« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »

2022年3月に作成された投稿

2022年3月31日

ウソがウソを呼ぶのは、ロシアばかりとも限らないが

朝日新聞デジタルが本日付で ”プーチン氏に間違った情報伝わる? 「怖くて本当のことが言えない」とホワイトハウスが見解" という記事を伝えている。「プーチン氏はロシア軍に欺かれたとも感じている」としており、ロシアではもはやまともな情報なんて期待できないようなのだ。

220331

記事はこんな具合である。

米ホワイトハウスのベディングフィールド広報部長は30日、ロシアのプーチン大統領はウクライナでの戦況について間違った情報を伝えられているとする見解を示した。その理由について、「プーチンが怖くて本当のことが言えないからだ」と指摘した。

プーチンがロシアにおいて「全体君主」みたいな存在になっていることを窺わせる話だ。側近たちは本当のこと、つまりプーチンの気に入らないようなことを言ったら、自分の身が危うくなると感じているのだろう。

そもそもロシア国内では今回のウクライナ侵攻問題に限らず、主要マスコミで流される情報はフェイクばかりのようだ。ウクライナへの侵攻は、在ウクライナのロシア人を守るためだなどと喧伝し、少なからぬロシア人がそれを信じてしまっているという。

こんな具合に情報の質が低下している状況では、「まともなことを言う」というモチベーション自体が低下する一方になる。情報とは、その場を取り繕うための都合のいいストーリーでしかなくなるのだ。

プーチンは国民を欺くためにフェイク情報を流させたのだが、それが巡り巡って自分の方にも返ってきているわけだ。ウソがウソを呼ぶのはロシアばかりとも限らないが、今度ばかりはそれが命取りになりかねない。

 

| | コメント (2)

2022年3月30日

キッコーマンの卓上醤油差し入り を Amazon で注文

キッコーマンの「特選丸大豆しょうゆ 卓上 150ml」を Amazon で注文した。なんで Amazon なのかというと、近くのスーパーでは売り場になかったのである。3店ほど探したが、どこも卓上サイズの醤油差し入りは、ストアブランドの安っぽいペットボトル入りしか見つからない。信じられない事態だ。

220330

私は 2006年 9月 13日付の"「醤油さし」 のグッドデザイン" という記事で、このキッコーマンの醤油さしを絶賛している。絶賛しているのはなにも私だけじゃなく、この商品は 1993年にグッドデザイン賞を受賞し、さらに「時代を作ったグッドデザイン 100選」にまで選出されている。

この記事には「我が家では、この形の醤油さしを使い初めて、既に 20年ほどになる」と書いている。それ以前は妻が「一見オシャレなデザインの醤油差し」にこだわり、いろいろ買ってきて試したのだが、どれもみな使いにくくてアウトだった。

それで業を煮やした私が強力に主張して、独身時代に愛用していたキッコーマンを復活させ、今では 36年ほどになっているのである。ところがこれほど長く使っているうちに、さすがに赤い蓋の部分の注ぎ口が、少しだけ欠けてしまった。

完全に使えない状態というわけではないが、ビミョーに垂れてしまうので、ガラス瓶の部分に乾いた痕跡がついてしまう。そこで、まさに 36年ぶりに新しいヤツを買うことにしたわけだ。

ところが、既に書き出し部分で述べたように、近くのスーパーを 3軒廻っても、売り場に見つからないのである。36年前は醤油売り場の代表的な定番商品だったのに、今はどこにもない。これには驚いてしまった。

日本のスーパー業界は、世界に誇るべきグッドデザインを捨ててしまったようなのである。これを由々しき事態と言わずに、何と言えばいいのだ。

ところが、さすがに Amazon である。しっかりと見つかったので、喜んで注文した。日本の食卓は、これがないと始まらないのだよ。キッコーマンには、いつまでも末永く提供し続けていただきたいものである。

 

| | コメント (2)

2022年3月29日

見出しの付け方って、難しいよね

東洋経済 ONLINE に ”東大生断言「頭がいい人」「そうでない人」決定的差  目の前のことを漫然と見て鵜呑みにしない」という記事がある。現役東大生である西岡壱誠さんという人の "生まれつきの才能は不要 東大「逆転合格」の作法" という連載の第 5回目のようだ。

220329

私は東大なんて受験したこともないので、別に記事の中身について関心があるわけじゃない。ただ、「ん?」と引っかかってしまったのは、「目の前のことを漫然と見て鵜呑みにしない」というサブ見出しである。

問題は、末尾の「〜にしない」という否定が、どこまでかかるのかということだ。「鵜呑みにしない」とあるのだから、「鵜呑みにしちゃいけない」というのは確実なのだが、その前の「漫然と見て」という部分までかかるのかどうかが不明確である。

まあ、文脈からみて、「漫然と見る」ことと「鵜呑みにする」ことの 2つの要素を一繋がりにして「しちゃいけない」と言ってるのだろうとは容易に解釈できる。とはいえ「確実な根拠はあるか?」と問われたら、「う〜ん、そう取るのがフツーだし」ぐらいのことしか言えない。

もしかしたら、「漫然と見る」ことまでは許すが、その見たことを「鵜呑みにしちゃったらアウトよ!」ということなのかもしれないじゃないか。少なくともこの文のみを問題にするなら、100%そうじゃないとは言い切れない。

重箱の隅を突くようなことを言っているのは自分でも重々承知だが、今回に限ってはこの程度の疑問は責められる筋合いじゃないだろう。だってこの記事そのものが、ものごとを安易に「鵜呑みにしない」ように薦めているのだから。

このサブ見出しは多分、筆者の西岡壱誠さんが自分で付けたのではなく、編集部が付けたのだろう。こうした記事の見出しって、大抵はそういうものだ。ということは、編集部の担当者が「ごめんなさい。もっと正確な言い回しをすべきでした」と言わなければならないと思う。

ただ、筆者自身も本文の 4ページ目で「目の前のことを、ただ漫然と目に入れて鵜呑みにしない」と書いているから、編集者ばかりに責任を帰すわけにいかないけどね。

そこから先の話として難しいのは、「じゃあ、どう言い換えればいいんだ?」ということだ。「目の前のことを、漫然と見るのも鵜呑みにするのもいけない」と言い換えるのはほぼ自動処理みたいなものだが、文の「質」の観点からすると冗漫すぎるものになる。

さらにはっきり言ってしまえば、これ、見出しとしてはそもそもからしてちょっと冗漫なのだよ。だからこそ、「ん?」と引っかかってしまうのだ。

ここは思い切りが必要で、くどくど言わずに「目の前のことを漫然と見過ごさない」ぐらいにしてしまえば、いっそスッキリする。うん。私としてはこれがオススメだなあ。

東大卒でもないのに、細かいところでイチャモンを付けてしまったが、見出しに関してはそういう話なので、あとのことは

Yoroshiku4

 

| | コメント (2)

2022年3月28日

"Baseball" と「野球」は、別のスポーツ

一昨日の記事で日本の野球用語について「和製英語の宝庫」なんて書いたのをきっかけに、ちょっと試しに「野球 和製英語」というキーワードでググってみたところ、出てくるわ出てくるわ、大変な数のページがヒットした。

220328

中でも面白かったのは、かの有名なアンちゃんのページ(参照)。タイトルからして「日本の野球は和製英語の宝庫です」と、私と同じ発想なのが嬉しくなってしまった。興味のある方は是非行ってみるといい。

ちなみに野球が日本で広まったのは案外古く、明治の昔に正岡子規が普及に貢献し、「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」という短歌まで残している。彼は普及の功績によって野球殿堂入りしているほどだ。

「野球」という名称も子規が訳したと巷間もっともらしく伝えられるが、実際には中馬庚(この人も野球殿堂入りしている)という人の考案である。子規が訳したのなら、上で紹介した短歌は「久方のアメリカ人のはじめにし野球は見れど飽かぬものかも」みたいに、字余りなしのドンピシャ定型になっていただろう。

中馬が「野球」という語を考案したのは、"ball in the field" (あまりプロパーな言い方じゃないよね)という言葉を元にしたとされている。さらに  "shortstop" を「遊撃手」と訳したのも彼であるという。

こうしてみると、中馬という人はずいぶん自由勝手な訳し方をしていて、ベースボール用語が野球用語に変わる時点でかなりテキトーになる発端を作ったような気さえする。

さらに戦時中の「敵性語排除」というチョー特殊事情が加わって無理矢理な訳語が増え、そして戦後にカタカナ用語が解禁になった途端に、それまでの反動みたいに、「ランニングホームラン」みたいなわけのわからない和製英語がどっと作られたんじゃないかと想像する。

というわけで野球というのは 150年も前に日本に伝えられて広く受け入れられ、間に太平洋戦争なんてものまで挟んでいるだけに、ずいぶん特殊なまでにドメスチックな発展の仕方をしてしまったようなのだ。

こう言っちゃナンだが、「野球指導者」といわれるような人にはモロに「日本のオッサン」タイプが多い気がする(新庄  BIGBOSS なんかは別ね)。高校野球の坊主頭や旧日本陸軍的な入場行進(参照 1参照 2)なんかを見ても、「アメリカン・スポーツ」というイメージからはほど遠い。

