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2021年5月に作成された投稿

2021年5月31日

頑張れ、きしめん!

東洋経済が "名古屋「きしめん」が絶滅の危機に瀕しているワケ" という記事を紹介している。きしめん好きで味噌煮込みうどんにはちっとも感動しない者としては、「味噌煮込みうどんにご当地料理の座を奪われた」というサブタイトルまで気になってしまう。

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昔、ウールや毛織物関連の仕事をしていた頃は、ほとんど毎月のように名古屋に出張していたから、きしめんはよく食べていた。名古屋地元の連中に「それより味噌煮込みうどんを食べてみろ」としきりに勧められ、一度だけ夕食に試してみたがまったくピンと来なかったので、結局きしめんに戻っていた。

「なごやめし」をプロモーションしている方面の方々には申し訳ないが、私としては「名古屋ではきしめん以外に食うものがない」とまで思っている。まあ、何にでも鶏肉が入ってしまうということもあるが、これは肉食を止めるずっと前から思っていたことだ。

それだけに、今回の記事は気になった。「味噌煮込みうどんにご当地料理の座を奪われた」というのは、「そんなの、もってのほか!」とまで思ってしまう。この間の事情を、記事に登場する「市内の麺類食堂店主」は次のように語る。

「きしめんと味噌煮込みうどんを出したときのお客さんのリアクションが違うんです。きしめんは反応が薄いのですが、味噌煮込みうどんのグツツという音とビジュアルに盛り上がるんですよね」

うぅむ、確かに味噌煮込みうどんは目の前に出された時のインパクトが大きい。しかし、はっきり言ってそれだけのことだ。個人的な印象だが、実際に食ってみると「何これ? 決してまずくて食えないってわけじゃないけど、リピートはあり得んわ!」となる。値段だってきしめんより高いし。

インパクトだけのものより、奥の深いものの方がいい。息長く愛することのできるのは、圧倒的にきしめんだ。それだけに、「絶滅の危機に瀕している」というのは聞き捨てならない。

「きしめんは駅ホームの立ち食いが一番おいしい」なんて言われていて、名古屋駅構内のきしめん専門店で食うよりも新幹線ホームの立ち食い店がおいしかったというのは、3年前の 3月に書いた(参照)。ただ、「本当に本当に旨いきしめん」というのはまだ食べていないような気がする。

今はコロナ騒ぎでなかなか旅に出られないが、またあちこちに出張できるようになったら、名古屋では是非この記事で紹介されている "麺類専門店「星が丘製麺所」" まで足を伸ばし、「本当に本当においしい、本物のきしめん」を食べてみたい。

頑張れ、きしめん!

 

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2021年5月30日

茨城県の道路交通事情(時代は変わる)

私がつくばの地に引っ越して来たのは今を去ること 40年ちょっと前。先にこの土地に引っ越していた叔父に「隣同士で住もう」と誘われ、半ば強引に引っ張り込まれたのがきっかけだった。別にすすんで茨城に住みたかったというわけでも何でもない。

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当時、私はまだ 20代後半という若さで、この辺りの町内会では最年少の世帯主だった。挙げ句に私を引っ張り込んだ叔父が数年後に仕事の都合で田舎に帰ることになってしまい、つっかえ棒を外されたような格好になりながらも、行きがかり上、ほかに引っ越す当てもなくずっと住み続けているというわけだ。

あの頃に還暦過ぎで、町内の主みたいな顔をしていたお歴々はとっくの間に昇天し、代替わりした息子連中や、当時 30〜40代で働き盛りだった親父連中も、今はすっかり「ご隠居さん」である。そしてその子供たちの世代となると、多くは東京のマンションなんかに住んで帰ってこない。

一方で新規に移転してくる家族もあるにはあるが、総じて言えばこの辺りも高齢化の波に洗われている。近所を歩いていて出会うのは、ジイさんバアさんばかりだ。

ところで 40年前といえば、茨城県はクルマの運転が荒いので有名だった。千葉県では「利根川を渡ったら、気をつけろ」なんて言われていたものである。

法定制限速度を 10km/h 程度はオーバーして走らないと、流れをせき止めてプチ渋滞の元となり、不興を買うというのは日本全国共通の実情だ。しかしここ茨城では「制限速度の倍までは出していい」なんて、マジで語られていた。実際、当時は 60km/h ぐらいでフツーに走っていては、後ろから煽られた。

「エラいところに来てしまったなあ」と思い、いつまでも後ろにぴったり付かれるのは鬱陶しいから、左端に避けて先に行かせてやっていたものである。(「20分にわたって煽られた」なんて切々と被害を語る人がいるが、どうしてさっさと避けて追い抜かせてやらないのか、私は不思議である)

しかしそのうちにこの土地のスピードに馴染んでしまったというか、自分まで時々ついスピードを出しすぎて「ヤバ!」なんて思うようになってしまった。風土というのはコワいものである。

ところが最近では、様相がすっかり変わってしまった。クルマの流れがトロすぎて、さすがの私もイライラしてしまうことがしょっちゅうなのである。だって、法定速度 40km/h の道路を、額面以下の 37〜8km/h ぐらいで走るクルマがザラで、登り坂にさしかかると 30km/h そこそこにまで落ちるのだもの。

さすがに多くのクルマはしびれを切らし、対向車の途切れるのを待って次々に追い越していく。私も追い越しながら、渋滞パレードを率いて走る先頭車両の運転席をチラリと見ると、たいていは呑気な顔したジイさんで、たまに、いかにも危なっかしそうなオバサンということもある。

ここまで極端でなくても、総じて道路のクルマの流れは、40年前よりかなり遅くなってしまっている。昔はガンガン飛ばしていた茨城のドライバーも、さすがに寄る年並みには勝てないようなのだ。

この辺りは公共交通機関のインフラが貧弱なので、都会の優等生老人みたいに「運転免許自主返納」なんてわけにもなかなかいかず、よっぽど体の自由がきかなくなるまで、自分で運転せざるを得ない。思えばアブナい話である。

というようなわけで、「時代は変わる」ということをしみじみ感じる今日この頃である。

"Times They Are A Chaingin'" (邦題:『時代は変わる』)by Bob Dylan

 

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2021年5月29日

蚊の撃退グッズから、ウィルスの話に飛んでみる

人間を殺す凶悪生物ランキング第 1位は「蚊」…撃退グッズベスト 10を専門家に聞いた」というニュースによると、年間で最も多くの人を殺す生き物の 3位はヘビで 50,000人、2位はヒトで 475,000人、そして 1位は蚊で 725,000人なのだそうだ(出典: 2014年 4月 25日付 GatesNotes)。

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ヒトはヘビの 10倍近くの人を殺しているということに啞然としてしまうが、それを遙かにしのぐ数の人が、蚊の媒介する伝染病(主としてマラリア)で命を落としている。これもまた、改めてビックリという数字だ。

ビル・ゲイツは蚊による伝染病撲滅に力を入れているようで、彼の "Mosquito Week 2014" ビデオは、かなり鬼気迫るものだ。見てしまうと、始まりつつある「蚊のシーズン」に向かってしっかり対策したくなる。

というわけで、最初に紹介した記事で「オススメ」とされている撃退グッズのベスト 1、2 は、「ワンプッシュ型スプレー」と「液体蚊取り」だそうだ。なんだ、これなら我が家にもある。やはり定番が最も効果的ということか。

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それからずっと下って 8番目に紹介されているのが、「携帯用電池式蚊取り」というもの(下の写真をクリックすると、最新式を見ることができる)。身に付けておくと蚊に刺されにくくなるので、屋外で雑草の刈り取りをする時などに私も重宝している。

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そして実をいうと私は、9番目に紹介されている「蚊取りラケット」なんてものまで持っている。狙いを定めて一振りすると「ピチッ」と微かな音がして、通電したネット上に感電で昇天した蚊やハエが引っ付いているので、これを屑籠の上でトントンと払えばおしまい。かなり実戦的だ。

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「携帯用電池式蚊取り」と「蚊取りラケット」は、私のように蚊の多いところ(ということは自然豊かなところ)に住んでいる者にはかなり役に立つ。

ことのついでに、ビル・ゲイツの挙げた最凶生物(Deadliest animals)4〜10位と、その年間犠牲者数は次の通り。

4位 イヌ(狂犬病)の 25,000人、5位は ツェツェバエ(アフリカ睡眠病)、オオサシガメシャーガス病)、淡水カタツムリ(住血吸虫症)が同数で 10,000人、8位 回虫の 2,500人、9位 条虫(サナダムシ)の 2,000人、10位 ワニ(クロコダイル)の 1,000人。

淡水カタツムリってフツーのカタツムリ(ナメクジを含む)のことだが、実は寄生虫の宝庫で相当にヤバいらしい。生で食べると死ぬほど美味しいという都市伝説があるが、本当に死ぬこともある(参照)から、良い子は決して食べないように。(フランス人は「エスカルゴ」なんて言って、料理して食うけど)

以下 15位までは、カバ(500人)、ゾウ、ライオン(いずれも 100人)、オオカミ、サメ(いずれも 10人)と続く。カバは呑気そうなイメージに反してかなり獰猛と聞くが、なるほどライオンの 5倍も人を殺している。オオカミとサメはこんなものだろうが、クマが圏外というのは意外だ。

最近では「新型コロナウイルス」というのが加わるのかと思ったが、そういえば半世紀以上前に学校で「ウィルスは生物と無生物の中間的存在」みたいに教わった覚えがある。念のため Wikipedia で調べると、今日では「一般的には、ウイルスは生物ではないとされる」ということになっているらしい(参照)。

科学的に言うと「極微小な感染性の構造体」なのだそうだ。ずいぶんビミョーな言い方である。ビミョーついでにもっとざっと言ってしまえば、「生きとし生けるもの」と「ありとしあらゆるもの」とは違うというのが、現代科学のスタンスのようだ。

このあたり、敢えて割り切りすぎずに曖昧なレンジを突き詰めて研究すれば、新しい発展があってパンデミック発生防止にも貢献できそうな気もするが、私の手に負えないので最先端の人たちに期待することにしよう。

 

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2021年5月28日

新型コロナワクチン接種の予約は簡単にできたのだが

今週の火曜日に市から新型コロナワクチン接種に関する通知が届いた。こう見えても一応 65歳以上の「高齢者」の範疇には入っているので、早めに接種してもらえるようなのである。

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届いた翌日の水曜日は何かと忙しくて対応が遅れたが、昨日の昼に妻の分と一緒にサクサクッとネット予約した。1日出遅れた分、1回目の接種は来月 20日過ぎまで待たされることになり、2回目の接種を終えるのは 7月後半になってしまうが、まあ、いいか。

ほかの人たちはどんな様子なんだろうと思い、Twitter で「ワクチン/予約」の 2語で検索してみたのだが、自分でネット予約したという話はおろか、「電話がつながりにくくてさんざん待たされた」みたいな tweet すら驚くほど少ない。

ここに至って初めて「65歳以上で Twitter してる人って、あんまりいないのだな」と実感した。日本はこれだけ老齢人口が多いのだから、年寄りがフツーにネットやってたらワクチンの予約話で持ちきりになるだろうが、そんなことには全然なっていない。

ニュースの分野まで範囲を広げて検索してみると、Impress Watch に「母親の新型コロナワクチン接種の予約をした」という猪狩友則さんの記事が見つかった。御母堂が初めは自分で電話予約しようとしたものの、どうにもつながらないので、彼が代わってネット予約してあげたという記事である。

