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2021年11月に作成された投稿

2021年11月30日

400件もの同報メールを CC や BCC で送ってるお役所

スラドに「デジタルに不慣れなデジタル庁」という紹介記事があって、「まあ、何しろお役所のことだから、しょうがないよね」と思いつつ、どういうことなのかとクリックしてみたら、報道機関向けのメールで、関係者のアドレス約 400件を本来の BCC 欄ではなく CC 欄に記入して送ってしまったんだそうだ。

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元記事は、ITmedia ビジネスの「デジタル庁、報道機関向けのメール誤送信 アドレス 400件を BCC ではなく CC に記載」という 11月 24日付の記事。CC だと、送信先のメルアドがダダ漏れになってしまうからヤバい。まあ、今回は宛先が報道機関の同業者に限られるみたいだから、まだマシだろうが。

ただこれ、デジタル庁のチョンボだからニュースになったのであって、実際は国や地方を問わず、多くのお役所が似たようなことをやっちゃってると思う。「えっ、CC じゃいけなかったの?」なんてアセってるお役人も少なくないんじゃなかろうか。

記事を見てまず驚いたのは、デジタル庁が 400人もの報道関係者に同報通信をする際に、アドレスを(本来は)BCC 欄に手作業で入力することを前提としているように見受けられることだった。これって、考えるまでもなく大変な手間である。

普通は送信先の違いに従って複数のメーリングリストを作成しておき、その時々で最適のリストを選択してクリック一発で一斉送信されるように設定しておくものだろうと思うのだが。

私がその昔、業界団体に勤務していた頃は、20世紀中は FAX ソフト(!)の同報送信リストによって、長々と時間をかけて順次自動送信し(300社以上への送信だと、退社前にセットして翌朝の出社まで、一晩がかりだった)、21世紀に入ってからはそれをメールに置き換えて、クリック一発でやっていた。

とはいえ、当時は全ての関係先がメール対応しているわけではなかったので、FAX との 2本立てがしばらく続いたのが鬱陶しかったが。

2021年の世の中で、しかも「デジタル庁」という名のお役所が、CC とか BCC とかで同報一斉通信をしているというのは、変な言い方だが「新鮮な驚き」というものである。他のお役所でも同じようなことをやっているに違いないと思うと、つい遠くを見るような目つきになってしまうよね。

 

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2021年11月29日

2021年の新語(英語版)と、"NFT" という言葉

IT 系ニュースサイトのスラドに、Collins Language Lovers が "THE COLLINS WORD OF THE YEAR 2021" (Collns の選んだ 2021年の言葉)を発表したというニュースがあり(参照)、それによると、トップは "NFT" (Non-Fungible Token)なのだそうだ。

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恥ずかしながら、私は "NFT" という略称も "fungible" という単語も知らなかった。とりあえず ”fungible" をネット辞書で調べると、形容詞として「物品の、または商品の」、名詞として「代替可能物」と出てくる(参照)。

"Fungible" って、原形は "funge" かなあと思ってついでに調べると、古英語の「真菌類」と出てきて(参照)、それ以外には見つからない。どうやら手に負えそうにないので、ここで諦める。

スラドでは "NFT" について、 こんなふうに説明している。

Collins Dictionary では略語として「アートワークやコレクターズアイテムの所有者を示すためにブロックチェイン上に記録されたユニークなデジタル証明書」、名詞として 「NFT によりその所有権が記録された資産」と定義している。

だいぶ解きほぐされたが、今イチしっくりこない。もっと端的にわかりやすい説明はないのかといろいろググってみたところ、Coincheck というサイトの「【図解でわかる】NFTとは?最新の活用例と将来性、税金について」というページに、こんな図が見つかった。

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糸口としてこれほどわかりやすい図はなかろう。そしてこの図の後に、次のような説明がある。

NFT(Non-Fungible Token)とは主にイーサリアム(ETH)のブロックチェーン上で構築できる代替不可能なトークンのことです。この NFT の技術がゲーム分野や不動産分野で活用され、革命を起こそうとしています。

ふむふむ、「イーサリアム」(ETH)という仮想通貨において代替不可能性(「これと言ったら、これしかないのよ!」ってこと)を示すために使われる技術と、その発展形態というところまではわかった。とりあえあずここで収めておくことにしよう。

これ以上に深く理解したところで、個人的にはあんまり用があるとも思われないしね。もっとも Collins がトップに挙げているほどだから、もしかしたら既に広範囲に使われていて、知らないうちに恩恵に浴したりしているのかもしれないが。

続く言葉として次のようなものが挙げられているが、"NFT" と比べたら、少なくとも字面を見れば何のことだか想像が付くだけありがたい。(最後の ”cheugy" という単語は初めて知ったけど)

  • metaverse  (名詞): メタバース
  • crypto  (名詞、口語): 暗号通貨 cryptocurrency の短縮形
  • double-vaxxed  (形容詞、口語) : ある疾病に対するワクチンを2回接種した
  • hybrid working  (名詞) : 自宅とオフィスなど複数の異なる環境で交互に仕事をすること
  • pingdemic  (名詞、口語) : (COVID-19) 接触通知アプリにより広範囲の人々に送られる通知
  • climate anxiety  (名詞) : 気候変動への懸念により苦痛を感じている状態
  • neopronoun  (名詞) : 最近作られた代名詞、特に「xe」「ze」「ve」などジェンダーの明示を避けるよう作られたもの
  • Regencycore  (名詞) : テレビドラマ「ブリジャートン家」でみられる英摂政時代 (1811~1820) の上流階級の衣服をイメージした服装
  • cheugy  (形容詞、スラング) : 以前はかっこいい・ファッショナブルだと考えられていたが、今はそうではなくなっているもの

ちなみに下から 2番目の "regencycore" というのは、こんなような ファッション・トレンド。かなり薄めた形としては、パフスリーブがちょっと流行ったりしてるよね。

 

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2021年11月28日

「電気のタマが切れておりますので・・・」

とっくの昔に書いたネタだとばかり思っていたが、自分のブログ内を検索しても見当たらないので、今頃になって書いてみる。何かというと、半世紀も前に受けた自動車運転免許筆記試験の合格発表に関する話である。

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調べてみたところ、合格発表は今でもほとんどの試験場内で電光掲示板が採用されているようだ。私が受けた頃とまったく変わっていない。まあ、よりハイテクに進化させたところで、それほどの対費用効果はないだろうから当然か。

私は 19歳の夏休み、山形県酒田市に帰郷している間に、一時的に現住所を実家に戻して運転免許を取得した。実技試験は通っていた教習所で受けたが、筆記試験は酒田市から 100km 以上も離れた天童市にある「交通安全センター」というところまで行かなければならなかった。

いくら何でも今は庄内にも試験場ができているだろうと思っていたのだが、検索してみても山形県の試験場はここしか出てこないので驚いた。とはいえ調べたところ、全国の多くの県でも 1か所しかないようだし、今住んでいる茨城県でも 1か所だから、そんなものなのだね。

で、同時期に実技試験に合格した 10人ぐらいの仲間と一緒に、教習所のマイクロバスで天童市に向かったのである。高速道路もなかった当時は片道 3時間近くかかったから、朝に出発して帰宅したのは夕方過ぎだったと思う。ほぼ一日仕事だ。

試験自体は難しいものでもなんでもなく、私は教習所でも模擬試験を楽々こなしていたから、軽い気持ちでさっさと書き終え、合格発表を待った。大きなロビーみたいなところの壁一面に電光掲示板があり、合格者の番号が次々に点灯されていく。

我々は同じ教習所を通して申し込んだので 540番台の続き番号で、私は 546番だったと記憶している。541番に明かりが点き、542、543、534、535・・・と次々に点灯するが、何と、1つ飛ばして 547、548・・・と明かりが点いていく。「546」は暗いままじゃないか。

「えぇっ!、俺、不合格かよ!」

1%も想定していなかった事態である。あんな簡単な試験で、一体どうすれば落っこちることができるというのだ。

ところが一緒に行った連中は妙に気を使い、「また来れば、きっと受かるよ」なんて慰めてくれる。しかしこちらとしては、不合格ということ自体が信じられないので、返事に困る。頭の中にあるのは、「もう一度受験料払って、一日がかりで来なきゃならないのか!」という鬱陶しさだけだ。

すると突然、場違いなほどにゆったりとした口調の場内アナウンスが流れた。

「お知らせします。546番は、電気のタマが切れておりますので、合格となっております。手続きをしてください」

これが 2度繰り返されると、周り中が「なぁんだ、おかしいと思ったよ」と喜んでくれたが、こちらとしては単純に喜ぶには当たり前過ぎて、反応に困る。何よりも「電気のタマ」という前時代的な言い方で完全に腰が砕けてしまい、「おいおい、何だよ!」と怒る気にもなれない。

帰りのバスの中は、「電気のタマ」ネタで妙な盛り上がり方だった。ただあれ以来、この言い方は一度も耳にしたことがない。

数字に弱い私が 50年経った今でも「546」という番号をしっかり覚えているのだから、よほど印象深い出来事だったわけである。

【同日 追記】

「電気のタマ」は、まったくの死語というわけでもないようだ。21世紀になっても使う人は使うらしい (参照)。

 

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2021年11月27日

「正し過ぎること」の危うさ

昨日、原付バイクの自賠責保険更新でバイク店に行き、店主と「今年も何もしないうちに 1年が終わってしまうね」と、お約束みたいな話題になった。ただ、去年と今年はコロナ禍のせいで、「何もしないうちに感」がとりわけ強い。

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「近頃、妙な暴力事件が多いのは、閉じ籠もってばかりで心を病んでしまうやつが多いからですよ、きっと」と、彼は言う。「私だってたまには外に出て、自然の中を思う存分走らないと、気が変になっちゃいそうですもん」

私もこれには同感だ。それで今年の 3月、とうとう我慢しきれなくなって、無理矢理に飛騨への旅を決行したほどなのだから(参照 1参照 2)。

とくに昨日は愛知県弥富市の中学校で、3年生の男子生徒が同じ学年の生徒に包丁で腹を刺されるというショッキングな事件(参照)があったばかりのことでもあり、「心を病んでしまう」というのが実感として迫る。

事件翌日には、加害者の生徒は被害者との間にトラブルがあったと供述していると報じられた。「いじめ」にあっていたというのだから、聞き捨てならない。

バイク店の店主との話では、「いじめる方が一方的に悪くて、いじめられる方がひたすらかわいそうという見方は、ちょっと違ってることもあるかもね」という話になった。そりゃもちろん、いじめる方がずっと悪いに決まっているが、本質的な問題は両者の関係性にあることが多い。