アンちゃんは紹介した記事の末尾近くで、"面白いですね!「野球」は「ベースボール」ではない、日本人のためにある日本のスポーツです!" と書いている。この点に関しても、「我が意を得たり」だ。

【付記】

「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」の「久方の」は、「光」や「天(あま、あめ)」にかかる枕詞だが、この場合は「アメリカ人」の「アメ」にかけられた洒落みたいなもの。子規は米国に関して、仰ぎ見るような素晴らしい国と捉えていたのかもしれない。

 

| | コメント (4)

2022年3月27日

ゴキブリは殺虫剤で殺すより、呼び寄せないこと

NATIONAL GEOGRAPHIC に、「殺虫剤でのゴキブリ退治はゴキブリを強くするだけ、米研究」という記事がある。市販の殺虫剤は、ゴキブリが耐性をもってしまったために効きにくくなっているというのだ。

220327

耐性を強めているのはチャバネゴキブリで、要するに最も一般的にみられるヤツらしい。「米国カリフォルニア州の集合住宅で採集したチャバネゴキブリには、よく使われている 5種類の殺虫剤に対し生き残るものがいた」というのだから、かなり始末が悪い。

ところで最近、我が家ではゴキブリを見かけることがかなり減ってきているので、ゴキブリ用殺虫剤もほとんど使わずに済んでいる。ほんのたまに見かけた時は、「ごきぶりホイホイ」みたいな捕獲タイプのものの出番だ。

我が家でゴキブリが減っているのは、残飯処理に気をつけて、流しのゴミ受けなどにたまらないようにしていることもあるが、ずっと飼い続けていた犬猫が、11年前を最後に死んでしまったこともあるだろう。

キャットフードなどを皿に出しっぱなしにしていると、ゴキブリにとって格好の餌になるようなのだ。猫が食べ残したものが夜中まで皿に残っていると、それだけで家の中はゴキブリ天国になってしまう。

この経験からして、ゴキブリを減らすには餌になるものを出しっぱなしにしないということが大切だ。とくに台所の流しは清潔にしておかなければならない。出てきたゴキブリを殺すより、そもそも呼び寄せないようにする方がずっといい。

これから暖かくなるので、せっかく減ってきたゴキブリがまた増えないように、しっかり気をつけたいところである。

 

| | コメント (4)

2022年3月26日

「コーチャーズボックス」という和製野球用語

もう 5日前(春分の日の 3月 21日)の話になるのだが、クルマを運転しながら聞いていた TBS ラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」という番組で、気になる部分があった。野球用語の「コーチャーズボックス」に関する小笠原亘アナウンサー(月曜パートナー)の説明が無茶苦茶だったことである。

220326

それは番組内の「相談は踊る」というコーナーに寄せられた、荒木正博(中日ドラゴンズのコーチ)ファンという横浜在住の方からの相談への関連で語られた。

そもそもの相談というのは、三塁コーチを務めていた荒木コーチが今シーズンから一塁コーチに変わるので、間近に見るためには、ホームチームである横浜ファンばかりの一塁側スタンドに行かなければならず、それが居心地悪いのでどうすればいいかという話である。

まあ、この問題についてはそばに置いとくことにして(来週の 28日までなら Radiko でも聞けるので、どうぞ)、野球音痴のジェーン・スーさんがこだわったのは、小笠原亘アナの「荒木コーチが、三塁側のコーチャーズボックスに・・・云々」という説明の件だ。

彼女は「コーチとコーチャーはどう違うの?」と聞いた。相手は TBS で野球の実況もしているぐらいの、いわば「専門職」なので、当然ながら簡単に答えてくれると思ったのだろう。

ところが小笠原アナは「やることは一緒。コーチがコーチャーもやる」なんてアサッテの方を向いたことを言う。スーさんは当然ながら「何言ってんだ? さっぱりわからない」と反応する。

それに対して小笠原アナはさらに、「コーチは攻撃の時はコーチャーになる」とか「コーチスボックスにいる時は、呼び名だけコーチャー」とか、アサッテどころか再来月みたいなことを言い出す。要するに、自分でもよくわかってないみたいなのだね。「専門職」なのに。

基本的なことを言えば、英語の "coach" は、名詞と動詞の両方の働きをし、名詞としては「指導者」、動詞としては「指導する」という意味を持つ。つまり名詞として使用する場合でも、ことさらに「コーチャー」なんて言う必要はない。

「コーチャーズボックス」は、まともな英語では "coach's box" なのだが、多分、カタカナにした時に「コーチスボックス」なんてのが言いにくいので、いつの間にか「コーチャーズボックス」なんて言うようになったんだろうね。

つまり「『コーチャー』はテキトーな和製英語です」と言ってしまえば済む話で、上の写真のリンク先でもそのように説明されている。要するに、単なる「雰囲気のもの」である。

ついでに言えば、日本で使われる野球用語は「雰囲気のもの度」が異常なまでに高い。「ナイター」とか「ランニングホームラン」とか「デッドボール」とか、和製英語の宝庫なので、かなり気をつけなければならない。

【付記】

この番組内でのやりとりは、来週の 27日の午前 10時頃までなら Radiko でも聞けるので、興味を持たれた方は大急ぎでどうぞ。問題の箇所は、番組開始後 1時間 10分ぐらいのところからピンポイントで聞くことができる。

また「デッドボール」に関しては、プロ野球関係者の中でも「デッボール」なんて言うオッサンが少なくない(例えば清原某とか)ので、注意が必要だ。「死球」じゃなく「借金球」(debt ball)になっちゃう。

 

| | コメント (4)

2022年3月25日

KURE 5−56 は鍵穴に使っちゃいけないんだそうだ

「ネットサーフィン見聞記」というサイトに「【使用厳禁!!】もしも鍵穴に KURE 5-56 を使ったらどうなるか?」という記事がある。潤滑油としてとても使い勝手のいい KURE 5−56 だが、鍵の廻りにくくなった鍵穴には使っちゃいけないんだそうだ。下のビデオでそのわけが詳しく述べられている。

ところで、築後 40年ほど経ってしまった我が家は、近頃あちこちガタが来始めている。中でもアルミサッシの開け閉めが重くなってしまったのは、「仕方のないこと」と諦めていた。

11年前の東日本大震災直後に、リビングルームから庭への出入り口のサッシが開かなくなってしまった。大きな揺れでサッシの構造が歪んでしまったらしい。ところがおもしろいもので、何度も余震で揺さぶられているうちに歪みが直って、前のように開け閉めできるようになった。

とはいいながら、あれからさらに 10年も経つと、さすがにこれまでになく重くなってしまい、ストレスを感じていたのである。

で、ある日ふと、これはサッシの戸の下の滑車のせいではないかと気付き、戸の下の隙間に KURE 5−56 を思いっきりスプレーしてみた。すると何とまあ、あれだけ重くなっていた戸がスルスルと開け閉めできるようになったではないか。「KURE 5−56 万歳!」である。

ところが、それから 2〜3日すると、再び開け閉めが重くなった。どうしたことかと、戸を外して見ると、滑車にドロドロのごみがこびりついているじゃないか。そこで、このごみを丹念に取り除いて再び KURE 5−56 をスプレーすると、これまでになくスムーズに動くようになった。めでたし、めでたし。

これによる教訓は、次のようなことである。

KURE 5−56 はとても優秀な潤滑オイルだが、問題部分にごみがたまっていると、そのごみがオイル分を吸収してドロドロになってしまい、さらに動きを悪くしてしまう。つまり、使う前にたまったごみを取り除くという作業が必須になるわけだ。

上で紹介したビデオの、「鍵穴に使ってはいけない」というのは、まさにこれと同じ理由によるもののようだ。鍵穴は気軽に分解してドロドロのごみを取り除くわけにいかないので、本当に注意が必要なわけだね。

 

| | コメント (2)

2022年3月24日

「雨乞い」ならぬ「晴れ乞い」で、MotoGP が成功

Gigazine に "豪雨に見舞われたロードレース世界選手権でシャーマンが「祈祷」を実施、わずか1時間で雨が止む" という本日付記事がある。オートバイ・レースの祭典、「ロードレース世界選手権(MotoGP)」のインドネシア GP で、シャーマンが「晴れ乞い」によって雨を止めたというのだ。

220324

非科学的なことの嫌いな人は一笑に付してしまうだろうけれど、私は好きだなあ、こういうニュース。

この MotoGP というのは、二輪ロードレースの最高峰で、毎年世界中で 18レースを行ってチャンピオンを決するらしいが、今年は 25年ぶりにインドネシアが舞台の一つとして選ばれた。しかし、レース当日は悪天候に見舞われてしまったのである。

そこでインドネシアの運営元は、国内でも屈指の祈祷師と誉れの高い Rara Istiani Wulandari さんを召集して「晴れ乞い」をしてもらうことにした。なんと早い決断だろうか。そして Rara さんもすぐに応じて、雨の中で祈祷のパフォーマンスを行い、それがインドネシア中に中継された。

