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2021年6月26日

もはや、これが「食い物」に見えない体になった

私は 2013年頃から鶏肉を除いた肉食を断ち、その後しばらくして、鶏肉も食う気がしなくなったので自然に遠ざけるようになった。ということは完全に肉を食わなくなってから 5〜6年以上経って、最近ではスーパーの食肉売り場を見ても別世界にしか思えなくなっている。

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で、今日、Gigazine のサイトで ”100%炭火焼きの 4枚肉と甘辛テリヤキソースの相性が抜群なバーガーキングの「東京テリヤキタワー超ワンパウンドビーフバーガー」を食べてみた” という記事とそこに添えられた写真を見て、「本当に肉は『別世界』になったなあ」と、しみじみ実感した。

この写真を見ると、肉好きの若い男の子だと「おぉ、食べてみたい!」なんてファイトが湧いたり、フツーの人なら「見るだけでお腹いっぱい!」なんて思うかもしれないが、それって、写真が見る者に宿る食欲に対して何らかの働きかけを行ったことへの反応だろう。

ところが私の場合、呆気ないまでに何の感慨もないのだ。これには我ながら驚いた。

写真を見ても、この画像が「食欲」というものと全然結びつかないのである。ということは、食べたいとも思わなければ「うわぁ、食べきれない!」なんていうショックもない。何やらドロリとした気味の悪いものが映っていると思うばかりなのだ。

バーガーキングさんには申し訳ないが、私はもはや、これが「食い物」に見えない体になってしまったようなのだ。「肉は食いたいけど、我慢している」というわけじゃなく、「元々、食いもんじゃないじゃん」という意識になってしまっているのである。

というわけで、料理の雑誌なんかで「菜食主義者のための、豆腐を使ったステーキ風レシピ」なんて記事を読んでも、「別に、豆腐は豆腐として食いたいし・・・」なんて思ってしまう。肉を食いたいと思わないのだから、わざわざ豆腐の出自を欺いてまでステーキ風に仕立てる必要もないのである。

肉を食わない食生活って、本当に楽だ。もう、後戻りはできない。

 

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