北京オリンピックへの反感
北京オリンピックの視聴率がかなり低いらしい。SAKISIRU というニュース・サイトが "北京冬季オリンピック中継、「テレビ史上最低」視聴率が海外メディアで話題に" というタイトルで取り上げられている。
日本での開会式の視聴率は「21・3%(ビデオリサーチ、関東地区)と、4年前の平昌オリンピックより 10ポイント近くもダウンした」とある。ちなみに私は「4年前の平昌オリンピック」にしてもあまり注目していなかったばかりでなく、ほとんど記憶にも残っていないほどだ。
「平昌」を「ピョンチャン」と読むことすら知らなかったほどで、申し訳ないことにしばらくの間、「平壌」(ピョンヤン)との区別も曖昧だった(参照)。どうやら、「オリンピックそのもの」への興味がなくなってしまったようなのである。
冒頭で紹介した記事も、サブタイトルに "地上波放送の限界、商業五輪の「曲がり角」指摘も" とあり、オリンピックが昔のような「夢」とか「ロマン」を感じさせるものではなくなったのだろう。ただでさえオリンピックへの興味が失せていることに加えて、開催地が北京というのだからなおさらだ。
このあたりのことについて SAKISIRU は、次のように辛辣に報じている。
懸案の人権問題でも IOC のバッハ会長自らテニス選手の彭帥さんと仲良く観戦し、中国政府の宣伝に加担する「茶番劇」が繰り広げられるようでは、コロナ禍の厳寒を過ごす日本の人々の気持ちをかつてないほど冷え込ませるばかりだ。
この件について SAKISIRU はさらに "五輪は中国に乗っ取られている? IOC広報部長「彭帥さん問題について我々は判断できない」" という別記事で、この茶番性を詳しく報じている。
私としても、中国に乗っ取られ気味のオリンピックに結構反感を持ってしまっていて、「そんなもん、見るもんか」と思っている。まさにオリンピックは「曲がり角」を越えてしまったんじゃなかろうか。
ちなみにネット界隈では、"「北京」は「ベイジン」と読むべきで、「ペキン」なんて言っても、世界のどこでも通じない" というような話が盛り上がっている(参照)。しかし「ペキン」では世界のどこでも通じないというのは言い過ぎだ。
それは 1963年のハリウッド映画『北京の 55日』の原題が ”55 Days At Peking” であることを持ち出すだけで十分だろう。米国の Baby Boomers たちには "Peking" で十分通じるはずだ。
それについては、2019年 6月 10日付の「北京がベイジンであることと、東京がトンジンであること」という記事で触れているので
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