸い部分のことを言ってるんだろうとわかる。しかしカタツムリが「槍」なんてもってるわけないじゃないか。この疑問については、大人に聞いても誰もまともな回答は与えてくれなかった。半世紀以上にわたる謎だったわけである。

ところが今日、ふとした気まぐれでググってみたところ、あっさりと、そして見事に疑問が解けたのである。それは BuNa というサイトの「カタツムリのツノって何? 目玉はどこにある?」という記事のおかげだ。西浩孝さんというカタツムリ研究の専門家の書かれたものだから、信頼性に問題はないだろう。

210408

この記事を読めば、カタツムリについてかなり詳しくなること請け合いだが、ここはスペースも限られるので、カタツムリの「やり」に関する部分に絞って紹介しよう。下は、このページの上から下に 3分の 2 ぐらい辿ったあたりの位置にある写真のスクリーンショットだ。

2104082

カタツムリの頭の右から突き出ている、まさに「やり」のように見える白い突起に注目していただきたい。これ、「恋矢(れんし)」と呼ばれる器官だそうで、次のように説明されている。

ちなみに、歌詞の中の「ヤリ」は、一説には「恋矢(れんし)」だと言われています。恋矢は一部のカタツムリが交尾の際に相手を突き刺すのに使います。石灰質で先がとがっており、まさしくヤリの形(写真はツルガマイマイの恋矢)

強引な決めつけを避け、"一説には「恋矢(れんし)」だと言われています" と控えめな記述にとどめておられることで、逆に私は信頼を深めてしまったよ。長年の疑問を晴らしてくれた西先生に、心から感謝である。それに、そもそもこの器官の名が「恋の矢」だなんて、なかなか粋な話ではないか。

それにしても子どもの頃はよくカタツムリを捕まえてきて遊んだものだが、「恋矢」なんてものには全然気付かなかった。まさに大切なのは「じっくりとした観察」であると、つくづく反省した次第である。

【追記】

乙痴庵さんのコメントへのレスを書くにあたってのいろいろな四方山話を、一時的にこの記事の「追記」として書いたが、あまりにも長くなるため削除し、明日付の別記事とさせていただくことにした。

【4月 9日 追記】

この件について "唱歌『かたつむり』の「やりだせ」問題をむしかえす" という記事にまとめた。本日の結論とは違って、「カタツムリの『触覚』を『やり』と見立てたものと解釈するのが、とりあえず妥当ではないか」という結論に達した。とはいえ、「恋矢」説も捨てがたく、いろいろうだうだ述べているので、合わせて

Yoroshiku4

 

| | コメント (2)

2021年4月 7日

テレワークが定着しない日本の「飲み会メンタリティ」

緊急事態宣言が解除されてから、朝夕の電車や道路の混雑が元に戻ってしまったように感じているのは、私だけではないと思う。テレワークというシステムをきちんと定着させていれば、こんなことにはならなかっただろうに。

210407

東洋経済 ONLINE の ”ドイツと日本「テレワーク格差」が拡大したワケ” という記事によれば、最近までは日本と同様「テレワーク小国」だったドイツが、コロナ禍をきっかけに「テレワーク大国」へ進化を遂げたという。"日本人は「出社したがり病」に見えている" というサブタイトルが衝撃的だ。

記事によれば、日本におけるテレワークの実施率は「会社の規模」によって差が生じている。小規模な企業ほど  IT インフラへの投資が難しいためか、テレワークの実施率が目に見えて低い。

しかし IT インフラの未整備という以上に大きな理由は、小規模な企業ほど「仕事は会社の大部屋で、みんなでするもの」という考えから離れられないことだと思う。不思議なことに多くの日本人は、同僚との雑談といった「お付き合い要素」も含めないと、「仕事」をしたような気がしないようなのだ。

こうした思い込みは、仕事が終われば一緒に酒を酌み交わさなければ気が済まないというメンタリティに通じる。厚労省の役人がコロナ禍の中で深夜まで送別会という名の宴会をしていた(参照)というのも、同じ根っこだ。多くの日本人は同じ根っこをもちながら、健気に(?)我慢しているわけなのだが。