猪狩さんは予約に iPad を使い、「予想以上に簡単」で「ものの10分もかからなかった」と書かれている。私の場合も、妻と 2人分でそんなようなものだった。

ただ、インターネットにまったく馴染みがなく、代わってネット予約してくれる子どもも同居していないというような場合は、何度も何度も電話でトライすることになるようだ。難儀なことである。

コールセンターにつながりにくいのは、電話が通じたらさっさと必要なことだけを告げて予約すればいいのだが、年寄りの場合は余計な繰り言が多くてなかなか話が終わらないからだとも聞く。

電話対応の担当者は「あっちが痛い、こっちがしんどい」ばかりでなく、「老人施設でいつも一緒になるどこそこのばあさんの態度が気に食わない」みたいな話にまで延々付き合わされて、ほとほと疲れてしまうらしい。下手に遮ってさっさと済ませようとすると、役所に苦情が来るだろうしね。

ネット予約だと妻と 2人分で 10分もかからないことが、電話だと 1人分の予約がまともに成立するまで、あれこれいろいろな説明やら確認やらも念入りにしなければならず、結構な時間がかかってしまうのだろう。こればかりは仕方のないことかもしれない。

というわけで、私と妻の場合はあと 2ヶ月足らずでめでたくワクチン接種が完了することになったのだが、早く日本全国の全世代にワクチン接種が行き渡ってもらいたいものだ。おっと、日本全国ばかりでなく、世界的にもね。

ただ、テレビなどで接種の様子を見ると、コロナワクチンの注射って腕に直角みたいな角度でブスリと突き刺している。病気知らずで注射なんてほとんどしたことのない私としては、あれって結構痛そうでコワいなあ。

下手すると、マジで悪い夢見てうなされそうである。

 

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2021年5月27日

安けりゃいいってもんじゃない

「現代ビジネス」が "米国「ユニクロボイコット」が示唆する、日本企業のヤバすぎる現実" というニュースを伝えている。中国生産に関する「フェアトレード問題」がクローズアップされているのだ。

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今回の問題は、米国ロサンゼルス港の税関がユニクロの男性用コットン・シャツの輸入を差し止めたということである。差し止めの理由は、この製品が中国・新疆ウイグル自治区の「新疆生産建設兵団(XPCC)」によって製造された疑いが払しょくされていないということだ。

新疆ウイグル自治区では、ウイグル族など少数民族を強制労働させているケースが多く、中でも悪名の高い「新疆生産建設兵団(XPCC)」は明確に米国の禁輸措置の対象となっている。

1997年には、ナイキ製品の世界的な不買運動が起きている。生産を委託していたインドネシア、ベトナムの工場の労働環境が劣悪で、極端な低賃金や児童労働の問題が報告されたためだ。

ユニクロを展開するファーストリテイリングは中国生産を主力としているため、フェアトレードに関してはかなり対応の進んだ企業とみられている。それでも今回のような問題が発生するのだから、そもそも中国とその周辺諸国での生産というのはリスクが大きいとみなければならない。

極端な低価格というのは、劣悪な労働環境によって成立している可能性がある。「安けりゃいい」ってもんじゃないと意識すべきだろう。

ただ私としては、こうした製品を単純にボイコットするだけでは、現地の人たちの仕事を奪うことにつながるのではないかという疑問を抱いてしまう。劣悪な労働環境とはいえ、その仕事さえなくなったら食うにも困ってしまう人がいるかもしれない。

本当に悩ましいところである。これを解決するには、現地の労働環境向上につながるコスト保証と監視が必要だ。ということは、我々消費者がある程度の価格上昇は認なければならない。結局のところ、やはり「安けりゃいいってもんじゃない」ということに尽きる。

 

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2021年5月26日

パジャマ以上おしゃれ着未満だと?

今朝ラジオを聞いていたら、「コロナ禍ならではのヒット商品」というタイトルで「パジャマスーツ」というのが紹介されていた。「パジャマ以上おしゃれ着未満」というのが謳い文句なのだそうだ。

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テレワークで家にいながらにして仕事ができる上に、ちょっと外出できる程度の「きちんと感」があるというのがメリットなのだそうだ。ラジオでは、ネットワーク会議をする際にもスーツほどフォーマルではないが、カジュアルすぎない姿として画面に登場できると絶賛していた。

ただ、いつも「言葉」を重視したい私としては、「パジャマ以上」という言い方にしっかりと引っかかってしまった。話を聞き始めた当初は「それを着たまま寝て、そのまま起きて仕事もできる」、つまり「パジャマと仕事着の兼用が可能な服」(寝ても起きても着ていられる服)のことかと思った。

「そんなの、ありか?」「ランニングシャツ(wife beater)とサルマタじゃあるまいし!」である。

しかし「パジャマ以上」と言うからには、そう受け取るしかないではないか。例えば「3以上 10未満」と言ったら、「3」は含まれる。ということは、「パジャマ以上」と言ったら、「パジャマ」は含まれることになり、それを着たまま寝られる服でなければならない。

ところがネットで検索してみると上の写真のように、ソフォアで寝転がる分には問題なさそうだが、そのままベッドに入って寝るのはいくらなんでも憚られる。つまり「パジャマ以上」と言いながら「パジャマは含まれない」ということのようなのである。

というわけで、私としてはがっかりしてしまった。念のため断っておくが、「着て寝られない」ということにではなく、「以上」という言葉の意味をないがしろにして、単に雰囲気だけで訴求してしまうプロモーションの「言葉センス」の欠如にがっかりしたのある。

さらにそもそものことを言えば、「パジャマスーツ」というネーミングを聞けば、パジャマとしての用途の方がメインと思うのが自然というものではないか。パジャマとして使えそうにないものにこのネームングというのは、いかがなものかと思わざるを得ない。何と登録商標のようでもあるし。

ふと思い立って「以上/含まれる」というキーワードで検索してみたところ、「以上、以下、未満の使い分け」「含まれるか、含まれないか」を説明するページがくさるほどヒットした(参照)。ということは、曖昧なまま使っている人がずいぶん多いのかなあ。それもまた驚きである。

ちなみに私はこの季節、家で仕事するときは Tシャツにショートパンツである。そんなわけで、こんなのはちっとも買う気がしないので、そのあたり

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2021年5月25日

「スパゲティ・カルボナーラ」を突破口に

一昨日の「ティッシュペーパーのブランドとメーカー」という記事で、自分のスマホのブランドをしっかりと認識しているが、ティッシュペーパーのブランドを知らない人もいれば、その逆のケースもあるというようなことについて触れた。

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ことほど左様に、人は自分の興味のある分野では細かいことまで知識があるが、興味がない分野ではすっかり無頓着になってしまうものである。私の場合で言えば、カタカナ名前の食べ物がとんとわからない。

「カタカナ名前の食べ物は、ラーメンとカレーしかわからないんでしょ」なんて言われることがある。「とんでもない、パンとスパゲティだってわかるよ」と反論してみても、それ以上のことは本当によくわからないのだから、我ながら呆れる。

いや、実を言えば「カタカナ名前の食べ物」でも、英語由来のものなら大抵はわかる。オニオン・スープとか、ポテト・パイとかアイスクリームとかならしっかりわかるのだが、食い物の名前というのはやたらとイタリア語やフランス語が多いので厄介なのだ。

先日、妻とサイゼリヤで食事をしたが、メニューを開いてもカタカナだとさっぱりわからない。肉を食わない私としては、「野菜スパゲティ」というのを選べばいいので話は簡単だが、そうでなかったら途方に暮れてしまうだろう。

「この『カルボナーラ』ってのは、炭水化物ばかりのスパゲティなのかと思ったら、写真を見ると肉も載っかってるんだね」と言うと、妻は「それは炭焼き職人が山の中で自分で料理して食べたものだから、そういう名前になったという説があるのよ」と説明する。西洋の食い物の話になると、妻はやたら詳しい。

「へえ、炭焼き職人風だから、炭素の『カーボン』なんだね」
「そういう説があるみたい。でもそうやって何でもかんでも英語に翻訳して『カーボン』なんて言っちゃうと、趣きがなくなっちゃうけどね」

というわけで、妻としては興ざめしてしまったのかもしれないが、私としてはこうして「言葉と文化」に関連付けられると俄然興味が湧き、この日を限りに「スパゲティ・カルボナーラ」という料理の名前はしっかりと覚えた。これを突破口に、少しは料理の名前もわかるようになれるかもしれない。

とはいえ、肉が入っているみたいなので、「カルボナーラ」を自分で食べることはないのだが。

ちなみに、後日 Wikipedia で調べてみて、「カルボナーラ」の由来は「炭焼き職人風」以外にも諸説あると知った。中には「単にコショウの色から連想されたという説もある」というのもあって、「だったら、白コショウを使えば『スパゲティ・ライム』(石灰風)かよ!」なんて思ってしまったよ。

いや、イタリア語だと 「スパゲティ・カルチェ」か。

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2021年5月24日

『ラジオ体操のうた』のモヤモヤ感

昨日の朝の NHK ラジオを聞いていると、「私は『ラジオ体操のうた』が大好き」という投書が紹介された。この歌とともに、爽やかな 1日をスタートできるというような話だった。

『ラジオ体操のうた』というのは、藤浦洸作詞・藤山一郎作曲 という、往年の大御所によるもので、毎朝の「ラジオ体操」の前に流れされる。1番の歌詞は次の通り。(下記【注 1】参照)

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三

テレビ放送初期の NHK の人気番組だった「私の秘密」のレギュラー解答者としてもお馴染みだった作詞家の藤浦洸氏にイチャモンをつけたいわけでは決してないが、この際だから思い切って書いてしまおう。私の場合は子どもの頃からずっと、この歌詞を聞く度にモヤモヤ感が湧いてしまうのだ。

どういうことかというと、「胸を開く」というのがよくわからないのだ。

  1. 喜びに胸を開け
  2. ラジオの声に 健やかな胸を/この香る風に開けよ

このようにことさらクドいまでに歌われるのだから、この歌のキーワードなのだろう。しかしこれこそが、幼い頃からのモヤモヤの元なのである。

5〜6小節目で「喜びに胸を開け」というのはシンプルなセンテンスでもあり、その直後に「大空あおげ」とあるので、まあ喜びながら胸を反らせて、俯かずに上向き加減の姿勢を取れということなのだろう。そう受け取ることには、別に抵抗がない。

しかし 9小節目から 14小節目までとなると、「健やかな胸」を開く対象として、まず倒置法的な唐突さで「ラジオの声」が出てきて、その後にさらに「この香る風」というのが、ドサクサ紛れのようにたたみ込まれる。ちょっと忙しすぎるレトリックで、フォローしきれない。

この場合、「ラジオの声」と「香る風」の、どっちがメインなんだ? あるいは両方平等としても、それなら具体的にはどうしろというのだ? 室内の場合は、ラジオを聞きながら「香る風」を感じるために窓を開け放せというのか? 寒い冬には、窓を開け放さなくても想像で補えばいいのか?

