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2022年1月に作成された投稿

2022年1月31日

アメリカの天気予報って、駄洒落も使うのだね

今年の立春は 4日後の 2月 4日(金)。ということは今はまだまだ「寒の内」で、1年のうちで一番寒い時期である。予報では関東は 2月の 第 2週頃までは寒さが続くということなので、立春を過ぎてもしばらくは震える日々が続くようだ。

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昨年 11月 7日付の ”この冬は「厳しい寒さ」が予想されているようだが” という記事で、今年初めは「平年より気温が低くなる可能性がやや高い」との予測が出たことに関して、こんなようなことを書いてしまっていた。

ただ、気象に関する先の話というのは、個人的にあまり当てにならないと思っている。これは経験知によるもので、案外馬鹿にならない。最近の天気予報は 3日先ぐらいまでなら結構よくあたるが、3ヶ月先の話となると、まだまだ真に受けるわけにいかない。

というわけで、今となっては「ちゃんと真に受けておけばよかった」と思ってしまう。つくばの地に引っ越してきたばかりの 40年前頃と比べればまだ大したことがないとはいえ、朝の起き抜けなどは「温暖化慣れ」した体には堪える寒さで、春の来るのが待ち遠しい。

ところで、米国フロリダのマイアミでも例年より寒い気温が続いているようで、NWS(National Weather News)Miami は、昨日付で「寒い朝となった」と tweetしている。しかも "Falling Iguanas This Morning" (今朝はイグアナ落下)という意味不明の画像付きだ(参照)。

調べてみると、2018年にもイグアナが落下するほどの寒さに襲われていたらしい。樹上に生息するイグアナが氷点下まで落ち込んだ気温の影響で一時的に麻痺状態となり、落下するのだという(参照)。面白いのはこの予報が駄洒落になっていることだ。

Jan 30: A cold morning...not as cold as our friends to the north dealing with a blizzard...but we have our own lizards to worry about.

Did you really think with the coldest temperatures in over a decade we would not warn you about falling Iguanas?

【拙訳】

1月 30日の朝は寒いでしょう・・・北の地でブリザードと戦う友人たちほどではありませんが・・・別のリザードを心配しなければなりません。

過去 10年間、最も寒い時期に私たちがイグアナ落下の警報を発しなかったことがあるとでもお考えですか?

これ、言うまでもなく blizzard (ブリザード: 猛吹雪)と、lizard (リザード: トカゲ)をかけた洒落である。

それにしても 2018年に実際に落下したときの動画をみると、イグアナってかなり大きいのだね。日本でフツーにみかけるトカゲとは、わけが違うようだ。なるほど、タモリがネタにするだけのことはある。

 

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2022年1月30日

「税金払うのを忘れるな」というスパム・メール

最近、同じようなスパム・メールが立て続けに 2度届いた。最初のものはすぐに削除したが、2度目はさすがにイラッときて、このブログで注意を呼びかけるためにスクリーン・ショットを残しておいた。

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スパム・メールのタイトルは ”Don't forget to pay the tax within 2 days!”(2日以内に税金払うのを忘れるな)というもの。こんな内容のものを英文でよこされても、最近外国に税金を払うようなことをした覚えはないからすぐにスパムとわかるが、気持ち悪いのは、差出人のメルアドである。

このスパムの差出人のメール・アドレスが、こともあろうに私のいつも使っているアドレスになっているのだ。そしてメールの書き出しは以下のようになっている(以下、 tak-shonai による日本語訳)

あなたは最近、私があなたの E-mail アカウントからメールしたことに気付いただろうか?
そう、これは単純に、私があなたのデバイスにトータルにアクセスしていることを示す。

続いて、こいつがどうやって私のデバイスに侵入したかというナンセンスなデタラメ話が語られ、「ネット配信のアダルト・ビデオを見ながら猥褻な行為をしているお前の動画をネット上に晒す」という脅し文句に続く。それが嫌ならば、ビットコインで 1,490 ドル(約 17万円)支払えというのである。

これ、身に覚えのある人なら、もしかして「やば!」なんて思ってしまうかも知れないが、生憎なことに、私は覚えがさらさらないのだよね。というわけで、「まったくもう、勝手にほざいてな!」と無視するだけということになる。

それにしても、こんなスパム・メールに騙されてしまうようなタイプの人には、英語ではなく日本語で送りつける方が成功確率がずっと高まると思うがなあ。いや、あるいは日本人は彼らのターゲットのほんの一部に過ぎず、コストパフォーマンス的には英語の方がいいのかもしれないが。

ちなみに相手のメルアドを騙ったメールを送信するというのは、割と簡単にできてしまうらしいのだが、よい子の皆さんはそんなこと決してしないようにね。

 

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2022年1月29日

Apple Watch で iPhone のロック解除

AAPL Ch. の昨日付に「iOS/iPadOS 15.4 では、Apple Watch がなくてもマスクを着用した状態で Face ID を利用する事が可能に」という記事がある。ちなみに私の iPhone の OS は 15.3 のままで、もう少し様子を見てからアップデートしようと思っている。

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紹介した記事のタイトルを文面通り受け取れば、「15.4 にアップデートしていなくても、Apple Watch があればマスクを着用しつつも Face ID でロック解除することができる」ということのようだ。いやはや、そんなことはちっとも知らなかったよ。

私はかなり前から、自分の Mac を Apple Watch でロック解除している。スリープ状態からマウスをクリックしたりキーボードのキーをタッチしたりすれば、「Apple Watch でロック解除中...」という表示が出て、パスワードを入力しなくてもあっという間にロックが解除される。

そのくせ、iPhone のロックを Apple Watch で解除することまでは思いが至らず、マスク着用のせいで Face ID が効かない時は、わざわざマスクをちょっとずらして顔全体を認識させたり、パスコードを入力したりしていた。そんなことはしなくてもいいなんて、恥ずかしながら思いもよらなかった。

iOS をアップデートすれば、マスク着用でも Face ID を機能させる設定が可能というのだが、とりあえずそんな面倒なことはしなくてもいい。iPhone でも Mac の時のように、Apple Watch でロック解除すればいいじゃないか。

そう思って自分の iPhone の設定画面から「Face ID と パスコード」という項目をクリックし、パスコードを入力して表示された中段あたりをみると、「APPLE WATCH でロック解除」という項目があるではないか。このスイッチをスライドして「オン」にしてやるだけで OK だった。

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試しに iPhone を一度スリープ状態にさせて、マスクをした状態でスイッチ・オンすると、「ロック解除中」の表示が出たとたんに手首の Apple Watch が僅かにプルプルッと振動して、あっという間にロックが解除された。こんな簡単なことに、どうして今まで気付かなかったんだ。

ここまでやってみて、3日前の ”自分が「老害」扱いされないために” という記事でこんなことを書いていたのを思い出してしまった。

最新の IT 機器やシステムなどは、若い頃は率先して仕事に取り入れていたのだが、最近は本当に必要になってあわててやり方を調べたりすることもあるし。

うぅむ、早速やっちまってるじゃないか。いずれにしても、いちいちマスクをずらさなくても iPhone のロックが解除されるようになったので、ありがたいことではある。

 

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2022年1月28日

7月以降、マスクしなくてもよくなることを期待

テレビ静岡が、「7月以降はマスク撤廃」の可能性があると伝えている(参照)。私は正直言ってマスクが苦手なので、本当にそうなってくれればいいと期待している。

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感染症が専門の矢野邦夫医師は「現時点ではマスクをちゃんと着用してほしい」としつつ、「7月以降はもしかしたらマスクの着用をやめるのではないかと思っている」として、3つの理由を挙げている。

1)追加のワクチン接種
ブースター接種はオミクロンであっても重症化予防が 90%ある。これが国民の多くは接種が 6月末には終わる。国民全体が免疫をもてる。

2)プロテアーゼ阻害薬
これは内服薬だが新型コロナに対して極めて有効だ。リスクがある人の 8~9割が重症化を防ぐことができる。感染した高齢者がこれによって重症化しない。

3)感染力の低下
オミクロン株は重症化率が減っている。オミクロンの次にさらに感染力の強い変異株がでるかもしれないが、重症化率がもっと下がる。こういったウイルスは感染した人が軽症または無症状で出歩くことで感染者を作ることができる。重症化が厳しくなると家に閉じこもってしまうので、次の変異株はオミクロン株よりも感染力が強ければ重症化が減るだろう。

さらに 6月以後もマスクを着用し続けると熱中症のリスクが高まるほか、子どもの頃に罹患しておけば大人になってから感染しても大きな問題とならない病原体に、昨今の子供たちが感染していないことも問題だとしている。病原体一般から遠離り過ぎるのは、実はあまりいいことではないようなのだ。

上述の 3番目は、あるいは「希望的観測」なのかもしれないが、個人的には矢野医師のおっしゃるようになることを期待したい。たとえコロナに感染しても症状が出ないとか重症化しないとかいう確率が高まれば、「ほかの感染しておくべき病原体にきちんと接しておくべき」という要件とのトレードオフになる。

日本人は案外マスクが好きみたいなところがあるので、矢野医師の言うように 7月以降にマスク着用が撤廃されるかどうかは、実際のところよくわからない。しかし個人的には、「暑い季節になってからまでマスクを強制されるのは御免蒙りたい」と思っている。

