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2021年10月 4日

ピーラー(皮剥き)から哲学に至る道

「野菜のピーラー(皮剥き)」についての tweet(参照)がちょっとした話題だ。ジャガイモの新芽をとるのが、なぜか両側に付いているというのである。これの種明かしが秀逸で、私も笑わせてもらった。

211004

この器具の名前は「ピーラー」というのだが、新芽をとるための部分は「新芽取り」というのだそうだ。ここまで言えば、察しのいい人は「なるほどね!」と膝を打つと思うが、念のため最後まで言わせてもらうと、「新芽取り — シンメトリ(対称形)」ということで、左右対称で当然というわけだ。

なるほど、これは秀逸な洒落である。ただ、実際のところは右利きでも左利きでも使いやすいようになっているだけなんだろうけどね。

ところで「非対称」は「アシメトリ」だが、うまく洒落で対応できる日本語はなさそうだ。残念。あまり残念なので無理矢理に調べてみたところ「足目」という正体不明の言葉が見つかった。「世界大百科事典内の足目の言及」という注釈付きで、次のようにある。

【ガウタマ】より
…50‐150年ころの人。別名アクシャパーダ(足目)。ゴータマともいう。…

「ゴータマ(ガウタマ)・シッダルタ」のお釈迦様とは別人だが、天竺の人には違いなく、「アクシャバータ」というのを中国語で書き表すと「足目」になるらしい。ただ、これだけではチンプンカンプンなので、さらに「ガウタマ」で調べると、こんなふうに出てきた(参照)。

アクシャパーダ・ガウタマ - ニヤーヤ学派の祖で、『ニヤーヤ・スートラ』の作者とされる人物。

お恥ずかしいことに「ニヤーヤ学派」というのは「どっかで聞いたことがあるかも」程度なので、これも Wikipedia に頼ってみると、こう書かれている(参照)。

ニヤーヤ学派(ニヤーヤがくは、梵: Naiyāyika)はインド哲学の学派。現代では六派哲学の1つに数えられる。ニヤーヤは理論(あるいは論理的考察)を意味し、インド論理学として代表的なものであり、論理の追求による解脱を目指す。

で、足目先生の『ニヤーヤ・スートラ』は、この学派の根本テキストであるという。さらに「六派哲学」となると完全に初耳なので Wikipedia で調べると、こんな具合である(参照)。

六派哲学(ろっぱてつがく、梵: Ṣad-darśana [シャッド・ダルシャナ])はダルシャナ(darśana、日本ではインド哲学と訳す)のうち、ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称。インドでは最も正統的な古典的ダルシャナとされてきた。

ほほう、すごいものだったのだ。ちなみに「ヴェーダ」というのは、ヒンドゥー教の聖典のことらしい。

さらにいろいろリンクを辿ると、東京中野区の哲学堂公園にある三祖苑というスポットには、哲学の三祖「中国の黄帝、インドの足目仙人、ギリシアのタレス」の石碑が祀られている。上でつい「足目先生」と書いてしまったが、それどころじゃなく「仙人」とまで言われるお人だったのだね。

この分野では釈迦、ソクラテス、キリスト以降しか知らなかった(孔子はちょっと苦手)私としては、「世の中知らないことだらけ!」と、浅学の身を思い知ってしまったよ。そしてそれ以前への端緒が、洒落みたいな話から開かれることもあるのだね。まさに「アシメトリ(足目取り?)」の様相でおもしろい。

先月 6日の記事で、昔はよく江古田の日大芸術学部に顔を出していたと書いたが、ワセダから江古田まで行くのに、中野から池袋行きの都営バスに乗ると、途中に「哲学堂」というバス停があった。それでこの名前には馴染んではいたのだが、降りたことは一度もない。

今度、向こうの方に行くことがあったら、ついでに寄り道してみたくなった。

 

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コメント

どっかの製薬会社から「魚の目」を取るマッシーン「アシメトリー」って出たりして。
利き手や利き足を考慮して、左右非対称でね!

…知らんけど。

投稿: 乙痴庵 | 2021年10月11日 17:40

乙痴庵 さん:

わはは (^o^)

投稿: tak | 2021年10月11日 18:06

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