そして彼女が祈祷を初めて 1時間のうちに雨は止み、レースは無事に開催できたというのである。。

運営元が正式に(裏でこっそりじゃないという点に注目)祈祷師に「晴れ乞い」を依頼し、当然のごとくに国内にその模様が流れたというのは、インドネシアではこうしたことがしっかりと市民権を得ていることを示している。決して「アヤシい話」なんかじゃないのだ。

さらに Rara さんは「国内でも屈指の祈祷師」として名を知られているというのだから、これはもう、立派な「文化」である。そしてその文化パフォーマンスの結果、雨はしっかりと止んだというのだから、素晴らしい話じゃないか。

このあたりのことは YouTube でもしっかりと報じられているが、なにしろインドネシア語で語られているので、時々出てくる固有名詞などの英語以外は、さっぱりわからないのが残念だ。

話は変わり、かく言う私も仲間内では「晴れ男」として有名で、私の関わる出張や野外イベントは、99%以上の確率で晴れる。私と行動をともにするカメラマンなどは、「tak さんと一緒なら、天気の心配はいらない」と、全面的に信頼してくれているというほどのものである。

だから、天気の良し悪しというのは単なる自然現象じゃない。ここでは思い切って、「いい天気というのは、祈祷やパーソナリティの力で引き寄せられるのだ」と言っておこうと思う。

ちなみに「何を非科学的な馬鹿を言っているのだ」といった類いの「まともなコメント」は、この記事に限っては「洒落の通じない、単なる無粋」ということになってしまうので、その点はくれぐれも

Yoroshiku4

| | コメント (0)

2022年3月23日

参勤交代と、東京一極集中

JAPAAAN の本日付 "参勤交代の弊害は「都会っ子」を生み出したことだった!? 昔からあった都会/田舎の軋轢" という記事を読んで、「へえ、なるほどね」と思うところがあった。日本中が「東京/江戸」を向いてしまう気風は、参勤交代の昔から養われていたのか。

220323 

「参勤交代」というシステムについては、遠い昔の教科書で習っただけなので、改めて復讐してみよう。件の記事にはこのようにある。

江戸時代に行われた参勤交代は、大名に、自国と江戸を約 1年おきに行き来させ、妻や子(世継ぎ)をいわば「人質」として江戸に住まわせるという政治システムでした。

つまり、大名は 1年おきに自分の領地の江戸を行ったり来たりするが、妻と子はずっと江戸で暮らすということである。ずっと江戸で育った子、つまり若君が、親が死んだ途端に「世継ぎ」として次の殿様になり、その時から親がやっていたように、江戸と領地を行ったり来たりすることになる。

江戸で育った若君は、田舎の空気なんて知らない。いきなりお殿様として迎えられた自分の領地なんて、言葉だって違ってるし、何となくダサく感じてしまっても不思議はない。

そんなわけで、参勤交代で再び江戸に行って 1年間暮らすのが楽しみになってしまう。何しろ、江戸の方にずっと馴染んでいるのだからしょうがない。気の毒な話である。

江戸幕府が倒れて明治維新になってからも、相変わらず東京が日本の首都として君臨したために、日本中が 400年以上にもわたって東京を向いて暮らすことになってしまった。

地方で生まれた若者たちの多くは、地元で暮らしながらもテレビで東京の雰囲気に馴染み、多くは高校を出て東京で暮らすことになる。このあたりは江戸時代の若君とは逆パターンだが、東京を向く意識が育ってしまうという点では共通してしまう。

それだけではない。江戸の昔は「若君」だけが「都会っ子」に育ってしまったが、今の世の中は日本中の多くの人間がそんなような傾向になりがちだ。なるほど、「江戸/東京」への一極集中が進むわけである。

私自身は 18歳まで生まれた庄内の地で暮らし、入った大学が地方出身者が多いと言われるワセダだったりしたもので、東京という土地には「地元意識」が持てなかった。そしてここ、つくばの地に移り住んで 40年以上経ってしまったため、遂に「都会人」にはなれないでしまっている。

そんなわけで、ブログまで「庄内」のペンネームで書いているわけだ。

自分としては「東京人」になるよりりずっと幸せなことだと思っているのだが、江戸幕府というのは、日本中の大名が「江戸」の方に地元意識を持ってしまうように仕向けたってことだ。これが 260年以上もの「太平の世」を作り出した元なのかもしれないね。

 

| | コメント (2)

2022年3月22日

電力需給が逼迫しているんだそうだ

今日の雪には本当に驚いた。予報ではつくば周辺でも「雪になる懼れがある」とのことだったが、まあ、それが当たったとしてもみぞれか、あるいは白いものがちらつく程度の話かと思っていた。あんなにまともな雪になるとは思わなかった。

2203221

その上、電力の需給が逼迫しているとやらで、政府が緊急記者会見を開き、羽生田経産省自らが節電を呼びかけるまでになっている(参照)。「このままの状況が続けば停電が起きる可能性があるとして、企業や家庭に対して午後 3時から午後 8時までもう一段の節電を強く要請」というのである。

今、午後 6時 50分。幸いにして停電は起きていない。この後、どうなるかわからないが、今のところはこうして今日のブログ記事を書いていられる。

階段の踊り場の窓から外を見ると、川向こうの家並みが上の写真のように、いつもの日暮れ時と比べてずいぶん暗く見える。普段だともっとあちこちの家の窓に明かりが灯っているのだ。今日はみんな真面目に、政府の呼びかけに応じて節電していると見える。

ただ、今日は寒い。寒すぎる。

都会のマンション暮らしなんて人たちの中には、冷暖房はエアコンしかないという人もいるはずだ。エアコンの暖房運転は電力消費が激しいから、設定温度をギリギリまで下げながら厚着で耐えなければならない。「ダウンウェア、洗濯してしまっちゃったよ」なんて人は、きっと後悔しているだろう。

春の彼岸が過ぎたとたんに妙に冷え込むことがあるというのは、毎年のお約束みたいになっているが、彼岸の翌日に雪が降ってしまうなんていうのは、ちょっと極端すぎる。本当にこのところ、天気がどんどん極端になっているのを感じてしまう。

この「妙に寒くなる」というのも、地球温暖化の現れのひとつだというからややこしい。とにかく温暖化防止のために、本気でエコ生活を心がける必要があるんだろう。

原発再稼働なんて避けたいからね。

 

| | コメント (0)

2022年3月21日

解釈がチョー難しい、ラーメンのキャッチフレーズ

近所のラーメン屋の店頭に、とても気になるキャッチフレーズの書かれた幟みたいなものが、開店当初から飾られている。「一度じゃまだまだ二度目で納得 三度食べたらやめられない」というものだ。

220321

このフレーズ、解釈がチョー難しい。個人的には「一度じゃまだまだ」という部分に引っかかりを感じて、「食ってすぐには納得できないというなら、そんなもの食べなくていいや」と思ってしまうのだ。印象的なキャッチフレーズが逆効果になって、この店には一度も入ったことがない。

ただ、見方を変えることも可能だ。「この店のラーメンの本当のおいしさを理解するには、二度は食べてみなければならない」と解釈することもできるだろう。

とはいえ、もしかしてそれほどまでに奥深く玄妙な味だったとしても「三度食べたらやめられない」というのが、またわからない。「そんな面倒なことになってしまうんだったら、三度までは決して食べたくない」と思ってしまってもおかしくなかろう。

私としてはさらに、数年前に肉食を止めてしまったので、チャーシューが付きもののラーメンからはずっと遠離っている。ということは、この店に入ってラーメンを食う機会は一生ないということだ。ましてや「三度食べたらやめられない」という経験をする可能性もゼロである。

というわけで、この不思議なキャッチフレーズで表現されるラーメンがどんなものかは、全然わからないのである。いずれにしてもこのフレーズ、「わからな過ぎ」だ。

 

| | コメント (4)

2022年3月20日

「定型文の緊急電報廃止」というニュースについて

一昨日あたりからウチのブログで 5年近くも前に書いた「緊急電報の夜間受け付け廃止」(2017年 9月 25日付)という記事に妙にアクセスが集まっていたので、一体どういうことかと調べてみたところ、来年 1月に定型文の緊急電報が廃止されるとの発表が、今月 18日にあった(参照)とわかった。

220320

つい最近のニュースをきっかけに、「緊急電報/廃止」といったキーワードでググる人が多かったんだろう。ただ、たまたま私の記事をクリックして読みに来た人の中には、戸惑いを感じてしまった人がいたかも知れない。

5年前の日付に気付かないまま読んだ人は、ただ「なんとなくもやもや」しただけだったろうが、日付に気付いた人の中には、「ありゃ、これって 5年も前の話だったのか?」なんて驚いてしまった人もいただろう。

というわけで余計な混乱を避けるために、5年前の記事には昨日付で次のような「追記」をしておいた。

この記事は「緊急時の定型電報」の「夜間受け付け廃止」に関するものだが、さらに 23年 1月からは「定型電報そのもの」を廃止することになったようだ。

つまり NTT 東日本と西日本は、定型電報の完全な廃止に至るまで 5年間もの「猶予期間」をおいたことになる。何とまあ慎重なことだ。

5年前の情報では、「緊急電報」は平均すると、「1日当たり 190通ぐらい」あったということになっている。電話だけでなくケータイも普及していた世の中で、「そんなにあったのか!」と驚いた憶えがある。