我々が注目してしまったのは、被害者の生徒が「明るいリーダー的存在」だったという点だ。部外者から見ると、ただ「暗い性格」の生徒が「明るいリーダー的存在」の生徒を恨んで刺してしまったということになるだろうが、物事というのはそんなに単純なものではない。

ここから先は今回の事件を特定して言っているわけではなく、あくまでも一般論であると慎重に断った上で書かせてもらうのだが、「明るいリーダー的存在」というのは、いつでも立派というわけではない。それは、時として「正し過ぎてしまう」ことがあるからだ。

この点に関しても、我々の見方は一致した。人は「正しい」に越したことはないが、「正し過ぎ」には十分に気をつけなければならない。さらに言えば、当人には「正し過ぎ」という自覚がない場合でも、「正しくない者」の目からは鼻持ちならないほどに「正し過ぎ」と見えてしまうこともあるのだ。

そしてここから先は再び、今回の中学校の刺殺事件に特定した話に戻らせてもらう。上に掲げた写真は、事件のあった学校側が「トラブルはなかったと認識している」と説明したストーリーに付けられたものだ。

これ、実際に発せられた言葉通りだとしたら、かなり不愉快な言い草なんじゃなかろうか。私には学校側が「責任逃れ」の道を作っているとしか思われない。

「トラブルがあったという認識はなかった」というなら、まだ許せる。特定の生徒間の問題について学校側が気付いていなかったというのは、当然あり得ることだからだ。

しかし「トラブルはなかった」というのは、傲慢なまでに「正し過ぎる」態度だよね。「自分たちの認識しなかったことは、たとえあったとしてもなかったのだ」と言わんばかりである。

そんなわけで、多くのジャーナリズムは事件のあった学校名を出さず、ただ「愛知県弥富市の中学校」とボカしているが、事件当初はちゃんと「十四中学校」という校名を出して報じていたはずだよねと、敢えてはっきり書いておこうと思う。

【12月 1日 追記】

その後の報道で、学校側の「トラブルはなかったと認識している」という発言はあっさりと覆されてしまった。生徒が 2年生時のアンケートを元に、学校側は「いじめ事案」として対応していたという事実が報道されたためである(参照)。

要するに、学校側は頬かむりをしたかったわけだよね。何しろ学校のアンケートは原則 3年の保管義務があるにも関わらず、保管されていないというのだから、意図的に「処分」してしまったと疑われてもしかたがなかろう。

「正しさ」を装うために、とんでもない「正し過ぎ」に走ってしまったわけだ。

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2021年11月26日

Apple vs. Pegasus というスパイウェア

AAPL Ch. の「Apple、国家が支援するサイバー攻撃を受けたユーザーの Apple ID に紐付けされたメールや電話番号に通知を行うと発表」という 11月 24日付のかなり思わせぶりな記事に、最初は「一体、何のこっちゃ?」と思ってしまったが、実はよく調べると、かなり大変なことのようなのである。

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この記事の「国家が支援するサイバー攻撃」(state-sponsored attacks)というのは、”Pegasus” によるものであるとわかった。これはモバイル端末用のスパイウェアで、Wikipedia には次のように書かれている。(参照)。

Pegasus はイスラエルの企業である NSO Group が開発したモバイル端末をターゲットにしたスパイウェアである。2016年 8月、人権活動家の iPhone で発見された。

ITmedia NEWS の 2021年 7月 19日付記事は "スパイウェア「Pegasus」は世界中の記者や人権活動家の端末にインストール済みとの調査結果" と報じており、さらに 11月 24日付で "Apple、iPhoneスパイウェア「Pegasus」のNSOを提訴" と伝えた。 提訴先は、米カリフォルニア州北部地区地裁。

この 11月 24日付記事はまた、次のように伝えている。

米 Washington Post が 7月、メディアや人権団体と協力して調査した結果、記者や人権活動家などの端末に不当にインストールされ、悪用されていたと発表した。

このように、Pegasus は主としてリベラルなジャーナリスト、人権活動家などのスマホを標的として侵入しているもののようだ。Wikipedia は次のように伝えている。

端末が Pegasusに感染すると、攻撃者は理論上端末のあらゆるデータを収集できる。攻撃者はメッセージ、通話、写真、電子メールを抽出したり、秘密裏にカメラやマイクを有効化したり、WhatsApp、Telegram、Signal などの暗号化メッセージアプリのメッセージを閲覧できる。

いやはや、かなり念の入った恐ろしさのスパイウェアである。さらに engadget 日本版は、次のように伝えている(参照)。

このPegasusなるスパイウェアは個人向けではなく、世界各国の政府や様々な団体に売り込まれているものです。

しかし購入したほとんどの国は人権侵害していることで知られており、今年 7月にも世界中の人権活動家や弁護士、ジャーナリストを標的に使用されていたとの報告がありました

「世界各国の政府や様々な団体に売り込まれて」いて、「購入したほとんどの国は人権侵害していることで知られて」いるというのだから、ちょっと考えただけで、「あの国も、この国も・・・」と思い浮かんでしまう。てことは、私の昨日付の記事とか、今年 4月 1日付の記事なんてヤバくないか?

Apple のソフトウェア・エンジニアリング担当副社長のクレイグ・フェデリギ氏は「Pegasus のような国家ぐるみの攻撃は『ごく少数のお客様にしか影響を与えません』として大半の顧客は安全と示唆」しているという。

というわけで、私程度の一介のブロガー如きは取り立てて心配ないのだろうが、それでもやっぱり気持ち悪い話だよね。

 

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2021年11月25日

中国に対する IOC の態度は「スポーツ・ウォッシング」

中国の前副首相から性的関係を迫られたと告発した女子プロテニスの彭帥選手に関して、国際オリンピック委員会(IOC)が「元気で安全だった」などと発表して火消しに走っていることを、人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)が批判している。WTA(女子テニス協会)も同様に批判的だ。

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HUFFPOST の記事(参照)を初めとする複数のニュースに沿って彭帥選手の消息に関する経緯を簡潔に整理すると、次のようなことになる。

  • 11月 2日に彭帥選手が、中国の張高麗前副首相から性的関係を迫られたことを SNS で告発(参照)し、その直後から連絡が取れなくなった。

  • 11月 14日、WTAは「彼女の訴えは、完全かつ公平に、透明性をもって、検閲されることなく調査されなければならない」との声明を出した(参照)。

  • 11月 18日、中国国営グローバル放送の CGTN が、彭選手が WTA に宛てて書いたとされる「私は行方不明ではなく、安全で、全てが良い状態だ」というメールを公表。しかし WTA のスティーブ・サイモン CEO は「本人が書いたとは信じられない」と懸念を表明した(参照)。

  • 11月21日、中国共産党機関紙の人民日報系「環球時報」の編集長が、コーチ、友人とともにレストランで食事している彭選手の姿とされる映像を Twitter に投稿(参照)。WTAは、彭選手が危険にさらされていないかどうかの確認は「このビデオだけでは不十分」と述べた(参照

  • 同じ 11月 21日に、IOC がトーマス・バッハ会長らが彭選手とテレビ電話で話したと発表(参照)。バッハ会長は「彭選手は安全で元気に北京の自宅で暮らしていたが、今は自分のプライバシーを尊重してほしいと述べ、友人や家族と過ごすことを希望していた」と説明した。

  • これに関しては「30分間のテレビ電話には、中国オリンピック委員会の幹部も同席した。彭さんはなおも自由に発言できない状況に置かれている可能性もある」と報じられている(参照)。

このように「彭帥選手は無事」とする情報はすべて、伝言、真義が不確かなメールやビデオ、不自由な状況下でのテレビ電話などによるものでしかない。

11月 18日の「CGTN によるメール公開」というニュースに関連し、WTA のスティーブ・サイモン最高経営責任者は同日に出した声明で、「私はさまざまな手段を通じて彼女と連絡を取ろうとしたが、できなかった」と明かし、「彼女の安全について独立した確証が必要だ」と要求した(参照)。

そもそもこれに関しては、どうして彭選手が WTA 宛に書いたメールが CGTN の手に入るのか、メチャクチャな話である。国内でメール検閲が日常的に行われていることを、中国が自らバラしてしまったようなものだ。

さらに 11月 21日の IOC の発表は中国の官製メディアによるアヤシい情報と同レベルというほかないし、何しろあのバッハ会長の言うことだから、ますます信用できない。

この翌日の 22日、HRW のシニア中国研究者の王亚秋氏は、Twitter 上で「IOC は中国政府による行方不明や抑圧、プロパガンダ構造に積極的に加担している」と強く批判した(参照)。

彭帥選手が公開の場に元気な姿を現し、この間の経緯を自分の言葉できちんと説明し、さらに、それによる弾圧が一切ないということが確認されない限り、中国が「ヤバい国」であるというレッテルを剥がすわけにはいかない。

さらに言えば、チベット自治区のウィグル民族弾圧なども即座に止めなければ、中国は「ヤバい国」であり続けることになる。

IOC の態度は、オリンピック・ボイコットの気運が高まることのないように、まさに「スポーツ・ウォッシング」に終始しているだけと見られてもしかたがない。こんな状態での北京オリンピックは「外交的ボイコット」程度じゃ生ぬるい。個人的には「全面的ボイコット」すべきだとさえ思っている。

【2021年 12月 20日 追記】

HUFFPOST に 12月 20日付で「彭帥さん、海外メディア取材に性的暴行を否定。掲載された一問一答の内容は?」という記事が載った。

内容はリンク先を読んでいただければわかるように、彭帥さんが自ら性的暴行を受けたことを否定しているというもの。ただ、彼女の発言は矛盾点が多く、そのままには到底信じられるものではない。かなりの圧力で、暴行否定発言をさせられているとしか思えない。

 

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2021年11月24日

「飲みニケーション」じゃ残業手当が付かないしね

共同通信が 11月 23日付で「飲みニケーション支持急落」というニュースを伝えている。日本生命保険が実施したインターネット上の調査で、「飲みニケーションが不要だと答えた人は全体の 62%で、内訳は『不要』が 37%、『どちらかといえば不要』が 25%だった」ということのようだ。

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この記事を解釈する上でキモになるのは、この調査がインターネット上で行われたということだ。

今のご時世でも「飲みニケーションは必要」と考えるような旧世代的価値感のオッサンの多くは、インターネット調査なんかに反応しない。一方、進んで回答したのは新世代的価値感の人間が多かっただろうから、「飲みニケーション支持派」に不利な結果になったのは当然だ。

それでも個人的な印象としては、「飲みニケーションは不要」との回答が 62%でしかなかったというのは低すぎる。しかもこの「62%」というのは、「どちらかと言えば不要」という「なまくら回答」の 25%を含むというじゃないか。