日本全国の起き抜けでまだ頭がぼんやりした状態でいる人間に対する呼びかけとしては、あまりにも整理のついていないオファーではないか。「NHK さん、ちょっとわかりやすく説明しておくれでないか」と、幼い私は思っていた。

「あるいは」と、深読みしようとしたこともある。「まず『喜び」によって開いた胸を、ラジオの声を聞くことでさらに健やかな気分にし、次の段階でおもむろに、『香る風』に対して開け」と言っているのではなかろうかと。ただそれでも「一度開いた胸をさらに開け」というのはしつこ過ぎる。

「どういう価値感の元に、こんなわかりにくい押しつけをするのだ?」という疑問は深まるばかりである(下記【注 2】参照)。私のアスペルガー的傾向は、幼い頃からのもののようなのだ。

ただ、そんなことに朝からこだわっていては自分としてもいい気分じゃないし、「胸を開く」なんてことも到底できない。というわけで、その直後から始まるラジオ体操をすることで、「そんなどうでもいいことは忘れてしまえ」という話なのだろうと解釈しながら、モヤモヤを晴らしていた。

ところがせっかく晴らしたモヤモヤが、翌朝再び蒸し返されるのだからたまらない。小さなモヤモヤといえども、毎日繰り返されればイヤでも大きくなる。というわけで私は、「この歌は決してマジに受け取らず、ひたすら上の空で聞き流すべき歌」と学んだのであった。

ところが、この同じ歌が「大好き」で、その思いをわざわざ投書する人もいるのだから、世の中馬鹿にならない。前々からわかっていたことではあるが、この世でフツーに歓迎されるのは、具体的な「意味」よりもむしろ、もっともらしい「雰囲気」というものなのであった。

この「雰囲気」醸造には、藤山一郎作曲によるあのメロディが大きな役割を果たしているのだろうね。歌詞の方ではモヤモヤするが、曲は爽やかな「名曲」であると認めるにやぶさかではない。

【注 1】
Wikipedia によれば、この歌は『ラジオ体操のうた』としては 3代目で、1956年 9月に発表されたもののようだ。この歌のタイトルについては次のようにある(参照)。

『ラジオ体操のうた』(ラジオたいそうのうた)は日本放送協会(NHK)のラジオ番組『ラジオ体操』のテーマ曲である。『ラジオ体操の歌』とも表記される。

歌詞を確認するにあたって参照したページ(こちらこちら)では、堂々と『ラジオ体操の歌』と表記されていて、このあたり、「どーでもいい」という感覚のようだ。

【注 2】
「胸を開け」のしつこさに関しては、私としては「戦後にどっと入って来たアメリカ文化の影響で、米国人の分厚い胸板に相当なコンプレックスを抱いた結果なのかもしれない」なんて思ってきた。

 

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2021年5月23日

ティッシュペーパーのブランドとメーカー

東洋経済に "自宅の「箱ティッシュ」メーカーを答えられますか" という記事がある。「スマホメーカーを答えられない人は少ないのに」というサブタイトル付きだ。

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この記事の筆者は、次のように指摘している。

  • 箱ティッシュのブランド名を自信をもって答えられる人は実は 1割くらいしかいません
  • ブランド名を答えられてもメーカー名を答えられる人はほとんどいません。
  • スマートフォンについては多くの人が「iPhone8です」とか「Galaxy S8です」とか、ブランド名だけでなく、型式まで詳しく答えられます。
  • そして、メーカー名を聞いて「アップル」が出てこない人もいません。

というわけで、この記事の筆者は、スマホには「代替不可能性」があるが、箱ティッシュはどれでも同じと説明している。しかし私としては、「これって、質問対象者がずいぶん偏っているんじゃないかなあ」と思ってしまったよ。

というのは、私の知り合いの多くは、少なくとも自分の使っている箱ティッシュのブランドぐらいはちゃんと知っているからだ。そしてそれとは逆に、先月 4日の記事で書いたように、自分のスマホに関しては機種名どころか iPhone と Android の区別にさえ無頓着で、単に「スマホです」という人が多い。

これは私の印象に過ぎないかもしれないが、箱ティッシュのブランドをスラスラ答えられる人は、たいてい「クリネックス」か「無印良品」のユーザーである。そして私は「ジョイフル本田」というホームセンターのショップ・ブランド、「プレジャブル」というヤツを使っている。

この「プレジャブル」は圧倒的なコストパフォーマンスで、200組 7個入りで 税込み 349円という安さだ。「箱入り」じゃなく、無印良品同様にビニール袋入りなのだが、1個あたり 50円しないのである。私は専用のケースを使って、こんな風にデスクサイドにぶら下げている。

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試しにネットで調べてみると、一般的には値段の勝負でにシェア・トップになったと言われている「エリエール」は、アスクルで買うと 180組 5箱で税込み 419円(参照)だが、「クリネックス」はイトーヨーカドーで、同じ数量スペックで税込み 327円と頑張っている(参照)。

かと思うと値段がこなれていると思われがちな「無印良品」は、180組 5個で税込み 490円。安くない上に、ことさら「高級品」という訴求もしていないのに、ユーザーのブランド・ロイヤルティが高いのである。「箱ティッシュはどれでも同じで『代替不可能性』がない」なんてことはない。

無印良品ユーザーはいつも無印良品の、あの漂白されていないのに洗練感の高いペーパーを使うし、私は 1年のうち 5ヶ月以上は花粉症に悩まされるので、何よりコストパフォーマンス重視で、多分ここ 20年ぐらいは「プレジャディス」専門である。かかりつけ歯科医の診療台にもこれが置いてある。

さらにスマホのことを言えば、私はかなりの Apple 信者で、PC は iMac と MacBook Air の 2台持ちで、iPad、iPhone のほか Apple Watch まで使っているが、自分の iPhone の型式なんて「設定画面」を開いてみないと答えられない。長く使いすぎて、そんなのごっちゃになってしまっている。

この記事の筆者はもしかして「スマホオタク」なのかもしれないが、ティッシュペーパーに関してはあまり詳しくないようなのだ。ネピアの「鼻セレブ」を特別扱いしている割には、それについて詳しく書いているわけでもないし、クリネックスにも同様コンセプトの「肌うるる」というのがあることを無視している。

ちなみに私自身は「鼻セレブ」ってのはイヤなネーミングだと感じていて、花粉症なのに全然使う気になれない。ネピアには悪いけど。

 

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2021年5月22日

北朝鮮と日本の中学・高校の共通点

日本の中学校や高校では、服装や髪型などに関するどうでもいい規定がやたら多い。軍服のコピーとしか思われない「学生服」やら「セーラー服」の押しつけは言うに及ばず、裾の長さやら靴下の色やらなんやら、昔から息が詰まりそうだったし、今でもあまり変わらないらしい。

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「そうした決まりも教育上必要だ」などという向きもあるが、その感覚は北朝鮮の独裁体制と共通するものと気付いた方がいいんじゃなかろうか。私は今年 2月 27日の ”「異分子を認めない」という体制” という記事で、次のように書いている。

私が中学生の頃には生活指導の教師が全校生徒を集めた朝礼で、「なぜ長髪を禁止するかと言えば、クラスに長髪の生徒(どうやら私のことらしい)がいると、教育が成り立たないからだ!」と言い放った。

私はその場で「その程度のことで成り立たなくなるようなチャチな教育なら、してもらわなくて結構!」と反論したが、それに対してはついにノーコメントだった。

Gigazine が  "北朝鮮がスキニージーンズを禁止、「退廃的なライフスタイル」が政権崩壊につながるとの恐れから" と伝えている(スキニージーンズって、ストレッチ素材のぴったりしたジーンズのことね。念のため)。この記事の元ネタは次の 3つ。それぞれの見出しや写真を比べてみるとおもしろい。

聯合ニュース N.K. paper warns against inflow of capitalistic culture into country (北朝鮮の新聞が国内への資本主義的文化の流入に警告)

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この 3本の中では一番真面目でシリアス。写真も「北では広場に並んでこんな感じのことさせられる」と言わんばかりの異様な光景のショット(私なんか、高校野球の甲子園スタンドを思い出しちゃう)で、肝心のスキニージーンズの写真なんて 1枚もない。

Daily Mirror: Kim Jong-un bans skinny jeans over fears 'decadent' fashion could topple regime(金正恩が「デカダン」ファッションは体制をぐらつかせるかもしれないとの恐れからから、スキニージーンズを禁止)

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英国の日刊紙はきちんとした見出しと写真と思いきや、さすがにタブロイド紙だけあって、下の方にこんなサービス・ショットもある。

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GQ: Kim Jong-un Doesn’t Like Skinny Jeans(金正恩はスキニージーンズが嫌い)

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ファッション誌の GQ ともなると、かなりシニカルだ。

"Global pariah and C-tier fashion influencer Kim Jong-un is setting trends again,"  (世界的な鼻つまみ者で C-ティア・ファッション・リーダーの金正恩が、またしてもトレンドを作ろうとしている)なんて書いている。文中からリンクされる「革ジャン」に関する別記事も、当時妙に注目されてたし。

ちなみに、C-tier(C-ティア)って、調べてみたところ、ネット・ゲームの世界で S-tier、A-tier、B-tier の下の最低ランクのリーグを指すらしい(参照)。金正恩は、ジョージ・ブッシュ、プーチンらとともにファッション界の最低リーグを形成しているようなのだ。

ほかにも、スーパーなどの売り場にあるパンや生麺の袋の口を、金属入りのプラスチック・ストリングを巻き付けて締める これ ↓ のことも C-tier と言うらしい(発音は 「タイヤー」。クリックで拡大すると、「ああ、あれね」と一目でわかる)。

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画一大量生産的に首根っこをグリグリ締め付けるという点では、むしろこっちの方が言えてたりして。

で、日本の中学・高校も、こと服装規定に関する C-tier 的発想では北朝鮮に劣らないと認識した次第である。服装で厳しく締め付けないと、資本主義による退廃的でデカダンな風潮のために、生徒の管理体制が揺るがされてしまうと思っているようなのだ。

人間というのはどうでもいいところで締め付けられると、そこからいかに少しだけはみ出すかというところに自己の存在意義を感じて心血を注ぎたがり、かえって「退廃的でデカダン」になる。馬鹿馬鹿しいがそういうもので、結局のところまともな知的活動が阻害されてしまうわけだ。

私の中高生時代は別にことさらな長髪ってわけでもなく、単なる無精のために髪の毛が長くなっていただけなので、ズボンの裾をどうこうするようなこだわり方もせずに、「別にいいじゃん」で済ませていられたのは幸いである。髪の毛って、とくに心血注がなくても伸びるからね。

 

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2021年5月21日

LAWSON というソフトウェア企業のバッグ

スーパーなどで買い物をする時にかなり前から使っている「マイバッグ」は黒い丈夫なポリエステル製で、"LAWSON" というロゴ入りである。これ、コンビニの「ローソン」と思われがちなのだが、実は米国の "LAWSON Software" という IT 企業のものだ。

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バッグの反対側を見ると "Retail Systems 2001" のロゴがあり、20年前にシカゴで開催された ”Retail Systems“ という IT 関連の展示会に行った時に LAWSON のブースで、大量のパンフレットの入った状態でもらったものだ。「こりゃ、いいや!」と、その出張中から早速私の愛用アイテムに加わったのだった。(中身のパンフレットの半分以上はその日のうちに捨てたが)

あれから既に 20年経ってプリントは剥がれかけているが、別にローソンの宣伝をするつもりじゃないから構わない。作りそのものは米国流の質実剛健で相変わらずしっかりしており、まだまだ(多分、死ぬまで)十分に使える。

