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2021年10月28日

ちょんまげ、ザンバラ、月代(さかやき)を巡る冒険

Japaaan のサイトに「足利尊氏?高師直?あの有名な肖像画の騎馬武者は、どうしてザンバラ髪なの?」というタイトルのページがある。示されているのは、下の騎馬武者像だ。

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この絵、歴史の教科書にも載っていて、足利尊氏とされていたのだが、実は家臣の高師直(こうのもろなお)であるという説も出てきているのだそうだ。いやはや、びっくりである。教科書を素朴に信じすぎちゃいけない。

高師直の名は歌舞伎ファンにはお馴染みで、『仮名手本忠臣蔵』で敵役の吉良上野介が『太平記』の悪役の、高師直として登場する。これは江戸時代の実話だった赤穂浪士討ち入り事件を、幕府に配慮して、時代考証なんてどうでもいいとばかりに無理矢理に足利時代のストーリーとして語っているためだ。

実在の高師直はとても勇壮な武将だったらしいが、『太平記』ではどういうわけか女好きのゲスじじいとして描かれている。そして歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』にもその嫌らしいイメージそのままの敵役として登場するので、とにかく「嫌われ役」の典型だ。

高師直がこんなにも酷いヒール扱いされたのは、庶民に人気の高い楠木正成を破ったためとも言われるが、とにかく実際の高師直が気の毒になるほどである。本当に本当に、一方的なものの見方というのはアブナい。

話を最初に戻すが、この騎馬武者像が足利尊氏なのか高師直はこの際置いておくとして、なにゆえにザンバラ髪で描かれているのかというのが、そもそもの Japaaan の記事のテーマだ。絵をよく見れば、同じザンバラでも髷を結い直せないほどの短さである。

この記事によれば、このザンバラ髪は、"もう「二度と髷を結わない」決死の覚悟で髪を断ち切った跡" ということのようなのだ。次のように書いてある。

建武 2年(1335年)11月、朝廷から謀叛の疑いをかけられた尊氏は赦免を求めて断髪、恭順の意を示すものの許されず、やむなく叛旗を翻しました。

その時、御家人たちも決死の覚悟を共にするべく髪を一束切(いっそくぎり)にしたと言います。

(中略)

一束切とは、髻(もとどり。髪の根元)を握りこぶし一束(ひとつか。一掴み)分のところで髪をバッサリ切ること、または切った髪型を言い、再び結うのが難しいことから、基本的に死を覚悟した時の決意表明となります。

ついでに、この記事には兜(かぶと)の形状の変化と月代(さかやき)についても解説してある。

平安から鎌倉時代の兜というのは、天辺の穴に髷(およびそれを覆う烏帽子)を通すことで頭に固定していたのだが、この穴から矢を通されるということで弱点になっていた。そこで時代が下るにつれて紐で固定するようになり、天辺の穴もふさがれていった。

兜の天辺の穴は「八幡座」と呼ばれ、「刀剣ワールド」のこちらのページに詳しく解説してある。被る時は、下図のようになったらしい。

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ただ、天辺の穴が小さくなると髷を結っていては兜を被りにくいというので、髷をほどいて装着するようになった。それが鎌倉時代末期のことなので、この武者像の髪が短いということを別とすれば、ザンバラなのは不思議ではないようなのだ。

そしてさらに時代が下ると、兜の穴がふさがれると頭が蒸れるというので、頭のてっぺんの髪を剃る月代スタイルが普及する。一番上の絵は、そうなるちょっと前の武士の姿なので、月代を剃っていない。(生え際がだいぶ後退してはいるが)

いやはや、この記事を読むまではそんなこととはちっとも知らなかった。そういえば、室町時代以前の武士というのは月代がないというイメージだったりするのは、そういうことだったのか。

ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という明治初年の価値感からは、ずいぶん遠いところにあるお話である。

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コメント

「ナチュラル月代」
回避行動を、できるだけ、なるたけ、可能な限り、心がけております。(^_^;)

投稿: 乙痴庵 | 2021年10月31日 01:33

乙痴庵 さん:

それ、私も最近(ここ 1〜2ヶ月)、そこはかとなく以上に気になり始めました ^^;)

投稿: tak | 2021年10月31日 09:19

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