少なくともそれほどの人混みでない屋外の炎天下では、マスク着用に関してユルくなってもらいたいなあ。冷房の効いた室内でもとまでは言わないから。

7月は無理としても、うだるような暑さが本格化する 8月頃までには、マスク着用撤廃のための上述の 3つの要件に関して、国民的理解が促進されることを期待したい。

 

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2022年1月27日

給食における「納得感」と、フードロス軽減

東洋経済に ”強制せず給食完食!「納得感」を生む「食育」のコツ” という記事がある。「食事の楽しさを知ればフードロスもなくなる」というサブタイトルに惹かれて読んでみた。

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この記事は「フリーランスティーチャー」という変わった肩書きの田中光夫さんという方へのインタビューという形式で紹介される「フリーランスティーチャーの視点 ~ココがヘンだよ 学校現場~」という連載記事の 1つということも知り、さらに興味を抱いてしまった。うむ、おもしろそうだ。

何しろ学校現場に関しては私としてもずっと「ヘンだ、ヘンだ」と思い続けてきたので、このタイトルを見ただけで興味がかき立てられる。さらに給食は一度も残したことのない子だったから、この個別の記事に関しても読まずにはいられなかったわけだ。

私は、「給食を残す」ということが理解できないままに成長してしまった。子どもの頃は昼時になれば「腹が減ってしょうがない」という状態になっていたから、どんなに不味い給食でも目をつぶって腹に入れてしまわなければ、とにもかくにも体がもたなかったのだ。

そんなわけだから、私は「給食が食べられない」という子の気持ちを理解できず、「よくまあ、食べずに我慢できるな!」と思うばかりだったのである。「食べなければ我慢できない」という食欲旺盛な子ばかりではないとわかったのは、自分自身に子どもができてからのことだ。

「食事は残さず食べるのがいい子」という一般的な価値感の中では、小食で完食が苦痛な子にとっては「食べずに済ませる理由」というのが必要になる。それで「魚は嫌い」とか「豆は嫌い」とか、言いやすいところから言い出すことになり、それが「好き嫌い」として固定化されてしまう。

それどころかこの記事では、食べたことのない料理が出ると「どんな味かわからないから」というのが「食べない理由」になるとまで書いてあるので驚いた。文字通りの「食わず嫌い」ってやつで、「できれば食べずに済ませたい」という子がよほど多いみたいなのだ。

ところがこの「好き嫌い」とか「食べたくない」とかいうのは多くの場合、「気分の問題」に過ぎない。この「気分」さえ変えれば「食べてみたい!」になるのは自然の道理だ。

田中さんは「食べること」を決して強制せず、自然に食べ物への興味が湧いて「納得感」が生じるように仕向けることで、この「気分の問題」を解決されている。詳しい内容はリンク先の記事に書いてあるので、ここでは繰り返さない。

この記事を読んで改めて自分の子ども時代のことを振り返ってみると、昼時になると「腹が減ってしょうがない」というより、「食うのが楽しみ」というとてもプリミティブな「納得感」があったのだと理解できた。「納得感」がフードロスも減らすのである。

あの恐ろしくまずい「脱脂粉乳」を目をつむって胃の中に流し込むことができた(参照)のも、この「納得感」があったからこそである。「納得感」は強い! 食事の問題だけでなく、人生全般でポジティブな姿勢を保つこともできる。

ただ私の場合、「肉食」についてはどうしても「納得感」を持てないので(その理由は、こちら)、しっかり納得の上で止めている。

 

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2022年1月26日

自分が「老害」扱いされないために

東洋経済 ONLINE に ”50代は「老害」か? 調査でわかった若手社員の本音” という記事がある。読んでみると、20〜30代の社員は 50代の社員に結構辛辣な印象をもっていることがわかる。ネガティブな意見で目立つのは、IT 化に関する意識の遅れ、パワハラ、セクハラ、積極的に働かないなどといった点だ。

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私は現在、直接には会社などの組織には属していないが、チームワークで仕事する機会はかなり多い。そして、今年の夏に「古希」(70歳)を迎える身としては、「50代」どころではないので他人事じゃない。

下手すると、自分でも気付かないうちに若手の仕事仲間に「老害」扱いされかねないんじゃないかと、ちょっと心配になってしまった。例えば最新の IT 機器やシステムなどは、若い頃は率先して仕事に取り入れていたのだが、最近は本当に必要になってあわててやり方を調べたりすることもあるし。

今の世の中、テレワークやオンライン・ミーティングなどで Zoom は必須アプリになっている。これを使っての 1 対 1 のミーティングなんかは何の問題もなくスイスイこなして来たが、先日、数十名の参加するミーティングで PowerPoint を使ってのプレゼンをする時にいきなり戸惑ってしまった。

パワポのプレゼン・ファイルは慣れた仕事なのでは何のことなくスイスイと作ってあったのだが、それを Zoom の画面上に表示するのに、「共同ホスト」ってやつの権限が必要だなんて、ちっとも知らなかったのだよ。「こんな基本的なこと知らなかったんですか?」なんて言われて、正直アセった。

泥縄でこの「共同ホスト」になったのだが、Zoom の操作画面がちょっとわかりにくいせいもあり、結構戸惑ってしまった。昔はこの程度のことは先回りしてどんどんやっていたのに、最近のツールをきちんと使いこなしていなかったことに改めて気付いた次第である。

それから、ややこしい複数のタスクを短時間で集中的にこなすなんてことも、昔はスイスイこなしていたが、最近は妙に神経が疲れてしまう。そんな事態は避けたいので、仕事は普段からチマチマ片付けておくに限る。

まあ幸いなことに、若手に「tak のおっさん、何遍教えても同じことを聞いてくる」なんて鬱陶しがられるようなことにはまだなっていない(と思う)。20年ぐらい前まで自分が言っていたことを、巡り巡って言われてしまわないように、常々体だけでなく頭のトレーニングも怠らないようにしておこう。

ちなみに、年は取っても「パワハラ/セクハラ」だけはしてないという自信はある。そういうのって、基本的に性分に合わないのだ。そして私は今、69歳 6ヶ月だが、上で紹介した問題の記事の写真(50代のオッサンということなんだろう)より、見かけだけは若いぞ。白髪、ないし。

 

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2022年1月25日

漢字の書体というもの

昨日の "ひらがなの「そ」の字の書き方" という記事で、漢字の「曽」の字とひらがなの「そ」の字の関係について、ちょっと思わせぶりな書き方をしてしまった。

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その部分、こんなふうに書いている。

それどころか、元の漢字の「曽」は楷書体で離して書くのだから、ひらがなの「そ」も本来は離して書くのが正統という屁理屈だって成立しそうだ。(注: これは文字通り「屁理屈」でしかないので、あまり振りかざさないように)

これ、我ながら鼻につく書き方である。ただ「屁理屈」であるという内容は文字通りなので、「そ」を二画で書く高年齢層も、やっぱりこんなことを振りかざしてはいけない。

我々はともすれば漢字の基本は「楷書体」で、それを崩したのが「行書体」と「草書体」であると考えがちだ。他ならぬ私自身も若い頃にははそう思い込んでいたのだが、実はこれ、誤解なのだよね。

「書道入門」というサイトの「漢字の始まり」というページによれば、中国で漢字が生まれたのは約 3,300年前で、基となったのは「甲骨文字」というものだ。その次に「金文」が生まれて、さらにこの 2つを基礎として作られたのが、「篆書(てんしょ) 」という書体である。

この「篆書」という書体は、現代ではまったく使われなくなったというわけでもない。もったいぶった印鑑などに使われている馴染みのない書体の漢字の多くは、この「篆書」らしい。

そして漢の時代に盛んになったのが、篆書の中でも一般的だった「小篆」を簡略化した「隷書」で、これなら我々も、昔の石碑などで時折目にすることがある。そしてこの「隷書」から、お馴染みの「楷書」「行書」「草書」が生まれた。

ただ、この三つの書体の生まれた順番としては「草書」が最も早く、前漢の時代には成立していたらしい。そしてこれとは別の流れの中で「行書」が生まれ、そして「楷書」に至った。「楷書」が「行書」に先立つという説もなくはないが、「楷書」の成立は最後だったとするのが一般的である。

つまり「隷書 → 草書」という流れと「隷書 → 行書 → 楷書」という流れは、別個なのである。先んじて確立された「楷書」をちょっと崩したのが「行書」で、さらにもっと崩したのが「草書」というわけじゃないのだ。

それで、ひらがなの「そ」の字においても「元々の漢字の『曽』の字を見れば、二画で書くのが正統」と言い張るわけにもいかないわけだ。これが、もったいぶった書き方をしてしまった理由である。

もっとも、「楷書体」は唐の時代までは「真書」「正書」とも呼ばれていたらしいから、「由緒正しい書体」というイメージではあったのだろう。だから漢字書体の ”基本の「き」” と思われるのも、あながち無理からぬことではある。

と、ここまで「漢字の書体」について書いているうちに、8年以上前に書いた "脳みそが筋肉でできた警官と「署名」を巡る冒険" という記事を思い出した。時間があればお読みいただきたい。

 

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2022年1月24日

ひらがなの「そ」の字の書き方

Quora の「昔は大丈夫だったけど今はアウト!ってどんなものがありますか?」という質問にはいろいろな答えが寄せられているが、最近驚いたのが、ひらがなの「そ」の字の書き方に関するものだ(参照)。今は一画で書くのが正しいとされていて、小学校では二画で書くと先生に訂正されるらしい。

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竹尾康代さんという方が ”私の知っている「そ」は二画” と書かれていて、何を隠そう、私もフツーは竹尾さん同様、二画で書く。