2104072

上の写真からリンクされる記事は生々しいまでに具体的な目撃証言といった風情で、まさに「あぜん」としてしまう。ここまで来ると日本でテレワークが定着しない最大の理由は、「飲み会ができなくなるから」ということなのかもしれない。

ちなみに私がドイツのフランクフルトに定期的に出張していた 1977〜83年頃は、ドイツのおっさん連中も飲み会が大好きという印象だった。ビアガーデンで大きな声で(さすがドイツだけに、フツーにハモって)歌いながらビールをがぶ飲みしていたものだが、最近は変わったのかもしれない。

それなら日本人も変われるかというと、団塊の世代ジュニア以上のおっさんたちには難しかったりして。

 

| | コメント (5)

2021年4月 6日

日本人は「赤・青・白・黒」以外の色のコンセプトが薄い

昨日の "「太陽が赤い」というのは日本人だけということについて" という記事で、大切なことを書き落としていた。それは、太陽は国際的には黄色という認識が一般的だが、古代日本人には「黄」という色の概念がなかったので、赤く描くほかなかったという事情である。

210406

「雑学カンパニー」というサイトに、「不便…? 古代日本には赤・青・白・黒の 4色しかなかった」というページがある。ただ「4色しかなかった」というのはある意味ビミョー過ぎる表現で、より具体的に言えば「どんな色でも 4色でしか認識しなかった」ということだ。

日本語で色を表す言葉は、今では数多くあるが、元々あったのは「赤・青・白・黒」の 4語のみである。それ以外の色名は、後世になって加わったものだ。

基本となる「赤・青・白・黒」は初めから名詞としてあったわけではなく、以下のように形容詞から名詞化したものと考えられている。

古語 読み/意味   色名
明し あかし/明るい
淡し あはし/淡い
顕し しるし/明白だ
暗し くらし/暗い

このため、現代語でも色名に「い」を付けて形容詞になる(あるいは戻る)のは、「赤い、青い、白い、黒い」の 4語だけだ。「黄」と「茶」は基本的色名のようでも「黄色い、茶色い」と、「色」という言葉の助けが必要だし、「緑」「紫」などは、「緑色い、紫色い」とすることもできない。

というわけで古代日本人にとっては、太陽は「明るい」のだから、その色は「赤」に他ならなかったのである。その認識が 21世紀の現代に至るまで続いているというのは、ある意味すごいことだ。

ちなみに新鮮な木の葉や草の色を一般的には「緑葉」と言わずに「青葉」と言うのも同じ事情によるが、絵に描かれるとさすがにブルーではなく、ごく自然にグリーンになる。これには、葉っぱまで青くしたら背景の青空と区別が付かなくなるからということもあるだろう。

一方で太陽の「赤」は青空を背景に燦然と表現できるので、古来から変わることなく象徴的な意味合いも強めつつ続いてきた。つまり日本人の「赤い太陽」という認識は、かなり根強いものと言うほかない。

昨日の記事は、この「根強い認識」に関する説明としての方が意味が明らかになるかもしれない。どうやら書く順番を間違えたようで、本来は今日の記事を先にすべきだったのだろうが、もう変えるわけにいかないので、

Yoroshiku4

 

| | コメント (6)

2021年4月 5日

「太陽が赤い」というのは日本人だけということについて

よく「太陽が赤いと思っているのは、日本人だけ」と言われる。日本の子どもが太陽の絵を描くと、ほとんどが赤く塗られるが、外国の子どもの絵では黄色系の色になることが多い。

210405

上の写真は、私が「和歌ログ」で撮りためた太陽の写真の中から選んだもので、左上は昼に近い時刻の太陽。右上と左下は夜明けの太陽で、とくに左下は昇ってきたばかりのものだ。そして右下は夕焼けの太陽である。

こうしてみると、高く昇ってしまった太陽はほとんど「白」といっていい。一方、夜明けと日没時の低いところにある太陽は赤っぽいが、これは太陽光線が自分のいるところに届くまで長く大気中を通過するために、波長が長くて散乱しにくい赤の光線が届くためといわれる(参照)。

ただ、よく見れば朝夕でも実際に赤っぽいのは太陽そのものよりも周囲の空や雲の色であることが多く、太陽そのものは左下の 1枚を除けばむしろ白っぽい。大気中を長く通過して、赤い光が最後に散乱しているのだろう。左下の太陽が例外的に周囲より赤いのは、薄い雲を透かしているためだと思う。