ところが上で紹介した毎日新聞の記事によれば、2020年の「定型電報」は、年間で 190通だったという。定型電報はほぼ緊急電報なのだろうから、 ということは、5年前の 360分の 1、つまり 2日に 1通ぐらいまで激減したわけで、現在はさらに減っているだろう。

今となっては「定型電報」を廃止するぐらいでは取り立てて大きな影響はない。そもそも「当日配達」の緊急電報の受付は、現在は午後 7時までだが、来年からは午後 2時までになり、それに遅れると「翌日配達」になるというのだから、そもそも「緊急電報」にならないし。

「わしゃ、ケータイなんて絶対に持たん」と意地を張っているような天然記念物的頑固じいさんでも、「家電」(「イエデン」ね)ぐらいは持ってるだろうし、それすら持ってない人には、そもそも「緊急電報」なんて送っても、あまり意味があるとも思われない。「喪中葉書」で十分だろう。

時代はさりげなく変わる。

 

| | コメント (0)

2022年3月19日

「高級食パン」と「情報」に関するお話

東洋経済 ONLINE に ”平気で「食パン」を買う人が知らない超残念な真実  「しっとり」「甘くておいしい」本当の理由は?” という 3月 17日付の記事がある。

220319

40年以上にわたって天然酵母使用の自家製パンを食べ続けている(参照 1参照 2)ウチでは、この記事にある「超残念な真実」なんてとっくに知っている。「高級パン」とやらの「しっとり感」はマーガリンを、「甘さ」は糖分を、それぞれたっぷり使って出されているだけで、健康にいいわけがない。

私はそれよりむしろ、”平気で「食パン」を買う人” ってどんな人なのかを知るために、この記事を読んでみたくなったのである。すると、こんなようなことが書いてある。

私が不思議で仕方がないのは、「ご飯は糖質が多いから」「和食は砂糖を使うから」といって避けるのに、高級食パンは並んでまで買って喜んで食べるという、その消費者行動・消費者心理です。

(中略)

「朝は忙しいから、食パンが便利なんだよ」と言う人もいるでしょうが、その場合は、それによって、大人も子どもも「隠れ油分」「隠れ糖分」を同時に摂取しがちなことを、よく「知って」食べてほしいのです。「便利さ」「手軽さ」を追求することには、「メリット」だけでなく「デメリット」もたくさんある、ということです。

なるほど、太らないために糖質を含む和食を避けたり、忙しい朝は食パンがいいと言ったりしながら、知らず知らずのうちに糖分、油分をたっぷり摂取することには無頓着な人がかなりいるということだ。そうした人たちが、並んでまで高級食パンを買うのだから、「情報不足」というのはコワい。

今、ウクライナに攻め入っているロシアの国内では、まともな情報がほとんど流されておらず、多くのロシア人はウクライナで虐待されている同胞を救うための派兵なのだと信じているという。ロシア政府による「情報操作」の産物だ。

ただ、こうした政治的な「情報操作」には腹を立てても、自分の口に入る食べ物に関する情報不足にはあまり気付いていない人たちが、喜んで高い金を出して不健康なパンを買っているというわけなのだね。

まさに、生きていく上で重要なのは「まともな情報」である。

 

| | コメント (10)

2022年3月18日

地震体験と「苦労自慢」の共通点

昨日の記事の冒頭でもちらりと触れたが、一昨日夜の地震は身の危険まで感じるほどのシリアスな揺れだったのに、日本気象協会の公式発表では、つくば周辺は「震度 4」となっていて(参照)、「いやいや、そんな程度の揺れじゃなかった気がするけどなあ」と拍子抜けしてしまった。

220318

この辺りは結構な地震多発地域で、「震度 4」程度の揺れには「慣れっこ」になっているのだが、一昨日の夜は一瞬ならず「こりゃ、ヤバいかも!」と思ってしまった。

もしかしたら、寝入りばなで部屋が真っ暗だったことと揺れの時間がやたら長かったことで、体感的な印象がやや増幅されてしまったのかもしれないが、いずれにしても「いつものフツーの震度 4」とはレベルが違っていた。

そう感じたのは私だけではないようで、近所の人たちも一様に同じようなことを言っていた。中には「ありゃどう見ても『震度 5強』だろう。『震度 4』なんてのは、国が俺たちを見くびってるってことだよ」なんて息巻くジイさんもいて、「そこまで言うか」と思ってしまったが。

いずれにしても多くの人が「震度 4ではしっくりこない」と感じていたのは、人間心理の面白さだと思う。怖い目にあったら、その後はその「怖い目」を最大限に評価してもらわないと気が済まないのだ。だから、「震度 4 程度で済んでよかったね」とはなりにくい。

これには「あれだけ怖い思いをしたんだから、この程度の評価では割に合わない」とか「あの大きな揺れに耐えたんだから、それなりの数字で報いるべきだ」みたいな、理窟を越えた「情念的」なものがありそうな気がする。

これって、いわゆる「苦労自慢」や「不幸自慢」と共通する心理なんじゃなかろうか。大抵の人は大きなは苦労はしたくないと思っているのに、過ぎ去った苦労については、ことさら大きなものとして印象付けてしまいがちだ。

「俺は若い頃、こんなに苦労したんだ」みたいな話を得々と語りたがる人は、一昨日の地震も「危うく死ぬところだった」ぐらいに膨らませて言いふらせば、気が晴れて精神衛生にはいいかもしれない。

ただ、いずれにしても今回の地震で実際に被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申しあげる。決して他人事ではないので。

 

| | コメント (2)

2022年3月17日

"Today's Crack" 20周年

昨夜の地震は気象庁発表によれば、つくば周辺は「震度 4」とのことだが、実感としてはそんなもんじゃなく、かなりシリアスにアセった。あるいは寝入りばなだったことと、揺れの時間がやたらと長かったことのせいで、体感が増幅されたのかなあ。

220317x

さて、話は変わって私事で恐縮だが、この Today's Crack を開始して今日が 20年目となる。上の画像は、本宅サイトの『知のヴァーリトゥード』で日替わりエッセイを開始したその最初の 5日間の記事である。(リンク先に飛ぶと最初の 3ヶ月余りの記事が縦長に表示され、その一番下になる)

これらの初期の記事は一昨年の冬にこちらに移植したので、今は下のように、このブログの最初の記事(参照)として見ることができる。その前ページの「おぎゃあ、本日この世に生まれ落ちた」というのは、一昨年のエイプリル・フールのジョーク・ネタ(参照)なので、気にせずお見逃しいただきたい。

20211225

始めた当初はせいぜい 5〜6行の「ひとくち日記」みたいなものだったのだが、だんだん長くなり、さらに「ほぼ毎日更新」を謳っていたのが、2003年 12月 26日からは「正真正銘の毎日更新」になった。

始めてから 20年を経過した今、このブログも「成人年齢」に達した(今年 4月からは 18歳で成人だそうだが、まだ 3月なので)ことになる。今後は、多少は大人の記事を書きたいと思っているので、どうぞ

Yoroshiku4

 

| | コメント (4)

2022年3月16日

「減酒」には「忘酒」するぐらいになるのが一番

HUFFPOST に「お酒をやめたい、減らしたい。何をすればいい? 減酒中の記者が、専門医に聞いてみた」という記事がある。生田綾さんという記者が、毎日酒を飲む生活から脱すべく、「飲まない日」をつくることを意識して「減酒」しているのだそうだ。

220316

この「減酒」という言葉だが、長年使っている日本語入力システムの ATOK では「げんしゅ」で変換できなかった。「減る」と書いてから「る」を削除し、「酒」と入力しなければならなかったので、改めて単語登録したほどである。

ググってみると、大塚製薬が「減酒.jp」というサイトをやっていて、NHK も 2020年 12月 16日の「Nラジ」で "酒をやめられない人に… 「減酒」のススメ" という特集を組んでいる。どうやらこの頃から「減酒」という言葉が市民権を得てきたもののようだ。

この方面の言葉では、「禁酒」「断酒」「節酒」というのが一般的に使われてきたが、これに「減酒」というのが一枚加わったわけだ。

この記事の筆者は、これに関して次のように書いている。

減酒にチャレンジして実感したのは、飲酒を自分でコントロールできるようになるのは想像以上に難しい、ということです。それまで飲むことが当たり前の生活を送っていたため、1日のご褒美として晩酌ができないことにどうしても物足りなさを感じてしまいます。

ちなみに私自身は、15年以上前までは毎日のように酒を飲んでいて、このブログも酒を飲みながら書いていたほどだが、いつのまにか自然に酒が減ってきて、最近ではほとんど飲まなくなってしまった。決して「禁酒」しているわけではなく、敢えて言うなら「忘酒」いうのが相応しいと思う。

いつ頃からこんな感じになったのか、自分の過去ログを調べると、2013年 3月 25日の "世の中の「酒離れ」の最先端を走る" という記事が見つかった。4泊 5日の出張で、初日の夜に飲むために買った缶チューハイを、4泊目の夜まで飲み忘れていたという話である。

というわけで、無理に意識して「減酒」するよりも、自然に「忘酒」してしまうというのが、一番始末がいいようだ。

 

| | コメント (0)

