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2021年5月24日

『ラジオ体操のうた』のモヤモヤ感

昨日の朝の NHK ラジオを聞いていると、「私は『ラジオ体操のうた』が大好き」という投書が紹介された。この歌とともに、爽やかな 1日をスタートできるというような話だった。

『ラジオ体操のうた』というのは、藤浦洸作詞・藤山一郎作曲 という、往年の大御所によるもので、毎朝の「ラジオ体操」の前に流れされる。1番の歌詞は次の通り。(下記【注 1】参照)

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三

テレビ放送初期の NHK の人気番組だった「私の秘密」のレギュラー解答者としてもお馴染みだった作詞家の藤浦洸氏にイチャモンをつけたいわけでは決してないが、この際だから思い切って書いてしまおう。私の場合は子どもの頃からずっと、この歌詞を聞く度にモヤモヤ感が湧いてしまうのだ。

どういうことかというと、「胸を開く」というのがよくわからないのだ。

  1. 喜びに胸を開け
  2. ラジオの声に 健やかな胸を/この香る風に開けよ

このようにことさらクドいまでに歌われるのだから、この歌のキーワードなのだろう。しかしこれこそが、幼い頃からのモヤモヤの元なのである。

5〜6小節目で「喜びに胸を開け」というのはシンプルなセンテンスでもあり、その直後に「大空あおげ」とあるので、まあ喜びながら胸を反らせて、俯かずに上向き加減の姿勢を取れということなのだろう。そう受け取ることには、別に抵抗がない。

しかし 9小節目から 14小節目までとなると、「健やかな胸」を開く対象として、まず倒置法的な唐突さで「ラジオの声」が出てきて、その後にさらに「この香る風」というのが、ドサクサ紛れのようにたたみ込まれる。ちょっと忙しすぎるレトリックで、フォローしきれない。

この場合、「ラジオの声」と「香る風」の、どっちがメインなんだ? あるいは両方平等としても、それなら具体的にはどうしろというのだ? 室内の場合は、ラジオを聞きながら「香る風」を感じるために窓を開け放せというのか? 寒い冬には、窓を開け放さなくても想像で補えばいいのか?

日本全国の起き抜けでまだ頭がぼんやりした状態でいる人間に対する呼びかけとしては、あまりにも整理のついていないオファーではないか。「NHK さん、ちょっとわかりやすく説明しておくれでないか」と、幼い私は思っていた。

「あるいは」と、深読みしようとしたこともある。「まず『喜び」によって開いた胸を、ラジオの声を聞くことでさらに健やかな気分にし、次の段階でおもむろに、『香る風』に対して開け」と言っているのではなかろうかと。ただそれでも「一度開いた胸をさらに開け」というのはしつこ過ぎる。

「どういう価値感の元に、こんなわかりにくい押しつけをするのだ?」という疑問は深まるばかりである(下記【注 2】参照)。私のアスペルガー的傾向は、幼い頃からのもののようなのだ。

ただ、そんなことに朝からこだわっていては自分としてもいい気分じゃないし、「胸を開く」なんてことも到底できない。というわけで、その直後から始まるラジオ体操をすることで、「そんなどうでもいいことは忘れてしまえ」という話なのだろうと解釈しながら、モヤモヤを晴らしていた。

ところがせっかく晴らしたモヤモヤが、翌朝再び蒸し返されるのだからたまらない。小さなモヤモヤといえども、毎日繰り返されればイヤでも大きくなる。というわけで私は、「この歌は決してマジに受け取らず、ひたすら上の空で聞き流すべき歌」と学んだのであった。

ところが、この同じ歌が「大好き」で、その思いをわざわざ投書する人もいるのだから、世の中馬鹿にならない。前々からわかっていたことではあるが、この世でフツーに歓迎されるのは、具体的な「意味」よりもむしろ、もっともらしい「雰囲気」というものなのであった。

この「雰囲気」醸造には、藤山一郎作曲によるあのメロディが大きな役割を果たしているのだろうね。歌詞の方ではモヤモヤするが、曲は爽やかな「名曲」であると認めるにやぶさかではない。

【注 1】
Wikipedia によれば、この歌は『ラジオ体操のうた』としては 3代目で、1956年 9月に発表されたもののようだ。この歌のタイトルについては次のようにある(参照)。

『ラジオ体操のうた』(ラジオたいそうのうた)は日本放送協会(NHK)のラジオ番組『ラジオ体操』のテーマ曲である。『ラジオ体操の歌』とも表記される。

歌詞を確認するにあたって参照したページ(こちらこちら)では、堂々と『ラジオ体操の歌』と表記されていて、このあたり、「どーでもいい」という感覚のようだ。

【注 2】
「胸を開け」のしつこさに関しては、私としては「戦後にどっと入って来たアメリカ文化の影響で、米国人の分厚い胸板に相当なコンプレックスを抱いた結果なのかもしれない」なんて思ってきた。

 

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コメント

普通に、お外で立ちバージョンのラジオ体操をやらされ──もといやってるところを描写した歌ということでいいんじゃないでしょうか。うろおぼえですけど最後の方に「大きく胸を開く運動」というのがあったはずですから。
この曲の主人公は、ラジオの「一 二 三」の声の言うまま、香る風(どんな香りだか知りませんが。肥やしを撒いたばかりの畑でしょうか?それとも小学生たちが毎日ゴミを放り込んでいく学校横の淀んだドブ川とか?)に向かって大きく胸を開く運動をしてるんでしょう。
で、やっとこのくだらない体操が終わるという喜びと希望が、「第二体操ー」とのラジオの声で再び絶望に塗りつぶされる、とw

投稿: 柘榴 | 2021年5月25日 06:15

柘榴 さん:

念のため改めて書かせていただきますが、私のもやもや感は、この歌の意味とか主旨とか、何を描写しているのかとか、体操そのものの動作などからではなく、主として

>ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
>この香る風に 開けよ

という、歌詞として整理の付いていない「レトリックそのもの」から来ているのです。

つまり、問題は「意味」ではなく「混乱したフォーム」です。

投稿: tak | 2021年5月25日 09:39

真っ白なブラウスの縦に並んだボタンを弄ぶかの如く…(中略)

「さぁ、胸を開きますよ。」

その指の動きに逐一身体を震わせ、その深淵に秘める鼓動を察知されまいと(以下略)

投稿: 乙痴庵 | 2021年5月27日 22:53

乙痴庵 さん:

わはは (^o^)

>真っ白なブラウスの縦に並んだボタン

ここまで妄想できるのは、スゴいです。

私は子どもの頃、ラジオ体操を真面目に続けると胸板が分厚くなって、パッツンパッツンになったワイシャツのボタンがぶっ飛ぶのかなんて思ってました。

投稿: tak | 2021年5月28日 05:22

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