石原慎太郎に関しては、これでおしまい
ABEMA TIMES に【石原慎太郎氏の死去当日の “批判的ツイート” は “死者に鞭打つ行為” なのか…宇垣美里「多少は時間を置いたとしても、向き合わなければ」】という昨日付の記事がある。ほかでもない。1日に逝去した石原慎太郎に関するものだ。
記事によれば、”「亡くなった当日に鞭打つな」「お悔やみの言葉が必要だ」といった声が相次いでいる” という。「すごいなあ!」と言うほかない。
私としては彼の死が報じられた時、「もう過去の人だし、とくに書く気はないわ」と思っていた。なにしろほぼ 15年前(彼の都知事時代)の 2007年 3月 7日付で「石原慎太郎は、これで終わりということで」という記事を書いているほどだから。
ただ、この時の記事では「そろそろお役目ご苦労さんの時である。次の選挙ではしっかりと落選して、縁側で猫でも撫でていてもらいたい。もう 75歳なんだから」なんて書いているのだが、実際にはそれからほぼ 5年後の 2012年 10月まで都知事の座にいたのだから、びっくりだ。
というわけで、それからはあまり彼について書く気はなくなっていたのだが、2011年 3月 11日に発生した東日本大震災の 5日後に、さすがに彼の発言にむかっときてしまって「石原都知事の「天罰」「我欲」という言いがかり」という記事を書いている。
これは震災の 3日後、報道陣に「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を 1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言したというニュースを受けたものだ(参照)。
今回、彼の死後に相次いで発表された批判的コメントについて「死者に鞭打つ行為」は謹むべきだなんていう雰囲気論が盛り上がったようだが、この時の当人の発言はそんなレベルじゃない。自らの行為の報いは、死んでからでも返ってくるのである。
本日付の「駅前糸脈」の記事に次のようにある(参照)が、私は全面的に同感である。
石原慎太郎のファンでも研究者でもなく平均的な知見しかないが、気質的に氏は我が儘で尊大なところがあり、親分はできても子分はできない人だったと思う。保守的と言われるが、所謂保守とは違うような気がしている。好き嫌いと格好良さで動いたように見える。
ということで、きょうのところはおしまい。本当におしまい。
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コメント
肢体不自由児の施設を視察後に「彼らには人格はあるのかね」なんて政治家以前に人としてどうかと思う発言をした人ですから、死んだ日に鞭うたれても仕方ないですね。
葬式不要、戒名不要、骨は全て海に撒けと、誰かの発言を真似をして逝ったようだが、彼を美化する人が出てこないことを祈る。オワリ。
投稿: ハマッコー | 2022年2月 4日 22:20
故人をあんまり悪く言ってはいけないのは祟るといけないから、なんて話を見ましたけど、まあコロナ禍のさなかでは今更ですね。仮に非業の死を遂げてたとしても大威張りであの世に行ってそうな人で、どう見ても化けて出るタイプではなかったですし。
表現規制に関してだけはどれだけ罵っても足りませんが、その他に関しては「はいはいわろすわろす」以上の感想も対応も特に必要ない人物だったな、という印象です。
投稿: 柘榴 | 2022年2月 5日 05:32
ハマッコー さん:
>彼を美化する人が出てこないことを祈る。
既に出てきてはいるみたいですが、はっきり言って少数ですね ^^;)
投稿: tak | 2022年2月 5日 21:20
柘榴 さん:
>「はいはいわろすわろす」以上の感想も対応も特に必要ない人物だったな
同感です。
投稿: tak | 2022年2月 5日 21:21
それでも彼に対して私は、生前は好きではないタイプの人でしたが、個別に見ていけば社会に貢献した面もあるし、失策や傲岸な態度での失言(とされる)もありなわけですが、では彼が震災で亡くなっていれば、彼も当然に震災被害者という括りになったわけで、自らの思想信条に反するような人であっても、ああ遂に亡くなられましたかと、人の死に対するある種の悔みの念を持つ気持ちをもつことさえ、それを彼に対する美化と表現されれば、それもまた同じ穴の狢ではないかと。
おしまい、と言い逃げならぬ雰囲気に、つい記してしまいました。
投稿: coro | 2022年2月 6日 14:53
coro さん:
>個別に見ていけば社会に貢献した面もあるし、
そりゃ、「個別に見ていけば」誰だって少しは貢献してますからね。
>彼が震災で亡くなっていれば、彼も当然に震災被害者という括りになったわけで
恐縮ですが、この喩えは唐突すぎてどう反応していいかわかりません。あるいは、百歩譲って彼が震災で亡くなっていたのだとしたら、「お悔やみ申しあげる」ということになるのでしょうが、そうじゃないので、この回答は無意味ですよね。
>人の死に対するある種の悔みの念を持つ気持ちをもつことさえ、それを彼に対する美化と表現されれば、
またまた恐縮ですが、悔やみの念を「美化」と表現するつもりはありません。言うまでもなく、「悔やみ」と「美化」は別物です。
>おしまい、と言い逃げならぬ雰囲気に、つい記してしまいました。
もう「おしまい」というだけのことで、別に逃げるつもりもありませんので、よろしく。
投稿: tak | 2022年2月 6日 16:47