2022年3月15日

ロシア人とマック

FNN プライムオンラインが「ロシア マック最終日に大勢の客 ユニクロも混雑続く」というニュースを伝えている。リンク先に飛ぶと、FNN ニュースの動画を見ることができる。

220315

今月 13日は、ロシアでの営業停止を決めたマクドナルドの最後の営業日だった。ニュースの画面を見ると閉店を惜しむ大勢の客が訪れていて、中にはまるで正式のディナーみたいにテーブルクロスを敷いてワインを用意し、ナイフとフォークを使ってマックを食べる客までいる。

何だかんだ言いながら、ロシア人もマックが好きなのだね。しかも、結構なご馳走扱いしてもいいぐらいな思い入れがあるみたいなのだから、驚いてしまう。

私は最近、肉を食わないことにしているので、当然ながらマックもずっとご無沙汰で、多分 10年以上食べたことがないと思う。それ以前にしても、1年に 1度食うか食わないかという頻度だった。別に食べたいと思わないのだから、食べなくて済む。

ただ、ロシア人にとってのマックというのは、「単なるファーストフード」以上の意味をもっているようだ。西側の自由な世界の象徴でもあるのだろう。

私が山形県の酒田市で暮らしていた高校時代、ロシアは「ソ連」の時代だったが、貿易港である酒田港には度々ソ連船が入港していた。するとロシア人たちが酒田の街に繰り出してきて、いろいろな買い物をしていたものである。帰国したら物資不足で、まともなものが買えなかったようなのだ。

高校を卒業してからのことだが、2019年 9月 21日の記事に書いたようなこともあったので、よろしければ参照いただきたい。

ソ連が崩壊してロシアとなり、ついにマックが食べられるようにまでなっていたわけだが、それも長くは続かなかった。営業最終日に正装してマックを食べていた人たちは、もしかしたら「プーチンへの抗議」をそれとなく示していたのかもしれない。

 

| | コメント (2)

2022年3月14日

何枚も重ねた棟瓦にシャチホコまで立てて

「棟瓦(むねがわら)」というものをご存知だろうか? 私は 40年ちょっと前、自分の家を持つことになった時に初めてこの言葉を知った。基本的に建売住宅だが、まだ工事に入っていない今なら、細部は注文主が指定できるということだったのだ。

220314

話が進んでかなり佳境に入ったとき、不動産屋の担当者が「ところで、棟瓦は何枚重ねます?」と聞いてきた。

こちらは何のことだかわからず、「はぁ?」としか言えずにいると、先方は「屋根の棟に重ねる瓦のことです」と説明してくれた。こちらはご大層な屋根にしたくなんかないから、「瓦じゃなくて、シンプルなスレート葺きにしてください」と頼み、今の我が家の屋根のイメージが確定したのである。

そんなこともあって、改めてこのつくばの里に昔から住んでいる人たちの家を眺めると、かなりご大層な造りが目立つ。まるでお城みたいな屋根が多いのだ。

上の写真は Wikipedia の「棟」の項目にあった広島城の屋根の写真をお借りしているのだが、てっぺんに重なって高くなっているのが「棟瓦」である。城だから、シャチホコまで立っている。

そしてこの辺の家も、お城でもないのにこんな感じの屋根が多いのである。というか、この広島城の棟瓦よりも高く積み重ねている家がいくらでもある。さらに、お城でもないのにシャチホコまで立てている家も珍しくないのだよ。

「すごいなあ!」と思ってしまう。何としてでも自分の家を重厚で貫禄たっぷりに見せたいのだろう。そんな需要が多いから、不動産屋の担当者も「棟瓦は何枚重ねます?」なんて聞いてきたわけだ。

さらに玄関ドアのデザインを選ぶ段になり、先方の薦める重厚すぎるほどのデザイン過剰なサンプル写真をどんどん飛ばして、最後に残った一番シンプルなのを指さすと、向こうは「本当にこれでいいんですか?」と驚く。「勝手口と間違えられてしまいますよ」と言うのだ。

「いえいえ、ウチはこれで十分です。あんまりご大層だと、自分で気持ち悪くなっちゃう」

そんなわけで、今の簡素な玄関ドアに落ちつき、さらに外装から内装の壁紙やフローリングに至るまでどんどん「デザイン過剰の成金趣味」を避けたものに決めていったら、結果として当初の予定価格よりずいぶん安上がりで済んだのだからありがたい。おかげでずっと気楽に暮らしてこれた。

そして最近になって、都内辺りから引っ越してくる若いカップルの建てる家を見ていると、我々夫婦が 40年前に指定したようなシンプルなイメージの家が多い。今や、周囲を威圧するような押し出しの強い家に住む時代じゃないのだ。

こうして見ると我々は、家のデザインに関してはずいぶん時代を先取りしていたようなのである。

 

| | コメント (0)

2022年3月13日

”Tatoes" という言葉の意味がやっとわかった!

知ってる人はとっくに知ってて「何を今さら」と言われてしまいそうだが、私にとって半世紀以上にわたる謎だったことが、今日ようやく解けた。それは "tatoes" という英単語の意味である。これまでは辞書を引いても出てこなくて、どうにもわからなかったのだ。

この言葉は ”Carry Me Back to Old Virginny" (邦題:『懐かしのバージニア』という米国の歌の、出だしから 2行目に出てくる。こんな感じだ。

Carry me back to old Virginny.
There's where the cotton and the corn and tatoes grow.

直訳すれば「俺を懐かしのバージニアに連れ戻してくれ。コットン、トウモロコシ、そして tatoes の育つ所に」となる。この "tatoes" というのが手に負えず、長い間「テイトウ」というわけのわからない特産品があるんだろうぐらいに思っていた。

それがインターネットの時代の今、ネット辞書の Weblio で見つかった。こんな具合である。(決して こちら の方ではない。念のため)

2203132

何だ、"potatoes" (「ジャガイモ」の複数形)の古風な口語だったのか。「わからない特産品」だなんて思っていたのは、見当外れもいいところだった。

で、この際だからとよく調べてみたところ、この歌は元々は黒人奴隷の歌とわかった。

上の動画の Ray Charles バージョンでは ”There's where this heart of mine long to go." (俺の心がどうしても行きたい所)となっている部分、元は "There's where this old darkey's heart..." (黒い俺の心が・・・)だったらしい。そうとはちっとも知らなかった。

歌詞に出てくる英語でもう 1つわからなかったのは、サビの部分に出てくる "massa" という言葉だ。こんな感じである。

Theres Where I labored so hard for old Massa.
(俺が "old massa" のために重労働していた所)

この "massa" は "master" (主人)の訛りで、雇い主の白人ことであるらしい。そしてこの言葉も、Ray Charles のバージョンには出てこない。ちなみに、Louis Armstrong は "for old master" と歌っている。

ここまで来ると、この歌のいろいろなバージョンをこれまでよりずっと深く聞くことができそうだ。

【同日追記】

いろいろなバージョンをあたってみた。まず、Jerry Lee Lewis のロックンロール版。

あとはスタンダードなバージョンとクラシック調のものも。

| | コメント (4)

2022年3月12日

留学と海外出張

Q&A サイトの Quoraに、「留学をして英語が話せるようになる人とならない人には、どのような違いがありますか?」という質問が寄せられている。

2203122

確かに「米国への留学経験がある」なんて言ってるくせに英語が下手っぴいな人って、少なくない。ここで某元首相の名を持ち出す必要もないだろうけど。

私なんかそんなに裕福な家庭で育ったわけじゃないので、自分が留学するなんてことは一度も考えたことがない。夢のまた夢みたいに思っていたものだ。

ところが、「米国に 2年間留学してた」なんていう「留学経験者」の英語を聞くと、「あんた、その程度の英語力で『留学経験がある』なんて、よくまあ恥ずかしげもなく言えるよね」なんて言いたくなることが結構多い(実際には言わないけどね)。はっきり言って、投資効率悪すぎじゃなかろうか。

これに関して、冒頭の Quora のサイトで英語講師の Nicky Sekino さんは、「私の経験からいうと、留学をしてもあまり英語が話せる様にはなりません」と明確に答えておられる。私は経験がないから「へえ、そうなんだ!」と思うばかりだ。

彼によればフツーの留学生活というのは、授業に出てアパートに帰り、予習復習をするだけなんだそうだ。たまにコンビニで買い物をして、店員に "Hi" と声を掛けられ、精算し終えて ”Thank you." と言うだけでは、せっかく外国で暮らしながら、会話の機会が圧倒的に少なすぎる。

英語が上達する人というのは、学校以外に生活のある人だという。キャンパスの食堂でアルバイトをすると、ボーッとしているわけにいかないので英語がメキメキ上達すると彼は指摘する。

なんだ、私は留学というのは、そんなように積極的に現地社会に入り込み、交流をもちまくるためにするのだとばかり思っていたが、そうじゃなかったのか。単に「留学のための留学」というのでは、語学的ハンディの中でよくわからない授業を受けて帰るだけで終わってしまうだろう。

元日本語教師の Hide Noguchi さんという方は、「性格的には『話し好き』で、好奇心があって、いろいろと話したいことをたくさんもってることが大切」と答えておられる。日本人には自分の意見をはっきりと言う人が少ないので、「日本人をやめる必要がある」とまでおっしゃっている。なるほどね。