本来この種の調査は「要/不要のどちらと考えるか」を問うているはずなのに、敢えて「どちらかと言えば〜」なんていう回りくどい選択肢を設けていること自体が、いかにも「日本のサラリーマン社会」的である。この社会の「なまくら風土」はまだまだ根強い。

むしろ注目すべきなのは、「不要と考える理由」だろう。「気を使う」が37%、「仕事の延長と感じる」が30%を占めたというのは、かなり率直な反応と見るべきだ。

「飲みニケーション」という妙な「サラリーマン用語」の意味するところは、「延長業務」に他ならない。飲み代が「経費」で落とせるのだから、業務でなくて何だというのだ。若手が自腹を切ることは稀なのだろうが、本来なら「残業手当」まで欲しいところである。

本当に友人たちと楽しい時間を過ごしたくて一緒に酒を飲むなら、自腹を切ってでも飲む。しかしいくら「タダ酒」とはいえ、仕事の延長として楽しくもない酒に付き合わされるのは、苦痛でしかない。

「その苦痛に耐えることがサラリーマンとしての人生修行」なんて言う人もいる。しかし実は、そうした人にとっての「飲みニケーション」は「苦痛」ではなく「楽しみ」(だからこそやりたがる)なのだから、自分の楽しみのしわ寄せを部下に強いることを、勝手な言い草で正当化しているだけだ。

このご時世、会社帰りに上司に酒に付き合わされる機会が減ったのは、コロナ禍の数少ないプラス効果だったんじゃなかろうか。

今回の調査結果を見る限り、「この風潮が継続してもらいたい」と思っているサラリーマンの数は、「飲みニケーション復活」を願う層の ほぼ 2倍近い。調査に十分に反映されなかった旧世代的価値感をもつオッサンは、口惜しかったらインターネット調査にもっと積極的に反応すればよかったのだ。

会社帰りにどうしても仲間と飲みたい少数派は、他を巻き込まずに同士だけで集まって飲むべきだろう。しかも自腹でね。「業務」じゃなくて「楽しみ」なんだから。

 

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2021年11月23日

肉を食わないと、うんこもおならも増えるのだが

昨日に続き、Gigazine ネタである。本日のネタは "植物ベースの食事に切り替えると「おならと大便が増える」という調査結果" という本日付の記事だ。ただ、決してバッチい話ではないので、お付き合いいただきたい。

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この記事によると、「スペインの研究チームの調査で、植物ベースの食事に切り替えるとおならの回数は 7倍、大便の量は 2倍に増えることが判明」したという。これ、まさに「植物ベースの食事」を続けている私の実感からもウソじゃないと言える。

この記事によれば、植物性の食事で大便の量が増加するのは「排出される食物繊維の量が増加」するためだという。また、おならが増加するのは「腸内細菌が食物繊維を発酵させる過程で産生」されるからとされている。

ただ、おならが増加するからといっても、臭いガスを撒き散らしているというわけじゃない。記事にも「主に無臭の水素やメタン、二酸化炭素で構成されているため、おならの量が多いからといって臭さも増加するわけではない」と書かれている。

経験則から言っても、普段やたら肉を食うオヤジのおならは、「おぇ〜っ」となっちゃうほど臭いけど、菜食中心の人間のおならはちっとも臭くない。

この問題に関して私は既に、今年 1月 15日付の「肉を食わないと、おならが臭くない」という記事で触れている。

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この記事では、肉を食わないと、肉を消化するための「ウェルシュ菌」などの悪玉菌が活性化され、この悪玉菌が「スカトールやインドールなどの臭い物質」を作り出してしまうということを説明している。確かに私の場合、ウンコもおならも量は多いが臭くないので、周りに迷惑がられない。

家族に「お父さんの後にトイレ入りたくな〜い!」なんて言われることもないので、実に気が楽だ。そして最後に言わせてもらうが、私のおならは臭くないとはいえ、ところ構わず「すかしっぺ」をしているわけでもないので、そのあたり、なにぶん

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2021年11月22日

人は 1歳未満で滑稽が、3歳頃にはジョークがわかる

Gigazine に "子どもは生後どのくらいの時期から「ユーモア」を理解するのか" (2021年 11月 22日付)という記事がある。これは "Scientists capture humor's earlest emergence in yaoung children" (11月 18日付)というMedical press の記事をベースにしているようだ。

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結論から言うと、「子どもは早ければ生後 1カ月で特定のユーモアをユーモアとして正しく理解し、成長するに従ってユーモアの感覚を発達させていく」ということだ。とにかく、かなり早い時期からのようなのである。

そういえば、既にすっかり大人になってしまった我が家の 3人娘も、言葉もわからない赤ん坊の頃から「キャハハハ・・・」と大きな声で笑っていたものである。ただ、あれって「ユーモア」というより「滑稽な仕草」などを見ると大喜びしちゃうという印象だったのだが。

英国のブリストル大学(Bristol's School of Education)の主導する国際的研究チームはこのほど、英国、アメリカ、オーストラリア、カナダの 671人の子どもの両親を対象に"Early Humor Survey"(EHS/早期ユーモア調査)というアンケート調査を行った。その結果は次の通り。

一部の赤ちゃんは早くも生後 1カ月の時点で特定のユーモアを正しく理解しており、推定 50%の赤ちゃんは生後 2カ月の時点でユーモアの感覚を持っていることが判明しました。(中略)赤ちゃんの推定 50%は生後 11カ月までに何かしらのユーモアを感じさせる行動をすることもわかりました。一度ユーモアを生み出すことを覚えた赤ちゃんは、その後も繰り返し面白いことを言ったり面白いことをしたりしたそうです。

うぅむ、まさしく、我が家の 3人の娘の赤ん坊時代もそんな感じだったと思う。まさに「人間は笑う動物」ってことだ。

さらに、「1歳未満の赤ちゃんは身体的・視覚的・音声的なユーモアを高く評価する傾向」があり、いないいないばあ、くすぐり、変顔などを面白がる。そして 2歳児になると「言語的なユーモア」に興味を持ち始め、3歳児になるとダジャレやジョークを解し始めるという。

このあたりが単なる「滑稽」から本格的な「ユーモア」に移行する時期のようで、ということはソフィスティケーションを得るには 3歳までにちゃんとおもしろいことに接しておかなければならないみたいなのだ。ふむふむ。

「洒落の通じないやつ」ってのは、子どもの頃におもしろい大人と接して「言葉によるユーモア」のセンスを鍛える機会をもたなかったのかもしれないね。気の毒に。

 

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2021年11月21日

自転車と歩きでは使う筋肉が違うので

今月は "京都の顔は、「幽玄」と「じゃらじゃら感」" という記事で書いたように、久しぶりに京都に旅して、とくに 11月 9日は朝から晩まで歩きに歩いた。多分 30km ぐらいは歩いたと思う。

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若い頃はこのくらいなら平気で歩いていたし、近頃でも普段自転車で長距離を走ったりしているから大丈夫だろうと思っていたが、なんと翌日、筋肉痛というほどではないが、お尻から太股後ろにかけてのやや外側と、膝から下のふくらはぎにかなりの張りがでてしまった。これはちょっとショックだった。

どうやら自転車のペダリングと徒歩では、使う筋肉が微妙に違うみたいなのである。最近調べて出てきたのが、上の図だ。自転車の図は「ペダリスタ」というサイトから、徒歩の図は「ビダル プラザ」というサイトからお借りしている。

なるほど、自転車で鍛えられるのは背中、お尻、太股が中心で、ウォーキングではその他に膝から下の筋肉が鍛えられる。個人的な印象としては、脚の筋肉で言えば、自転車では前側の筋肉が鍛えられるが、歩いていると後ろ側(裏筋肉というのかな)がよく鍛えられる気がする。

そのために京都では、ペダリングで鍛えられなかった部分、つまり後ろ外側の筋肉が張ってしまったようなのである。体は正直なものだ。

考えてみると、昨年初めまでは日本全国に頻繁(月に 2〜3度ぐらい)に出張していた。そしてその度に「せっかくここまで来たのだから」と、付近の名所や旧跡を訪ねてかなりの距離を歩いていたのである。

ところがそれ以降、コロナ禍のせいで出張機会が激減した。Zoom などのシステムでミーティングを行うことが多くなったために、直接現地に足を運ぶことがほとんどなくなってしまったのである。それであまり意識してはいなかったが、二本の脚を使って「歩く」という機会が激減していたようなのだ。

このことに気付いたので、最近は自転車ばかりでなく、自分の脚で歩くという運動も意識して行うようにしている。おかげで、以前のようなカラダ感覚が戻ってきている気がする。

下半身の筋肉バランス、つまり「裏筋肉」もしっかりキープすることが大切というのは、今回の経験を通してしみじみとわかった。

 

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2021年11月20日

パスワードを "password" と設定しちゃう人って・・・

ITmedia NEWS に "2021年に最も使われたパスワード、世界 1位は「123456」 日本の 1位は?" という記事がある。結論を言ってしまうと、日本の 1位は「password」なんだそうだ。そう言えばこの話題、6年以上前にも書いたことがある(参照)が、状況はあまり変わっていないようだ。

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世界 50カ国のランキング次点は「123456789」(ケタを増やしただけ)、3位が「12345」(ケタを減らしただけ)だそうで、日本でも次点以下が、「123456」、「123456789」、「12345678」で、やっぱり洋の東西を問わず数字を左から順に打っただけというのが多い。

おもしろいのは日本の第 5位の「1qaz2wsx」で、これはキーボードの左側 2列を上から打ったもの。さすが縦書き文化の国である。

上の画像の "TIME TO CRACK IT" というのは、これらのパスワードを盗み出すのにかかる時間で、すべて "< 1second"、つまり「1秒以下」ということになっている。これではほとんどパスワードの意味をなさない。

それにしてもパスワードを設定する際に 数字の羅列や "password" にしようとは、私は決して思わないなあ。あまりにも芸がなさ過ぎで、当人としてもつまらないんじゃなかろうか。

世界でポピュラーなパスワードは こちらのページ で調べることができる。やはり数字の羅列が圧倒的だが、ちょっとおもしろいのもないではない。中国で 6番目にランクされているのは "woaini" で、これは「我爱你」、つまり中国語の ”I love you" である。

フランスの第 3位は "azerty"。これ何かと思ったら、フランスのキーボードは「QWERTY 配列」じゃなくて「AZERTY 配列」なんだそうだ(ちなみにドイツ語圏は「QWERTZ 配列」らしい)。そしてフランスの 6位は "tiffany"。朝飯前で見破られそうだが、実は 17秒もかかるというから、意外である。