この展示会は 2004年まで連続で訪問していて、最後の出張の道中記はこのブログの初期に書いている(2004/05/1605/23)。この頃は正真正銘の毎日更新を始めて既に半年経っていたのだから、思えば私もずいぶん長くやっているものだ。

余談だが、上述の 5月 23日付「ホノルルに行ったかもしれない日」という記事に書いたように、私は今でも「あの時、ホノルルに行っておけばよかったかな」とちょっと忸怩たる思いを捨てきれずにいる。

ちなみに当時は Windows のバージョンでいえば XP の時代で、私は「ようやく Windows がまともに使いやすい OS になった」と実感していた。ところがその次の Vista では、Mac を下手に真似ようとしたみたいなところがあって、ちょっとガックリきた。

「だったら、いっそ Mac を使いたい」と思い始めたのはこの頃で、次の Windows 7 までは我慢したが、その次の Windows 8 の評判が今イチだったのを機に、2014年 1月に MacBook Pro を購入したというわけだ。

世の栄枯盛衰は激しく、IT とかソフトウェアの世界ではさらに激しい。展示会の Retail Systems にしても、2006年まで継続していたのは確認できる(参照)が、今はもう終了していて、"retailsystems.com" というドメイン・ネームが売りに出されている(参照)。誰も買わないだろうけど。

ただ、この 4回の米国システム業界展示会の視察で、当時の日本国内だけではほとんどピンとこなかった SCM の知識を得られたのは大きな収穫だった。この頃に得た情報やノウハウのおかげで、現在の流通システムの骨子もちゃんと理解できている。

それに、バッグまでまだしっかり使えているしね。

 

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2021年5月20日

日本の政治の世界はダメダメだが

NewsShere が "日本から 29社「世界で最も革新的な企業100社」 10社は10年連続" と伝えている。100社のうちの 29社だから、ほぼ 3割。トップは米国の 42社で、日米合計で 71社と、全世界の 7割を占めるという。残りはその他のアジア諸国と西欧諸国が約 15%ずつだ。

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100社選出の指標は、①特許取得件数 ②特許によるインパクトの大きさ ③成功率 ④グローバル性 - という 4点。まあ、企業の総合的な実力はこれだけで評価されるものではないから、あくまで「革新性」という視点からの結果ということだ。とはいえ、結構「立派なもの」ではある。

個人的には、日本の産業界全般がしっかりと「革新性」に富んでいるとは決して思わない。しかしそれなりに努力している企業が少なくないので、業種によっては最先端でいられるわけで、日本経済が一時ほどの勢いはないとしてもなんとか持ちこたえている所以だろう。

5月 8日に「この国の政治家と官僚のレベル」という記事で、「政治家のレベルの低いのは元からだが、今となっては官僚の世界にも優秀な人材が入ってこないみたいなのである」「まともな青少年なら官僚なんかになって一時代か二時代前みたいな世界に埋没したいとは思わないだろうよ」と書いた。

その 6日後の 5月 14日には、菅首相の五輪開催に関する答弁について「日本の政治が期待できない象徴的答弁」という記事にした。これ、「批判記事」というより「勝手にやってくれ、もう見放しちゃってるから」というトーンで書いている。

日本の政治はこれほどまでにダメダメでも、経済の力で何とか国を支えていると言ってもいいのかもしれない。現代日本では、優秀な人材は政治の世界には見向きもせず、革新性のある企業に入ってしまうようなのだ。

とにかく政治の世界はうんざりするような老害がはびこっていて、優秀な若い人材を積極的に迎え入れる雰囲気がない。これが最大の問題だ。

一方、企業の世界で若い連中が活躍できるというのは、「定年」というものがあるおかげじゃなかろうか。この制度のおかげで、ジイさん連中がいつまでもデカい面で居座るという構造からは、曲がりなりにも抜け出していられる。(まあ、老害だらけの業界も残ってはいるが)

政治の世界に目を向けると、今の首相とか安倍とか二階とか森とか、あの老害世代がいなくなって(もっとはっきり言えば「あの世に召されて」)きれいに整理されるまでは、どうしようもないんじゃないかと思ってしまうのだよね。

 

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2021年5月19日

私は「無精なコーヒー好き」

ちょっと前に、ラジオ番組の「リスナーからのお便り」で聞いたのだか、Twitter か何かで読んだのか忘れてしまったが、コーヒーに関するおもしろい話に笑ってしまった。

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コーヒー好きの息子が自分のコーヒーを淹れる時に必ず「お母さんも飲む?」と聞いてくれるので、「ウチの子はなんて優しいんだろう」と思っていたのだが、ある時その息子が「1杯分だけだと、どうもおいしく淹れられないんだよな」と呟くのを聞き、「優しい息子」は、思い過ごしと知ったのだという。

「お母さんも飲む?」と聞いてくれるのは、とりもなおさず自分自身がおいしく飲むためだったわけで、確かにコーヒーはある程度の量を一度に作る方がおいしいような気はする。私の気のせいかと思っていたのだが、それほどのコーヒー好きも言うのだから確かなのだろう。

私もコーヒーはいつも自分で豆から挽いて淹れるが、ここに登場した「優しい息子」ほどに凝りまくっているわけじゃない。いつも安物のドリップマシンで 3〜4杯分を一度に淹れて、半日ほどで飲んでいる。これ、飲む度にいちいち淹れるのが面倒だからというだけの話だ。

このやり方だと最初の 1杯目は確かにおいしくて、ちゃんと豆から挽いて淹れただけの甲斐はある。しかし 2杯目以降は香りも飛んでしまい、単なるフツーのコーヒーに落ちてしまうので、PC に向かって仕事しながら惰性でお替わりしてるだけと言っていい。

ただ惰性とはいえ他の飲み物よりは断然コーヒーを飲みたいのだから、一応「コーヒー好き」ではある。ただ、「無精な」(「無難」ではない)という形容詞付きで語る方がいいと自覚する程度には、「身の程」というものを承知している。本物の筋金入りコーヒー好きから見たら言語道断だろう。

ただ、香りが飛んでしまうというのは部屋にいつもコーヒーの香りが漂っているということでもあるので、幸せな気分で仕事ができるのだよね。

 

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2021年5月18日

「サステナブル」「エンターティナー」「プロテイン」

昨日の昼にラジオを聞いていると、「生活にちょっと役立つサステナブル・クイズ 」というのをやっていた。まあ、いいんだけど、私としてはどうしても「サステナブル」というカタカナ言葉にはむず痒さを感じてしまうのだよね。

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「サステナブル」(sustainable)というのは "sustain" (サステイン: 持続させる)という言葉から来ているので、私としては 40年以上前から「サステイナブル」と言ってきた。海外との関連で、そっちの方の仕事もしていたので。

一時、これを「サスティナブル」(「ィ」が小さい)と言う風潮が広まりかけ、"SDG" を「サスティーナブル・デベロプメント・ゴールをご存知ですか?」なんて、したり顔で言う人まで現れて、むず痒さは最高潮に達していた。今は「持続可能な開発目標」というまともな日本語に落ちつき、ほっとしている。

「サスティナブル」って、どうしても「うぅむ、それって "entertainer" を『エンターティナー』と言うのと同類の勘違い英語じゃん!」となってしまっていたのだよ。"Entertainment" はまともに 「エンタテインメント」で定着してるのに、"entertainer" はどうして「エンターティナー」なんだ?

探ってみると「エンタテインメント」というのは、あの名作映画『バンド・ワゴン」中のヒット曲 "That's Entertainment" が、後に大ヒットしたアンソロジー映画のタイトルとなり、日本では『ザッツ・エンタテインメント』というカタカナでプロモートされたので、それで落ちついたようなのだ。

さすが、「名画と名曲のチカラ」である。

一方で "entertainer" の方は、それとはほとんど無関係みたいに「エンターティナー」と表記されることが多い。下のビデオ、スコット・ジョプリン作曲によるラグタイム・ピアノの名曲 "The Entertainer" も、例に漏れず『エンターティナー』になっちゃってる。

これ、曲としてのメロディは多分 "That's Entertainment" よりも有名で誰でも知っていると思うのだが、実はタイトル(念のため: カタカナでは『ジ・エンタテイナー』)は意外なほど知られていない。

「ほら、あのチャチャンカチャンカチャン、チャチャカチャカチャカァチャンカチャン・・・っていう曲」で通じてしまうので、「ザッツ・エンタテインメント」ほどには、まともなカタカナが定着していないみたいなのだね。

話は最初に戻るが、"sustainable" は、「サスティナブル」になりかかっていたのがどうして急転直下「サステナブル」に固定されちゃったのかというと、どうやら 2019年に AKB 48 が歌った『サステナブル』が、まさに持続可能な決定打となったようなのだ。これは「アイドルのチカラ」である。

今月 11日付の「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」の話じゃないが、本当に言葉というのは、どんなきっかけでどう変わってしまうか知れたものではない。

そして次なる疑問として残るのは、「プロテイン」(たんぱく質)だ。英語は "protein" で、その発音をカタカナで表記するとすれば、「プローティーン」(「ロー」にアクセント)が近いはずなのである。

ただし知る限りの米国人の発音は、下のビデオのように短めの「プロゥティン」に聞こえるので、私も英語で話す時は、「たんぱく質という重要テーマ」をことさら専門的に掘り下げるのでもない限り(そもそも、そんな専門知識ないし)、短めの発音に倣っている。

もしかしてこの手の言葉はドイツ語かなと思い、ググってみたところ、綴りは英語と同じで、発音は「プロティイン」のようだ(参照)。フランス語になると、綴りは "protéine" だが、発音は「プロテイン」(参照)。両方ともアクセントは「イン」にある。

日本ではどうしてまた、「テ」にアクセントを置く「プロイン」になってしまったのか。この手の言葉って、カタカナになると「プロティーン」みたいになりやすいのだが、こればかりはベクトルが「エンターティナー」の真逆で、どうしてこうなったのかはまったくの謎だ。

もしかしたら、「プロティーン」とかじゃバタ臭すぎて馴染めないというわけで、マッスル系の業界の人たちが「えいや!」とばかりに質実剛健なローマ字読みで、「オロナイン」とか「セメダイン」みたいな語感にしちゃったのかも知れない。

というわけで、本日のエントリーはいろいろな動画を散りばめた大サービスとさせていただいた。

【5月 20日 追記】

2014年 9月 8日付で、"「エンタテインメント」という言葉を巡る冒険" という記事を書いていたことを思い出したので、合わせてよろしく。

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2021年5月17日

「ディープなアジア」の茨城バージョン

一昨日はたまっていた仕事を片付けてようやく一段落したので、「自分へのささやかなご褒美」としてつくば市にある日帰り温泉に行ってみた。ボーリング場や映画館などもある「つくば YOU ワールド」という複合施設で、日帰り温泉だけは「湯〜ワールド」と、駄洒落みたいなネーミングになっている。

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料金はフツーのスーパー銭湯よりちょっと高めだが、その訳は、温泉施設内の大宴会場で上演される大衆演劇の観劇料込みということのようだった。5月公演は「劇団炎舞」とやらの舞台で、私が入った時は歌謡ショーの真っ最中だったが、なにぶんコロナ禍で客入りが少なく、気の毒なほど淋しい印象だった。

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いずれにしても大衆演劇込みの日帰り温泉なんて、なかなかあるものではない。ここの茨城度は、かなりディープである。

