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2021年11月16日

「潜水橋」というもの

「潜水橋」というものをご存知だろうか。関東地方、なかんずく私の住む地域を流れる小貝川にもあると聞いていたのだが、先日、小貝川サイクリング・ロードを自転車で走っている時に偶然に見つけてしまった。下の写真である。

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「潜水橋」でググってみると、Wikipedia の項目としては別名の「沈下橋」が採用されており、次のように説明されている(参照)。

沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)は、河川を渡るの一種である。堤外地に設けられる橋で洪水時には橋面が水面下になる橋をいう」と説明されている。  (アンダーラインは tak-shonai による)。

この説明の「堤外地」(ていがいち)というのを、私は初め「堤防の外の土地」(人が棲む耕作地や住宅地)と解釈しそうになったが、当然にもそれは逆で、Wikiwand の「堤防」というページに下のように図示されているように、堤防と堤防にはさまれた内側(つまり川の流れるところ)のことを言う。

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つまり、人が堤防で護られてフツーに暮らしている土地(田畑や住宅地)が「堤内地」で、その視線からすると、堤防の向こうで川の流れているところが「堤外地」なのだね。「堤内地/堤外地」という言葉に関しては、視点がとても「人間本位」のようなのだ。

ただ、より古いと思われる言い方では、川そのものと河川敷のようなところを併せて「川表」(かわおもて、現代でいう堤外地)と言い、そこから見て堤防の向こう側の人間の世界が「川裏」(かわうら、つまり堤内地)と言うのがおもしろい。昔の視点は「川本位」で、川の身になった表現である。

川は太古の昔から人に水を恵んでくれるありがたい存在だったが、一方で「洪水」という災害ももたらす。そのため、両者の関係にはちょっと敵対的なまでの側面もあった。

そして近代以降の「堤内地/堤外地」という表現では、その敵対的側面がより強調されているように思われる。私には、自然破壊を推し進める人間の勝手な視線が、ここに象徴されているような気がする。

現代の橋は上の図で言えば、河川の両側の堤防同士の最も高いポイントを結ぶ。だから、多少の増水では水をかぶらない。

しかし「潜水橋/沈下橋」というのは、堤防の内側(堤内地という意味じゃない、念のため)で、低水路(洪水でない時の川の水路)の両側の「高水敷」、つまり低いところ同士を結ぶ(説明がややこしくてごめん)。だから、増水で水面が上昇すると、容易に水面下に没してしまう。

潜水橋のコンセプトは、大袈裟な工事をせずに、洪水で橋が水没した時は向こう岸に渡るのを諦めて、水が引くまで待てばいいという思想だ。人間と川とが素朴に折り合いを付けている。

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洪水で水面下に没した時、押し寄せる流木がぶつかって破壊されたり、一緒に流されてしまったりすることがないよう、潜水橋は手すりのないのが普通だという。私の見つけた潜水橋も上の写真のようなもので、「自転車立ち入り禁止」とされていた。酔っ払って千鳥足で渡るのも危なそうだ。

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で、徒歩で渡ってみるとおもしろいことに気付いた。橋の真ん中あたり、つまり川の流れの真ん中あたりにくると、案外川底が浅くなっていて、水面のすぐ下に底が見えるのである。つまり、小貝川のこの辺りって、川底が「W字形」になっているようなのだ。

小貝川というのは、昔は隣を流れる鬼怒川との境が明瞭でなく、一帯がぐちゃぐちゃの湿地だったという。人間が長い年月をかけてそれを 2本の川に分け、間の土地を農地にしてきたという歴史があるから、この浅瀬も大昔の洪水対策として、普段の流れの幅を倍に広げた名残なのかもしれない。

たまたま見つけた潜水橋を渡ることで、この辺りの土地の民俗的な歴史を辿ったような気がしたのだった。

 

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