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確かに今どきは、ほとんどの活字が一画の「そ」になっている。しかしこれは、どちらか一方が正しくて他方は間違いという問題ではない。こんなのは今さら文科省が定めるようなことではないのである。

それは、ひらがなの「そ」の字の成立過程を見れば明らかだ。言うまでもなくひらがなの「そ」の字は漢字の「曽」の字の草書体からできている。

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この「曽」の字の上の部分を続けて書けば一画になり、放して書けば二画になる。ただそれだけのことだ。一般的な明朝体やゴシック体の漢字の「曽」の字は離して表現されているのだから、ひらがなになった途端に「離して書くのは間違い」と言い出すのは乱暴すぎる。

それどころか、元の漢字の「曽」は楷書体で離して書くのだから、ひらがなの「そ」も本来は離して書くのが正統という屁理屈だって成立しそうだ。(注: これは文字通り「屁理屈」でしかないので、あまり振りかざさないように)

そもそも手書き文字というのは、そんなにきつく縛り付けるようなものじゃない。デジタルじゃなくアナログな次元の問題なのだから、どちらか一方に決めつけるのはおかしい。

ただ、この方面の専門家であるらしい押木秀樹氏は、"ひらがな「そ」の字形と知っておくことの意味" というページで、無用の混乱を避けるために対象の年齢層によって、次のように指導すればいいとしている。

  • 小学校1年生くらいなら:どっちも間違いじゃないけど、つなげて書こうね!
  • 同  中学年くらいなら:どちらも間違いではないけど、つなげて書く方が一般的です。
  • それ以上なら:社会的にどちらも「そ」という文字として認められています。一般的には「つながった字形」が多く使用されていますが、これは個人の使用に任せられていると考えられます。

なるほど、これなら納得できる。同様の問題は「さ」と「き」の字についても言える。要するに下図のようにつなげても離してもいいのだが、押木氏はこの点についても "ひらがなの字形はどう教えたらよいのでしょう?" というページで妥当と思われる説明をしておられる。

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それにしても小学校の教師ごとき(ムカついたので、この際敢えて「ごとき」と書いてしまう)が、離して書いた「そ」の字に「ダメ出し」をするなんて、鬱陶しい世の中になったものである。

 

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2022年1月23日

面白いけど、「欲しいモノ」と「いらないモノ」

日本文化について発信する Japaaan のサイトに、一昨日付で面白い商品が 2つ紹介されていた。弁当によく付いている醤油入れをモチーフにしたインテリアライト "Light Soy" と、神社のお札を入れて壁掛けにする "OFUDA-Pocket" というものである。

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上の画像が ”Light Soy”。次のように紹介されている。

オーストラリアのシドニーを拠点とする2人のデザイナー、Angus Ware と Jeffrey Simpson によるデザインスタジオ「Heliograf」が手掛けるプロダクトで、2020年にはオーストラリアの the Good Design Awards 金賞を受賞しています。

まあ、確かに面白いといえば面白いけど、個人的に「欲しいか?」と聞かれたら「いらない」と答えてしまうなあ。オーストラリアという国は、こんなようなものにグッドデザイン賞をあげてしまうのだね。

一方、「これ、欲しいかも」と思ってしまったのが、"OFUDA-Pocket" だ。これなら場所も取らなくて便利だし、ちょっとしたインテリアにもなる。

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我が家には神棚があることはあるのだが、ほんの小さなモノで、十分な大きさはない。だから、神社に参拝してお札などを戴いても、置き場所に困っている。しかしこれなら、神棚の周りにひょいと掛けておけばいいので、ありがたい。

国産高級帆布を使用して色も選べるようなのでなかなかいいが、最後に値段を確認したら ¥4,500 とあるので、ちょっとびっくりしてしまった。これじゃあ、正月の初詣などでお札を戴く参拝料(奉納金というのかな)とあまり変わらないよね。

というわけで、これならハンド・クラフトで自作できるじゃないかと思ってしまったよ。

 

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2022年1月22日

幸福になりたいなんて、ことさらに思ったことないし

東洋経済 ONLINE に「幸福になりたいと願う人が幸福から遠ざかる皮肉」という記事がある。「真剣に考えるにはあまりにも重すぎるテーマ」というサブタイトル付きで、筆者はストックホルム商科大学経営戦略・マーケティング学部教授のミカエル・ダレーンという人だ。

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この記事は、次のような紹介で始まっている。

人が幸福だと感じる条件をまとめた『幸福についての小さな書』で、著者のミカエル・ダレーン教授(ストックホルム商科大学)は最後の章を「幸福を真剣に考えるのはやめよう」と締めくくっています。幸福感を高める本で、「真剣に考えるのはやめよう」と伝えた真意とは?

この書き出しを読んで私は、これまでの人生で「幸福になりたい」とか「幸福とは何か?」なんてマジに考えたことは一度もないと思い当たった。そもそも人生はなるようにしかならないのだから、「幸福」なんてことを真剣に追い求めるのは私の管轄事項じゃない。

そもそも「幸福になりたい」と考えるのは、「現状は幸福じゃない」と思っているからだろうし、その点で言えば、私は「自分は不幸だ」なんて思ったことも一度もない。「そこそこ、こんなもんなんじゃないの?」という自己認識なので、ことさら幸福をこいねがう必要もないのだ。

幸福を突き詰めて考えれば確実に幸福になれるというなら考えないでもないが、そんなことがあるはずもないので、当然のごとく「しょうもないことを考えるより、することは他にいくらでもある」ということに落ちついている。

これって、ミカエル・ダレーン教授の言う「幸福を真剣に考えるのはやめよう」という話と見事に合致しているじゃないか。幸福なんてことさらに考えない方が幸福感が高まるというのだから、限られた人生の時間の中ではほかのことを考える方がずっといい。

そもそも教授によれば「幸福とは異常な状態」であり、「人よりも幸福を真剣に考えている人は、平均して幸福度が少し低い」という研究結果さえあるという。ということは、「幸福」なんて追い求めるだけ無駄というより、むしろ弊害の方が大きい。

というわけで私は図らずも、「幸福」ということに関しては望ましい態度で暮らしてこれたわけだ。これって、幸せなことと思っていればいいのだろうね。

【1月 23日 追記】

そういえば、5年ちょっと前に "「幸福 と「幸せ」 とは、ビミョーに違ってる" という記事で、"小学生の頃に「この世に本当の幸福なんてあり得ないから、別に期待しない」という、まったく可愛げのない作文を提出" したというようなことを書いていたのを思い出した。

基本的に、今でもこのスタンスに変わりないと思う。

 

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2022年1月21日

喫煙者より禁煙者の方が高い、コロナ重症化リスク

NHK のサイトに「喫煙歴 コロナ重症化のリスク高  男性 1.51倍 女性 1.94倍にも」というニュースがある。文中の「喫煙が原因で引き起こされた病気のため、重症化リスクが高くなっている可能性がある」というのがさっぱりわからないが、いずれにしても喫煙歴は重要なファクターであるらしい。

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この NHK ニュース、全体的に文章が曖昧でわかりにくいので他のソースを検索したところ、「喫煙中より禁煙者に高いコロナ重症化リスク…2万人以上の研究結果」というテレ朝のニュースが見つかった。化学工業日報も「NCGM、喫煙歴ありはコロナ重症化リスク高」と伝えている。

これら 2本の記事には、コロナの重症化リスクは「現在喫煙者」より「過去喫煙者」(つまり "禁煙者")方が高いということが明確に示してあり、恐縮ながら NHK ニュースより端的にわかりやすい。

ずっと煙草を吸い続けている人よりも、過去に吸っていて今は禁煙しているという人の方が感染リスクが高いというのは、かなり意外な話である。こんなことなら、「せっかく禁煙しようと思ってたんだけど、やっぱり吸い続けることにするわ!」という人が出てきてもおかしくない。

ちなみに私は、24歳の年の 10月まで 6年間ヘビー・スモーカーだったが、それ以来 46年近く 1本も吸ってない(参照:20歳前から吸ってたのは「時効」ね)。ということは、この半世紀近い年月についてどう考えたらいいのだ。このあたりのことを、テレ朝のニュースは次のように伝えている。

国立国際医療研究センターは「過去に喫煙していた人は併存疾患を抱えている率が高く、禁煙しても疾患が残るため重症化しやすい」と分析しています。

ということは、禁煙というのは多くの場合、何らかの病気がきっかけになっていると決めつけているのだろうか。私の場合はそんなことではなく、故郷の酒田大火をきっかけに「火事の原因になるような行為は止めようと」と決心して禁煙したので、「併存疾患」なんて抱えていないのだが。

そしてさらに、NHK ニュースには次のような記述もある。

一方で、現在たばこを吸っている人では、重症化リスクは統計的に有意な差はみられませんでしたが、将来的にはリスクが高まるおそれがあるとしています。

これは「現在喫煙中の人は、今は元気でもそのうちいろいろな疾患が出てくるから、覚悟しな!」という脅し文句に聞こえるよね。このあたりのことって、ニュースの字面だけではよくわからない話である。

いずれにしても私としては、「コロナに罹りたくないから、タバコを再開して『喫煙者』に戻ろう」なんて夢にも思わないので、そのあたりどうぞ

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【注】 文中の化学工業日報の見出しにある "NCGM" は、「国立国際医療研究センター」(National Center for Global Health and Medicine)のこと。

 