日本人が「太陽は赤い」と思ってしまう最大の理由は、「日の丸」の印象が圧倒的に強いということだろう。日本人の心の中にあるのは、「実際の太陽」というよりむしろ「象徴としての太陽」のようだ。

もう一つの理由は、真昼の太陽は眩しすぎてまともには見ることができないので、朝と夕方の太陽が印象に残りやすいということだろう。しかし上述のように、多くの場合で赤いのは「太陽そのもの」よりも、光線の散乱によって染まった「周囲の色」であることに注目したい。

日本人は「無意識的な認識操作」を作動させることによって、「対称物そのものと、その周囲」を一緒くたに認識することが多いようなのだ。それで、実際に赤いのは「周囲の空の色」でも、意識の中ではそれが「太陽の色」として印象付けられるのだろう。

そもそもの話として、国旗「日の丸」が赤い真ん丸で表現されるのも、日本人のこうした意識傾向によるのだろうと思われる。

【同日 追記】

「ヤシろぶ」の "国際比較「子供が描く太陽の色」" という記事によると、国際的には黄色が主流だが、タイの子どもは日本人同様に太陽を赤く描くらしい。

【4月 6日 追記】

「みんなの知識 ちょっと便利帳」というサイトの ”「太陽」を配した国旗・地域旗” というページには 25の国・地域の旗が紹介されているが、多くは太陽が黄色で表現されており、それ以外の色は以下の通り。

白: 台湾、ネパール民主共和国、マーシャル諸島
赤: 日本、バングラデシュ人民共和国、マラウイ共和国
オレンジ色: ニジェール共和国
多色使い: フランス領ポリネシア

ちなみに、「赤い真ん丸」は日本とバングラデシュというアジアの 2カ国のみ。アフリカ南東部、マラウイの国旗にある太陽は、地平線上に半分が顔を出したようなデザインなので、朝日か夕陽なのだろう。

 

| | コメント (2)

2021年4月 4日

iPhone と Android のお話

昨日、iPhone 12 に機種変更したことについて書いたついでに、Android との関連で書いてみたい。下の図をクリックすると、XERA というサイトの ”【iPhone VS Android】世界と日本におけるスマホOSのシェア比較” という記事に飛べる。

210404

いずれにしても、最近は日本でも Android スマホのシェアが急増している印象がある。IT 操作がわからなくなる度に私に助けを求めてくる近所の H氏も、最近夫婦でガラケーから Android スマホに換えたようだ。

先日、その H氏にいつものように泣き付かれて、スマホでの Zoom ミーティングへの参加の仕方を教えてあげたのだが、Android 版の Zoom アプリの操作法が iPhone 版と違いすぎて、私も「ユーザー名の設定」などの細かい点で思いのほか戸惑ってしまった。

私は 2013年 2月 3日の記事で、iPhone の操作は ”「こうかな? うん、やっぱりそうだ」 となることがほとんど” だが、Android の場合は、"「こうかなあ? いや、違うなあ。じゃあ、こうかな? う~ん、これも違うみたいだなあ ……」と、いろいろ試行錯誤しているうちに、やっとうまくいく" と書いている。

「う〜ん、わかりにくいなあ。私に操作法を聞きたかったら、Android じゃなく iPhone にすればよかったのに」と言うと、「これ、あんどろいど っていうスマホなの?」と来た。このご夫妻は自分のスマホが何であるかも知らなかったのである。まあ、年配の人ってそんなものか。

「そうですよ。前々から『スマホにするなら、iPhone がオススメですよ』と何度も言ってるのに、どうして敢えて Android にしたの?」
「だって、ウチは au だから」

これにはがっくりきてしまった。彼は au ショップでただ一言「近所の人に薦められた『あいふぉん』ってやつにしたい」と告げさえすればよかったのに、それができなかった。店員の一存で Android を売りつけられたので、au の世界ではそういうものなのだと思い込んだらしい。

要するに彼は、機種とキャリアは別のカテゴリーだという基本のキホンがわかっていないし、au ショップでは、客の希望機種の確認なんて始めからする気がないみたいなのだ。8年半前に書いた「au ショップでは店員の口車に乗るなというマジな話」という記事を思い出してしまったよ。