私は留学の経験はないが、海外出張の経験だけは結構ある。海外での国際的トレードショー(展示会)の取材をする時などは、そうした展示会視察の団体ツァーに潜り込んで経費を浮かすことがあるのだが、そんな場合は一緒に行った日本人とはできるだけ距離を置くことにしていた。

そうしないと、「彼は英語がしゃべれるから頼りになる」なんて思われて付きまとわれてしまい、仕事にならなくなるからである。現場で外国人の話を聞くために出張しているのに、日本人とメシ食ってばかりいなければならなくなってしまったら、お笑い草としか言いようがない。

あげくの果てに、仕事上でつながりのあるオッサンの「出張報告書」まで代筆してやらなければならなくなる。オッサン、出張先では日本料理店でメシ食って酒飲んで、あとは奥さんへの土産用のブランド品と会社の同僚へのどうでもいい買い物してるだけだから、まともな出張報告が書けるわけない。

まあ、こうやって「貸し」を作っておけば、後になって別の形で返ってくるからいいけど。

ただ、せっかく外国に行って一緒に行った日本人としか付き合わずに帰ってくるなんて、もったいないと思わないんだろうか? もしかしたら、留学ってこうした海外出張と似た構造をもってるのかもしれない。

せっかく行ったのに、現地の空気をまともに吸わずに帰って来るという意味で。

 

| | コメント (0)

2022年3月11日

地球温暖化防止と省エネ

今日は 3月 11日。忘れようとて忘れられない東日本大震災から 11年目である。ラジオも(テレビはほとんど見ないので、わからない)一日中大震災特集の様相だった。

220311

ところで、我が家はこの震災から 2年間、真夏もエアコンを付けずに乗り越えた。福島で震災による原発事故があったばかりだというのに、政府が「夏にエアコンを使うためには原発が必要」みたいなことを言い出すので、「だったら、エアコンなんて使わんわ!」とケツをまくったのである。

その間のこのブログの関連記事は以下の通りである。

エアコンを使わない夏(2011年 6月 28日)
エアコンを使わない夏 2 (同年 7月 8日)
エアコンを使わない夏 3(同年 7月 10日)
エアコンを使わない夏 4 (同年 7月 11日)
節電の必要はないなんて言ってるけど (エアコンを使わない夏 5) (同年 7月 20日)

やればできる 「エアコンなしの生活」(2012年 8月 23日)

2年振りにエアコンを稼働させてしまった (2013年 7月 12日)

2011年のエアコン関連の記事が多いのは、何だか知らないがエアコンを使わないことの是非をめぐるコメントが付いてしまって、あまり意味のない議論になってしまったりしたためだ。ただ、いくら妙な議論になっても私は「エアコン、使わなきゃいいんだろ、使わなきゃ!」と暑さに耐えていたわけだ。

で、結果的には 2年間はエアコンなしで済んでしまったのである。やればやれるものだ。ところが、2013年 7月 12日にあまりの暑さに負けてしまって、2年ぶりでエアコンのスイッチを入れてしまったのである。まあ、この頃には電力供給も安定していたから、それを免罪符にしたのである。

それからというもの、毎年暑くなると控えめにではあるが、エアコンを使っている。2011年、12年と、エアコンなしで済ませられたのは、あれは一体何だったんだろう?

で、最近考えているのは、「多くの人が省エネすると、猛暑になりにくいのではないか」という試論である。明確な科学的根拠があるわけではないが、これって、あり得るのじゃなかろうか。

多くのビルや家庭でエアコンを使いまくると、大気中に廃熱が発散される。すると気温への影響がなくはないだろう。ところが、2011年から 2年間は、政府の呼びかけに答えて多くの人たちが省エネを行った。それで廃熱による気温上昇が比較的控えめになり、エアコンなしで耐えられたんじゃなかろうか。

上の写真クリックでリンクされるのは、「省エネルギーとは?必要性や未来のために私たちができることを解説」というページである。

ここ数年の「酷暑」は、地球温暖化が一段と進んだためとみて間違いないだろうが、私は多くの人が省エネに取り組むことで、この流れに少しでもブレーキをかけることができると思っている。

 

| | コメント (6)

2022年3月10日

ユニクロがロシアでの営業を停止するというので

時事ドットコムの本日付ニュースによると、ファーストリテイリングがロシアでのユニクロ事業を停止すると発表したのだそうだ(参照)。2日前の 8日には「ファーストリテ、ロシアで営業継続」と報じられていたばかりだったので、「ユニクロ、正気を取り戻したか」という印象だ。

220310

2日前の記事は、ファーストリテーリング広報の「衣服は生活必需品」というコメントもあって、同国の市民生活に配慮すると読み取れた。ただ記事末尾で「今後の営業については、状況を注視して判断する」とされていたので、たった 2日で判断をドラスティックに変えたことがわかる。

ロシアでは情報統制が厳しく、国民の多くが自分の国が世界でどう見られているかを知らないままのようだ。そうした中で、ユニクロの事業停止という事実が突きつけられるというのは、案外インパクトがあるような気がする。

「ありゃ、ユニクロが買えなくなってしまった」と気付くことが、「我が国、実はヤバい状況にあるんじゃなかろうか」と薄々感じられる契機になるんじゃなかろうか。

日立や三菱電機の製品が買えなくなることよりも、ユニクロの事業停止は市民レベルで大きな意味をもつかもしれない。

 

| | コメント (4)

2022年3月 9日

デスクの周囲は結構な「たこ足配線」だが

私が書斎にしている部屋には壁の 3か所にコンセントがあり、1か所に 2つのコンセントがあるから、合計 6つだ。ただ、1か所は反対側の壁に離れているので、2か所、4つのコンセントから、デスクワークに必要な電源をすべて取っている。

220309

上の写真は週刊アスキーのサイトの「タコ足配線の対策について。PC周りの火事が心配です」という Q&A のページだが、私の部屋はいくら何でもこんな極端なことにはなっていない。長いコードの先に口がたくさんついたテーブルタップを 4本使って、なんとかやりくりしている。

で、自分のデスク廻りの電気器具、電子機器はどのくらいあるのか、改めて数えてみると、こんな具合だった。

系統  機器  詳細
A PC 2 デスクトップ Mac と MacBook Air
モデム 1  
ルーター 1  
USB ハブ 2 スマホ、マウスなどの充電用
B 卓上照明 2  
エアコン 1  
C プリンター 2 モノクロ・レーザーとインクジェット
電話機 1 単機能型
コーヒーメーカー 1  
D ファンヒーター 1  
扇風機 1  

合わせて 15台にもなり、結構な数である。これらを 4系統のテーブルタップに分けて「たこ足配線」にしていて、最大の A系統には 6台の機器が群がっていることになる。

それぞれの系統にさほど大きな電力消費を課しているわけではないから、発熱などの心配はないはずだ。最大の電力を消費するエアコンは、卓上照明 2台(いずれも LED)と共存させているだけなので、まずは大丈夫だろう。

それにしても今どきのデスクワークというのは、ずいぶんたくさんのコンセントを必要としているものだね。

 

| | コメント (2)

2022年3月 8日

「ハイブリットワーク」が本格化してるんだそうだ

「現代ビジネス」のサイトに「ハイブリットワーク本格化!  改めて準備しておきたいサイバーセキュリティ対策セミナー」という、今年 2月 15日付の告知記事がある。セミナーは今月 29日にオンラインで開かれるのだそうだ。

220308 

私としては見出しの「ハイブリッワーク」というのがずっと気にかかっているのだが、半月以上もそのまんまなので、ある意味スゴい。ちなみに記事本文ではちゃんと「ハイブリッワーク」と表記されている。念のために言えば、 ”hybrid work" は英語圏でも新語的に使われてはいるようだ。

この見出しを付けたのは、記事本文を書いた記者とは別の編集者なのだろうから、記者は「私は間違ってないからね!」と言い張ればいい。ただ、こっそりと「見出し、訂正しといて」と連絡すればよかったのにね。記事を書きっぱなしで、ネット上での確認なんてしてないとしか思われない。

さらにサブ見出しの「プレゼンの神澤円氏登壇」というのは、プレゼン上手の「神澤円」(かみさわまどか?)という人が講師を勤めるのかと思ったが、そうではなく、「プレゼンの神」であらせられて、その御名を「澤円」とおっしゃる先生が基調講演をされるのだそうだ。

 22030823

(この写真は現代ビジネスの告知ページより拝借)

だったら「プレゼンの神澤円氏登壇」と、読点入りで表記してもらいたかったなあ。さらに言えば、仮にも「神」と称するなら、「一段下から」というニュアンスの「登壇」という語は避けて、いっそ「降臨」とすべきだったかも。これも見出しの問題だから、記者は「私は関知しない!」で済むけど。

このセミナー、「参加費 無料」の「募集人数 500名」で、申込みはまだ締め切られていないみたいなのだが、私は聞くつもりがないので、あとは

Yoroshiku4

【同日 追記】

ここまで来てしまったからには、あとは当日の講師の誰かがつい「ハイブリッワーク」なんて口走ってしまわないように祈るだけだろう。

世の中にはこんなページもあるから、いろんな意味で他人事じゃなく気をつけようね。(画像のクリックで飛べる)