とはいえ、別に芝居を観に来たわけでもないのでさっそく温泉に浸かり、一通り体と神経の疲れをほぐしてから館内着を着てロビーに出る。ソファで涼みながら汗の引くのを待っていると、後ろのテーブルがやたらと賑やかなのに気付いた。

振り返って見ると、還暦過ぎぐらいのおばちゃん 4人のグループが世間話に花を咲かせてダハダハ盛り上がっている。これがまたディープな茨城弁で、一人ずつしゃべってくれれば聞き取れるのだが、常に同時に 2人以上が(時として 4人いっぺんに)しゃべるので、何が何だかわからない。

茨城弁特有のうねるようなイントネーション(単語自体に固有のアクセントはなく、様式のあるようなないような、気紛れな抑揚のセンテンスの中に埋没する)が重なり合って、途切れることのない「ウォ〜〜ン」という響きになり、時に 4人同時の大爆笑が強烈な効果として加わる。これはもう、大変なものだ。

この喧噪に包まれながら、私は時々出張することがあった香港の大衆食堂を思い出していた。香港の洋食レストランはやたら高いばかりで旨くもなんともない(何しろ英国領だったんだから)ので、食事はフツーの香港人の行く大衆食堂に入る。ちなみに香港の人たちはほぼ 100%外食らしい。

こうした大衆食堂は嬉しくなるほど安くてうまいのだが、とにかくうるさい。ドアを開けた瞬間に、店内から噴出する凄まじい騒音の圧力で押し戻されそうな気がするほどだ。だから日本人同士で連れだって食事しても、まともな会話はできない。フツーの声で話したのでは全然聞こえないのだ。

こうした状況では、一応の国際スタンダードとなっている西欧的常識からすると、互いに迷惑にならないように小声で話すのがエチケットとされる。ところがそれとは逆に、皆が周囲に負けないようにさらなる大声でしゃべるというのが、中国的常識のようなのである。

これって、バスや地下鉄に乗るのに決して列を作らず、我先にドアに殺到するのと同じメンタリティだ。そして放っておけば何事も混沌のままなので、強烈な中央集権的権力で身も蓋もないほど抑え込もうとする。

私は日帰り温泉ロビーの喧噪の中で、「これが『ディープなアジア』の茨城バージョンなのだよね」と穏やかに納得しながら、汗の引くのを待っていた。中国の圧政の色が強まっている香港に比べれば、ここはずっと呑気でいられる。

負けるなよ、香港!(最後にこれが言いたかった)

 

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2021年5月16日

「図を使って考える」というより・・・

東洋経済 ONLINE に 「頭のいい人が図を使って考える 3つの訳」という動画記事がある。YouTube の動画によるプレゼンみたいな形の記事だ。

「3つの訳」(動画のタイトルは「3つの理由」となっているが)というのは、図を使って考えると次のような効果があるというのである。

  1. 枝葉末節がそぎ落とされて本質がクリアになる
  2. ビッグピクチャーを得られる
  3. 思考の「見える化」ができる

かなりもっともらしく聞こえるが、私は「ちょっと待てよ」と言いたくなった。というのは、ここに挙げられた 1番と 2番は矛盾するのである。

1番では「情報が多すぎると、情報を整理するだけで手一杯になって思考の低下を引き起こす」と言い、2番では「正しく深く考えるためには、今考えていることに対して影響を及ぼすすべての要素を、視野を広げて大きく捉えることが必要」と言っている。

1番で「航空写真は情報量が多すぎて役に立たない」と言いながら、2番では「視点を上げることによる『鳥の目』が必要」と言う。頭の中にきちんと「図」を描きながら聞いたら(この場合は並列的な図となるが)、その図の中の 1番と 2番はケンカしてしまう。

私の場合でいえば、思考する時には順序としてまず「ビッグピクチャー」を描き、そこからだんだん絞り込んでいく。つまり 1番と 2番は同時には不可能なので、必然的に「時間軸」の要素が必要となり、そうすると順序を逆にして言う方が自然なのだ。

さらに経験則から言うと、「枝葉末節をそぎ落とす」ことが文字通り有効となるのは、「自分で考える時」というより「考えたことを提案する時」だと思う。

私としてもプレゼンをする時にはよく図を使うが、それはある意味、相手に「余計なことを考えさせない」ためである。ストレートに納得してもらうために、敢えてとりあえず視野を狭めて集中してもらう。いわば pursuasion(説得)の手段だ。

その上で、プレゼンが終わってから視野を広げて考え直してもらう分には一向に構わない。それで「待てよ、それって変じゃない?」なんて思われるようでは、プレゼンター側の最初の「ビッグピクチャー」の描き方がお下手なのだ。

このビデオ序盤のストーリーは「頭のいい人たちを見ていて、その共通点は『よく図を使う』ことだと気付いた」ということになっているのだが、それは彼らがプレゼンや会議の際に、上手に図を使うのを見てのことだろう。そもそも実際に思考に没頭している姿なんて、あまり人前にさらさないものだし。

ということは、これは「図を使って考える」というより、「図を使って説明する/提案する/納得させる」あるいは、「会議の内容をその場で図にまとめて整理し、結論に導く」(これは実際に、かなり有効)と言った方がいい。

少なくとも私は、紙やホワイトボードに図を描きながらものを考えるなんてことは、ほとんどしない。いちいち図を描きながらでないと考えられないなんて、そもそも頭が悪んじゃないかと思うほどだ。

そのかわりもっぱらしているのは、プレゼン資料を作る際に、頭の中で構築したアイデアを PC 画面上に「図として清書」するというテクニカルな作業である。経験から言うと、プレゼンに説得力をもたせるのは、矢印多用の「もっともらしい図」よりごく単純な「わかりやすい図」だ。

それにそもそもこのビデオって、画面に登場するのは「図らしきものの漠然としたイメージ」ばかりで、話の内容はちっとも具体的な「図」に落とし込まれてないよね。まあ、図にしなきゃ伝わりにくいほどの内容でもないけど。

 

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2021年5月15日

自然に無理なく「減酒」することの有効性

東洋経済 ONLINE に "茨城にある「減酒外来」に予約が殺到する事情" という記事がある。「断酒が難しいなら、減酒から始めればいい」というサブタイトル付きだ。すっぱりと酒を「絶つ」のはなかなか難しいから、とりあえず量を「減らす」ことから始めればいいのだという。

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この治療で最初に行われるのは 「AUDIT」と呼ばれるテストである。このテストは 10項目の質問に答え、その回答に従って 0点〜4点のポイントが付く。40点満点で 15点以上になるとアルコール依存症が疑われることになる。

この 「15点」というカットオフ値は世界共通のものではなく、それぞれの国に固有の飲酒文化によって自由に設定が変えられるらしい。世界的には「8点」が標準というのだから、我が国は酒に関する許容度がかなりユルいと言っていいのだろう。

ちなみに、私も試しに厚生労働省の AUDIT というページでやってみたところ、結果は「1点」だった。

最初の「あなたはアルコール含有飲料をどのくらいの頻度で飲みますか?」という質問への回答が「飲まない」なら 0点だが、私は「1ヶ月に 1度以下」なので 1点となり、他の質問ではすべて 0点の回答だった。というわけで、私はアルコール依存症になる心配がほとんどないらしい。

とはいえ、昔は結構飲んでいて、2013年 2月 25日付の "世の中の「酒離れ」の最先端を走る" という記事によれば、2005年以前(40〜50歳代の頃)は毎日酒を飲んでいたのである。それが徐々に「週に 2〜3回」に減り、還暦を過ぎた 2013年にはついに「週に1度も飲まなくても平気」になっていた。

そして今では「月に 1度以下」ということになったわけである。強いて「飲みたい気持ち」に打ち勝ったというわけではなく、体の方が自然に「飲めない体」になってしまっていたのだ。というわけで、「断酒が難しいなら、減酒から始めればいい」というのは、自分の体験からもとても有効と感じている。

ちなみに私の場合は、体のためを考えてことさらに酒を遠ざけたというわけじゃなく、単に「毎日飲むのも、何だか面倒になった」と感じているうちに、自然に飲む回数が減った。「面倒くさがり」というのは酒を減らしやすいのかもしれない。

50歳を過ぎても毎日飲まずにいられないというのは、ずいぶん「マメな人」なのだよ、きっと。

 

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2021年5月14日

日本の政治が期待できない象徴的答弁

5月 8日に「この国の政治家と官僚のレベル」という記事で、「政治家のレベルの低いのは元からだが、今となっては官僚の世界にも優秀な人材が入ってこないみたいなのである」と書いたが、その 2日後の国会でのやり取りでそれがしっかりと立証されてしまった。

オリンピック開催に関する菅首相の答弁は日本中を呆れさせたが、その答弁の原稿を書いたのは官僚である。まともなレベルにない文書を、まともな日本語を使えない首相が、眠そうな顔をして何度も繰り返し訥々と棒読みするだけなのだから、まともな国会になるはずがない。

こうした現状を眺めているのだから、この国の若い世代が政治に期待できるわけがない。8日の記事にはこんなふうに書いている。

こんなことでは、まともな青少年なら官僚なんかになって一時代か二時代前みたいな世界に埋没したいとは思わないだろうよ。

というわけで、日本の政治のレベルは今後ますます落ちて行ってしまうのだろう。10日の菅答弁は、日本の政治が期待できないことがいやでもはっきりわかる象徴的なものとなった。

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2021年5月13日

電気ナマズの「直列」って・・・

昨日の昼頃、クルマを運転しながら TBS ラジオの「赤江珠緒のたまむすび」という番組を聴いていたところ、テーマは「算数・理科の時間ですよ!」というものだった。小学校の算数や理科で習ったことでも、ずいぶん忘れてしまっているという話である。

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この日のお相手の博多大吉はこれに関連して、前日に放映された「火曜は全力」とかいう TV 番組での「電気足湯」なる罰ゲームの話を始めた。彼は番組内の罰ゲームで、電気ナマズの入った水槽に足を入れることになってしまったのだという。

恐る恐る足を入れる直前に水槽内を見ると電気ナマズが縦に並んでいるので、彼は「電池で言うと直列に並んでる!」と口走り、ますます恐怖を募らせてしまったという。ただ実を言えば、電池の直列と並列ではどちらの電流が強いのか、しかとはわからなかったらしい。

そんなわけで、TV 番組中に話をそれ以上おもしろく膨らませることができず、内心悔やんだと告白していた。お笑い芸人もなかなか大変だ。小学校の理科で習った常識(電流の強いのは、もちろん直流)を忘れると、商売に差し支えることまであるのだね。

帰宅してググってみて、その番組のビデオを見つけた(参照: 視聴可能なのは今月 18日 22時までということで、それ以後はクリックしても表示されないのでよろしく)。上の写真はその中の 2カットである。

ビデオの初めの方はつまらないので飛ばしに飛ばし、問題の場面になるのは最後に近い 44分 30秒あたりからだが、よく見ると 2匹のなまずは確かに縦に並んではいるが、上の写真で示したように、互いに頭をくっつけるように向かい合ってるじゃないか。これじゃ「直列」もへったくれもない。

いや、これはもしかして、番組スタッフが見た目のみ恐ろしげにして、実際は安全のために電流が打ち消し合って感電しなくなるように配慮したんだろうか?(まさかね)

