「一笑」は「一度笑う」って意味じゃないかも
愛読ブログ「駅前糸脈」の 8月 3日付は、「読めないけれどもわかる」という記事だ。掛け軸などの字は「読めなくてもそこに書かれた文字の上手い下手は分かる、否分かる気がする」とある。
思いっきり崩した草書体や変体仮名などはなかなか難しいが、この記事に添えられた写真の篆刻ぐらいなら、まだなんとかなる。「一笑百慮忘」という五文字で、「いっしょうひゃくりょぼう」、一般には「一度(ひとたび)笑えば百慮忘る」と訓読される成句だ。
意味としては、ざっとググってみたところでは、文字通り「一度笑えば、百の嫌なことを忘れる」というようなことだとされている(参照 1、参照 2)。「一」と「百」が対句的に機能しているのだろう。
ただ、これ、念のために調べてみたところ「一笑」という言葉は、元々は「一度笑う」ということとは少々違う意味を持っているようなのだ。
『デジタル大辞泉』には次のように "1 ちょっと笑うこと。にっこりすること。「破顔一笑」 2 一つの笑いぐさにすること。また、笑うべきものとして問題にしないこと「当人がうわさを一笑する」「一笑に付す」" とある(参照)
確かに「一笑に付す」という場合は「一度笑ってチャラにする」というのではなく、軽い笑いぐさで済ませてしまうというような意味だ。笑いの「回数」を言っているのではないようなのである。もし回数ならば、「二笑」とか「三笑」とかいう言葉もフツーに使われていなければならない。
というわけで「破顔一笑」というのも、顔を崩して「一度笑う」ということではない。「呵々大笑」の「大笑い」と対をなす「にっこり」程度に笑うということだ。かといって単純な反対語で「小笑」なんて言ったら興醒めなので、「一笑」としてそれなりのもっともらしさを醸し出す。
念には念を入れ、漢語としての意味を確認するために、手持ちの三省堂『携帯 新漢和中辞典』でも調べたが、「ちょっと笑う。にっこりする」「軽蔑して笑う」「笑う」「いっしょに笑う」「笑う<たね<材料、笑いぐさ、笑柄」とある。「一度笑う」というのは、やはり出てこない。
「一笑百慮忘」という成句に使われている数字は、具体的な数ではなくむしろ比喩的なものと受け取るべきなのかもしれない。つまり「ちょっと笑っただけで、めちゃくちゃ重苦しい『憂さ』の数々も吹っ飛ぶ」というようなことなのではないかと考えられる。
言葉というのは一筋縄ではいかず、なかなかおもしろい。
煎じ詰めれば、「一年に一度笑えば充分」みたいな話ではなく、「いつも朗らかでいようね」ってことなのだろう。最近は鬱陶しい話が多くて、「いつも朗らか」というのが難しい世の中になってしまったが、まあ、試しにちょっと笑ってみようじゃないか。
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