2203083

| | コメント (6)

2022年3月 7日

ウチのブログの「人気記事」というもの

このブログでは右のサイドバーのかなり下の方に「人気記事ランキング」というのが表示されるようになっていて、ここ最近アクセスの多い記事が紹介されている。

220307

このランキングでは昨日の午後辺りから、"日本の人混みが苦手" という、書いた当人でさえ忘れてしまっていたような 9年半も前の記事がトップに躍り出たので驚いている。一体どこからのリンクなんだか、さっぱりわからない。

もしかしたら、世の中ではコロナ・ウィルスの感染防止のために人混みを避ける傾向が強いので、そんなようなキーワードで検索した結果としてアクセスが集まっているのかもしれない。それにしても「人混みを避ける」なんてのは、一昨年からの傾向だから、昨日から急にというのも解せない。

いずれにしてももしコロナ禍関連のことでググったのだとしたら、記事の中身は全然別の話なので、アクセスした人は「何じゃこりゃ?」なんて思っているだろう。

ただ、比較文化論的な話として我ながらちょっとおもしろい記事だと思うので、よろしければクリックして読んでいただきたい。ほんのちょっと長めだけど、米国在住の emi さんが「これ、一時帰国あるあるです」というコメントもしてくれているしね。

一方、2位と 3位はごく最近の記事なので上位にランクされて当然だが、妙なのは 4位の "「生花」と書いて「せいか」と読むか「なまばな」と読むか" というやつだ。

これ、ずっと長期にわたってこのブログの人気記事の一つになっているのだが、何がおもしろくてこんなことになっているのか見当も付かない。斬新な内容でもなんでもないので、よほど時間の余裕があるのでもなければ、別に今さら読んでいただかなくても一向に構わない。

それは 5位の ”スーパー「ロピア」の CM ソングがほとんど魔法の呪文” にしても同様で、書いた本人としては、「ウチのブログ、ちょっと探せばもっと面白い記事がいくらでもあるんだけどなあ」なんて思ってしまう。このあたり、なかなか不思議なものである。

書いた自分がオススメしたい記事と、他人がついアクセスしたくなってしまう記事というのは、あまり関連がないみたいなのだね。だから世の中、おもしろいんだろうけど。

 

| | コメント (0)

2022年3月 6日

AERA が報じるアパホテルのスキャンダル

AERA dot. が昨日付で 「アパホテルがコロナ宿泊療養者の食事代 ”中抜き” 認める  苦情が相次ぎ行政指導も」という記事を載せている。

220306

このニュース、詳しくは朝日新聞系の AERA dot. でしか報じられていない印象なので、一応「アパホテル 中抜き」という 2つのキーワードで Google のニュース検索をしてみたが、やはりやはりこの印象は間違っていないようだ。朝日、アパホテルがよっぽど嫌いみたいなのである。

それを言ったら、かく言う私もアパホテルはあまり好きじゃない。最近はコロナ禍のせいで減っているが、その前までは月に平均 2回は出張して日本の全都道府県で一泊以上しており、メジャーなビジネスホテルチェーンは大抵お馴染みなのだが、アパホテルはできるだけ避けている。

このことに関しては、次の 2本の過去記事を読んでいただければおわかりいただけると思う。

APA ホテルの印象 (2017年 1月 20日付)
「なんだかなあ感」漂った APA ホテルの一夜 (2021年 7月 8日付)

2017年 1月の記事を書いたきっかけは、このホテルの客室に「南京大虐殺を否定する本」が置かれていることが中国の SNS で批判されたことをきっかけに炎上し、このホテルのサイトがハッキングされるという事態になったことだ。まあ、そんなこともあって、朝日系がこのホテルを嫌うのもわかる。

「食事代中抜き」という話が注目されたのは、「コロナ療養ホテル」となっている大阪の 2つのアパ系列のホテルで昼食にカレーが出されたのがきっかけらしい。

そもそも喉に痛みのあることが多いコロナ療養者に食べさせるのに刺激のあるカレーというのは、ちょっと考え物だよね。しかもこのカレーが疑惑の根源(詳細は AERA の記事にある)のようで、こんなような「キモいメッセージ」まで残っているというのだから、悪いけど笑ってしまった。

2203062

というわけで自らの精神衛生のためにも、さらに徹底してこのホテルを避けようと思った次第である。ついでに「アパ社長カレー」とやらも。

 

| | コメント (5)

2022年3月 5日

世界は「プーチン一人を悪者にする」ことを望んでいる

New York Times 日本版が 昨日付の "3日食事なく「俺たちは捨て駒」と嘆き...補給を絶たれた前線のロシア兵の映像" という記事で、ウクライナ前線のロシア兵の窮状を伝えている。

220305

この記事は、ロシア兵によって YouTube に投稿された「意気消沈するロシア兵たち」というタイトルの動画を紹介している。彼らは荒れ果てた街外れのようなところで所在なげにうろうろしているほかないようで、食糧補給も途絶え、3日間何も食べていないという。

記事には次のようにある。

「我々は、国境を越えるための迎えを待っている。連れて帰ってくれる、と3日間にわたって言われ続けてきたのだが、誰も連れて帰ってくれない」と、動画の中でロシア兵は語る。

(中略)動画のなかで撮影者は、「自分たちの足はずぶぬれ」で、「どうしたらいいかわからない」と話している。

どうやらロシア軍兵士たちの士気はかなり下がっているようだ。

さらにその前日には、"ロシア軍「衝撃の弱さ」と核使用の恐怖──戦略の練り直しを迫られるアメリカ" という記事まであり、冒頭はこんな具合に始まっている。

<ウクライナ侵攻の最初の3日間でわかったことは、ロシア軍が西側の脅威にはなりえないほど弱かったことだ。しかしそれは同時に、プーチンを追い詰め過ぎると本当に核兵器を使いかねない恐怖と隣り合わせになったということだ>

戦闘開始からわずか 1日でロシアの地上軍は勢いを失ったが、それは物資の補給がままならないだけでなく、軍の訓練や指導が不十分だったことにもよるとされる。ロシア軍は戦争を始めるにはもろに準備不足だったわけで、プーチンはそれをまったく認識していなかったようだ。記事は次のように続く。

プーチンは核兵器を使う可能性をちらつかせて脅したが、これはロシア軍の通常戦力が地上における迅速な侵攻に失敗したからこその反応だと、アメリカの軍事専門家は指摘する。

プーチンは国外から大きな批判を浴びているだけでなく、国内でも信頼を失いかけて、袋小路に追い詰められているようなのだ。この状況を打開するために核兵器を使うとしたら、それは愚かすぎる選択になる。

ここまでくると世界は、「プーチン一人を悪者にする」ことで決着を望んでいるようなのである。米国としても、彼を上手に抹殺した上で次の指導者を手なずけるというのが最高のストーリーになる。

要するにプーチンは、とんでもない誤りをおかしてしまったわけだ。

 

| | コメント (2)

2022年3月 4日

3回目のワクチン接種翌日の体調報告

昨日の午後 4時、コロナ・ワクチンの 3度目の接種を受けた。前 2回がファイザーで、今回はモデルナだったのだが、このパターン、先月 19日の記事でも書いたように、副反応がキツいともっぱらの評判である。

220304

というわけで、私としてもある程度の覚悟をして受けたのだが、あれから 21時間以上経過して午後 1時を過ぎても、とくに体調の変化はない。私より 7時間先に受けて、ということは既に 1日半以上経過した妻も、「全然平気よ」と言っている。

ただ、2人とも注射された左腕が少しだけ痛いような気はしている。とはいえ、痛さだけで言ったら 2回目の接種後の方がずっとひどかった。夜寝るときも、左側を下にできなかったほどだから、今回はずっとマシだ。

ただ、私の先月 19日の記事にコメントしてくださった K.N さんは、立って歩くことも辛い副反応に悩まされ、1週間後にようやく食べ物を口にすることができたと書かれている。個人差がかなり大きいようだ。

私の仕事上の友人も、2日目の朝に起きることができなくなり、4日間寝ていたらしい。真顔で「覚悟しておく方がいいよ」と言っていたので、私としては昨日も書いたように、接種 2日前からマジで「俺は大丈夫、モデルナ君とは仲がいいから」と念じ、体を柔軟に解放させてきた。

心と体の相関作用というのは結構なもので、心を解放してストレスをなくすと体調もよくなるのは自然の道理である。私がずっと健康でこのブログの毎日更新を続けていられるのも、根が「ノー天気」でストレスがないからと思っているほどだ。

ただ、3度目の接種の副反応は翌日の夕方から 2日目ぐらいが一番辛いと言っている人も多いので、一応明朝までは慎重に暮らそう。

梅の開花が全国的に遅れているようだが、我が家の庭の梅も、今頃になってようやく蕾が膨らみ始めている。桜の咲く頃には、気軽にあちこち出かけられる世の中になっているといいなあ。

【同日 23時 35分 追記】

丸一日以上経ったが、体調にはこれといった変化がない。妻も至って元気で、我々はどうやら「ワクチン強い夫婦」のようである。これから寝るところだが、この分だと多分明日も大丈夫だろう。

 

| | コメント (2)

2022年3月 3日

再び ホテル昭和 礼賛

月山もも さんという方が「山と温泉のきろく」というブログに、「甲府の温泉付きビジネスホテル昭和 極上の炭酸泉が毎分 165L 湧出するビジネスホテル」という記事を書いておられる。

220303 

「私もこれまで甲府でいくつもの温泉付きホテルに泊まっていますが、その中でもホテル昭和の湯量と泉質は過去一番ではないかと思うほどでした」と絶賛だ。そうだろう、そうだろう!