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2022年1月20日

ワクチン接種拒否に関するお話

AFP が「反ワクチン派女性、故意にコロナ感染し死亡」というチェコのニュースを伝えている。コロナ・ワクチンの接種に反対する女性フォークシンガーが「衛生パス」取得のために、故意にコロナに感染して死亡したのだそうだ。

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「衛生パス」というのは、ワクチン接種か最近感染して回復したことの証明があれば取得できるもののようで、文化施設やスポーツ施設への入場、旅行、バーや飲食店の利用に必要という。この女性は、ワクチン接種よりも「感染して回復」という事実によってこのパスを取得しようとしたらしい。

欧米では新型コロナウイルスによる感染症予防のためのワクチン接種に反対する動きがかなり根強いようで、昨年夏にはキプロスで反ワクチン派のデモがテレビ局を襲撃するという事件まで起きている。

何を隠そう、我が家でも妻が行きつけの美容院のおにいちゃんに、「コロナ・ワクチンはヒトの遺伝子を変えてしまう」なんて話を吹き込まれたことがあったほどだから、決して別世界の話ってわけじゃない(参照)。そしてこんなのを信じている人は、今でも結構いる。

反対派の中でもとくに「トンデモ系」なのが、「ワクチン陰謀論」である。代表的なのは「コロナワクチンには世界を支配する影の政府が人類を家畜化・奴隷化するためのマイクロチップが埋め込まれている」というような話だ。

そんな目に言えないほどのチョー精密なマイクロチップが仮に可能だったとしても、それを大量生産してワクチンに混入するするなんて、いくら人類家畜化が目的でも、到底コストが合わないだろうに。陰謀論というのはある意味ファンタスティックなところがあるので、人によっては心酔しちゃうのだろう。

ワクチン拒否といえばテニスのジョコビッチが話題になったが、彼の場合はグルテン・アレルギーを食生活改善で乗り越えた経験から、自然療法に対する強いこだわりがあるらしい(参照)。彼が陰謀論信者じゃなくてよかった。

冒頭に紹介したチェコの女性フォーク・シンガーは、「昨年のクリスマス前にワクチンを接種していた息子と夫が新型ウイルスに感染した時、進んでウイルスに身をさらした」ということのようだ。ワクチンを打つぐらいなら、一度感染して抗体を獲得する方がいいと考えたわけだ。

ところが息子と夫は軽症で済んだが、彼女は重症化して死に至ってしまった。やはりワクチンには、接種すると重症化しにくいという一定の効果があるようなのである。

というわけで、日本でも近く 3回目の接種が本格的にスタートするらしい。私は注射は苦手(恥ずかしながら、本当に子どもみたいに苦手)だが、ここはやっぱり覚悟を決めて受けとく方がよさそうだ。自分自身が感染元になって広めてしまうリスクを減少させるためにもね(参照)。

 

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2022年1月19日

「寸借詐欺」防止の呼びかけに、警察は消極的?

昨日、どういうわけか 2020年 11月 1日付の「若者相手の寸借詐欺は、今も多いようだ」という記事にほんの 30分ぐらいアクセスが集中して、すぐに収まっていた。どんな記事だったかなあと自分でアクセスしてみると、同年 9月 30日付の毎日新聞の記事を引用したものだった。

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ところが、この毎日新聞の記事は既にネット上から削除されてしまっているようで、リンクできない。そこでちょっと探してみたら、同じ事件を西日本新聞が報じている(参照)ので、そちらの方にリンク先を変更した。長くブログを続けていると、時々こんなような「アフターケア」が必要になったりする。

ところが、この西日本新聞の記事の末尾に紹介されている福岡県警博多署のコメントには、かなり疑問を感じてしまった。こんなコメントである。

寸借詐欺に関する相談は以前から多く、被害に遭うのは主に学生などの若者。被害に気付かない本人を心配した親族が警察に相談するケースもあるという。捜査幹部は「本当に困っている人もいるだろうし、お金を貸さないでと呼び掛けるわけにもいかない。善意につけ込む卑劣な手口だ」と憤る。

「本当に困っている人もいるだろうし、お金を貸さないでと呼び掛けるわけにもいかない」というのは、いかがなものだろうか。「見知らぬ人には、安易にお金を貸さないように」と呼びかけるのは、今どきの世の中としては、むしろ常識的なことなんじゃないかなあ。

「本当にスリにあったとか、財布を落としたとかで困っているなら、警察に相談を」と言うのが本来なのではあるまいか。警察がそうした相談を受けたら、本人確認の上、家族などに連絡を取って迎えに来てもらえばいい。あるいはほかに適当な相談窓口があるなら、そちらに回せば済むことだ。

そうした呼びかけを行わないのは、警察の怠慢とさえ思ってしまう。あるいはうっかり者の相手をするのを、よほど面倒に思っているのかなあ。

 

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2022年1月18日

「お世話になっています」を AI で英訳すると・・・

東洋経済 ONLINE に "AI で「お世話になっています」を英訳してみると" という記事がある。レノボ・ジャパン社長のデビット・ベネット氏の書かれたものだ。

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ベネット氏は最近の AI 翻訳について、"現在 GPT-3 という AI や、DeepL という AI の評判がかなりよく、率直にいって英語の翻訳については「ほぼ完璧」と言えます" と書いている。記事には DeepL を使って英文を日本語に翻訳したものが載せられているが、確かにかなり自然な日本語になっている。

とはいいながら、ベネット氏は「私は引き続き外国語のスキルは必要だと思っています」としている。それは日常の会話などを適切に翻訳するという点において、AI はまだまだだからということのようだ。

例えば、"How are you?" という言葉について、ベネット氏は次のように述べる。

本来「あなたはどうですか=元気ですか?」という意味です。しかし突然「元気ですか?」という挨拶をする日本人は私の知るかぎりアントニオ猪木さんくらいで、他にはあまりいませんね。

このくらい一般的な言葉であれば AI は学習していて「こんにちは」と訳します。ただ、これがビジネスの場であればどうでしょう。おそらく「こんにちは」といきなり挨拶をする営業マンがいたらざわつくのではないでしょうか。

確かに難しい問題だ。その場その場の空気を読んで、最も適切な言葉に置き換えるしかなく、時には大胆な意訳も必要になる。

ビジネス上の挨拶としては「いつもお世話になっています」が登場し、これは日本語としては自然だが、AI が英訳すると "Thank you for your help." となり、かなり不自然なことになる。

さらに日本語のビジネスレターの書き出しの決まり文句、「貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます」を英訳して、"I hope that your company is doing well." なんてやったら、かなりナンセンスだろう。実際にはこんなの、訳しようがないね。

というわけで、ベネット氏は「ビジネスの報告をする時、対立する意見を持つ人と意見交換をする時、あるいは異性に交際を申し出る時、こうしたシーンを AI に任せる気にはならないです」と書いている。これについては、私もまったく同感だ。

AI がかなり進化した今でも、やはり語学力というのは必要なのだろう。さらに実際の場面においては単に言葉の翻訳という問題だけではなく、「比較文化論」の視点まで必要になることが多い。

複数の言語が話せるということは、1つのテーマに関して別の文化的アプローチで考えることができるということになるので、確実に厚みのある思考ができると思う。

 

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2022年1月17日

日本列島って、活断層だらけなのだね

今日は阪神・淡路大震災から 27年目で、さらにトンガの大噴火による津波発生というニュースも重なり、テレビやラジオは一斉に防災情報を取り上げている。中でも NHK の  ”地震発生の切迫度 最も高い「Sランク」の活断層帯 全国に 31」というニュースには、ちょっと心がざわついた。

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示された地図を見ると、日本列島は活断層帯だらけである。上の画像ではわかりにくいので、ググってみると、より明瞭な図が見つかった。下の図の赤で示されているのが 「Sランク」である。(図をクリックすると PDF でダウンロードできるページに飛ぶ)

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Sランクの活断層が全国に 31あるということは、単純平均すれば都道府県あたりの数は 1に満たないのだが、どういうわけか私の生まれた山形県は「庄内平野東縁断層帯」「新庄盆地断層帯」「山形盆地断層帯」と、3つも引き受けている。厄介なことである。

一方、現在住んでいる関東平野、とくにつくば周辺には危ない活断層が少ないように見えるが、その代わり日本海溝が迫っているので、「海溝型地震」というやつのリスクが高い(参照)。いずれにしても安心しているわけにはいかないようなのだ。

こうしてみると、日本列島に生を受けた限りは、多くの人が一生に一度以上は大地震を経験する定めになっていると言っていい。私は 11歳の時の新潟地震と、11年前の東日本大震災を経験してしまっている(参照)ので、「地震はもう、十分でごぜえますだ!」と言いたいのだが、こればかりはどうなるかわからない。

ただ幸いなことに、と言っていいのかどうかわからないが、私はこれまでに「直下型」の大地震というものは経験していない。

かなり前に茨城県で群発地震が続いて、その頃には震度 4ぐらいの直下型地震が何度もあった。直下型というのは初期微動がなく、いきなりズン!と突き上げるような揺れが来るので、結構驚く。震度 4ならまだマシだが、5強以上の大揺れになったら、周り中がパニクってしまうだろう。

先週に熊本に行った時、2016年の熊本地震の話が出た。あの時はまさに直下型で、震度 7が 1回、震度 6強が 2回、6弱が 3回発生したので、経験した人は「生きた心地がしなかった」と言っていた。熊本城の石垣は、まだ修復途上にある。