私が最近いろいろな人にオススメしているのは、4年前の私の記事に山辺響さんが付けてくれたコメントを参考にアレンジしたもので、配偶者や親、子どもなど、近しい人の誕生日をパスワードに使うことだ。

例えば妻の誕生日が 1970年 5月 15日だったら、"15May1970" にする。アルファベットの大文字小文字、数字をすべて使っているし、とにかく忘れにくいだろう(忘れたら怒られてしまう)。そして定期的に、親や子どもの誕生日に変更する。ただし自分の誕生日はすぐにバレるから避ける方がいい。

ただ、この手は人にオススメするだけで、自分では使っていない。人に薦めて自分でも使ったらすぐに類推されてしまうし、このやり方がポピュラーになるとリスクが大きくなるからね。(なんて言いながら、こんなところに書いちゃったらヤバいよね)

いずれにしても、PC やスマホ関連のパスワードに関しては「はあ?」と呆れてしまうようなエピソードが多く、私の過去記事でもいくつか傑作(?)騒動に触れてあるので、よろしければどうぞ。

パスワード騒動 (2013年 1月 29日付)

「私の iPad のパスワード、教えて下さい」 と言い出す人(2017年 7月 29日付)

「パスワードを覚えてられない」症候群(2018年 9月 23日付)

 

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2021年11月19日

「OB はみんな嫌な気分」と言う清原のメンタリティ

"新庄剛志監督に「OBはみんな嫌な気分になっている」 清原和博氏が不快感露わ...エールから一転" というネット記事を読んで、こちらの方がずっと不快になってしまった。新庄監督の就任会見でのファッションに関して、「もうちょっとちゃんとしてくると思った」なんて愚にも付かない言い方してるし。

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J Cast ニュースによれば、清原は「プロ野球 100年の歴史があるわけですよ。(元巨人の)川上(哲治)監督から始まってね。絶対プロ野球のOBたちは口に出さないと思いますけど、みんな嫌な気分になっているのは間違いないと思います」なんて言っているらしい。これ、とても嫌らしい言いがかりである。

そもそも日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」が発足したのは 1934年で、プロ野球リーグが開幕したのは 1936年だから、まだ 100年なんて経ってないし、「川上監督から始まって」いるわけでもない。自分でも何を言ってるのか、わけがわかってないのだろう。

さらに、「(OB たちが)みんな嫌な気分になっているのは間違いない」というのは、ある意味で卑怯な言い草である。不確かな他人を持ち出すことで、自分の言いたいことが正当化されているような気分になっているだけだ。

私は彼の言い草から、自分のブログで書いた以下の 2本の記事を即座に思い出した。

「不機嫌による支配力」を跳ね返す「鈍感力」(2021年 11月 11日付)

清原は一時、まさに「不機嫌による支配力」を行使していた代表的人物だと思う。まともに通じる言葉で説明することをせず、ただ「不機嫌」によって理不尽なまでに我を通してきたとしか思われない。

他人の悪口は蜜の味かもしれないが(2019年 3月 24日付)

このタイプの人間というのは、「こんなことを言ってる人もいる」なんて第三者の言葉めかした言い方をしがちだが、実はそうした悪口を影で言いまくっているのは、彼または彼女自身しかいなという例を私は嫌というほど知っている。

要するに彼は、私が最も我慢ならないタイプの人間である。OB を嫌な気分にさせたことに関しては、自分自身の不祥事(暴力団員との賭けゴルフや薬物事件等々)の方がずっと上回っているだろうに、よくまあ、他人のファッションぐらいのことでどうこう言えたものだ。

要するに、スーツにネクタイ締めてさえいれば大抵のこと(暴力団と付き合っても、変なクスリをやっても)は許されると思っているのだね。それにしては、彼自身の服装はわけのわからない悪趣味なのが多いという印象なのだが。

正直言って、私はとくに野球に興味があるわけでもなく、新庄新監督にことさらな思い入れがあるわけでもない。ただ、清原的なものの言い草には、条件反射的なまでにうんざりしてしまうのである。「まともなことを言う甲斐性がないなら、せいぜいおとなしくしてろ」と言いたくなってしまうのだよ。

彼は「不機嫌」ではなく「上機嫌」で周囲に影響を与える新庄新監督のようなタイプとは真逆なので、基本的に理解できないのだろうね。

 

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2021年11月18日

”Jam"(ジャム)と "jelly"(ゼリー)の違い

Q&A サイトの "Quora" で、「なぜアメリカ人はジャムをゼリーと呼ぶのでしょうか? アメリカではジャムと言うと何になりますか?」という質問を見つけた。ここには「ゼリー」とあるが "jelly" だから、発音は「ジェリー」に近いのだが、それによせられた回答を読んで、私も積年の疑問が晴れた。

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私も昔から、「アメリカ人は『ジャムサンド』のことを "jelly sandwich"(ジェリーサンウィッチ)なんて言ったりするなあ」なんて思っていたのである。かと思うと「ジャムトースト」のことを ”toast and jam" なんていうのも聞いたことがあるから、わけがわからなかった。

わけがわからないながら、「まあ、同じものを jam と言ったり jelly と言ったりするんだろう」ぐらいに軽く考えていたのだが、実は jam と jelly は同じではないとわかったのである。これは「目からウロコ」だ。

上の 2枚の写真は Ben Waggoner さんという方の回答に添えられた写真(スーパーの棚を撮影したもの)の部分拡大だが、なるほど、確かにグレープとストロベリーともに ”Jelly” と ”Jam" がある。とくに上の方は、同じ "Welch's" の商品できっちりと区別されているのだから、別物と思うほかない。

Ben Waggoner さんは、次のように書かれている。

アメリカのゼリーは、果汁に砂糖とペクチンを加えて固めたものであり、半透明でなめらかな食感です。(中略)ジャムは果肉を加熱調理し、半透明にはなりません。また調理の過程でちょっとドロドロになりますが、果実の形ははっきりと残っています。

私は「アメリカのジャムは、かなり濃厚で果実の形がはっきりわかるのが多いけど、一方ではすっかりトロトロ状態のもあるのだな」と思っていたのだが、それも道理である。実は濃厚なのが「ジャム」で、トロトロなのは「ゼリー」だったのだ。

私は昔から「カタカナ名前の食い物は、ラーメンとカレーライスとスパゲティ以外はよくわからん」なんて言っているが、本当にわからないのはイタリア語とかフランス語由来の食い物で、元が英語ならたいていわかると思っていた。しかし実は、英語でもこの程度のものだったと気付いて、愕然としている。

日本のコーヒーショップなどで出されるパンには、小さなプラスティックや紙の使い捨て容器に入った「ジャム」が付いている場合があるが、実はあれってほとんど「ゼリー」の範疇に入れるべきものなのだね。

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というわけで、ものは調べてみるものである。

 

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2021年11月17日

牛の糞尿から再エネづくりという試み

IDEAS FOR GOOD のサイトに ”牛の糞尿で再エネづくり。アメリカの農場で進む「バイオ」な実験とは?" (2021年 11月 17日付)という記事がある。牛のげっぷやおなら、糞尿に多く含まれるメタンを使って再生エネルギーを作ろうという試みに関するものだ。

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牛やヤギ、ヒツジなどの反芻(はんすう)動物は、消化の過程で大量のメタンガスを発生する。このメタンガスの温室効果は、CO2 の約 25倍とされている。大型の動物である牛は発生するメタンガス量も多いから、地球温暖化にかなりの影響を与えている(参照)。

私が最近肉食から遠離っている最大の理由は、世界で生産される穀物のかなり多くの量が牛や豚などの餌になっており、飢餓に苦しむ人に廻ってこないからということだ(参照)が、もう一つの理由は、こうした環境への悪影響がある。ただ、このメタンガス発生は、新しい試みでかなり減らせるかもしれない。

この新技術は、アメリカで燃料電池技術を提供する Bloom Energy が発表したもので、次のように説明されている。

今回発表されたのは、カリフォルニア州ケアマンの酪農場「Bar 20 Dairy Farms」に1メガワット(MW)の燃料電池を配備し、牛の糞尿に含まれるメタンをバイオガスに変えるというもの。

(中略)まず、メタン消化装置によって牛の糞尿からバイオガスが回収される。その後、バイオガスはガス浄化装置を経て、電気化学的なプロセスによって再生可能エネルギーに変換される。通常、メタンを燃焼させると二酸化炭素が排出されるが、Bloom Energyの開発した燃料電池は、燃焼せずとも再生可能エネルギーを生み出すことができるという。

この再生エネルギーを作るという試みは、牛の糞尿を原料とするというわけだ。当然ながら、げっぷやおならまで回収するというものじゃないから、完全に問題解決されるというわけではないが、環境への影響に関してはこれまでより改善されると期待される。

この記事の末尾には "重要なのは「牛を食べることが悪い」「牛を飼わなければいい」ではなく、どう共存できるのかという視点" と記されている。しかし私としてはこの問題は、もっとシンプルかつストレートに考えている。

「牛を食べることが悪い」とまでは言わないが、「要するに食わなきゃいいじゃん」と思っていて、実際に食わないライフスタイルをずっと続けているので、そのあたりはどうぞ

Yoroshiku4

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2021年11月16日

「潜水橋」というもの

「潜水橋」というものをご存知だろうか。関東地方、なかんずく私の住む地域を流れる小貝川にもあると聞いていたのだが、先日、小貝川サイクリング・ロードを自転車で走っている時に偶然に見つけてしまった。下の写真である。

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「潜水橋」でググってみると、Wikipedia の項目としては別名の「沈下橋」が採用されており、次のように説明されている(参照)。

沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)は、河川を渡るの一種である。堤外地に設けられる橋で洪水時には橋面が水面下になる橋をいう」と説明されている。  (アンダーラインは tak-shonai による)。

この説明の「堤外地」(ていがいち)というのを、私は初め「堤防の外の土地」(人が棲む耕作地や住宅地)と解釈しそうになったが、当然にもそれは逆で、Wikiwand の「堤防」というページに下のように図示されているように、堤防と堤防にはさまれた内側(つまり川の流れるところ)のことを言う。

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つまり、人が堤防で護られてフツーに暮らしている土地(田畑や住宅地)が「堤内地」で、その視線からすると、堤防の向こうで川の流れているところが「堤外地」なのだね。「堤内地/堤外地」という言葉に関しては、視点がとても「人間本位」のようなのだ。

