モノを捨てて捨てて捨てまくった
『人生がときめく片づけの魔法』という本がある。近藤麻理恵さんという方の著書で、この人、もはや「こんまり」(あるいは "KonMari")と言った方が通じがいいというほど、国際的にも知る人ぞ知る存在となっているようなのだ。
なんと、私の妻もこの本を買ったようなのである。いつの間にか本棚の中にあって、私が買ったわけではないから、妻が買ったと思うしかない。ただ、買ったはいいが、じっくり読んだ形跡はない。
ここだけの話だが、妻はモノを片づけられない人である。昔から「気に入ったモノ」に囲まれて暮らすのが好きで、私からみると「なんでまた、こんなに同じようなモノをどっさりとため込んでいるのだろう」と不思議なほどだ。
ちなみにこの本を本棚から出して飛ばし読みしてみたところ、序盤には「収納が得意な人ほど、モノをためる人になる」とある。「場所別・部屋別」に片付ける」というのは、致命的な誤りで、「モノ別」に片づけなければいけないというのだ。
妻は根がアーティスト的な人ということもあってか(すべてのアーティストがそうというわけではないが)、実は収納がまったく得意ではない。そこで私が代わって「とても上手に」収納してあげていた。私がやらなければ収納しきれないのだから仕方がない。
ただ、これがいけなかった。つい「場所別・部屋別」に収納してしまったため、同じようなモノがいろいろな場所に分散してどっさり収納されるという結果につながってしまったのだ。
長女はずっと前から「お父さんがきれいに収納しすぎるから、お母さんがモノを捨てられないんだよ!」と言っていた。振り返って見ればまさにその通り。妻は自分では収納が得意ではないが、いつの間にかなんとかギリギリで収納されてしまっているので、モノを全然捨てずに済んでしまっているのである。
ところが、それももう限界だ。家の中の収納スペースが不要品で埋まってしまったので、いよいよ捨てなければならない。こんまりさんはモノを捨てる基準として、"触った瞬間に「ときめき」を感じるかどうかで判断する" と書いている。つまり「ときめかないモノ」はドンドン捨てるということだ。
ところが、これが最大のネックとなった。妻は、自分の取っておいたほとんどすべてのモノに「ときめいてしまう」のである。ときめくからこそ、いつまでもとってあるのだ。要するに「自分ではモノを捨てられない」ということなのだから、ここは私が代わって、心を鬼にして捨ててしまうほかない。
こんまりさんは「片づけは祭りであって、毎日するものではない」と書いている。つまり「片づけ」というのは、短期間に集中してモノを捨てまくるところから始めなければならない。
というわけで、この 3日間、私はモノを捨てまくったのである。妻を説得しながら、捨てて捨てて捨てまくった。結果、「これだけは私が死んでから捨てて」というような、「特別の思い入れ」のあるモノを除いてきれいに捨てまくり、家の中が驚くほどすっきりした。
すっきりしてしまうと、妻としても居心地が悪いわけじゃないから、案外上機嫌で快適に暮らしている。やはり、家の中にモノは少ない方がいいということだ。
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コメント
今日の記事は私自身に強く関わりのある話として読みました。
片付けられない男です。
βマックスのデッキ、捨てました。
大量のカセットテープ捨てました。
大型のオーディオセットは売りました。
ベッドも捨てました。
でもたいして減りません。
高校生の時から聞いているラジオ(現役)は捨てられません。LPプレイヤーとレコードも捨てられませんね。
紺ブレも捨てられません。
永久に部屋には使うか分からないもので埋まりそうです。
みのもんたさんは徹底的に捨てたそうです。
特に写真は全部捨てたようです。あとに残された人にとって一番捨てにくいものを本人がバッサリ捨てるのは正しい見識ですね。
投稿: ハマッコー | 2021年8月27日 22:49
ハマッコー さん:
本当に「決心」して処分しないとモノはなくなりませんね。
その「決心」もハンパなものではダメで、清水の舞台から飛び降りるぐらいの決心でないといけません (^o^)
投稿: tak | 2021年8月28日 13:28