こればかりは人間の力で抑え込むわけにいかないから、常に覚悟を決めておくよりほかにない。

 

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2022年1月16日

冬もぐっすり睡るために

NewSphere に「冬ぐっすり眠るために知っておきたいこと 気温、日照時間の変化が眠りに影響」という記事がある。「温かい布団の誘惑が強まる冬場は、睡眠のリズムが乱れがちだ」という書き出しだ。

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冬に睡眠時間が乱れる原因は、「部屋で過ごす時間が自然と長くなるため、運動不足から寝つきが悪くなってしまう」ことのほか、「日照時間などの変化」も眠りに影響するのだそうだ。記事は、部屋の温度と湿度を適切に保つことが大切だと指摘している。

ただ個人的なことを言えば、私は近頃、寝付きがとてもいい。寝付きがいいどころか、PC に向かって仕事をしていても、単調な部類の仕事だといつの間にか寝落ちしてしまったりする。寝付きが良すぎるようなのだ。

いずれにしても、冬とは言え家に閉じこもってばかりいないで、適当に外出して運動することが大切のようだ。そうしないと、体の中で昼と夜との区別がつかなくなってしまうようなのである。

要するに、規則正しく起きて運動をし、規則正しく食事して、夜更かしせずにベッドに入ればいいみたいなのだ。これ、私が最近自然に身に付けたリズムである。だから、いつの間にか寝落ちするほど寝付きがよくなってしまったのだろう。

夜になる前から寝落ちしすぎると、実際に夜になってから眠れなくなってしまうのではないかとも思っていたが、私の場合はそうでもないようだ。これは多分、適度の運動をしていることと、年を取ったせいなんじゃなかろうか。

いずれにしても、睡眠不足の心配をしなくて済むのはありがたい。

 

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2022年1月15日

美容業界、理容業界の「雰囲気だけの横文字」

昨日あたり、"「腕ずく」で仕事する美容院が日本中に溢れてるので" という 9年近くも前の記事に妙にアクセスが集まっているので、どういうことかと調べてみたら、Quora の「語学学習者のノート」にこんな質問があり、それに続く入内島健さんという方の回答コメントで私の記事が紹介されているのだった。

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上の写真にある "kakimoto arms" というお店は、冒頭で紹介した ”「腕ずく」で仕事する〜” という記事にさらに 4年近く先立つ "「軍備」という名の美容院" で私が触れた、まさにその美容院である。質問者は通りかかる度に「ぎょっとする」のだそうだ。私の記事はこんな風な書き出しで始まる。

先日、青山骨董通りの裏道を歩いていると、 "Kakimoto Arms" という名前の店がある。武器マニアの店ではなく、美容院である。

なんでまた、美容院が「カキモト軍備」なんて名前なのかと思ったが、調べてみると、日本には「アーム」または「アームズ」という名の美容院が、かなり多いようなのだ。

言うまでもないことだが、英語の "arm" は「腕」で、複数形の "arms" になると「武器、軍備」という意味である。ヘミングウェイの『武器よさらば』の原題も "A Farewell to Arms" だ。

ところが日本では、「腕がいい」というような意味合いのつもりで、"arm" とか "arms" とかいう店名を付ける美容院が、やたらと多いみたいなのである。ちなみに「美容院 arm」の 2語でググると こんな具合で、本日時点で 760万件もヒットする。

ちなみに日本語の「腕」は、「腕がいい」とか言った場合には「技術/スキル」という意味を持つが、英語の "arm" にはそんな意味はなく、むしろ「腕ずく」というニュアンスになる。最初に紹介した記事のタイトルを "「腕ずく」で仕事する美容院・・・" としたのはそういうことだ。

「腕がいい」という意味のつもりで "arm" という英語を使うというのは煎じ詰めると、英語で電話する時は「もしもし」の代わりに「イフイフ」と言えばいいと思ってる小学生と、あまり変わらないメンタリティだよね。日本の美容業界って、かなり平和である。

そういえば最近も、この業界の店名に関して書いていた。昨年 11月 6日付の「"Cut House"(切られ家)と "Cut In"(割込床屋)」というエントリーである。

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美容院の店名に ”Cut House”(切られた家)、理容院の店名に "Cut in"(割り込む)というのがやたら増えていることに触れた記事である。どうやらこの業界って、単なる雰囲気だけで横文字の店名を付けたがる傾向があるようなのだね。

いや、この業界に限った話じゃないか。

 

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2022年1月14日

マスクをする方がイケメンに見えるって・・・

Gigazine の本日付に「マスクをした男性はイケメンに見えることが判明、最も女性から評価が高いマスクの種類とは?」という記事がある。これはちょっと意外な話で、妙な意味で興味をもってしまった。

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私は一昨年の 7月 20日に「加古川という街は美人が多い」という記事で、「行き交う女性にやたら美人が多い。なかなかの街である」なんて書いたが、翌日の追記で次のようなぶち壊しなことを付け加えてしまっている。

よくよく観察してみると、道行く人のほとんど全員がマスクを着用しているので、妙齢のご婦人が目の周りをバッチリ化粧していさえすれば、大概美人に見えてしまうのだった。最近はあまり徒歩で街中を歩く機会がなかったので、この新しい状況にこちらの目が慣れていなかったようなのである。

このことに関しては、その後のいろいろな街での印象からも「当たってるね」という気がしている。女性はコロナ禍以後、目元バッチリの化粧で美人になってしまうようなのだ。その代わり、化粧品会社は口紅の売り上げが減ってしまっているらしいが。

ところが上述の記事に寄れば男性もマスクをするとイケメンに見えるというので、ちょっと驚いてしまった。これ、元記事は以下の 2本のようだ。

Beyond the beauty of occlusion: medical masks increase facial attractiveness more than other face coverings
(医療用マスクが、他の顔のカバリング以上に顔の魅力を高める)

Face masks ‘make wearers look more attractive’, study suggests
(調査によれば、マスクは着用者をより魅力的にする)

マスクというのは病気や不健康さを連想させるため、これまではイメージがよくなかったが、コロナ禍が続くうちに受け取り方に変化が生じているらしい。

そして顔面のカバーの種類では、①衛生マスク ②布マスク ③本で下半分を隠した顔 ④素顔 の順に魅力度がアップしたという。つまり医療用マスクをするのが最高で素顔が最低というのがよくわからないが、調査の結果ということなので「そうですか」と受け取るしかない。

とにもかくにも、昨今のコロナ禍はこんなところにまで影響しているということなのだね。コロナ以前とコロナ以後とでは、いろいろな意味で世の中変わっているらしいと思うほかない。

ただ私自身のことで言えば、これを知ったからといって医療用マスクを買い求めようなんてことは全然思っていないので、

Yoroshiku4

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2022年1月13日

「3本」と「4本」の、読み(〜ぼん/〜ほん)の違い

言葉に関するいろいろなことを記事にするブログ「ヤシロぶ」で、2013年 5月 24日作成、8月 23日更新という古いエントリーだが、"大発見! なぜ「3本」の読みは「さんぼん」で、「4本」は「よんほん」なのか” という記事がある。

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確かに同じ「本」という単位で「3ぼん」「4ほん」と読み方が違うのは不思議な話である。同様のことが「匹」にも言え、「3びき」「4ひき」という言い方になる。

これに関して ヤシロぶでは、「3(さん)」と「4(よん)」の「ん」は、別の発音だからと、次のように説明されている。

「3」と言った後は、口が閉じ、上下の唇が接していませんか。

「4」と言った後の口は完全には閉じず、上下の唇はほんのわずか離れていませんか。

つまり、「3」の場合の「ん」は ”m” の発音になりやすく、「4」の場合はそうなりにくいからということだ。おなじ「ん」でも、口を閉じる "m" の発音に続くと 破裂音の "b" になりやすいというのである。

これはかなりもっともらしく聞こえる。ただ、完全に解決されたわけじゃない。ヤシロぶにも次のように書かれている。

しかし3 の読み方が常に「さんm」であるかというと必ずしもそうでなく、んm とんn のあいだをゆれ動くようです。

たとえば、「三位一体」の読みは、「さんmみいったい」ですが、

「第三位」だったら、「さんnい」です。

つまり、「3」の後は必ず 破裂音や「m のリエゾン」が続くとは限らないということだ。

ただ、とりあえず指摘しておきたいことは、「3(さん)」の「ん」の発音が 「m」と「n」の間を揺れ動くというのは正確ではないということだ。「n」というのは「なにぬねの」の発音における子音だが、実際の日本語の発音は「ŋ」の方が近い。鼻濁音の「がぎぐげご」の子音だ。

だから、「3位」が「さんに」となることはあり得ず。素直にリエゾンしたら「さんぎ」(最後の「ぎ」は鼻濁音)になるはずだ。ところがそのまま「だいさんぎ」と発音してしまったら意味が通じにくくなってしまうので、普通の場合は敢えてリエゾンを避けて「だいさんい」と言うのだろう。

ただ、昔の官位の「正三位/従三位」だとリエゾンしても意味は混乱しにくいから、「三位一体」の場合と同様に「しょうさんみ/じゅうさんみ」と発音する。

で、「4杯」の場合だが、「よん」というのは「三」を「さん」と漢音で読む場合と違って「和語」(ひと、ふた、み、よ・・・)だから、次に続く言葉が漢語っぽくリエゾンして濁音になるという現象は起こりにくい。つまり、「ん」の発音のためとは別の理由によると考える方がすっきりする。

