庄内弁から見えてくる、日本的発想の「自他」
テレビをほとんど見ない私は、2年ちょっと前の 2019年 6月 19日に放送された「秘密のケンミン SHOW」という番組で、庄内弁が取り上げられていた(参照)なんてことを今頃になって知った。というわけで、ずいぶん寝ぼけた話だが、ここで(おもむろに)語らせていただこうと思う。
話題となったのは、「わぁだば ただばし いしぇこぐはげ でって まんず はかはかでゅー」という庄内弁らしい。当然ながら私には初見でスラスラ入ってきて、「んだが〜、ほいだば よいでねのぅ〜」(意味は記事末尾参照)なんて言いたくなったわけだが、わからない人にはほとんど未知の外国語だろう。
現代の日本語(つまり「共通語」)に翻訳するには、こんな感じの表を介するのがいいと思う。
庄内弁の原語 | 中間段階の説明 | 共通語 |
わぁだば | 我であれば、我といえば 「わぁ」は「一人称」というより、「自分」の意 |
お前ってば |
ただばし | ただ + ばっかし(ばかり) | ただ、いつも |
いしぇこぐ | いきおい(威勢?)こく | 深い考えもなく、あくせく事に当たる |
〜はげ | 「〜さげ」とも言う 関西弁「〜さかい」の訛り |
〜から |
でって | 「全体」の訛り | まったくもって |
まんず | 「まず」の訛り | まず、とにかく |
はかはかでゅ〜 | 「はかはか」(オノマトペ)という | はらはらする |
というわけでこれは、「お前って、いつもあくせく突っ走るだけだから、まったくもって、はらはらするよ」というような意味になる。庄内弁独特のニュアンスまで完璧に再現するのは無理だけどね。
そしてここで注目すべきなのは、「わぁだば」の「わぁ(我)」という言葉である。これに関して、「テレビドガンチ」というサイトの ”「でって まんず はかはかでゅ」という日本人にわからない日本語” のページには、次のようにある。
まずさいしょの「わ」は二人称、「あなた」の意味だそうだ。筆者の妻は津軽出身で、この話をしたら「ええー?」と驚いた。津軽弁では「わ」は一人称、「わたし」の意味で正反対。日本人の直感としても「わ」はすぐ「わたし」につながるので、どちらかで言えば一人称と思いそうだ。だが庄内弁では「わ」は二人称。ほら、日本語離れしている。
端的に言わせてもらうが、これは日本語の原点に関する理解が足りないことによる「完全な誤解」だ。なまじ庄内弁と近い津軽弁話者だけに「わ」の使い方の違いに注目したのだろうが、この場合の「わ」は、たまたま二人称的に受け取るのが自然というに過ぎず、常に二人称になるというわけではない。
上の表でも触れたように「わ = 我」は、西欧語的発想の「一人称」というより、強いて言えばニュートラルな「自分」ということである。文脈によって一人称的になったり二人称的になったりする。これは推測だが、津軽弁だって実はそうなんじゃないかなあ。
例えば「我が身を振り返りなさい」は当然ながら「(あなたは)自分のことを反省しなさい」ということである。「(後ろにいる)私のことを振り返って見なさい」なんて受け取ったら、トンチンカンもいいところだ。
庄内弁でも「てげですっが?」(手伝いしようか)と声をかけられて、「わぁでさいる」(我でされる = 自分でできる)と応えたら、一人称的になる。日本語を西欧的発想で決めつけてはいけないってことだ。
近世以前の日本の中心地である関西の河内弁でも、「やぃ ワレ!」は「おい、お前!」 である(参照)。さらに「自分、どないすんねん?」(お前はどうするの?)なんて言い方もあるしね。
上述のコメント筆者の、「わ」は一人称と思い込んでいる妻は、河内弁で腰を抜かさなければならない。仮に「わ」と「ワレ」は別なんて思うようでは、日本語感覚がなさ過ぎる。
つまり「我」という日本語は、元々一人称とか二人称とかいう概念の枠外にある言葉なのだ。別の言い方をすれば、日本的発想の原点では、「自他の区別」が重要じゃないのである。隣が田植えを始めたら自分も始めればいいし、均質性の濃い社会だから、ことさら区別してもしょうがない。
下記の例をみるまでもなく、現代日本語でも「私は」という主語が省かれるなんてのはごくフツーだ。要するに話の流れの中でわかればいいのであって、初めから自他の相違を明確に意識する西欧的発想との根本的違いは、ここにあると見ていい。
フツーの日本語: 今朝は 6時に起きた。
フツーの英語: I woke up at six this morning.
そんなわけで私の場合、共通語と庄内弁のかなりディープな「バイリンガル」である上に、英語もそこそここなせる(bi-and-half-lingual?)というのは、同じことでも多様な視点から考察できるという点で、とても有用なことだと思っている。
最後にちょっと触れておくが、最近の若い庄内人はこうしたディープな庄内弁を理解できなくなってしまっているようで、とても残念だ。庄内弁に限らず方言というのは、単に「田舎の言葉」というだけじゃなく、意識の深いところでの比較文化的考察力を養うのにとても役立つのにね。
【種明かし:「んだが〜、ほいだば よいでねのぅ〜」の意味】
んだが〜: そうか〜
ほいだば: そうならば
よいでねのぅ: 容易でないのぅ
通しで「そうか、そりゃ 大変だねぇ」という感じの、ごくフツーの相槌。これに「もっけだのぅ」が付いたりもする。。
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コメント
日本人が作る英語キャッチコピーの、myとyourの混同もこのあたりからきている気がします。
投稿: らむね | 2021年7月25日 11:32
らむね さん:
そうですね。
日本的発想のままでスルリと作っちゃうので、「むむ ???」というほど奇異な英語コピーになっちゃうんですね。
投稿: tak | 2021年7月25日 18:32
「せやろせやろ!自分!」
マトモな会社員時代に大阪の先輩から言われました。
最初はポカン?でしたが、ヤスシキヨシかダウンタウンかの漫才で聞いたことを思い出して、「ええ、まぁ、ハイ。」と返答できたので、オッケーでした。
投稿: 乙痴庵 | 2021年7月26日 14:38
乙痴庵 さん:
ほんまによぅいわんわ (^o^)
投稿: tak | 2021年7月26日 20:31