漫才は二人でなければならないか?
「やしろぶ」というかなりおもしろいサイトがあり、この中の最新記事が ”国語辞典たちが「漫才」に課すムダ条件、「二人」” である。ほとんどの国語辞典が漫才は「二人」で行う芸能としていることに対して、徹底的に疑問を述べたものだ。
なるほど、昭和のレツゴー三匹、かしまし娘、チャンバラトリオから、1980年代(この頃も昭和といえば昭和か)のトリオ・ザ・テクノ(いやはや・・・)等々に至るまで、三人の漫才芸にはこと欠かない。ただ個人的には、これらの「トリオ芸」は「漫才」の範疇からはみ出すのではないかと思ってきたのだが。
折しもまさにそのトリオ・ザ・テクノのちょっと前頃に大学院にまで進んで古典芸能なんていうゼニにもならない研究をしていた不肖私めとしては、「漫才が二人なのは当然じゃん!」と思ってしまうのだ。というのは、現代の漫才は伝統芸能「萬歳」の系譜を引いているからである。
萬歳は基本的に「太夫」(たゆう)と「才蔵」(さいぞう)の二人一組で演じられる芸能である。それで、その系譜を引きつつ寄席芸能となった「漫才」も当然ながら二人一組なのだ。これ、日本の常識である。
我が故郷、庄内の地でも、私が小学校に入る前(半世紀以上前!)は正月になると萬歳が門付けに廻って来たもので(あれは「秋田萬歳」だったのかなあ?)、幼い私は大喜びで見ていた。ただどういうわけか、あまり教育にはよろしくないと思われていたようで、夢中で見ていると大人に叱られたりもした。
その頃は「大黒舞」(庄内弁では「でっごぐめ」という)なんてのもあったなあ。今では「〽︎ 明けの方から福大黒、舞い込んだなァ・・・」って歌の方が民謡のスタンダードとして有名になってしまっているが。
と、こんな風に考えているうちに、不意に「ありゃ、萬歳は必ずしも二人一組とは限らなかったりして・・・」などと、ここまでの流れからするとかなり「不都合な真実」を思い出してしまった。それでググってみて動画部門の最上位に出てきたのが、なんともはや、上の三河万歳の動画である。
これ、太夫が一人に、才蔵が二人の三人構成で演じられている。このパターンはあくまでも変則ではあるが、実際にはそれほど珍しくもないのだよね。門付け芸としては大抵二人一組だが、神社での奉納や、少々改まってのパフォーマンスとなると、ご丁寧に才蔵を複数にしてしまうことがあるのだ。
Wikipedia にも、「萬歳は太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の 2人が 1組となるものが基本となるが、門(かど)付けではなく座敷などで披露されるものは 3人以上から、多いもので十数人の組となる」とある(参照)。ただ私は「十数人」の萬歳なんて見たことがないけどね。
というわけで、寄席の「トリオ芸」というのも、才蔵が二人バージョンの萬歳みたいな「派生パターン」と考えていいのかもしれないと思い至った次第である。やしろぶさん、常識外れ扱いしかけてごめん。
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コメント
本来の”萬歳”は詳しくないのでさておき。
いま日本でもっとも知名度と影響力のある2大漫才番組「M-1」と「THE MANZAI」は、2人以上であれば出場できるようなので、少なくとも現代のエンタメ界では漫才を2人と限定はしていないようですね。
投稿: らむね | 2021年7月29日 20:39
らむね さん:
まあ、テレビとしてはその辺は「どうでもいいわ」ってことなんでしょうね (^o^)
投稿: tak | 2021年7月29日 23:25