ヤシロぶではさらに、「3」に続く単位は「3杯」だと「さんばい」だが、「3敗」だと「さんぱい」になるのはなぜかという疑問を挙げ、「へん」の場合は次のようにさらに複雑だとしている。

  • 回数を数えるときの「遍」なら「3べん」
  • 詩や文章を数える「編」なら「3ぺん」
  • 多角形の線分である「辺」も「3ぺん」

ここまでの論理を同じように適用するならば、それぞれの「はい」「へん」同士で「は」と「へ」の発音に違いがあるという結論になりますが、本当でしょうか。

正直言って、苦しすぎである。なにしろ、「三杯」は「さんばい」でも「乾杯」は「かんぱい」だからね。というわけで、降参だ。「遍」「編」「辺」の場合となると、さらに難しく、とりあえず匙を投げておく。日本語というのは本当に厄介なところがある。

 

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2022年1月12日

「ヤード・ポンド法」のストレス

Twitter で、Takuro Daimaru さんという方が、興味深い tweet をしておいでだ(参照)。仕事の面白さも待遇も問題ない会社に引き抜かれた元同僚が「早く転職したい」と言っており、その理由は、その会社の使ってる単位がヤード・ポンド法だからなのだそうだ。

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これについて Twitter では「#ヤード・ポンド法を滅ぼそう!」という動きもあり、上の図の下にあるようなステッカーまで作られている。大方の思っているよりは、ずいぶん大変な話のようなのである。

Wikipedia によれば 2019年時点でヤード・ポンド法を公式に使っている国は、 アメリカ合衆国、ミャンマー、リベリアの 3カ国のみ(参照)なのだそうだ。しかも「リベリアでは民間主導でメートル法への移行が行われ」ており、ミャンマーでも「2013年に、メートル法への移行を準備」しているとある。

一方でヤードポンド法の本家本元みたいな英国はなかなか複雑な話になっており、1990年代の EU のメートル法化の動きに一応は倣ってはいるものの、実際には随所にヤードポンド法の表示が残っているという。少なくとも日本の尺貫法より、ずっと強力に続いているようなのだ。

実は私もその昔、英国に本部を置く団体に所属して、毎日のように英語で送られてくるプレスリリースを日本語に翻訳する仕事をしていたことがあるので、ヤード・ポンド法には結構お馴染みだった。当時、英国発の文書では当たり前のようにヤード・ポンド法が使われていたのである。

とはいえ、私の場合は単に言葉上で翻訳すれば済む話だったので、それほど悩まなくて済んだ。ところが実際のもの作りをする現場では、製品のサイズ表示の際にきちんと換算する必要があるので、かなりややこしいことになる。

とくに「ねじ」などの場合は、大変なことのようなのだ(参照)。ホームセンターなどのねじ売り場でも、「ミリねじ」と「インチねじ」というのがあり、しっかりと区別して売られている。

私のような数字音痴がこんな業界にいたら、確実に気が狂ってしまうだろう。冒頭に紹介した tweet にあるように、かなり条件のいい職場でも転職したくなるという気持ちも、わかるような気がする。

ちなみに細かいことではあるが、「ヤード・ポンド法」という名称は、日本における呼称で、直訳しても国際的には通じないらしい。さらに日本の計量法における表記は、「ヤードポンド法」(中黒「・」を挟まない)ということのようなのだ。こんなところにいたるまで、面倒な話なのだね。

 

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2022年1月11日

「土図尾座雷斎/土図尾座烈斎」という JR 用語

新幹線の車内アナウンスでの英語については、過去にも何度か触れたが、最近の記事では 2019年 5月 20日付「新幹線の英語アナウンスが肉声になったようだ」が挙げられる。この中では、こんな Twitter 画像を乗っけている。

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新幹線の車掌さんの英語アナウンスで、"The doors on the right side will open" (右側のドアが開きます)が、どう聞いても「ザ ドズオザ ライツァイ ウィル オプン」に聞こえることに驚いてしまったのだ。

そしてこれが無駄に慣れたせいかさらに早口になり、「ドズオザ ライサイ ウィル オプン」になり、左側は「ドズオザ レッサイ」になっちゃってる。深層意識的には「こんなのどうせ意味ないから、できるだけ手早く済まそう」ってことなんじゃなかろうか。

今回は東京から熊本まで往復ともに新幹線を使って、何十回となくこれを聞かされたため、この異様な発音が完全に耳にこびりついてしまっただけでなく、脳内かな漢字変換を経て「怒図尾座雷斎」と「怒図尾座烈斎」として固定化されるに至っている。

「カタカナ英語」が「ひらがな英語」を超越して、「漢字英語」になってしまった。実際には「怒図尾座烈斎」の方がずっと多いので、かなりおどろおどろしいことになり、いずれにしてもまともな感じはしない。

今回は往復で少なくとも 6人以上の車掌さんのアナウンスを聞いたはずだが、1人を除いて、他は完璧に「怒図尾座雷斎/怒図尾座烈斎」だった。まさに「みんなで渡れば怖くない」式の定着である。

ちなみに残りの 1人は、「ザァ ドアーズ オンザァ ライト サイド ウイル オープン」という絵に描いたようなカタカナ英語だったことを付け加えておく。いずれにしても、これではフツーの欧米人には英語としてすら認識されず、単に日本語の流れとして聞き流されてると思う。

さらに言えば、どっちのドアが開くかなんてことはどうしても必要な情報ではなく、慣れない英語で伝えなければならないほどのことじゃない。実際には、停車駅で開いた方から降りればいいだけのことだからね。

というわけで「怒図尾座雷斎/怒図尾座烈斎」は、まったく無駄な努力の結果としか思われないのだった。

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2022年1月10日

「死刑」は実質的には「仮釈放なしの終身刑」とすべし

またしても「死刑になりたくて」という動機による事件が起きた。容疑者は「生きている意味が見いだせず、大きな事件を起こして死刑になればいいと思った」と供述しており、「電車内の事件のようにしたかった」と、昨年 10月 31日に起きた「京王線殺傷事件」を意識したことを言っているという。

この京王線内の事件の容疑者も、動機は「2人以上人を殺して死刑になりたかった」ことと供述しており、同年 11月 8日の九州新幹線内での事件(参照)の容疑者も似たようなことを言っている。こうしたことから、私は「死刑」という制度にはかなり懐疑的である。

2008年 8月3日付の「死刑制度では旗幟鮮明じゃない私」という記事では、当時の保岡法相の「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」という発言に関して次のように書いている。

「潔く死をもって償う」というのは幻想であって、実際のところは一概には言えない。あくまでも個別の死刑囚のパーソナリティによる。

池田小殺人事件の宅間某のように、「おぉ、俺は死にたいんじゃ、さっさと死刑にしてくれ」と開き直るものがいると指摘するだけで、保岡氏の論理は取って付けただけのものとわかるだろう。

人生に希望を見いだせず、かといって自分で死ぬこともできない人間が、これまでの鬱憤晴らしのように凶悪事件を起こすことで死刑にしてもらうことを望むという事件が、本当に少なくない。こうした事件の犯人を望み通りに死刑にしてあげるというのは、面倒見が良すぎると言わざるを得ない。

死刑制度に懐疑的になりつつある私」という 2009年 12月 23日付の記事で、私は次のように書いている。

死にたいけれど、自殺はいやだから、死刑の名によってあっさりと殺してもらいたいという者にとっては、死刑制度は格好の「救済制度」になってしまう。しかも、確実に死刑になるためには、できるだけ理不尽で残酷な無差別殺人を犯すに限る。これでは、犯罪抑止力として制定されたはずの死刑制度が、逆に犯罪促進力になりかねない。

(中略)

法的には死刑判決の 6ヶ月以内の執行が決められているようなのだが、そんなの無視して、自然に死ぬまで刑務所に入れておけばいい。そいつらのメシ代ぐらいは、凶悪犯罪抑止のためなら、負担しようじゃないか。

この考えは今も強まる一方だ。「死刑」というのを実質的には「仮釈放なしの終身刑」にし、「もし死刑執行があるにしても、それはかなり先になってしまうらしいよ」というのを日本の常識にしてしまえばいい。

 

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2022年1月 9日

津軽弁、聞くとわかっちゃうんだよね

熊本と天草での仕事を終えてホテルの部屋に戻った時は、既に夕方の 5時を過ぎていた。こちらは西国だからなかなか日が暮れず、まだ 4時頃のような気がしていたが、結構な時間である。そして本日のネタはどうしようかと何気なく「ネットサーフィン見聞記」にアクセスしたら、おもしろい動画が見つかった。

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「むかついたときに使う青森の方言」というもので、「悪用厳禁」だそうだが、これ、悪用しようにも津軽弁に馴染んでいなかったら、悪用なんてしようもないだろう。まあ、どんなのかというと、下に埋め込んだ動画にある通りだ。

これ、庄内出身の私としては、申し訳ないけど、聞けば大体わかっちゃうんだよね。太字部分を庄内弁で言えば「もっけだんども、きげばてんげわがてすまうんだよの」ってなことになり、多分、津軽の人にはそのまま通じちゃうんじゃないだろうか。

この「もっけだんども」は「もっけであるのだが」というような意味合いで、「もっけ」については 2005年 11月 3日に ”方言ブームと「もっけだ」の意味” というタイトルで詳しく書いている。端的に言えば「もっけ」というのは「もっけの幸い」のもっけで、「滅多にないこと」という意味だ。