ただ、より古いと思われる言い方では、川そのものと河川敷のようなところを併せて「川表」(かわおもて、現代でいう堤外地)と言い、そこから見て堤防の向こう側の人間の世界が「川裏」(かわうら、つまり堤内地)と言うのがおもしろい。昔の視点は「川本位」で、川の身になった表現である。

川は太古の昔から人に水を恵んでくれるありがたい存在だったが、一方で「洪水」という災害ももたらす。そのため、両者の関係にはちょっと敵対的なまでの側面もあった。

そして近代以降の「堤内地/堤外地」という表現では、その敵対的側面がより強調されているように思われる。私には、自然破壊を推し進める人間の勝手な視線が、ここに象徴されているような気がする。

現代の橋は上の図で言えば、河川の両側の堤防同士の最も高いポイントを結ぶ。だから、多少の増水では水をかぶらない。

しかし「潜水橋/沈下橋」というのは、堤防の内側(堤内地という意味じゃない、念のため)で、低水路(洪水でない時の川の水路)の両側の「高水敷」、つまり低いところ同士を結ぶ(説明がややこしくてごめん)。だから、増水で水面が上昇すると、容易に水面下に没してしまう。

潜水橋のコンセプトは、大袈裟な工事をせずに、洪水で橋が水没した時は向こう岸に渡るのを諦めて、水が引くまで待てばいいという思想だ。人間と川とが素朴に折り合いを付けている。

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洪水で水面下に没した時、押し寄せる流木がぶつかって破壊されたり、一緒に流されてしまったりすることがないよう、潜水橋は手すりのないのが普通だという。私の見つけた潜水橋も上の写真のようなもので、「自転車立ち入り禁止」とされていた。酔っ払って千鳥足で渡るのも危なそうだ。

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で、徒歩で渡ってみるとおもしろいことに気付いた。橋の真ん中あたり、つまり川の流れの真ん中あたりにくると、案外川底が浅くなっていて、水面のすぐ下に底が見えるのである。つまり、小貝川のこの辺りって、川底が「W字形」になっているようなのだ。

小貝川というのは、昔は隣を流れる鬼怒川との境が明瞭でなく、一帯がぐちゃぐちゃの湿地だったという。人間が長い年月をかけてそれを 2本の川に分け、間の土地を農地にしてきたという歴史があるから、この浅瀬も大昔の洪水対策として、普段の流れの幅を倍に広げた名残なのかもしれない。

たまたま見つけた潜水橋を渡ることで、この辺りの土地の民俗的な歴史を辿ったような気がしたのだった。

 

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2021年11月15日

NiziU の新曲は "Chopstick" (単数形)なのね

3〜4日前から、私の【どうして「箸」のことを "chopsticks" なんていうのか】(2016年 1月 29日付)という記事が妙にアクセスを集めていて、「一体なんでまた・・・?」と不思議に思っていたのだが、やっとナゾが解けた。NiziU というアイドル・グループが、"Chopstick" という新曲を出していたのである。

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私は今年 5月 18日付の記事で、"Sustainable" (サステイナブル)が日本では「サステナブル」でほとんど定着してしまっているのは、2019年に AKB 48 が歌った「『サステナブル』という曲が、「まさに持続可能な決定打となった」と書いている。いやはや、アイドルの力って結構大きい。

"Chopstick" ってどんな曲かと検索したら、YouTube でも視聴できるとわかった。下の画像の「▷」をクリックしていただければ楽しめる。イントロが「二本指でピアノを弾く場面」から始まるのも、なかなかのウンチクである。

これは、"Chopsticks" の語源説に「ピアノの練習における 2本指の快速演奏が、箸の動きと似ているから」というのもあることを踏襲しているのだろう。このプロジェクトに関わった連中、なかなかやるな。

ただ、私としてはこの ”Chopstick” という曲を実際に聞くまでは「箸って "chopsticks" と複数形でないと意味をなさないんだがなあ」と、ちょっとした「残念感」をもっていた。ペアのものでもつい単数形にしてしまうのは、日本人にありがちなミスだからね。

ところが聞いてみて、この歌のタイトルは「単数形」でなければならないという必然性のあることがわかった。こんな歌詞なのである。

Like a chopstick 1本じゃ掴めない
Like a hand to clap 1人じゃつまらない
Like a pretty shoe ちぐはぐじゃ心配
Like a wing to fly 君としか飛べない

箸が 1本だけじゃつかめないし、手が 1つだけじゃ手拍子も打てない。可愛い靴でも片方だけじゃだめで、翼が片方だけでも飛べないというのは、なかなかおもしろいレトリックだ。それに歌も踊りも上手だし、英語の発音も悪くない。うむうむ、本当になかなかやるじゃないか。

で、最後まで残った疑問が「NiziU って、なんと読むんだ?」ってことなのだが、どうやら「ニジュー」と読むようなのだ(参照)。

さらに恐れ入ったことに、Mac で「ニジュー」と入力したら、単語登録したわけでもないのにあっさりと "NiziU" に変換されてしまったのである。いやはや、これって手回しよすぎじゃないか。

というわけで、私は基本的にアイドルの歌ってピンとこないのだが、この NiziU ぐらいにとことんやってくれたら、プロジェクトとして認めざるを得ないと思った次第なので、どうぞ

Yoroshiku4

【同日 午後 17時 30分 追記】

ところで今度は、昨日の夕方頃から「数を数えるのに節を付けるのは、群馬県に限らない」(2017年 5月 ⒏日付)に猛烈な勢いでアクセスが集中した。昨日の 18時過ぎ頃はとくにスゴく、1分に 10アクセス以上だった。

これって、一体何がきっかけだったのか、まだ不明である。心当たりのある方がいらしたら、コメントで教えていただきたいので、重ねて

Yoroshiku4

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2021年11月14日

日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」らしい

毎日新聞のサイトに "日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表" という記事がある。ドイツなどの国際研究チームが発表し、10日(日本時間11日)の英科学誌『ネイチャー』に掲載されたのだそうだ。

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発表によれば「日本語の元となる言語を最初に話したのは、約 9,000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だった」とされている。この結論の精度が高いとみられるのは、研究チームが以下のような手法を用いていたためだ。

98言語の農業に関連した語彙(ごい)や古人骨の DNA 解析、考古学のデータベースという各学問分野の膨大な資料を組み合わせることにより、従来なかった精度と信頼度でトランスユーラシア言語の共通の祖先の居住地や分散ルート、時期を分析した。

ちなみに「トランスユーラシア言語」というのは、日本語(琉球語を含む)、韓国語、モンゴル語、ツングース語、トルコ語などユーラシア大陸に広範に広がる言語を総称して言っているらしい。かなり希有壮大なプロジェクトで、私なんかちょっと心が躍る。

日本語の元となる言語は、約 3,000年前に「日琉(にちりゅう)語族」として、水田稲作農耕を伴って朝鮮半島から九州北部に到達した人たちによってもたらされたという。これにより、元々の縄文人が話していた言葉と置き換わった。

そして古い言語は「アイヌ語」として孤立して残ったという。そうか、アイヌ語は縄文語を色濃く残している言語だったのか。私の父は生前、アイヌ語オタクと言われるほど熱心に勉強していたが、縄文気質があったのかもしれない。

沖縄に伝わるにはさらに時間がかかり、「11世紀ごろに始まるグスク時代に九州から多くの本土日本人が農耕と琉球語を持って移住し、それ以前の言語と置き換わったと推定できる」とされている。なるほど、それで沖縄には独特の言葉が現在も残っているわけなのだね

上に掲げた「日琉言語の日本列島への到達」という地図を見ると、北九州は遙か昔から大陸との文化交流の窓口だったことがわかる。そして文化の中心が徐々に近畿に移ったのは、北九州が「文化交流の窓口」であると同時に、「侵略の危険性の高い地域」であったからとも言われる。

明治以前まで日本の中心として機能していた京都を含む近畿は、「山城国」というだけあって、リスクの小さい地域と認識されたのだろう。何しろ後に「元寇」なんてことも現実にあったわけだから、脅威は現実的だったのだ。

こうしてみると私の生まれた東北は、長らく「文化果つる地」だったのだね。他から訪れた人が庄内弁を聞いて「一言もわからない」と言うのも道理である(参照 1参照 2)。

毎日新聞は記事中で「日本語(琉球語を含む)」と言っているのだが、無茶を言わせてもらうとすれば、「日本語(琉球語、庄内弁、津軽弁を含む)」と書いてもらいたかったほどだ。ああ、それから上述の「参照 1 」で触れたように、鹿児島弁もかなりすごいな(参照 3)。

「日本語と庄内弁のバイリンガル」である私は、今となっては重層的な思考ができるという意味で、潜在的な「文化的優位」にあると自認して、いい気持ちになっていいのかもしれない。さらに英語も多少イケるから、「バイ・アンド・ハーフ・リンガル」なんて自称しようかな。

今回の研究チームのリーダー、マーティン・ロッベエツ (Martine Robbeets)教授は「すべての言語、文化、および人々の歴史に長期間の相互作用と混合があった」と語っているという。どんな大国でも、完全に独立したナショナル・アイデンティティなんてものがあるってわけじゃないのだ。

そして「言語と文化の相互作用と混合」は、地理的空間や歴史の中だけでなく、今この時を生きている個人の中にもあるのだから、かなりおもしろいよね。

【参照: Origins of ‘Transeurasian’ languages traced to Neolithic millet farmers

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2021年11月13日

細木数子というオバサンに関する軽い総括

昨日から、私が 16年以上も前に書いた 「細木数子というオバサン」という記事にやたらアクセスが集中しているので、「一体、何があったんだ?」と調べたら、昨日の朝にこのオバサン(いや、もう完全におばあさんか)の死亡がニュースになっていたとわかった(参照)。

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それにしても、単に「細木数子」でググっても、検索結果には芸能関連のページがズラリと何百件も並ぶだけだから、どうやって私のブログ記事を探されたのか、不思議でしょうがない。フツーには「細木数子 tak-shonai」の 2ワードで検索しなければ出てこない。

もしかして「tak-shonai のことだから、細木数子について過去に何か書いていても不思議はない」なんて当たりを付けてググられたのだとしたら、恐れ入った慧眼である。あるいはずっと前にこの記事を読んだことがあって、「確か、彼女について書いた記事があったな」と探されたのかもしれないが。

いずれにしても、この世の中、なかなか油断のならないものである。どこでどうググってアクセスされるか知れたものではないから、軽はずみなことは書けない。まあ、私は一貫して細木数子嫌いというスタンスで書いているのでいいが。

ちなみに、このオバサン、いやおばあさん関連では、もう一本書いている。「大物論」という 2005年 10月 1日の記事だ。

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「自分が大物かどうか知りたければ、細木数子に占ってもらえばいい。誉められたら大物、けなされたら小物」という話である。このオバサン、いや、おばあさんの処世術は、世間で言う「大物」に取り入ることだったようなのだね。