それにしても、これで終わらせてしまってはもったいない。新たな疑問として浮かび上がったのは、「電気なまずの発する電気って、直流なんだろうか、それとも交流なんだろうか? もし直流だとすれば、頭と尻尾のどっちがプラスでどっちがマイナスなんだろう?」ということだ。

これについては、Wikipedia の「デンキナマズ」の項で調べてすぐに合点がいった。こんな風にある。

デンキナマズは体表を包むように発電器官が発達している。頭部がマイナス、尾部がプラス極となっている。

発電器官が、頭部がマイナスになるように直列に並んでいるということで、ということは直流なんだろう。じゃあ、なぜ直流なのに「ビリビリッと」感電してしびれてしまうんだろうか? いや、電気ナマズに感電したことはないから、「ビリビリッと」かどうかはわからないが。

それに関しては、「デンキウナギ」の項の記述から類推された。(ちなみにデンキウナギはナマズとは逆に、頭部の方がプラスらしい)

この高電圧は約 1000分の1秒ほどしか持続しない。(中略)しかし、1分以上も電気を発生させ噛み付いてきたカイマンを感電死させたという報告もされている。

多くの細胞が瞬間的に電気を発生させるので、「ビリビリッと」くるとすれば、パルスのような効果が発生してるんだろう。

というわけで、昨日は思わぬところで「ちょっとだけ小学校の理科以上」のお勉強をさせてもらったのだった。

 

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2021年5月12日

資生堂の「ドルガバ撤退」のニュースで思ったこと

昨年秋頃のことだったと思うが、ラジオで「君の『どーるちぇあぁんどがばぁなぁ』のその香水のせいだよ〜」(リンク先ビデオの 1分 11秒あたりから)という妙な歌を聞いて、一瞬「何それ?」と思い、その数秒後に「ああ、 "Dolce & Gabbana" も、もう終わりだな」と直感した。

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で、そのほぼ半年後に東洋経済 ONLINE に ”資生堂、「ドルガバ終了」から始まる欧米撤退戦” という記事が出るに至って、「ほほう、俺のアンテナも、まんざら錆び付いてないじゃん」と思った次第である。もう、ブランドでビッグビジネスをする時代じゃないのだ。

今はガタガタになってしまったアパレル・メーカーの オンワード が 1989年に "Dolce & Gabbana" と契約(参照)した時の記者会見には、実は私も参加していた。当のドルチェとガッバーナのご両人も来日して参加していたが、はっきり言って 2人とも「もっさりしすぎ」という印象だった。

こちらが啞然としてしまうほど、意味のあること(自らのファッション哲学とか、デザイン・テーマとか)は何も語ることができず、気の利いたジョークすらも言えなかった。要するにこの 2人、自分たちに深い考えなんてなく、周囲の「悪いオジサンたち」に動かされてるのが見え見えだったのだよ。

そんなことだから最近ではプロモーション面で余計な問題まで起こし(参照 1参照 2)、さらに本業は洋服のデザインなのに、実際は小物やコスメ、香水関連でメシを食ってる印象があって、要するに「もう終わってる」ってことなんだろう。実質以上のビッグネームに仕立て上げられた悲劇である。

そういえば、昨日の "「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」の使い分けって・・・" という記事で、次のようなことを書いている。

私は昔、繊維・アパレル業界で仕事をしていたから、「ブランドのライセンサーに支払う『ロイヤリティ』が馬鹿にならないんだよね」とかいう言い方をよく耳にしていた。

当時は、「そんなに『ロイヤリティ』とやらの支払いが負担なら、欧米のブランドなんかに頼らずに、自前のちゃんとしたブランドを開発すればいいじゃん」と思っていたものである。で、改めて「最近の代表的なライセンス・ブランドって何かな?」と考えたが、急には思い浮かばなかった。

あの頃のアパレル業界大手といえば、オンワードの他には「アーノルド・パーマー」なんてゴルファーの名前でポロシャツや靴下を売るという妙なビジネスをしていた レナウン とか、「バーバリー」のライセンスによるコートに頼りきりだった三陽商会 とかだった。今はどちらもガタガタだが。

その他にも、誰も知らない(プロの私でさえ知らない)ような海外のどうでもいいブランドに「ロイヤリティ」を払って展開しているメーカーも、どことは言わないが少なからずあった。私は「それって、全然意味ないよね!」と思っていたよ。

一方、この頃は山口県のローカル企業に過ぎなかった「ユニクロ」は、どこにも「ロイヤリティ」なんて支払わずに、自前のブランドでここまで成長した。

余計な「ロイヤリティ」とやらを払いながら、他人のネームバリューによりかかる仕組みのライセンス・ビジネスは、地道に自前の財産を構築する本道のビジネスに負けるのである。「ロイヤリティ」とやらの収入に頼るビジネスも同様だ。

 

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2021年5月11日

「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」の使い分けって・・・

昨日の記事で紹介した Gigazine の "iPhone の求心力が過去最高に達する" という記事タイトルで、実は「求心力」という言い回しがちょっと気になっていた。元記事と思われる英文記事を見ると、いずれも ”brand loyalty” という言葉が使われているし (参照 1参照 2参照 3)。

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「ブランド・ロイヤルティ」って、既に外来語としてあるんだから、「求心力」なんてビミョーな言い換えは必要ないんじゃないの? なんて思ったのだが、一方で「そう言い換えないと "brand royalty" と誤解する人も確実にいるから、しょうがないか」と、心ならずも納得していたのである。

改めて言うまでもないが、敢えて確認しておくとすれば、その違いはこういうことだ。

brand loyalty: 「ブランドに対する愛着心・忠誠度」みたいなこと
brand royalty:  商標使用料

ただ多くの日本人は ”L” と ”R” の区別が苦手だから、誤解が生じるのは仕方ないのかもしれない。そう思って念のため、ちょっと「ロイヤルティ/意味」の 2語でググってみたところ、驚いてしまった。

「ピポラボ」というサイトによると、日本には「ロイヤリティ」と「ロイヤルティ」という 2つのカタカナ言葉があり、似てはいるが「意味が全く違う」ので、注意して使い分けなければならないんだとさ(参照)。こんな風に書いてある。

フランチャイズとは、フランチャイズチェーンに加盟した店舗が大本の企業に使用料(ロイヤリティ)を払うというビジネスモデルです。(中略)顧客ロイヤルティは重要なキーワードとなりつつあります。先にも述べたように、これは顧客が企業やブランドの商品やサービスに対して抱く信頼や愛着心のことです。

要するに "royalty" をカタカナにすると「ロイヤリティ」になり、"loyalty" は「ロイヤルティ」ということらしい。ここだけじゃなく、WURK というサイトにも同じようなことが書いてある(参照)。いやはや、びっくりである。

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私は昔、繊維・アパレル業界で仕事をしていたから、「ブランドのライセンサーに支払う『ロイヤリティ』が馬鹿にならないんだよね」とかいう言い方をよく耳にしていた。その頃は、「うぅむ、『ロイヤリティ』じゃなくて『ロイヤルティ』なんだがなあ」と苦々しく思いながら聞いていたものである。

ところが今となっては、こうした意味で使う場合は「ロイヤリティ」と言うってことが、半ば正式に(ここまで来れば「暗黙の了解」以上だよね)認められてしまっているようなのだ。いやはや、そんなの、誰が誰に断って決めたんだよ。

私はいつも「言葉は生き物」なんて言うのだが、まさにそのことを実感してしまった。

「よくある言い間違い」が、よくありすぎるためにいつの間にか公認されて、国語辞典にも載ってしまうということは昔からある。「山茶花」(本来の読みは、漢字の通り「さんさか」)が、いつの間にか「さざんか」になってしまったようなものだ。(参照:音位転換

というわけで、こればかりは文句を言ってもしょうがないのかもしれない。個人的には「苦々しい思い」に変わりはないのだけれど。

ただ、最後に触れておくが、weblio というサイトの 下に示したページ は「苦々しい」では済まされないよね。思わず「おいおい・・・」と言ってしまいたくなる誤りだ。(「ブランドローヤルティ」なんて、初めて聞いたし)

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ちなみに、同じ weblio で "brand loyalty" の方を調べると、今度はこう来た

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基本的なところで、ずいぶんな混乱があるみたいなのである。とりあえず、このサイトは信用できないと結論づけておくことにする。

 

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2021年5月10日

iPhone は指名買い、Android は「ただ何となく」

Gigazine が "iPhone の求心力が過去最高に達する、対抗馬の Android では「Android 離れ」が顕著に" と伝えている。米国での調査によれば、iPhone ユーザーのブランド・ロイヤルティが過去最高に達しているのに対し、Android ユーザーは他メーカーへの乗り換え志向が高まっているという。

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この調査では「スマホを他の機種に替えたいか?」という質問に、iPhone ユーザーの 91.9%が、「替えるつもりはない」と答えたという。ちなみに 2019年 8月の調査では 90.5% だったが、さらに増えて圧倒的な数字となった。(下の図は、クリックで拡大される)

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iPhone ユーザーへの「どうして替えないのか?」という問いには、「OS を替えるのは面倒」という回答は案外少なくて 10% に過ぎず、半数近くの 45% が「今のブランドが好きで替えたくない」と答えている。ちなみに私も、同じ質問をされたらそう答えるだろう。

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翻って、iPhone のシェアが世界一高いと言われる(参照)日本市場をみると、Android のシェアが一頃より上がってきているらしい。ただ、私の周囲の Android ユーザーたちに聞いてみると、自らの意思で選んだというより、多くは店のスタッフの言うがままに買ったというケースが多いようだ。

その辺りの事情は、私の過去記事の「au ショップでは店員の口車に乗るなというマジな話」「iPhone と Android のお話」というのを読んでもらえばわかる。私としては、とくに au ショップは押しつけがましく Android を売りたがっているという印象がある。

手っ取り早く言ってしまうと、iPhone ユーザーの多くは「指名買い」だが、Andoroid ユーザーの多くは、漠然と「スマホ」を買いに行って、わけがわからないうちにただ何となく買ったのが、結果的に Android だったということのようなのだ。これって多分、米国でもある程度共通するんじゃなかろうか。

というわけで、Android ユーザーのかなり多くの層(とくに 60代以上)は、アンケートで「あなたのスマホは iPhone ですか? Android ですか?」と質問されても、それに答えることすらできない。自分の持ってるのは単に「スマホ」としか思っていないから、質問の意味がわからないのだ。

こうした事情から察すると、Android ユーザーのブランド・ロイヤルティが低いというのも、自然なことのように思われるのである。ただ、最後にお断りしておくが、私はきちんと意識的に Android スマホが好きで選んだという人をディスる意図でこの文章を書いたわけでは決してないので、その辺は

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【注】
本文中の 2つの図は、cellsell の "Report: Brand loyalty at an all-time high of 92% for Apple as Android brands take a dive" (レポート: Apple のブランド・ロイヤルティは空前の 92%に達し、Android では急降下)という記事からの転載で、翻訳は tak-shonai による。

 

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2021年5月 9日

我が家は既に FAX がないので、よろしく

先日、iPhone の着信音が鳴ったので出てみると、何やら雑音が聞こえるのみだった。一旦通話を切り、折り返し発信してみたが、相手は「通話中」と表示される。そのうちに留守電が記録されたので再生してみたが、何やらプニュプニュいう雑音が聞こえるだけである。

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一体何だろうと思いながら再び発信してみると相手が出て、「そちらに FAX を送ろうとしてるんだけど、どうしても送れないんですよ」と言う。そうか、あの雑音は 数年ぶりで聞いた FAX の発信音だったのか。

