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2021年7月26日

年を取ると年を忘れる?

7月 14日付の「女性が男性より長生きするのは」という記事でも触れたが、65歳を過ぎてからというもの、自分の年齢を明確に意識しないで生きてきてしまっている。実は今日が誕生日で、指折り数えれば 69歳になってしまったのだが、「それって、どこのどなたのお話?」みたいな感覚でしかないのだ。

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これ、ひとつには「数字が極端に苦手」というためでもあると思う。このことに関しては、"「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ" (2011年 7月 13日付)、"苦手なのは「数学」じゃなく、「数字」なのだった" (2018年 5月 17日付)という 2本の記事に書いている。

とにかく、3つ以上の数は「たくさん」と言うほかないという原始人ほどじゃないが、どうやら 60代半ば辺りから、一桁めの数はとりとめがなさすぎて、どうでもよくなってしまったようなのだ。何ともはや、テキトーなお話である。

これ、来年に「70歳」という区切りを迎えればリセットされて、もう一度明確化されるだろうとは思っている。ただし、もしかしたら自分が 70歳以上という事実が途方もなさ過ぎて(要するに内心で認めたくなくて)、逆にますます混迷の度が深まるかもしれず、油断がならない。

お陰様で見かけだけは結構若作りで、髪の毛も黒いままなので、14日の記事で書いたように「50歳代の連中に平気でタメ口をきかれる」とか「本当の年がバレた途端にやたら恐縮されたりする」なんてことになっている。もっとも本人が年を忘れてるのだから、周囲が相応に見てくれないのも当たり前か。

ただ近頃、時々疲れてストレスが溜まった時など、こめかみのあたりに白髪が 2〜3本現れることがあり、「おお、これで年相応に見てもらえて、面倒が減る!」と思ったりする。ところがしばらく経つとまた黒くなって振り出しに戻るので、なかなか先に進めない。

白髪のメカニズムって、本当にどうなってるんだろう。

とまあ、こんなようなどうでもいいことを考えながら、今年もなんとか夏の暑さを乗り切ろうと思っているので、今後ともどうぞ

Yoroshiku4

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コメント

お誕生日、おめでとうございます🥀

歳を気にせずに、生きていられるのは、幸せなことかと思います。私は、50代半ばを過ぎたところですが、若い力はなくなったけれど、といって、まだ老いて枯れしぼむというわけでもない、中途半端にしんどい時期だなぁと、日々、実感しています。
遠からず、還暦も迫ってきていて、歳は、気にしまくっています(笑)いつまでも若々しく、健やかに、御活躍されますよう、お祈りしております。

投稿: 琥珀波 | 2021年7月27日 01:16

琥珀波 さん:

還暦前というのはいろいろな節目が迫っているので、確かに年が気になる頃ですね。私もそうでした。

65歳を過ぎたら、「開き直り期」に突入するのかもしれません (^o^)

投稿: tak | 2021年7月27日 09:50

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