このあたり、私が嫌いな高市早苗センセイもやや共通したキャラと言える。それについては、今回の自民党総裁選をまとめたこちらの記事の「追記」にきっちりと書いたので、

Yoroshiku4

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2021年11月12日

新幹線のアイスが、「やったらめったら固い」ので

Togetter の "新幹線アイスとスプーンの値段書いただけなのにTwitterから『ヤクの売人』認定されて凍結された人の話  「可哀想なのに面白すぎる」" という記事に笑わせてもらった。世の中には本当にいろいろなことや事情があるものだ。

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話はタマイーさんという方の tweet から始まる。新幹線車内で購入したバニラアイスと「アイスがとけるスプーン」についてのものだ(参照)。この tweet で、スプーン 600円、アイス 300円という値段を書いたらしい。

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ちなみに「アイスがとけるスプーン」というのは、手の熱がアイスに伝わって、アイスがとけやすくなるというものらしい。ちょっとググってみたら、かなりいろいろな種類のものが流通しているようだ(参照)。

このスプーンのおかげで、新幹線車内で販売される、かの有名な「やったらめったら固いアイス」でも溶けやすくなるという。それにしても、そのためにアイス本体の 2倍の代金を払うというのは、ちょっとビミョーな判断になるだろう。

ところが彼の動画入りの tweet でもわかるように、新幹線のアイスにはこのスプーンもすぐには歯が立たない(参照)。時間をおかないと、「やっぱりダメじゃん!」となってしまうようなのだ。

そして、さらに思いがけない問題が発生する。この tweet が Twitter 社に麻薬取引のためのものと判断され、タマイーさんのアカウントが、凍結されてしまったのだ(参照、後に誤解が解けて復活したようだが)

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どうやら「アイス」というのは覚醒剤を意味する隠語として使われているらしく、「スプーン」というのも、覚醒剤を吸引する道具と誤解されたようなのである。ただ、覚醒剤が 300円というのは安すぎる気がするのだが (知らんけど)。

タマイーさんはこの件に関しては、動画なども含めた一連の tweet としているのだが、たまたまその中で「スプーン 600円、アイス 300円」というのが独立した tweet になっているので、いかにも「アヤシい」と判断されてしまったのだろう。Twitter 社のシステムは、前後関係は無視してしまうようだ。

ちなみに、新幹線のアイスがやたら硬い理由は、「乗りものニュース」の "新幹線のアイス、なぜ固い? イタリアンな食べ方をする「通」も" という記事に次のように書いてある。 

製造するスジャータめいらく(名古屋製酪)によると、「乳脂肪分が高く空気含有量が低いため濃厚、濃密で溶けにくいこと」、そして「販売時、ドライアイスによる温度管理が徹底されていること」が理由といいます。

うぅむ、それにしても、この「温度管理」ってやつをもう少し適切な温度にできないものなのかなあ。

【11月 13日 追記】

この件に関する教訓。

その 1: 新幹線内で購入したアイスクリームは、かなり時間をおいてから食べ始めるべし。

その 2: Twitter では、ビミョーな内容は独立した tweet として唐突にアップすることを避け、前後関係がわかるようにまとめて書くべし。

 

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2021年11月11日

「不機嫌による支配力」を跳ね返す「鈍感力」

UU さんの tweet で、"「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちがわかった話" という しんざき さんのブログ記事を知り、いたく共感してしまった。UU さんに感謝である。

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ブログ記事の筆者、しんざき さんは、"しんざき家には、「察してもらうな、察するな」「どんなことでも言葉にしよう」という家訓があります" と書かれている。「言わないで気付くのを待つ」という選択肢はあり得ないのだそうだ。

ところが「ひどい風邪で喉を壊して、風邪がおさまってからも数日ほとんど喋れなかった」ということがあり、この時には、次女が「察する」という努力をしてくれたのだそうだ。そして、「正直これ、確かに楽だな」と思ったが、それではダメだと思い直したというのである。

彼は ”「不機嫌で相手を操ろうとする人」の周囲には、きっと余りにも「察してくれる」人が多過ぎたんだろうなあ” と書いている。

このブログを読んでくれているあなたも、きっと「ああ、そう言えば、自分の周囲にも『不機嫌で人を支配しようとする人』がいるな」と、思い当たるのではないかと思う。私の周囲にもいたし、今もちゃんといる。

以前に関係していた会社の若手プロジェクト・チームが、社の新方針のもとに作業をより効率的に進めるためのシステム作りを、結構「いいノリ」で進めている時、そいつが、モロに不機嫌そうな顔でウロウロする。後輩たちにしてみれば、はっきり言って迷惑そうだ。

彼は直接的には言わないが、親しい者には陰で「新方針は気に食わない、意味がわからない」と漏らしているらしい。早く言えば「守旧派の不満分子」である。

それを伝え聞き、私が(自分の役割でもないのに)彼にそれとなく新しいやり方に移行するメリットを説明すると、「あんたは社外の人間のくせに、頭がいいからわかるんだろうが、俺にはわからん」なんてことを言う。とくに難しい話でもなんでもないのだが。

自らの頭の悪さ(はっきり言って、確かに頭が悪い)を恥じる風情はまったくなく、むしろ自分が「正義の味方」で、頭のいい奴らを「悪魔の手先」みたいに言うのは、この人の昔からの「お約束」みたいなものである。

そこでよりわかりやすく説明しようとしても聞く耳を持たず、すぐに感情が高ぶってしまうようで、まったく関係ないことを口走って怒り出す。それでこちらとしても、「この人は言葉の通じない人だから、しょうがないな」と諦める。

新しいことがわからないし、わかりたくもないなら、目障りなところをウロウロしないで遠慮しているべきなのだが、そういうわけにもいかない。このタイプの人は基本的に「自分は正しい」と思い込んでいる上に、妙に「さみしがり屋」でもあるから、ビミョーな距離にいて不機嫌を撒き散らしたがる。

こうなると、気の弱い若手なんかくじけそうになってしまう。文字通り「不機嫌で人を支配する」存在である。

こういう人と接してもくじけないで進むための唯一の方法は、「下手に察するな」ってことだ。私はこれを「鈍感力」と言っている。

この「鈍感力」を身に付けるためには、一応それなりの修羅場を潜り抜ける必要があったりするが、一度身に付けてしまえば、彼らの「支配力」を跳ね返す空間にいられるから、楽なものである。

ただ、「鈍感力」にはバリエーションとして「悪鈍感力」(別の言い方では「ゴーマン」)というのもあるので、気をつけていただきたい。(参照: 2008年 3月 9日付 "「二の矢」を受けないために")

 

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2021年11月10日

西日本で肉以外のものを食おうとすると・・・

2泊 3日の関西への旅から帰ったばかりである。久しぶりのまともな旅で、心躍った。ただ、西日本への旅で困るのは、夕食を食べようとしても、私がちゃんと食事できるメシ屋を見つけるのに苦労するということだ。

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私は牛肉と豚肉を食うのを止めてほぼ 10年、鶏肉も含めて肉食全般を止めて 6年以上になるので、当然ながら旅先でも肉以外のもの(魚は OK)を探して食う。ところがとくに西日本に旅すると、肉以外のモノを食わせてくれる店が本当に少ないのだ。

東日本なら駅前の商店街にはたいてい「そば屋」があって、そこに飛び込めば、旨いまずいは別としてなんとかなる。しかし私が昨夜泊まった街の駅前は、見渡す限りステーキ、しゃぶしゃぶ、もつ焼き、焼き肉、牛丼、ホルモン、ラーメンなどの店ばかりだった。

郊外に出れば、サイゼリヤや COCO'S などの、いわゆるファミレスというのがあるのでなんとかなる。ところが出張先で泊まる主要駅前のホテル周辺では、とくに夕方以後は酒飲みながら焼き肉なんかを食うための店ばかりになってしまう。本当に西日本の人たちって、肉、とくに牛肉が好きなのだね。

私は最近、肉も食わなければ酒もほとんど飲まないというライフスタイルなので、西日本での夕食には本当に苦労する。仕方なくコンビニでおにぎりを買って、ホテルの部屋で空しく頬張るなんてことも珍しくない。

さらに今日は、出張先での用が思いのほか長引いて。昼食を取る隙もなく午後 3時前に新幹線に飛び乗った。乗車直前に駅弁を買おうとしたのだが、新大阪駅ホームの駅弁屋には牛肉系の弁当しかないじゃないか。数少ない魚系の弁当はすべて売り切れというのだ。

店先の見本の「幕の内弁当」を指さして、「このフライみたいなの、魚のフライなら買っちゃいたいんだけど・・・」と尋ねると、それは牛肉のカツだという。じゃあ、ズラリと並ぶすべての種類の駅弁は、3種類ほどある「焼き肉弁当」を含め、多かれ少なかれ牛肉入りというわけか。

多様なように見えて、実は画一的でしかない。「肉の入ってない弁当は、本当に一つもないの?」と聞くと、何だか奥の方をゴソゴソかき回して、「あいにく、これしかないんです」と差し出したのが、「函館海鮮かにいくら弁当」(青森県八戸市の吉田屋製)というものだった。

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どうして新大阪駅で函館の名を冠した駅弁なのか理解できなかったが、どうやらこの駅弁屋の「裏メニュー」的なものであるらしい。これを逃せば、夕方過ぎに東京駅に着くまで腹ぺこで我慢しなければならないので、1,380円なんていう、私の買う駅弁としては破格の代金を払って購入してしまった。

「脱肉食」は世界的な潮流だと思っているのだが、日本社会においてはそれがなかなか反映されていない。

ちなみに、今朝のテレビの天気予報によると大阪周辺の天気は「雨が降ったり止んだり」ということだったが、実際には朝の 8時前に一時的にざっと降っただけで、その後はまともに日が射すほどの陽気になった。屋外での写真撮影も必要な仕事だったので、大いに助かった。

というわけで、私の「晴れ男伝説」は、今日もしっかりと継続してしまったよ。

 

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2021年11月 9日

京都の顔は、「幽玄」と「じゃらじゃら感」

昨日の午後から京都に来ている。着いたばかりで、まずはいつものように東本願寺を参拝し、今日は朝から右京区の花園、御室の、妙心寺、仁和寺、龍安寺を廻った。仁和寺と龍安寺はかなり前に訪ねているのだが、なぜかまだ参拝していなかった妙心寺にたっぷりと時間をかけた。