日本で Android のシェアが拡大しているのは、客がそれを望むからというより、店側が勝手に Android を売りつけているからという要素が大きいんじゃないかと思う。実際に、スマホ操作に不慣れで「こういう人こそ iPhone の方が楽だろうに」という人ほど、なぜか Android を持ってる例が多いし。

というわけで、今後しばらくは彼に Android スマホの操作法を教えてあげなければならない羽目になってしまった。彼が iPhone を買っていてくれさえすれば、電話で手軽に教えられるのに、Android だとこちらも実際に触ってみなければわからないので、大変なのだよ。

それにしても iPhone ユーザーである私が、毎日 Android を使っているオッサンに操作法を教えなければならないなんて、一体どういう巡り合わせなのだろう。

 

| | コメント (2)

2021年4月 3日

図らずも iPhone 12 に機種変更した

実は昨日、図らずも iPhone XR から iPhone 12 に機種変更した。XR を購入したのは 2019年 7月末のことだったから、「2年縛り」が解けるまで 4か月ほど残っていたのだが、 つい不注意でおシャカにしてしまったので、仕方なく早めの機種変更となった。

2104032

「つい不注意で」というのは、硬いコンクリート道路に落としてしまい、画面がひびだらけになってタッチ操作をまったく受け付けなくなってしまったのである。これまでだって何度も落としたことはあるが、ここまでひどいひびが入ったのは初めてだ。

そういえば、iPhone XR の前に使っていたiPhone 7 Plus も、画面がひびだらけになって買い換えたのだが、この時は落とした際に入ったひびが画面一杯に広がって使い物にならなくなるまでに 4日ほどかかっている(参照)。

今回はよほど当たり所が悪かったのか、一瞬にして操作不能になってしまった。それまでも何度か落っことしてしまっていて、最近は画面のあちこちにひびが入っていたので、ただ 1度の落下が原因というわけではないのかもしれないが、いきなり使えなくなったのは、さすがにちょっとショックだった。

ちなみに、操作不能の原因は画面のひびのせいでタッチ操作ができないということで、メールを受信すれば 「ピン」と音がして知らせてくれるので、中身はしっかり生きていたようなのである。ただ、ここまで来たら修理するより機種変更の方がいいだろう。

それにしても画面のひびで使えなくなっての機種交換が 2度目というのも、ちょっとひどいと言えばひどい。さらに言えば、私が iPhone 3GS を使い始めたのは 2009年 8月のことだが、そのきっかけにしても、それまで使っていたガラケーをどこかで落っことして行方不明になってしまったことだった(参照)。

これはもう、私のケータイやらスマホやらの扱いが、よほどぞんざいということなのだろう。かなり反省しなければならない。

振り返れば、iPhone 3GS を購入してから、iPhone 5(2011年)、iPhone 6(2014年)、iPhone 7Plus(2017年)、iPhone XR (2019年)と機種変更し続けてきて、既にもう 12年近くになる。今や iPhone なしでの生活は考えられないほどだだから、本当にぞんざいには扱えない。

そして、今回の iPhone 12 の使い心地はかなりいい。7月までは購入代金ローンの二重払いが生じてしまうが、それを補えるほどの満足感ではある。

ちなみに機種変更にあたっては、一番信頼性の高い画面保護フィルムを店のスタッフに貼ってもらった。自分で貼ると、必ず気泡が入ったりズレてしまったりして不細工になるので。

 

| | コメント (4)

2021年4月 2日

コロナ禍が一段落するまでは、「黙食」に徹しよう

先日、久しぶりに長距離ポタリングをして筋肉を使ったので、近所のスーパー銭湯に行ってゆっくりと汗を流したのだが、店内に入った途端、ちょっと驚いた。壁という壁に「黙浴、黙サウナ、黙食」と書かれた貼り紙がしてある。

210402

始めは「沐浴・・・」の間違いかと思ったが、さにあらず。銭湯業界では「黙浴」という新語が生まれたようなのである。浴場内や食事スペースではさすがにマスクを外すので、感染症蔓延防止のため、せめてしゃべらずに、黙って風呂に入って黙ってメシを食えということなのだろう。

