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2022年2月21日

日本酒のイメージの変遷

昨日、日本の酒器(「銚子」と「徳利」)について書いた勢いのせいか、今日は "日本盛と BEAMS JAPAN によるコラボロジェクト「にほんしゅき」の第 2弾アイテムが登場!" というニュースに目が止まった。

220221

日本盛と BEAMS JAPAN がコラボするというのだが、「イラストレーター・白根ゆたんぽさんによる描き下ろしの女の子」をモチーフにしているんだそうだ。日本酒のイメージも、ずいぶん変わったものである。

それにしても、この記事の「コラボロジェクト」というのは、「コラボレーション」と「プロジェクト」を組み合わせた造語なのかなあ。ただ、そのあたりの説明が記事中に一言もないし語感も決して良くないので、「プ」の字が抜けたチョンボなんじゃないかと心配になってしまう。

酒といえば、私はこれまでにも何度か触れているが、昔はほとんど毎日飲んでいた。このブログも飲みながら書くことが多かったほどである。

それが、最近はほとんど飲まなくなってしまった。決して禁酒したわけじゃなく、その気になればいつでも飲めるのだが、なかなか「その気」にならない。だから四合瓶が半年以上もったりしてしまう。

昨日の記事についた ハマッコー さんのコメントに、私は次のような返信を書いた。

いずれにしても、酒は神事などの儀式との関係が深いようです。それで、いろいろ面倒な酒器が介在するのですね。

単なる世俗の楽しみとして気軽に飲むようになったのは、鎌倉時代以後とみていいようで、それから明治になって「銚子」が「徳利」のレベルまで零落したのでしょうね。

神に供えるものだった酒が、どんどん「楽しみ」のために飲まれるようになったのは、「直来」(なおらい、ただ本来のかな表記は「なほらい」)で、神への供え物を人間が戴くという習慣によるのだろう。しまいには「直来」の方が主目的になったりもしてしまった。

1252年には鎌倉幕府が「沽酒の禁」というお触れを出して酒の売買を禁止しているが、これは酒の飲み過ぎで問題を起こす武士が増えたためとも言われている(参照)。この時代の兼好法師が、都のあちこちで酒乱の姿が見られることを『徒然草』の中で何度か嘆いているほどだ。

こんなように、鎌倉時代からどんどんと酒が世俗化し、ついに明治時代になって、神事における酒器であった「銚子」が、飲み屋の徳利をも指すようになったというわけだ。この頃、酒の上での「本音」が「建て前」をはっきりと凌駕してしまったのだろう。

日本盛と BEAMS JAPAN のコラボが、落ちかけていた日本酒のイメージを再構築してくれるようだと嬉しい。

【2月 22日 追記】

私が酒を飲まなくなったのは、10年近く前からのようだ。2013年 2月 25日の " 世の中の「酒離れ」の最先端を走る" という記事でそのあたりのことを書いている。

 

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