「夢うつつ」の状態なら、結構おもしろいかも
昨日に「夢の中での『神のお告げ』なんて・・・」(参照)とディスった翌日に掌返しのようなことを書くのもナンだけど、「もしかして『夢うつつ』の状態なら、結構おもしろいかも」なんてことを思ってしまった。というのは、今朝の夜明け前に実際そんなような「夢うつつ」になっちゃったからである。
今、午前 3時 13分。6月とはいえ外はまだ暗いが、「夢うつつ」から覚めたばかりで、このまま再び眠りに落ちて記憶が消えてしまうのももったいないので、無理矢理起き出してこれを書いている。
その「夢うつつ」の中で私は、なぜかクラシック系の演奏家の集まるパーティに紛れ込んでいる。あちこちでヴァイオリンやオーボエなどの実際の演奏が行われているのだけれど、そこは「夢うつつ」の便利さで、それぞれの演奏が独立してクリアに聞こえ、気持ちがいい。
集まっている連中の多くは東洋系の顔立ちなのだけれど、聞こえてくるのは西海岸ぽいカジュアルな英語で、それもまた私には気持ちがいい。「これって、何となくリラックスできる雰囲気だよね」なんて思っている。
で、途中で「待てよ、これってリアルのパーティじゃなくて、ネット上で集まってるだけみたいだな」と気付く。「最近の Zoom って、こんなにまでリアルなパーティ感覚を実現させてくれてるんだ!」と、なぜか "Zoom" を使っているということになってしまって、ちょっと感動する。
で、この妙にリアルなバーチャル・パーティの中で、「俺たちの演奏ばかり聞いてるんじゃなく、tak も何かオリジナルの曲を披露してくれよ」と要請される流れになる。ちょっと驚くべきことに、私はごく冷静に、「OK、じゃあ、大昔に作った曲だけどね」と言って、小品を弾き始める。
これ、何の楽器で弾いたのだか記憶がおぼろだが、いわゆる「夢の中の傑作は、覚めてみればメチャクチャ」みたいなナンセンスの極みじゃない。覚めた今でもちゃんと口ずさめるし(自分でリアルに作った曲だし当然)、まあ「名曲」じゃないにしても、一応は聞ける。
「夢うつつ」の中で「へえ、おもしろい曲だね」なんて言われたのが、ものすごく「救い」だ。「俺って、まんざらでもないじゃん」みたいな感じになってしまう。
なんでこんな夢を見たのかと考えてみると、2〜3日前から、自分が「コロナうつ」になりたくないものだと強く意識し始めたことが一つの要因なんじゃないかと思う。コロナ禍で家に閉じこもって PC に向かっての仕事ばかりしていると、いつの間にか「陰々滅々状態」になりかけてしまうのだ。
「これはヤバい! 何とかしなきゃ」と思っても、なかなかリアルの世界で多くの人と接するチャンスがない。かといって、SNS を使っても結局それほどのリアルさは得られなくて中途半端だ。結構なフラストレーションである。
こんなようなフラストレーションを少しは和らげるために、神の慈悲なのか、自分自身の無意識の所為なのか知らないが、ちょっといい気持ちの「夢うつつ」状態を体験できたので、今日は何だかハッピーに過ごせそうな気がしている。
【同日 9:50 追記】
あれから 2時間ぐらい眠り直して、起きてからちょっとそれっぽい(?)動画を添えてみた。昔写した京都大原勝林院の画像に、自作のメロディの一節をかぶせている。(夢の中ではもっとジャズっぽいアレンジでアドリブなんかも入れたのだが)
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