「いや、ウチはもう FAX なんて設置してないんですよ」と言うと、「じゃあ、仕方がないから、メールで送ります」と言う。少し待ってみたら、ちゃんとメールが届いた。だったら、始めからそうしてくれればよかったのに。

我が家の馬鹿でかくて場所塞ぎだった A3 サイズ対応 FAX 兼用プリンターを処分した件は 2017年 4月 24日付の記事に書いてあるから、既に 4年以上前である。この記事には「この 2年ぐらい FAX の受発信そのものをしたことがない」と書いていて、いくら何でももう FAX は不要だろうと思ったのだ。

ところがそのほぼ 2年後の一昨年 3月 15日に、知り合いの女性から FAX を送付された。この時は大昔の安物 FAX 兼用電話機を押し入れの奥から引っ張り出してきて、なんとか受信できた(参照)が、これも処分してしまったから、もはや我が家に FAX というものはないのである。

この時の記事には FAX を使わないだけではなく、固定電話もほとんど使わないと、次のように書いている。

我が家の固定電話は FAX 兼用ではない一番安いタイプで、しかも呼び出し音が 1回なるだけで留守電応答に切り替わる設定にしてある。かかってくるのは 99.9%がアヤシい勧誘電話なのだから、これでまったく問題ない。

これでずっと何の不便もなかったのだが、2021年の世の中になってまたしても「FAX を送りたい」なんて言われたので驚いてしまった。そもそも FAX を送りたいくせに「090」で始まるケータイ番号に電話しておいて、「どうしても送れない」もないものだ。

そんなわけで試しに「FAX/不要」という 2語のキーワードでググってみると、Excite ニュースに「会社で FAX がまだ使われていると呆れる声に賛否 日本のファックス固執は異様?」という記事が見つかった。これがまた、私が FAX を処分したほぼ半月前の 2017年 4月 6日付なのだから笑える。

昨日の記事でもちょっと触れたが、官僚と政治家との文書のやり取りは、今どき 8割以上が FAX だというのもスゴい。そう言えば、確かにあの世界(お役所とか、公共団体とか)は、「お申し込みは以下の FAX フォームで」なんてのが多い気もするが。

世の中がまだこんなにも FAX 好きだとすると、PC やスマホで FAX の送受信ができるアプリを入れるのも手かなと思ったが、調べてみるとインストールは無料でも、固定の月額利用料がかかったり、送受信の度に課金されたりするのがほとんどだ。数年に 1度のことのためにそんな投資は馬鹿馬鹿しい。

というわけで、以後 FAX のことはすっぱりと考えないことにしたので、Yoroshiku4

 

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2021年5月 8日

この国の政治家と官僚のレベル

菅義偉氏が内閣総理大臣に就任する直前だった昨年 9月 10日の BuzFeed News の記事に、"消えた「政治家の覚悟」 菅官房長官の自著が大人気、図書館からもなくなる" というのがある。覚えている人もいるかもしれない。あの「官僚を動かせ」という副題のヤツだ。

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この本は 2012年(自民党が野党だった時代)に文藝春秋社から出されたものだが当然あっという間に絶版になっていたから、メルカリでは 2万円とか 6万円とかの時ならぬ高額転売が相次いでいたようなのだ。(今朝になって調べたら下の画像のように 1,800円だった。この世は諸行無常である)

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どうしてこんな話を今さら持ち出したのかというと、当ブログの 5月 3日付 ”東京オリンピック開催、「どうぞご勝手に」” という記事のコメント欄で、山辺響さんとこんなやり取りがあり、それでふと、この本のことを思い出してしまったのである。

【山辺】「結局はこのまま開催するのだろうな」と思うようになりました。理由は、「この段階で中止に持ち込むにはそれなりに有能な政治家が必要」だからです。

それなりに有能な政治家、いませんよね。

【tak】昔は、「日本は政治家がダメだけど、官僚に優秀なのがいるから、なんとかもってる」と思っていましたが、最近は官僚もダメですね ^^;)

この国の優秀な人材は、政治とか官僚とかを目指さなくなってしまったということのようで・・・

【山辺】確か、東京大学の文科系学部卒業予定者の就職先人気ランキングの上位は、最近ではコンサルティング企業だったような。それもどうなの、と思いますけど。

というわけで、政治家のレベルの低いのは元からだが、今となっては官僚の世界にも優秀な人材が入ってこないみたいなのである。

ちなみに上述の本が世に出て、その副題を知った時、私としてはそのココロは「官僚に頼れ」ということなのだろうと思っていた。それをもっともらしく言うと「官僚を動かせ」になる。しかし官僚の身になれば、この程度のレベルのオッサンに動かされる(頼られる)のはうんざりだろう。

何しろせっかく作文してあげた日本語の原稿をまともに読めない(参照 1参照 2)のだから、張り合いがない。私もその昔、仕事上で業界のエラい人のスピーチを作文してあげる立場にいたことがあるから、その気持ちはよくわかる。

昨年 11月 3日の記事で書いているのだが、官僚と政治家との文書のやり取りは、今どき 8割以上が FAX なのだそうだ。なにしろ政治家がまともに PC を使えないのだからしょうがない(参照 1参照 2)。さらに官僚は月に 100時間の残業はザラで、300時間の残業(1日 10時間以上!)まであるという。

その上、例の「赤木ファイル問題」で明らかになったように、自らの良心に反して公文書改ざんまでさせられる。私は 2018年 3月 18日付 ”公文書改ざん問題を、「まともじゃない視点」で考える” という記事で書いたように、この手の改ざんは実際には少なくないのだろうと踏んでいる。

こんなことでは、まともな青少年なら官僚なんかになって一時代か二時代前みたいな世界に埋没したいとは思わないだろうよ。コンサルティング企業を目指すというのも無理からぬところだ。

というわけで、そのうち政治家や官僚が密かにコンサルタントに頼るなんて世の中になりかねない。そうなると今度は、コンサルの世界にも優秀な人材が来なくなるという堂々巡りの悪循環に陥るだろう。(一応断っておくが、これは冗談ということであってもらいたい)

いずれにしても、できる限り政治に頼らずに生きていきたいと思うばかりである。

 

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2021年5月 7日

最近のスマホ・カメラの性能は、ちょっとしたものだ

私はもう一つの毎日更新ブログである "Wakalog" に、毎日自分で撮った写真(最近は iPhone のカメラを使用)を、和歌とセットにして載せている。

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和歌の毎日更新はココログに移転する前の 2003年 12月 2日以来(参照)で、毎日写真を載せるようになったのは翌年 4月以来だから、17年近くになる。というわけで、和歌ログに載せた写真は合計 6,000枚近くになる。

こちらの Today's Crack のために撮った分も合わせれば確実に 6,000枚を越える写真を、インターネットで人様の目に晒し続けているのだから、そりゃ、少しは腕も上達する。素人写真の掲載されているサイトは数多くあるが、我ながら見劣りのしない方だとは思っている。

和歌ログの写真は、初めのうちはコンパクト・デジタルカメラ(コンデジ)で撮っていて、2009年 8月に iPhone を買ってからもしばらくはそのままだった。「やっぱりスマホのカメラなんかより、専用のカメラで撮る方がいい写真になるに決まってるさ」と思い込んでいたからである。

ところが 2014年 10月 9日に iPhone 6 を入手した(参照)のをきっかけに、すっぱりと iPhone カメラをメインに使うことに決めた。このことについては一昨年 6月 25日に、「コンデジを使わなくなって 5年になってしまった」というタイトルで書いている。

つまり iPhone のカメラは、少なくとも 7年前からコンデジに全然劣らない写真を撮れるようになってしまったわけだ。最近はたまにコンデジを使うのは、自分の iPhone を写真に撮りたい時と、30倍の望遠機能を使いたい時だけに限られる。

上に載せた画像の左上は 10年前の 5月 22日付の和歌ログ(参照)の写真(コンデジで撮影)で、右下が今月 6日、つまり昨日付(参照)の写真だ。両方とも今の季節の、我が家の裏の川土手の風景だから、比較しやすい。

並べてみると、昨日の iPhone 写真の方がずっと高品質なのが一目でわかる(クリックして拡大してみれば、さらによくわかる)。これではもう、カメラは引き出しの中にしまいっぱなしになってしまうのも仕方がない。

 

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2021年5月 6日

「天ぷらにソース」の謎が、また少しほどけた

もう 8年以上も前になるが「ソースで天ぷらを食う文化」という記事を書いた。岡山に出張した際に天ぷらをソースで食わされ、西日本ではそれがごくフツーと知って、かなり驚いてしまったという話だ。

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天ぷらにかけるのが醤油かソースかというのは、フォッサマグナを境にして、東日本と西日本にかなりきれいに分けられるようなのである。そしてその 2日後に、「ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き」なんていう関連記事まで書いている。

で、この件に関してはほぼそれっきりになっていたのだが、今日、さらに新しいことを知った。ラジオでたまたま、「西日本の人たちは天ぷらにソースをかけるので、やっぱりウスターソースでないとね」という話を聞いたのである。

この話の続きはこんなことだった。東日本の人たちはソースはとんかつやフライにしかかけないので、「中濃ソース」のほぼ一択だが、西日本ではさらりとした「ウスターソース」がメインで、お好み焼きなどには「特濃ソース」という使い分けをしているというのである。

そんなことは、この歳になって初めて知った。要するに「ソースで天ぷら」と一括りに言ってしまっても、そのソースそのものが、東日本と西日本では違うのだ。

西日本で「ソース」といえば、粘度が低いウスターソースなので違和感がないわけなのだね。東日本の人間は「天ぷらにソース」と聞くと、どうしてもどろっとした中濃ソースを思い浮かべるので、「うっ!」となってしまうわけだが。

ちなみに我が家は市販のソースを全然使わないので、中濃もウスターもないが、そういえば庄内の実家ではカツやフライなどには「とんかつソース」というのを使い、それ以外はすべて醤油を使っていた。しかもその醤油は、関東の「濃口醤油」よりやや色の薄い「薄口醤油」だったような気がする。

そういえば大学に入って上京した時、東京の醤油の色の濃さに驚いた覚えがある。さらにうどんの汁にも「うわぁ、真っ黒に近いじゃん!」とたじろいだものだ。私の田舎は江戸時代から西回り航路の終着港だったので、かなり上方文化が入っており、東北とはいえどっぷりと東日本的ではなかったのだ。

さらに明らかになったのはソースのブランドで言うと、上の図のように東日本では「ブルドック」(英文表記は "Bulldog" だが、カタカナでは「ブルドック」)が圧倒的だが、西日本では「オタフク」というのが有力ということだ。

このオタフクというのは広島のメーカーで、ウスターソースに強いらしい。さらに広島だけに、お好み焼き用の「お好みソース」というのまである。

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ちなみに「ブルドック」と「オタフク」の二大ブランドの他には、「カゴメ」もケチャップだけでなく奮闘しているし、そのほかにも地域的には限られるが、「イカリ」「コーミ」「オリバー」などがあるという。思いのほかに多様性のある市場のようなのだ。

 

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2021年5月 5日

大型連休と山岳事故に思う

今年の「大型連休」というのは今日で終わりのようだが、フリーランスとしては連休もへったくれもなく、ずっと家にこもって仕事をこなしている。先月の 30日と今月の 3日、あまりにも天気が良くてもったいなかったので、自転車でロングライドをした(3日はヒルクライム:参照)だけだ。

