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2022年2月20日

「銚子」と「徳利」の長い旅路

いきなりなまめかしい画像で恐縮だが、今日は一昨日に取り上げた ”時代劇は間違いだらけ?~其の一~…蕎麦屋にテーブルはないし、裁きのお白洲は外ではなかった!?” の続編、"時代劇は間違いだらけ?~其の二~「お銚子もう一本!」は間違い、湯屋では髪を洗わない…" を考察させてもらう。

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この記事は、時代劇に出てくる「お銚子もう一本!」というセリフは間違いと言っているわけなのだが、こう言っちゃ何だが、記述が冗漫でわかりにくい。そこでこのブログ記事で簡潔にまとめ直させていただく。(画像は元記事より援用)

まず前提として、現代では「徳利」のことを「銚子」とも言うが、江戸時代においてはこの 2つは別物だった。江戸時代なら本来は「徳利もう一本!」と言わなければならず、「お銚子もう一本」と言ったら、別のものが出てきてしまっただろう。

というわけで、酒器の歴史の話になる。太古から平安時代に至るまでは、酒を飲む時は土器(かわらけ)を使っていたが、平安時代初期から「銚子」と「堤子(ひさげ)」が登場する。

【2月21日 追記】

下の写真は月桂冠のサイトより拝借した、古い形の「銚子」(手前)と「堤子」(奥)。

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平安時代は、酒を樽から「堤子」に移し、次いで「銚子」に移していた。つまり「堤子」と「銚子」はワンセットと考えていい。

ところが江戸時代前記(16世紀)から、蓋付きの「堤子」が登場し、こちらの方を「銚子」と呼ぶようになった。「蓋付き堤子」が「本来の銚子」の役割と名前を奪った結果、面倒なプロセスが省略されたわけだ。

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「堤子」は音読みで「ていし」なので「銚子」(旧仮名で「てうし」)と一緒にしてしまいやすかったのだろう。上の金色の「銚子」は、この「蓋付き堤子」の最も新しい発展形(結婚式の三三九度用?)とみてよさそうだ。

一方「徳利」の話に移るが、本来のサイズは現代の「一合徳利」のようなものではなく、醤油や酒を貯蔵するための、1升から 3升のサイズの大きな瓶のようなものだったらしい。

そしてこれとは別の系統で、神棚に酒を供えるための「瓶子(へいし)」というものがある。下の写真の奥にある 2本がそれで(手前は水器)、現代でも神事に使われている。

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で、ややこしいことに、室町時代にはこの「瓶子」を「とくり」とも呼ぶようになった。既にある大きな瓶と同じ呼び方なので、ややこしいが仕方がない。で、この「瓶子」が「とくり」と呼び慣わされるうちに、江戸時代には下の写真のような、いわゆる「一合徳利」に変化していたようなのである。

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で、この「一合徳利」と「銚子」が、「酒を注ぐ」という用途が同じということで、明治以後になって初めて混同され、「徳利」を「銚子」とも呼ぶようになったというのだから、思えば長い旅路である。というわけで、酒場での「お銚子もう一本!」という言い方は、明治以後でなければあり得ないってわけだ。

元記事は「ちろり」というものにも言及しているが、煩雑になるのでここでは省く。それにしても、「元記事はなんでこんなにわかりにくいんだろう?」と思い、改めて読み返してみたところ、1ページ目の次の記述がガンなのだとわかった。

ではなぜ銚子を徳利と呼ぶようになってしまったのでしょうか。
酒器の変遷をたどりましょう。

これ、話が逆だよね。そもそもこの記事は、「江戸時代に『徳利」と称していたものを、明治以後に『銚子』とも呼ぶようになってしまった」という流れの解説が主眼なのに、途中にこんな記述があるせいで一度に混乱してしまう。まったく、話の筋道をひっくり返さないでもらいたいものだ。

そして元記事は、髪は風呂屋ではなく庭先のたらいで洗っていたという話に続くのだが、もう疲れたので、これでおしまい。

 

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コメント

今日のtak さんの記事にはびっくりしました。
二時間くらい前に〝お銚子一本″の銚子ってどこからきたのだろうと調べたばかりだったのです。

月桂冠の「学ぶ・知る」からです。
https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/culture/vessel/vessel01.html

此方は『徳利が「銚子」と呼ばれるようになった経緯』と説明してます。一読しましたがややこしくて頭の中で整理で来てません。明朝は早いので私もこれで失礼します。

投稿: ハマッコー | 2022年2月20日 22:00

ハマッコー さん:

ご紹介の月桂冠の記事は、Japaaan の記事よりまだわかりやすいですね。あるいは、私が必死に頭の中を整理した後に読んだからかもしれませんが。

いずれにしても、酒は神事などの儀式との関係が深いようです。それで、いろいろ面倒な酒器が介在するのですね。

単なる世俗の楽しみとして気軽に飲むようになったのは、鎌倉時代以後とみていいようで、それから明治になって「銚子」が「徳利」のレベルまで零落したのでしょうね。

なお、ご紹介の記事に「銚子」と「堤子」のわかりやすい写真がありましたので、ちょっと拝借して、理解しやすいように記事も少し修正しました。

ありがとうございます。

投稿: tak | 2022年2月21日 09:23

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