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2021年5月30日

茨城県の道路交通事情(時代は変わる)

私がつくばの地に引っ越して来たのは今を去ること 40年ちょっと前。先にこの土地に引っ越していた叔父に「隣同士で住もう」と誘われ、半ば強引に引っ張り込まれたのがきっかけだった。別にすすんで茨城に住みたかったというわけでも何でもない。

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当時、私はまだ 20代後半という若さで、この辺りの町内会では最年少の世帯主だった。挙げ句に私を引っ張り込んだ叔父が数年後に仕事の都合で田舎に帰ることになってしまい、つっかえ棒を外されたような格好になりながらも、行きがかり上、ほかに引っ越す当てもなくずっと住み続けているというわけだ。

あの頃に還暦過ぎで、町内の主みたいな顔をしていたお歴々はとっくの間に昇天し、代替わりした息子連中や、当時 30〜40代で働き盛りだった親父連中も、今はすっかり「ご隠居さん」である。そしてその子供たちの世代となると、多くは東京のマンションなんかに住んで帰ってこない。

一方で新規に移転してくる家族もあるにはあるが、総じて言えばこの辺りも高齢化の波に洗われている。近所を歩いていて出会うのは、ジイさんバアさんばかりだ。

ところで 40年前といえば、茨城県はクルマの運転が荒いので有名だった。千葉県では「利根川を渡ったら、気をつけろ」なんて言われていたものである。

法定制限速度を 10km/h 程度はオーバーして走らないと、流れをせき止めてプチ渋滞の元となり、不興を買うというのは日本全国共通の実情だ。しかしここ茨城では「制限速度の倍までは出していい」なんて、マジで語られていた。実際、当時は 60km/h ぐらいでフツーに走っていては、後ろから煽られた。

「エラいところに来てしまったなあ」と思い、いつまでも後ろにぴったり付かれるのは鬱陶しいから、左端に避けて先に行かせてやっていたものである。(「20分にわたって煽られた」なんて切々と被害を語る人がいるが、どうしてさっさと避けて追い抜かせてやらないのか、私は不思議である)

しかしそのうちにこの土地のスピードに馴染んでしまったというか、自分まで時々ついスピードを出しすぎて「ヤバ!」なんて思うようになってしまった。風土というのはコワいものである。

ところが最近では、様相がすっかり変わってしまった。クルマの流れがトロすぎて、さすがの私もイライラしてしまうことがしょっちゅうなのである。だって、法定速度 40km/h の道路を、額面以下の 37〜8km/h ぐらいで走るクルマがザラで、登り坂にさしかかると 30km/h そこそこにまで落ちるのだもの。

さすがに多くのクルマはしびれを切らし、対向車の途切れるのを待って次々に追い越していく。私も追い越しながら、渋滞パレードを率いて走る先頭車両の運転席をチラリと見ると、たいていは呑気な顔したジイさんで、たまに、いかにも危なっかしそうなオバサンということもある。

ここまで極端でなくても、総じて道路のクルマの流れは、40年前よりかなり遅くなってしまっている。昔はガンガン飛ばしていた茨城のドライバーも、さすがに寄る年並みには勝てないようなのだ。

この辺りは公共交通機関のインフラが貧弱なので、都会の優等生老人みたいに「運転免許自主返納」なんてわけにもなかなかいかず、よっぽど体の自由がきかなくなるまで、自分で運転せざるを得ない。思えばアブナい話である。

というようなわけで、「時代は変わる」ということをしみじみ感じる今日この頃である。

"Times They Are A Chaingin'" (邦題:『時代は変わる』)by Bob Dylan

 

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