私としても 8年近く前に「ホテル昭和(甲府昭和インターすぐ近く)礼賛」(2014年 5月 10日付)という記事を書いているぐらいなので、月山さんの記事は「我が意を得たり!」である。ちなみに彼女は「月山」というだけに山形県庄内出身のようで(参照)、これも嬉しい材料である。

私は旅先のホテルを選ぶ際にはもっぱら「スーパーホテル」を贔屓にしているのだが、甲府で泊まる時だけは自ら定めた特別ルールに従う。10年近くにわたって、目の前の甲州街道を隔ててすぐ向かいにある「スーパーホテル甲府昭和インター」をシカトし、ホテル昭和を予約するのだ。

月山 さんのブログ記事では、このホテル昭和、甲府駅から遠いのが難点となっているが、私は甲府辺りまでならいつもクルマで出かけるので、中央自動車道の甲府昭和インターを降りてすぐというのが、かえってありがたい。つくばの地からだと、都内に出て新宿で中央線特急に乗り換えるのはしんどいのだ。

最近はコロナ禍のせいで出張が減ってしまって淋しい限りなのだが、昨年の今頃に奥飛騨の旅に出た時も、一泊目はこのホテル昭和に泊まった(参照)。おかげでご機嫌な旅になった。

ああ、1年ぶりでホテル昭和に泊まって、信州にまで足を伸ばしてみたいなあ。

ところで、今日の午後は 3度目のコロナ・ワクチン接種である。先月 19日に書いた(参照)ように、前 2回はファイザーで、今回はモデルナ。

このパターンは副反応が一番キツいという定評があるので、一昨日あたりから「俺は大丈夫、モデルナ君とは仲がいいから」と心の中で念じて、体を柔軟に解放させている。

| | コメント (2)

2022年3月 2日

「プーチンは狂ってる」と見ることのリスク

昨日の "プーチンはまだ「戦争では誰も勝たない」と知らない" という記事で、「彼の精神状態を疑問視する声も出ている」ことに触れた。ニューヨーク・タイムズも、ロシアのウクライナ侵攻が始まった先月 24日付で、プーチンの考えが無茶苦茶になっていると報じている。

2203021

この記事は "Russians Now See a New Side to Putin: Dragging Them Into War" (ロシア人は今、プーチンに自分たちを戦争に引きずり込む新しい側面を見ている)という、Anton Troianovski 氏(ニューヨーク・タイムズ、モスクワ支局チーフ)によるもの。

これを受けて、東洋経済 ONLINE は昨日、”専門家が指摘「プーチン」にコロナ禍で起きた変化 「賢い指導者」という国民の信用は裏切られた” というタイトルで翻訳記事を載せている。

ロシアは実際にウクライナ侵攻を始める前に、国境付近に軍備を移してかなりの緊張感を演出していたが、この時点での識者の見方は「ロシアは本気」論と「ブラフにすぎない」論の 2つに大別されていた。結果として「ロシアは本気」論が正解だったわけだが、だからと言って単純な見方は決してできない。

一般論としては「ロシアの挑発はブラフにすぎず、本気で侵攻することはあり得ない」とする方が、ずっと理性的な見方だったからだ。実際に行動に移してしまえば世界中からシリアスな制裁を受けるのが確実で、理知的なプーチンがそれを読めないはずはないとみる方がより現実的だったはずなのだ。

しかしプーチンは、やってしまった。「ロシアは本気」と予測していた日本の評論家の中には、「それ、見たことか。ロシアが理性的な国じゃないことことぐらい、見抜いておくべきだった」と、鬼の首でも取ったような言い方をする向きまである。

ちなみに私自身も、「ロシアは実際に攻め込むだろう」と思ってはいた。しかしそれは北京のパラリンピックが終わってから(つまり今月後半)で、しかも首都キエフまでには迫らず、限定的な作戦になるだろうと考えていたので、現実のニュースにびっくりである。やはりプーチン、どこか理性を失っている。

そしてここに来て注目すべきなのは、プーチンの精神状態が不安定とするニュースが少なからず報じられていることで、夕刊フジなんかは「狂気の〝核暴走〟プーチン大統領、危うい精神状態」と報じている。これは、米国の意識的なプロパガンダに便乗しすぎだと思うのだが。

ここに来て私が危惧するのは、「気の狂った独裁者の支配する国が相手なんだから、どんな強硬な手段に出てもいい」とか「とことんやっちまえ!」とかいう跳ね返った世論にまで誘導されかねないということだ。そんなことになったら、下手すると全面戦争になるリスクまである。

「プーチンは狂ってる」と言ってしまえば安易な共感を得やすいだろうが、それは逆に危険な流れを呼び込む。実際 75年前に「頭の狂った日本には、原爆を落とせばいい」という酷い思いつきが現実化されてしまったように、核のボタンまで押されかねない。

チャイルディッシュなことでは定評のある日本の元首相には、もう少し大人になってもらいたいものだ(参照)。プーチンが理性を失ったとしても、世界までそれをかなぐり捨てていいわけじゃない。

 

| | コメント (0)

2022年3月 1日

プーチンはまだ「戦争では誰も勝たない」と知らない

「文春オンライン」が "《ウクライナ侵攻》「太平洋戦争中の日本のような状況」" と伝えている。うむ、我々はこの「太平洋戦争中の日本」というのを忘れてはならない。

220301

冒頭にウクライナの破壊された高層アパートの写真が配されたこの記事は、【「洗脳されてしまう」プーチン指揮下ロシアの恐ろしすぎる “プロパガンダの実態” と内部に芽生えた “希望” とは】というサブタイトル付きだ。確かに太平洋戦争中の日本国民も、ほとんど洗脳されていたようなのである。

1941年 12月、電撃的な真珠湾攻撃の成功が伝えられた時、日本国内は湧き立ったと伝えられている。恥ずかしい歴史だ。

その点、ロシア国内ではウクライナ侵攻後に反戦デモが行われた。そして国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)のオンライン非公開会合で、ロシア代表が自国によるウクライナ侵攻の正当性を否定した上で謝罪を表明している(参照)。こうした点では、まだ少しはマシなような気がする。

「洗脳」のひどかった日本とドイツは先の大戦で大敗して目が覚め、今は世界の主要国の中では最も平和的な国と(一応)思われている。その他のヨーロッパ主要国も植民地の独立運動などで、戦いの無益さを思い知らされた。米国は調子に乗ってベトナム戦争に突入したが、どうにもならなくなって手を引いた。

世界の主要国の多くは、既に多かれ少なかれ戦争には懲りている。そして現代の戦争は「明確な勝ち負け」で決着が付くというよりも、その過程で拡大する自己矛盾に当事国自身が耐え切れなくなり、止むなく手を引いて終わるのである。やはり「戦争では誰も勝たない」のだ。

ただ世界には、このテーゼを未だ知らない大国がある。ロシアと中国だ。この二つの国は、今の世の中でも「戦争に勝てば利益を得られる」と信じているフシがある。

今回ウクライナに攻め込んだロシアはソ連時代、第二次世界大戦終了間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告した。その結果、北方四島などを火事場泥棒的に占領して今に至る。2014年のクリミア危機に介入した際にも、結局は自国領土を拡張する結果となった。

つまりロシアは、「戦争で懲りる」という経験をまだしていない。独裁者プーチンは 1991年のソ連邦解体の意味をまともに理解しておらず、むしろそれ以前の(彼にとっての)「よき時代」への回帰を望んでいるようにさえ見える。この点で彼は、「精神的にはまだ子ども」である。

今回のウクライナへの一方的な侵攻には世界のほとんどが批判的で、経済制裁などを行う方針である。短期的な解決は期待できないかも知れないが、いずれにしてもプーチンの期待する果実など得られるわけがない。

ロシアは戦略核を運用する部隊を「特別態勢」に置いたと伝えられる(参照)。つまり「いつでも核のボタンを押せるぞ」というアピールだ。一部では彼の精神状態を疑問視する声も出ている(参照)ほどである。確かに彼の精神状態が「まとも」だったら、そもそも今回の事態は起きなかっただろう。

しかし私は、プーチンが「戦争では誰も勝たない」ことに最後まで気付かないほど頭が悪くはないと信じたい。完全に気が狂ったわけではないだろうから、できるだけ早く気付いて戦争終結に向かってもらいたいと思う。

そして同時に、中国がそれに学ぶことも期待する。自らの直接体験として戦争に懲りるまでは気付かないとしたら、それは世界の不幸である。

 

| | コメント (2)

« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »