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2022年2月17日

「日本語上手ですね」と「英語上手ですね」

文春オンラインに、韓国出身・大阪府在住のラッパー Moment Joon 氏の著書『日本移民日記』(岩波書店)よりの抜粋記事が載っている。初回は【 「日本はどれぐらいですか?」「日本語上手ですね」…日本で生活する “外国人” が  “善意の言葉” をかけられて感じる “複雑な気持ち” の正体】というものだ。

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彼は、日本に来た当初は「日本語上手ですね」と言われると嬉しかったが、6、7年経つと変わってきたという。大抵の場合はまず日本に何年住んでいるかを聞かれ、「7年目です」などと答えると、次に決まって「へえ、そうなんですね。日本語上手ですね」などの反応が返ってくるという。

彼はこのパターンを「アンキャニー・バレー」(uncanny valley: 「不気味の谷」現象)という言葉を使って説明している。例えばロボットの外見が人間に似ていると好感を持つが、あまりにリアルに似すぎていると「不気味さ」を感じてしまうというような現象だ。

「ネイティブ並の日本語駆使者たちは、自分たちが『日本語のアンキャニー・バレー』に入っていると感じている人が多い」と、彼は言う。日本人の多くは、日本語がテキトーに上手な外国人には好感を持つが、あまりに上手すぎると、ある種の気まずさを感じるようなのだ。

彼はさらにこう続ける。

「日本語のアンキャニー・バレー」に落ちている人々なら、「日本語上手ですね」の代わりに「◯◯さんは心が日本人だから」は少なくとも 1回は聞いたことがあるはずです。

(中略)

「◯◯さんは心が日本人」は異質なものを「われわれと同じもの」にしちゃって安心したい気持ちを表しているかもしれません。

なるほど、彼がこう感じてしまう気持ちは理解できる。というのは、私も 11年前に "「日本人より日本人らしい」って、どういうこっちゃ" という記事で、学生時代に親しかった、日本の古典文学に精通したドイツ人留学生のことについて書いたことがあるからだ。

半世紀近く前の日本社会に、日本語を(古語に至るまで)ほとんど不自由なく操る希有なドイツ人として存在していた彼は、いつも「日本人より日本人らしい」と褒められていた。これは今日の日本社会で日本語を駆使する Joon 氏の言う「心が日本人だから」以上のニュアンスだと思う。

私は当時、こうした失礼な決まり文句を絶対に使わなかった。それは、相手の大切にしているであろうネイティブなバックグラウンドを、「捨ててしまえ」と言うに等しいと思っていたからである。

実際のところ、彼も「日本人より日本人らしい」と言われる度に居心地の悪さを感じていたようで、ある時、私にこう言った。

「日本人が僕に対して『日本人より日本人らしい』というのは、心の中で『ガイジンなのに』と思ってるからだよね。日本人って、自分たちの文化が『ガイジン』には理解されるはずがないと思ってるんじゃないかなあ。自分たちは特別って思ってるよね」

外国人が「心が日本人だから」とか「日本人より日本人らしい」なんて言われたら、そんなふうに感じない方がおかしい。ただ、その感覚は多くの日本人の理解の範疇を越えているようなのである。何しろ日本人同士では「君は心が米国人だね」なんて、褒め言葉みたいに使ってるケースだってあるし。

Joon 氏は、「英語が達者な人が『あなたの心はイギリス人ですね』とか言われたという話は、今まで聞いたことがありません」と書いている。なるほど、国際語になってしまった英語は、英語を母国語としない国で生まれた人間でもかなり達者に操ることぐらい、珍しいことでもなんでもないからね。

ところで私は、米国人に "You speak good English" (英語上手ですね)と褒められたことが何度かある。初めのうちは単純に嬉しがっていたが、ある時、そこには「英語の下手さでは定評のある日本人にしては」という暗黙の前提があるのかもしれないと気付いて、素直には喜べなくなってしまった。

 

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