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2021年10月20日

私が依然として「Apple 信者」になり切れないのは

BBC ニュースによると、Apple は中国で ”Quran Majeed” というコーラン・アプリを取り下げたのだそうだ(参照)。これ、コーランを多言語(日本語には対応していない)で読んだり聞いたりできるもので、"Essential app for all Muslims"(全てのイスラム教徒必須のアプリ)と紹介されている(参照)。

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Apple は、この措置は中国政府からの要請によるものだとしているが、中国政府は直接にはこれについて声明を発表しておらず、BBC の取材にも答えていないという。ただ、最近の新疆ウィグル自治区のイスラム教徒に対する迫害と人権侵害と無関係とは考えられない。

私はムスリムではないが、こんなニュースを聞くと「中国に生まれなくてよかった」と単純に思う。中国では信教の自由が表向きは保障されているが、各論ではこんなことになる。いろいろな方面で「無茶な各論」が出てくるのだから、このようなブログを書いても迫害されるだろう。

Apple はこの件に関してはうやむやな態度に終始しているという。最高経営責任者の Tim Cook は米国の政治家の偽善的な発言などは厳しく批判するが、中国に関してはかなり生ぬるい。これは、中国がアップルにとって、生産・販売の両面で重要マーケットとなっているからとみられる。

自分自身について言えば、私は iMac、MacBook、iPhone、iPad、Apple Watch を使っている。傍目には典型的な「アップル信者」に見えても仕方がないが、自分でそう言い切ることには、今でも抵抗がある。

6年半前の「アップル信者になり切れない私」という記事で私は、Apple 製品の仕様に完全には馴染みきっていないことを告白している。しかしその 4年半後の追記では、この面についてもかなり馴染んだことを報告し、"「Apple 信者」に近付いてしまった" なんてことを書いた。

ただ、それでも「まだ今イチ、なり切れていない」としているのは、残念なことに、企業姿勢としてこんなことがあるためでもあるのだよね。

 

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