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妙心寺は臨済宗妙法寺派の大本山。仏殿や法堂の中は文化財の宝庫なのだが、写真撮影禁止なので何も撮れず、退蔵院の庭園でゆっくりと写真を撮った。禅寺の石庭はいいよね。

龍安寺は妙心寺の境外塔頭という位置づけらしいが、石庭に関してはこちらの方が有名だろう。

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これはもう、シンプルの極みで、ただただ「お見事!」というほかない。今回は二度目だが、三度目、四度目があってもいいと思う。

ただ、京都の美学は禅的な「質素・幽玄」だけとは限らない。一方で宮廷文化的な派手な美意識も綿々として続いている。祇園の感じもこれと共通しているのだろうが、私なんか「じゃらじゃら感」と言っている。今回目を見張ってしまったのは、太秦から京都駅に戻る時に見かけた JR 嵯峨野線の電車だ。

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「森の京都」(WOODLAND KYOTO)というキャンペーン列車らしいのだが、赤、黒、金という、いかにも「京都でありんす」という色使いのペイントが施されている。こんなカラーリングの電車を関東で走らせたら、炎上してしまう。

いやはや、京都は奥が深い。何度訪れても極めることなんてできない。

というわけで、今日は歩きに歩いて疲れたので、このあたりで失礼。

 

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2021年11月 8日

茨城 6区で、いろいろあったようで

Smart FLASH のサイトに "岸田首相、安倍元首相「茨城 6区」応援演説に「日当 5000円」でサクラ動員 ・・・ 公選法違反の可能性も" という記事がある。なんとまあ、これ私の選挙区だよ。岸田、安倍のご両人の応援演説を受けていたのは、国光あやのという候補者である。

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衆院選公示の前頃から、この人のチラシが郵便受けにちょくちょく入っていて、「現役医師、国会議員、母親の一人三役」という謳い文句がこれ見よがしに印刷されていた。ウチでは妻と「この三役って、ムリだよね」と話していたよ。少なくとも個人的には、病気になってもこの人にはかかりたくない。

FLASH の記事によれば、10月 26日につくば駅前に集まった聴衆は約 3,000人。多くは背広姿だったとある。この日はウィークデーだったから、仕事の合間に強制されて来たんだろう。いろいろな団体の幟を持って「ウチはちゃんと動員してますよ」とアピールしていたらしい。

そして動員された聴衆には 5,000円の日当が出ていたという。給料もらって、その上に 1時間ちょっとで 5,000円というのだから、結構な「時給」である。

3,000人全員に 5,000円配られていたのだとしたら、合計 1,500万円になる。しかも記事によれば 、翌 27日に石岡市で行われた応援演説でも支払われていた形跡があるらしいから、少なく見ても 2,000万円は使われているだろう。お金って、あるところにはあるものである。

これ、選挙違反の可能性があるらしく、記事には神戸学院大学・上脇博之教授の言葉として次のようにある。

投票を期待して日当を支払った場合は『投票買収』、街頭演説会を盛り上げるために日当を払って観客を動員し、拍手や声援をおこなわせた場合は『運動買収』となり、いずれも公選法違反の可能性があります。

今日は久しぶりに京都に来ているのだが、地元ではこんな話になっているのだね。ただ、別に問題なくスルーされてしまうのだろうが。

【2021年 11月 17日 追記】

この問題、思いのほかに注目されてしまい、「問題なくスルー」というわけにもいかないようで、今頃になってテレビやラジオにまで取り上げられている。

最もおもしろい見出しだったのは、"日当5000円「サクラが見る会」だった岸田&安倍応援演説" というもので、座布団 5枚ぐらいあげたくなった。

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2021年11月 7日

この冬は「厳しい寒さ」が予想されているようだが

東洋経済 ONLINE に「この秋、あまりにも寒暖差が激しかった理由  この冬はラニーニャ現象で厳しい寒さに」という記事がある。久保井朝美さんという気象予報士の記事だ。

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確かに、この 10月は寒暖差が激しかった。私が継続しているもう一つのブログ、『和歌ログ』の 10月の記事を見ると、10月 2日は「台風が過ぎたと思ったら急に天気が回復し、思っていた以上の暖かさというか、暑さになったのだが・・・」と書いている(参照)。

本当に夏のような暑さだった。久保井さんの記事にも、「特に西日本は、10月上旬の平均気温が平年より3.0℃高く、1946年の統計開始以来1位の記録を更新しています」と書かれている。

かと思うと、10月 22日(参照)と 23日(参照)の和歌ログは、カテゴリーを「冬の歌」としている。本当にいきなり真冬になったような寒さだった。久保井さんの記事によれば、10月後半になって、上空に平年より強い寒気が流れ込んだためのことである。

ただ、こうした話は後追いでの説明だからいい。問題は先の話で、この冬は「平年より気温が低くなる可能性がやや高い」とされていることだ。その理由は「ラニーニャ」にあるという。これは南米ペルー沖の海面水温が低くなる現象のことでだ。

ただ、気象に関する先の話というのは、個人的にあまり当てにならないと思っている。これは経験知によるもので、案外馬鹿にならない。最近の天気予報は 3日先ぐらいまでなら結構よくあたるが、3ヶ月先の話となると、まだまだ真に受けるわけにいかない。

昨年の夏頃にも「ラニーニャ発生により、残暑が長引くが、厳冬の可能性」なんて言われていた(参照)のを、私は忘れていない。ところが実際には、残暑は長引いたが冬の寒さはそれほどでもなかった。

2016年の秋にもラニーニャが発生して、厳しい冬になると言われていたが、実際にはそれほどの印象はない。2017年 3月 13日の記事は「寒い冬ではあったらしいが」というタイトルだが、記事中では次のように書いている。

確かに寒い冬だったような気はするが、私としてはそんなに凍えるほどの寒さだったような実感が残っているかといえば、それほどでもないのである。

というわけで、最近の冬なんて「厳冬」なんていわれても昔の冬と比べればたかが知れているという印象なのだよ。さて、この冬はどういうことになるのだろう。

 

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2021年11月 6日

"Cut House"(切られ家)と "Cut In"(割込床屋)

下の画像は 2019年 5月 1日付の記事である。「マツエク」(どうやら「まつげエクステンション」の省略形らしい)という言葉とともに、"CUT HOUSE" という店名にも驚いてしまっている。

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美容業界には "Cut House" (直訳すれば「切られた家」!)という表現のお好きな人が多いようで、ちょっとググってみただけで、東京周辺にも"CUT HOUSE ぱれっと" "Cut House Mini" "Cut House Nagashima" など、枚挙にいとまがない。

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そうかと思うと、最近は理髪店分野で "Cut in" という店名が増えているのが、気にかかってしまっている。

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店側としては「ヘア・カット」ということから関連付けているつもりなんだろうが、私なんか "cut in" という言葉からは「割り込む」とか「人の話をさえぎる」とかいう意味しか思い浮かばず、こうした看板を見ると、どうもむず痒い思いがしてしまう。

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最近ようやく、"Cut in" の ”in" というのは、もしかして "inn" (「小さな宿」)のつもりの勘違い表記じゃあるまいかという気がしてきた。まともな英語でも "Cafe and Inn" (カフェ付きの小さな宿)みたいな店はあるから、気持ちとしてはわからないでもない。

"Cut in" ではなく "cut inn" のつもりならば「切られた小宿」ということで、”cut house" (切られた家)と同列の発想として片付けることができる。まあ、いずれにしてもむず痒さが消えることはないのだが。

ファッションとか美容、理容の世界で使われる英語は、どうにも「雰囲気のもの」でしかない言葉が多いのだよね。そんなわけで、「切られ家」と「割込床屋」は今後も減りそうにない気がする。

 

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2021年11月 5日

100人に 7人が「略称」で「民主党」と書くノー天気

毎日新聞に ”衆院選「民主党」案分票は 400万票?「有権者の思い反映されず」” という記事がある。例の、「略称 民主党」による混乱という問題だ。

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今回の衆院選、私は 10月27日のうちに期日前投票を済ませたのだが、比例区の投票用紙に記入するブースに入って目を疑った。目の前の党名を表示する貼り紙に、立憲民主党と国民民主党の略称が、どちらも「民主党」と記されていたからだ。

「何これ? バグじゃん!」思わず小声で呟いてしまったよ。そう、あの選挙、ひどい「バグ」があったのである。

この際だから書いてしまうが、私は比例区は立憲民主党に投票した。ただ、略称で書いてしまったら国民民主党と区別が付かないから、きちんと 5文字の正式名称で書いた。

投票所で「これ、おかしいから何とかしろ!」と騒いでもしょうがないから、あの場で自分の意思をきちんと通そうと思うなら、2文字余計に書く手間を惜しまずにそう書くしかなかった。そう判断するのが当然というものだが、世の中にはその当然を理解できない人も少なくなかったらしいのである。

単に「民主党」と記された票が多かったという事実に触れ、毎日新聞は、静岡県の実例を元に「得票の割合に応じて票を振り分ける『案分票』が大量に生じた可能性がある」として、次のように報じている。

有効投票数に占める案分票の割合をみると、最も低かった静岡市葵区でも7.39%。一方、割合が高い富士市(静岡4区)は8.79%、三島市で8.78%だった。

もちろん、県内だけの問題でなく、札幌市は 7万2666票の案分票があり、開票終了が想定よりも約 4時間遅れた。全国で 7%の案分票が出たとすれば、合計は 400万票を超え、共産党の総得票数とほぼ並ぶ。

ざっと見て有権者の 7%以上、札幌市でいえば 72,666人の有権者が、比例区の投票用紙にノー天気に「民主党」と書いて投票したというのだ。いやはや、驚きである。

この要因としては、次の 3パターンが考えられる。

  1. 「民主党」というのが「略称」であると認識しておらず、目の前の貼り紙表示を見もしなかった。

  2. 貼り紙表示を見ても、別に「何だ、こりゃ?」と思わなかった。

  3. 一応「なんだ、こりゃ?」とは思ったものの、そこから先は、漠然と「何だかよくわからないけど、『民主党』と書きさえすればこちらの真意は通じるのだろう」と、略称で書いてしまった。(実際には、わかってもらえるはずなんてないが)

これ以外の要因は思いつかない。そして、この 3パターンともに「うっかり」もいいところである。要するに、今回投票した日本人の約 7%は、せっかく投票所に足を運びながら、こうした「うっかり」を当たり前にやってしまう人たちであるということが、立証されてしまったというわけだ。

先月 27日付で「日本語を読めない日本人って、ザラにいるから」という記事を書いたが、「おいおい、大丈夫かいな?」と言いたくなる日本人は、そこら中にいるってことだのだね。よくよく気をつけないといけない。

