「こよなく〜」の「こよ」って何だ?
先日某所で「日本人がこよなく愛する秋晴れの空」というキャプション付きのきれいな写真を目にして、「いや、秋晴れの空を愛するのは日本人に限らないだろう」と思ってしまった。そして同時に「そういえば、『こよなく』の『こよ』って、一体何だ?」と、とてつもなく気になってしまったのである。
「こよなく」という語を Weblio で引いてみると、上のようなことになった(参照)。同じ小学館の辞書でも、品詞の解説の仕方がビミョーに違う。
『デジタル大辞泉』:副詞(形容詞「こよなし」の連用形から)
『精選版 日本国語大辞典』: 形容詞「こよなし」の連用形。現在では副詞的に用いられる
というわけで、「こよなし」(現代語的には「こよない」)という形容詞が元であり、単純に「『こよ』というものがないほどに」というような意味ではないと確認できた。そりゃそうだよね。それではと、語源の視点から調べてみたところ「広辞苑 無料検索」というページでこんな説明があった(参照)。
なるほど、「越ゆなし」(越えるものがない)から来ているのか。ようやく納得である。しかしことはそれでは済まない。なんとこんなページにも行き当たった。
語源に関して "「越ゆるもの無し」とも「此より勝るもの無し」とも言われ・・・" とあるのは、広辞苑と共通するからいいが、この説明に続く文がかなり奮っている。こんな具合である。
日本は古来、比較対象を明確に見据えることをせぬ「絶対文化圏」につき、「こよなし」も比較級というより絶対最上級的ツキヌケ独善讃辞の色彩が濃い。
おぉ 、「絶対最上級的ツキヌケ独善賛辞」と来たか。 こりゃまたすごい! "Far more than everyting in the world" (この世のすべてのものより遙かにスゴい)みたいな恐ろしいまでのことを、日本人は「こよなし」のたった四文字でさらりと言ってきたわけなのだね。
いやはや、そんなにヘビーな言葉だったとは知らなんだ。となると、秋晴れの空を「こよなく」というほど愛するのは、やっぱり日本人しかいないのかもしれない。私のイチャモンの付け所が間違っていたようだ。
しかしよく考えると、秋の青空だの、紅葉だの、複数のものをノー天気に「こよなく - 越ゆるものなく」愛するというのは、論理的にはあってはならないと言わなければならない。このあたり委細構わずどんどんやっちゃうのは、やはり日本人の「雰囲気志向」ゆえなのだろう。
最近、いろいろなことにかこつけて「雰囲気」の力のスゴさに言及している(例えば昨日の記事や、10日前の「写真はイメージです/言葉は雰囲気です」など)が、「こよなく」の場合も、「大切なのは、文字通りの意味より雰囲気」という原則が遺憾なく発揮されている。
ちなみに、上述の「絶対文化圏」というのは、ググってみても特定的な言い方としては「父権絶対文化圏」とか「上の言うことは絶対文化圏」とかいう言い方しか見当たらないが、これも「雰囲気的な絶対」と受け取っておく方が無難そうなので、そのあたり、どうぞ
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コメント
冒頭の
>「いや、秋晴れの空を愛するのは日本人に限らないだろう」と思ってしまった。
でいきなりピンときました。
私が前から気になっていた表現がこれ。
「日本には四季があります」
・・・
いや、世界中どこでもあるっちゅうねんw
外国人はみんな砂漠か北極に住んでるとでも思ってんの?って。つーか砂漠にも北極にも四季はあるからなってww
私も重症の天邪鬼ですなあ(笑)
投稿: らむね | 2021年10月18日 00:23
らむね さん:
「日本には四季があります」をことさらに意訳すると、「四季それぞれのオモムキを『こよなく』愛するのは日本人だけと、日本人のうちのかなり多くが、ほとんど無意識のうちに思い込んでいます」ということになるのでしょうね。雰囲気として (^o^)
投稿: tak | 2021年10月18日 07:52