「団塊の世代の尻尾」を巡る冒険
昨日は「現在の数少ない高校生以下の世代は、上に巨大な重石を二段重ねで乗っけられているようなものだ」と書いた(参照)。二段重ねの重石とは、もちろん「団塊の世代」と「団塊の世代ジュニア」で、団塊の世代のやや下の世代である私が 23歳の生意気盛りだった頃の人口ピラミッドはこんな具合だった。
これは 1975年のものだが、25歳〜29歳の層の人口が際立って多く、その下にちょっとしたへこみがあるが、一番下に既に「団塊の世代ジュニア」が現れかけていて、まあ「人口ピラミッド」というにあまり違和感のない形をしていた。
「団塊の世代」というのは、Wikipedia によれば「第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のこと」とある(参照)。いわゆる「ベビー・ブーマーズ」である。
上に示した人口ピラミッドでいえば、25〜29歳と 30〜34歳の 2つの領域に跨がっている。まあ、いずれにしても結構な人口になるわけで、まさに「団塊」というに相応しい。
私は 1952年生まれで、上の図でいえば「20〜24歳」に属していた。一見してわかるように、同世代人口がガクンと減り始めたという世代である。それで私なんかは昔から、「団塊の世代の尻尾」と自称していて、すぐ上の世代の圧倒的な「数の力」をかなり鬱陶しく感じていた。
私が「団塊の世代の尻尾」という言葉を初めて使ったのは、2016年 8月 2日付の ”「団塊の世代の尻尾」の都知事が生まれることについて" という記事においてだと思う。小池百合子さんが都知事に当選した時の記事だ。彼女は 1952年 7月 15日生まれというから、私より 11日だけ早く生まれた同世代である。
「団塊の世代の尻尾」という世代論に関しては、上記の記事で思い切り書いてしまったので、リンク先に飛んで読んでもらえればいいと思う。ここで敢えてギリギリ要約してしまうと、我々は「団塊の世代」が「行け行けドンドン」的に動いて荒らしまくった結果の「後始末」ばっかりしてきたということだ。
彼らが数の力で次々にいろいろな「ブーム」を形成してしまうので、それらに関して「ちょっと違うんじゃないの?」と思ってしまう私なんかは、いつも「マイナーな存在」として動かざるを得なかった。つまり常に「時代の主流」にはちょっと距離を置いてしまう運命にあるわけだ。
このブログにしても、そんな色合いが強いと自覚している。それでアクセス数も 1日当たり 700〜1,000 ぐらいのレベルで、それ以上にはなかなか増えない宿命にあるが、まあ、急にキャラを変えるわけにもいかないので、このまま続けて行くほかない。
ちなみに、5年前に書いた ”「団塊の世代の尻尾」の都知事” の小池さんだが、長く政治の世界にいるうちに、尻尾の特質を薄めてしまいつつあるように見受けられる。今回の東京オリンピック推進の姿勢を見て、「この人、やっぱりこうなっちゃうんだなあ」と思ってしまったよ。
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