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で、結局のところ、この連休期間に安心して自転車に乗れたのは上述の 2日だけ(4月 30日はウィークデイで、そこはフリーランスの強みだったが)で、あとは平地でも雨が降ったり雷が落ちまくったりという不安定な天気だった。連休最終日の今日にしても、かなり荒れ模様だし。

ニュースによればあちこちで山岳遭難が発生したようで、死者もかなり出ている(参照)。昨年の連休は概ね天気がよかったので、こんなに遭難事故のニュースの続くのは久しぶりのような気がしている。

コロナ禍の中、山小屋での雑魚寝なんて避けたいと思うのが人情だろうから、連休でも登山客なんていないんじゃないかと思っていたが、まんざらそうでもないようだ。とくにこんな時期のこんな天候だけに、熟達者が登って大変な目に遭うというケースが多かったようである。

とくに昨日あたりは北アルプスで「ホワイトアウト」するほどの猛吹雪になったという。最凶の地吹雪地帯、山形県庄内生まれの私としては、平地のホワイトアウトは冬場に何十回も経験しているが、山であんな目に遭うのは絶対に御免蒙りたい。亡くなった人たちは気の毒な限りだ。

一方では、沖縄と奄美地方で梅雨入りした(参照)というから、日本もかなり広い。猛吹雪のニュースを聞きながら夏の暑さの心配をするというのは、この時期ならではだ。

若い頃は私もかなり登山をしたものだが、これから先は山登りは低山にとどめて、あとは自転車のヒルクライムぐらいがちょうどいいかもしれない。もっとも、自転車の山登りも死ぬほどしんどいところがあるが。

 

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2021年5月 4日

改めて「東京オリンピックは他人事」と確認しておく

安倍前首相の ”東京五輪「オールジャパンで対応すれば開催できる」” 発言に、ふゆひー 9 さんが "私はその「オールジャパン」には入っていないけど、問題ないよね" と Tweet しておられるので、さっそく「私も参加した覚えはまったくありません」とレスさせていただいた。

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なにしろ昨日 "東京オリンピック開催、「どうぞご勝手に」" と書いたばかりの私としては、この「オールジャパン発言」は迷惑な話でしかない。さらに言えば「オリンピックは他人事」と思っているのは、もはや世の中のマジョリティなんじゃあるまいか。

「ここに至って、どういうことだ?」である。これほどまでに具体性と裏付けを欠いた「雰囲気のみの発言」というのは大人げないほどで、この程度の人が、あんなに長く首相を務めて、この国の政治をこんなにしてしまったわけだ。(「こそあど」ばかりでごめん)

ここで「いや・・・」と、余計なことを思いついた。

もしかしたらこの安倍発言は、「オリンピックの失敗は、オールジャパンが実現しなかったため」という逃げ口上を言うための準備であり、秋になったら「失敗の責任は、『他人事』なんて言って協力しなかった非国民たちにある」なんて言い出しかねない。(そんな周到な下工作のできる人とも思われないが)

そういうわけで本日の記事は、元首相がこれ以上無茶苦茶なことを言っても「あまりにもアホらしくて付き合いきれないよ」というスタンスを貫くための宣言ということにさせていただく。

そしてここで改めて、「東京オリンピックは他人事」と確認しておく次第である。

 

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2021年5月 3日

東京オリンピック開催、「どうぞご勝手に」

NewsPhere が 先月 21日付で、東京オリンピックについて "「名ばかりの大会に」東京五輪開催に、海外から懸念・批判の声" と、かなりネガティブに報じている。

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私は先月 15日の「オリンピック開催を巡る二階幹事長の雰囲気発言」という記事で次のように書いている。

いずれにしても、ここに来て「オリンピック開催は、無理なんじゃないの?」という雰囲気が、与党内にも漂い始めているんじゃあるまいか。この「雰囲気」が「明確な意見」になる前に、二階さんみたいなオッサンがいろいろ言ったり引っ込めたりして周囲の反応を探るということが多い。

いわゆる「観測気球を上げる」ってやつで、自民党が昔から取ってきたスタイルだ。ただ、そんなような手垢の付いたスタイルでやっていこうとしても、オリンピックに限ってはもはや時間がなさ過ぎるので、しょうがないから結局「開催強行」で押し切るほかさそうといった事情も読み取れる。

というわけで、いろいろなことが言われてはいるが、東京オリンピックはもはや開催するしか道は残されていないみたいなのである。中止するのは、東京でコロナの超特大パンデミックが発生してしまうみたいな、よほど大きなことでもなければ無理だろう。

NewsPhere の記事も「政治と経済でがんじがらめ 東京五輪はやるしかない」という中見出しで、国内での開催反対論台頭や多くの海外メディアが批判的という事情にも関わらず、中止の可能性は低いとしている。開催まで 100日を切ってしまい、今さら「中止します」とは言えないのだろう。

AP のスポーツライター、ベス・ハリス氏は、「東京五輪はテレビのためのイベント」になると言っている。「収入の 4分の 3 近くを国際放映権料に頼っている IOC にはこれで十分」だからだ。要するに中止になって放映権料が入らなければ、IOC は財政破綻してしまうのだ。

日頃は政府に批判的なニュースを流すテレビ媒体が、東京オリンピック開催に限ってはちっとも態度を鮮明にしないというのも、この事情から察することができる。彼らもオリンピック中継でのスポンサー料が入らないと困るのだろう。

また、日本政府としてもこれまで莫大な資金を投入しているだけに、中止にはできないという。小池都知事もテレビの世界出身だけに、今さら「止める」なんて言えない。

というわけでハリス氏は、「喜びも魅力も高い理想も失い、自業自得のシニシズムのみが残る、名ばかりの大会になりそうだ」としている。私としても、「ここまで来たら、もうどうぞご勝手に」と言うほかない。

 

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2021年5月 2日

「シミュレーション/シュミレーション」の「音位転換」

「ことばの疑問」というサイトに "「シミュレーション」が「シュミレーション」と発音されるのはなぜでしょうか" という質問が寄せられており、それに対する回答がとてもおもしろい。

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そこでは「言葉のゆれ」について、次のように紹介されている。

  1. 撥音(「ン」)が長音(「ー」)になる場合。
    類例 : 「店員」→「テーイン」,「原因」→「ゲーイン」など。

  2. 拗音(特に「ュ」)が脱落する場合。
    類例 : 「出張」→「シッチョー」,「手術」→「シジツ」など。

  3. 連続する同じ母音が単音化する場合。
    類例 : 「体育」→「タイク」,「第一」→「ダイチ」

  4. k や s などの子音(無声子音)に挟まれた母音が脱落する場合。
    類例 : 「満足感」→「マンゾッカン」,「大仏さん」→「ダイブッサン」

  5. 前後の音が入れ替わる場合。
    類例 : 「雰囲気」→「フインキ」,「フェミニズム」→「フェニミズム」

「シミュレーション/シュミレーション」は上記の 5番「前後の音が入れ替わる場合」に該当し、「音位転換(metathesis)」と呼ばれるという。また別に存在する「趣味」という言葉に引きずられたということも考えられ、これは「類音牽引」と言われるらしい。つまり「合わせ技」だ。

"Metathesis" の "thesis" というのは学位論文とか、弁証法の 「テーゼ」のことだとばかり思っていたが、この場合は、詩や音楽の「強弱」ということらしい。そしてこのページ冒頭のイラストの、VR グラスをかけた 2人の「君の趣味は何?」「シュミレーションゲームだよ」という会話はイケてるよね。

「シミュレーション/シュミレーション」に関しては前にも書いた覚えがあるので検索してみたところ、「我々の現実は実は全て仮想現実?」という 13年も前の記事が見つかった。

私はそのエントリーで Technobahn というサイトの「我々の現実は実は全て仮想現実、研究者が奇抜な論文発表」という興味深い記事を紹介しているのだが、この中で、「宇宙は多次元の宇宙的時間軸で動いているシュミレーションの産物であると推論」と書かれているので、ちょっとがっかりしたのだった。

科学の世界を紹介しているのだから、ここはちゃんと「シミュレーション」と表記してもらいたかったところである。コメントのやりとりのうちに、元記事はそれほど深い内容じゃないとわかってさらにがっかりしたのだが、このアイデアそのものは、勝手に発展させたらかなりファンタスティックになる。

話が横道にそれかかったが、言葉というのは思わぬ方向に揺れたり変化したりするというのがよくわかる。

ちなみに私自身について言えば、「店員/手術/第一」などは決して「テーイン/シジツ/ダイチ」とはならない。これはきっと、ネイティブな「庄内弁」と物心ついてから修得した共通語の、いわば「バイリンガル」だからと思う。共通語はフォーマルな気がしていて、ことさらしっかり発音してしまうのだ。

ただ、「満足感/大仏さん」などは「マンゾッカン/ダイブッサン」となる。これをしっかり発音しすぎるると、クドい印象になってしまうからね。

ところで「音転現象/音位転換」について私は、2017/12/24 の "「雰囲気 — ふいんき」問題を巡る冒険" という記事でも触れていて、さらに翌年のエイプリルフール・ネタにまでしている(参照)。もっと遡れば、"「なおざり」 と 「おざなり」 言葉は生き物" という 18年も前のページにも出てくるし。

私ってば、「言葉」の問題に関してはずいぶん昔からいろいろこだわってきたものである。

 

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2021年5月 1日

牛肉レシピを載せない料理サイト

先月、生まれて初めて飛騨の国への旅に行った際の記事で、私は「開いているのは飛騨牛を食わせる店と高山ラーメン(飛騨ラーメン?)の店ばかり。肉を食わない私はどちらにも用がない」と書いている(参照)。本当に飛騨や佐賀など、牛肉が売り物の土地に行くと食うモノに苦労してしまうのだ。

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というわけで今回は、HUFFPOST の "牛肉レシピの掲載を停止「世界最悪の気候犯罪者の1人に出番を与えない」 アメリカの人気料理サイト" という記事に注目してしまった。これはもう、本当に「潔い」ことである。

このレシピサイトは "epicurious" という。ちなみに "epicurian" (快楽主義)という英語があるので、形容詞として「快楽主義の」という意味なのかと思ったら、私の手持ちの ウィズダム英和辞書にはこの項目がなかった。どうやら造語みたいなのだが、意味は誰でもすぐにわかるよね。

で、「快楽主義」と言うのだから牛肉もりもり食べ放題志向なのかいうと、そうじゃない。このサイトの宣言は次のようなものだという。

牛や、牛を食べる人々に対する“復讐”のようなものだと思う人もいるかもしれませんが、私たちはハンバーガーが嫌いだから、この決定をしたわけではありません(嫌いじゃありません!)

私たちの決定は、サステナビリティ(持続可能性)に関するものであり、世界で最悪の気候犯罪者の 1人に出番を与えないということです。これは、反牛肉ではなく、むしろ親地球だと考えています

世界の温室効果ガス排出量の約 15%は、家畜(および家畜の飼育に関係するもの)から発生しており、そのうち約 65%は、牛(牛乳も含む)から排出されているという。とすれば、epicurous のこの方針こそ、まさに「真の快楽主義」と言えるかもしれない。

私はこのサイトの "Left Beef Behind" ’(牛肉を置き去りにした)という方針を心から支持したい。

 

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