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2022年3月28日

"Baseball" と「野球」は、別のスポーツ

一昨日の記事で日本の野球用語について「和製英語の宝庫」なんて書いたのをきっかけに、ちょっと試しに「野球 和製英語」というキーワードでググってみたところ、出てくるわ出てくるわ、大変な数のページがヒットした。

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中でも面白かったのは、かの有名なアンちゃんのページ(参照)。タイトルからして「日本の野球は和製英語の宝庫です」と、私と同じ発想なのが嬉しくなってしまった。興味のある方は是非行ってみるといい。

ちなみに野球が日本で広まったのは案外古く、明治の昔に正岡子規が普及に貢献し、「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」という短歌まで残している。彼は普及の功績によって野球殿堂入りしているほどだ。

「野球」という名称も子規が訳したと巷間もっともらしく伝えられるが、実際には中馬庚(この人も野球殿堂入りしている)という人の考案である。子規が訳したのなら、上で紹介した短歌は「久方のアメリカ人のはじめにし野球は見れど飽かぬものかも」みたいに、字余りなしのドンピシャ定型になっていただろう。

中馬が「野球」という語を考案したのは、"ball in the field" (あまりプロパーな言い方じゃないよね)という言葉を元にしたとされている。さらに  "shortstop" を「遊撃手」と訳したのも彼であるという。

こうしてみると、中馬という人はずいぶん自由勝手な訳し方をしていて、ベースボール用語が野球用語に変わる時点でかなりテキトーになる発端を作ったような気さえする。

さらに戦時中の「敵性語排除」というチョー特殊事情が加わって無理矢理な訳語が増え、そして戦後にカタカナ用語が解禁になった途端に、それまでの反動みたいに、「ランニングホームラン」みたいなわけのわからない和製英語がどっと作られたんじゃないかと想像する。

というわけで野球というのは 150年も前に日本に伝えられて広く受け入れられ、間に太平洋戦争なんてものまで挟んでいるだけに、ずいぶん特殊なまでにドメスチックな発展の仕方をしてしまったようなのだ。

こう言っちゃナンだが、「野球指導者」といわれるような人にはモロに「日本のオッサン」タイプが多い気がする(新庄  BIGBOSS なんかは別ね)。高校野球の坊主頭や旧日本陸軍的な入場行進(参照 1参照 2)なんかを見ても、「アメリカン・スポーツ」というイメージからはほど遠い。

アンちゃんは紹介した記事の末尾近くで、"面白いですね!「野球」は「ベースボール」ではない、日本人のためにある日本のスポーツです!" と書いている。この点に関しても、「我が意を得たり」だ。

【付記】

「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」の「久方の」は、「光」や「天(あま、あめ)」にかかる枕詞だが、この場合は「アメリカ人」の「アメ」にかけられた洒落みたいなもの。子規は米国に関して、仰ぎ見るような素晴らしい国と捉えていたのかもしれない。

 

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コメント

takさん、「中馬庚」氏が2回目以降「中島」さんになっちゃってますよ(笑)

>こう言っちゃナンだが、「野球指導者」といわれるような人にはモロに「日本のオッサン」タイプが多い気がする(新庄 BIGBOSS なんかは別ね)し、高校野球の坊主頭や旧日本陸軍的な入場行進(参照 1、参照 2)なんかを見ても、「アメリカン・スポーツ」というイメージからはほど遠い。

私もそう思います。いわゆる「ブラック部活」の傾向が最も強いのが野球部であると。
何かで見たのですが、自動車教習所の教官が指導に最も苦労するのが高校球児だそうです。「これこれこうだから、わかった?」と訊くと「はい!わかりました!!」と見事な返事をする。ところが実際には全然わかってないw脊髄反射のようにそう答えているだけなのだとか。

まあテレビで高校野球を見ればわかります。投手の投げる1球ごとにベンチを振り返り、監督の指示を見てそれに従う。これはチャンスと勝手にヒットを打てば怒られる。自主性だとか考える力などを全否定したかのような上官命令絶対主義ですよね。

投稿: らむね | 2022年3月28日 20:36

らむね さん:

>「中馬庚」氏が2回目以降「中島」さんになっちゃってますよ(笑)

訂正しときました。ご指摘、感謝です。

書いてる途中で昼飯を食ったので、自分で打った文字を読み違えたようです。(最近、年のせいか目がウロウロしちゃってまして ^^;)

それにしても高校野球のブラック度って、すごいんですね。

投稿: tak | 2022年3月28日 21:12

1987年にヤクルトにボブ・ホーナーというアメリカ人選手が入団しました。

彼は最初の試合からホームランを打ちまくり神宮球場を満員にし、ホーナー旋風を起こしました。在籍は多分一年だけだったと思いますが、ずば抜けた成績と名言を残しました。

「バッティングは80%が頭で決まる。データを駆使して、投手の配球を読んで打つんだ」
「打席では80%が頭の勝負。結果は考え方の差」

この言葉を聞いた野村監督は「わが意を得たり」と感動したそうです。

帰国した彼は『地球のウラ側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった』と言う本を著し、「日本にあったのはベースボーでなく野球だった」と書いたようです。

プロ野球選手は100%が元高校球児でしょう。らむねさんが書かれているような元高校球児が展開する日本のプロ野球に大きな違和感を持ったのだと思います。

球界で使われるヘンテコ英語にも強い違和感を持ったのだと想像します。そんなこともあって日本にあったのは「野球」と表現したのでしょう。

彼は日本野球を見下してる訳ではありません。日本にあったのは「野球」だったと表現しただけです。

投稿: ハマッコー | 2022年3月28日 21:45

ハマッコー さん:

ボブ・ホーナー は日本の「野球」に、ものすごく「異質なもの」を感じて帰ったんでしょうね。

その意味では、野村さんも、BIGBOSS ほどではないにしろ、ちょっと「日本の野球」からはみ出した何かを感じます。彼の出身高校は、野球では強豪校でもなんでもなかったようなので、それが良かったんだという気もします。

投稿: tak | 2022年3月29日 09:35

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