「滅多にない」から「ありがとう」(有り難い = ありにくい)という意味になり、そこからちょっとニュアンスを加えて「もっけだんども」は「恐縮ですが」といった意味になる。なかなか便利な言葉だ。

津軽弁が大体わかってしまうので、私は在日ブラジル人に聞いた「南米ではブラジルがポルトガル語で他の国はスペイン語だけど、スペイン語でも聞けば大体わかる」という話を思い出した。庄内弁と津軽弁の違いは、スペイン語とポルトガル語の違いぐらいなのかもしれないね。

 

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2022年1月 8日

東海道新幹線が沿線火災のために出発遅れ

久しぶりで九州熊本への出張なのだが、移動しながらじっくり仕事に取り組もうと思い、飛行機ではなく新幹線で行くことにした。ところが東京駅に着いてみると、新横浜〜小田原間での沿線火災により、発車を見合わせているという。

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社内アナウンスで、詳しくは JR 東海のサイトを見ろというので運行状況のページにアクセスしてみると、なんだか妙にわかりにくい。上の画像のように【1/1 0:00 現在】なんて表示されているので、「知りたいのは、1週間前の話じゃなく、今現在のことなんだよ!」と言いたくなってしまった。

ところがよく見ると、「遅れのお知らせ」という表示の右側の ▶ 印をクリックすると、下のように最新の情報が表示される。そして下の画像はその最新の状況を表しているようだ。だが、一見したところでは、1月 1日の零時現在の状況みたいに見えちゃうじゃないか。

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どうやら、黄色の三角印のついた【1/1 0:00 現在】というのは、年初の知らせみたいなもののようなのだが、文脈からして、その下にある図の下に表示する方がずっとわかりやすいよね。

さらに言えば、「車内アナウンス」で「詳しくはホームページをご覧ください」なんて言う割には、ちっとも「詳しい情報」なんかじゃなく、アクセスするだけ無駄骨だった。

というわけで、今回は旅のスタート早々からちょっとしたストレスを味わってしまったが、スタートしてからは快適に飛ばしている。あとは博多までの間で遅れを取り戻し、九州新幹線への乗り継ぎに間に合ってくれればいいのだが、どうなるかわからない。それについては【追記】という形でお知らせしよう。

【同日 20:15 追記】

新幹線の遅れは博多に着くまで遂に取り返せずに、仕方なく乗り継ぎは 1本後の便にした。空席があってよかった。

 

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2022年1月 7日

この辺りの雪のデータを、自分のブログで確認

昨日は思っていたよりもずっと本格的な雪になってしまって驚いた。下は今朝 6時半頃に撮った写真である。土手がすっかり白くなり、まるで雪国みたいな様相だが、空が青いので解けるのは早いはずだ。

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今日は昼頃にクルマで出かける予定なので雪解けの具合が心配だったが、幸いにも 18年以上もブログを更新し続けているので、この辺りの天気に関する過去のデータが自然に蓄積されている。それで「雪」をキーワードに検索すると、直近では 2018年 1月 22日の記事が見つかった。

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上の画像がそれで、今回の雪と同じぐらいの様相だ。そしておもしろいことに、この時もその 4年前、つまり今から 8年前の 2014年 2月 4日5日の自分の和歌ログ記事を見て、翌朝に出かける算段をしていたようだ。

下の画像の左側が 8年前の 2月 4日夕暮れの、雪の積もった写真で、右側は一夜明けた 5日午前中の様子。翌日に晴れさえすれば昼前にはかなり解けてしまうという証拠写真になっている。

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というわけで、4年前は冬用タイヤに換えそびれていたにも関わらず、この 2枚の写真を見て「慎重にでかければ、案外大丈夫かも知れない」と勝手に安心することができた。

とはいえ、この時は翌 23日の記事を見ると、朝出かける前に「2時間がかりで県道まで出る道の雪かきをした」とあり、「日が暮れてから道路を走ると、何と雪がほとんどない」と続く。さすがに朝のうちは大変だったようだ。

そして今日は元々昼過ぎから出かける予定なので、雪かきの心配もせずに済んでいる。昨日のうちに自分のブログを検索して、「多分大丈夫だろう」と安心して寝ていられたのはありがたい。

長年ブログを続けるというのは単なる酔狂みたいだが、こうしてみると案外役に立つこともあるものだ。というわけで、これから出かけるので、

Yoroshiku4

 

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2022年1月 6日

老人がテレビと同じ感覚でインターネットすると

昨日の記事の末尾で、私のテレビに対する偏見みたいなことを書いたついでに、ashikagunso さんという方の正月 2日の tweet (参照)を思い出してしまった。

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"お正月に両親の実家でやるべきことは「TVにネトフリかアマプラのアカウントを入れる」。年寄りを放っておくと無料の Youtube を見続け、半年もすると見事な陰謀論ジジイが完成する" とあるので、「それ、確かにあるかも!」と笑わせてもらった。

【注 1】 今さら余計な注釈だろうが、一応「ネトフリ」は Netflix で、「アマプラ」は Amazon の Prime Video のこと。どちらも映画や TV 番組見放題のサービスらしい。私は全然詳しくないが、ウチでは妻が Netflix にハマってる。

ということではあるが、現実的には笑ってばかりもいられないようだ。この tweet を紹介した Togetter のページ(参照)には、「うちはもうTEOKURE」「自分の親と全く同じで」(← 太字は tak による)「陰謀論じゃないけど実家の両親国粋主義的になって引く時がある」なんてレスが付いている。

【注 2】 「草」というのは使われ始めたのはだいぶ昔からみたいだが、まだ一般的じゃないので、ちょっと説明しても「余計な注釈」じゃないと思う。これ、SNS などで「(笑)」に変わるものとして使われているようだ。詳しくは こちら

さらに、次のような悲惨なコメントまである。

これはガチ、親父が急にスマホに変えたり wifi のつなぎ方聞いてきたりでおかしいと思ってたら、やれ世界がひっくり返るだの芸能人はクローンだの言い始めて、元々良くなかった関係性が完全にぶっ壊れた、悲しい

こんなのを読んでしまうと、テレビへの偏見よりインターネット(とくにYouTube)への偏見の方が大きくなってしまいそうだ。

ただ、根本的な問題はネットそのものではなく、「接し方」にあるのだろう。古い世代では、テレビを見るのと変わらない意識でインターネットに接してしまう人がいるようなのだ。

テレビで垂れ流される低次元な情報を真に受けて、「テレビで言ってたんだけど・・・」なんてマジに語り出すジイさんバアさんが、世の中には少なくない。彼らがインターネットの広大な海での泳ぎ方を知らないままに、たまたまハマってしまった「危険水域」にばかりいたら、そりゃもうヤバいことになる。

まさに「陰謀論ジジイ」が大量発生してしまいかねない。こうした人たちには本当に、ネトフリかアマプラにハマっていてもらう方がずっと安心だろう。少なくとも人畜無害だ。

最後に触れておくが、冒頭の tweet に出てきた「イカゲーム」というのは韓国ドラマの一つらしい。米国ドラマばかり見ている妻は、これについてはちっとも知らなくて、何の情報も得られなかった。何だかんだ言いながら、自分の中の情報も不断に更新していかないと、若い連中の話の中身が見えなくなる。

 

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2022年1月 5日

正月早々、ウチのブログの音楽ネタ 2題にアクセス集中

正月早々、このブログのだいぶ前の記事、"「オ パッキャマラド パッキャマラド パオパオパ……」とは"(2018年 8月 18日付)と "ストラディバリウスの音を聞き分けられるか"(2017年 6月 5日付)にやたらとアクセスが集中したので、一体どうした風の吹き回しかと思っていた。

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過去にもこうした「時ならぬアクセス集中」ということが何度かあって、それはテレビのクイズ番組か何かがきっかけになってググられた結果というのがお決まりのパターンのようなのである。そうしたことは Twitter で検索すると大抵は見当が付くというノウハウまで得てしまった。

今回のケースの "「オ パッキャマラド パッキャマラド パオパオパ……」とは" の方は、どうやら新春のバラエティ番組での、漫才のナイツのネタが発火点になったようだ。こんな tweet がある(参照)。

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ちなみに、ナイツの『クラリネットをこわしちゃった』というのは定番ネタで、YouTube にも挙げられている。

そしてこれに関して、面白い tweet が見つかった。タタさんという方が「あれって子供が壊れたと思いこんでるけど技術が拙くて音が出せないだけっていう事だったのかなって今更思う」と言っている(参照)。

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これに関しては、私の 2018年の記事でも、ハマッコーさんのコメントへのレスで「私の解釈としては、クラリネットは決して壊れたわけではなく、下手すぎてまともな音が出ないというだけなのだと思っています」と書いている。これ、多分正解だろう。

私も高校時代に吹奏楽部のクラリネットを借りて試してみたことがあるが、とにかくむずかしい。初めは「スカー!」という音にしかならず、次に「ピキー!」という耳障りな音に変わっただけで、遂にまともな音は出なかった。あんな時は「このクラリネット、壊れてるね」と言えば、確かに楽になれる。

一方、"ストラディバリウスの音を聞き分けられるか" の方に関しては、こんな tweet が見つかった(参照)。

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テレビの世界では、ストラディバリウスとフツーのバイオリンとの聞き比べというのが、もはや定番ネタみたいになっているようなのだね。そしてそれが放送される度に、私の 2017年の記事へのアクセスが増えるというわけだ。