何でまたのっけから、こんなスーパー銭湯の話なんか出したのかというと、大阪府のコロナ感染者数がずっと高水準で推移しているというニュースを聞いたためだ。4月 1日の感染者数は 616人で、3日連続で東京都の感染者数を上回ったという(参照)。

都道府県人口の最新推定値を調べると、トップの東京都は約 1,394万人、2番目が神奈川県で約 921万人、そして大阪府は 3番目で約 881万人となっている(参照)。ということは大阪府の人口は東京都の 3分の 2弱ということだ。

ところが東京都の昨日の新規コロナ感染者数は 475人だった(参照)のだから、人口 10万人当たり 3.4人なのに対し、大阪は 6.9人と、ほぼ 2倍ということになる。人口 10万人に満たないような地方都市で 1日に 3人の新規感染者が確認されたら大騒ぎだが、その倍以上というのはかなりの脅威だ。

どうして大阪の感染者数がこんなに多いのかというと、私の周囲では変異株の増加とかいうより何より、「大阪人は、よくしゃべるからなあ」ということで、申し訳ないけどほぼ見解が一致してしまっている。

メシを食う時には当然ながらマスクを外すから、その間「黙食」に徹すれば、こんなには感染者数が増えないかもしれない。ところが大阪人の多くは、黙ってメシを食うことが苦手のようなのだ。

私は若い頃に大阪に本社のある企業に勤めたことがあり、しょっちゅう出張していたからそれは実感としてわかる。とにかく大阪の飲食店では、店内での人の話し声のボリュームが東京の 3〜5倍ぐらいに達する気がする。(ちなみに香港では 10倍ぐらいだと思うが)

というわけでコロナ禍が一段落するまでは、黙ってメシを食う「黙食」に徹した方がいいんじゃないかと思った次第である。

 

| | コメント (0)

2021年4月 1日

北朝鮮の食糧事情における「パレートの法則」

世の中には「パレートの法則」というものがある。イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した冪乗則で、「経済においては全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部が生み出している」という理論だ。

210401

これは「働きアリの法則」とも言われる。アリの群れでは全体の 20%が 80%の食料を運んでおり、もしこの 20%が間引かれると、残りのうちの 20%が 80%を運ぶようになる。つまりアリの 80%は常にのんびりしているが、頑張っていた 20%がいなくると、残りのうちの 20%が目覚めてくれる。

こんな具合で、「パレートの法則」というのは本来は「生産」に関する法則なのだが、俗世間では他の分野についても同じように言われることも多い。つまり「全体の 20%が 80%の富を独占している」とか、「20%が 80%を消費している」とかいうのも、かなり真実味を帯びてしまっているわけだ。

世界食糧計画(WFP)はこのほど、「北朝鮮におけるパレートの法則」という推定結果を発表した。他の国ではあまりみられないことだが、「北朝鮮では上層部 20%が食料の 80%(数量ベース)を消費している」という。政府や軍部の要職につくと食うに困らないが、下層部では食うや食わずの状態なのだ。

食料分配がおそろしく極端な形になっていて、その極端さは上位 20%の中でも例外ではない。役人や軍人の間でも、下っ端は「飢えずに済む」程度だが、出世すればするほど贅沢なものをたらふく食えるようになる。

そして究極的には、金正恩が北朝鮮の食料全体の 80%(いくらなんでも、これは金額ベースだが)を 1人で食っている計算になるというのである。道理でどんな写真や映像を見ても、彼 1人だけがでっぷり太ってるものね。

北朝鮮の総書記は、消化器官が丈夫でないと務まらないもののようだ。とくに最近は「恋人」であるドナルド・トランプ(参照)の影が薄くなってしまったので、欲求不満解消のためにますます食いまくっているという噂である。

【4月 2日 未明 追記】

えぇと、毎年恒例のナニでありました。

本文中の「金正恩が北朝鮮の食料全体の 80%(いくらなんでも、これは金額ベースだが)を 1人で食っている」というのは、荒唐無稽過ぎという気はしましたが、「まあ、エイプリル・フールならいいか!」ということで、書いちゃいました。

ということで、また来年も

Yoroshiku4

| | コメント (2)

« 2021年3月 | トップページ | 2021年5月 »