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2021年6月19日

「見えても見ていない」ので、他人を手伝えない日本人

東洋経済に "日本人はなぜ、「ベビーカー運び」を手伝えないか 日本人に多い「他人恐怖症」、その根本原因は?" という記事がある。ニューヨークで出産した岡本純子さん(コミュニケーション・ストラテジスト)が、帰国してからの気付きについて書いたものだ。

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私自身は電車で年寄りが立っていたらフツーに席を譲る(参照)し、ベビーカーの扱いで難儀している人を見たりしたら気軽に声をかけて手伝うのだが、こういうのって、確かに「日本人には珍しいタイプ」のようなのである。彼女は次のように書いている。

アメリカ・ニューヨークで子どもを産んだ私は、エレベーターのない地下鉄の駅で、何度となく見知らぬ人にベビーカーの上げ下げを手伝ってもらいました。「May I help you? (手伝いましょうか?)」と通りがかりの人がごく自然に声をかけてくれ、本当にありがたかったのを覚えています。(中略)

帰国してショックだったのは、そういう姿をあまり見かけないことでした。重い荷物をもった人や高齢者など街中で「困っていそうな人」がいても、声をかける人が少ない……。

これに関して、ネット上でのさまざまな意見が紹介されているのだが、煎じ詰めると、「日本人の極端なリスク回避志向」によるものと見ているようだ。これは「事故などあったら、責任問題になり、損害賠償など要求される。リスクが怖い」という意見に代表される。

ただ、私の率直な考えを述べるとすると、そんなもっともらしいことより、日本人は「他人がヘルプを求めている状況に気付く感覚が鈍い」というだけのことだと思う。

上の写真には難儀している母親を冷たい表情で振り返る若い女性が映っているが、これってある意味「演出過剰」で、実際にはこんなことわざとらしい場面はほとんどない。大抵の人はただ何事もないようにフツーに通り過ぎるだけだ。

日本人って、身内には鬱陶しいぐらいお節介なのに、他人の状況にはほとんど無頓着なのである。「見えても見ていない」のだ。岡本さんの記事には「手伝わない理由」がいろいろ紹介されているが、実はほとんど「見えても見ていない」ことの「後付けの言い訳」をもっともらしく述べているだけにすぎない。

「見えても見ていない」ということになるのは、幼い頃からそうした訓練がされていないからだと思う。言葉を換えて言えば、「他人をきちんと意識する仕方」がわかっていないのだ。

岡本さんはベビーカーの上げ下げの手伝いという観点から論じておられるが、私はクルマの運転中にそれをとても感じる。例えば下の図をご覧いただきたい。(クリックすると別画面で拡大表示される)

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主要道路から脇道に右折するために停車し、右側ウィンカーを点滅させながら反対車線のクルマの列の途切れるを待っているクルマがあるとする。反対車線は切れ間なくクルマが通り過ぎて、全然道を譲らない。しかし彼らの行く手には信号があり、赤信号で渋滞中という、「ありがち」の状況だ。

右折しようとしているクルマは、後ろのクルマを「せき止めている」ことになる。せき止められたドライバーはイライラしながら先頭のクルマの右折を待つ。

こんな場合、反対車線を走るクルマはちょっとスピードを緩めるか停車するかして、右折車に道を譲ってから先に行っても、結果はあまり変わらないのだが、多くはまったく道を譲ろうとしない。対向車線を走るドラーバーたちは、ウィンカーを出して停まっているクルマが「見えても見ていない」のである。

私はこうした場合、いつもスピードを緩めて道を譲ることにしている。そうすることで道路の流れ全体がスムーズになるのだから、こちらとしても気持ちがいい。

私はこれまで私企業よりも団体に勤務する経験が長かったので、「部分最適」より「全体最適」を求める視点が鍛えられたのかもしれない。「世の中というのは、ちょっとだけ他を手伝って上げたり、譲るべきところで譲ったりする方が、結局のところ自分の方も都合良く運ぶもの」と知ったのだ。

そして「全体最適」を求めるには「他の存在をきちんと意識する」ことが必要なのだが、日本人は「ムラ社会」以来、「他の存在」をきちんと意識するということが苦手のようなのだ。

学校時代も、全員制服で同じ格好をしているのが当たり前で「多様性」ということの実感が不足してるから、「異質の存在」との付き合い方に慣れてないのだね。ましてやいつまで経っても「外国人は黒船」だし。

それにしても、"May I help you?" って、便利な言葉だよね。

 

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コメント

確かに!
車いすで坂を上がっている人の横をみんな知らんぷりして通り過ぎてますね。私は〝押すよ"と言って押してます。

ほんのちょっとの時間と筋肉を使えば車椅子利用者の苦痛が軽減できます。ほんのちょっとですよ。みんなが〝ほんのちょっと”の奉仕をすれば社会はもっとうまく回るのですよ。

礼の言葉もないこともありますが、そんなのカンケーネーです。

こういう国がおもてなしの国だなんてとてもいえないですよ。おもてなし後進国です。

投稿: ハマッコー | 2021年6月20日 21:33

ハマッコー さん:

>こういう国がおもてなしの国だなんてとてもいえないですよ。おもてなし後進国です。

金を使ってくれるお客さんに対してだけは、妙にカタチだけのおもてなしをするんですよね ^^;)

投稿: tak | 2021年6月21日 08:26

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