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2021年10月15日

大人が都合良く考えた子ども像 (その 2)

昨日付の「大人が都合良く考えた子ども像」という記事の続きである。今日書くのは中学生の頃の、作文コンクールについての記憶だ。

211015

私は小学校低学年の頃から学級新聞作りに積極的に関わり、記事もほとんど自分で書いていたほどだから、文章を書くのは得意としていた。ところが不思議なことに、年に何度かある「作文コンクール」みたいなものでは、一度も入選したことがなかったのである。

とくに文章が上手とも思われないクラスメートの作文が、市や県などの主催するコンクールで時々入賞するのだが、私はそうした賞には不思議なほど無縁だった。これはもう、「性が(賞が?)合わない」と言うほかない。

ある日、市の作文コンクールだったかで入選した同級生の作品を読んでみたのだが、率直に言って「何だよ、これは!」と思うしかなかった。とくに上手な文章でもなんでもないし、そもそも普段の彼の態度からしたら「偽善そのもの」の「いい子ぶりっ子過ぎ」と言うほかない代物だったのである。

「こんな歯の浮くようなことを恥ずかしげもなく書くと、作文コンクールで入賞しちゃうわけね!」と思うほかなかったのを憶えている。これについては 2006年 5月 16日の「作文も演技さ!」という記事でも書いているが、要するに「国語教育」というのは「道徳教育」なのだと薄々悟ってしまった。

そこで「ものは試し」とばかり、中学時代のちょっと大きな作文コンクールで、自分でも気恥ずかしくなるほどの「優等生的作文」を書いてみた。すると何と言うことか、あっさり「金賞」を獲得してしまったのである。

これはもう「嬉しい」というようなものじゃない。むしろ「作文コンクールなんて、この程度のものだったのかよ!」と、予想していたこととはいえ、がっかりしたのだった。

ところが翌週の全校朝礼で、私は皆の前で「金賞受賞の喜び」を発表することになってしまった。いやはや、勘弁してもらいたかったね。

そこで私は自分への正直さを取り戻すためにも、「ぶりっ子コメント」は一切排除することに決めた。当日は「今回は試しに『心にもないこと』を書いてみたら、こんな賞をもらってしまい、自分でも変な気分です」というようなことを言ったところ、教職員会のどえらい不興を買ってしまったらしい。

というわけで、「大人の期待する『良い子』の姿」を作文するなんて、とてもたやすいことだったのである。しかし私としては、そんな安易なことで点数を稼ぐのは「気分悪過ぎ」だったので、金輪際止めとこうと思ったのだった。

そんなことでチヤホヤされるよりは、それまで通りに「悪童」でいる方がずっと居心地がよかったのである。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

>「作文コンクールなんて、この程度のものだったのかよ!」

その通りです。文章力、内容の深みなど全く審査の対象外で、要は大人、ひいては国の上層部に都合の良い内容のものを選び出しているに過ぎないのです。

私の一番リスペクトできない人たちの上位には「学校の先生」が入っています。(たった一人だけの例外はありますが。)

投稿: K.N | 2021年10月15日 22:11

きっとそうやって”社会”というものを学んでいくという意味があるんですよ(笑)

投稿: らむね | 2021年10月16日 01:32

私の高校の先輩に小学校と中学校で2回作文で文部大臣賞を取った人がいますが、当時、その作文を読んだ感想は 凄い でした。そんな優等生的な作文でもなかった。その先輩は高校を中退し、資格試験後、TAKさんの母校に進学し、現在は中退した高校で国語教師をしているらしい?

投稿: basara10 | 2021年10月16日 10:29

K.N さん:

まさに、そう考えると「無理なく納得」ですね ^^;)

>私の一番リスペクトできない人たちの上位には「学校の先生」が入っています。>(たった一人だけの例外はありますが。)

私もそうです。もしかするとこれって、日本でのおしなべての傾向なのかもしれませんね。

投稿: tak | 2021年10月16日 10:58

らむね さん:

なるほど。

あまりわくわくしない学びではありますがね。

投稿: tak | 2021年10月16日 10:59

basara10 さん:

>そんな優等生的な作文でもなかった。

ほほう、稀にはそんなこともあるんですね。記憶にとどめておきます。

>現在は中退した高校で国語教師をしているらしい?

「型どおりの教師」にはなっていないことを祈ります。

投稿: tak | 2021年10月16日 11:02

このような件に対しては、takさんの反抗気質が偏りを生じさせているのかもと、basaraさんのコメントを見て思いました。

だいぶ前の私の教え子の、読書感想文の添削指導をしたことがあります。題材は誰もが知る有名英文学で、未読でしたが指導を依頼された手前、慌てて読みました。
正直、読みにくい文体とわかりにくい主旨、自分は純文学には向いていないのだと思い知らされましたが(笑)。夏休みの終わりころに彼女が持ってきた感想文は、やはり私には理解しにくく(元の本がよくわかってないんだから当たり前ですw)ある意味では哲学的に感じました。私にできたことは最低限の日本語の修正くらいなもので。

ところが一月ほどして、「先生、ありがとうございました!」と。なんと「県内の最高賞」でした。神奈川県の中学生の総数は20万人ほどもいます。公立中ならほぼ全員課題になりますし、それに近い数の感想文の中からのトップですから、当時は塾内でも話題になりました。私は何もしていないのに。彼女が「らむね先生に指導してもらった」と言っていたため私にも無用の注目が(笑)。

高校受験を経て、その後一流大学の文学部に合格したとの報告が律義にもありました。きっと私の物差しで測れる子では無かったのです。
そのうち作家デビューとかするんじゃなかろうか、そんな気持ちでいます。

投稿: らむね | 2021年10月16日 17:40

らむね さん:

それは素晴らしいことですね。

こうしたコンクールの世界も変わりつつあるのでしょうか。そうだとしたら嬉しい限りです。

投稿: tak | 2021年10月16日 21:05

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