まあ、もちろん最もうっかりだったのは、深い考えもなく「略称 民主党」として届け出た 2つの政党ではあるのだが。

 

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2021年11月 4日

日本、COP 26 で「化石賞」受賞だそうで・・・

英国グラスゴーで開催中の「国連気候変動枠組み条約締約国会議」(COP 26)で、日本がまたしても「化石賞」を受賞したと伝えられた(参照)。選挙直後に地球の裏側まで飛んだだけに、写真の岸田首相は、ちょっと目が眠そうである。

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COP の「化石賞」というのは "Fossil Of The Day" というもので、直訳すれば「本日の化石」。「本日の」というだけあって、ご丁寧なことに会期中の毎日、環境対策に後ろ向きと目された国に与えられるもののようだ。

今回は「11月 2日の化石」ということだが、日本はノルウェイに続く第 2 位で、第 3 位はオーストラリア。日本の受賞理由は次のように表示されている。

This certificate awarded to Japan for Japanese Prime Minister Fumio Kishida promoting fossil power plants not just in Japan but throughout Asia, as well as ammonia and hydorogen as "zero-emission thermal power"

(以下、tak-shonai による翻訳)
この賞が日本に与えられるのは、岸田文雄首相が「ゼロ・エミッション火力発電」と称して、水素とアンモニアとともに化石燃料を使用することを日本のみならずアジア全域で推進しようとしていることによる。

(HUFFPOST の記事中で紹介されている「受賞理由」は決定的誤訳とまでは言えないものの、「石炭火力を使い続けるためのアリバイ作り的施策への皮肉」という真意が伝わってこないよね)

岸田首相本人としては、「各国から高い評価をいただき、日本の存在感をしっかり示すことができた」と語ったようだが、実際のところ、示すことができたのは「ちょっと生ぬるい存在感」だったようだ。

ちなみにこの前日の「11月 1日の化石」は、第 1 位が英国、第 2 位がオーストラリア。オーストラリアは栄えある 2日連続受賞である。環境問題に関する限り、生ぬるいのは日本だけではないのだね。オーストラリアは元々、8,000万頭の羊の「げっぷ」による大量のメタンガス発生という弱みもあるし。

歴代受賞国は、こちらのサイトで知ることができる。最多受賞国はもちろん米国で、この手の賞の例に漏れず、どうやら「ジョークをちゃんと解することのできる国」か「ゴネたりせず甘んじて受けてくれる国」が選ばれているようだ。日本の場合は、2つの条件の真ん中ぐらいに位置するのかもしれない。

ちなみに中国なんかは世界最大の CO2 排出国なのに一度も受賞していない。公式的(表向き)には「脱炭素への移行に前向き」だからとされているようだが、実際のところは、ジョークが通じそうにないので、下手に選出すると後始末が面倒なんて思われてるんじゃあるまいか。

 

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2021年11月 3日

「サイレントな保守層」と「サイレントでない保守層」

東洋経済 ONLINE に "「自民苦戦?」 テレビの出口調査が大外れだった訳" という記事がある。「当日 20時予想より自民は多く、立民は少なかった」という副タイトル付きだ。

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私は当日、テレビの選挙速報番組なんか見ていなかったが、東洋経済の記事によれば、各局ともに出口調査の結果をもとに、直前まで「自民苦戦、立民健闘」というトーンで予想議席数を報じていたらしい。それは下の図のような数字だった。

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ところがこれは各社揃いもそろって外れまくりで、結果は自民党の圧勝だった。東洋経済の記事の筆者である村上和彦氏は、"この背景には「出口調査に協力する人の特性」がある" と述べている。

彼は、調査に協力的な人たちの中には「政治意識が高め系な人」あるいは「政治意識が高いことをアピールしたい人」が見受けられる(傾向として、野党支持)と言い、一方で、自民党支持層の中には「特段、声を上げることなく粛々と投票する」という「サイレント・マジョリティ」が多いとしている。

昨年末の米国大統領選挙においても、出口調査による予測が狂ってしまった。バイデン圧勝と思われていたのだが、トランプが思いのほか健闘していたのである。村上氏は、トランプ支持層には「自分がトランプ支持」であることを表立っては言いにくい状況があったことを理由の一つに挙げている。

村上氏は「議席の予想には各局報道局の『独自のノウハウ』があり、実際はデータ解析会社などとともに、詳細まで分析して数値を出している(はずである)」と述べてはいる。しかし今回の選挙結果は、これまでに蓄積されたノウハウによる修正数値を上回る誤差が出てしまったようなのだ。

これが米国大統領選挙に見られた傾向と一致しているという事実に、私はちょっとした「薄気味悪さ」を感じてしまう。世の中の「サイレント・マジョリティ」は、これまで以上に保守化していると見ていいようなのだ。

さらに米国では、一部の「サイレントでない保守層」がホワイトハウスに乱入するという、前代未聞の事件を起こした(参照)。そして今回、日本の「サイレントでない保守層」も日本維新の会を支持する方向性を如実に示し、全体としての「保守化」はエスカレートしている。

これって、フツーに思われているよりずっとヤバい兆候なんじゃなかろうか。リベラル派としては世の中の情勢をきちんとチェックしながら、目立たないことの中にでも潜在的な危険性に気付いたら、その度にきちんと声を上げて警鐘を鳴らさなければならない。

アンテナの感度を落とさないように心がけようと、マジに思ってしまったよ。

 

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2021年11月 2日

「大根役者」を巡る冒険

文化の日の記事とするにはちょっと語弊がありそうなので、前日の今日のうちに「大根役者」について書かせていただく。言うまでもなく、下手くそな役者のことだ。

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今どきの歌舞伎座にはそんな客はいないが、江戸の昔は下手な役者に向かい、大向こうから大声で「でぇこ!」(「大根」の江戸訛り)と罵る客がいたらしい。いや、そういえば 40年ぐらい前に一度だけ、「ダイコン!」と叫ぶ声が歌舞伎座の幕見席の方から聞こえて、驚いたことがあるな。

若い頃には、「大根は消化がよくて食あたりしないから、『当たらない役者』を『大根役者』と言うんだよ」と教わったものだ。ところが Japaaan の "伝統芸能とのつながりが。なぜ演技が下手な人を「大根役者」と言うのか?" という記事によれば、この言葉の由来はそれだけじゃないらしい。

例えば「大根は食あたりしない(=どんな役をやっても当たらない、ヒットしない役者)」というものや、役者が配役を外されることを "おろす" と表現することから、これと大根おろしをかけたという説などがあります。

さらには、大根の白い色と演技にたしなみのない素人(しろうと)という言葉をかけあわせたという説まで実に様々。ひとつの言葉ですが、色々な説の由来があるのは面白いですよね。

ほかにも、「馬の脚」(下図:「蔦吉ファンサイト」より)しかできないような役者のことを「大根足」からの連想で言ったとの説もあるらしい。しかし実際問題として、この説はこじつけとしても無理筋過ぎる気がする。馬の脚に向かって「でぇこ!」と言ってもしょうがない。

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とまあ「これでもか!」というほど、いろいろな説が挙げられている。ただ私としては、これらは最も知られる「当たらない役者」説も含めて、後からこじつけた「洒落」だと思っているのだよね。「それを言っちゃあ、おしまいだよ」と言われてしまいそうだが。

元々はただ単純に、大根という野菜のイメージから言われ始めたと考える方が素直だろう。ぶっとくて、ごろんとして、繊細な感じから遠く、華やかさに欠ける。さらに沢庵を漬ける前にまとめて天日干しする光景が「十把一からげ」になってしまい、「その他大勢」感が強まる。

「大根」という野菜が、そうしたありがたくないイメージを一身に背負ってしまったんじゃなかろうか。また、江戸時代には「練馬大根」というのがかなり有名になっていたので、江戸の中心から離れたひなびたイメージというのも加わったのかもしれない。

練馬大根は本当はとてもおいしいものなので、大根と練馬の人たちには申し訳ないが、とにかく私としてはそのように考えている。

ただ最近になって、大根はいろいろな料理に使いやすいので「使い回しの効く器用な役者」とか、おでんの具として味が染みておいしいことから「味わいのある役者」みたいな、反語的な意味で使われることもあるのだという。言葉は変化するものとはいえ、年月というのはおそろしい。

ちなみに岸田首相は、「台詞もまともに言えない大根役者」の前任者に対して、「台詞覚えがいいだけの大根役者」という印象が否めないのだよね。果たして、これから「当たり」が取れるかなあ。

 

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2021年11月 1日

「身柄を預ける」って、やくざの世界か?

昨日 ”自民党 甘利幹事長の「誇大妄想」がスゴ過ぎて・・・” という、衆院選投票日当日としてはある意味リスキーな記事を敢えて書いたのだが、案の定、甘利氏は小選挙区で敗北した。もっとも比例区で復活当選はしているのだが。

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この間の流れで、何となく選挙というものの裏の流れが垣間見えたような気がしてしまった。まず、甘利氏は 31日のテレビ番組で、(小選挙区で敗北なら)「岸田文雄総裁(首相)に身柄を預けないといけないと思っている」と述べた時点(参照)で、自身の不利な状況を把握していたのだろう。

彼は「選挙に強い」という定評があるらしいので、しっかりした情報をもとに覚悟はできていて、「小選挙区制で敗北したらどうする」なんて質問を受けても、それほど取り乱さずに答えることができたのだろう。(街頭演説では、しっかり取り乱しているが)

ただ、テレビ出演時は完全に結果が出ていたわけではないので、まだ切実な実感までは伴っていなかったこともあり、妙な表現で済ませようとしたのかもしれない。私としては、「おいおい、『身柄を預ける』なんて、モロにやくざの世界だろう!」と言いたくなったのだが。

そして昨夜遅く、「小選挙区での敗北」という紛れもない事実が明らかになるとトボけきれなくなり、即座に「幹事長を辞任する意向を党幹部に伝えた」(参照)わけだ。結果が突きつけられるまでは、どうしてもビミョーなことを言っておきたかったのだね。

ところが、"岸田首相は 1日未明、甘利氏の進退に関し「本人の話を聞いた上で、私が判断する」と党本部で記者団に語った" というのだから、話がズレている。この内閣の緊急事態への対応力はこんな程度のものなのだろう。

そうかと思うと、今回の結果を受けて「小石河連合」(小泉進次郎、石破茂、河野太郎)の復活なんてことがさっそく取り沙汰されている(参照)。ついでに安倍まで元気にならないでいてもらいたいが。

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こうしてみると、何だかんだ言っても自民党が相変わらず強いというのは、この党が一枚岩じゃないからなのかもしれないね。

 

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