ただ、この「テレビがきっかけ」というパターンでアクセスする人というのは、ほとんどがその場限りの興味で来てはそのまま素通りするだけで、固定読者になってくれることはまずないと感じている。

この印象は、テレビへの偏見から発しているのかもしれないが。

 

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2022年1月 4日

「お屠蘇」の文化の危機

正月に飲む酒のことを、言葉の上でだけちょっと洒落て「お屠蘇」なんて言うのだと思っていたが、駅前糸脈の 1月 3日付「北帰行」を読んで、そうじゃないと初めて知った。さすがにお医者様だけに、正月にはいつも「ちゃんとしたお屠蘇」を飲まれていたらしい。

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ただ、昨年暮れはお屠蘇を買い求めることができなかったとのことで、次のように書かれている。

正月三が日とも日本晴れで休んでいるのが勿体ない気がしてしまう。お屠蘇を飲んでと言いたいところだが、 家内が暮れにお屠蘇を買いに行ったら「お屠蘇って何ですか」と聞かれ置いてないとのことで今年は酒味醂を合わせたもので済ませた。

上の画像からもリンクされる日本名門酒会の「お酒の歳時記/お屠蘇」のページに、お屠蘇とは「酒やみりんに生薬を付けた一種の薬草酒で、邪気を払い無病長寿を祈るおめでたいお酒です」とある。いやはや、そんなこととは明確には意識していなかった。

そう言えば、前に初詣で神社に正式参拝した時に、「屠蘇」と書かれた小袋に入ったティーバッグみたいなものを戴いたことがあるが、あれがその「薬草」だったのか。私は単なる「気分の問題」としか思っていなかった。不信心なことである。

私の父は「酒はお猪口一杯なら美味しいと思うが、二杯飲んだら死ぬ」というほどの下戸だったので、我が家では正月でも酒を飲むという習慣がなかった。そんなわけで、「お屠蘇」というものの本当の意味を知らないまま、この年になってしまっていたわけだ。

で、正式なお屠蘇ってどんな生薬を漬け込んだものなのかと調べると、同じページにこんな表がある。うむ、確かに体に良さそうだ。

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ただ、東日本では「正月だからお屠蘇をいただく」と称して単なる酒をがぶ飲みするおっさんも多い。冒頭で紹介した「駅前糸脈」でも、店員が「お屠蘇」を知らなかったとあるので、私が「お屠蘇」の本当の意味を知らなかったのも仕方がないかもしれない。

というようなことで、昨今は「お屠蘇文化の危機」にさしかかっているのかもしれない。昨日のテーマの「お雑煮」はまだまだ健在のようなのに。

 

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2022年1月 3日

雑煮のバリエーションが見えるインターネットの威力

フードライターの白央篤司という方が Twitter で「みなさんのお雑煮を見せてくださいませんか」と呼びかけた(参照)ところ、全国から次々に画像が集まっている。それが togetter で地域別に分類整理されて見やすくなっているのがとてもおもしろい(参照)。これはインターネットの威力と言っていいだろう。

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私は 16年前の 1月 5日に "「正しい餅」は、丸餅でなきゃ" という記事を書いている。一般的には東日本は角餅、西日本は丸餅とされているが、私の生まれた山形県庄内地方は、東日本では珍しい丸餅文化圏である。この件で、進士素丸さんの tweet に面白い地図がある(参照)。

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この地図では、山形県酒田市は で表示され、全国でも珍しい(奈良と九州にはポツポツあるが、東北では唯一)「丸餅を焼く」文化圏ということになっている。同じ丸餅でも、西日本では焼かずに「煮る」のが主流のようだ。

大雑把に言うとこの地図上では、「角餅を焼く」東日本は黒っぽく、「丸餅を煮る」西日本は白っぽく見える。というわけで、焼いた丸餅をすまし汁で食うという酒田は、両者のクロスオーバー文化といえる。

白央篤司さんの呼びかけに寄せられた写真で私にとって一番「お馴染み感」があるのは、さすがに「山形県沿岸部」にお住まいの、きになるこ さんの tweet にあるもの(参照)。私の実家でも、元旦にはこんな風に色取りどりのおかずが付いた。

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さらに個人的にそそられたのは、石川県にお住まいのお二人の丸餅雑煮(参照 1参照2)。添えられるのが「刻み葱だけ」とか「三つ葉と柚子だけ」とかの、潔いほどのシンプルさだ。さすがに金沢文化圏、よほど出汁をおいしく取るのだろうね。

驚いたのは、香川県でずらりと並ぶ「餡入り餅の白味噌仕立て」である。あんこの入った餅を雑煮にする地域があるなんて、生まれて初めて知った。日本は狭いようでも広い。

日本の全都道府県に行ったことのある私でも正月にはおとなしくしてるから、多様な雑煮には接していなかった。こうしてみると「たかが雑煮、されど雑煮」と言いたくなるほどのバリエーションで、長く守っていく価値がある。

 

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2022年1月 2日

正月特別企画: tak-shonai 年賀状コレクション

正月にちょっと楽をさせてもらうために、今日はこれまでにこのブログなどで使った年賀状を紹介させていただくことにする。画像ファイルとして保存してあるのは、1999年の正月からの 23年分だ。ただし 2008年と 2012年はそれぞれの前年に親が逝去したので喪中欠礼である。

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年賀状は昔からずっとオリジナル・デザインで作っているが、 1992〜1998年頃のものは大昔のフロッピー・ディスクに保存してあるので、今や取り出すのが面倒で放ってある。それ以前は、昔懐かし「プリントゴッコ」なんてもので作ったので、データはない。

我ながら物好きなことだが、こんなような ↓ ステロタイプは使う気になれないのでしょうがない。

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それぞれの年の年賀状はこの記事の下の表の中からクリックすると新規タブで表示されるが、我ながら気に入っているのは、上の画像で示した 2枚。一廻り前の 2010年の寅年と、2013年の巳年のものだ。

左上、前の寅年のものは、素手で虎を手なづけてしまったという伝説をもつ沢庵和尚ゆかりの臨済宗大徳寺派の高僧、足立泰道和尚の描かれた掛軸がモチーフ。単に〇を一筆に書いただけというのは禅画によくあるが、この年は不遜にも、それに黄色でシマシマをつけて虎の尻尾にさせていただいた。

右下の巳年のデザインは、ベルトをヘビが這っているような形に曲げて「巳」の字に似せただけというもので、デザインというのはやはりシンプルに勝るものはない。そしてこの 2枚を上回る年賀状は、なかなかむずかしい。

いっそ今年の寅年も 12年前と同じデザインを使いたかったが、それでは芸がないので、何とか別のものにさせていただいた。そしてこの次の寅年は 2034年で、計算上は 82歳を迎える年である。

別にそこまで生きなくてもいいのだが、生きてしまう可能性も結構高いので、その時はその時で、どうにかこうにか新しいデザインを考えなければならない。

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表中のそれぞれの年をクリックすると、新規タブで表示されます。

(来年 卯年) 2022年
寅年
2021年
丑年
2020年
子年
2019年
亥年
2018年
戌年
2017年
酉年
2016年
申年
2015年
未年
2014年
午年
2013年
巳年
(喪中欠礼) 2011年
卯年
2010年
寅年
2009年
丑年
(喪中欠礼) 2007年
亥年
2006年
戌年
2005年
酉年
2004年
申年
2003年
未年
2002年
午年
2001年
巳年
2000年
辰年
1999年
卯年

 

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2022年1月 1日

虎と共に睡りたい新年

明けましておめでとうございます。年頭恒例の、干支入り年賀状をお届けします。今年のテーマは「四睡図」。

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「四睡図」というのは、唐代の禅僧、豊干(ぶかん)と寒山拾得が虎と共に睡る姿を描いたもので、森羅万象の静寂という禅の神髄を示すものと言われている。とはいうものの、それがどうして「禅の神髄」なのか、わかったようでわからない話ではあるのだが。

豊干と虎というのは、セットで語られることが多い。これは彼がしょっちゅう虎の背に乗っていたと伝えられることによる。彼はさらに、禅ではお馴染みの寒山拾得の理解者であったことでも知られる。

よくわからない話の糸口として、上の「四睡図」に付けられた遂翁元盧(寛政年間の臨済宗僧侶)による画賛を下に掲げてみよう。

四睡一睡 【四睡ひとたび睡れば】
鼻息如雷 【鼻息雷の如し】
聞得分曉 【聞き得て分暁(夜明け)ならば】
寒拾再來 【寒拾(寒山拾得)の再来】

「森羅万象の静寂」のはずが、鼻息が雷のようだというのだから、いくらどうこう言っても結局のところよくはわからない。いずれにしてもとにかく、豊干と寒山、拾得が、雷のような鼻息を立てて虎と眠るというのである。

そしてその音を聞いている気分のうちに夜が明けることになれば、寒山、拾得が再来するってわけだ。この 2人は文殊菩薩と普賢菩薩の再来とも言われていて、絵を見る限りはなかなかいい感じでもあるし、まあ、そういうことだ。(「って、どういうことか?」とは、聞かない約束で)

まあ、小理窟ではよくわからないのが禅の神髄なのだろう。というわけで私としても、せめて元日ぐらいはコロナなんて気にかけず、「寝るより楽はなかりけり」で過ごしたい。もしかしたら、別次元の宇宙に目醒めることができるかもしれないしね。

ただ、浮世の沙汰に追いまくられて、三が日を寝てばかりというわけにもいかない。悟りにはまだまだ遠いようだ。

というわけで、今年もどうぞ

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