虎と共に睡りたい新年
明けましておめでとうございます。年頭恒例の、干支入り年賀状をお届けします。今年のテーマは「四睡図」。
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「四睡図」というのは、唐代の禅僧、豊干(ぶかん)と寒山拾得が虎と共に睡る姿を描いたもので、森羅万象の静寂という禅の神髄を示すものと言われている。とはいうものの、それがどうして「禅の神髄」なのか、わかったようでわからない話ではあるのだが。
豊干と虎というのは、セットで語られることが多い。これは彼がしょっちゅう虎の背に乗っていたと伝えられることによる。彼はさらに、禅ではお馴染みの寒山拾得の理解者であったことでも知られる。
よくわからない話の糸口として、上の「四睡図」に付けられた遂翁元盧(寛政年間の臨済宗僧侶)による画賛を下に掲げてみよう。
四睡一睡 【四睡ひとたび睡れば】
鼻息如雷 【鼻息雷の如し】
聞得分曉 【聞き得て分暁(夜明け)ならば】
寒拾再來 【寒拾(寒山拾得)の再来】
「森羅万象の静寂」のはずが、鼻息が雷のようだというのだから、いくらどうこう言っても結局のところよくはわからない。いずれにしてもとにかく、豊干と寒山、拾得が、雷のような鼻息を立てて虎と眠るというのである。
そしてその音を聞いている気分のうちに夜が明けることになれば、寒山、拾得が再来するってわけだ。この 2人は文殊菩薩と普賢菩薩の再来とも言われていて、絵を見る限りはなかなかいい感じでもあるし、まあ、そういうことだ。(「って、どういうことか?」とは、聞かない約束で)
まあ、小理窟ではよくわからないのが禅の神髄なのだろう。というわけで私としても、せめて元日ぐらいはコロナなんて気にかけず、「寝るより楽はなかりけり」で過ごしたい。もしかしたら、別次元の宇宙に目醒めることができるかもしれないしね。
ただ、浮世の沙汰に追いまくられて、三が日を寝てばかりというわけにもいかない。悟りにはまだまだ遠いようだ。
というわけで、今年もどうぞ
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コメント
新年おめでとうございます。
今年一年のご活躍とご健康をお祈り申し上げます。
投稿: ハマッコー | 2022年1月 1日 21:12
ハマッコー さん:
いつも的確なコメント、ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
投稿: tak | 2022年1月 2日 09:41